2014年10月30日

水本ゆかり「恋の話、聞いてもらえませんか」


P→



 口元に運びかけたカップをソーサーに戻す。突然の恋愛相談、紅茶など飲んでいる場合ではない。スプーンがかちゃりと音を立て、時計の針がチクタク進む。静かな店内は思考を巡らせるには最適だった。恋の話、恋の話とな。一応、念のため、まさかとは思うが聞いてみる。





「魚の話」



「ふふっ、言うと思いました」



 生クリームの乗ったケーキにフォークを差し込みながら、ゆかりは上品に微笑んだ。まあ、違うよな、鯉の話ではあるまい、恋の話に決まっている。男女が喫茶店で向かい合い、ほっと一息ついてから神妙な顔つきで「思ったほど泥臭くなくあっさりしていて美味しい」なんて会話はしないだろう。あまりにも不自然だ。しかし出来れば俺としては、たとえ不自然だとしてもお魚トークであってほしかった。アイドルが担当プロデューサーに対して「実は好きな人が居るんです」なんて、それは、端的に言って、悲劇じゃないか。死人が出るぞ。

 動揺する俺とは対照的に、ゆかりはいつもの通りに落ち着いていた。小さく控えめな所作でケーキを口に運び、甘さとふわふわ感を味わうようにゆっくりと咀嚼する。良家のお嬢様であることが丸分かりなその居住まいは、見惚れるほどに可愛らしかった。ゆかりはいつだって可愛い。ああ、恋の話、聞きたくない。



「好きな人が、いるんです」



 音を立てないように気をつけながらフォークを置き、ゆかりがそう切り出した。駄目な感じだ。聞きたくないと駄々をこねるなんてもちろん出来ないまま、恋の話が始まる感じだ。窓の外に見える晴れた秋空に、せめて死人が出ないよう祈ってみる。



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ゆかり→



 この気持ちは、初恋だと言って差し支えありません。厳しく箱に詰められた家庭環境にあって、男性との交友が極端に少なかった私にだって、これが恋をしている状態だということは正しく理解できます。好きなんです、立ち姿を思い浮かべるだけでどきどきしてしまい夜も眠れなくなる程に、その人のことが。

 実を言うと、初めて会ったときから意識はしていたんです。とても単純な事なのですが、笑った顔が素敵だなって。容姿の面でも好みのタイプだったんでしょうね、多分。こんな事を言うと、不実と思われてしまうでしょうか。きっかけなんてそんなものだろうと思って、どうか許してください。もちろん内面も、人柄とでも言うのでしょうか、とにかく魅力的な方です。とても快活で、傍に居るとこちらも元気を分けてもらえるような、そんな人。この人と一緒なら、この人が隣に居て導いてくれるのなら、夢に見たステージまでの道のりを挫けることなく歩めるような気がする。そう思いました。

 恋する気持ちに気が付いたのは、プールでのお仕事があった頃でした。その人に水着姿を見せるのが恥ずかしくて、変ではないだろうか、少しでも褒めて貰えるだろうかって、そんな事ばかり気にしていたのをよく覚えています。不安に俯きながら、二人のお友達に手を引かれて水着をお披露目に行くと、その人は朗らかな声でこう言って下さいました。



「凄く可愛い、よく似合ってる」



 嬉しそうにしてくれるのが私も嬉しくて、口元に笑みが浮かぶのを止められませんでした。顔を上げて目を合わせ、にっこり笑って返せれば良かったんですけれど。にやけた顔と、火照った肌と、震える指先を見られるのが嫌で、逃げ出してしまいました、私。ふふっ、馬鹿みたいですよね、緊張して、褒めていただいたお礼も言わずに走り去るなんて。思い返すと、なんて失礼を働いてしまったのだろうという気持ちで胸が詰まります。

 あの時の非礼を今更ながらお詫びしようかと思うのですが……。



P→



「プロデューサーは、許してもらえると思いますか?」



 ……待てよ、俺か? いや、待て待て、いつだってそういうご都合主義な考え方で失敗してきたじゃないか。よく考えろ、阿呆め。

 その人は明朗快活な人物らしい。俺はどうだろうか。ああ、どちらかといえば卑屈だ。年下の子に弱みを見せるのが格好悪いと思っていつも無理やりに笑っていたりするが、根本は何というか、インドアだ。熱帯魚とか飼っている。サボテンも育てている。しかし、プールでの仕事のときにゆかりが法子と有香の二人に引っ張られて水着を見せに来たことが、あったよな、確かにあった。赤くなって逃げ出してしまったのも覚えている。……俺か?



「あの……」



 無言の空間に不安を覚えたのか、ゆかりがおずおずと声を上げた。さて、ここで思い悩んでいても仕方がない。いま俺に出来ることなんて一つしかあるまい、確認作業だ。お前の気持ちは分かっている、さあこの胸に飛び込んでおいで、なんて格好を付けた上で勘違いだったりしたらもう、窓を突き破って道路に飛び込まざるを得なくなる。石橋は叩いておくに越したことはない。



「緊張して逃げちゃうなんて可愛らしい姿を見せられたら、許すより他ないだろうよ」



「そうですか。よかったです」



「ところで、その人って」



「はい」



「プールに何枚もビート板浮かべて水の上を走ろうとしたりする人?」



「はい、『見て見て、忍者も真っ青の水上歩法だ』って、はしゃいだりする人です」



 俺だ。そのあと盛大に転んで鼻血を出したりする人か、という問いにも肯定が返ってきた。間違いない、俺だ。



ゆかり→



「一応、告白のつもりです」



 あまり迂遠が過ぎるのも作法がなっていないかと思い、言葉を簡潔にして伝えてみます。緊張に口の中が渇いていても、それだけはきちんと言うことが出来ました。一つ息を吐き、のどを湿らせようとカップの取っ手にかけた指が、中の紅茶に波紋を伝えていました。慌ててテーブルの下に手を隠したけれど、気付かれてしまったでしょうか、恥ずかしい。



「あの、そろそろ出ましょうか。事務所に戻らないといけませんし」



 取り繕うようにそんなことを言っていました。ケーキも食べ終わりましたし、紅茶は少し残してしまったけれど、手が震えて飲めないので、ごめんなさい。この場に未練が無いかと言われれば、もちろんあります、もっとお喋りしていたいです。でも、一番伝えたかった事は臆せず伝えることが出来たので、私はもう大満足です。



 なんて、強引に自分を納得させてみたりして。



「お返事は、頂けなくとも構わないんです。アイドルとして、プロデューサーにご指導を賜れれば、それだけで幸せなので」



 嘘をつきました。上着を羽織り鞄の中身を確認しながら、私は続けて言います。



「こんなこと言われただけで困ってしまうとは思います。けど、これ以上困らせる気はないので、安心してください」



「ゆかり」



「あのっ、今の関係を変えたいなんてこと、思っていないので」



 何かを言いかけたプロデューサーを遮って、嘘に嘘を重ねます。本当は、恋人になって、休日を一緒に過ごしたり、お揃いのアクセサリーを着けたりしてみたい。はしたない考えだとは分かっていながらも、キスなんか、してみたりとか、したいです。



「一回りも年上の男性に、何を生意気なこと言ってるんだって感じですよね。笑っていただいても構いません。プロデューサーの笑った顔、好きですので」



 言いたいことだけ早口に言って、私はそそくさと立ち上がりました。身勝手ながら、プロデューサーが言葉を紡ぐのが、怖かったんです。希望を持っていたかったんだと思います。返事を聞きさえしなければ、まだチャンスがあると思っていられる。子供じみた、それこそ笑ってしまうような浅はかな考えだと、自分でも思います。



「ゆかり」



 歩き出そうとした私の足は、プロデューサの呼ぶ声に縫い止められました。心なしか先ほどよりも、語調が強くなっていたような気がします。聞こえないふりをして出口に足を進めることは、出来ませんでした。感じの悪い子だと思われたくないという心情に加えて、正直、期待もしていました。



 プロデューサーの気持ちを聞いても傷つくだけだと分かっているけれど、それでも、もしかしたら。私の手を取って、「好きだよ」なんて、そんなことを言ってくれるのではないかって。



 振り返ることも出来ないまま、次の言葉を待ちます。椅子の脚が床を擦る音がして、プロデューサーが立ち上がったのだと背中越しに分かりました。私の足は、気を抜くと膝が笑ってしまいそうです。



「ときどきゆかりは、先へ先へってどんどん進もうとする」



「すみません。ですが、恥ずかしくて」



「とりあえず、テーブルの上の財布はしっかり鞄にしまってから行こうな」



 ちらりと視線を注いだ先、磨かれた木目模様の上に、ケーキのお皿と紅茶のカップと、置き去りにされたお財布が一つ。それなら、私は先ほど荷物をまとめた際に、いったい何を鞄の中に確認したのでしょうか。既に火照っていた頬が、さらに熱を帯びるのが感じられました。



「あっ、ケーキと紅茶のお代を……」



「いいよ、誕生日プレゼントその一って事で」



 今しがた恥をかいたことも忘れて、その二もあるのかと期待してしまいます。



「風が冷たいな。寒くないか?」



「はい、平気です」



 気遣いに礼を述べ、プロデューサーの半歩後ろに付いて歩き出します。寒いです、なんて答えていたなら、どうにかして温めてもらえたのでしょうか。もちろんそんな大胆なこと、言えるはずもありません。それに、身体は気恥ずかしさでぽかぽかとしているし、こちらを気にかけてくれることが嬉しくて、心もふわふわとしたもので覆われていますので。



 ただ一つ、指先だけが少し冷たくはありました。陽光に照らされた、プロデューサーの空いた左手が、とても気になってしまいます。



「正直、びっくりした、告白」



 いつもより狭い歩幅でゆっくり歩きながら、プロデューサーがそんなことを言いました。気持ちを伝えて終わった話だと思っていた私は、彼のほうからそれを切り出してくれたことにむしろ驚きました。涼やかな風に撫でられ落ち着きかけていた心臓が、またもとくとくと高鳴り始めます。



「なんたって俺、モテないからな」



「プロデューサー、格好良いと思いますけど」



「そんなこと言ってくれるの、ゆかりだけだ」



 苦笑を落とされてしまいました。でもそんな笑い方も、素敵です。



 にしても私だけ、なのでしょうか。だとしたら私は自分が、プロデューサーのことを格好良いと思える人間で、本当に良かったと思います。



 笑顔にときめき、言葉一つで舞い上がって、少し不器用な優しさを本気で好きだと思える人間で、本当に良かった。



「告白の、ことですけど」



「うん」



「負担になりたくないので、忘れて下さい。私の事はお気になさらず、プロデューサーには、自由に恋愛などしてもらいたいです」



 本心であり嘘でもあるお願いに、プロデューサーは少し考えるようにうむむと唸りました。プロデューサーの幸せが、わたしの幸せでもあるんです。



 ただその幸せを、出来ることなら私の手で届けてあげたい、とか、思ってしまったり。なんて勝手な我が侭だろうと、ため息が漏れてしまいます。



「俺は」



「……はい」



「ゆかりをトップアイドルにするまで、恋愛事に現を抜かす気はない」



 私への返事も含んだ、体の良いお断りの文句、のはずなのですが。やはり私は事務所の皆さんが言うように、少し天然の気があるのでしょうか。



 私が成長しトップアイドルになるまで、待っていてくれるとか、そういう意味じゃないですよね。……違いますよね、恥ずかしいので今のは無しです。



 雲のない空に陽光がきらめいていました。風が吹けば微かに寒くもありますが、陽に照らされている場所、こと好きな人の隣においては、なんだかとても暖かく。だけれどやはり、指先は少しだけ冷たくて。



 手を繋いだりしたら、迷惑ですよね。でも、触れたい。今日だけは、許してもらえたりしないかな。お誕生日プレゼントその二ということで、駄目でしょうか。



 歩幅を合わせゆっくり距離を詰めながら、そろりそろりと手を伸ばしてみます。



P→



 とりあえず人死にが出なくて良かった。



 それにしても、ゆかりがそんなふうに思っていてくれたなんて、まさかまさかの展開だ。まさかの展開過ぎて、まともな応答が出来なかった。



 好きだと言われると、え、嘘、なんで俺なのと疑念を浮かべてしまうくらいにはネガティブな俺です。



 格好のついた一言を言うでもなく、気の利いた台詞を吐くでもなく、ただただ恋愛べたな阿呆野郎っぷりを晒すだけになってしまった。



 確認作業を経ても実際に「さあ飛び込んでおいで」なんて度量を見せられるわけもなく、本当にただのへたれですね。



 しかし阿呆でへたれな俺だって、やはり少しくらいはプライドのある「男の子」とかいう生き物なわけで。



 年下の女の子が、勇気を振り絞って想いを伝えてくれたのだ。それに対して不安にさせたまま放置なんて事が出来るほど、男が廃ったつもりもない。



 事務所に戻ったら、俺が思っていることも包み隠さず全て話そうと思う。一回りも年下の子に何を馬鹿なこと言ってるんだと、ゆかりは笑わないだろうけど、まあ笑ってくれても構わない。ゆかりの笑った顔、好きだから。



 ふと左手の端に、冷たくてやわらかいものが触れた。隣をゆかりが歩いているとはいえ、手と手がぶつかるような距離ではない。それでも触れたということは、つまりそういうことな訳で。



 冷たくなった指先を掴み、軽く引き寄せ手の平を重ねる。力を込めない、ただ触れ合っているだけの握り方。



 そのまましばらく、事務所までの道のりを並んで歩いた。風の冷たさが気に留まらなくなったのは、太陽が照らしてくれているからという理由だけではない。



「私、必ずなります、トップアイドルに」



 頬を朱に染め、決意を込めた声音を以って、ゆかりがぽつりと呟いた。



おわり



21:30│水本ゆかり 
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