2013年12月20日

伊織「広き心 思いやり」

・伊織SSです
・書き溜めてあるのですぐ終わります

では、よろしくお願いします。


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―小鳥の囀りと共に、重い目蓋を開かせる。
寝相で乱れた髪をかき上げながら、カーテンの隙間から窓の外を見やる。

…まだ空に藍が残ってる。 さっきの鳥も随分早起きなものね。
正面に立てかけてあるアンティークの壁時計を見ると、午前五時を差そうとしていた。


この時間は、確か……。


と思ったと同時に、ベッドのすぐ近くにある、ラックの上の電話が鳴り出した。
ルルルルル、という無機質な音を止め、二度寝に入る為に受話器を手に取る。

「お早う御座います。 起床時間となりましたので、モーニングコールをさせて頂きました」

今までで一体何百回言ったかしら、とても慣れた口調で語りかけられる。
朝一番に聞いても、全く不快にならない、優しく、そしてとても落ち着いた声。
「残念ね。 もうさっき起きたところよ」

姿が見えるわけでもないのに、不敵な笑みを浮かべ、肩をすくめて視線を受話器に送る。
モーニングコールよりも早く起きれたんだと、ちょっぴり優越感に浸ってしまう。

そんな私を、声色だけで感じ取ったのか、先ほどよりも少しばかり嬉しそうな声で受話器の向こうから返事が返ってくる。

「左様でございますか。 朝食は、いかが致しましょうか」

「取るわ。 あぁ、紅茶はアッサムでお願い」

「かしこまりました、ではまた後ほどお知らせ致します」

「えぇ、ありがと」

簡素に伝える事のみを伝え、通話を終了する。
紅茶に注文が無ければ、もっと交わす言葉が少なくなる。 けどそれで構わない。
「ふぅ……」

さっきと同じ体勢でベッドに体を預ける、と同時に思い出した事が一つだけあった。


夢を、見た。


765プロの皆とバカ騒ぎする夢。 私からすれば特に珍しくも無い、当たり前の風景。
そう、珍しくもなんともない当たり前"だった"夢。

「懐かしい夢を見たわね……」

天蓋の裏側を見つめながら、ポツリ。
何気なく手を上にかざしてみた。 光が透け真っ赤な血潮が流れるってわけでもない。
小指から順番に握り締め、また一つポツリと呟いた。

「"行って"みるか………………」
その言葉を引き金に、弾かれるようにベッドから体を離す。
クローゼットの中を力強く開く。 シルバーフォックスにチンチラ、セーブル。
うむ、我ながら素晴らしいラインナップ。 ミンクを選んだところでそのまま腕を袖口へ。

と、通したところで気付く。 まだ寝間着じゃない。

まだ目が覚めきっていないのか、考え事をしていたからなのか。
そんな答えが出ても別に得しないことを考えながら、寝間着にしていたローブの紐を解く。
ローブ以外には下着しか着けてなかったし、着替えは比較的簡単に終わる。

脱いだローブを乱雑にベッドの上に放り投げる。 どうせすぐに使用人が掃除をしにやってくるし。
自ら片付ける必要は無いと、先ほど着ようとしていた服を今度こそと袖を通す。
ニットのアンサンブルを纏わす、色はワインカラーでお上品に。

「……まぁ、どうせ後でコート着るんだけどね…………」

見えない所にまで気を配る。 "女優"として、最低限の事。

ネックレスはカルティエのトリニティ。 それ以外の装飾品は要らない。
別にパーティに出席するわけでも無し、無駄な輝きを増やす意味もありはしないんだから。

「……っと、そろそろ行かなくちゃね」

そういえば朝食を取るって言っていたんだった。
このままではシェフを始めとした使用人たちを待たせてしまう。
前、三十分ほど遅刻したときがあったけど、皆の顔が怖かったのよね……。


・ ・ ・ ・ ・

「……うん、悪くないわ。 少し香辛料が効きすぎかもしれないけど」

ナプキンで口を拭き、フォークやナイフを右側に置く。
緊張した面持ちで私の評価を待っていたシェフへと向き直る。

「もっ、申し訳ありません!」

バッ、と脊髄反射のようにキッチリ九十度腰を曲げる。
その姿は、まるで"アイツ"が仕事先の相手に頭を下げているようだった。

「…………良いわ、次からもよろしくね」

それを見て、ちょっぴりセンチになったのかもしれない。
特に言及するわけでもなく、彼を許してあげることにした。
給仕係に食器を片付けるよう命じ、席を立つ。
「……あっ、ありがとうございます!!!」

エプロンのなびく音が背中から聞こえてくる。
きっとまた敬虔にも、私に向かって頭を下げているんでしょうね。

"アイツ"のように、九十度腰を曲げながら。

過去の記憶に意識を掠め取られそうになりながらも、
食事の前に使用人に持たせていたコートを回収し、袖に手を通そうとした瞬間、

「よろしいのですか?」

と、使用人が頭を横に倒しながらそう質問する。

あぁ、そういえばそうか。
この子はきっと、私が自分でコートを着ていることに疑問を持っているのね。
「良いのよ。 別に兄様達じゃないんだから」

普通は、袖を使用人に通させたりするんだったわね。

改めて袖に腕を通す。 ミンクの手触りがとても心地良い。

ロングのコートで身を覆い、寒さを遮断し暖かさに包まれる。
まさに完全防備ね、と言いたい所だけど部屋の中は大分暖かく、前を閉じるには少し早かったかも。

これはさっさと外に出てしまった方が無駄な汗を掻かなくて済む。
急ぎ玄関へと足を進める 傍らには新堂が付かず離れず付き添っている。

「あら、ごめんなさい新堂。 今日は私徒歩で行くわ、近いしね」

「左様でございますか、かしこまりました」

新堂の体に深く根付いた習慣を、言葉一つで押しとめる。
少し目を開かせたけど、すぐに落ち着きのある顔に戻ったのは、流石の貫禄と言った所かしらね。

「いってらっしゃいませ、"伊織様"」




伊織様―――。



そう、私が「伊織お嬢様」と言われなくなってもう7年になる。
18まではその呼び方が定着していたが、それを越えるとすぐに「伊織様」になった。

私ももう25になる。

今はもうアイドルを辞め、女優業に力を注いでいる。
私の圧倒的な力を認めさせる為に一人で日夜奮闘している真っ最中。
勿論、実力はそんじょそこらの底辺女優とは比べ物にならない程活躍しているのよ?


成人した頃には、他のみんなもそれぞれの道に歩んでいて、それぞれ苦悩し輝いている。
その姿は液晶の向こうからではあるけれども、しっかりと伝わってくる。
例え液晶の向こう側に居なくとも、きっと輝いていると思えるのは信頼しているからだろうか。

などという、記憶の残滓が頭の中を飛び交いつつも、外へ続く扉をくぐった。




暖かく、外気と隔絶された室内を出ると、肌を刺すような寒気が頬を撫ぜる。
一度身震いをして息を吐くと、どれだけ寒いのか、真白とも言える濃度の空気が宙を舞う。
軋むような木枯らしが通り抜けていくと、私の白い空気が風の吹く方へとかき消されていく。

「もう少し厚着をするべきだったかしらね……」

はて、まさに完全防備、と言っていたのは誰だったかしら。
数分前の自分を殴りたい気持ちを押さえつつ、進む方向へと視線を向ける。

「確か……、こっちだったわよね……」

方角で言うところの西へと独り言を放ち、歩を進める。
心まで寒くなってしまわないよう、けど速すぎて風で頬を切り裂かないようゆっくりと一歩ずつ歩いていく。

・ ・ ・ ・ ・

デコボコした道にヒールを持っていかれ、イライラする事数回。
曲がり角すぐにある、カフェテラスのある喫茶店で、若い男女が口喧嘩をしていた。
周りの客は辟易している者、心配そうに見守る者、そもそも気にしていない者と、なんとまぁ綺麗に分かれていた。

今更と思いつつも変装用のサングラスを掛け、興味無い素振りで歩きながらも聞き耳を立ててみると、どうやら痴話喧嘩らしい。

掻い摘んで話すと、女性の方が殆ど注文をしないので、男性の方がそれを聞いたら喧嘩に繋がったという事みたい。
女性が注文をしない理由も、近い日に来る男の誕生日プレゼント購入の為に無駄遣いを避けていたという。

そこまで聞いたところで、周りの客は甘ったるいものを口にしたような顔で男女を見ていた。
視線に気付いてからか、その二人も顔を赤くしながら乱れた椅子を正して音を立てないよう座っていた。

けれども、細かい言い争いはまだまだ終わりそうにないみたい。

そんな二人を呆れたように、けど微笑ましそうに見ながら、また昔の事を思い出していた。
私にも、あんな風に、"アイツ"に怒鳴られたことがあった。

ライブの後、疲労が原因で体調を崩してしまった時のこと。
その日も仕事があり、無理を推して家から出ようとした瞬間、目の前に"アイツ"が居た。

新堂から連絡を受けてここまで駆けつけた、という説明を私が質問で投げかける前に答えられ、
私がその説明を理解するよりも早く抱きかかえられ、ベッドへと運ばれた。

「な、何するのよっ!」と力無く虚勢を張ろうとした時。

「それはコッチの台詞だ!! なんで自分の体を大事にしない!!!」

今まで聞いたこと無かった。 あんな声。
凄く怒ってて、怖くて、思わず泣きそうになったくらいの。

けど、そんな風に言った"アイツ"の顔は、私よりも泣きそうで苦しそうで、悲しそうだった。
もしかして、もしかしてアンタは、私の事を想って怒ってくれているの。

私の為に泣きそうになって苦しそうになって、私の為に悲しそうになってくれているの。


そう思うと涙が止まらなかった。 初めて味わった、心の底からの優しさに触れた瞬間だった。






(あの時は私も若かったわー…………)

周りが聞いたら年寄りか、とツッコミを入れられそうな事を思ってしまった。
頭を振って、思い出の欠片へのトリップから抜け出すように、喫茶店から離れる。

その頃には男女も仲直りしたらしく、優しくお互いの手を握っていた。


・ ・ ・ ・ ・


そろそろ脹脛が悲鳴を上げ始め、やっぱり車を頼めば良かったか、と後悔する事幾何回。

道が坂になり、更に足に負担を掛けるなんて冗談じゃない、と辟易していたところ、虎落笛に混ざり花の香りが鼻腔をくすぐった。

「あら、こんな所に……」

体の中で消えつつある香りの在り処を視線で追うと、そこには小ぢんまりとした花屋が建っていた。
店先では店員の一人が、控えめに花達に水をやっている。 まるで人を労わるように優しく。

それに感謝するように、水を浴びた花達は日光の輝きを受けて燦爛と煌いている。
この冬めく寒さにも負けず咲く色とりどりの花は、まさに風光明媚って感じかしらね。

と、思いつつも体は無意識のうちにそちらへと近付き、花に指を伸ばしていた。
「いらっしゃいませ。 ……お花、好きなんですか?」

先ほど花に水遣りをしていた店員が声をかけてくる。

「ん……、あぁ……嫌いでは、ないわ」

「そうなんですか、良いですよねぇ〜お花。 とっても綺麗で……」

どうやらこの店員は若干頭の中がメルヘンな子みたい。
花を賛美するとすぐ、両手を組んであっという間にトリップしてしまった。

「…………貴方は花、好きなの?」

「あっ、はい、私お花が大好きなんですよ! だからここでアルバイトさせて貰ってるんです!!」

若干引き気味に質問をすると、トリップからすぐ帰ってくる。
うん、多分、この子はそういう子なんだろうと割り切る事にした。

その子の答えた言葉はとても真っ直ぐで、純粋で、綺麗だった。
「へぇ……。 なんで、花が好きなの?」

「え? うーん、そうですねぇ。 やっぱり元気をくれるから、ですかね」

「元気?」

「はい! お花は、そこにあるだけで人を元気にしてくれたり、リラックスさせてくれたりするんです!」

花屋の店員らしく、まさに花が咲いたように華やかに笑う。
屈託も、陰りも何一つとして無い、絶佳と言っても良い笑顔だった。


けど、私は、その言葉に既視感を覚えずにはいられなかった。


「人を、元気に………………」

 





あれは、いつだったかしら。
そう、シングルの売り上げが鳴かず飛ばすで、自分の実力に疑問を持っていた時だった。

売れ行きが芳しくないのにってのにも関わらず、あっけらかんとした態度の"アイツ"を見て、
「なんでそんな顔してられるのよ」って八つ当たりのように言い放ったっけ。

でも、"アイツ"はへらへらした顔を一切変えずにこう言い返してきたの。

「伊織、歌にはな、人を元気にしてくれたり、リラックスさせてくれるものなんだ」

澄んだ瞳でじっとこちらを見据えて。
"アイツ"の瞳の中は眼鏡越しからでもとっても綺麗で、思わず魅入ってしまったわ。

「その歌を歌えるのは、伊織、お前もなんだよ」

「私も……?」

ゆっくりと頭を撫でられる。

そこらへんのヤツに撫でられたら、セットが乱れて不快になるけど、
"アイツ"に撫でられるのは、不思議と全然嫌じゃなかった。

「あぁ、俺は伊織の歌を聴いて元気を貰ったりしてるよ」

「……ホント……?」

「本当だ。 だからそんな不安がるな、お前はトップアイドルになれるから!! いやしてみせる!!!」

不安だ、なんて一言も言ってないのに。
なんで私が今の自分に納得できていないことに気付いてるんだろう。

まるで心を内側を見透かされているような感覚に陥る。
だがそれは不快感ではなく、見てくれているという安心感だった。





「…………さま……? ……きゃく……」

「……………………」

「……お客様?」

「……ッ! え、えぇ、何?」

「いえ、突然意識がどこかに行っているような気がしたので……」

貴方に言われたくないわね。
なんて事を口走りそうになったが、心の中にしまっておく。

「大丈夫ですか? 体調が優れないようでしたら、中にベンチがあるので、そちらにでも……」

「いいえ、大丈夫よ。 そこまで柔な体してないわ」

「そうですか……、なら良いんですけど、ご無理なさらないでくださいね」
未だ納得の行っていないように、眉を八の字にして心配する。
意外と頑固なところもあるのね。 けど、そういうの嫌いじゃないわ。

「だからだーいじょうぶよ。 ……って、あら?」

「? いかがされました?」

「いえ……、この花の苗……」

目についたのは、とある花の苗。

「何か気になるところでも?」

「ちょっと花言葉が、ね」

「花言葉……? ……あぁ、これですか、良い花言葉ですよね」

「えぇ、ちょっと知り合いに似てるの……」

うん、似ている。 とても。
それだけ、この花言葉には想起させるものがある。
「成る程……。 お買い上げになりますか?」

「いや、今はちょっと行く所があるから。 帰りに買いに来るわ」

「解りました、お待ちしてますね!」

「……貴方、アルバイトにしては良い子じゃない。 覚えとくわね♪」

変わらず変装用と称して掛けていたサングラスを外し、店員へとウインクを一つプレゼント。
ウインクを受け取った本人は、私が歳に見合わない行動をしたと思ったか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。

けど、次第にまた咲いた花のように笑って、元気に返した。

「あっ、ありがとうございます!!」

「じゃあね、また後で」

「ありがとうございましたー!!!」


一度手を振って、花屋から足を離れていく。
彼女は依然として煌くような笑顔を変えず、大きく手を振りながら接客用語を述べる。
でも、多分、この子の言葉は本心からの感謝の言葉だと思う。



「……ふー、良い人だったなー、なんかセレブって感じだったけどイヤミな人じゃなかったし!」

「…………あれ? でもあの人、どっかで見たような……? セレブだし、テレビで見たかも……?」

「もー全然思い出せなーい! 最近テレビ見てないんだもーんアタシの馬鹿ー!!」

「……え!? てことは有名人!? やだ、サイン貰い損ねたー!!!」

・ ・ ・ ・ ・


花の香りが体から消え失せてしまってから十数分。
持っていたタブレットの地図に示された目的地まであと少し。

場所的にも当然だろうけど、人通りはおろか家屋すら少なくなってきた。
そろそろサングラスも外しても構わないでしょう、とサングラスを取ったその瞬間。

「……あれ? 伊織?」

とても聞き慣れた声が聞こえてきたのだ。
最近は、液晶の向こうでしか聞かなかったけど、あの時いつも聞いてた声が。

「…………春香?」

そう、今やトップアイドルである、あの天海春香がそこに居たのだ。

「伊織、久しぶり!! 日本に帰ってきてたんだ!?」

「えぇ、一週間くらいはこっちに居れそうなの」

パタパタとこちらに駆け寄ってくる。
頭のリボンが風に揺れている姿を見て、本当に春香なんだわ、と確信する。

「そうなんだぁ〜、本当に久しぶりだね!!」

「春香も変わってないようでなによりだわ」

本当に、本当に何も変わっていない。
変わったのは、どこでも転ぶという癖が無くなったところかしら。

「えへへ……。 仕事はどう?」

「順風満帆ってところ。 そっちは?」

「もー大変! またライブツアー始まっちゃって、しばらく休み無さそう……」

ライブツアー。 そう、春香は今でもアイドルを続けている。
トップアイドルの名を冠してから数年経つが、それでも尚アイドル業界を引っ張る存在になっている。

勿論、アイドルだけでは食べてはいけない。
元々のトークの上手さもあってか、タレントとしてもその人気ぶりを博している。
アイドル兼タレントと言ったところね。 多忙なのも無理はない。

「春香も頑張ってるのね……」

「うん、毎日奮闘中ですよっ、奮闘中! …………ねぇ伊織」

お決まりの台詞を言ってすぐ、神妙な面持ちになる。

質問の内容は、もう、解ってる。

「…………ん?」

「どうしてこんな所に居たの? もしかして…………」

「…………えぇ、そんな感じ」

「そっか…………。 長かった、ね」

「長かった」 きっと、他の人が聞いたら何が何だか解らない言葉。
だけど、私たちにとっては、その一言で全てが伝わる言葉。


「えぇ、長かった……。 やっと、会いに行けそうなの」


「きっと、喜ぶよ。 私もライブツアー始まるから、挨拶に行ってきたところでね!」


「だと思った。 でなけりゃこんな所で出会わないわよ」


「あははっ、その通りかも!」


「……じゃあ、行ってくるわ、ありがとね春香」


「うぅん、私は何にもしてないよ。 全部、伊織の力」


「……そう」


「……じゃあね」


「……えぇ、また」

私が来た方向とはまた違う方向へと歩いていく春香を見送る。
車でも待たせているんだろう。 きっと、仕事の合間に立ち寄ったに違いない。

忙しいと言っていたにも関わらず、とても献身的だと思う。

「やっぱり春香は変わらないわね……。 …………あ」

アスファルトの窪みに躓いて転ぶ春香を目撃してしまった。
どうやら、転ぶ癖が無くなったというのは撤回した方が良いのかもしれない。

「本当に変わってないのね……」

こみ上げる笑いに耐えつつも、友人の変わらなさぶりを再三、実感する。
慌てて乱れた服を正し、キョロキョロと周りに人が居ないのを確認して安心するも、
振り返って私が笑いを堪えているのを見た瞬間、顔を赤くしてそそくさと歩いていた方向へと走っていった。

情けないのに、何故か勇気を貰ったような感覚になる。

本当に、春香には感謝しないといけないわね。


「さてと…………」


「行きますか」


・ ・ ・ ・ ・


春香と別れてから数分もしないうちに目的地に着いた。
やはり、こんな季節にここに来る人は少ないのだろう、人っ子一人居やしない。

砂利道に足元を持っていかれながらも、目指すべき場所へと余所見もせず歩いていく。

場所は知っている。 ただの一回も来ることは出来なかったけれど、
律子に一度教えられた時から、忘れることも出来なかったから。

「確か……こっちのハズ…………」

何十段にも重ねられた、打ちっぱなしのコンクリートで出来た階段をコツコツと登っていく。
もうここまで来たら、足に溜まった疲労感も頭の中から消えていた。

一段、また一段と登っていく度に、心臓がドクドクと波打つ。
この私が緊張だなんて、らしくないわね。 なんて虚言を心の内で吐いてみる。

頬や耳はこんなにも冷たいと言うのに、体の内側はみるみる内に熱くなっていく。
けど、決して歩みは止めない。 止めてはならない。

この先に居る、"アイツ"に出会う為に―。



「………………久しぶりね」



目の前には、"アイツ"の名前が書かれた墓が建ててあった。




そう、"アイツ"、もとい765プロダクションプロデューサーの彼は、既にこの世を旅立っていた。



そしてここは公共墓地であり、この墓もその一部である。


「……手入れの必要は、無さそうね」

見た所、とても簡素に作られているが、活けられていた花が、辛うじてその場の寂しさを誤魔化していた。
墓石もとても綺麗に磨かれていて、手入れが行き届いている。

恐らく、どれも春香がやった事なんだと思う。
いや、春香だけじゃない、きっと765プロの皆が、ここに来て手入れや花を活けているんだ。

根拠は無いけど、何故だかそんな感じがした。

「やっと、会いに来れたわ。 踏ん切りがついたってヤツかしらね」


「アンタも、この私に会えなくて寂しかったんじゃないの?」


「ま、会いに来てやったんだから少しは感謝しなさいよね!」


「なんて、ね」


「………………ここに来るまでに」


「ここに来るまでに、色んなアンタの欠けらに出会ったわ」



「いつかのアンタみたいに、バカ正直に下げなくても良い頭下げたりするヤツや」


「いつかのアンタみたいに、少し無理したくらいで本気で心配して怒るようなヤツ、」


「いつかのアンタみたいに、こっ恥ずかしい事を平気で言えて、それを本気で信じてるようなヤツ」



「辺りを見回したら、様々な所に散らばってたの、アンタの欠けらが。 いいえ、多分私が見ようとしなかっただけなのかも」


「でも、今はちゃんと目を逸らさずに見れるの。 何故かしらね?」


「もしかしたら、アンタは答えを知っていたのかもね……」


「……私、これから休みの度に来るわ。 今まで会えなかった分も含めて会いに来る」


「迷惑なワケ無いわよね? このスーパーセレブ女優、水瀬伊織様が来てあげてるんだから、もっと喜ぶべきよ!」


「なーんてねっ、にひひっ♪」


「………………今日は、これだけ。 これだけ、言いに来たの」


「また来るわ。 首を洗って待ってなさいよね」


「…………バイバイ」


踵を返して、階段をまたコツコツと降りていく。
ゆっくりと降りていく。 後ろ髪を引かれる感覚も無い。

だって、もう今の私を阻む気持ちは無くなったのだから。

会いたくなったら、また来ればいいのだから。


そんな事を考えていたら、いつの間にか既に墓地を抜けて路地に出ていた。
足の疲れも思い出したかのようにどっと圧し掛かってくる。
この疲弊感を抱いたまま、来た道を戻るという面倒くささにも押しつぶされそうだ。

けど、不思議と足取りは軽かった。

落ち込んだってアイツはきっと喜んじゃくれないだろう。
なら、私は元気にしているぞ! って所を、嫌って言う程見せ付けてやることにしたのだ。

アンタが私に弱みを見せなかったように。
私に元気や勇気を、何度も与えてくれたように。

これからの私も、アンタに負けないくらい強くなってみせるから。





「いつになるか解んないけど、そこで待ってなさいよ!!」





絶対、会いに行くから。








行きに寄った。 あの花屋で見つけた花の苗を買って帰ろう。


「ハーデンベルギア」という、菫色に咲く可憐な花を。


アイツにそっくりな花言葉の、あの花を。


咲いたらアイツに届けてやろう。


アイツにそっくりな、あの花を。






fin.
これにておしまいです、ここまで読んで頂きどうも有難う御座いました。
Pを何の意味も無く殺してしまったように見えて申し訳ないです。
死後の伊織SSが書きたかったんや……。

あ、花言葉はスレタイをご参照ください。

10:30│水瀬伊織 
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