2014年01月21日

モバP「凡人と第六感」

黒川千秋さんのSSです。
勝手設定&ご都合主義あり。まだまだ未熟者ですので、いろいろとご容赦を。
書き溜めは少しありますが、見切り発車なのでペースは遅めです。
週一から二を予定していますが、七月中はちょっと忙しいのでそのペースから外れるかもしれません。
都合上、千秋さんのPに対する呼び方が「プロデューサー」から「Pさん」になっています。その点もご容赦ください。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1374387796

 私はつまらない人間だと、よく言われる。まあ、残念なことに、それは極めて的を射た表現だ。なにぶん私は、目立った特徴も、特技も、能力も持ち合わせていない。

 幼少期は、そうでもなかった気がする。何でも手を出して、何でも出来た。英会話にも行ったし、そろばん教室にも行った。書道を教わったこともあるし、劇団なんかに所属したこともある。運動も出来たし、成績も悪くなかった。

 ただ、これといったものはなかったと思う。よく言えば万能といえたが、悪く言うと器用貧乏とも言える子供だった。特技は何か、と聞かれても、思い当たるものは何もなかったのだ。

 結局、そのまま成長した結果、何でも人並みぐらいには出来るけれども、突出したものは何もない大人になっていた。

 強いて言うなら、多少のコミュニケーション能力はあった。それでも、人より少し会話のネタがある程度だ。色々なことに手を出していた恩恵だろう。

 昔の中国の偉い人は、”十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人”とか言っていたそうだが、まるっきり私のことだと、聞いたときに感じた。そんな数千年前に自分のことを予言されているなんて、人間の本質は昔から変わっていないらしい。

予言されているなんて、人間の本質は昔から変わっていないらしい。

 ――凡人とはなんだろうか。

 だから、そんなよくありがちなそんな問いかけに対して、私はいつもこう答えることにしている。

 ――私の様な人間じゃないか?

 これも良くある答えだ。しかし、真理でもあると、半ば確信していた。

 そんなつまらない人間が変わるとすれば、きっと劇的な出会い……。それも運命と呼べるようなものが必要だろう。

「――あなた、つまらない人ね。でも、悪くはないわ」

 だからきっと、これがその『運命』とやらなのかも知れない――。

 数日前までは、まだ肌寒さが残っていたというのに、連休が過ぎれば急に暑くなるというのはどういう了見だろうか。文句を言えるものなら、天気に言いたいものだ。

 冷え込み対策に持って来た、くたびれたトレンチコートはただのお荷物となっている。お陰で私の左腕は、コート掛けに変わってしまっていた。

『全く、どうにもならないね』

 三十路を間近に迎えて、早くも体の自由が利かなくなってきている気がする。社会人になっても、運動だけはそこそこに出来るつもりだったが、早熟型とあって衰えが早いのかもしれない。

 無趣味なことだし、ジョギングか、ジムかどこかにでも通ったほうがよさそうだ。不摂生はしていないが、どうしても運動不足は否めない。

『その内、腹も出てくるかも知れないな』

 そんな自嘲を零しつつ、私は勤め先の会社へと向かう。会社とは、小さな芸能プロダクションだ。もう、勤続七年ほどになる。

 まあ、芸能プロダクションとはいっても、プロデューサーやマネージャーといったアイドルを支える仕事ではなく、営業や広報といった、さらに裏方だ。アイドルやタレントと直接関わり合うことは、まずなかった。

 無論、姿を見ることはよくあるし、書類で顔は良く知っている。ただ、話す理由もないので、せいぜい挨拶をする程度だった。

『おはようございます』

 小さな雑居ビルの三階にある事務所にたどり着き、挨拶をする。すると、既に来ていたらしい社長と、ちょうど鉢合わせた。

「お、Pくん。おはよう」

『おはようございます、社長。今日はお早いのですね』

「ああ、ちょっと今日は商談というか、交渉の大きなものがあってね」

『交渉ですか』

 そんなものはあったかな、と頭の中のスケジュール帳をめくってみるが、思い当たるものはない。もっとも、営業広報に関係のない交渉の可能性もあるので、一概には言えなさそうだ。

「ああ。Pくんは、”シンデレラガールズ・プロジェクト”について知っているかな?」

 ふと社長がそんなことを聞いてくる。私は頭の中のページをもう一度めくる。そうして、数秒の後にピンと来た。

『ええ、はい。確か、とある企業経営者がいくつかのプロダクションを買収して、大きなプロダクションを作る、という計画ですね』

 ここのところ、業界でたまに話題に上る、新設プロダクションの計画名だ。既にいくつかのプロダクションが買収され、社屋の建設もほとんど進んでいるとかなんとか、そんな話を聞いている。

 ただ、この浮き沈みの激しい業界で、どこまで通用するかは怪しいとは思っていた。それに、その経営者の名前は、少なくともこの業界では聞き覚えのない物だった。

「聞くところによると投資と先物取引で稼ぎ上げた資金を元に、小さな企業を数年で株式上場企業に育て上げたほどの辣腕らしいね」

『はぁ……。それで、そのシンデレラガールズが、どうかなさったのですか?』

 いまいち話が飲み込めず、私は社長に聞き返す。社長はというと、少し困った表情で苦笑すると、

「実は、至るところでアイドルとスタッフの引き抜きをやってるらしくてね。今日の交渉とやらも、その一環らしい」

 と言う。私は何を言っているのか分からなかったが、数秒後それを理解し、少し驚いた。普通引き抜きなんてものは、引き抜きます、と宣言してするものではないと思っていたからだ。

「引き抜きと言っても、ヘッドハンティングみたいに奪っていく、というよりも、補償金で契約を買い取るやり方らしいがね。あまり馴染みがないから、良くは分からないが」

『……なんだか、えらく外国の会社みたいなやり方ですね』

 よほど、人を見る目があるのだろう、と私は思った。実力重視の契約主義。日本では少し異質なやり方なのだろうが、成功しているところを見ると、それが辣腕と呼ばれるゆえんなのかもしれない。

「まあ、こんな小さな事務所から引き抜く人材はいないだろうさ。すまないがPくん、お客さんがお越しになったら応対してくれるか」

『ああ、はい。分かりました』

「よろしく頼むよ」

 社長は事務所の奥の給湯室に入っていく。しばらくして、湯気を上げるコーヒーカップを片手に出てくると、そのまま社長室の中へと入って行った。

 私もそれに倣い、給湯室で熱いコーヒーを入れる。時刻はまだ八時を過ぎたばかりで、他の社員は来ていない。この事務所のプロデューサーもまだ来ていなかった。

『引き抜き、ねぇ……』

 その話自体に興味はなかったが、一体どんな人物で、一体どんな人物を引き抜いているのか、というのは気になった。無論、自分のような平凡な人間ではなく、どこか突出した才能を持ち合わせた人物を探しているのだろうが。

 こぽこぽと音を立てて入っていくコーヒーミルから離れ、私は一旦自分の席に戻ると、有線放送の電源を入れる。適当にチャンネルを回して、音量を調節した。

『こんなものかな』

 私は小さく呟くと、一息をつく。

 この有線放送は、何年も前に社長が設営したものだ。ただ、今では使う人もほとんど居らず、なんとなく私がその管理をしていた。社長も、”せっかく契約したのだから、どうせなら流してもいい”と言ってくれた。

 無趣味な私ではあるが、音楽を聞くことは嫌いではなかった。かといって、どこかに音楽鑑賞へ行ったり、ライブを見に行ったりと言うことはない。

 ただ、嫌いではない、と言うだけの話。端的に言えば、どこにでもいる一般人の”音楽好き”である、と私は思っていた。

 そうして私は音量調整に満足すると、給湯室へ出来上がったコーヒーを取りに行き、自分の席へと着いた。

『……ん?』

 そして、コーヒーを飲もうとした時、プロダクションのドアを叩く音がした。私はすぐに立ち上がると、急いで扉の方へと向かう。

『はい、どちら様でしょうか』

 そう言って声を掛け、扉を開けると、目の前にいたのは恰幅のいい壮年男性だった。まだ四十にも行っていないのではないだろうか。恰幅が良いとは言ったが、その肉体はたるんでいるというわけではなく、活気にあふれている。

 その壮年男性は、少し笑みを浮かべると、

「あー、こちら中小プロダクションさんで、お間違えありませんかな?」

 と、名刺をこちらへと出しながら尋ねてくる。慌ててそれを受け取ると、名刺には”シンデレラガールズ・プロダクション 代表取締役及び経営責任者”との文字が見えた。

『これは失礼をいたしました、シンデレラガールズの方でしたか。お話は伺っております、社長室の方へご案内をさせていただきますね』

 どうやら社長の言っていた辣腕経営者と言うのは、この人のことらしい。年齢で言えば当然ながら私の方が若いのだが、経営者と言う点で見れば、彼は異常なほど若い社長であるように思える。

「うむ、済まんね」

 シンデレラガールズの社長はそういって、少し笑う。その表情だけ見ると、どこにでもいる普通の男性だ。噂で聞く様な辣腕ぶりはあまり感じない。

『社長、シンデレラガールズの社長様がお見えになりました』

「ああ、Pくんか。入ってもらってくれ」

 社長室の中から社長が返事を返してくる。私は、失礼します、と一言声を掛けてから扉を開け、シンデレラガールズの社長を中へと案内した。

 中ではうちの社長が書類を用意していたようで、小さな商談机のソファに座っていた。

「ああ、Pくん。社長さんに何か出して差し上げてはくれないかな」

『ああ、はい。かしこまりました』

 私は二人の社長に軽く会釈をすると、社長室から出る。そうして、給湯室へ向かい、茶請けと緑茶を用意し、再び社長室へと戻る。

『失礼します』

 私は再び声を掛け、扉を開ける。

「それで、こちらのアイドルは――」

「ええ、はい。人数は少ないですが――」

 二人が商談をする声が聞こえる。私はその邪魔をしないように、可能な限り視界に入らないように慎重に茶請けと緑茶を置くと、さっさと社長室から退散する。

 そもそも商談の最中に余人が入ること自体、あまりほめられたことではないが、まあ、そこは命じられたことなので仕方のないことだ。

 そうして私は、とっとと自分のデスクへと戻る。なんだかんだで、私は広報としても、営業としても有能ではない。なので、仕事をこなすにはさっさと取り掛からないといけないのだ。

『あ、冷めてる』

 ようやく口をつけることが出来たコーヒーは、ちょうどいいぐらいに温くなっていた。とはいえ、個人的には熱いコーヒーが好みではある。

 ただ、いまさら淹れなおすのもどうかと思ったので、私はそれに口をつけ、少し啜る。

『冷めても、まあ、行けるかな……』

 そんな感想を零しつつ、私は仕事に取り掛かった。

本日の更新はこれで終了です。次回の更新は未定ですが、できれば一週間以内にはしたいと思っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
『はっ、はっ、はっ……っ』

 私は急いでいた。というか、完全にデジャヴュである。昨日もまるっきり、こんな感じだった。そうである、案の定残業が長引いたわけだ。

 ただ、少し違うのは、昨日よりも大よそ二十分の猶予があることか。先ほどプロダクションを出た時は九時三十分だったから、このペースで行けば四十分には着けるはず。

 私の乏しい頭で試算した結果がそれだ。ただ、問題は――。

『ああ、もう……っ! 千秋さんのっ、番っ! 終わってるかも、知れないね……っ!』

 擦り切れた革靴が、がつり、がつりと悲鳴を上げる。大通りから一本逸れ、二本逸れ、そうして、私の帰宅路へと入り込む。

 一番最寄りのジムはどこにあるのだろう。そんな現実逃避をしつつ、私は血反吐を吐くかもしれないと錯覚するほど、足を動かす。

 そうして、見えたあのバーの扉は、やはりぴったりと閉まっている。肝心なのは、その向こう側だ。あの防音扉が閉まっているのが最悪で、その次は千秋さんの番が終わっていることだ。

『頼むぞぉ……』

 私は呼吸を整えると、祈るような手つきでドアの取っ手に手を掛ける。その向こう側には――。

『……一応、間に合ったみたいか』

 私は、とりあえず安堵する。目の前にあったのは、少し錆びた、鈍色の防音扉。その向こうから音は聞こえないが、まあ、防音扉だから当然だろう。

 そうして、今度はその防音扉に手を掛ける。もう夜も遅いのだ、騒音の訴えが出てはいけない。本来なら、演奏中の入退場は控えたいところだったが――。

『……許してくださいよ、近隣住民の皆さん』

 謝罪の言葉を呟き、防音扉に手を掛ける。ぐぐっ、と力を込めると、がきん、と硬いロックが外れる音。店の扉を閉めつつ、私は店内へと滑り込んだ。

 その瞬間だった。

『――ッ』

 体が、固まった。今日は、クラシック曜日のはずだったが、私の耳に聞こえてきたのは、流麗なバイオリンの音でも、芳醇なピアノの音でもなかった。

 聞こえてきたのは、声。長く、高く伸びる、透明な声。他に楽器の音色は聞こえない。クリアなその声、ただ一つだ。

 なのに、指一本さえ、動かすことが憚られた。それほどの声量と、音質。圧倒される、声の奔流。今まで感じたことのない声圧だ。

 ただ、ほんの一瞬。ところどころに私は違和感を抱く。それが何かを、私は知らず、そして知ることもなく、気が付けば私は壁にもたれ掛かって座り込んでいた。

「びっくりしたかい、お客さん?」

 そんな声が、頭上より降りかかる。私は見上げると、そこにいたのはマスターだった。

 私は少しだけ力なく笑う。

『……ええ、圧倒される、というのはこういう事なのでしょうね』

 足に力を込めて、私は立ち上がる。体中のエネルギーを持っていかれたような気がする。そのぐらい、千秋さんの声は私の体に、畏敬の念を抱かせたのだ。

『すみません、いつものを頂けますか』

「あいよ。サラダセットとブレンドコーヒーだね」

 マスターはカウンターへと戻っていく。そのあとを追うように、私もカウンターへと座り、鞄を置いた。今日は、仕事はないのでゆっくりと夕食を楽しめそうだ。

「あら、Pさん。約束通り、来てくれたのね」

 今度は、そんな声が背後から聞こえる。振り返ると、そこにはいましがたステージから降りてきたばかり、と言ったような千秋さんの姿。

 額からは汗を滴らせ、その黒髪はしっとりと濡れている。浮かんだ汗は、その白い肌と相まってさながら真珠のようだ。

 こう言っていると、私が奇妙な性癖を持っているように思えてくる。もっとも、そんな性癖の一つや二つあれば、私もここまで平凡な人間たり得なかっただろうが……。

『ええ、凄まじい歌声でした。千秋さんは声楽を習ってらしたので?』

「そうよ。私、クラシックが好きなの。それで、いつかはクラシックの歌手になって見せよう、と思っていたの」

 そういって微笑む彼女は、どこかつまらなさそうではあった。その理由は定かではない。気分を害することは言っていないはずだが、彼女の眼は私をじっと見据えている。

『……どうか、しましたか?』

「いえ、それだけなのかしら、と思っただけよ」

 彼女の言い方はどこか、不満げである。これ以上ないぐらいに褒めたつもりだったが、まだ賞賛が足りないと言うのだろうか。

 私は、次の褒め言葉を考える為、頭の中の辞書を引っ掻き回す。が、ちょうどいい文面が出て来る前に――ふと、浮かんだ言葉が口をついて出てしまう。

『……そうですね、感動はしなかったです。とても凄まじい声ではありましたが』

「っ、どういう、ことかしら」

 少し、彼女の目つきが厳しくなった気がした。

 今更、しまった、と思ったところで口から出た言葉が撤回できるわけでもない。そして、それを申し出たところで、彼女は言葉の真意を確かめるため、私に詰問をしてくるだろう。

 やらかした、というのが本音だった。こういう失言をしないために普段注意していたのだが、今日は少し気が緩んでいたらしい。

『あー、と、その。素人の勝手な感想ですので、気になさらない方が宜しいですよ?』

「いい、Pさん? 聴衆のほとんどは素人なの。素人の意見や感想は、私にとってはこれ以上ないくらい必要な物。だから、ぜひとも教えてほしいの」

 なんてことだ。完全に退路は遮断されている。袋の鼠というやつだ。口は災いの元と言うが、まさしくその通りだ。

 二十歳過ぎればただの人、の格言しかり、昔の人はどうも私のことを言い当てるのが得意らしい。というよりも、格言が当てはまるような平凡な人間という証左なのだろう。

『えーっと、ですね。その、何と言ったらいいかわからないのですが』

「おっ、どうかしたのかい」

 そうやって言いよどんでいるうちに、マスターがサラダセットとブレンドコーヒーを持って戻ってくる。

 私は助かった、という思いでしかなかった。とりあえずこの場をとりなしてもらおう。そう思っていたのだが……。

「聞いてくれるかしら、マスター。Pさんが、私の歌では感動してくれなかったそうよ?」

「ほう? そいつはどういうことだい、お客さん。千秋ちゃんをステージに立たせた身としちゃ、俺も気になるねぇ」

 怪訝半分、興味半分と言った様子でマスターは聞いてくる。何と言う事だ、完全に包囲されている。

 もっとも、それはそのはずで、マスターは間違いなく千秋さんの歌声を聞いて、ここのステージに立たせる価値があると判断し、そして立たせたのだ。

 その結果、ただの素人でしかない私が感動しなかった、とのたまったら、それは気にもなるだろう。

(いや、正確には全く感動しなかったわけではないんだけど……。説明が、ええい、もうどうにでもなれ)

 私は半ば自暴自棄になりながら、内心でそう叫び、そしていつも通り頭の中で整理をし始める。

 確かに、彼女の声は凄まじい物だった。だが、感動はしなかった。この矛盾点をどうにかして説明しなければならない。

 そうして、十秒ほど考え込んだ後、私はゆっくり口を開く。

『その、何というか……。変な例えで申し訳ないんですが』

 じっと見据えてくる千秋さんの目が、どうにも怖く感じる。マスターはマスターで、興味津々、と言った様子で私を見据えてくる。

 何とも居心地が悪いが、私は意を決して言葉を吐きだす。

『ものすごく透き通る声だったんですが、その、いかにも人為的な声というか』

「……どういう事かしら」

 少し威圧的だった千秋さんの目が、途端に疑惑の視線へと姿を変える。ああ、怒っているな、と思った。当然だ、自分でも何を言っているのかちょっと分からなくなってきている。

 私は、やはり頭の中で整理をしつつ、目まぐるしく言葉を探した。

 そして次の瞬間、ティンと来た。そう表現するしかない。もし私の頭の上に電球があるなら、ぴかり、と光っている事だろう。

『……そうですね、”ガラスの声”、という表現が一番しっくりきそうです』

 なんというか、胸のつかえが取れた気分である。そうだ、彼女の声はまさに”ガラスの声”なのだ。

 とはいえ、それを上手く説明することはできない。彼女の声を表現する言葉を見つけたと言っても、それは私の中での話であり、そこで帰結してしまっている。

 さて、どうやって彼女に説明し、そして説得するか。そう私が考え始めた時だった。

「……なるほど、分かったわ」

 千秋さんは、キッと鋭い視線を私に投げかけると、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、

「マスター、二日間お世話になったわ。ありがとう」

 と言って鞄を持ち、かつり、かつりとヒールの音を鳴らして店の出口へと向かっていく。

「おう、またおいでよ、千秋ちゃん」

「ええ、そうさせてもらうわ。それと……」

 千秋さんは、出口の前でくるり、と振り返る。ふわり、とその長い黒髪が弧を描く。

 そして、彼女は射抜くような目で、私を見据える。……なんだか、蛇に睨まれた蛙の気分だ。

「また、お会いしましょう、Pさん?」

『え、あ、その』

「……ふふ、それでは、ごきげんよう」

 彼女はくすりと笑う。怒っていないのだろうか、と私は思ったが、むしろ上機嫌にさえ見える。一体どういう事だろうか。

 そんな風に考えた次の瞬間には、ちりん、という小さな鈴の音を鳴らし、彼女は扉を開けて去って行った。

『……行ってしまったな』

 私はそう独語した。何とも、悪いことをしてしまったかもしれないと思いつつ、私はため息をつく。そのため息を拾ったマスターが、

「まあ、気落ちしなさんな、お客さん。ところで、さっきの”ガラスの声”ってのは、どういう意味だい?」

 と尋ねてくる。

『いえ、その説明が難しいのですよ。私の中では、こうだ、というイメージはあるのですが』

 私がそう説明すると、マスターは苦笑し、

「ふぅむ、お客さんはどうも、独特の感性を持っているんだろうなぁ。俺にはさっぱりだよ」

 と言う。

『そんな、私はそんな大層な物なんて持ち合わせていませんよ』

 私は苦笑をした。そうだ、私はたぐいまれなほどの凡人である。そんな凡人の、第六感ともいえるそんな表現なのだ。他の人間には理解できるわけがない。

 それは、以下にも高尚なお話、というわけではなく、ありていに言えば、たとえ話の下手な人のたとえ、の様なものだろうと思う。

 ただ、それにもかかわらず、千秋さんは察したように帰って行った。それが少し、分からない。あんな下手な説明で理解できたわけもなく、ただ、彼女はそれで満足したのだ。

 いったいどういう事なのだろう。疑問は解決する余地を見せることなく、なす術を失った私はコーヒーカップを手に取り、口へと運ぶ。

『……う、冷めてるな』

 そんな呟きが、バーの中で一つ、宙へと消えたのだった。

今回の更新は以上です。少し間が開いてしまいました。
冷房の設定温度の下げ過ぎは良くないですね。
皆さんはクーラー病にかからないように、お気を付け下さい。
 世の中とは、残酷な物である。理由は単純で、努力が報われるとは限らないからだ。

『……駄目みたいだな、やっぱり』

 私にしては珍しい、気合の入ったあの決意から六日。意気軒昂にして業火のように立ち上った私のやる気は、一日ごとに確実にそぎ落とされていた。

 つまり、端的に言えば、あれから一切の成果が上がらず、私は途方に暮れたのである。

 おまけに、私が取ってきた仕事はそれほど大きくなかったため、事務所の経営の足しになることはおろか、経費諸々含めるとプラスマイナスゼロに近しい有様である。

(……結局、才能の欠片もなかった、というわけだな、私には)

 小さくため息をつくと、私は事務所の鍵を閉め、帰路につく。時刻は六時を過ぎたところで、そろそろ夕食時だった。

 今日は残業もないと言うのに、気分は重いままである。どうせなら、残業をせざるを得ないほど、たくさんの仕事があってほしいと思う。

『……もう、いいかな』

 諸々の諦めが混じった、そんな呟きを一つ零すと、私は決意表明の通り、この一週間近く行っていなかったあのバーへと、足を踏み出した。

 結局、明日がシンデレラガールズの社長への返答期限なわけではあるが、結論が出ているわけもなかった。

 そもそも、引き抜きに応じる応じない以前に、自分はこの仕事を辞めた方が良いのかもしれない、とさえ思えてきている。

 いっそ、辞めてしまおうか、だなんて考えが浮かぶも、転職の当てはないし、このご時世でわざわざ自分から無職になりに行く愚は犯したくはない。

 そんな保身的な考えが、私の無能さを良く表している、と思った。

『今日は……、すごいな。またクラシック曜日か』

 しばらく歩き、あのバーの看板が見えた。看板には黄色いチョークで書かれた”クラシック曜日”の文字が、店外の明かりに照らされている。

 本当に、私はクラシックに縁があるらしい。とはいえ、好きなクラシックジャンルがあるわけではないし、作曲家の名前も有名どころしか知らないわけだが。

 私はバーの扉に手を掛ける。そして、ドアノブを回し、扉を開けると、その向こう側へと足を踏み入れようとした。だが。

『……あれ?』

 古い味のある木製扉の向こう側に、鈍色の壁が姿を現す。がっちりとロックされたその防音扉は、この向こうで誰かが演奏をしている事を示していた。

(こんな時間から……? 少し早すぎやしないか)

 そう思った。そもそも、この時間は昼間営業のカフェからバーへと営業移行をしている時間帯であり、ほとんど客は来ない。だいたい七時くらいより集まり始めるのだ。

 もっとも、営業移行しているだけで店が閉まっているわけではないし、出入りは自由なのだが……。

『すみませんね、近隣住民の皆さん』

 十日ほど前と同じ謝罪を呟きながら、私は防音扉の取っ手へと手を掛ける。なんとなく、私はまた、既視感を抱いていた。

 ああ、あの日もこうやって扉を開けると、圧倒されるような、澄み切った声の奔流が――。

『ッ!? これ、は……ッ!』

 臓腑を貫く様な、伸びるハイトーン。清々しく、澄み切ったように聞こえながらも、氷のように冷たく、冷え切った声。

 ついさきほどまで抱いていた既視感は消え失せ、代わりに芽生えたのは危機感だ。

 これ以上、いけない。

 私は、声に関しては門外漢もいい所だ。だが、この声は”不味い”。そう直感で感じていた。あの時彼女に感じていた”ガラス”の声などではない。これは”氷”の声だ。もはや彼女の声でさえない。

 私は急ぎ扉を閉めると、急ぎ足でステージへと駆け寄った。

『千秋さん! ストップだ! 今すぐ歌うのをやめてください!』

「……P、さん?」

 驚いたようにこちらを見た千秋さんは、少しふらついたらしく、こちらへとしだれかかってくる。

 私は半ば抱き留める形で彼女の体を受け止めると、そのまま片手で椅子の所まで支えて歩き、座らせる。

(酷い汗だ)

 嫌な汗のかき方だ。先ほど抱き留めた時にも、体の熱の持ち方が少しおかしかったし、何より声に少し掠れを感じる。

 それにしても、マスターはどうしたのだろうか。こんな状態になるまで、マスターが放っておくわけがない。

「いやぁ、千秋ちゃん、店番させて済まなかったね。品物の発注遅れで買いに行く羽目になるたぁ……って、お客さんと、千秋ちゃん? いったい何があった?」

 そう思っていると、からん、という音とともに、大きな台車を押しながらマスター入ってきた。そして、千秋さんの様子を見るや、台車をその場に放り出して、急ぎこっちへとやってくる。

『マスター、すみませんが汗を拭くものと、それと水を!』

「お、おう、ちょっと待ってろ!」

 少し慌てた様子でマスターはカウンターへと向かい、二十秒ほど経って、タオルを二、三枚と、ペットボトルに入ったミネラルウォーターを抱え戻ってくる。

「ほらよ、これで汗を拭きな。それと水だ」

『ありがとうございます、マスター。とりあえず千秋さん、水を飲んでください』

「……ありがとう、Pさん、マスター」

 彼女は少し朦朧とした様子でペットボトルの水を飲み始める。その間、私は彼女の肩にタオルを掛け、額を拭いていた。

 そうしてようやく落ち着いてくると、どうも店内が酷く蒸し暑く感じる。クールビズの世の中、ワイシャツ姿の私でさえ、額に汗が浮かんできた。

 マスターもそれに気づいたらしく、カウンターの方へと戻ると、何やらリモコンを操作していた。それと同時に、天井に三か所設置されている空調機が音を立てて動きはじめる。

「千秋ちゃん、どうやら軽い熱中症みたいだな。ちょっとコンビニ行って、塩飴でも買ってくるよ」

 マスターはそう言い残して、台車をカウンターの方へと搬入してから再び外へと出て行った。

 残された私は、こくり、こくりとペットボトルの水を舐めるように飲む千秋さんを介抱しつつ、尋ねる。

『もしかして、空調を切ったのは千秋さんですか?』

 千秋さんは、力ない様子で少し頷くと、いつもの凛とした佇まいはどこへやら、まるで小動物のように水を飲んでいた。

 私は、まだ少し浮いてくる汗を拭きとりつつ、少し時間を置いては、また尋ねた。

『なぜ、そんなことを?』

 すると、彼女はペットボトルを口から離し、ゆっくりと答える。

「……昼過ぎに店にやってきたとき、マスターに店番を頼まれたの。でも、なかなか帰ってこないから、歌の練習をしようと思って」

 それで防音扉が閉まっていたのか。道理でこの時間から珍しく閉まっている、と私は納得する。

 が、結局空調を切ったこととどういう関係があるのか分からず、その件について聞くと、

「……空調は、乾燥するでしょう? 短時間ならともかく、長時間練習するときは喉に悪いのよ」

 と、彼女はばつが悪そうに言った。確かに一理あるが、それで体調が悪くなっては元も子もないだろう。

 彼女もそれは分かっているようで、少し練習に熱が入りすぎたわ、と自嘲するような言葉を呟き、またペットボトルの水をこくり、こくりと飲み始める。

『いくら喉を大切にする必要があると言ったって、これはやりすぎです。オーバーワークにもほどがありますよ』

 私は諌めるように彼女へと言う。

 ようやく店内の空調が効いてきたのか、蒸し暑さはなくなり、快適な温度になりつつある。千秋さんの体の妙な熱も、見たところマシになってきたようで、汗もほとんどない。

 あとはマスターが買ってくるだろう塩飴を、十分置きぐらいの感覚で一個ずつ舐めて休憩していれば、軽い熱中症だろうし、すぐ体調は良くなるはずだった。

「……さっきの私の歌声、どうだったかしら、Pさん」

 しばらく私は彼女の汗を拭いたり、濡れタオルを額に置いたりと、彼女の介抱を続けていたが、唐突に彼女がそう尋ねてきた。

 私は持ってきた濡れタオルを彼女の額に置くと、

『今はそんな状況じゃないでしょう……?』

 と、少し呆れながら言った。向上心が凄まじいことこの上ない、というのは欠点にもなり得るのだな、と思いつつだ。

 しかし、彼女は食い下がる。

「お願い、聞かせてほしいの。どうだったかしら、”ガラス”の声ではなかった?」

 少し期待を込める様な目だった。まるで頑張った子供が、成果を褒めてもらいたがっているように、思わず見える。

『……確かに”ガラス”の声ではありませんでしたよ』

 根負けした私は、少しため息をつくと、少し目を細めつつそう言う。ところが、彼女はやはり、

「それで終わりなの?」

 という目で見てくる。ようやく私は、その目が”褒めてほしがっている”のではなく、”忌憚のない意見を欲しがっている”のだと気づいた。

『あの声は、”氷”の声というのが、相応しいでしょうか』

「……どういう意味かしら?」

 彼女は怒る様子も見せず、即座にそう訊き返してくる。私は、当然ながら”ガラス”の声の一件と同じく、それを上手く表現する方法を知らない。

 ただ、少なくとも――。

『……まだ、”ガラス”の声の方が、マシに思えました。あの時と同じく、確かに透き通っているのですが、何というか……』

 私は少し言いよどむ。

 元々私は弁が立つ方ではない。コミュニケーション能力がある、というのはいわゆる世渡り上手、といった意味に近しく、いろんなことに手を出していたが故の引き出しの多さ、がその拠り所になっていた。

 だから、率直に言葉を投げるのは苦手である。吐き出したものは撤回できないからだ。失言を、弁で取り返す自信が私にはない。

 故に、きつい一言を明言するのは常に避けてきていたわけではあるが……。

『……温かみが、無くなったと言いますか。酷く冷たくて、感嘆よりも恐怖を与える様な声と言いますか』

 やはり、しっくりくる表現が見つからない。結局、これも私の直感的な表現であるわけで、第六感でしかないのだ。

「……そう」

 彼女は落胆したように、それだけ言うと、少し俯いた。ああ、こうなるから嫌なのだ。弁が立たないから、相手を傷つけずに意見を言うことが出来ない。

 どうしても、相手が傷つかないギリギリのラインが分からない。私は思わず、

『……すみません』

 と謝った。彼女が望んだこととはいえ、私は千秋さんを傷つけたことだろう。彼女ほどの実力の持ち主に対し、素人が何を言ったところで彼女の足しにはならない。

 以前彼女が言っていた通り、聴衆の多くはきっと、声の素人である。ただ、素人であるが故に、様々な感性と、様々な観点を有している。

 そんな中、一素人の私の意見を反映させたところで、私と似た感性と観点を持つ人にしか通じない、と私は思っていた。

「……どうして、謝るのかしら?」

 千秋さんは少し顔を上げると、じっと私を見てくる。私は、思わず目をそらしてしまう。

 やや上気した白い絹の肌に、良く映える黒のしなやかな髪。そして、吸い込まれるような錯覚を覚えるような、少し茶がかった瞳。

 それに、なんとなく気恥ずかしさを感じてしまったのだ。

 思えば、一回り近く年下の女性とこんなところで二人きり、というのはいかにも危うい気さえしてくる。

「私は、少し嬉しく感じているくらいよ、Pさん?」

 私が少しばかり目を背けていると、彼女はそんなことを言う。少し耳を疑い、眉をひそめると、彼女の方へと再び向き直る。

『嬉しい、ですか?』

「ええ、率直に意見を言ってくれる人は、貴重だもの。私の周りの人たちは、私を褒めるか、お世辞を言うかしかしてくれなかったから」

 どこか寂しそうに彼女は微笑む。その微笑に、思わずどきりとさせられる。いやはや、美人の微笑みとは、なかなか目に毒だ……。

「Pさん、もう一つ聞いてもいいかしら?」

 そうして彼女は、どことなく確認ような、そんな口調で私に言葉を投げかけてきた。嫌な感じはしない。ただ、なんとなく冗談やお世辞で済ますべきではない。そんな気がした。

『……ええ、構いませんとも』

 私は意を決して、そう答える。

「率直に答えてほしいの、お世辞抜きに。……私は、非凡に見えるかしら」

 彼女は、私にそう尋ねた。一瞬、私は言葉の意味を理解しかねた。非凡かどうかと問われれば、間違いなく非凡だろう。あれほどの才能を有するのだ。

 だが、私はどこか違和感を抱いていた。なんだろうか、この感覚は。何か、私は忘れている気がする。

 そうやって押し黙っていると、千秋さんはまた、じっと私を見据えてくる。その吸い込まれそうな瞳に、私も思わず見つめ返してしまう。

 と、私は気付いた。彼女の体が、小刻みに震えている。寒いわけではないだろう。だとすれば――。

(怖がっている、のか)

 もしそうなら、何を怖がっているのか。私は目まぐるしく考えた。だが、分からない。刹那、ふと私の脳裏に言葉がよぎる。

 ――平凡と無能の違いを理解したほうがいい。

 社長の言葉だ。理由は分からないが、いま無性に、その言葉が重要で、全てを語っている。そう思えてきた。

『……答える前に、一つ聞いてもよろしいですか、千秋さん。質問に質問を返すのは、失礼とは思いますが』

「……ええ、構わないわ」

 彼女の震えは止まらない。それがきっと、何かを怖がっている、あるいは不安に思っているのは明白である。その理由を聞きたい。

『何が、怖いのです?』

「……貴方が怖いわけではないの、Pさん」

 私の見透かしたような言葉に彼女は、おずおずと口を開く。いつもの凛とした、大人っぽい彼女の姿はどこにもない。そこにいるのは、年相応の一人の女性の姿だ。

「”ガラス”の声、という表現を聞いて、驚いたわ。私自身、私の声が”ガラスみたいだ”と思っていたのよ」

 偶然か、はたまた何かのいたずらか。彼女の声に対して、私と彼女自身の表現が同じだったのだ。彼女は続ける。

「私を理解してくれる人が現れた。その私の予感が、外れることが怖いのよ」

 縋るような目である。そして気付いた。私は考える間もなく答えていた。

『……千秋さんは、ごくごく普通の、平凡な女性ですよ。そういう意味では、平凡だと、私は思います。才能は間違いなくありますが』

 そう言っていた。同時に、私は我に返ったように、今自分が言った言葉と、社長から言われた言葉を反芻する。

 平凡と無能は違う。もしそうであるなら、”平凡だが有能”ということが成り立つのではないか――。

 気が付けば、私は社長の言葉の真理らしきものへと、たどり着いていた。このことが正しいのかは分からないが、少なくとも、私はそれが正しいと感じる。

「――やっと、出会えたわ。私の理解者に」

 彼女は満面の笑みを浮かべ、とても、とても嬉しそうに彼女は言う。まるで、長年探し求めていた宝物を見つけたような、そんな表情。

 私の目の前にいる女性は、確かに彼女は豊かな才能を有している。しかし、同時に、どこにでもいる、普通の女性なのだ。

 それが、証明しているような気がしていた。

「幼いころから私は、天才と呼ばれてきたわ。良家の子女として生を受けてから、ずっとよ」

 彼女は、ぽつりと漏らすように、自身の過去を言葉にして、吐きだし始めた。

「両親は厳しかった。黒川家の娘として、恥にならないように、様々なことを教え込まれた。楽器もだし、勉強もだし、そして声楽もその一つよ」

 声楽は、好きな物だったから良いけれどもね、と彼女は付け加えるように言う。私は、言葉をさしはさむ余地を見いだせなかった。

 さまざまなことを教え込まれてきた千秋さんの過去が、いろいろなことに手を出してきた自分と、ほんの少しだけ重なるような気がしていたからだ。

 もっとも、そんなことを面と向かって言うのは、彼女の過去に対する冒涜になるのだが……。

「教え込まれたものは、全部必死にやって、そして上手くなった。でも、周りの人は、私を天才だ、天才だと囃し立てるだけだったわ」

 彼女の悲しそうな表情が、少し胸を締め付けた。その気持ちは、少しだけ理解できる気がする。

 私も、幼少期はいろいろなことに手を出していたが、いつしか全部やめていた。それは、やはり一定の努力をすると、あるところで実力の向上が止まり、挫折をしたからだ。

 そこには確かに、目に見えない”才能の壁”が存在する。それを努力で超えることは不可能ではない。だが、乗り越えれば乗り越えるほど、次に現れる壁はだんだん高くなっていく。

 彼女は、その実力を手に入れるために、どれほどの努力をしてきたのだろうか。どれほどの”才能の壁”を乗り越えてきたのだろうか。それほどの努力をしたことのない私では、想像もできない。

 その努力を、”天才”の一言で片づけられるのは少し悲しい、と私は思った。

「Pさんが初めてなのよ、私のことを平凡、と呼んでくれたのは。……嬉しかったわ」

 彼女は、にこりと微笑んだ。その微笑みが、酷く眩しく感じる。

『やっぱり千秋さんは、どこにでもいる普通の女性ですよ。声楽がお上手で、かなりの美人という点を差し引けば、ですが』

 私は、その眩しさを誤魔化すように、お世辞の皮をかぶせた本心を言う。彼女は嬉しそうに笑うと、

「あら、口説いているのかしら?」

 と、冗談っぽく笑った。

『……一つ、聞いてもよろしいですか』

 私はそう尋ねた。彼女は、なにかしら、という表情で私を見返してくる。

 そんなきょとんとした表情の彼女へ、意趣返しのように私は、質問をする。

『私は、凡人でしょうか?』

 彼女が私にした質問とは、ほとんど真逆の質問だ。それを、私は彼女へ投げかけた。意図は、ほとんどない。強いて言うなら、何というか、未練を断ち切るためだろう。

 やれ神童、やれ才子と持て囃された、幼いころの記憶と決別するために。

 私の知らないところにあっただろう、”昔は神童だった”。そんなちっぽけなプライドを捨てるために。

「ええ、Pさんはとても平凡な方だと思うわ」

 千秋さんは、そんな私の思いを知ってか知らずか、何のためらいもなく私のことをそう評価した。

「同時に、とても有能な方だとも思うの。何といえばいいかわからないけれども……」

 でも私の第六感がそう告げているの。意外とばかにならないのよ、女の勘は。

 彼女が言ったその瞬間、胸のつかえがすーっと取れた気がした。なんだか、辞める辞めないとか、才能があるないとか、そんな悩みがちっぽけに感じてきた。

 不思議な物だ、と私は内心独語した。

『ありがとうございます、千秋さん。なんとなく、悩んでいたことに決着がつきそうです』

 私は、少しだけ笑ってそう言った。

 才能などない。昨日までそう思っていた私ではあったが、何のことはない。凡人である私が単純に努力をせず、諦めていただけだ。

 努力は才能、と呼ぶ人がいるだろうが、それはきっと努力をしなかった人の言い訳に過ぎないのだろうと思う。凡人である以上、努力をすれば上達はする。

 当然、努力をしても実らない人もいるだろうが、それは凡人だからではなく、その分野に関して才能がなかっただけのことだ。何もせずとも上達する、天才と同じく稀有な存在だろう。

 であるならば、私は凡人である以上、努力をすれば報われる。報われなければ、報われるまで努力をするまでだ。その為に、私はしっかりと答えなければならない。

 一週間も時間をくれた、シンデレラガールズの社長に対しても、私の意思を尊重してくれると言った社長に対しても、失礼にならないように。

「ふふっ」

 そんな決意をしていると、千秋さんが少しだけ笑う。

『どうかしましたか?』

「いえ、今のPさんはとてもいい表情をしていらっしゃるわ。とても輝いて見えるの」

 そして彼女は、手に持っていたペットボトルから水を飲むと、

「……こうやって、またお話を聞いてくれるかしら。もしいいのなら、嬉しいのだけれども」

 と、少しばかり恥ずかしそうに彼女は言う。その様子が、いつもの凛とした佇まいと違って見えたせいか、思わず少し笑ってしまう。

「な、何よ、Pさん?」

『いえ、いつもは毅然としてらっしゃるものですから。なんだか、どこにでもいる、女の子に見えたもので』

「し、失礼ね。私だって、年頃の女の子よ。可愛いものだって好きだし……、ああ、もうっ」

 彼女は少し顔を赤らめると、ぷいとそっぽを向いてしまう。少しからかいすぎたかな、と思っていると、店のドアが開く音がした。

「済まないな、まったく、直近のコンビニで塩飴が売ってないとは思わなかったぜ。最近流行りなんだがなぁ」

 そんなことを呟きながら現れたマスターは、私と千秋さんを見比べると、

「おんや、邪魔だったかな?」

 と、少しにやにやしながらこちらを見てくる。少しばかりその視線が気恥ずかしく感じたが、反論を返す間もなく、

「まあ、良いさ。とりあえず千秋ちゃん。これ舐めておきな。しばらくすれば体調は治るよ」

 と、塩飴をこちらに放り投げ、とっととカウンターへと引っ込んでしまった。どうやら夜間営業の準備の為、搬入した荷物を

『マスターにも、困ったものです』

 私は苦笑を一つ零し、私はゆっくりと立ち上がる。

「どうかしたのかしら?」

『いえ、少し電話をする用事がありまして。すぐ、戻りますよ』

 私はポケットから、一昔前の折り畳み式の携帯電話を取り出すと、ドアを押し開け、入り口から外へと出る。

 そして、電話帳から一つの名前を取り出すと、私は電話を掛けはじめた。

 一つ、二つとコール音が鳴る。

 そして、しばらくの後、ぷつっという音とともに、良く耳に馴染んだ男性の声が聞こえた。

 私は、少し息を吐くと、覚悟を決め、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

『もしもし、Pです。夜分遅くにすみません、社長。――どうするか、決めましたよ』

 そう、告げた。

今回の更新は以上です。
少し長くなったぶん、日にちが開いてしまいました。
想定ではあと2-5回程度の更新になるかと思います。

>>99
画像の添付、ありがとうございます。
「ほう、なかなか素晴らしい子を連れてきたね、Pくん?」

 翌日、私はシンデレラガールズプロダクションの社屋、四階に位置する社長室へとやってきていた。

 隣には、少し困惑と緊張の色を隠せない、千秋さんの姿がある。どうやら、思った以上にプロダクションの規模が大きいことに驚いているらしい。

『お言葉ですが、なかなかどころではありません。間違いなくトップアイドルまで登りつめます、彼女は』

 自信満々に、私はそう返す。

 結局、私は昨日一日――正確には一夜なのだが――かけて、彼女を説得し続けた。それこそ、閉店の時間が近づき、千秋さんが折れるまでだ。

 ぶっちゃけると、昨日はジャズ曜日だったが、演奏されたはずのジャズを一曲も覚えていない。マスターもあきれ顔だった。

 私個人としては正直、無理やり連れてきた感が否めないが、善は急げ、である。これが善と言えるかは少し疑問かもしれないが、少なくとも私は確信している。

「ほう、大きく出たね、Pくん。トップアイドルは、本当に一握りの、それこそ両手で数えるほどの人間しか掴み取れない物だ」

『大言壮語を吐いたつもりはございませんよ、社長』

「ち、ちょっと、Pさん」

 心配そうに私を見る千秋さんだったが私は、大丈夫ですよ千秋さん、と声を出さず、口だけでそれを伝える。

『私としては、社長の許諾とご支援を頂ければ、彼女を間違いなくトップアイドルへと連れて行くことが出来ると確信しております』

「ふむ、大層な自信だが、その根拠は何かね? 君のことだから、しっかりとしたものがあるとは思うが」

『ありません。私の勘です』

 きっぱりと、私は言った。そして、それが全てであり、事実である。

 不意を突かれた、と言った様子の社長を尻目に、少しおろおろとしている千秋さんが、なんとなく可愛いと、少しずれたことを考えていたのは誰にも言えない事だ。

 無論、私を気遣って、あるいは心配してのことだとは思うが、私は何一つ嘘をついていないし、間違ってはいない。これは自信を持って言える。

 私は彼女の才覚だけではない。その人間性にも、そしてその姿勢にも惹かれた。強いて言うならそれが根拠だ。それ以上の説明はできない。

 もしこの言い分が通らず、彼女が受け入れられなかったなら、彼女を受け入れてくれる事務所を探すつもりさえあった。

(もしそうなると、移籍の正式な契約書にサインする前に辞表を提出することになるのかな)

 私は、そんな間の抜けたような事を考えている。以前の私ではありえない事だろう。

 前の社長に言われた、いい方向に変わった、というのがちょっと信用できなくなりそうだ、と私は内心苦笑した。

 だが、そんな心配は無用の長物だったらしい。

「勘だって? わっははは、Pくん、君は変わったなぁ。最初に会った時は、特に何の特徴もない普通の青年と思っていたが。いやいや、良い変わり方だ、ふっふふ」

 社長は、豪快にそう笑い、何故か前の社長と同じように私を評価した。自分ではあまりそう思えないが、社長は満足したらしい。

 やっぱりぶっ飛んだ社長だと改めて思う。普通だと、少なくとも注意はされそうなものだが、この社長の良さであり、才覚を支える柱の一本であるのは間違いないことだろう。

 もっとも、初めて目の当たりにする千秋さんはこの状況を見て目を丸くしていたのだが……。

「良いだろう、Pくんに任せよう」

 その社長の一言が、この面会の要旨をすべて終了させた。社長は座っていたデスクから紙を二枚取り出すと、

「とりあえず、黒川くんだったかな」

 と言葉を続け、千秋さんの前までやってくる。

「え、ええ。何かしら」

 やや困惑した様子の千秋さんは、おっかなびっくりと言った様子のまま、その紙を受け取った。

「まあ、そう怖がらなくてもいい。その契約書にサインをして、Pくんに渡しておいてくれたまえ。二枚目は、寮の申請書だ。必要ならそちらもサインをして、同じようにPくんに渡すように」

 社長は少し手をひらひらとさせると、少し笑って事務的な説明を行う。

 少なくとも悪い人ではない、と確信が持てたのか、千秋さんは少し笑い、社長へと礼をした。

「わかったわ、ありがとう、社長さん」

 その所作一つとってみても、優雅さと言う物がにじみ出ている。そういえば、千秋さんは良家の子女だったな、と私は思いながら、千秋さんと社長の方を見ていた。

 と、その様子を見ていた社長は、少しにやりとすると、

「しかし、Pくん。好みの子を連れてこい、と言ったわけだが、彼女のような子が君の好みだったわけだね? ふっふふ」

 などと笑う。私は思わず少し身を震わせると、ほんの少しばかり社長を見据え、

『ちょっと社長、それはここで言う話では……』

 少しばかりの気恥ずかしさと、ちょっとした憤りを込めて、私はそう苦言を呈す。というより、本人の目の前で言う話ではないだろう。勘弁してほしい物だ……。

「……っ!」

 千秋さんは最初、何を言われたのか理解できなかったようだが、数秒おいて言葉の意味を理解し、ボッと顔を赤くして少し俯いてしまった。

『社長……、流石に冗談が過ぎます』

「わっはは、これは悪かったね。しかし、いい子じゃないか。君の担当のアイドルになるんだ、しっかり支えてやりなさい」

『それはもちろんです。私が彼女の担当である限り、私の出来ることは全てやって見せます』

 少しだけ笑った。未来は明るい、と自信を持って言える。彼女が、トップになれないわけがない。贔屓目であることを差し引いても、確実だろう。

 その時、隣にいるのは私ではないかもしれないが――その時が来るまで、私は彼女を支え続けよう。そう、思った。

「良い覚悟だ、頑張ってくれたまえ、Pくん」

 そうして社長は私の肩を叩く。

 と、社長室をノックする音が響く。社長が入室を促すと、緑色の服を着た女性がやってくる。どうやら、事務員さんらしい。

 太めの長い三つ編みを一本垂らしたその女性は、ぱっと見ればアイドルと言われても疑わないだろうほど、端正な顔立ちをしている。

(まあ、千秋さんの方がお美しいとは思うけど)

 そんな親馬鹿ならぬ、プロデューサー馬鹿的な思考をしていたのはここだけの話だ。

「失礼します、社長。零細プロダクション、という所から移籍の話が来たのですが……」

 と、何やらまた移籍の話らしい。やはり、プロダクションの規模と人員が釣り合っていないと言うのもあるのだろう。ただ、少し神妙な顔をしていた社長だったが、少し顔を綻ばせる。

「奇遇なこともあるものだな……」

『どうかなさったので?』

「いや、何。私が欲しかった人材がもう一人、手に入りそうだと思ってね。まあ、それは良い」

 社長は少し咳払いをする。そして、私と千秋さんの方を見た。

「君たちには期待している。特に黒川くん。Pくんが言うには、君はトップアイドルになれるそうだからね」

「……ええ、期待していてください、社長さん。私も、やるからにはトップを目指すわ」

「良い気概だ。さあ、行きなさい。また明日、社屋内の説明と、きっちりとした入社式を君たちに行うからね」

 そういって、彼は行きたまえ、という素振りを見せた。

『はい、それでは失礼をします、社長』

 私は深く一礼をすると、そのまま踵を返し、千秋さんを連れて社長室から退出する。ばたん、という扉が閉じる音が廊下に響いた。

『……まあ、何とかなって良かったよ』

 私は呟きとも、声掛けともいえる調子で言った。これでもう、引き返すことはできない。

 無論、引き返すつもりも、そうなる予定もなかったが、それでも少しばかりの罪悪感――千秋さんを巻き込んだかもしれない、という想いは簡単には拭えない。

「Pさん」

 そんな様子をみた千秋さんが、私の方へと向き直り、そして少し微笑みを浮かべながら、言った。

「私、頑張るわ、アイドル」

『……え?』

「私、Pさんを信じているもの。きっとあなたなら、トップアイドルに連れて行ってくれる。あなたとなら、トップになれる。なぜだか、そう思うの」

 我、天啓を得たり――。

 古い表現だが、まさしくそう表現するにふさわしい、明るい、澄み切った表情を私に向ける。

 その瞬間の彼女は、思わず直視できないほど輝いていた。それは、彼女の持つ白い肌の比喩ではない。彼女が持つ、生来の純粋さが、私には眩しく、そして魅力的に映ったのだった。

『そ、そういって貰えると、スカウトした身としては非常に嬉しいですね』

 私は誤魔化すようにそういうと、少し視線を逸らす。少し動悸が激しくなるのは、男性であれば致し方のないことだ。こればかりは批判してほしくはないものである……

「そ、それとよ、Pさん」

 その表情から一転、少し口ごもらせながら、千秋さんはやや上目づかいで私に声を掛ける。くい、と私のスーツの裾を引っ張りながら、だ。

 その表情や仕草がまた、私の鼓動を早める。普段は凛とした表情で、大人びた彼女の見せる、年頃の少女としての一面は、世の男性を魅了するのに十二分ではないだろうか。

 千秋さんはご自身が可愛いということをもっと理解すべきだ、なんてことが言えたらどれだけよかっただろう。

 無論、そんな赤面すること請け合いのセリフを、度胸も勇気もない私が言えるはずもなく、

『ど、どうかなさいました、千秋さん?』

 というありふれた答えしか返せない私だった。そんな私に、彼女はとどめを刺すような言葉を投げかける。

「し、社長さんの言っていた好みの女性、というのは、本当のことなのかしら」

 責めるわけではないのだが、もうちょっと聞き方というか、オブラートに包んでくれれば誤魔化しようがあった。ところが、ランディ・ジョンソンも真っ青の、百マイルのド直球である。

『あー、えっと、ですね。私としては、その』

 そんな、政治家が時間稼ぎに使う様な言葉を並べ立てている私が、どこか情けないと思った。こういう時は、あの社長の豪快なところがうらやましいと思う。

 あの社長ならきっと、さっぱり認めるのだろうなぁ、とまごついて答える事も出来ないでいると、彼女はどこか不満そうに、

「やっぱり、社長さんの冗談だったのかしら……?」

 などと言うではないか。それが、私の理性のタガを外した。

『そんな、とんでもないですよ、千秋さん。千秋さんほど、かわいらしくて、魅力的な女性が好みでない人なんて、居るもんですか』

 ……我ながら、短絡的というか、何というか。誤解をされたくない、という想いが先走ったせいで、何か言ってはいけないことまで言いすぎた気もする。

「あの、えと、Pさん?」

 かぁぁ、と顔を赤くしている千秋さんは、少し俯くと、

「その、私は愛想もないし、あまり話もできる方ではないのよ?」

 と言って、自分を卑下する。いや、この場合はきっと照れ隠しなのだろうが、それでも私は、そんな千秋さんは見たくはないと思った。

『千秋さんは大人びていて、しっかりしていて、自分に芯があって。でも、年頃の女の子で、普通の女の子で、必死に頑張っている女の子で、なのにいつでも凛とした姿を見せる、そんな強い千秋さんが私は好きです』

 言ってしまえ。そう思い、畳み掛けるように私は言葉を紡いだ。

『でも不安も、辛さも、弱音も全部隠しながらがんばる弱さも、千秋さんは持っています。そんなときは、私を頼ってください。全部を含めて、私はあなたが魅力的に思うんですから』

 このまま、言い切ろう。そう思って息を吸うが、肝心なところで理性が戻ってきてしまい、

『ですから、その。まあ、私から見れば、何と言いますか。もったいない、と言ったらおかしいですね、あの』

 と、何とも締まらない。千秋さんに負けず劣らず赤面しつつ、内心情けなく思っていると、くすり、と千秋さんが笑った。

「意気地がないのね、Pさん?」

『……いやぁ、返す言葉もない』

「まあ、そんなところも素敵よ、Pさん」

 彼女はそういって、少し微笑み、すっと手を差し出してくる。

「Pさん、エスコートをお願いできる?」

『エスコート、ですか』

「ええ。……トップアイドルまで、ね?」

 少し赤みが残ったままの彼女は、それでもその表情に私への信頼を滲ませ、微笑んでいる。何とも、私には過分な方だと、思う。

 それでも、私は彼女を選び、彼女は私を選んでくれた。その思いに、私は報いる義務がある。

 そして同時に、その権利も。

 私はゆっくりと彼女の手へと、自分の手を重ねる。

「ふふっ、目が泳いでいるわよ?」

『仕方がないじゃないですか、千秋さんはお美しいのですから』

「っ、もう、Pさんったら」

 そんな軽口を交わし、私は少し跪いて千秋さんを見上げる。

『必ず、必ずトップアイドルへエスコートして見せます、千秋さん』

 絹の様な純白の肌と、黒檀の様な漆黒な髪。そのコントラストが織りなす、彼女の表情はどこか神秘的で、どこか魅力的で。私は思わず凝視してしまう。

 そんな、彼女に魅了されてしまった私に、千秋さんはじっと視線を返し、言う。

「期待も、信頼もしているわよ、”プロデューサー”。私の隣に、ずっといてちょうだい、お願いよ」

 彼女はそう微笑んだ。その微笑みは、私の人生で一番、輝いて見えた。

今回の更新は以上です。
短くなると言いましたがあれは嘘でした。こんなときもあります。
次回が最終更新になるかと思います。今週中の投下を目標とさせていただきます。
読んで下さり、ありがとうございました。
「どうかしら、Pさん? 変じゃないかしら」

 いつもとは違う礼服姿の私に、彼女はいつもと変わらない微笑を添えて尋ねる。

『とんでもない、見とれるほどですよ、千秋さん。――ネックレスも、よく似合ってます』

 彼女の問いかけに対し、私は一切の嘘も偽りもなく、そう答える。

 薄いブルーのドレスに、白い手袋をつけたその姿は、彼女自身の優雅さとその容姿も相まって、まさしく令嬢と呼ぶにふさわしい姿となっている。

 そして、その首元には、一条のネックレスが光っている。大粒の黒真珠を、大胆にも一粒丸ごとネックレスにしたものだ。

「ふふ、ありがとう、Pさん。こんな素晴らしい物を頂けるなんて、思ってもみなかったわ」

 彼女は微笑むと、本当に嬉しそうに言った。千秋さんが首に付けているその黒真珠のネックレスは、昨日私が彼女に贈ったものだ。

 今日、彼女は年末の大晦日フェスに、シークレットゲストとして参加するのだ。これでようやく、一流アイドルに名を連ねることになる。

 無論、さらにその先の頂点――トップアイドルへの道は、目の前に見えている分だけ険しい道だ。それでも、ここまで来たのだ。彼女ならやってくれると信じている。

 ネックレスは、ここまで来たことのお祝いと、トップアイドルになる、その前祝いというわけである。

「……あれから、二年半ね」

『……そう、ですね』

 私が、今のプロダクションへと引き抜かれ、あれよあれよと千秋さんの担当プロデューサーになってからもう二年半だ。

 私以外のプロデューサーたち六人が、その持てる手腕を存分に発揮したおかげで、シンデレラガールズ・プロダクションはその規模を爆発的に大きくしてきた。あれほど大きな社屋だと思っていたのが、今は手狭に感じるほどだ。

 その結果、今やこの業界最大手と言っても過言ではなく、所属アイドルはその過半数以上が一流アイドルと言っても差し支えないほどに成長した。

 その間、私がしたことと言えば、千秋さんにつきっきりで彼女のプロデュースをしていただけだ。聞いた話だと、社長が私に千秋さん以外のアイドルを付けたがらなかったらしい。

 最初それを聞いて、私は少しばかり落胆したのだが、どうも事情が違うらしい、と知ったのはつい最近のことだ。

「やっぱり、私の目は間違っていなかったわ。きっと、Pさん以外がプロデューサーだったら、私はここまで来れていないと思うの」

『そんな、買いかぶりすぎですよ、千秋さん』

 私は少し苦笑した。

 どうやら、社長はかつて私が言った、”出来ることをすべてやる”という発言に対し、最大限の支援をするという公約を果たすため、千秋さんに全力を傾注出来るよう、他のアイドルを担当に付けなかったらしい。

 そのおかげもあって、私は彼女をここまで連れてくることが出来た……、と言いたいところだが、実際は彼女がここまで自分で歩いてきただけだと、私は思っている。

 私のしたことと言えば、彼女が歩く道を少し整備しただけに過ぎない。彼女の実力を、私は引き出したわけでもなければ、育てたわけでもないからだ。

 それでも――。

『こんな私に、ついてきてくださって、本当にありがとうございました、千秋さん』

 私はあえて、そういった。きっと、私以外のプロデューサーでは、彼女をここまで連れてくることはできても、彼女とここまで心を通わせることはできなかった。

 それは、私が唯一自負を持っていることだ。

 凡人である彼女を私は選び、また彼女も凡人である私を選んでくれた。私は彼女の為にすべての力を注ぎ、彼女もすべての力を私に返してくれた。

 そうして、私たちはこの場所にいる。それは、偽りのない事実だ。

「Pさんこそ、こんな私をここまで連れてきてくれて、ありがとう。私、あなたを信じて良かったと、本気で思っているの」

 彼女がそういってくれる。それだけで私は、全てが報われる。平凡な私が、彼女の隣に居られる幸せを、噛み締めることが出来る。

「おっ、見つけたよ、Pくん。元気にしておったかね?」

 舞台袖に続く通路で二人、感傷に浸っていた私たちにそんな声がかけられる。ふと、そちらを向くと――。

『社長……? いや、本当にご無沙汰しております。おかげさまで、健康そのものですよ』

 そこにいたのは、前のプロダクションの社長と、二年半前と比べると、ふっくらとした一番手プロデューサーの姿だった。こうして会うのは、最後の引継ぎの為に事務所へ行って以来だ。

 あれから事務所へ行くことこそなかったが、物理的な位置関係も、心理的な位置関係も近いとあって、かつての所属事務所の噂話はよく届いた。

 こちらの出向社員がいかんなく実力を発揮したこともあって、経営はだいぶ健全化され、そのノウハウを吸収した後任の社員もよく頑張っているという。

 その甲斐もあってか、この大晦日フェスに招待されるまでになった。素直に、元社員としてそれは嬉しく思う事だった。

「はは、そうだったか。いや、なんだ。今日の大晦日フェスに、うちのアイドルも出るのでね。こうやって挨拶もかねて、会いに来たわけだよ、Pくん」

 そういうと社長は、鷹揚そうな笑みを浮かべると私の背を叩き、笑った。あの時と何ら変わっていない。私はそれに少し嬉しくなり、思わず笑みが零れる。

『ああ、千秋さん。こちら、私が以前所属していた事務所の社長と、元同僚の一番手プロデューサーさんだ』

「初めまして、黒川千秋よ。以後お見知りおきくださると、嬉しいわ」

「一番手プロデューサーです。いやぁ、しっかし、Pさんが今をときめく黒川千秋さんのプロデューサーになってるなんて、思いませんでしたよ」

 一番手プロデューサーは、そんなお調子者らしい、へらへらとした笑みを浮かべながら、千秋さんを見て、そして私に笑いかける。


「こら、Pくんにも黒川さんにも失礼だ。慎みなさい」

「へへ、いや、すみません。どうにも嬉しくなっちまったもんで。Pさんがプロデューサーってのは、意外っちゃ意外でしたけど、でも元同僚が活躍してるってのは聞くだけでテンションあがっちゃいますよ」

 一番手プロデューサーは頭を掻くと、少しばかりはにかんだように笑う。

 お調子者なところは変わっていないが、不思議と彼に抱いていた、嫌悪感や苦手意識と言う物を感じなかった。

 私は、それがかつての鬱屈した自分が、彼に密かに抱いていた嫉妬や羨望であった、と気づく。

(……なるほど、私は思ったよりも俗物だったというわけだ)

 そう、内心で呟いた。今でも私は凡人だが、彼の才能に嫉妬することも、羨むことはもはやない。むしろ、この凡庸さを誇りたいぐらいだ。

「まあ、的確にPくんの才覚を見抜いた、シンデレラの社長さんが凄かったってことだよ。私は彼の才能を、完全に見抜くことはできなかったからね」

 社長は、少し残念そうに、そして少し寂しそうに言った。

「まあ、挨拶はこれまでにして、今日は正々堂々と戦わせてもらうよ。うちはまだまだ弱小だが、ようやくここまで来れた。君の移籍がきっかけ、というのは少し皮肉な話だがね」

『ええ、もちろんです。もし対戦することがあれば、うちの千秋さんが存分にお相手いたしますよ。無論、負けるつもりはございませんから』

 自信満々に、そういってのける。相手も侮っているわけではない。慢心しているわけでもない。千秋さんなら、出来る。絶対的な信頼とでもいうのだろうか。

 かつて私が”ガラスの声”と評したその声で、千秋さんは舞台やドラマの役を勝ち取り、そして”クリスタルボイス”と評した声で、こうやってアイドルとしての歌曲を歌い上げてきた。

 その努力が報われないわけがない。

「はは、やはり君は変わったよ。まあ、そのうちまた遊びに来てくれたまえ。歓迎するからね、Pくん」

 社長はそう言い残して、一番手プロデューサーを引き連れ、去っていく。

 私は、その後ろ姿をずっと見つめ、見送っていた。

「……寂しいのね、Pさん」

『……え?』

「じっとしてて、今拭いてあげるわ」

 千秋さんは、ドレスのポケットからハンカチを取り出すと、私の目じりをそっと拭いた。気が付かなかったが、私は涙を流していたらしい。

『そう、かもしれないですね。あの社長がいたからこそ、今私はここに居ます。でも、あの社長に私は何も返せてない気がして……』

「大丈夫よ、Pさん」

 私の言葉を遮るように、千秋さんはそんな言葉を私に掛ける。

「気づかなかったかしら。あなたの元社長さん、Pさんのことをまるで、我が子のように見てらっしゃったわよ?」

『社長が……?』

「ええ。そんなところは、鈍いのね、Pさん」

 くすり、と千秋さんは笑った。なんだか、私よりも私のことを把握しているような気がして、思わず気恥ずかしさを感じる。

『そ、そろそろ時間ですよ、千秋さん』

 相変らず意気地のない私は、誤魔化すように彼女を促す。実際、彼女の出番はもうすぐだから的外れと言うわけではない。

 ただ、少しばかり不満げな表情になった千秋さんは、その場から動かず、私を見据える。

『あの……。千秋さん?』

「……エスコート、してくださるかしら、”プロデューサー”?」

 少し意地悪そうな微笑を添えて、彼女が言った。そして、私の方へと手を差し出してくる。純白の手袋に包まれた白い肌は、見ていると思わず引き込まれそうになる。

 その思いを堪え、私はあの時と同じように跪き、

『もちろん、私で良ければ、どこまでも』

 私はそう、言った。

「ふふ、本当かしら? じゃあ、ね、その、Pさん」

 彼女は、私の手に自分の手を重ね、何かを言おうとした。

「……いえ、なんでもないわ」

 しかし、彼女は言葉を飲み込む。千秋さんは、そうして、”行きましょうか、Pさん”、と私にエスコートをするように促した。

 だが、彼女が自制したその言葉の先を、彼女を理解しているが故に、私は感じ取ってしまう。

『……いつか』

 ゆっくりと私は立ち上がり、彼女の目を見る。彼女の茶色がかった瞳が、微かに揺れる。

『千秋さんがトップアイドルになった時は、お約束します。その時はきっと』

 恥も、外聞も、ない。言うべきだ、と思った。それは、私がそうしたいと思ったから。そして、彼女の気持ちを、感じ取ってしまったから。

『私は、指輪を、用意しておきますから』

 気持ちを、精一杯の言葉に乗せて、紡ぐ。これが、この業界の道義に反している、というのは知っている。そして、追放されてもおかしくないほどのことであるのも。

 私は平凡な人間だ。幾らでも替えが効く人間だ。才能を有するこの世界で、切り捨てられようと、排斥されようと、文句も抗議も言えない立場ではある。

 それでも、後悔なんて微塵もない。理由は単純で、平凡な物だ。

「――! ええ、待ってるわ、Pさん!」

 彼女の、これほどにまで嬉しそうな笑顔が見れた。それだけで私の、この人生の全てを彼女に捧げるだけの価値がある。平凡な私に、捧げられるほどの物はそれしかないのだから。

「ふふ、今からお金を貯め始めても、遅いかもしれないわよ?」

 千秋さんは、私の手を握ったまま、そういって笑う。

 その言葉の意味を、私が理解できないでいると、少し不満顔になる彼女は、ほんの少し顔を赤らめて、

「鈍いのね、Pさん。わかってちょうだい。ほら、その……。”そういう指輪”は、お給料の三か月分、というじゃない?」

 と、私を見上げながら、千秋さんは少しはにかむ。

「三か月分も貯まるまで、私は待たないから。ね、Pさん?」

 ……その表情は反則だよ、千秋さん。

 これほど、嬉しい心の叫び、という物はない。私は、その叫びを抑えて、彼女の手を引いた。彼女を、エスコートするために。

 私が出来るのは、連れて行くことだけ。それしか、できない。

 だから、あえて言葉に出す。

『行きましょう、千秋さん。トップアイドルに』

 私のその言葉に、千秋さんは笑顔で応えてくれる。

「ええ、行きましょう、Pさん。トップアイドルに」

 歓声が聞こえる。本当のトップアイドルへの道は、ここからなのかもしれない。

 ただ、私は確信している。今度の確信は、”第六感”などではない。

 なぜなら、この二年半、ずっと彼女と一緒に居たのだから。だからきっと彼女は、トップアイドルになる。

 一歩、一歩。確実に舞台袖へと近づいていく。そして、舞台袖の扉が見えた。そこで、私は手を離すために力を緩める。

「Pさん」

 私が手を離そうとした時、彼女が私の名を呼んだ。

「……まだ、離さないで」

 千秋さんは、少し小さな声で呟くように言う。

 そして、気が付けば、彼女は――私の胸に、顔を埋めていた。

『千秋、さん?』

「……大丈夫よ、心配しないで。勇気は、貰ったわ」

 千秋さんは、顔を上げる。そして、少し笑った。

「私って欲張りなの。地位も、名声も全て、手に入れたいじゃない?」

 千秋さんはきっと、望むものをすべて手に入れる。そんな確信を、今、私は持った。私の人生で最後の”第六感”だ。そんな、第六感。

 そして彼女は、舞台袖の扉に手を掛けながら――笑顔で告げる。





「もちろん、あなたもすぐに手に入れて見せる。だから――大好きよ、Pさん」

 そんな千秋さんの愛と決意の言葉が、私と彼女の未来を保証してくれる。ささやかな幸せの、ささやかな将来を。





 これが、私と千秋さん――二人の凡人と、多くの第六感のお話。

今回の更新でこの作品は終了です。
予定よりもやや冗長になりましたが、無事終了できて良かったと思います。
長い間お付き合いいただき、誠に有難うございました。
また登校することもあるかと思いますので、その時はまた宜しくお願い致します。
このスレはHTML化の依頼を出しておきます。お世話になりました。

02:30│黒川千秋 
相互RSS
Twitter
更新情報をつぶやきます。
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: