2013年11月19日

美希「忘れてた想い出のように」

「ハニーって呼んじゃ、ダメなの?」

「ダメだ」


秋の入り口に差し掛かった頃。



「どうして?」

「大切な人に向けて使う言葉だから、だよ」



夕焼けに染まった二人の男女が向かい合う。

一人は少女。一人は青年。



「ミキはハニーのこと、大事な人だと思ってるよ?」

「…………」


少しだけ、痛みを表情に表した。


「どうしたの? お腹でも痛い?」

「俺も、美希は大事な人だと思ってるよ」

「じゃあ、オッケーだね。もしかして、今の告白!?」

「それじゃあ、俺は事務所のみんなに告白したことになるな」


少しふざけた口調で少女に諭す。


「ミキね、浮気はダメだって思うな」

「あのな……美希、ちゃんと聞いてくれないか」

「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないかな」

「……」

「さ、事務所に戻ろ、ハニー」

「美希」


少女の名前を強めに呼んだ。

伝えておくべき事、それを受け入れて欲しいとの願いから。


「なに?」

「今から大事なことを言うよ」

「……うん」

「……」


少女は少し緊張し、青年は少し躊躇う。


「俺は……」

「……」


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「年が明けたら事務所を辞めるつもりだ」

「……え」


ずっと続くと信じていたこの楽しい時間。

それが音を立てて崩れていくかのような感覚に少女は陥った。


「…………」

「……そっか」

「……」

「わかったよ」

「……」

「ミキが嫌いなら嫌いって、そう言えばいいじゃない」

「……違う」

「違わないッ! ミキ知ってるんだから!!」

「……!」

「そんな、そんな……取ってつけた理由で……子供だと馬鹿にして……!」

「俺は、美希のことをいつも一人の人間として接してきたはずだ」



少女の激昂にも、彼は冷静に語りかけた。




「そんなの知らない。それじゃあね、そこの人」

「美希!」



彼に背を向けて少女は歩き出す。



「嘘つき」



一つの言葉を残して。





― 事務所 ―



P「はぁぁ……」

小鳥「ど、どうしたんですか、深すぎる溜息なんて吐いて……」

P「美希と仲違いしまして」

小鳥「ただの喧嘩じゃないってことですね……」

P「……はい。俺への呼び名を改めてくれって注意したんですけど……」

小鳥「……ふむ」

P「分かってくれなくて…………」

小鳥「難しいところですね」

P「そうなんですよねぇ……」

律子「あぁ、鬱陶しい」

P「あれ、いたのか律子」

律子「えぇ。アナタが戻ってくる前から、アナタの溜息を4回数えられるくらいずっと居ました」

P「……す、すまん」

小鳥「あれだけプロデューサーさんを慕っていた美希ちゃんが……」

律子「それで、なんて言って怒らせたんですか?」

P「いや、これは俺の問題だから」

律子小鳥「「 む…… 」」

P「う……」

律子「個人で解決するべき問題なら、事務所に持ち込まない!」

小鳥「聞いて欲しいと思ったから、相談に乗ろうとしたのに……」

P「……すいません」

律子「スケジュールに支障が無いよう、よろしくお願いしますよ」

P「……あぁ。最近の美希はプロ意識が高いからな、そこは心配していない」

律子「プロ意識……」

P「……」

小鳥「プロデューサーさん、私が前に言ったこと、覚えてますか?」

P「プロのアイドルとして頑張っているけど、本当は15歳の女の子……」

小鳥「……」

律子「……」

P「もう一度、きちんと話をしてきます」




― 美希の部屋 ―


美希「それで?」

P「いや、なんで部屋に招き入れるんだ……」

美希「話なら、どこでだってできるでしょ」

P「公園に移動しないか?」

美希「めんどくさいから、ヤなの」

P「とてもじゃないが、落ち着かなくてな……」

美希「じゃあ、帰れば?」

P「……」

美希「……言い過ぎたの」

P「…………」

美希「……どうして、笑ってるの?」

P「いつも……俺に気を遣ってくれるよな、美希は」

美希「そうかな……?」

P「あぁ。事務所のみんなも、俺なんかを気遣ってくれる」

美希「……」

P「俺は恵まれてる、な」

美希「そんな風に思ってるのに、どうして辞めちゃうの?」

P「これはもう決定しているんだ。社長しか知らないけど」

美希「どうして社長しか知らないの?」

P「今の事務所の雰囲気を、俺の些細な理由で壊したくない」

美希「……」

P「みんな前を見て、上を目指して頑張ってるんだ。余計な不安も持ち込みたくない」

美希「辞める理由をまだ聞いてないよ」

P「実家に戻って、家業を継ぐ」

美希「どうして?」

P「家庭の事情ってやつでな」

美希「どうしても?」

P「…………あぁ」

美希「ふぅん……」

P「……」

美希「どうしても、実家を継がなきゃダメなの?」

P「……そう言ったけどな」

美希「なんか、嘘ついてそう。他に理由があるような気がする」

P「…………」


美希「地元に結婚を約束した幼馴染がいるとか」

P「……なんだそれは」

美希「あ、それはないか。うぅん、なんだろ……政略結婚とか……?」

P「どうして俺の話を信じないんだ?」

美希「さっきも言ったけど、ミキ知ってるんだよ?」

P「……なにを?」

美希「事務所に居たいって思う理由……になるのかな」

P「……」

美希「だから、離れたくないって思うハズだもん」

P「…………」


コンコン


「晩ご飯出来たわよー」


美希「はーい」

P「……お暇するか。明日の予定、忘れずにな」


「プロデューサーさんもご一緒にどうですかー?」


P「あ、いえ。帰ります」

美希「よろしくなのー」


「はーい」


P「帰りますって言ったのに……!?」

美希「ほら、行こ、ハニー」

P「頼むから、親御さんを前にそれで呼ばないでくれよ?」

美希「わかったの」

P「って、御馳走になるのか……。うぅ、あつかましいな俺……」



美希「ミキがちゃんと掴まえていてあげるから、ね」



……





― 事務所 ―


小鳥「え、結納までしたんですか?」

P「え? ご飯を食べただけでそこまで進むんですか?」

小鳥「親公認の仲ってことですよね」

P「違います」

小鳥「ふふ、冗談ですよ」

P「このことは、他のみんなには内緒にしてください」

小鳥「はい、分かってます」

P「特に亜美と真美には絶対に――しまった」

真美「ふむ、兄ちゃんくん。取調室へ行こうか」




― 社長室 ― 


真美「カツ丼でも食いたまえ」スッ


コト


P「カツ丼……」


パカッ


P「ただのどんぶり容器じゃないか、中身が入って無いぞ」

真美「昨晩のアリクイを聞こうじゃないかぁ」

P「アリバイな。……事務所に戻った後、残っていた仕事を片付けた」

真美「それはおかしい。真美たちが戻ってきたとき、兄ちゃんくんは居なかったぞぉ」

P「入れ違いだったんだろう」

真美「そう、注目するべき点はそこだ。どこへ行っていたのか、詳しく聞かせて貰おうじゃないかぁ」

P「……美希と話をしてきた」

真美「それで、それでぇ」

P「それだけだ」

真美「兄ちゃんくん、嘘はいけないなぁ。罪が重くなるぞぉ?」

P「罪……?」

真美「口止め料、パフェ一年分とかになるかなぁ」

P「……」

真美「ほら、素直に白状したまへ」

P「美希の家でご飯を頂きました」

真美「ふむふむ、美味しかったかね?」

P「あぁ。家庭の雰囲気を久しぶりに楽しめた。美希の新しい一面も見られたしな」

真美「そっかぁ……兄ちゃんは家庭の味に飢えてるんだねぇ……」

P「口止め料、パフェでいいんだよな」

真美「ううん。それはいいよ」

P「……え?」

真美「亜美にメールっと」


ピポピピポピポピピポパピプペ


P「……?」


真美「ミキミキのお家でどんな話したの?」

P「最近のみんなの活躍が中心だな……」

真美「ほほぅ」

P「みんなが頑張ってるから、仕事も順風満帆ってことを話したよ」

真美「えへへ、兄ちゃんが頑張ってくれてるからだよー。ありがとね」

P「……」

真美「どしたの?」

P「いや……なんだか、嬉しいな……と」

真美「最近すっごく楽しいよ」

P「うん……楽しんでくれてなによりだ。そろそろ出なきゃいけないから、俺は行くぞ?」

真美「そだね、真美もレッスンに行かなくちゃ」


ガチャ


美希「ハニー、行くよー」

P「……結局、改めてくれないのか。……それじゃ、頑張ろうな、真美」

真美「うん、そいじゃーねー」


チャ-ラチャラリー♪


真美「おっと、……ふむふむ」

美希「ねぇ、真美となんの話をしてたの?」

P「昨日の晩御飯の話」

美希「楽しかったよねー。早く行こ行こ」

真美「待って兄ちゃん」

P「?」

真美「来週の夜なんだけど予定、空けといてね」

P「来週……?」

真美「真美ん家でご馳走するから、よろよろー」



……





― 事務所 ―


小鳥「亜美ちゃんと真美ちゃん、どっちを選ぶんですか?」

P「どっちも選びませんよっ、何の話ですかっ」

小鳥「でも、昨晩は双海家にお邪魔して……将来の約束まで」

P「してませんっ。話を飛躍しないでください!」

小鳥「ふふ、冗談ですよ」

P「あの、洒落にならないので、二度と言わないでくださいね」

小鳥「ふふふ〜」

P「弱みを握られたみたいになってるな……」

小鳥「プロデューサーさん、家庭の味に飢えているんですか?」

P「え?」

小鳥「真美ちゃんが楽しそうだった、と言っていましたよ」

P「家庭の味かどうかは知りませんけど、美希も一緒に賑わってて楽しかったです」

小鳥「まぁ、美希ちゃんも……?」

P「真美と亜美がせっかくだから、と」

小鳥「昨日の仕事現場は近かったですからね」

P「ご両親も親しくしてくれて……。……あれ、飢えてるのか、俺……?」

小鳥「あら、まぁ……くすくす」

P「…………寂しくなってきてるのかな」

小鳥「さびしい?」

P「あ、いえ……なんでもありません」

やよい「プロデューサー、お掃除終わりました」

P「ありがとう、やよい。でも、これから仕事なんだから休んでないと」

やよい「これくらいへっちゃらですよー?」

P「頼もしいな」

やよい「えへへー」


P「……ッ」


やよい「プロデューサー……どうしたんですか、顔色が悪いです」

P「……ゴホッ」

小鳥「……大丈夫ですか?」

P「――ッ!」

タッタッタ


やよい「……プロデューサー」

小鳥「……え?」



― トイレ ―


P「ガハッ……ッ……ゲホッ……ゲホッ」


P「…………すぅ……はぁっ……」


P「……うぅ…ッ」


P「ま……まだ…早すぎるだろ……なんで……?」




― 事務所 ―


P「……うぅ、情けない」

やよい「あの、プロデューサー……」

小鳥「……」

P「朝食べた果物が傷んでいたみたいで……気分が悪くなった……」

やよい「そんな、無理して食べるからですよ。我慢してください!」

P「まったくだな……。まだイケるって思ったんだが」

小鳥「食生活もそうですけど、体調管理には気をつけてくださいね」

P「はい。肝に銘じておきます」

やよい「お薬持ってきますか?」

P「自分で取ってくるから、気を遣わないでいいよ。ありがと、やよい」

やよい「……はい。……あの、プロデューサー」

P「ん?」

やよい「家庭の味にはんぐりぃなんですか?」

P「なんだ、その変な英語の使い方は」

やよい「どうなんですかー?」

P「うーん……どうなんだろう……」

小鳥「ぷ、プロデューサーさん! 今度はやよいちゃんを花嫁候補に……!?」

P「俺は別にハングリーじゃないぞ」

やよい「そうですか」

P「……うん、多分な」

やよい「あ、そうだ……いつもお世話になってますから、今日の晩ご飯は私がご招待しますね!」

P「……せっかくのお誘いだけど、今日は遅くなるんだ」

やよい「……残念です」

P「悪いな」


やよい「それじゃ、明日はどうですか?」

P「えっと……明日は…………、悪い、明日も予定が」

やよい「明後日はどうですか?」

P「明後日か……、夕方には戻ってるから、ちょちょいと片付けば……」

やよい「それじゃ、明後日ですね!」

P「あ、あれ……? 決定したのか?」

やよい「もやし祭りはその日にしようかなーって、思うんですけど、どうでしょー?」

P「そうだな……せっかくの心遣いだ。ありがと、やよい。楽しみにしてるよ」

やよい「えへへ、私も楽しみになってきました」

P「そろそろ、出ようか」

やよい「わっかりました!」

小鳥「嗚呼……無視されてもへこたれちゃダメよ……小鳥……」



P「ほら、美希……起きてくれ」

美希「ん……むにゃむにゃ」

P「仕事に行くぞー」

美希「すやすや」




……





― 事務所 ―


P「少しずつ寒くなってきたな……」


ガチャ


P「おはようございまーす」


貴音「おはようございます、プロデューサー」

P「お、今日は早いな貴音」

貴音「秋の朝を堪能したいと思い、少し早めの外出にいたしました」

P「秋も深まってきて紅葉が綺麗だからな」

貴音「真、日本の美しい季節の移ろいに、毎年感銘を受けます」

P「そうだ、少し離れた所に運動公園があるだろ?」

貴音「……はい」

P「あそこはイチョウ並木が綺麗なんだ」

貴音「それは、是非拝見したいと思うところ。……では、行って参ります」

P「待て待て、貴音はこの後、雑誌の取材があるだろ」

貴音「……」

P「確かに、貴音のスケジュールを見ると……。この機会を逃したら見られないんだよな……」

貴音「……いざ」

P「わかった、車で一緒に行こう」

貴音「プロデューサーの優しき心遣い。真、有り難き幸せ」

P「そこまで畏まらなくてもいいが……。すぐ用意するから待っててくれ」


美希「おはよぅ……ハニー……あふぅ」

P「昼までオフだったはず……どうしたんだ?」

美希「ちゃんと掴まえるって言ったのぉ……」

P「何を……?」


小鳥「おはようございます」

P「おはようございます。律子達はもう出たんですか?」

小鳥「はい。今日はシークレットライブですから、張り切ってましたよ」

P「竜宮小町……負けていられませんね……!」

小鳥「ふふ」

P「気合を入れておいてなんですけど、少し息抜きしてきます」

美希「どこ行くの?」

P「一昨日の仕事で使った公園だ。貴音にイチョウ並木を見せようと思って」

美希「ふぅん、それじゃ、ミキも付いて行くの〜」



……





― 事務所 ―


伊織「アンタ、顔色が悪いみたいだけど、大丈夫なの?」

P「んー……。……疲れが溜まってるみたいだ……マズイな」

伊織「ちゃんと食べてるのよね」

P「あぁ、それはもう、しっかりと」

伊織「嘘をついて、カップ麺とか、コンビニ弁当とか食べてたら承知しないわよ」

P「心配してくれるのか?」

伊織「そんな景気の悪い顔でいてほしくないだけ」

P「面目ない」

伊織「しょうがないわね……。どうせ寂しい食卓なんでしょうから、今度は私がご馳走してあげるわ」

P「……え」

伊織「美希や亜美、やよいの家で晩ご飯を頂いてるらしいじゃない」

P「俺の行動は全員に筒抜けなのか……」

伊織「亜美も行くでしょ?」

亜美「もちのろーん! と言いたいとこだけど、お家でおっかさんの料理がまってるのさぁ」

伊織「……そう」

亜美「残念ですが、あっしはこれにて失礼するでござる」

P「今日もお疲れ様、亜美」

亜美「また亜美ん家でご飯食べようね、兄ちゃん! ばいばーい!!」


伊織「二人で食事ってのも味気ないわね……」

P「行くって言ってないぞ」

伊織「あら、アンタ……可憐で心優しい私の誘いを無下にする気?」

P「……」

伊織「決定ね」

P「……丁度いい機会だ、親睦を深めよう」

伊織「はいはい。いちいち理由付けしなくてもいいじゃないの」

P「どこで食べるんだ?」

伊織「私の家に決まってるじゃない」

P「決まってたのか……って、そうだよな」

伊織「とびっきりの食事を用意させるから、期待してなさい」

P「うん……。それじゃ、やよいも誘おう」

伊織「さっき帰ったわよ」

P「い、いつの間に……。えっと……他には……」

伊織「やっぱり、ボンヤリしてたのね……最近様子が変だって聞いてはいたけど……」



P「小鳥さんはどうですか?」

小鳥「せっかくのお誘いですけど、律子さん達と食べに行く約束をしてるので」

P「……あ、そうでしたね」

小鳥「伊織ちゃんの厚意を大切にしてあげてくださいね」

P「ど、どういう意味ですか」

小鳥「ふふ、実はこっちに来たいんじゃないのかなぁ……なんてぇ……ふふふ〜」

P「……くっ」

伊織「何の話をしてるのよ?」

P小鳥「「 なんでもありません 」」

美希「ミキが付いていってあげるの」

伊織「まぁいいわ。特別に招待してあげるんだから、感謝することね」

P「伊織の家って初めてだな。テレビで見ただけだ……楽しみになってきた」

美希「おにぎりに勝る料理なんてないけどね」

伊織「あんたのその常識、今日で覆えしてみせるわ」

P「はは……」


……






― 事務所 ― 


P「うぅ……ん……」

小鳥「あの、プロデューサーさん」

P「……はい?」

小鳥「大丈夫ですか?」

P「あ、唸っていたのは調子が悪いわけじゃなくて……スケジュール調整が難しいからですよ」

小鳥「そうですか。……お茶でも淹れましょうか?」

P「ありがとうございます」

小鳥「いえいえ」


「プロデューサー、一緒に果物食べませんかー?」


P「もうちょっとで終わるから、待っててくれー」


「はーい」


P「真と……やよい、真美……うぅむ……」


P「……ッ……ケホッ」


P「ゴホン……ふぅ……」


小鳥「今日は早めに帰ってはどうですか?」

P「大した咳ではないですから。お茶ありがとうございます」

小鳥「…………」


「プロデューサー、無くなりますよー」


P「それは困るな」


――


真「さ、どうぞ」

P「ありがと。柿に林檎にオレンジに梨……秋の果物も見納めか……」

真「少し早いですけど、キウイもありますよ」

小鳥「ビタミンをたくさん取ってくださいね」

P「……そうですね。林檎を貰おうかな」

真「みんなが心配してますよ。プロデューサーが疲れた顔をしているって」

P「そうなのか?」

真「さっきも変な咳をしてたじゃないですか」

P「……そうだな。……判断誤ったかな」

真「なにがですか?」

P「……いや、なんでもない」シャクシャク

小鳥「林檎、もう少し剥きましょうか」

P「お願いします。梨はもう無いんですか?」

小鳥「残念ですけど、出ている分で終わりです」

真「あ、残しておけばよかったですね」

P「いや、ある分だけで充分だよ、ありがと」

真「……」

P「甘くておいしい」

小鳥「葡萄ももう旬を過ぎてますからね」

P「そうですね。葡萄……食べたかったなぁ」

小鳥「ふふ、プロデューサーさん、分かりやすいですね」

P「分かりやすい……?」

小鳥「色のイメージ」

P「あ……こ、小鳥さんっ」

小鳥「ふふふ〜」

真「プロデューサー、今日も遅くまで残るんですか?」

P「あ、あぁ……そうだな……まだ、仕事も残ってるから」

真「手伝えることあったら、何でも言って下さいね」

P「……どうしたんだ、急に」

真「最近プロデューサーに会ってなかったから、
  みんなの思い過ごしだろうって思っていたんですけど……」

P「え、そんなに顔色悪いか?」

真「……はい」


P「やつれて見える?」

真「そこまではいきませんけど。でも、以前より……変な感じです」

P「なんだそれは」

真「ボクにも分かりませんよー。医者じゃないんですから」

P「真が医者か……。面白いな」

真「いいですね、女医って……格好いいイメージがありますよねぇ」

P「確かに、格好いい人がいたな」

小鳥「いた……?」

P「柿もジューシーで旨い」

真「おいしいですよね。種が大きいけど」

小鳥「あの、プロデューサーさん。病院に通っているんですか?」

P「あ、えっと……はい。……みんなには内緒にしてくださいね」

真「ちょ、ちょっと待ってください。どうして通っているんですか」

P「俺も自分で疲れてると思ってな……点滴を……」

小鳥「えぇ……!?」

真「ちょっと、プロデューサー! どうしてそんなこと黙っているんですか!」

P「落ち着け、真。今だって果物食べてるだろ?」

真「だ、だから何ですか?」

P「食欲があるということは、大丈夫ってことだ」

真「ほ、本当に?」

P「うむ」

真「……」

小鳥「やっぱり、今日は早く帰って休まれたほうが……」

P「そうもいかないんです」


「ただいまーなのー!」


P「美希に待ってると約束したので」

真「……」

小鳥「……」

P「今の話、不安にさせない為にもみんなには絶対に内緒」

真小鳥「「 それはできない約束です 」」

P「えっと……近いうちに休みを貰いますから」

真「……」

小鳥「絶対に……無理はしないでくださいね」

P「……」

美希「……あれ、どうしたの?」

P「お疲れ様、美希」

美希「うん! 今日も頑張ったよ!」


P「元気だな、仕事疲れてないか?」

美希「大丈夫だよ、ハニーの顔を見たら、何度でも元気になれるんだから!」

P「はは、こんな顔でも誰かのためになるのか」

美希「そういう言い方、良くないって思うな」

真「……やっぱり……何かが変だ……」


小鳥「美希ちゃんも座って。お茶と紅茶どっちがいいかしら」

美希「紅茶をお願いするの〜」

小鳥「はーい」

P「そうだ、新曲のデータ届いてるぞ」

美希「ほんと!?」

P「プレーヤー貸してくれ、転送してくるから」

美希「お願いね」

P「ちょっと待ってて」

美希「楽しみだなぁ、どんな曲と出会えるんだろ」

真「ねぇ、美希……」

美希「どうしたの?」

真「プロデューサーとよく一緒に居るみたいだけど……?」

美希「……ハニーがね、どこか……遠くに行っちゃいそうなの」

真「え……遠くに……?」

美希「だから、ミキがしっかり掴まえておくの」

真「……」



美希「そうすれば、ずっとここに居たいって……想ってくれるような気がして」



……






― 病院 ―



P「失礼します」

医者「…………」

P「……すいません」

医者「……ご家族には?」

P「話しています」

医者「……」

P「もう少しだけ……」

医者「……」

P「あと、もう少しだけ……お願いします……」

医者「医者に無力さを感じさせること、あまりしないでくれ」

P「……」

医者「知らせたことが間違いだったのではないかと、今でも悩んでいるんだ」

P「いえ……。知らせてくれたこと、感謝しています」

医者「……ふぅ」

P「春までは……との診断でしたよね……」

医者「無理をしている状態なんだ」

P「……はい」

医者「君に残された時間は――」



……






― 事務所 ―


P「まだ、決心つかないか?」

千早「……はい。ありがたいお話なのですが」

P「ふむ……」

千早「…………」

P「時間はまだ、ある」

千早「……でも」

P「決断する時間は無い。けど、その迷ったままの状態では苦労するだけだ」

千早「……そう…ですね」

P「諦めない意思さえあれば、何度でもチャンスはある」

千早「ここにいるのは、甘えではないでしょうか」

P「甘え……か……」

千早「居心地のいい、この事務所で……自分を磨くには……やはり……」

P「成長の妨げになる、と」

千早「はい」

P「なら、やりたいことより、やらないといけないことを優先したらどうかな」

千早「やらないといけない……こと」

P「今から言うこと、事務所のみんなには内緒にして欲しい」

千早「は、はい……」

P「俺が遅くまで残って仕事をしているのは知ってるか?」

千早「はい。みんなから、聞いています」

P「……実は……な」

千早「……ごくり」

P「家に帰って、独りでいたくないからだ」

千早「……え?」

P「ここに居たら、小鳥さんがいて律子がいる。社長も……って、毎日出かけてるが」

千早「……」

P「必ず誰かがいるんだ。だから、寂しくない」

千早「……っ」

P「声をかけてくれる。それが嬉しい……って、笑わないでくれ」

千早「……だ、だって…っ……プフッ」

P「絶対に内緒な」

千早「わ…わかりまし……っ……グフッ」

P「約束だからな」

千早「だ…だい……じょ…っ……で…すよ」

P「……そんなに笑われると……恥ずかしくなってくる……」

千早「す…すいません…っ……なんだか……プロデューサーが……かわい……ブフッ」

P「くぅ……」




ガチャ


「ハニー、ただいまー!」


P「どうして俺が居るって分かるんだ?」

千早「……っ……っ」

美希「あれ、千早さん……顔が真っ赤だけど……どうしたの?」

千早「な、なんでもな……プフッ……フフフッ……」

美希「なになに? 何があったの? 教えて教えて」

P「美希、生放送観てたけど、途中で気を抜いていたな」

美希「だって、ハニーが来てくれなかったんだもん。どこに行ってたの?」

P「他の現場だ。ダメじゃないか、視聴者に笑われるぞ」

美希「それよりお腹空いちゃった。ケーキ買ってきたから食べよ?」

P「食べ終わったらちゃんと反省会をするからな」

美希「はぁい」

千早「……ふぅ。……あれ?」

P「どうした?」

千早「それが、プロデューサーのやらないといけないこと、ですか?」

P「どっちかというと、両天秤でバランスのいい状態なんだけどな」

千早「……それは、羨ましいのかもしれませんね」

美希「?」

P「千早と美希は、今の事務所の状態ってどう思う?」

美希「楽しいよ……ずっと、続いたらいいなって思う」

千早「私も……ベストな状態だと感じます。更なる高みへ昇っていけそうな……そんな状態かと」

P「……うん。俺もそう思う」

千早「……私はまだ、やり残したことがある様な気がしてきました」

P「それを遂げるか、何かきっかけがあれば、選択が決まると思う」

千早「…………」

美希「センタク?」

千早「なんでもないわ」

P「……時間は、ある」


……





― 事務所 ― 


響「うさがみそ〜れ」

P「……え?」

響「お召し上がりくださいって、うちなーぐちだぞ」

P「いただきますは?」

響「くわっちーさびら」

P「それじゃ、有り難く。クワッチーサビラ」

響「ゴーヤーがあればスタミナ料理作れたんだけどなー」

P「そうか……もぐもぐ」

響「今日はソーメンちゃんぷるーをご堪能あれ」

P「うん……美味しいよ」

響「へへー」

P「でも、どうしたんだ急に?」

響「昨日、春香のお家で晩御飯食べたでしょ?」

P「な、なぜ響が知ってるんだ……春香に口止めしておいたのに」

響「昼に電話かけてお礼言ってたのプロデューサーだぞ」

P「……聞いてたのか」

響「すぐ近くにいたぞ、自分……」

P「そ、そうか」

響「……プロデューサー、みんなも言ってたけど、集中力が落ちてる」

P「うん……気をつけるよ。……今の話、小鳥さんには内緒な」

響「どうして?」

P「からかわれるんだよ……絶対に!!」

響「ふーん……。でも、言っちゃったから、後の騒ぎだよね」

P「後の祭り、な。どうして言ったんだ……?」

響「自分もプロデューサーになにかしたい、って相談したら、『家庭の味をプレゼントしたらいい』って」

P「だから、料理を作ってくれたのか……ありがと」

響「ううん、これくらいなんでもないさー」

P「……その流れで、春香の家で御馳走になった話が出たと」

響「そういうこと〜」

P「小鳥さんの反応は?」

響「ノートに『おーでぃーでぃーえす』と書いて」

P「Odds……オッズ……賭け!?」

響「『次は私が作るのっかな〜、それとも本命に作ってもらうのっかな〜♪』って歌ってたぞ」

P「そ、それで……?」

響「それだけ」

P「ギャンブル的なことはしてないみたいだけど……」


「だたいまー」

「ただいまなのー」


響「おかえりー」

P「お疲れ様、春香、美希」

春香「はい、ただいまですっ。うーん、いい匂い!」

美希「響が料理したの?」

響「そうだぞ。プロデューサーに作ったんだ、沖縄料理をねっ」

P「響の料理の腕がどんどん上達していくな」

響「そう言ってくれると嬉しいさー」

春香「湯気がホクホクしてますねー」

P「ポークがアツアツで美味しいんだよ」

響「そうそう」

P「でもちょっとアツい……ふーふー」

美希「……はむ」

P「おいぃー!」

春香「美希……プロデューサーさんのお箸だよ……?」

美希「おいしいの〜♪」

響「だめだぞ美希っ、プロデューサーのために作ったんだから!」

P「冷ましてる隙を狙われたか……まったく」

春香「どうして、プロデューサーさんの為に?」

響「スタミナを付けて貰わないとな!」

P「そうだな、たくさん食べさせてもらおう」

美希「もっと元気になってもらわなきゃね」

P「本当に美味しいよ、沖縄の……いや、響の温かさが伝わってくる」

響「えぇーっ、そ、そんなっ、照れるぞプロデューサーっ!」

P「胡椒が利いてて、もやしと素麺、ニラの絡み合いがとてもいい。って、小鳥さんみたいなコメントだな」

響「今度、ひらやーちー作るからね!」

P「期待してるよ。どんな料理?」

響「えっとね、チヂミとか、お好み焼きみたいな料理」

美希「……むぅ……私たちが視界に入ってないの」

春香「ぷ、プロデューサーさんっ」

P「?」

春香「あ、あの……その……」

P「あ、そうか。響、春香にも」

響「うん。別に、プロデューサー以外食べたらダメってわけじゃないぞ」

P「ちょっと、箸を取ってくるから待っててくれ」

春香「ち、違いますよぉ! わ、私とプロデューサーさんの間にも秘密がありますよねっ」

P「……秘密…………?」



春香「ほ、ほら……昨日……私とぉ、プロデューサーさんのぉ……」

美希「なになに!? なにそれ!」

春香「えへへー、内緒ー。ですよね、プロデューサーさんっ」

P響「「 ……えっと 」」

春香「……?」

P「悪い、春香の家でご飯を頂いたこと、小鳥さんも知ってる」

春香「えぇー!? 昨日の今日で早くも二人の秘密が漏れたんですかっ!」

美希「今度は春香のお家だったんだね」

P「美希から始まっていろんなお家でご馳走になってるな……。はい、春香」

春香「あ、はい。わざわざ箸を取ってもらってすいません」

P「どうした、テンションが下がってるけど」

春香「私……こういう秘密って楽しいなーなんて思ってて……伊織たちに思わせぶりなこと言っちゃって」

P「……そ、そうか」

春香「なんだ、もう筒抜けかぁ……いただきます」

響「どうぞ〜」

P「伊織が亜美にそれを聞くだろ……亜美が真美に、真美が小鳥さんに……小鳥さんが明日俺をからかう」

春香「おいしぃ〜」

P「嗚呼……何を言われるんだろう……嫌な感じがする」

春香「お父さんがプロデューサーさんのこと褒めてましたよ」

P「……褒めてた?」

春香「楽しく話をしていたじゃないですか〜」

P「……?」

響「春香のお父さんって、どんな感じー?」

春香「いつも、むすっとしてるから、初対面の人には避けられるんだよ」

響「へぇー……」

P「俺とも初対面だったけど、昨日は笑顔で会話してたよな……?」

美希「ふぅん、楽しそうだね」

P「楽しかったよ。美希もタイミングが合えばよかったな」

美希「残念、なの」

春香「でも、プロデューサーさんは普通に話しかけてましたから、嬉しかったと言ってました」

P「そうなのか……。春香のお父さんだから第一印象は気にならなかったな」

春香「そうなんですか?」

P「気配りできて、優しい雰囲気。お母さんは笑うと春香って雰囲気。春香の両親だなって、思った」

春香「……」

P「だから、変な先入観はなく、普通に……自然に話ができたんだろうな……」

春香「…………なんだか、変な気分ですね」

P「……俺も何を言ってるんだかよく分からないけど」

春香「あ、いえ。嬉しいですよ」

P「そうか……」


響「家庭訪問みたいだよね」

春香「あはは、そうだねー」

美希「食べさせてあげるから、あーんして」

P「やめぃ!」

美希「竜宮はまだ仕事だから、大丈夫なのに〜」

P「なぜ竜宮が出てくるんだ……」

春香「律子さんに怒られるってことかな」

P「そうなんだよな、律子は口うるさくて……」

美希「うんうん」

P「いや、美希にうるさくするのはちゃんと意味があるんだぞ」

美希「言い出したのハニーだよ」

P「俺もよく小言……ゴホン。……直すべきところを指摘してくれたんだ」

美希「ふぅん」

P「でも、しっかりしてるようで、脆かったりするからな」

美希「律子…さんが……?」

P「……あ、今の俺が言ったって内緒な」

春香「ふふ……。プロデューサーさんと律子さんって、阿吽の呼吸ですよね」

響「プロデュースしてたんだっけ」

P「そう、俺が一番最初にプロデュースしたのが律子。……もう一度ステージに立たせたかったな」

春香「プロデューサーさんと律子さんに歴史あり、ですね」

P「信頼してるし、信頼されてるって感じるからな。それに応えたいという気持ちも湧くよ」

春香「わ、私のことも信頼してくださいっ」

P「信頼の表現が違うだけで、小鳥さんから亜美まで全員信頼してるよ」

春香「そ、そうですか……えへへ、なんだか照れちゃいますね」

美希「……」

響「プロデューサー、冷めないうちに食べてー!」

P「あ、あぁ……そうだな」

春香「そうだ、律子さんと言えば」

P「?」

美希「さっきね、春香と話をしていたんだけど」

P「話がコロコロ変わるな……もぐもぐ」

春香「ちょうど……一年前くらいかな? 夜から吹雪になった日がありましたよね」

P「……吹雪……?」

美希「あの時、ハニーと律子…さんが急いで帰らせたでしょ?」

響「そんな事あったっけ……?」

春香「ほら、プロデューサーさんが料理をした日」

響「うぅーん……?」


P「あぁ……あった……な……。香水の仕事も流れたんだ……うん」

美希「香水って誰の仕事?」

P「いや、白紙になったんだから忘れてくれ。それで、その日がどうしたって?」

春香「もうちょっとのんびりできたら、お泊りできたのになぁ……と」

響「思い出したぞ!」

P「いやいや、春香。布団も無いし、夕飯だってないだろう」

春香「はい……」

美希「そうなんだけどね」

春香「あの日から……忙しくなったんだよね……って、話をしていました」

響「……うん」

P「どうして落ち込んでいるんだ。忙しいことはいいことじゃないか」

春香「……でも」

P「?」

春香「みんなと一緒にいられなくて……」

響「……」

春香「なんだか……寂しいなって……」

P「春香、それは……」

春香「寂しいのは、プロデューサーさんの変化に気付けなかったことが大きいです」

P「……」

響「そうだぞ、前に一日だけ休んでたけど、あまり変わってないから……余計心配で……」

P「心配させてばっかりだな……悪い」

春香「……いえ」

美希「忙しいせいなの……?」

P「そうだな、今日も……小鳥さんが出るくらいの忙しさだった」

美希「……」


P「……そうか……もう……こんな時期になっていたんだな」


美希「……!」


P「……春香には、みんながいる」

春香「……」

P「安心して、みんなと一緒に歩いていけばいい」

春香「プロデューサーさん……?」

P「……」

響「プロデューサー?」


美希「ハニー、居てくれるよね」


P「……」


彼は少女の問いに答えない。



P「冷める前にいただくか……もぐもぐ」


瞳に宿った儚くも寂しい光。


響「……プロデューサー……!」

春香「え……」

美希「ハニー……」


3人の少女は不安に堕ちた。



……





―   ―


「まだ……まだ……」


「みんなと…………一緒に……居させて……」


「神様がいるとしたら……ッ」


「……願いを…………うッ……」


「おぇ…っ……」



……






― 公園 ―


太陽が傾く頃。


二人の男女が肩を並べて歩く。

一人は少女。一人は青年。



「昨日の疲れ、残ってないか?」

「大丈夫だよ。ミキね、こう見えても事務所に入ったときより体力ついてるんだから」


青年の問いかけに、少女は明るく応える。


「…………1年半……くらいか」

「ミキとハニーが出会ってから?」

「……あぁ」

「…………」


遠い時間を遡るかのように視線を空の向こうへ送る。

その横顔を不安そうに見つめる少女。


「……はぁ」

「……」


吐く息は白く、空へと。

少女もその白を追い、同じ空へと視線を送る。


「……悪かったな、いきなり散歩しようなんて」

「それはいいけどね、ハニーの方が疲れてそうだよ?」

「じっとしてるより……休んでいるより……こうして……時間を過ごしたかった」

「そっか……」


少しだけ、嬉しいといった表情を表す。


「みんなで来たかったかな」

「はぁ……ハニーはこれだから……」

「……ん?」

「なんでもないよーだ」


頬を膨らませた。


少女は尋ねる。


「寂しい?」

「……なにがだ」

「だって……ロケで……沖縄に行っちゃったから」

「…………そうだな」


素直に応えたことを淋しく感じた。


「あのね、……ミキ……自分勝手なこと、もう言わないから」

「……?」

「みんなの為にも、居て欲しいの」

「……」


不安で満たされた気持ちを、少しずつ吐き出していく。


「もうすぐ、年が明けちゃうでしょ……」

「……そうだな」

「どうしても……なの?」

「……うん」

「……」


少女は小さく息を吐く。


枯れた木を横目に見ながら二人は目的も無いまま歩いていく。



「千早が……笑ってた時のこと……覚えてるか?」

「……うん。……ケーキ食べたときのことだよね?」

「そう。……あの時教えたのは……寂しかったという……俺の本心」

「え……?」


少女は驚いて遠くをみつめたままの彼をもう一度見つめる。


「みんなとの別れが……決まっていたから……な」

「寂しいと思ってるのに……それなのに……行かなくちゃいけないの?」

「……あぁ」

「…………」

「でもな」

「……」


彼は見つめ返す。


「みんなが居てくれた……美希が……そんな俺を気遣ってくれるように……傍にいてくれた」

「……っ」


「だから……寂しくなかったよ」

「……ッ」

「美希」


酷く優しい声で少女の名を呼ぶ。



「……な……っ……なに……?」


「ありがとう」



悲しくも綺麗な声で感謝を伝える。



「ど……どうして……お礼なんて……っ」


「寒くないか……?」


「……ううん。……あたたかいよ」


「そんな格好してるのにか……」



軽い口調で、消え入りそうな声で、笑顔を引き出そうとする。


少女は泣いていた。



「……うぅ…っ……ぅっ……」


「どうして……泣くんだ……」


「だって…………だって……!」


「……ごめんな……」


「や…やだ……ぐすっ……やだよっ……ずっと……みんなと居ようよっ」


「うん……そうしたい……」


「じゃ……じゃあっ」


少女の心が期待で膨む。


「でも…っ………もう時間が無い」


「――え」


少女の息が詰まる。



「……は…ぁ……っ……うぅ……はぁっ」


「は…ハニー?」


「美希……」


「ハニーッ!」


呼吸を乱し力なく膝をつく青年。



「あ…りが……」


「や……いやぁぁッッ!!!」



言葉を遺しアスファルトの上に倒れた。




「ハニーッッ!」


「――」




彼の声を聞くため、彼の目を見るため、彼の笑った顔をもう一度見るため。



「起きて…ッ……起きてよぉッ!」


「――」


「目を……ッ……開けて……開けてぇッ!!」


「――」



少女は呼び続けた。





ピーポー
 
 ピーポー



遠くからサイレンの音が近づいてくる。




永遠の別れが迫っていた。




……






ベッドの上でゆっくりと瞼が開かれる。



「……」


「あ……!」


「不安にさせて……わるい……な」


「いいから……謝らなくていいから……っ」


「黙ってて……ごめんな……」


「お願いだから…遠くに行かないで…っ」


「医者に……聞いたのか……」


「うん……聞いた……ッ……信じたくないよこんなのっ!」


怖い思いに体を震わせる。

彼の温かさを求めて手を握り続けた。


「たくさんのゆめ……みてたよ……」


「ゆ、夢……?」


虚ろな瞳で話しかける青年。


「みんなと……いっしょ……に……かつ…どうし…て……いる……ゆ…め」


「うん……っ……うんっ」


止め処なく流れる涙。

一つ一つの言葉を聞き逃さないように、胸に受け取る為に。

一生懸命に拾っていく。


「…みん……な…………はぁっ……うぅ……」


「ぅ……ぁぁ……っ!」


苦しそうな表情に少女の胸も締め付けられる。


「……みんな…が……えがお……なんだ……」


「――!」


涙が止まる。


「たのし…そう……に……れっすん……したり……」


「……ッ」


「……すてーじの……うえで……かがやい……て」


「……うんッ」


涙の痕を拭って、彼の想いに応える。


「そんな……すがたが……すき……だ……」


「うんッッ」


最後に一滴零して。


少女は笑顔になった。



「ありがとう」


「ううん、こっちも……ありがとう……プロ……ッ……デューサー……!」


「やっと…そう呼んでくれるのか……」


「だって……だって……ミキの……みんなの大切な…プロデューサー……なんだから…ッ」


「……そうか……うれしい……よ」


「……ぐすっ」



少女は決心する。


彼が笑っていられるように。


頑張る。


と。



「……すこし……おちついて……きた……かな」


「みんなが……来るまでお話しよ?」


「あぁ……きかせてくれ……」


「昨日のライブ、どうだった?」


「さいこう……だった……」


「これからも最高のステージに立つの、一番近くで見ていて欲しいから」


「あぁ……みている……」


「褒めて欲しいの、応援して欲しいの」


「あぁ……おうえん……している……」


「もっともっと輝けるよ、ミキ達」


「みんなを……みちびいて……やってくれ……」


「……わかった」


「……は…ぁ…………はぁ…っ」


「ミキが喋るから、聞いてて」


「……うん」



「雪歩の誕生日……楽しかったね」


「……あぁ」


「ケーキをたくさん食べて……みんな揃えなかったけど、歌も歌って」


「…………うん」



彼は静かに頷く。



「響が作って、春香と食べた沖縄料理、美味しかったね」


「……」



「千早さんと一緒に食べたケーキ、美味しかったよね」


「……」



彼は微かに頷く。



「真君と食べた果物、柿とか梨とか、林檎も美味しかったね」


「……」



彼は少し笑って頷く。



「どうしたの?」


「たべて……ばっかり……だな……」


「あはっ、そうだね」


「……」


少女の笑った声に、穏やかな表情になる。



「でこちゃん……じゃなかった。伊織の家で食べた料理、凄かったね」


「……」



彼は目を閉じて頷く。



「貴音と行った公園、イチョウが綺麗だったよね」


「……」



少女の言葉を、夢の中に居るような心地で受け取る。



「やよいが誘ってくれて、兄弟たちと食べたもやし祭りも楽しかったな」


「……」



「亜美と真美のお家で食べたご飯も……って、貴音以外、全員食べた想い出になってるの」


「……」



「まだ暑さが残ってた日ね、社長と小鳥が冷やしソーメンを食べてるとこみたよ」


「……」


「二人だけで美味しい思いしてたんだよ、ズルいよね」


「……」



「それでそれで、その前のCM撮影では……あ」


「美希」


「……なに?」


「いつも、ありがとう」


「……」


「…………」



「私からも、ありがとう」




二人、想いを交わす。




「あずさも、すぐ来るからね」


「…え……」


「プロデューサーがあずさのこと目で追ってたの、ミキ知ってるんだから」


「……」


「とっても……優しい目……」


「……」


「事務所で気付いてないの……春香だけなの」


「……そう……なの……か…………」


「どうしたの?」


「さいごに……あいた…かった…な……」


「すぐ来るの!」


「おきなわ……だぞ……」


「大丈夫だから、それまでもっとお話しよ?」


「…ゆめ……のなかでも……あえなかった……」


「弱気になっちゃダメ! みんなもすぐ来るから!!」


「……そう……だな」


「あのね、秋が始まる頃に撮った雑誌の表紙、褒めてくれたよね」


「みきの……いいひょうじょうが……うつって…た」


「あの撮影日ね、とても気分がよかったの」


「なにが……あったんだ……」


「だって、その前の夜、結納したでしょ?」


「……ことり……さん…に……いったの……みき……だったのか」


「あはっ、冗談だったんだけどね」


「しゃれに…なって……ない…………」


「楽しかったのは本当だよ」


「……」


「…………どうしたの?」


「みき」



弱々しくも、芯のある声。



「……はい」


「みきが……くれた……かたちの……ない……もの」


「……」


「かえ…せな……かった……けど……」


「……そんなこと……ないよ……っ」


「……」


「たくさん……たくさん……ミキも……もらったんだから……ッ」


「…………しあわせに……なってくれ……みき」



その言葉に少女は泣きそうになる。



「うん。心配しないで」


「……」


安心させる為だけの約束。


「プロデューサー」


「……ん」


「ありがとう、いつも、いつも」


「…………ん」


「みんなに出会ったこと全てに、ありがとうって言うの」


「………………うん」



心を込めて伝えた少女。

彼は人生の中で、一番の言葉を受け取った。


涙が一筋。



「泣いちゃ……ダメ…なの……っ」



声を震わせながら人差し指でそっと、優しく拭う。



「うれしなみだ……だよ」


「そっか……それなら……いいかな」


「はは……そうだな」


「ふふ……うん」


限りある時間の中、二人は笑いあう。




「美希……」

「プロデューサーさん……」

「……」



秋月律子、音無小鳥、高木順一朗が病室へ駆けつける。



「みんなが来てくれたよ」


「……うん」



「プロデューサーさん……ッ」

「……無理をさせすぎたか」


「いえ……よそう…がいな……だけ……です」



音無小鳥は彼の手を強く握る。



「ぅっ……ッ」

「君がみんなを纏めてくれたんだ、誰にでもできることじゃない」


「すてきな……け…い…けんを……つめ……ました……」


「ぁぁ……そん…な……」

「……ッッ」



「ことり……さん……」



「……そんなぁ……っ……」


「みんな……を……ささえて……ください……」


「……は…ぃ……はい……っ」



拭うことを忘れたかのように、涙を零し続ける。



「よろしく……おねがいします……」


「はい……ッ……まかせて……くだ……ッッ」


「ことり…さんが……いる……から…………あんしん……でき…ます……」


「ぁぁ……ぁッ……っ……ぅぅっ!」


「君は私の誇りだ」


「……おせわに……なりまし……た……しゃちょう……」



「かけがえのない…っ……日々でしたよ……プロデューサーさんッ」


「……はい……おれ……も…です……」


「ぅ…っ……ぅぅぅっ……ッ」



「あり……が…とうご…ざいま……し……た」



「うん、ありがとう」

「あっ……ありがっ……とう……プロデューサー…さん……ッ」


「……は…ぁ……ふ……ぅ……」



「小鳥君」

「…………はい……ッ」



高木順一郎に支えられ、音無小鳥は椅子を空ける。



「……」


「……りつ…こ……いる……の…か……」


「プロデューサー……?」


「すこし…づつ……みえなくなって……きてる……」


「……ッ」


「いつも……いっしょに……いた……ふいんき……で……わかる……んだな」


「私も……プロデューサーの雰囲気をいつも感じていました……」



秋月律子はそっと、彼の手を握る。



「わる……い……」


「悪いことなんて一つもありませんよ」


「その……やわら…かい……とこ……ろ…が……もちあじ……だ」


「……」


「みんな……を……つつ…む……やわ……っ……さで……まも……って…や…れ」


「……はい」


「かってな……こと……ばかり…して……めい…わく……かける」


「大したことじゃないですから……気にしないで……ください……っ」


「…………っ……はぁっ」


「プロデューサーッ」



上手く息が出来ない彼に彼女の体は硬直する。



「りつこ……いっしょに……かつど……う……した……」


「はい。貴方がプロデュースしてくれた、あの日々があっての私です。感謝……ッ……してますッ」


「ありがと」


「……こちら…こそっ……ありがとう……ございます……っ……ぅ……」



声を震わせ、涙を堪え、感謝を伝える。



「りつ…こ……がいて……こその……おれだから」


「〜〜ッ!」


堪えきれず、大粒の涙がこぼれた。


「……かんしゃ……してる」


「はいッ……はいッッ」



握り締める手に力がこもる。



「ないてるのか……」


「バカ……ッ……ばかぁ……!!」


「はは……ひさし…ぶり……に……きいた……」


「…ぅぅ……ば…か……ぁっ」


二人だけの懐かしい空間に包まれる。




「……え……なんで……」


天海春香が駆けつける。

白いベッドの中、精彩のない彼を見て愕然とする。


「プロ…デューサー……さん……」


「春香……ぐすっ……っ……こっちに来て」


「どうして……どう…し……て……」


「病気を……患っていたの……っ」


「そ……んな……」


「座って」



秋月律子が優しく彼女の肩に触れる。



「……は…る……か」


「あ……あぁ……ぁ……!」


「はるか」


「……!」


彼女の姿を捉えるため名を呼ぶ。



「……はぁ……っ……は…ぁ……」


「プロデューサーさん……ッ」


彼の手を握り、ここにいると伝える。


「はるか……の……あか…る……さ……には…………ずい……ぶ……ん」


「……っ……っぅ」


「たすけ……られた…………」


「うぅぅッ!!」


涙が溢れ出していく。



「あり……が…とう……はるか」


「ありがとう…っ…ありがとう……ッ……プロデュー…サーさん……ッ」


涙を零しながらも彼女は笑う。


「わらって……くれて……るのか……」


「ぇ……」


「わるい……かおが……みえ…な……い……」


「あぁっ……ぅぁぁ……!」


笑顔が崩れてしまう。


「はるか……の……えがお……すきだ……よ」


「そんなこと……ッ……そんな……ッ」


嬉しい言葉が彼女の胸をきつく締め付ける。


「ずっと……はげまさ…れた……えがお……」


「うぅッ……う…ぅぅっ……」


「……みんなを……はげまし…て…いける……すてき…な……えがお…だ」


「は…はい……っ……私……みんなと……い…一緒に……がん…ば………頑張ります……っ」


もう一度、笑顔を作る。

それは無理した笑顔。


「たの…もしい……な……」


「見てい…てください……ね……ッ」


「…うん……みて……る……」


「……プロ……デューサーさん……っ」


「ありがと……はるか」


「…ッ……わ…私……も……お礼が……言い…足りない……ッ……うぅぅッ」


「……っ……はぁ…………ふぅ」


「本当にっ…ありがとう……プロデューサーさん……」



彼女は彼の手を大事に包む。



「……ん」


「ぅぅっ……ぅっ……」



二人、掌から想いを交わしていく。




「プロデューサー……!」


「なによ……これ……なんなの……」


如月千早、水瀬伊織が駆けつける。


「千早さんと伊織が来たよ」


少女は優しく彼に伝える。


「そ…うか……」


彼はその声を一つ一つ大切に受け取っていく。



「……な……なんで……」


「……どうして」


「プロデューサー、病気を患っていて…ね……」



秋月律子が彼の容態を二人に伝える。



「い……伊織……っ」


「…………」



天海春香が水瀬伊織に座るよう促す。



「いお…り……」


「どうして……隠してたのよ……」


「みん…なの……ちかく…に……いた…かった……」


「ば…ばか……じゃないの……?」


彼女の目に涙が溜まっていく。


「そうだ…な……もっと……はやく……はな…れて……」


「ばか……バカ……ッ……そうじゃないっ」


「はぁ…………はぁ…っ」


「プロデューサーッ!!」


少し辛そうにした彼の手を握る。

話はまだ終わっていないと言い聞かせるように。


「はぁ……ふ…ぅ……っ」


「みんなが……どうして気付けなかったんだろうって……悔しい思いをするのよ?」


「そ…う……だな……」


「みんなの心に……傷を負わせるのよ……っ」


「……そう……だな」


彼の口元が僅かに緩んだ。


「怒ってるのに、どうして笑うのよっ」


怒りと悲しみで彼女の心は混迷に陥る。


「みんな…の……ために……おこって…いるん……だよな……」


「違うっ……アンタが……許せないからッ」



「たかい…と…ころ……から……みわ…たし……て」


「……ぇ」


「よく…きがつく……しや…を……もってる……」


「……ッッ」


両手で強く強く握り締める。

罰を与えるかのように、罰を求めるかのように。


「うぅっ…ぁぁっ……どうして……気付けなかったんだろ……ッ!」


「いおり……」


「悔しいじゃないッ!!」


「ありがと…いおり…………あり…がとう……」


「っ……ぅぅッ……ぁぁぁッ…ぁぁああッ」


「いおりの……やさしいとこ……たいせつ…に……な」


「お願いだから……ッ……連れていかないで……ッ」


彼の手を額に当て、神に懇願する。


「……いつも……おうえん…して……る……から」


「必要な人なんだから……ッ……なにも……要らないからッ」


「いおり……」


「お願い……お願いッ……ッ」


彼は手を離し、彼女の額から髪を優しく撫でた。



「ありがとう」


「――!」


彼女はもう一度、手を握る。



「うぅぅっ……ゎぁあああッ!!!」



その手を胸に当て、包み込むように強く握り締めた。



彼女の慟哭が室内に響渡る。


音無小鳥、秋月律子、天海春香が悲しみに同調する。


高木順一郎はこの光景を見据える。


少女は必死に堪える。


如月千早。

彼女は疲弊していた。



「こんなことって……あんまりだわ……」


「千早、プロデューサーが……」



秋月律子の声も届かない。


「……また……失うのね……私」


「ち……は……」



如月千早の震えていく声に応えるよう、彼は呼びかける。



「うぅ……ッ!」



彼女は恐怖心から足が竦んで動けない。



「ないしょ……だ……ちはや」


「――ッ!」



彼の寂しさを、あの日に聞いた。

誰にも言わないと約束をした。



「……はぁ……ふぅ……はぁ…ぁ……」


「プロデューサー……ッ」


「さびし……かったのは……ほんと…う……」


「私は……こわい……です…っ……大切な誰かを失うなんて……あんな辛い思いしたくないっ」


「……けほっ」


「みんなにも……味合わせたくないのに……ッ」


彼女は彼の目を見ることが出来ない。


「そらの……うえ…から……ふたりで……おうえ…んし…てる」


「言わ…ないで……ッ」


「……わる…い……おとうと…さんのこと……へんに……いうつ…も…り……は……」


「違うっ……そうじゃ……そうじゃない……」



二人の笑顔が彼女の頭を過ぎる。


一人は幼いままの姿。

一人はたった数日前の姿。


胸をきつく、きつく締め付ける。



「……けほ」


「プロデューサー……まだ教わってないことがたくさん……あります……」


「……な…んだ…」


「私の選択がまだ……決まって……いません……ッ」


「もう……きまって……いるんじゃないのか」


「どうして……決め付けるんですかッ……ちゃんと導いてください!!」



彼女は縋る。

恐怖から、寂しさから、やりきれなさから。



「ちはや……の…っ……うたごえを……みんな……に」


「……ッッ」


「とどけて…………くれ……」


「プロ…デューサー…ぁぁっ」


涙が堰を切ったようにあふれ出す。


「おれ……こわく…なかった…んだ……」


「うぅ……っ……ぅ……ぁぁ……プロデューサー……」


「みんなの……すがた…を……みてた…から…………おもいのこす……ことは…ないよ……」


「か…勝手なこと……いわ…っ…ないで…………言わないでくださいッ」


諦めが入った彼の言葉に怒りをあらわにする。


「ちはやに……おこ…ら…れ…たの……ひさし…ぶり……だ…な……」


「プロデューサーッ……わ…私……嫌です……こんな別れ…なんて……ッ」


「わ…がま…ま……は……はじめ…て……かな…………」


「ぅぁ……ぁ……ぁぁッ…」



彼の手を握る。

強く、強く、強く。



「ちは……や……」


「……っ……な…ん…ですか……っ」


「ありが…とう」


「ぅ…〜ッ!」


彼女の涙は止まらない。



「……は…ぁ……」


「……わ…私からも……あり……ありが……と……う…を……」


声にならない声で感謝を伝える。


「……ふ…ぅ…………はぁ……」


「ありがとう…っ……あ…あなた…はっ……わ…私にとってっ…最高の……プロデューサー…です」


彼女は伝えたい気持ちを伝えきる。


「……うれ…しい」


「…ぅぅっ…ッ」


「たの…しかった……よ」


「わ…私も……ッ……みんなと一緒にいられて……プロデューサーと……いっ…一緒に活動できて」


「……ん」


「楽しかった」



子供の様な声と笑顔。

純粋で素直な想いが彼の胸へと染み込んでいく。



「兄ちゃん……兄ちゃんっっ」

「……」


その様子を後ろから眺めていた双海亜美、双海真美。



「ぐすっ……はぁ……ぁっ」


如月千早は二人のために席を空ける。



「兄ちゃん…どうして……どうしてぇ……!」


「ごめんな…………あみ……もっと……あそび…たかった……のに」


「遊ぶよッ……スキーしに行こうって約束したっしょッ」


「あぁ……い…きた……い……な…………あみと…まみ……みんな……と」


「行くのッ……絶対に……ぜったいにいくのッ!」


「……」



彼女の言葉に応えない。



「まだまだやりたいことたくさんあるんだよッ……ゲームだって兄ちゃんがいないとクリアできないよッ」


「……まみが……いる…だろ」


「真美と勝負してるんだからッ……兄ちゃんじゃなきゃダメなのッッ」


「りつこ……が……いる……まこと……も…いる」


「なんで……そういうこと言うの……うぅぅっ…やだ…ぁぁああぁっ!!」


彼の手の甲に涙が零れていく。


「あみ……」


「やだやだぁ……兄ちゃんじゃなきゃ……にぃちゃんがいなきゃ……やだぁやだよぉッ」



涙を零し続ける彼女の頬に手を当て、そっと撫でる。



「ありがとう……あみ」


「ぁぁ……ぅっ……ぅぁあっ……にいちゃんッ」



その手を添えるように彼女は両手で包む。


「あみ……まみ…はいない……の…か……」


「いる……いるよ!」


「……こえが……きこ…えな…い…………」


「真美、何か言ってよ!」


「…………」


双海真美。

彼女は自失していた。


「まみ……こえを……」


「にいちゃん……亜美の顔…見えてなかったの……?」


「あぁ……わるい……な」


「……ぁあッ…………にいちゃん……にいちゃんッ!!」


声だけで双海亜美だと言い当てた。

声だけで頬を探り当て、涙を拭ってくれた。

それが嬉しくて悲しくて辛くて彼女の胸を強く痛めつける。


「真美、プロデューサーとお話してあげて?」


「…………」


少女は双海真美に声をかける。


「真美ちゃん」


「……ッ!」


音無小鳥が優しく肩に触れると、双海真美は大きく体を震わせた。


「プロデューサーさんを、安心させてあげて……っ」


「…にぃ…っ……にい…ちゃん……」


声がかすれ震える。



双海亜美の横に並ぶ彼女。


「まみ……こわい……か……」


「な…何言ってんの……っ……当たり……ま…え……だよぉッ」


「……おれは…いつ……も………まみ…と……あみ……から……げんき……もらっ…てた……」


「…な…に……なにそれ……」


彼女が戸惑う。


「……ふたり……の……げんきを……み…んな……けほ」


「にいちゃん……ッ」


「……みんな……に……わた…して……やれ……」


「わかんない……わかんないよぉッ!!」


両手でベッドのシーツを強く握り締める。


「それ…じゃ……それが……まみ……の…………しゅく…だい……な」


「いやだ…よッ……そんな宿題なんて要らないッ」


「まみ」


「……ッ」


彼の透き通った声に息を呑む。


「あ…り…がと……」


「うぅっ……ぅぅッ……にいちゃん……っ」


「ごめん……いやな……おも…い……させ……て」


「あぅぅッ……ぁぁッ」


もう一つの手で、彼女の頬を撫でた。



「ごめんな」


「うぅっ…ッ……うぅぅッ」


彼女もその手を両手で包む。



「あみ」


「……ぐすっ……な…なに……?」


「……ふた…り……に…………」


「にいちゃん……っ」


「ありがとう」



「「 にいちゃん…そんな……やだぁァッッ 」」



「いつも…にぎやか……で……たのしか……たよ……」


「あぅぅ……ぁぁっ……あぁぁッ!」

「……もうわがまま…言わないから……っ……一緒に…いて……よぉ……ッ」



「…たのし……かった……」


「にぃ……ちゃんッ……ッ」

「ぅぅっ……ッ」


「……」



彼はそっと目を閉じる。



「にいちゃん……ッ……にいちゃん!?」



ピッピッ


 ピッピッ



心電図が一定のリズムで彼の音を報せている。


看護師が近寄り酸素マスクを取り付けた。


彼の周りから漏れ出る嗚咽の声。



「夢をみているの」



少女は彼をみつめたまま語る。



「事務所のみんなと一緒に、楽しく過ごしている夢なんだって」



少女は微笑む。



「そんな夢をもっとみて欲しいから、ミキ、話しかけるの」


「ミキミキ……」



双海亜美が席を譲ろうとする。



「座ってて。そのまま手を握っていて欲しいの」


「……うん」



ベッドの横に膝まづいて、彼と同じ目線になり、両手を前に添えて話しかける。



「秋までの話をしたから、夏から遡るね」



眠る彼の横でいつもと変わらない声で、確かに存在した一つ一つの時間を辿っていく。


その声が室内にいる全員の心に届き、夏の想い出を共有していく。


少女だけではなく、双海亜美、天海春香、如月千早が話しかける。


永遠とも刹那ともいえる時の中で。



彼に残された時間は少なく。

無常にもその時は迫る。



「プロデューサー!」


「ぁぁ……プロデューサー……!」


菊池真、我那覇響が駆けつける。



「起きて」


「…………ん」


「夢、みてた?」


「みてたよ……ありが…と……みき……あみ……はるか…………ちはや」



名を呼ばれた少女以外、3人の目に枯れることの無い涙が溢れ出す。



「プロデューサー……なんで……なんで!」


「ひびき…………」


「自分……まだっ……まだプロデューサーにしたいこと……たくさん……あるんだぞっ!」


今まで簡単に出来たこと。


「……りょうり……おいしかった」


「まだまだ……っ……作ってない料理もあるのに……ッ」


「……あ…ぁ……たべたい……」


叶わない想いに彼女は辛く悲しい痛みに打ちひしがれる。


「うぅっ……そんなぁッ…………また家族が……いなくなる……ッッ」


「……ひび……き…………」



幼少の頃に亡くした父と重なる。

とめどなく涙が流れていく。



「いやぁ……いやぁぁ……」


「て……を……にぎ……て……」


彼の手が彼女の手を探す。


「ぅぁ……プロデューサー……ッ」


「……」


彼女は手を握った。


「おとーに……出来なかったこと……ひぐっ…………もっと……もっと…したかったんだよッ」


「……そう…だっ…た……のか」


彼女の献身的な想いは彼へ密かに渡されていた。


「ぅっ……いや……ッ……お願い……置いて……いかないで……ッ」


「…………ひびき」


彼は握られた手に力を込める。

弱々しく。


「プロ…デューサーッ……こんなのって……ぅぅ……ッ」


「……ひびき」


何度も力を込める。


「もっと……みんなと……一緒に……ッ……いようよ……ね」


「ひびき」


何度も彼女の名を呼ぶ。


「いや……さ…最後の言葉…なんて……聞きたくない…から……ッ」


「ひびきが……そばにいると…………あ…たた…かい……」


「うぅぅッ…ぁぁッ」


「……わけ…へだてなく…………いっしょ…に……いられる……あたたかさ……」


「ぅぅぁぁ……っ」


「だれ…にも……まけ……ない…な」


「ぷろ……でゅぅ…さぁ……ぁぁッ…あぁぁッ」


彼は何度も、何度も握られた手に力を込める。


「あたたかい……よ……ひびき」


「ち…ちがっ……違うっ……プロデューサー…っ…が……いたからッ」


「……」


「……プロデューサーの……っ……周りが温かい……んだぞッ」


「……そう……いって……くれ……る……のか」


「も…っと……その……空気に触れて……い…たいからっ……お願いプロデューサーッ」


「…………やっぱり……あたたかい……よ」


「ぅぅぅ…ッ」


彼の胸に顔を埋める彼女。

その頭を優しく撫でる。


「ありが…とう…………ひびき」


「う……うんッ……あり…がと……プロデューサー……っ」


「ありがと」


「うぅぅっ…ぁぁっぁぁああッ」


悲痛な叫び声が響渡る。



秋月律子が優しく肩に触れる。


「響……ッ」


「うぐっ……あぐっ……っ」


彼女は息が出来ないほどに感情を昂ぶらせていた。


「ぁ…ぅ……い…や…ぁ………」


「……」


我那覇響をそっと包むように抱きしめた。



菊池真が悲しく睨む。


「ぐすっ……ぅっ…プロデューサー…ぁぁ……」


「まこと……」


「……なんで……っ……なんで……言ってくれなかったんですかぁ……」


「…………ごめ……ん…な……」


「ズルイ……ですよ……ッ……いつも頼ってくれないんですから……ッ」


彼女の強く握られた拳が震える。


「……たよ…て……た……だろ……」


「ボクだって……一緒に…っ……プロデューサーと一緒に……背負いたかったのにッ」


「…………そ……う…か」


「肝心な……ところで…………ッ……女の子……扱い……ッ……して」


嬉しかったこと、それが今は悲しい。


「……きたい……して…………いいのか」


「な……なにが……ですか……っ」


「まこと……は……っ……きたいに……こたえられ…る……つよい……ひと…だ」


「……あなたって人は……本当に…っ……ズルイッ」


嬉しくて嬉しくて悲しくて哀しくて涙が止まらない。


「……はぁ…っ」


「ぅぅ…っ……!」


彼の手を握り締める。


「……はぁ……っ……はぁ」


「こんなこと……認めたくない……のに……ッ」


「……どんなこと……にも……のりこえ……ていく……まこと…が……きれい…で……かっこよかった」


「ぅぅっ……ッ」


「ありがと…う」


彼の言葉が、弱っていた彼女の心を強くしていく。


「ぐすっ……はぁ……はぁっ」


息を整える。

伝えたいことを、堅実に伝えられるように。


「まこと……」


「プロ…デューサー……ッ」


「……ん……」


「約束…しましょう……」


「やく……そく……」


「これからも……ボク達を……見ていてください……っ」


「……あぁ」


声が笑う。



「そして……っ」


「ん……」


「また……ッ」


「ん…………」


「必ずまた、会いましょうね」


「うん……」



この約束にその場にいた全員が涙を零した。


高木順一郎。音無小鳥。秋月律子。天海春香。水瀬伊織。如月千早。

双海亜美。双海真美。我那覇響。


駆けつけた、高槻やよい。四条貴音。

看護師でさえも目元を拭った。



「……ッ」


少女はまだ、泣くわけにいかなかった。


まだ二人が到着していない。

彼の為、二人の為、泣くわけにはいかなかった。


「ぷ…ぷろでゅぅ……さぁ……!」


「や……よい……」


「えぐっ……あっ……あぅぅ……うぐっ……」


「……やよい」


拭っても拭っても涙があふれ出していく。

彼女の両袖は涙でぬれていた。


「あぐっ……あぅぅ……うっ……ぐすっ……うあぁぁっ」


「やよい」


消え入りそうな声で名を呼ぶ。


「ぷろでゅぅさぁ……ッ」


「なか……ない…で……」


「うぅぅっ……ぁぁっ……ぁぁぅぅっッ」


「やよい」


彼の気遣う声が、彼女の心を痛くする。


「……しっかり……してる……ところ……おれ……し…てる……」


「うぐっ…………えぐっ……」


「かぞく……のため…………みん…な……の……ため……がんば…て……る」


「……ぐすっ……っ」


「みん……な……に……つた……わ…て……る」


「……っ」


彼女は彼の言葉に落ち着きを取り戻す。


「やよいの……やさしさ……みんなに……つたわる」


「……わ…わたし……優しくなんて……ないです……ぐすっ」


「おれ…の……まちがい……か……」


「……ち…ちがいます……私…………分かってないだけ……」


「……おれが……おちこ……んで……た…ときのこと……おぼえ…てる……か」


「え……」


彼は目を閉じて、彼女の笑顔を瞼の裏に想い映す。


「しごと……うまく……いか……なくて…………だめ……な…おれ……を」


「ぷろでゅぅさぁ……ッ」


「すぐに……きが…つい……て……はげまして……くれた……んだ……」


「プロデューサー……ッ」



彼は少しだけ、手を掲げる。



「はい……たっ…ち……て」


「ぁぁっ…あぁあああっ」



鮮明に蘇る、二人の想い出。



「……さいご……に……しよう……やよ……い」


「うぅ……うぅぅっ……うぅ〜ッ」


彼の想いに応えようとするが、彼女の手が震える。

涙で手が滲んでいく。


「や…よい……」


「さ…最後なんて…嫌ッ……嫌ですッ」


怖さから手を引っ込めてしまう。


「……」


「うぅ……ぅぅっ……」


ガタガタと震えだす彼女。


「ごめ…ん……やよい……こわ……い……おもい……させて」


「……ッ!」


涙を堪え、もう一度、彼の手に近づけていく。


「……プロ……デュー…サー」


二人の手が近づくたびに、彼の姿が脳裏に浮かんでいく。


「やよい」


聞きなれた呼び声。

先に待ち受けている恐怖に耐え切れなくなる。


「うぅぅっ……ぁぁっ」


その震える手が、そっと包まれた。


「わたくしも、よろしいですか」


「たか……ね……」


四条貴音。

彼女が高槻やよいの手に添えた。


「ミキも」


「……わたし…も」


少女、如月千早、二人の手が添えられていく。

天海春香、水瀬伊織、彼女達の手が高槻やよいに添えられた。



「やよい」


「ぅ……ぅっ……い…いきます…よ……プロデューサー」


「あぁ……」


「……はい」


「「「 たっち 」」」



最後のハイタッチが交わされた。



「ありがと……やよい」


「うぁぁああッ……プロデューサー……ッッ」



彼の手を掴み、泣き叫ぶ。



「ありがとう……」


「いやだぁ……やだっ……やだぁ……!」


唯一の繋がりを離したくないと握り締める。


彼は残りわずかな力を使い、もう一つの手で彼女の頬に触れようとする。


「……」


「うぐっ……ぅ……プロデューサー……?」


彼女は彼の意図が掴めず困惑する。

途中で力尽きたその手は白いシーツの上に在るだけだった。


「やよいはここだよ」


少女が彼の手を取り、高槻やよいの手に添えた。


「……ん…………」


「プロデューサー…ぁぁッ」


繋がりを強く強く強く握り締める。



「……っ」



彼と高槻やよいを隣で見守っていた四条貴音。

毅然としていた彼女の心は脆くなっていた。


「ぅぅ……ぁぁ……なんて…こと……」


「……たかね…………」


彼女の名を呼ぶ。


「なぜこのような……ッ」


「たか……ね……」


彼の声は届かない。


「貴音、こっちに来て」


「……っ……はい」


少女に呼ばれ、ベッドの横に膝をつく。


「たか……ね……」


「ここにいますよ」


目を閉じたままの彼に伝える。

不安にさせないよう、心を取り戻そうとする。


「ありがとう」


「……ッ」



たった一言で彼女の決意が鈍る。


「たかね」


「ぅぅ……っ……ぁぁっ……」


名前が紡がれただけで、彼女の決意は崩れた。


「…………は…ぁ……」


「神がいるとしたら……ッ……なぜ……このような……所業を……ッ」


「……おそれ……しらず…………だ…な」


「大切な人を……ッ……守る為なら……わたくし…………何者にも挑みます……」


彼女の言葉が頼もしさと情味に溢れ、彼の口元が緩む。


「……」


「ですから……っ…ですから……わたくしたちの……そばに……いてください……」


「……」


「後生の頼み……聞き入れて……ください……っ」



涙を零す。


「たかね」


「……ッ」


強く彼女の名を呼ぶ。



「たかね…の……みて…いる……けしき…………おれ……みたい……」


「は……はい……っ」


彼女の声が震える。


「いつも…………とお…く……をみて……いた……その……め……」


「…はい……っ」


いつも見守られていた彼の目を思い返す。



「め…ざし……た…………さき……に……ある……けし……き……を」


「……っ」


彼女は最後の言葉だと確信する。



「……い…………つ……か…………――――――」



「プロデューサー……っ」



彼の言葉は途切れた。


「プロデューサーッッ!!」


高槻やよいが声をあげる。


ピッ

 ピッ


心電図の音が間隔を空けていく。


看護師はそっと、彼に酸素マスクを取り付けた。



「貴音、想い出を聞かせてあげるの」


「想い出……ですか……っ」


ハンカチで涙を拭う四条貴音。

彼女の横に膝をついた少女。


「みんなの想い出」


「ぅ……ぅぅ…っ」


高槻やよいは彼の手を握り続ける。


「去年の冬まで遡ったから、今度は秋」


「秋といえば……わたくし…っ………公園での鬼ごっこを想い出します」


「私とプロデューサーが鬼になって、みんなを追い掛け回したのよね」


秋月律子も振り返る。


「そ…その後……みんなでっ…………銭湯に行ったよね……っ」


天海春香も思い出す。


「アイドル達になんてこと……させるんですか……プロデューサーさんっ」


音無小鳥も思い起こす。


「でもっ……でもっ……た…楽しかった……っ」


我那覇響も懐う。


「あの時……なにしてるんだろう…って……思ったけど…………やって……よかった……かも……」


如月千早も回想する。


「千早……あんた……っ……隠れてただけ……じゃないっ」


水瀬伊織が記憶を辿る。


「に…兄ちゃんが捕まえようとしたとき……まこちん……どうしてっ……かわせたの?」


双海亜美が思い浮かべる。


「へへ……っ……プロデューサー……捕まえる時……必ず……『捕まえた』っていうから」


菊池真が想起する。


他愛の無い会話が病室を包む。


高木順一郎は壁にもたれて静かに見守る。



「去年の夏には、海に行ったよね」


少女が想い起こす。


「みんなで食べたバーベキューとか…っ……花火……楽しかった……です……ッ」


高槻やよいが彼の手を優しく握る。


「……お……終わ……ちゃった……ッ」


双海真美が時を告げる。


「ぁぁっ……楽しかった……楽しかったのにぃ……兄ちゃんがいなくなったらっ……」


双海真美が迫り来る時を告げる。


「まだ……終わってない」


少女はそれを遮る。


「ミキが初めて事務所の扉を開いたときまで遡るんだから」


少女は話し続ける。

目の前で眠る彼が、楽しい夢をみられるように。


どれほどの時間が流れたのか。


少女と彼女達はそれでも想い出を。

すべての事に、感謝の意を込めて。


眠る彼に聴かせていた。



「……はぁっ……はぁ……プロデューサーッ」


彼女は頬を蒸気させながら息を整える。

駆けつけたのは彼女で最後になる。



「起きて、プロデューサー……ねぇ、起きて」


「…………」


「雪歩が来たよ」


「……ん」



少女の言葉に目を覚ます。


瞼はほとんど開かれていない。



秋月律子が彼女を促す。



「雪歩……話を……」


「うぅっ……プロデューサー……ぁぁ……ッ」


萩原雪歩。

彼女は目の前の状況に怯え、身を震わせる。



少女は最後に尋ねる。



「……会えた?」


「…………うん」



安心させる為だけの嘘だと、少女は気付いてしまう。



「……すぐ……来るからねッ」


「美希」


少女の名をはっきりと呼ぶ。

その声に涙が溜まっていく。


「ぅ……ぅぅ……っ」


「美希が……居てくれた…から……幸せだったと……さい…ご……に……きづ……けた…よ」


「ぅ……ぁぁ……ッ」


「ありがとう」


「や……ッ……いやッ」


「……あり……が…と……みき……」



今まで堪えていたものがついにあふれ出した。


「あぁぁっ……ぁあぁっぁ……っ」


「美希ちゃん……ッ」


音無小鳥が少女を優しく包み込む。



秋月律子に支えられながら足を進める。


彼に残された時間はもう無い。



「ぷ……プロデューサー……っ……ッッ」


「ゆきほ……」


「ぁぁ…っ……ぁぁあっ」


「さ……つ……えい…………どう…………だ……た……」



彼女を気遣う彼の心に、哀しくて哀しくて涙が止まらない。


「ぷろでゅぅさぁぁ…ぁっっ」


「この……しご……と…………たい……へん…だ……た……だろ……」


初挑戦の仕事を無事こなしてきた。

それをいつものように褒めて欲しかった。

ただ、それだけの想い。



「嫌ですっ……こんな……こんな……ッ…………こんなの嫌ですッ」


「よく……がんば…た…………すごい……よ」


「やぁ…いやぁ……プロデューサー……ッ……プロデュー…サー…ぁッッ」


「…………」


刻々と時は迫る。


可愛くもあり、尊敬し、守り続けたいアイドル達。

最後にその一人の名を呼んだ。


「ゆきほ」


「……ッ」


体の震えが止まった。

彼の冷たくなりつつある手を握る。

何かを伝えようとしている。

それを受け取る為。

怯えている心を強く奮い起こす。



「……おく…びょうな……ぶん…………とても……」


「……ッ……ッ」


「ゆう…きが……いるはずだ…………」


「……ッッ」



ピッ

 ピッ



無機質な音が響く。



「その……ゆうき…………おれは……そんけい……してるよ……」


「……うぅぅっ……ぁぁあっ……プロデューサー……だめですッ」



必死に縋る。



「……ありがとう……ゆきほ」


「終わるようなこと……言わないでッ…………ずっと……ずっと……っ」




ピッ

   ピッ



「……みんなに……ありがとう」


「だめ……だめッ……だめぇッ!!」



定期的な音が少しずつ変わり始めた。



「ゆきほ…の…て……あ…たたか……い……な」


「だめっだめッ……だめだよッ」


「…いまま…で……――――――」


「まだっ……まだ……ッ!」




ピッ


    ピッ



徐々に間隔が長くなる。




「…………あり…が――――」


「プロデューサーッ……私……ッ……わたしッ」


「…………とう――――」


「ぅぁぁっ……だめっ……待っ……待って」



ピッ


      ピッ


「ありがとう――――」


「プロデューサー…ぁぁ……っ」


「――――」


「……わ……私から……も……ッ」


彼女は声を絞り出す。

握り締める手が冷たい。



「――」


「ありが……ッ……あ…ありがと――」




ピ------



モニターの心電図が直線になる。




「ぁ……ぅ……ぁぁ……」




彼女はその手を握ったまま茫然自失としていた。




病室内の時間が止まる。


医者以外、誰も身動きが出来ない。



医者はポケットからペンライトを取り出し、


彼の両眼の対光反射を調べ、聴診器を胸に当てた。



腕時計を見て、医者が報せる。




「残念ですが、御臨終です」




その時が訪れた。



室内の嗚咽は号泣へと変わった。



「そんな……わたし……まだ…………まだ……」




手を握り締め、虚空をみつめ、彼女は呟く。




「にいちゃんッ……ありがとね……ありがとぉッ!!」



双海亜美がよりすがり、感謝の言葉を伝える。

彼女は別れを受け入れた。


それに引かれるよう、四条貴音、秋月律子、菊池真、音無小鳥が感謝の言葉と別れを告げる。

如月千早、天海春香もそれに続いて、涙ながらに別れの言葉を告げた。


高槻やよい、双海真美、我那覇響は涙を拭うことで精一杯だった。

水瀬伊織もその場で立ち尽くす。


高木順一郎は彼の友人へ連絡する為、言葉を一つ残し、病室を後にした。




「雪歩……ッ」


菊池真が彼女を抱きしめる。


彼女は手を握ったまま離さない。


「……なにも……言えてないのに…………」


「伝わってるから……ッ……ボク達のプロデューサーだから絶対に伝ってるよッ」


「なんで…………伝えなかった…んだろう…………」


「ゆきほ……ッ……雪歩ッ」




ベッドを囲む彼女達。

静かに見守る少女。



「……」



少女。


星井美希は。


心の欠片を一つ失くした。




……







まだあどけなさの残る女性が病院に到着する。


「…………律子さん」


「先ほど、ご家族の方と、実家へ向かわれました」


「そう……ですか……」


「……」



病院の待合室で、秋月律子は彼女に伝える。


「社長がみんなを送って行きましたから」


「……はい」


「通夜などの予定は後ほど、社長から連絡が行くと思いますので」


「…………わかりました」


秋月律子は精神を保つ為、事務的に伝えた。


「美希、帰るわよ」


「……うん」


「……」


星井美希は待っていた。

彼女に伝えたいことがあった。

ぶつけたい想いがあった。


しかし、彼女を待つ間に気付いてしまった。

失ったものの大きさを。




病院から出て、外の冷たい空気に触れる。



「……」


「じゃあね」


「ちょっと、美希」


「ん?」


「一緒に帰るの」


「……」



彼女へ視線を送る。



「……いい。一人で帰れる」


「……美希ちゃん」


「駄目よ、一人でなんか帰せない」


「タクシー拾うから大丈夫」


「美希……」


項垂れた姿から伝わる虚無感。


「……じゃあ……ね」


「駄目、駄目だから」


秋月律子は星井美希を必死に引き止める。


「今……あずさと……一緒にいたくないの」


「……!」


「み、美希……っ」


「しょうがないって、分かってるけど…ね…………無理だよ」


「美希ちゃん……」





彼女に背を向けて星井美希は歩き出す。



「ミキじゃ……掴まえきれなかった……」



一つの言葉を残して。





「待って、美希!」


「律子さん、私は大丈夫ですから」


「で、でもっ」


「美希ちゃんの傍にいてあげてください」


「わ、分かりました。……気をつけてくださいね」


「……はい」


「それじゃ……また、明日」


「はい、また明日」



約束を交わし、秋月律子は星井美希を追いかけた。



その場に残された彼女。



「……」




空を仰ぎ想う。



「……プロデューサーさん」



吐く息は白く、言葉と共に星空へ。



「…………さよう…なら」



一滴の涙と


別れを。







三浦あずさ


彼女は彼の意思を受け継ぐ。






――






夜の暗闇の中、一匹の黒猫が目を醒ます。





「……」





黄金の三日月を両目に携え。


その瞳で彼女を見守る。





―― チリン。





幻聴のように、儚げに、幽かに、弱く、小さく。


鈴の音が鳴り響いた。








―――――― to the next stage.



終わりです。


今作はあずさ「嘘つき」のプロローグになります。


小田和正の「忘れてた思い出のように」をなぞりました。
いい曲ですので、機会があれば視聴してみてください。(動画無かった……)


稚拙な文でしたが、読んでくださった方、ありがとうございました。

08:05│星井美希 
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