2014年08月27日

渋谷凛「夏の初めとシンデレラガール」


「うぅ、暑い……」



まだ七月に入ってもいないというのに事務所の室温は真夏のよう。去年はもっと涼しくなかったっけ?





今朝は少し涼しめだったからちょっと分厚めの服を着てきたけど、それが裏目に出たみたい。



テーブルに突っ伏して体温を逃がそうとする。あんまりアイドルっぽくないかな。



「うあー……」



向かいに座ってる比奈さんも同じように突っ伏してる。癖っ毛だから余計に暑そう。





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「凛ちゃん、エアコン解禁っていつからでしたっけ……」



「えっと……確か来週からだったと思うよ」



「まだ遠いっスねー……」



事務所にあるエアコンはコンセントを抜かれていて、今は扇風機がぬるい風を拡散させているだけ。



プロデューサーは「早めにエアコン使い始めると真夏の暑さに耐えられなくなるから」って言ってたけど経費の問題だよね、多分。



比奈さんは暑さに弱い。この前聞いたんだけど「インドア系は暑いと弱っちゃうんスよ」だって。



確かその後は「ジメジメしてる方がいいっスよねー」って輝子のいる机の下に潜り込んだんだっけ。



そういう無邪気というかお茶目な所が比奈さんの魅力なんだと思う。……ちょっと無防備すぎるんじゃないかって思うこともあるけどね。





「あ、凛ちゃんも麦茶いりまス?」



立ち上がった比奈さんが聞いてくる。



「うん、おねがいします」



「……例のブツはいくつで?」



そう声を潜める比奈さんに指を三本立てた手を見せる。目を合わせた私たちは互いに不敵な笑みを浮かべて頷きあう。



給湯室に向かう比奈さんを見て、私はまたテーブルに伏せる。ちょっとぬるくなってきてるから顔の位置を変えよう。





「お待ちどおさんでス」



目の前に麦茶の入ったコップが置かれる。



「ありがとう、比奈さん」



手に取ったコップを軽く揺らす。麦茶に浮かんでいる三つの氷がカラカラと音を立ててぶつかりながら少しずつ溶けていく。



完全に氷の溶けきった麦茶を口に流し込む。うん、冷たくて気持ちいい。



口の中の温度を下げてぬるくなった麦茶を飲み込む。身体に水分が行き渡っていく感覚。





「くうぅ〜っ! やっぱ夏は麦茶っスねぇ!」



「あれ、ビールじゃないの?」



早苗さんとか友紀のせい……じゃなくて影響で大人といえばビールみたいな印象があったんだけど。あ、志乃さんはワインだっけ。



「どっちかと言うとワインとかチューハイ派っスから。ジュース感覚で飲めて……って、未成年の子にする話じゃないでスねこれ」



申し訳なさそうに頭をかく仕草も可愛らしい。……この人キュート部門だっけ?



「じゃあ私はそろそろ時間っスから」



そう言って比奈さんは事務所を出て行った。残された私は麦茶を飲み干してから、両手を広げてまたテーブルに突っ伏す。



駄目だ、ぬるくなってる。座る所を変えないと。





……テーブルはもう駄目だね。どこもぬるくなってる。



「他にどこかひんやりしてる所は……」



そうだ、事務机の下だよ。輝子も乃々もひんやりしてて居心地がいいって言ってたからね。



善は急げって言うし早速入って居心地を確かめてみよう。



「……うわっ」



ここは……輝子のテリトリーだね。キノコがびっしり……ここはやめて隣にしよう。





さすが乃々のテリトリー、少女漫画がいっぱいだね。



ちょっとお邪魔して……あ、ホントに涼しい。少し窮屈だけど快適にくつろげそう。



こう入って、漫画を読みながらゆっくり……



「うわぁ……激しっ、あぅ……」



最近の少女漫画って結構……うん、凄いんだね……



涼しいはずなのに汗かいてきちゃった。とりあえず麦茶でも飲もう。



「……何してんの?」



「ぐんっ!?」





「大丈夫?」



「あいたたた……酷いよ周子、いきなり声かけるなんて」



声をかけられて驚いた私は机の引き出しに思いっ切り頭を打ってしまった。結構痛い。



「いや、事務所入った途端凛ちゃんが机の下から這い出て来る方が驚くからね?」



「…………うん、確かにそうだね」



周子が珍しく驚いたような顔をしてる。レアだよ、これ。



「で、なんで机の下なんかにいたの?」



「え? あぁ、うん、なんかひんやりしてて! 少女漫画とか関係なくてね?! 暑いし!」



「うん?」





「……」



「……」



うう……派手に取り乱しちゃった……



「あーあー、うん、なるほどね。暑いから乃々ちゃんのテリトリーな方の机の下にいたと」



納得したように頷く周子。今のでちゃんと伝わったんだ。



「確かに暑いもんねー、薄着してきてよかったよ」



給湯室の冷蔵庫からアイスキャンディーを二本取り出してきた周子から一本受け取る。やっぱりソーダ味だよね。



「あ、そうそう。最近の少女漫画って結構カゲキらしいねー」



その一言に気を取られてアイスの袋のギザギザをつまんでいた手を放してしまう。まだ開ける前でよかった。





「あれ、どしたん?」



「なんでもない」



落ちたアイスを拾ってそっぽを向く。ペースを掴ませないようにしないと。



そんな私の内心を知ってか意地の悪そうな笑みの周子が私の耳元でささやく。



「そんなカゲキやったん?」



「もうっ!」



「あははっ、ごめんごめん!」



テーブルの向かいに逃げて行った周子を見て軽くため息を吐く。



いつもいいようにからかわれてるのになぜか憎めないんだよね。周子の人柄のなせるわざかな。





「暑いときはアイスだよねー」



「だねー」



アイスの棒ををくわえたまま私たちはテーブルに突っ伏していた。なんだかんだ言ってもここが一番落ち着くんだよね。



「やば、そろそろ時間じゃん。じゃあ行ってくるわ」



「ん、行ってらっしゃい」



周子が居なくなってまた事務所に一人。早く誰か来ないかな。





待つこと30分。麦茶を飲むこと三杯。誰も来る気配がない。



テーブルに突っ伏したままぼうっと事務所の扉を見つめる。



「サイキック人呼び……なんちゃって」



ガチャ、と扉が開いた。……もしかして私、エスパー? そんなわけないよね。





「おはようございます! エスパーユッコの出勤です!」



エスパーだった。別の意味で。



「おはようユッコ。今日もハンドパワー来てる?」



「ええ、来てますっ! ……って、それは別の人じゃないですかぁ!」



「ふふっ、ごめんね。あれ、今日はボストンバッグ持ってきてないんだ」



「へ? 私ボストンバッグなんて……エスパー違いじゃないですか!」



裕子は表情豊かだから見てるだけでも楽しい。



「通信交換で進化するんだっけ」



「もはや人ですらない!?」





「もうっ、何なんですか凛ちゃん!」



「さすが裕子、今日もサイキック突っ込みが冴えてるね」



「そうですか? サイキックが冴えてる……えへ、えへへ……」



ノせられやすいなぁ。悪い人に騙されないかちょっと心配だよ。



「あれ、みくちゃんはまだ来てないんですか?」



「今日はまだ来てないね」



みくって事は『猫キック』かな。





「今日は『猫キック』の収録ですからね! ニャムーン! みくとユッコの猫キック!」



『ニャムーン!みくとユッコの猫キック』はみくと裕子がMCをしてるラジオなんだ。



最初は変な組み合わせって思ってたんだけど、結構息が合ってるんだよ。



「おっはようにゃ! ……凛チャンはなんで溶けてるの?」



元気よく扉を開けて入ってきたのはみく。暑いのに元気だね。



私の体勢は30分前と変わらず机に突っ伏したまま。確かに溶けてるみたいだよね。



「分かりますよ凛ちゃん、暑いときってひんやりしたものに当たって……このテーブル相当ぬるいですね」



「うん、凄くぬるいよ。裕子とみくもどう?」



「み、みくは遠慮しとくにゃあ」



「私もサイキック遠慮です」





「そう? じゃあ私の独り占めだね」



「あんまり羨ましくないにゃ」



苦笑いのみくが言う。私が誘われたとしてもそういう反応をすると思う。程よく不快なんだよね、このぬるさ。



「不快なら別の所に動きましょうよ……」



「でも動こうって気にならないんだよね。今なら杏の気持ちが分かるよ……」



「凛チャンはそっち側に行っちゃダメにゃ!」



「ゆっこー、サイキック飴ちゃんちょうだいー」



「ありませんよそんなの!?」





麦茶を飲んで一息。裕子とみくと話している間にいつの間にか夕方になっていた。



「それじゃあ私たちはそろそろ時間なので! サイキック・さらば!」



「またね、凛チャン!」



「行ってらっしゃい、頑張ってね」



今度私もゲストに呼んでもらおうかなぁ、『猫キック』。



麦茶をおかわりしに給湯室へ。あ、もう少ししかない。ついでに沸かしておこうかな。



パックを入れたやかんを火にかけた所で扉の開く音が聞こえた。今度は誰だろう。



「ただいま戻りました……って、誰も居ないんですか? もう、鍵もかけないなんて不用心じゃないですか」





「わったしは ちひろっ ちひろっ 

 わったしは みっどりの

 ちっひろさんっ……」



オリジナルの歌を口ずさみながらちひろさんは給湯室の扉を開けて入ってくる。



「おかえり、ちひろさん」



「ひょわえっ!? り、凛ちゃん、居たんですか?」



「うん、そうだけど……ちょっと驚きすぎじゃないかな?」



「ああっ、ごめんね? 誰も居ないと思ってたから……」



聞こえてなかった……よね? とちひろさんが呟く。ごめん、ばっちり聞こえてたよ。



…………さっきの歌、聞かなかったことにしておいた方がいいかな。





「そういえば凛ちゃんは今日オフじゃありませんでしたっけ?」



「最近忙しくて皆と会えてなかったから、今日事務所に来る人と話そうかな、って」



杏ちゃんが聞いたらもったいないオバケが一個小隊生まれそうですね、とちひろさんが笑う。



オバケの小隊……小梅が喜びそうだね。



「でも今日は私で最後のはずですよ? 他の皆は直帰するって言ってましたから」



「あれ、そうなんだ。じゃあちひろさんと喋って帰ろうかな」



「私で良ければお相手になりますよっ」





ちひろさんと話しているうちに、いつの間にか窓の外は真っ暗になっていた。



「もうこんな時間だ。ありがとうちひろさん、話し相手になってくれて」



「いえいえ、私も久しぶりに凛ちゃんとお話しできて楽しかったですよ」





「今日はもう暗いですから、タクシーで帰ってくださいね?」



「うん、そうするよ。ちひろさん、また明日」



ちゃんと領収書は書いてもらってくださいねー、というちひろさんの声を背に受けて事務所を出る。



さあ、明日からまた頑張ろう。



おわり



23:30│渋谷凛 
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