2013年11月25日

藤原肇「釣れましたとも」

モバマスSS、地の文あり、元ネタあり



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1379172637


「釣れませんね……」


私はぼんやりと、ただぼんやりと竿を垂らしていました。


川のせせらぎと、鳥や虫達の鳴き声ばかりが山の中に響いています。


渓流の釣り場に腰を下ろして、一時間ほど経っているでしょうか。


時間だけが、すっと過ぎてゆきます。


こうして時間だけが過ぎていくような瞬間が、私にとっての癒やしでした。


釣り糸の先、水の流れの中できらきらと輝く針には、しっかりと餌がついています。


けれども場所が悪いのか、食いつきが悪いのか。


釣果は未だにゼロ。


でも、これでいいのです。


こうやって釣りをしているということが、今の私にとって大事なことのように感じたからです。


そんなわけで、私はもうしばらくここに座っていることにしました。



ぴくりとも動かない釣り竿を軽く握っていると、ぼんやりと今までのことが思い浮かびます。


何も変わることのない日常を過ごしてきた私。


ある日突然、目の前に彼が現れて私に魔法をかけてしまいました。


臙脂色の作務衣は、美しいドレスに。


岡山の長閑な町並みは、銀色のビルの並び立つ都会に。


なんとなく過ぎていた毎日は、一日一日が忘れられないようなアイドル生活に。


ただの陶芸と釣りの好きな女の子は、アイドル藤原肇へと生まれ変わりました。


ですが……ある時、ふと感じてしまうことがあります。


もしも私がアイドルではなかったら。


もしも私が普通の女の子のままでいたら、どうなっていたのか。


やはり、イメージは少しも浮かびません。


地元の高校で、地元からの友人や高校からの新しい友人達と遊んで。


クラブ活動や委員会活動などをして。


けれども、私のイメージはここまで。


ここまでなら、きっと誰にだって当てはまる高校生活でしょう。


その先、私にしか当てはまらない世界は、こうしていくら悩んだところで浮かびはしません。


私の目で、耳で、肌で、心で感じ取ったことがなければ。


それは夢物語。


ただのまぼろしに過ぎないのですから。


イメージすることのできないもう一つの可能性は、やはり私の心の隅からどいてはくれません。


これでよかったのか、という不思議な気持ちは、頭のなかでぐるぐると渦を巻いています。


アイドルになって、よかったのか。


私はまだ、答えを出せていません。




トレーナーさんにも、どこか上の空だと指摘を受けて。


皆にもどうしたのと聞かれて、心配されて。


彼やちひろさんは無理をするんじゃないと言い、あちらこちらに電話を掛けだして。


そうして私は、気づけば突然の休暇を頂いていました。


ものの数十分で頂いてしまった休暇。


どう過ごそうかとイメージをしてみても、やはり浮かぶことはありませんでした。




……こればかりは本当に偶然なのですが、頂いた休暇は丁度彼の休暇と重なっていて。


私は無理を言って、大自然の中で釣りがしたいと頼みました。


こうして自分の好きなことに没頭することで、何か感じること、見えてくるものがあるのではないか。


そんな思いを汲み取ってか、彼は二つ返事で私を東京の山奥へと連れて行ってくれました。



そうしてこの釣り場でのんびりと構えているわけですが……。


なんとなく、釣れない理由もわかってきた気がしました。


今の私には魚を釣り上げるイメージが浮かんでいません。


イメージが出来なければ釣れない、という訳ではないのかもしれませんけれど。


釣れるかどうかを信じていないのでは、仕方がありません。


魚達も、こんな私に釣られるものかと考えているのでしょうか。


そう考えていると、一層釣れる予感は失せてしまいました。


こうして迷っているようでは、何も釣ることは出来ない。


心に曇りがあれば、良い焼き物は生まれないように。


一度、釣りを中断しようと、竿を引き上げました。


いえ……正確には、竿を引き上げようとしました。



「あれ……?」


ぼうっとしすぎていたのか、針が岩にでも引っかかっていたようです。


ゆっくりと外すか、針を諦めればよかったものを、私は少しだけ焦ってしまいました。


竿を引き上げられなければ、考えをまとめることも出来ないのではないか。


そんな思いが脳裏をよぎり、私は無理に竿を引き上げてしまいました。




案の定、針は水底の岩に引っかかっていたようでした。


無理に引き上げてしまい、糸は切れなかったものの餌は取れて、針は使い物にならなくなっていました。


この針は長く使い込んだものだったな、と思い出すと仕方ないのかもしれません。


針は弧の中程から折れて、見た目は真っ直ぐになってしまいました。


「……針、取り替えなきゃ」


と、折れてしまった針を見つめて。



何を思ったのか、私は針をそのまま、川へと投じました。


当然、釣れるはずはありません。


それでもいいのです。


何せ、これは魚釣りではありませんから。


この真っ直ぐになった針で、私はもっと大きなものを、大事なものを釣り上げようとしていました。


じっと、このままで待ってみます。


折れた針の先は尖っていますが、勿論かえしはありません。


餌だってないのですから、こんな針で釣りをすることは到底無理でしょう。


それでも……きっと、意味があると私には思えたのです。


おかしな事をしているのは承知の上。


ですが……これで、いいのです。


これでようやく、物思いに耽ることができるのですから。


先程からずっと考えていたこと……あったかもしれない、もうひとつの可能性。


私は、地元の高校に入学する少し前に、彼と出会って。


まさか、彼がアイドルのプロデューサーだなんて思いませんでした。


なにもない私にアイドルが務まるのか。


そんな疑問を、不安を、言葉巧みに拭い取って。


そうして……お父さんやお母さん、ついにはおじいちゃんまで説き伏せてしまうとは。


彼はきっと魔法使いだ、なんて言っては怒られてしまうでしょうか。


そうして今年の春から、東京で暮らすことになりました。


東京なんて、一度も来たことはありません。


右も左も分からないこの場所で、私を助けてくれたのは……。


そうですね。事務所の皆さんです。


私と一緒に今年からアイドルを始めた子や、私よりずっと年上のお姉さん。


同い年なのに芸能界では先輩であったり、はたまた海の向こうや宇宙から来た方だったり。


アイドルの数に負けないほど、プロデューサーや事務員さんもいます。


といっても、私がよく会うのは彼……私のプロデューサーさんと、事務員のちひろさんくらいですけれど。


一つの事務所ですが、とても沢山の人がいて……。


皆さんに支えられて、今の私がいる。


今の私。


もし、私がアイドルをやめてしまったら?


今の私はどうなってしまうのだろう。


今と変わらず、事務所のみんなとは……会えそうにはありません。


いつの間にか出来上がった、今の私の日常。


それが壊れてしまうことが……何よりも今、恐れている事なのかもしれません。


「……そう、ですね」


私が、求めていたものは。


私の、答えは。




この、不安からの――




「ふふっ。肇さん、釣れていますか――」


あら。


いつの間にか、私の後ろに一人の少女が立っていました。


その顔は、まるで誰かにそっくりのような……それでいて、誰とはわかりませんでした。


ただ不思議と、私は彼女が誰なのかを知っているような気がしました。


「……あなたは?どうして、私の名を」


その時でした。


ぴくり、と釣り竿が動きます。


「……え?」


「ほら、引いていますよ」


慌てて竿をあげようとしましたが、上手く行かず逃してしまいます。


「あら、逃してしまいましたか」


「……今のは?」


気にするほどの事ではありませんよ、と彼女は教えてくれました。


「そう、ですね」


第一、この真っ直ぐな針では、釣れるはずがありませんから。


「いえ……信じてみてください。釣れることを」


「え?」


ぽかんと口を開けていると、彼女はまた、笑います。


「……では、一度場所を変えましょうか。ついて来てください」


彼女の後をついて、山の奥へと進んでゆきます。


「ここなど、いかがでしょうか」


そうして連れて来られたのは……。


先程とそう変わらないはずの、渓流。


ただ、一つだけ大きく違うところがありました。


「きっと、見覚えがあるでしょう?」


ええ、そうです。


私はこの場所を覚えています。


だって、ここは……。


おじいちゃんに、何度も連れて行ってもらった場所。


そして、忘れもしない――




「ほら、釣ってみてください」


「でも……かえしも、餌も」


そんなものはいりませんから、早く、と急かされて。


私は糸を垂らします。


「気を抜いてはいけませんよ。全身全霊を込めて、集中するのです」


そうすれば、魚どころか竜さえ釣れますよ、と彼女は付け加えました。


「竜でも、ですか……」


「ええ。竿の先、糸の先に……全身の気を、込めてください」


私は祈るように竿を握りしめ、気を整えます。




「私は……あなたの『答えを出したい』という気持ちに応じて、あなたの元に来ました」


また、竿がぴくり、と動きます。


「一点の濁りもない、純粋な心で竿を引いてください。心を、純粋にするのです」


ぐいぐいと、竿は水底へ引かれてゆきます。


「邪な気持ちも、不安や恐れも、何もかもを捨てて……」


力を込め、竿を奪われないよう必死にこらえます。


「この大自然に、その身を委ねてください」




ああ、水底が見える。


糸の先に喰らいつく、竜のその姿さえ、見える。




大自然の力を、糸の先に生まれた宇宙を。


目で、耳で、肌で、心で。


感じる。


感じる。


手に取るように、最初から知っていたかのように。




――この世界の全てを、いま、私は感じている。



















「――さあ、竜を釣ってみてください」
















「……あら?」


ふと気づけば、そこはあの、岡山の山奥……ではなく。


先程まで腰を下ろしていた、東京の山奥の、渓流でした。


まさか……夢を、見ていたのでしょうか?


「――きゃっ」


突然はね出した足元の魚を見て、思わず声を上げてしまいました。


……これは、もしかして。


その魚の口から出ているのは、まぎれもなく、私の竿から伸びる釣り糸でした。


「……ふふっ」


竜と言うには、あまりにも小さな魚。


もしもこれが鯉であったら、本当に竜だったのだと信じたかもしれません。


けれども、今までのことが夢でなかったと……今なら、わかります。




まだ元気よくはねている魚を、バケツへと移して針を抜きます。


かえしのない針は、もちろん、するりと外れました。


「――調子はどうだ、肇」


今度は少女ではなく、彼が後ろに立っていました。


「ぼちぼち、です」


そうか、と彼は片手に持っていたバケツを置き、私の隣に座ります。


「……いい顔になったな、肇」


「そうですか?」


ああ、と彼は私の目を覗き込みます。


……少々、恥ずかしいのですが。


「晴れ晴れとしたような……いい表情だ」


急に頭を撫でられて、私は少しだけ驚いてしまいました。


彼は、何も気にせずに、ずっと私の頭を撫でています。


恥ずかしいけれど……なんだか、落ち着きます。


「悩みがあったみたいだったが……もう、大丈夫なのか?」


ええ、ご覧のとおり。


先程までずっと考えていたことは、どこかへと消え去ってしまいました。


「はい。どんなことがあっても……私は、私です」


また、どこかで不安を感じてしまうかもしれません。


けれどもそれは、私の生み出したまぼろし。


こうして嫌な気持ちや不安な気持ちを捨てて、心を純粋にして。


大自然に身を委ねて、ゆっくりと自由を感じれば。


もう怖いものなど、ないのですから。


「信じるべきものは……見つかりました」


「そうか」


大切なのは、信じること。


そう言うと彼は、


「信じることは……こわいこと、だな」


と笑いました。




「肇が元気になってくれて、よかった」


今日の休暇は、それだけで価値があった、と彼は言ってくれました。


「あの、――さん」


いつかの休暇に、また、あの場所に行きましょうね。


「そうだな」


忘れもしない、あの渓流。


小さい頃からおじいちゃんに連れられて、ずっと釣りをしていたあの場所に。


大切な、大切なあなたに出会えたあの場所に。


「いつになるかは分からないが……努力する」




アイドル藤原肇の生まれた、あの場所に。


あなたと、二人で。


「肇、その針は――」


食い入るように私の釣り針を見つめていましたが、


「そうか、そうか」


と彼は何かに気付いたかのように頷いて、笑ってくれました。


「自由な気持ち……思い出したみたいだな」


ええ、その通りです。




不安や焦り。


苦痛や悩み。


それらすべての、生きることからの自由。


見えない未来からの、自由。




悪いイメージは、もう浮かびません。


見えない未来は、そのままでいいのですから。


もう、恐れるものはどこにもありません。


私は……自由な気持ちを、思い出しましたから。



「それで、肇――」


針を付け替えて、二人並んで糸を垂らして。


ふと、思い立ったように、彼が聞きます。




「――釣れているか?」


「――ふふっ。ええ、釣れました」




ぱしゃんと水面をはねる魚。


さえずりを続ける小鳥達。


絶えず流れ続ける清流。




この世界のすべてを感じながら、私は彼に笑顔を向けました。






「釣れましたとも、私自身が……」






竜を釣り上げる話は諸星大二郎の「太公望伝」が元ネタになっています

ありがとうございました

15:30│藤原肇 
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