2015年04月20日

高垣楓「一線を越えて」




かぽーん。







お風呂と言えばこの音。

いつも思いますが、これって何の音なんでしょうか。

桶の音でオッケー?



 「よ、っと」



手近な桶を手元に寄せて。

試しに一つ、鳴らしてみましょう。





かこーん。





 「うーん……」



惜しいですね。

もうちょっとこう、間の抜けたような音を想像していたんですが。

いつの日か解明出来る日が来るのでしょうか。



 「まぁ、何はともあれ」



せっかくの温泉旅館。

露天風呂に浸かりながら、目の前にあるお酒を呑まないなんて、罰当たりにも程があります。



 「……ほぅ」



天国はここにあったんですね。





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 「いーい湯っだーな♪」



2月という中途半端な時期だからでしょうか。

小さいとは言えとっても素敵な温泉旅館なのに、いま露天風呂は私一人の貸切状態です。

これは歌うしかありませんね。



 「にーがつーは豆まきーで酒が飲めるぞー♪」



温かいお湯と、綺麗な星空と、美味しいお酒。

段々と気分がノッてきました。

高垣楓、温泉でオンステージです。



今なら即興で素敵な歌だって歌えそうです。





 「――――♪」





何かを表現した訳ではありません。

ただ頭の中にぷかぷかと浮いてきた言葉をテキトーに繋げて声に出しているだけです。

時々鼻歌を交えて、二度と歌えない歌を歌います。





――ばしゃんっ! ごてっ。





 「……?」



隣の男湯から、立ち上がるような音と、滑って転んだような音。

ああ、てっきり貸切だと勘違いしてしまいました。ちょっとうるさかったかもしれません。

怒られるかな、と湯を隔てる竹垣に目を向けていると、竹垣の上からひょいと顔が覗きました。



もちろん男の人でした。







 「――あの、すみません! アイドルになる気はありませんか!?」







 「…………」



とりあえず、手近にあった桶を再び引き寄せて。

狙いを定めて、一二の三で投げ付けました。





かぽーん。





 「……あ」





そうそう、こんな音。





手を打って頷くと。

ごつっと、頭を床へ打ち付けたような鈍い音が、続けて浴場に響き渡りました。



 ― = ― ≡ ― = ―



生まれて初めて見る、とても綺麗な土下座でした。

仲居さんや女将さんが、私達の方を見て何やらひそひそ話をしています。



 「あの、ひとまず顔を上げてもらえませんか」



私の方を向いた顔は。

風呂上がりの上気した肌が、けれど青ざめていて、そこに桶の痕がくっきりと残っていました。

生まれて初めて見る類の顔でした。



 「こっ、この度はっ、誠に失礼極まりない行いを致してしまい……」



畳の敷かれた休憩所で、土下座する男の方と正座する私。

深々と下げられた頭から聞こえてくる謝罪の言葉を、私はほろ酔いのまま気分良く聞き流していました。



 「……あの」



 「はっ、はいっ!?」



 「何で、すぐに逃げなかったんですか?」



 「……それ、は」



覗きがバレてしまったのならさっさと逃げるべきです。

湯煙でよく見えなかったし、言い逃れ出来ない状況でもありませんでしたし。

なのにわざわざお風呂上がりの私を探して、綺麗な土下座を決めてくれて。



 「先程の言葉と、何か関係が?」



 「…………はい」



 「アイドル、でしたっけ」



歌って踊れる女の子。

私とは住む世界が違うけれど、とっても素敵なお仕事だと思います。



 「そういうのはこう、もっと若い娘がなるものだと思ってましたが……」



 「いえ、そんな事はありません!」



 「そうでしょうか」



 「はい! 歌声が凄く澄んでいましたし、何よりとても綺麗な方ですから!」



面白い顔のまま、男の方が力強く拳を握りました。

ふむ、あまり反省の色が見られませんね。



 「覗き犯さん」



 「…………は、はい……」



 「貴方を許してもいいですが、条件があります」



 「俺……私めに出来る事であれば、なんなりと……」



一旦元気になった声が再び震え始めました。

とりあえず、食前酒は済んだので。





 「お酒、奢ってください」







 ― = ― ≡ ― = ―





楓さんは、とても綺麗。





 ― = ― ≡ ― = ―



 ― = ― ≡ ― = ―



 『乾杯!』



タダ酒は最高に美味しい。

この世の始まりからずっと続いてきた、まさに宇宙の真理です。

ああ、お酒が美味しい。



 「……それにしても」



 「はい?」



 「最初から頼み過ぎでは」



 「何か文句でも?」



 「滅相もございません」



二人掛けの卓上は、肴の隙間を埋めるようにずらりと瓶が並んでいます。

天狗舞、マッカラン、エトセトラ、エトセトラ。

グラスで頼むのも面倒なので、店主さんにお願いして持って来てもらいました。



 「高垣さん、でしたよね」



 「ええ」



 「お酒、好きなんですか?」



 「私の身体の半分はアルコールで出来ています」



 「もう半分は?」



 「肴です」



揚げ出し豆腐を口に運びます。

切り立ての葱と鰹節の香りが、ふわりと口の中へ広がって。

ああ、お酒が進む。



 「色々と伺いたい事があるのですが」



 「お酒代がわりに答えましょう」



 「この近くにお住まいで?」



 「いえ、実家は和歌山に。お仕事をしているのは東京です」



ここに来ているのは、趣味の温泉旅行。



 「私からもいいでしょうか」



 「もちろん」



 「あなたは、どなたですか?」



そう質問すると、男の方はジーンズのポケットを手で探りました。

取り出した銀のケースの中から現れたのは、一枚の名刺。



 「シンデレラガールズプロダクション、アイドルプロデュース課、クリアクール部門、プロデューサー……?」



 「要するにアイドルを手掛ける仕事だと思って頂ければ」



プロデューサーさん、ですか。

……その割には肩にジャンパーを巻いてませんね。



 「それで改めてお聞きしたいのが」



 「アイドルですか」



 「はい。どうでしょうか、高垣さん」



 「うーん、今のお仕事もありますし……」



 「ちなみに何をされているんですか?」



 「モデルを少々」



 「納得です」



何がでしょうか?



 「失礼ですが、モデルの先は何かをお考えで?」



 「いえ、今の所は」



 「選択肢の一つとしてアイドルを考えに入れてもらえると嬉しいのですが」



25歳。

何となくで選んだ道も、そろそろもっと先の事を考えなければいけない時期です。

モデル、アイドル、別の何か。



 「……アイドルも、面白いかもしれませんね」



 「……! ええ、面白いですよすっごく!」



 「ふふ、プロデューサーさんはアイドルじゃないでしょう」



 「あー、言葉の綾で」



どう見ても悪い人ではなさそうです。

なさそうですが。



 「では、高垣さんはアイドルに」



 「考えてもいいですが、条件が有ります」



 「ま、またですか」



プロデューサーさんの眉が不安気に下がります。

もし一緒にお仕事をするなら、これはとてもとても大事な事。



 「冗談って、素敵ですよね」



 「冗談?」



 「はい。少し口に出すだけで、たくさんの人が笑顔になります」



 「……そう、ですね」



プロデューサーさんが、場違いなほど真剣な表情で頷きました。



 「私がこれから洒落を飛ばしちゃいますから」



 「はぁ」



 「それをプロデューサーさんが巧く捌けたら、アイドルの事、真剣に考えます」



 「本当ですか!」



プロデューサーさんの表情が、一転してきらきらと輝き出しました。

ふふ。私の洒落を、捌いてみなしゃれ。



 「まま、まずは一献」





ぽん。





手近にあった白ワインの栓を抜くと、良い音が響きました。







 ― = ― ≡ ― = ―



楓さんは、とても可愛い。



 ― = ― ≡ ― = ―



 ― = ― ≡ ― = ―



 「まぁまぁ一杯どうぞ」



 「…………は、はい……」



注いだ分でマッカランが空になりました。

小さい瓶も含めて、これで五本目。

まだ開いていなかった千寿の瓶を、これまでのようにプロデューサーさんへ差し出しました。



 「はい、プロデューサーさん」



 「ありがとう、ござい、ます……」



ふらつく手で瓶を受け取り、三十秒ほど掛けてようやく蓋を開けます。

そのままぐい呑みに注ごうとし、力尽きて卓へと突っ伏しました。

うーん、ちょっといじわるだったでしょうか。



 「大丈夫ですか、プロデューサーさん」



 「はい……」



 「お水、要りますか」



 「お願い、します……」



 「私の飛ばした洒落、分かりました?」



 「はい」



聞こえてきた芯のある返答に、驚きました。

力を振り絞るように起き上がると、水を一杯流し込んで、再び机に突っ伏します。







 「そのままの意味で、『洒落』、でしょう」







――洒落の分かる人を、見付けてしまいました。







 「楓さんが、栓を抜いたのは、最初の一本だけ……でした、ね」



 「はい」



 「洒落の洒の字は、『酒』では、ありません……」



 「そうですね」



 「酒から『せん』を一本、抜いて……そこで、『落ち』が付くん、です」



栓抜きを力無く握って左右に振ります。

私の心臓が、とくんとくんとうるさい音を鳴らしています。

お酒のせい、でしょうか。



 「どうして」



 「……?」



 「どうして分かっていたのに、私のお酌に付き合ってくれたんですか」



 「……ああ……いえ、簡単な、事ですよ」



プロデューサーさんが、突っ伏したままだった顔を上げました。

お酒で真っ赤になった顔には、素敵な笑顔が浮かんでいて。







 「美人さんの、お酒を避ける……訳には、いき、ません、よ…………」







再び机に突っ伏して。

穏やかな寝息が聞こえてきました。







 「お客さん、そろそろ店仕舞いになりますが」



 「分かりました。ではこちらで」



 「ありがとうございます」



 「あの、旅館までのタクシーを呼んで頂けますか?」



 「かしこまりました」



これだけ見事な捌き方で洒落を返されては、払わない訳にはいかないでしょう。

寝息を立てる彼の顔を、ちらりと覗き返します。



 「……アイドル…………」



幸せそうな顔で、そう呟いて。





 「……ふふっ」





素敵な笑顔を見せ付けられて。

私も何だか、とっても良い気分でした。



 ― = ― ≡ ― = ―





 「――おわっ!?」





重たい目蓋を開くと、プロデューサーさんの驚いた顔が目の前にありました。

……あ、寝癖付いてる。



 「おはようございます」



 「あ、おは……ってそんな場合じゃなく!」



 「……?」



辺りを見回すと、旅館の私の部屋だと気付きました。

続けて私の両腕を探して、彼の背中へ回されているのを見付けました。



 「ああ、すみません。お酒くさいですよね」



 「いえ、俺も……だからそんな場合じゃなくてですね!」



ぐいと彼から引き離されて。

そのまま布団の上をころころと転がって、畳へ流れて止まりました。

これ、ちょっと楽しいかも。



 「大丈夫…………だよな……?」



慌てた様子で、プロデューサーさんが全身を触って確かめます。

私も自身を確認してみると、いつ着替えたのか記憶に無い浴衣を身に纏っていました。



 「えーとですね、高垣さん」



 「はい」



 「…………何も……ありませんでしたよね……?」



 「はい」



 「……はぁぁぁっ…………」



プロデューサーさんが、複雑な表情で長く息を吐きました。

やっぱりお酒くさい。



目蓋を擦りながらカーテンを開けて、ようやく明け方である事を知りました。

チュンチュンピヨピヨと、小鳥たちが朝から元気に歌を歌っています。



 「じゃあ、準備して行きましょうか」



 「……へっ? 何処へですか?」



 「実は結構、気になってるんですよ」



 「?」



 「アイドル事務所って、どんなのかなーって」



寝ぼけと混乱で曇っていたプロデューサーさんの表情が、見る見る内に明るくなっていきます。

明け方の太陽みたいでした。





 「――ありがとうございまぐぉっ!」





元気に叫ぼうとして、突然頭を抱え出しました。



 「あの、大丈夫ですか」



 「割と大丈夫じゃないです。痛ぇ……」



 「旅館で宿酔い……」



 「……あ、そうですよ。どうして急にアイドルになろうと決めてくれたんです?」



不思議そうな顔でプロデューサーさんが訊ねます。

私の顔も似たようなものでしょう。



 「覚えて、いないんですか?」



 「えぇと……二本目を空けて、三本目を開けた辺りまでは記憶があるんですが……」



頭を抱え込んで、プロデューサーさんが悩みます。

しばらく考え込んで、やがて諦めたように溜息を吐きました。



 「高垣さん」



 「何でしょう」



 「…………本当に、何も、無かったんですよね?」



訝るような眼差しに見つめられて、つい悪戯心が湧いてきてしまいます。





 「ええ。それとも、今から何かしてみましょうか?」





私の台詞を聞いて、プロデューサーさんがぽかんと口を開けて。

怒っているような、笑っているような、残念そうな。

そんな複雑な表情を浮かべました。





 「いえ、その冗談は洒落になりませんから」





 「…………むむっ」





これは私も、自分を磨かなければいけませんね。







 ― = ― ≡ ― = ―



高垣楓さんは、女神。



 ― = ― ≡ ― = ―



 ― = ― ≡ ― = ―



 「……休暇で温泉旅館に向かったと聞いていましたが」



 「…………」



 「こんにちは」



陽が昇りきった頃、私服のまま高垣さんを事務所へと連れて来た。

冬だというのにざる蕎麦を啜っていたちひろさんが、俺達二人を珍獣でも見るかのような目で出迎えてくれる。



 「えーとですね。聞きたい事が色々あるんですが、一つずつお訊ねしましょうか」



 「はい」



 「その顔の傷は」



 「言えません」



言えば死んでしまう、色々な意味で。



 「何でそんなにお酒くさいんですか」



 「覚えてません」



頭がまだズキズキと痛む。



 「何故モデルの高垣楓さんがここに?」



 「え、そんな有名だったんですか高垣さん」



 「さぁ、どうなんでしょう……」



 「まだ話の途中ですが」



 「すみません」



ちひろさんに逆らうな。

事務所に入って、先輩から一番最初に教わった事を思い出した。



 「こちらの高垣さんはですね、アイドルに興味があるらしく」



 「……ほう」



ちひろさんが高垣さんを値踏みするような目付きで見つめる。

彼女の場合、実際に値踏みしている可能性が高い。



 「……まぁ、いいでしょう。では高垣さんには後ほど事務所をご案内しますね」



 「よろしくお願いします」



 「あと、プロデューサーさんは早くお酒を抜いて来てください」



そう言い残して、ちひろさんが何処かへと出て行った。

1階へ書類を取りにでも行ったんだろうか。



 「何だか、すんなりアイドルをやらせてもらえそうですね」



 「まぁ、高垣さん美人ですし」



 「ふふ。ありがとうございます」



そう言って微笑む高垣さんは、控えめに言っても美人……天使……女神は言い過ぎか?

改めてよくよく見れば、凄まじいまでの美人さんだった。





あ、マズい。惚れそう。





 「アイドル……プロデューサー……アイドル……プロデューサー…………」



 「あの、大丈夫ですか?」



 「全然全く無問題です!」



いつの間にか目の前に高垣さんの顔があって、思わず飛び退く。

いきなり動いたのと大声を出したのとで、二日酔いの頭が激しく痛んだ。



 「……高垣さん」



 「はい」



 「本当に、何も無かったんですよね?」



 「ええ」



 「洒落がどうとかいうのも捌けた覚えが無いんですが……」



冗談は好きだが、それほど頭は回る訳でもない。

あの時は酒が入って目は回っていたかもしれないが。



 「まぁ、その話はもういいじゃありま…………あっ」



 「どうかしましたか?」



途中で言葉を切って、何か思い付いたように高垣さんが手を打つ。





 「ふふっ……夕べの事はですね」





とびきり素敵な笑顔を浮かべる高垣さんは。





純真無垢な子供のような。

茶目っ気たっぷりの悪戯っ子のような。

いや、やっぱり。







女神と言っても差し支え無いだろうと、そう思った。











 「――今さら言っても、詮無い話、ですよ」



おわり



17:30│高垣楓 
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