2014年01月19日

モバP「いつまでもこのままで」

藤原肇は何事にも真剣に向き合う女だ。

今だってレッスン場でボイストレーニングに励んでいる。


ガラスに仕切られて向こう側にいて実際に声は聞こえない。

でも、真剣な表情で歌っている肇を見ていると、いつも聞いている彼女の声が鼓膜を震わせているような錯覚を覚える。


スカウト含め、俺が一番長く肇と一緒にいる。

デビューの為の下積みも俺が指導してきた。

本格的に仕事が始まり、期待もありながら不安に押しつぶされそうになっていた
肇を支えてアイドルとして一定の地位を確立するまで、いつも一緒に歩んできた。


喧伝するほどのことでもないけど。



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今となっては、このようなレッスン、収録や撮影なんかも大方は自分でこなすようになった。

流石に、綿密な打ち合わせや予算については俺がするけど。


もっぱら肇に関して仕事でかかわると言えば送迎くらいか。

肇が一人前になるにつれて、だんだんと俺から遠ざかっていくように感じる。

物理的な距離もそうだが、勿論心情として。


俺は他にも複数のアイドルを受け持っている。

その子たちはまだまだ無名に等しいけれど、これから肇と同じサクセスストーリーを歩ませるためにも俺が頑張らねばならない。


ガラス窓越しに肇と目が合う。

少し微笑んで、軽く手を振ってきた。

俺も右手を挙げてそれに応える。



………俺が此処にきて肇のレッスンを見学し始めたのは一時間も前なんだが。


周りを見ずに、というと聞こえが悪い。

自分の目標到達のための努力を一心不乱に行っているだけなんだ。

肇が真剣な証拠だ。

だからこそ好感が持てる。



俺の姿を認めてか、肇がラストスパートといった様子でさらに声を響かせていく。


胸元に添えた両手を握るこぶしが力を込めて少し白くなる。

常にまっすぐな姿勢を保っていた首が、声を響かせるためか無意識にほんの少し上を向く。

実際に声が聞こえている訳ではないけれど、歌う肇の様子も見ていればわかる。


ごくごく僅かな変化だ。

肇のファンだって見過ごしてしまう様な。

それでも俺には分かる。


それだけ多くの時間を肇と共にしてきたし、俺はずっと肇だけを見てきた。



「プロデューサー、お疲れ様です。すみません待たせてしまって…」

「お疲れ様、肇。構わないよ、知ってのとおりさっき来たばかりだ」


さっき来た、っていうのは嘘なんだけど。

肇が、迷惑をかけてしまったと、思ってほしくないし。


「私の歌声、どうでしたか?」

「いや、声は聞こえないけどな。それでも、歌っている肇はすごく様になってたよ」

「そうですか…」


良い受け答えだとは思うが、肇は何やら不満げなご様子で。


しつこいようだが、俺と肇は長い付き合いだ。

これまで色々なことがあった。


共に成功を喜び、失敗に嘆き、そしてそれを乗り越え今日まで来たんだ。

簡単に説明すればそういう事だが、そこには二人だけが知っている事が沢山あった。


………だからこそ、今肇が欲しがっている俺の言葉はわかる。

それと同時に、それが言ってはいけない事だということは分かっている。


「なんて言いますか…可愛かった、とか、綺麗だったとか。そういう事です」

「そうだなぁ………」


………少なくとも、俺の方は。



言い換えれば、上司と部下。

ましてやアイドルとプロデューサー。

好意を示唆するような言葉は使うわけにはいかない。

可愛いとか、綺麗だとか、そのくらいで何をと思うかもしれない。

だからこそ、二人だけが知っている何とやらなんだ。


「わかってて、言っているんですよね…? 私がプロデューサーをどう思っているか」

「なんだっけな。忘れたよ」

「それでしたら、思い出させてあげます。私は…」

「っ! 言わなくていいよ! 思い出したから__」


「私は、プロデューサーの事、好きなんですから」

「………」


可愛い、なんて、肇が俺に求めているのは、単に誉めるための形容詞としてではない。

俺にそう思って欲しいからなんだ。

肇は即物的に俺を求めている。

十程度も歳が離れた、何のとりえもない俺なんかが肇から貰っていいような言葉じゃないんだ。

そもそも、そんな戯言がお互いに許される立場ではないというのに。


「思い出して貰えましたか…?」


「………わからないよ」

「それでしたら、何度だって言います。今までと同じように」

「ああ! わかった、わかったから! もう言わなくていいよ!」

「そんなに拒否しなくてもいいじゃないですか…」


俺の明らかな拒絶の態度に肇はかなり寂しげな表情をする。

…俺が拒絶するのだっていつもの事なのに。


「兎に角だな、あまりそういう事を言うんじゃないぞ」

「プロデューサーが言わせたんじゃないですか」

「ぐっ………」


言葉に詰まった俺を見て肇は少し微笑んだ。

…不本意だが、肇が元気になったならそれが何よりだ。


「まあいいや、寮まで送っていくよ。荷物があるなら事務所にも寄っていいし」

「でしたら、事務所までお願いします」


そしたら、プロデューサーとちょっとでも長く居れますから。 なんて事を付け加えながら………。


「もう何でもいいよ… 車を下に止めてあるから行こうか」

「プロデューサー」

「なんだ?」


先に出口へと向かった俺を後ろから肇が呼び止めた。


「………好きです」


先程までのお茶らけた雰囲気はなかった。

ただ肇が振り返った俺の目線をまっすぐ捕え、ぽつりとそう言った。



大声で言ったわけでもないのに、俺の頭の中ではその一言だけが反響していた。


肇はずっと俺と一緒にいた。

肇は、可愛くて、綺麗で、美しい。

容姿だけでなく、両手の指では数えきれないほどの魅力を持っている。

そんな子に好意を抱かれて、恋慕を伝えられて、嬉しくないわけがない。


………何より、肇だから。


俺が、肇の事、好きにならない訳ないだろ。

肇は何事にも真剣取り組もうとする。

俺に対してもだ。

肇のまっすぐな行為をぶつけられるたび、頭から冷水をぶっかけられたような気分になる。

だって、それは、許されない事だから。


「………そうか」


是非を論じることもなく、曖昧な一言を零して、俺はまた背を向けて歩き出した。

肇から逃げ出すみたいに。



___
__
_


ジリリリリリリリリリ・・・


薄暗い部屋とは対照的に甲高い目覚まし時計の音が俺に朝を知らせた。

昨日のことを思うとあまり眠れなかったが、その割にはすっきりとした目覚めだ。


レッスン場を出てから、肇はもう“あの話題“に触れることは無かった。


俺に拒絶されることを恐れてか、それとも俺に気を遣ってか。

恐らくは、どちらもだろう。

好きな相手から拒絶されるのは勿論気持ちのいいことではない。

それに、肇は俺が拒絶することをわかっている。


………いや、明確にはっきりと俺が肇を拒絶しないことはわかっている。


肇は、俺が肇に好意を持っていることをわかっているのかもしれない。

それとも、仕事のモチベーション維持の為に明確な拒否をしないと思っているのかもしれない。


これに関して俺はどちらか量りかねているけど。

それでも、俺が肇の事を嫌っていないって事をわかってくれてはいるだろう。

お互いを守るためには、はっきりとした態度を示すべきなのかもしれない。


でも、それができない。


………やっぱり、肇が好きなんだ。

肇なんか嫌いだ、もう俺に構うな、なんて、そんな事言えるわけない。



今の絶妙な距離感を保つことで万事うまくいくってことはないだろう。


いつか、ボロが出る。


列車のレールとは違う。

従って進めば安寧な未来が保障されているわけではない。


いつものその場しのぎの俺の言動では、いつか問題が起こる。

そうすれば肇はこの世界から干され、謂れのない悪意と共に週刊誌やインターネット上に晒し者になるだろう。

そんな闇を心に抱えたまま、肇が生きていくなんて許せない。


………そうなってしまう原因が俺であることに。



だったらやることは分かっている。

それなのに、その筈なのに…

俺はいつもその一歩を踏み出すことが出来ない。


原因が俺であることは自明だ。

それに俺はどうなってもいい。


…どうなってもいい、そう思っている。本当だ。

でも、どうなってもいい、その中にある肇から離れていくって選択肢は、酷く選び難いものに感じる。


そんなエゴの塊みたいなジレンマの中に、俺は深く沈んでいる。



肇の事、好きだよ。


本当に、邪な気持ちはほんの僅かにも持ち合わせていない。

だからこそ、俺は、俺が肇を本当に幸せにできないことは分かってる。


俺以外の、何の咎められない立場の男に肇を託していくわけではないけれど。

せめて、本当の意味で肇が傷ついてしまう前に俺が離れることが重要なんだ。


距離の問題ではない。

俺以外に肇を担当させるのなんて気に食わないけど。


気持ちの問題だ。文字通りの。

肇が俺みたいなつまらない奴を好きだってこと、無かったことにしなければならない。



本当にそれが正しいことなのかどうか、俺には分からない。


俺は窓を開けて裸足のままにベランダに出た。

冬らしさを含んだ、刺す様な風が全身を冷やしていく。

バケツに張った氷に一筋の大きなヒビが入っている。

春の息吹なんて微塵も感じられない。

一月だから当然かもしれないが。


でも、全身を刺す冷風が今は心地よく感じる。

冷え切った思考がさらに研ぎ澄まされていくようだ。


………そろそろ支度をして事務所に行くとしよう。

肇と離れるために、肇に会いに行くんだ。


___
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_


「おはようございます、プロデューサー」

「おはよう、肇」

「昨日はありがとうございました。送ってもらってしまいまして…」

「それが俺の仕事だからな」


律儀な奴だ。そんな当たり前のことにまで礼を告げる。

その律義さがこの業界でうまくやっていけてる術なのだけど。


「今日は雑誌の撮影があったな…。昼からの予定で、長くても六時くらいには終わるだろう」

「そうですね…。その後、晩御飯一緒にどうですか?」

「送っては行くけど、晩御飯か………」



「昨日はあのまま帰ってしまいましたし、今日はいいじゃないですか」


…昨日の話題を出されて、内心苦い顔をしてしまった。

実際に顔に出ていたかもしれない。

それでもなお、肇は続ける。


「いいでしょう? この間、雑誌のインタビューをさせていただいた時に優待券を貰ったんですよ」

「優待券か。…でも、どうせ俺におごらせるんだろ?」

「こういう時は男が払うもんだ、っていつもプロデューサーが言ってます」


そう言って、右手を口に添え上品に笑う肇に目線は釘付。

こういうちょっとした仕草にも、肇の良さを見ようと俺は無意識に目を奪われる。



「全く、お前の方が俺より格段に稼いでるってのに…」


ふと我に返って目線を横にずらす。

誰に対してか、多分の照れ隠しを含めながら。


「プロデューサーのおかげですから」


こんな私をアイドルにしてくれたのだって、プロデューサーじゃないですか?

そう言って、微笑みを向ける肇に対し、俺は断るなんて術を知らない。

続いた言葉を精査する余裕もない。


「…送りは別の仕事があるから出来ないけど。帰りは迎えに行くから、終わったら連絡くれ」

「ありがとうございます。楽しみにしていてください」



「楽しみにしてろなんて………。肇が行った店でもないのに」

「ふふ、私が楽しみなんです」


………そんな屈託のない笑顔を俺に向けるなよ。

いつも少し眠たげな肇の瞳は、微笑むことで細められる。

その肇の微笑みこそが此処まで俺の判断を鈍らしてきたものだなんて、本人は自覚していないだろう。

それが全ての原因ではないけど、大きな要因の一つであることは明らかだ。

正直、俺が最初に肇に惹かれた理由なんて、顔が好みだったからだしな。


…不浄だと思うか?

男なんてそんなもんだよ。

そうして、肇を知りたいって思って色んな顔を見つけていったんだから。


___


「コース料理なんて初めて食べたよ」

「私もです。どうやって食せばいいのか迷ってしまう様な料理ばかりで…」


肇の案内できた料理屋はフランス料理の店だった。

凡人の俺なんかは、コース料理なんか初めて食べたわけで。

純和風一家の藤原家もまた然り。


「なんだか、美味しいというよりは…、新しい発見ばかりでした」

「フォアグラやキャビアなんて、珍味であって美味ではないからな………」


正直、フォアグラなんて吐瀉物かと思った。

これを好んで食べるやつがいるなんて、世界は広いな。

………飽く迄、主観だけど。



「それにお値段も………」

「そうだな………」


思い出させるなよ。

一応下してきてたから足りたけど、心元ない重さしか感じられない。


「「はぁ…」」


二人して溜息。高い金払って苦労を買ったように感じる。

もはや苦行だった。

苦労は買ってでもしろというが、苦行は違うよな。


「本当に全部払ってもらって…申し訳ないです」

「そのぶん肇には頑張ってもらうさ」


今後の肇に期待を込めてそう微笑み返す。投資だと思えば安いもんだ。


…そうだよ。空元気だよ。



「しっかり頑張らせてもらいます…」

「ああ、是非そうしてくれ…」


「それで、この後どうします?」


この話題は終わりと言わんばかりに、肇は俺を見ながらそう問いかけてきた。

時刻は八時と三十分を少し過ぎたあたり。

確かにこのまま解散って言うには早い時間だ。


「何言ってんだよ。寮まで送ってやるから帰るぞ」

「…そういうと思いました」


一般論だ

肇はアイドルだし、それ以前に未成年の高校生だ。

プロデューサーとは言えども、男に連れ添って夜遅くまで出歩かせるわけにはいかない。



………それに、肇だからこそだ。


同時に、俺たちは一般論からかけ離れたところにいる。

俺なんかの事を好きでいる肇。

肇の事が好きな俺。

アイドルとプロデューサーという立場。


通じ合っていることを確信しているのは恐らく俺だけだが、それでもあまりにも許されざる行為だ。

肇のファンに対しての背信行為を俺自身が率先して行うわけにはいかない。

あまりにも不誠実で、肇を信じてくれる人たちに申し訳が立たない。


肇自身にもだ。

俺の幼稚な恋心なんかで汚してしまいたくないんだ。



「ほら、帰ろうか。アイドルを夜遅くまで連れ回す訳にはいかないんだよ」

「…はい」


頭の中で咀嚼した、言うべきことだけを簡潔に纏めた。

模範的な解答が、俺たちにあるべきものだと信じて。


だから、肇。

そんな、今にも泣き出しそうな顔で、絞り出したかの様な澄んだ声で、答えないでくれ。

俺の決意を鈍らせないでくれ。


「………行くぞ」

「あっ…」



俺の決心が鈍らないように内に強引に肇の手を引いてその場から連れて行く。

他ならぬ肇の為に。


こんな往来のド真ん中でアイドルの手を引いて歩くなんて、俺は何やってるんだろうな。

初めは強引に引っ張られているだけだった肇も、次第に俺に歩調を合わせる。


並んで歩いている訳ではない。

手を引く俺の一歩程度後ろを肇が付いてくる。

…俺の手をしっかり握り返しながら。


早足で歩みを進める俺に、遅れないように肇は歩みを急ぐ。

時折聞こえてくる息切れには気付かない振りをする。

今振り返って肇を気遣うと、俺の決心は無駄になってしまう様な気がしたから。



車を付属の駐車場に止めていたにも関わらず、俺はそこを通り過ぎて未だ肇の手を引いて歩いていく。


歩くと言ってしまうと語弊がある。

最早、小走りといっても過言でないスピードになっていた。

すぐ後ろから肇の荒い息遣いが聞こえてくる。

ダンスレッスンなどで体力を鍛えているとはいっても、所詮は女の子だ。

二十代の成人男性の体力には到底及ばないだろう。


幸か不幸か、此処から寮まではそう遠くない。

せいぜい二、三キロメートルと言ったところか。


………何が幸か不幸か、なのか。白々しい。


肇にとっては食後にいきなり走らされて不幸に決まっているのに。

幸せなのは、俺の方なんだ。

こんな状況であっても、肇と手をつないで往来にいるなんて、それが嬉しいんだ。


絶対にそう思ってはいけないのに。



「ハアッ、ハアッ…」

「ほら、肇。寮に着いたぞ」


手をつないで、なんて、烏滸がましい表現だ。

ただ肇の手を無理矢理引っ張って寮の前まで連れて帰ってきた。

片手で膝をついて息を上げる肇を気遣う様子は見せない。


「疲れさせちゃったな。今日はさっさと寝て明日に備えるんだぞ」


なんて言いながら、もう片方の手はまだ繋がったままだ。

そう言っている俺も、振り払ったりという動作をしないでいる。


………本当に、俺は何やってんだか。


「はぁ………ふぅ、少し…疲れてしまいました。もう少しだけこのままで………」

「そうか、少しだけな…」


少しだけ、というのは何の事だろうな。

息を整えることなのか。

………それとも、俺と手を繋いでいる事なのか。


依然繋いだまま離れる様子のない肇の手から汲み取ったのは、恐らく後者であること。

肇を気遣う素振りを見せつつも、決して肇を振り返らない。


内包した感情がマグマのように感じる。

ぐつぐつと煮えたぎり、ふつふつと湧き上がってくる。

身を任せてしまいたい衝動に駆られるが、それは許されることではないんだ。



「もう大丈夫です。お待たせしてしまいましたか?」

「いや、俺の方は構わないよ」

「ありがとうございます。やっぱり、お優しいですね…」

「それはどうも………」


多大な自嘲を含んでいた。

それをたった一言だけで、全て吐露できる訳ではないけど。

何が優しいもんか。

車があったてのに、俺は、俺の都合だけで肇を引き回したんだ。


「それでも、私は楽しかったです」

「そっか………」


俺の一言から全ての真意を掬い取ったわけではないだろう。

それでも肇は、俺を気遣ってか楽しかったと言った。


そんなわけないのにな。

ただ、きつかっただけだろう?

無理して俺に合わせてくれなくてよかったのに。

手を振りほどいてくれて構わなかったのに。


………そんな態度取られたら期待してしまうだろ。


俺と手を取り合って、此処まで帰ってきたって事が楽しかったって。

俺と同じだって、許されない期待をしてしまうだろ。



「プロデューサーは、私がアイドルだから。心配して早く帰るように言ってくれたんですよね…?」

「その通りだ。それ以外の事なんて無いんだよ」

「それでも、嬉しかったです」


少し、違ったようだ。

肇の中では俺の都合のいいように解釈されていた。

まるで俺が望んでいることを分かっているように。


「だから、ありがとうございます」


…俺の考えと違うからって、俺が落胆しているなんて、きっと勘違いだ。

それで正しい筈なのに、俺は何を気落ちしているんだ。



「楽しかったっていうのは?」


そう言って、俺はようやく肇の方に振り返る。

気落ちしたまま無意識に余計なことを聞いてしまった。

俺のためにも、肇のためにも、しなくていい質問だったのに。

俺が望んでいた、あってはならない答えを求める様に。


「それは、ですね…」


肇は空いた手を顎に当てて少し思案顔。

言い淀んでいる、というよりも、言葉を選んでいるといった印象を受ける。

今更ながら、手を繋いだままであったことに驚いた。


「………プロデューサーと、手を繋いで帰ってきたことです」



肇は刹那の逡巡から明け、はにかみながら言った。

頭の中が火で炙られた様に熱くなるのを感じた。

少し間を置いた割には、随分とストレートな物言いだった。

それでも、その端的な言葉が俺に与えた衝撃は計り知れない。


………まさか、まさか俺が、一番待ち望んでいた事を言い当てるとは。


それはいけない事だと咎めなければならないのに、金縛りにでもあったように動けない。

恐らく肇より、俺の方がこの状況を楽しんでいたという、許されない事の確固たる証左だというのに。



「…プロデューサーは、どうでしたか?」


手を繋いで帰ったこと。

楽しかった。嬉しかった。

とても手を繋いで帰ったなんて呼べる代物では無かったけれど。

それでも俺は、肇とこんな風にできたこと、今までなかったから………


「………何言ってんだ。車で送らなかった事怒ってんなら済まなかった。謝るよ」


そう言って未だ繋がっていた手を振りほどいた。

手をほどく為だけとは言い難い力を込めて。


駄目なんだ、肇。

俺が正直に答えることで、俺たちは束の間の安寧を手に入れるだろうけど。

そんな虚構の夢に肇を陥れる訳にはいかない。

支払うリスクが大きすぎる。


俺は、本当に肇が大事なんだ。好きなんだ。

だから、態々そんな茨の道を歩ませる選択なんてできる訳ないんだよ。



断腸の思いとはよく言ったものだ。

引き裂かれるような痛みを胸に覚える。

俺は子を思う母ではないけれど、それでも肇を思う気持ちはそれをも凌駕するって自負するから。

だからこそ、受け入れることはできない。


「息が整ったなら早く部屋に帰れ。明日も仕事なんだぞ」

「………」

「何黙ってるんだ…。ほら、もう歩けるだろ?」


無理に手を引いて行った時とは偉い温度差だと、俺自身もそう思う。


でも、肇とはいられないって分かってたことだ。

突き放すタイミングが最悪であるほど、肇は遠くへ行ってくれるだろうから。



「プロデューサー………!」


肇を前にしても肇を見ていなかった俺の胸にふと何かがぶつかった。


………何か、ではない。

肇だ。


「肇!? 何やってるんだ! 誰が見てるかもわからないところで!」

「プロデューサー………もう、もういいじゃないですか。…私、知ってるんです」

「な、何を言って………」


誰が見てるかわからないなんて、どの口が言っているんだか。

さっきの俺の行動こそ、その通りなのに。


肇は俺の胸に顔を埋めて離れようとしない。

表情は隠れて見えない。

無理にでも引きはがせばいいのに、肇の込められた必死さがそれを許そうとしない


「私がアイドルだか、プロデューサーが………Pさんがプロデューサーだから、私を受け入れてくれない事、知ってるんです………!!」

「なんで、な、何を言ってるんだ………」

「私の事、好きですよね…? 誤魔化さないで………隠し事をしないでください………」

「自意識過剰だぞ肇! 俺がお前なんか好きになるわけないだろ!!」

「だったら…!」

肇は一つ息を込め、問いかける様に、でも有無を言わせぬ口調で言う。


「だったら………だったら、どうして泣いているんですか………」


胸の中にいた肇はいつの間にか顔を上げて俺を見つめていた。


俺が、泣いてる………?

頬をしっとりと冷たい何かが伝うのを感じた。

拭ってみると水滴がついている。

拭っても拭っても、止めどなく溢れ出てくるそれは、紛れもなく俺の涙だ。



肇に指摘されて初めて俺が泣いてるなんてことに気付いた。

俺自身の変化なのに、遠く感じる。


それよりも、肇に お前なんか好きになるわけない なんて。

そう告げたことに気を遣っていた。

そんなことあるわけないのに。こんなにも肇に惹かれているのに。


「もう、泣かないでください…。何も辛いことなんてないんです」

「くそ………なんで止まらないんだよ!」


そうだよ。


肇なんか好きになるわけないって、肇を突き放そうとしたのが辛かった。

辛くて辛くて、自分でも気付かない程に、涙が止まらなくなるほど辛い事なんだ。



「私とPさんの思いが通じ合ってしまったら、私に迷惑が係るから…だからPさんはずっと我慢してたんですよね………?」

「ああ、そうだよ。その通りだ。お前には嫌な思いをして欲しくないんだよ」


あふれる涙が止まる様子は無い。

情けない涙声で言い返す。

必死に隠してきたと思ったのに、とんだ無駄だった。

肇が知っていたなんて。そんなに俺は分かりやすかったか。


「迷惑だなんて、とんでもないです。Pさんが見つけてくれた私だから、Pさんのせいで不幸になるなんて事はないんです」

「お前の主観的な意見じゃないさ…俺がお前の事が本当に大切だから、俺みたいなつまらない奴なんかに構ってる暇なんて無いって言ってるんだ」



「つまらない奴だなんて、言わないでください… Pさんが居たから私は此処まで頑張って来れたんです」

「此処まで頑張ってきたからこそ、こんな奴のせいで足踏みしちゃ駄目だ………」

「足踏みなんかじゃありません。私がそうしたいって、そう思って選んだ道なんです」

「………アイドル、辞めるって事か?」

「………それが最善の道なら、吝かではないです」

「そうか………」


いつの間にか肇は、胸を預けるだけでなくしっかりと腕を回して俺を抱きしめていた。

俺の方はそれに応えることもなく、みっともなく涙を流しながら突っ立っているだけだ。

距離が近いだけ。


なあ、肇。気付いているか?

お前の発言からアイドルに未練があることが、ありありと伝わってくるんだ。



「でも、決めるのはPさんです。私だけでなく、Pさんも立場を投げ打ってしまう選択でもあると思いますから………」


どうしたもんかな、なんて、場にそぐわない第三者的視点で考えてしまう。

確かに、俺も事務所を追われるような形になると思うよ。

アイドルと付き合うから辞めます、なんてあまりにもふざけている。


肇の方もそうだ。

周囲には一身の都合だなんだなんて美辞麗句を連ねたとしても、結局誰からも祝福されないまま去っていくことになる。

いつ記者なんかに嗅ぎつけられるか分かったもんじゃない。

誰からも祝われずに、俺たち二人は日陰者のように暮らしていかねばならない。

実際にそういうわけではないが、弱い俺や何事にも真剣な肇が、のうのうと生きていける訳なんて無いんだ。


ありえない事だと、率直にそう思った。


あまりにも過酷な選択だ。

その重みに俺たちが耐えきれるだろうか。

俺たちの事を誰も知らない土地に行ったとしても、心情的な重圧はついて回る。

そんな困難に俺だけでなく肇まで巻き込んでしまう。

巻き込んでしまう、というより、当事者にしてしまう。

俺が必死に守ってきた意味も無くなる。





………………それでも。


それでも、肇と二人でなら乗り越えていけるんじゃないかって、そんな思いが胸中を占めていた。


今まで、俺一人で背負ってきた。

だから、気付かれてしまう様なボロもあった。

俺一人、押しつぶされそうな心持の中、耐え切れなくなって今に至っている訳でもある。


………でも、肇と俺と、二人でなら大丈夫かもしれない。

俺と肇。


言い知れない甘美な響きが俺の乾いた心に潤いを持たせていく。

本当の意味で俺は肇を守っていく。

肇はそんな俺を支えてくれるだろう。


足りない事なんて無いんじゃないか?


「なあ、肇」

「………なんですか?」


「今すぐには決められない」


………だからと言って、この場で激情に任せて選択を焦ることは間違っていると思った。


「また、明日。改めて話をしよう」


今後、どうするか。俺はどうしたいのか。


「わかりました。でも、今はもう少しこのまま………」


そう言って肇は回した腕に力を込めて、再び顔を埋める。


「好きです、いつまでも、ずっと好きですから………」


俺も抱き返したい衝動に駆られた。

でも、それは許されない。

受け入れたわけではない。問題を明日へ引き延ばしただけだ。


だからその場の欲求だけで、抱きしめ返すことなんて、許されないんだ。



___
__
_


「おはようございます、Pさん」

「おはよう、肇」


昨日と全く同じ挨拶を交わす。

………正確には俺の呼び方が違うけれど。

いつのまに名前で呼びだしたんだか。全く気付かなかった。


「今日の仕事の内容なんですけど………」

「ああ、午前中はレッスンが入ってるよ。んで、午後から………」


いつも通りの事務的な会話をする。

昨日あったことが嘘のようにお互いが冷静だ。



でも、俺と会話する肇の目は言外に、仕事終わりの俺との対話を望んでいるように見える。

わかっているさ。明日話そうって言ったのは俺の方なんだから。

火照った頭の中を冷やして冷静に考えるために、歩いて帰ったんだから。

冷静になった時、俺はお前をどうしたいのかしっかり考えたから。


「仕事終わったら、事務所で待ってろ。そんなには待たせないから」

「…わかりました」


何を、とは言わず端的にそう告げた。

勿論肇も意味を汲み取ってくれた。


期待と、一抹の不安を携えた瞳で俺を一瞥してレッスンへと向かっていった。


………俺は先ず、置きっぱなしにしてきた車を取りに行くか。


今日は時間が過ぎるのをとても長く感じた。

肇との大事な約束があったせいだろうか。

待ち遠しかった訳でもなく、考える時間が欲しかった訳でもない。


答えはすでに出ていたから。

ただ、今夜、肇との関係が劇的に変わるであろうという緊張が、そうさせたのかもしれない。


「待ったか?」

「いえ、先程帰ってきたばかりです」


そして今、俺は肇と向き合っている。


終業後の誰もいない事務所。

思えば、俺たちが始まったのもこの事務所だ。

当り前の事なんだけど、そんな事でさえ感慨深く思う。


あの時は、周りに沢山の人がいて、新たに仲間に加わる肇を歓迎してくれた。

その仲間たちも今はもう寮に帰っているだろう。


歓迎会の主役になって、照れながらも決意表明をしていた肇を見て、可愛いなって思った。

会った時からずっと澄ました顔ばっかり見てたから、こんな顔も出来るんだなって思って少し感動した覚えがある。


だから、アイドルとして、その素敵な表情をもっと見せて欲しい、皆に知ってほしいって思った。


………ちょっと欲張って、俺だけに見せて欲しいなんて、いけない事思ったりもしたけど。



それも今日までだ。


アイドル藤原肇は生まれ変わる。

俺たちが始まった場所で、新たな一歩を踏み出す。

終わりじゃない、始まりなんだ。


俺は一晩しっかり考えて、後悔しないって決めてきた。

いや、一晩なんて嘘だ。


俺はずっとこうすることを願ってきたじゃないか。

少しだ。ほんの少しだけ遠回りしたけれど。


………………肇は、今から正しい姿に戻る。


アイドルとして、遅すぎる一歩目を踏み出すんだ。



____


「………そんな、今、何て…?」

「言った通りだ。肇、お前を受け入れることはできないよ」

「どうして………どうして、ですか…!」


どうして、か。


やっぱり、俺が望む肇の幸せと、肇の望む肇の幸せが違ったからだっただろうな。


なあ、肇。お前アイドル辞めてもいいって言ったよな?

でも俺は、そんなの嘘だって知ってるんだ。


何事にも真剣だった肇が、中途半端な形でアイドルを投げ出す訳ないもんな。

それでも、俺に対しても真剣であろうとしたから、アイドルを捨てようとしたんだ。



俺は、肇に、俺のせいで嫌な思いをして欲しくない。

週刊誌や周りからの視線に晒したくないだけじゃない。

打ち込んでるものを奪って、枷になってしまいたくないんだ。


そりゃあ、俺が肇を拒絶することは、お前にとって嫌なことかもしれない。

でも、それは一時の感情でしかない。

時間が解決してくれるさ。


でも、俺を選んでアイドルを捨てたら、俺と顔を合わせるたびにその事を思い出さざるを得ない。

そんなの毎日が拷問みたいなもんだ。


それに、肇はとても魅力的だ。

俺なんか選ばなくても、引く手数多だろう。


「………Pさんは、私の事好きではなかったんですか…?」

「好きだよ、今でも。たぶん、これからもずっと好きだと思う」

「でしたら、どうして私を遠ざけるんですか………?」


駄々っ子みたいだって思った。

普段は大人びているけど、やっぱり年相応だ。

だからこそ、これからがあるし、こんなところで立ち止まってはいけない。


「同じ事を何度も言わせないでくれよ」


俺だって澄ました顔で言ってるけど、実際辛い。

今にも前言撤回してしまいそうだ。


好きだ! 俺とずっと一緒にいろ! と、言ってしまえたらどんなに楽か。

でも、そんな傲慢は許されない。


「だから、肇。終わりにしよう」


………そもそも、始まってもいないが。


「事務所、辞めるんですか………?」

「辞めないさ。お前の担当は外れるだろうけど…」


肇は始終俯いていて、どの様な表情をしているかはわからない。

でも、時折たてる鼻をすする音や、俯いた先の床に出来ている水溜りを見ると大体の予想はつく。


ごめんな、肇。

でも辛いのは今だけだから。


いずれ俺の事なんかすっかり忘れて、新しい出会いを見つけられる。

俺も、そうなることを心から願っているよ。



「なあ、肇! これは新しいスタートなんだ!」


湿っぽい空気を払拭するように、俺は場違いなほど大きな声を上げて笑いかけた。


「新しい………スタート…?」

「そうだ。今日、この瞬間から、肇はアイドルとしてやっと産声を上げたんだ」


こんな馬鹿みたいな奴の呪縛から放たれて、皆に歌を、笑顔を届けるアイドルとして。


「少しだけ遠回りしちゃったけどな。これで、アイドルとして胸を張ってステージに立てるんだから、しっかり門出を祝わないとな!」


もう俺という後ろめたさを抱えたまま、ステージに立たなくていいんだ。


「だからほら、顔を上げて笑ってくれ」



ようやく顔を上げた肇は、やはりというべきか、涙を流していた。

きっとそれは、あるべきアイドルとしての姿になった喜びからだと、言い聞かせる。


「辛気臭い顔すんなよ」

「うぐっ」


肇の両頬を摘まんで引っ張り上げ、無理矢理笑顔を取らせる。


「い、いひゃいです…Pしゃん………」

「泣き顔よりも笑顔が似合うって言ってるんだよ」


俺みたいに笑ってくれよ、肇。

作り笑いでも何でもいいから、笑顔で俺を見送ってくれ。


「わ、わかりまひたから…手を放してくだひゃい」

「…プロなんだから、しっかりこなせよ?」


そう言って手を放した。

俺の方が上手く笑顔を保てているかなんてわからないけど。


相変わらず肇の涙は堰を切ったようにとめどなくあふれている。

それでも、口元だけは笑おうとしている努力が見受けられた。

………まぁ、及第点をやるよ。


「肇も元気になったことだし、このあたりで失礼するよ」

「………そうですか」

「言った傍から暗い顔するなよ…!」


まぁ、今だけは仕方ないかな。

あまり引き伸ばしにするのも毒だ。


………俺にとっても。



「それじゃあ、肇」


さよならだ。


「さよなら………!」


俺は肇に左手を振って部屋から出た。

肇もそれに応えてくれた。


………最後まで、俺は笑顔でいられただろうか。



事務所を出てすぐ、何にも覆われていない顔に冷たい風が突き刺さる。


(雨………?)


風と共に水気を感じ空を見上げるが、またたく星が一望できるほどの美しい夜空が。

まるで、新しくなった肇を祝っているようだ、なんて、こじつけ臭いけどそう思う。


だとしたら、どうしてだろう。

なんで、なんで俺の視界はこんなに霞んでいるんだ?


………なんだ、俺、また泣いていたのか。

笑いながら泣いてるなんて、可笑しいよな。

なんだか最近、涙腺が緩くなったみたいだ。

それに、自分が泣いているなんて事にも気付けないなんて。

もしかして、肇と話してる最中もずっと泣いていたのかもしれない。

だって、スーツの胸元が尋常じゃあないくらいに濡れている。

………偉そうに、笑えなんて言ってたのに、俺自身こんなだったのか。


「………肇…!」


街の真ん中でみっともないくらいに大声を張り上げて泣いた。

往来を行く人々の視線が突き刺さるが、そんなもん全く気にならなかった。

当てどなく彷徨いながら、大声で泣き叫ぶ男を奇異の目で見るのは当然だ。


何が笑ってさよなら、だ。


俺ができてなかったんじゃないか…!

せめて肇には笑って欲しいと思ってたけど。


結局は二人で悲壮に暮れていただけだったんだ。


事務所の外に出て、中から聞こえてくる悲痛な鳴き声はきっと気のせいだと思ったけど。

そんな訳ない、お前だって辛いに決まってる。


でも、これでよかったんだ。

今だけ泣いて、これから笑っていられるのが、俺の………いや、肇のためだから。

俺が、俺のした選択のせいで、それがために肇を思って泣くなんて事をしてもしょうがないなんてわかっているけどさ。

………きっと肇は、俺を愛するって事よりも他に真剣に取り組む何かを見つけてくれるって信じてるから。


だって、肇は強い子だ。

弱くて矮小な俺とは違うから。


だから、だから肇。


「うっ………肇…、はじめぇ………」


今だけは、お前を思って寒空の下で泣く情けない男を、どうか許してくれ。


___
__
_

「おはようございます、プロデューサー」

「おはよう、藤原さん」


いつもと変わらない挨拶の風景。

変わったのはお互いの呼び方くらいか?


………あの決別の夜から、半年ほど経った。


俺は肇の担当から外れた。

肇の方はと言えば、担当のプロデューサーを付けずに一人で活動をしている。

逞しいもんだ。



当初はぎこちなくて、顔を合わせるたびにお互い固まっていた。

それに事務所での業務中に視線を感じて、そっちを見ると肇と目があったり………

なんて事が多々あったが、いつの頃からかすっかり無くなっていた。


今では、職場が同じだけの同僚って感じにまとまっている。


勿論、本人に聞いたわけではないけど。


お互いの中でいいように昇華されたならそれでいいだろう。

肇の方は消化かもしれないが………。


「肇ちゃんの送迎お願いできますか?」

「了解です。○○スタジオですよね?」



同僚のちひろさんに、ちょっと前までだったら御免被りたいようなことをお願いされても、難なく引き受けられる。


「肇ちゃ〜ん! プロデューサーが送ってくれますから!」

「わかりました。よろしくお願いします」


肇の方も、特に変わった様子もなくそれを受け入れられる。


「準備するから、先に車で待っていてくれ」

「わかりました」


車の中でも、特にぎこちなくなるようなことは無い。

いつも通り、平常運転だ。

…車だけに。


以前と同じように肇は助手席に座る。


俺はプロデューサーとして、肇はアイドルとしてのあるべき姿に戻った。

正確には、俺の肇に接する表面的な態度は何ら変わりなく、肇が俺に対して好意を示さなくなっただけなんだけども。


そこに至る過程は、俺と肇しか知らない事だけど。

傍から見れば、俺が担当を外れただけで、今までと何ら変わりはなく見えるだろう。



時間を巻き戻すなんて事は出来ない。

別にそうしたいとも思わない。


肇と居た冬空を思う。

互いに一方通行だった思いが、確かにあの時だけは通い合っていた。

肇を抱きしめ返すことはできなかったけど。

それは間違いでは無かったと、正しかったとそう思う。


あの時………、いや、ずっと決めていた事だったから。


誰を責めることも、呪う事も間違ってる。

…言うとすれば、俺と肇が違う立場で、違う出会い方をしていればよかったかな。



肇はアイドルとしてますます名を上げている。

個人プロデュースなんて道も模索しながら頑張っている。


………肇は、俺への感情を忘れて、新たに大きなものを手にしようとしている。


俺の願った通りだ。


寂しさがないか、と問われ、無いと言えばそれは嘘になる。

正直、寂しいし、前みたいに俺に触れてほしいとも思う。

だけど、過去の俺のした選択に対して、後悔は一抹もない。

俺の願った、肇の本当の幸せがそこに実現されているから。


肇の俺に対する思いが本当に消え去っているかどうか何て俺に知る由は無い。

もしかしたら、消し去った振りをしてまだ燻っているかもしれない。

または、本当に綺麗さっぱり捨て去ったかもしれない。


後者だと………やっぱり、寂しさは拭いきれないけれど。





でも、どちらであっても俺は変わらないさ。


肇を好きだって、愛してるって感情は、いつまでもこのまま消える事無く、俺の中に刻まれているから………

おわり

ありがとうございました!
どうしようかと思いましたが、ハッピーエンドでよかったです。
モバP「ダブルクリック!!」
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モバP「愛してるって形」
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過去作です。宜しければどうぞ。
年末年始で3本もかけて大変満足したので俺は消えます。さようなら。

すっかり忘れていたけど本日1/1は俺の愛する道明寺歌鈴様の誕生日です。
各自お祝いを忘れぬように!

01:30│藤原肇 
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