2015年05月06日

モバP「てっぺんよりも高い所」


「すっかり遅くなったな」





一向に進む気配のない渋滞に辟易としながら、俺は助手席に身を預ける藤原肇にそう投げかける。







「………え? あ、はい。そうですね…」





肇は一間を置いて、ただ反射的にそう答えた。



疲れているのだろう。声色からだけではない、シートに完全に体重を預け、凭れ掛る姿からもそれが容易に見て取れる。





「日のあるうちには帰れる予定だったんだけど… 俺のミスだ。ごめんな」



「いえ… あの監督さん、撮影が長引く事で有名ですから」





目頭を揉み、笑みを携えながらそう言った。



年若い少女には似つかわしくない、萎びた笑顔だと思った。



申し訳ないと言う俺に対する気遣いが手に取る様に伝わってくる。



肇に何の責任も無いのに、そんな風に気を遣らせている。



俺はただもう一度だけ『すまない』と心の中で呟いた。











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「寝ていても全然構わないんだぞ?」





もう日付の変わりそうな時計を一瞥しながらそう言った。



とは言ったものの、肇の返答は分かっている。





「…そんなこと、できません」





…だろうと思った。



曰く、運転してもらっているのに私だけが眠るなんて申し訳ない、という事らしい。





「気にしなくてもいいのに。皆平然と寝るんだから」





“肇以外は”。そう頭に付けなかったのは、肇には必要のない情報だと思ったから。





「それでも、です」



「…そっか」





まぁ、何と言った所で肇が決めている事が覆る訳でも無く、ただ引き下がるしかない。









「俺の鞄から携帯取ってくれる?」



「運転中ですが…」



「こんな時間だし、細かいこと言わずに、さ?」





少し訝しんだ肇だったけど、携帯を差し出してくれた。





「お電話ですか?」



「ああ、まぁそんなところ。ちひろさんにかけてくれるか」





こんな時間に悪いけどって、一応ちひろさんへの気遣いも付け加える。



ここに居ないちひろさんからしたら、全く意味を解さないことではあったけど、肇が少し微笑んでくれたような気がしたから、それだけで十分だった。









「………」



「…どうした?」



「その… 電話帳、事務所の皆さんの番号しか入ってませんね」





俺の携帯を弄りつつ、肇は言い難そうな様子だった。



『友達居ないんですね』と、そういう意味では無い。



だけど、そう取られても仕方のない言い方だったから、肇はバツが悪そうな顔をしている。





「そりゃあ、仕事用だからなぁ」





そんな事にも気を遣うのが、肇らしいというか何というか。



だから、なるべくあっけらかんとした言い方を心掛けたが、果たしてその意図が通じているかは、肇の表情だけでは分からなかった。









「でしたら、プライベート用もあるんですか…?」



「ん。ああ、ほら」





肇は全く予想だにしていなかった事を口にした。



頭に疑問符を浮かべつつも、右手でだけハンドルを握って、一方でスーツのポケットから今ではもう古くなった二つ折りの携帯を取り出す。





「結局、こっちも親兄弟くらいしか入ってないから、肇の言う事は間違ってないのかもな」



「そ、そんなことは…」



「冗談だよ」





珍しく戸惑った様子の肇に笑いかけながら、何となくそちらの携帯も肇に渡す。



なんだか決まりが悪い様な気がして、手持無沙汰になった左手はカーエアコンを弄る振りをして誤魔化していた。



…後になって考えると、きっと俺は無意識に、肇にこっちの方にかけて欲しいと思っていたんじゃないかと、そう思った。









「それでちひろさんに…」



「あ… すみません」





ちょっと慌てた様子で肇は携帯を操作する。



ちひろさんに電話するっていう当初の目的は、どうやらすっかり頭から抜け落ちていた様だ。



どうぞ、と、コール中の携帯を差し出してきた時、もう一方の携帯が肇の胸元で握られていたのが、何故か印象的だった。









『___… __!』



「あ、はい、そうです… すいません…」



『____………』





ちひろさんはやはりと言ってはなんだが、不機嫌だった。



機器から漏れ出した微小な声のトーンと、電話相手にペコペコ頭を下げる様子の俺を見て、肇は若干不安そうな顔をしている。



大丈夫だと、そんな意味を込めてウィンクを投げかけてみる。





「………」





………どうやら下手糞すぎたようで、今度は困惑した顔をしている。



睨んだ訳ではない。決して。









「はぁ…」



「あの… 大丈夫ですか?」





普通は何でこんな時間に電話したのかを尋ねるのではないだろうか。



俺のウィンクが効いたのか、電話の様子からか、肇は何に対してかそう聞いた。





「まぁ、その、なんだ」



「はい…?」



「もう遅いし、無理させる訳にもいかないから、泊まっていこうか」





そう言ってハンドルを横道に向けて切る。ちひろさんに大まかな場所を伝えると、幸い近隣にビジネスホテルがあるらしい事を教えてくれた。





「…え、えぇっ!?」



「あ、お金の心配はしなくていいからな」





今日の肇はよく驚くなぁなんて思いながら。



…俺の自腹になったなんて事、流石に野暮なので言わなかった。









「そ、その、ええっと… そういうことではなくて…」



「いやいや、心配しなくてもいいぞ。一部屋しか無かったら俺は車で寝るから」



「いえ…! 私は一緒でも大丈夫です…!」



「え?」





何処も大丈夫じゃないだろ。





「そ、その…」



「………?」



「よろしくお願いします…?」



「………っぷ」



「なんで笑ってるんですか…!」





何故かよろしくと締めくくった肇が、なんだからしくなくて、思わず笑ってしまう。



そして、笑った俺に頬を膨らましながら少し上ずった声で言い返す姿が、これまた良い意味でらしくないなと………



率直に、可愛いなと、そう思った。









____





「まさかエレベーターが修理中とはな…」





更に、まさか最上階しか空いてなかったとは…



日頃階段を登る習慣なんて無い俺には聊か厳しいものがある。





「辛そうですね?」





息を切らし、亀の様な歩みで階段を登る俺を心配する様に肇は覗き込んできた。



その距離が少しいつもより近かったのは、普段あまりないお泊りというイベントの高揚感からだろうか。





「…大丈夫だって」





それが何だか照れくさくて、つい冷たく言い返してしまう。









「あ… そうですか………」



「いや… うん」



「はい…」





俺の変化を敏感に感じたのだろうか。肇はさっと身を引いたけど、どこか名残惜しげに俺をちらちらと見ていた。





「………肇こそ、きつくないか?」





俺の都合で肇を不快にさせたんじゃないだろうか。



そんな思いから、気付いたら肇を気遣う言葉が出ていた。



だけど、無理に繕った様な声色が、我ながら気持ち悪いと、頭の片隅でぼんやりと思った。









「私は… 大丈夫です」





日頃からレッスンを積んでいますからって、俺に微笑みかけた。



でも、その笑みをどこか寂しげだと感じたのは、きっと勘違いでは無い筈。



自惚れでなく、そうさせたのは俺だ…



さっきまでの楽しげな雰囲気は嘘のようだった。



なんだか、今にも降り出しそうな雨空の下の様な、言い知れない憂鬱が俺達の間に入り込んだみたいで。











「…それに、高い所は好きですから」





何とかしないとって頭の中で話題を探していると、ふとそんな声が聞こえた。



肇は俺の方に向かって言ったけど、どうにも俺に対して言ったようには感じなかった。



まるで自分に言い聞かせている… そんな印象を受けた。



…恣意的な表現だと思った。酷く曖昧で、真意をその一言から汲み取るのは、余程気心の知れた仲でも無理なのではないだろうか。





「………そうか」





だからだろうか。俺の呟きに肇は何も返す事は無かった。



もうそれ以降、俺たちの間に会話は無く、ただ黙々と部屋のある階を目指して歩いた。









____





「はぁ…」





結局、それぞれの部屋に入る前に、明日の時間の確認を一言二言交わしただけだ。



…夜明けと共に、このどうしてか重たい空気も消えてなくなってしまえばいいのに。



そんな都合の良いことを思ってみるけど、それでは何の解決にもなっていないような気がした。





『どうしてか』なんて、嘘だ。





原因は俺の態度だ。分かりきっているのに。



………でも、俺が少し冷たく当たっただけじゃないか。



でも、たったそれだけで、ここまで空気をぶち壊せるものだろうか。



だとしたら、もしかして、肇は俺の事を…









「…アホくさ」





余りにも無意味過ぎた思考を一言の内に一蹴する。



本当に、そんなことある訳ないのに。



だって、俺と同じだなんて。



だから、肇は部屋は別としても、急に舞い込んだ俺交じりのイベントに一喜一憂して…





「…寝よ」





………都合が良過ぎる。



宝くじより確率の低そうな下らない妄想を思考の隅に追いやって、頭まで布団をかぶった。











___





コンコン…





「………?」





微かにだがノックが聞こえた気がする。



やけに控えめだったのは時間を考えてか……… 



とてもルームサービスがあるようなホテルだとは思えない。



だったら、彼女の性格故のものなのだろうか………





「………!」





その思考に辿りついた時、薄ら霞がかかっていた思考が一気に覚醒し、スリッパも履かずに扉に駈け出した。









「…どうしたんだ?」





何とか常時の声色を保っていたと思う。



だけど、内心かなり焦っていたから、果たして判別できるのは目の前の彼女だけだろう。





「眠れないのか… 肇」



「…そうなんです」





肇は俺を見て申し訳なさそうな顔をした。



というのも、俺は備え付けの寝巻を着て、うつ伏せで寝る性質なせいか、顔に枕の型が付いていたから。



確かに、俺だっていきなりこんな様相で出てきたら遠慮すると思う。









「………」



「………」



「………入る?」



「あ… はい。お邪魔します…」





微妙な沈黙に耐えかねて聞いてしまったが、知った仲とはいえ男の部屋に一人で入るのは如何なものだろうか。



…なんて、余計なお世話極まりない事を考えつつも、本心としては率直に嬉しかった。



眠れない夜に俺を頼ってくれた事。まぁ、俺しか居ないんだけど。



………あと、気まずい雰囲気を解消できるチャンスが来たこと。









「急にすみません。お休み中でしたよね…?」



「いや、全く。俺も眠れなくて困ってたんだ」





適当に脱ぎ散らかされたスーツや、微量に熱気の漏れる浴室に目を向ければ… 



何より、俺の風貌を見ればそんな嘘一瞬でわかる筈だが、それでも言ってはいけない事があるのぐらい、俺にだってわかる。





「………ふふ」



「いやぁ………」





だけど、そんな自嘲気味の嘘とはいえ、少しだけ肇の緊張が解れた様だから、全もって意味が無かったとは信じたい。









「…お茶でも煎れるわ」



「でしたら、私が」





そう言って部屋にあったお茶セット一式に向かう。





「実家に居た頃、おじいちゃん… 祖父に良く煎れていましたから」



「それは楽しみだ」





とはいえ、ホテルのお茶セットなんてティーパックだが。



まさか実祖父にパックのお茶を出していたって事は無いだろうけど、流石にこんな冗談を言う勇気は無かった。





「………」





お茶を煎れるために背を向けた肇を具に観察する。



………具に、なんて必要は無い。



寝巻にも着替えておらず、恐らく風呂にも入っていないだろう(変な意味では無い)。



眠れなかったというより、寝る気にならなかったのではないだろうか。









「実家を… 岡山を出てから、もう大分経ちますね」



「え…? ああ、そうだな」





依然肇は背を向けたままだったが、今度の言葉はしっかりと俺に向けられていると思った。





「こっちには慣れたか?」



「そうですね… お友達も出来ましたし、お仕事も充実してきましたから」



「それはよかった」





月並みで気の利いた返しの出来ない口を、今ほど疎ましく思った事は無かった。



『よかった』なんて、そんなの当り前じゃないか。









「それでも… 偶に寂しくなることがあるんです」



「………」





俺の、客観的に見れば気の無い返答にも関わらず、肇は一人言葉を紡いでいる。



やっぱり俺に背を向けたままだった。



お茶を煎れるだけにしては妙に時間を有している。



………顔を向けたくないのだろうかと、妙に邪推するのは俺の気の弱さだけでは無い筈だ。











「寂しい、か」



「…すみません。プロデューサーにはこんなによくしてもらっているのに」





よくしてもらっている、か。



事実ならどんなに良かっただろう。



所詮、仕事での事なんて『良い事』の範疇は出ない。



肇の感じ方如何な部分もあるが、それは仕事であり、俺にとっては『当り前』だ。





「…故郷を……… 祖父を思い出すことがあります」



「故郷を…」









どんな出来た人間にだって望郷の念はあり、それこそ当たり前の感情だ。



肇だって例に漏れない。漏れるはずがない。



肇は年の割には大人びていて落ち着いた印象がある。



だけど、若干十六歳。見た目や纏う空気に惑わされることもあるが、それは覆しようのない事実として鎮座している。



俺は肇の幼少期を知らない。



ましてや、肇の育った岡山の地なんて猶更。



故郷を捨て… とは言わない。いつか帰る事にはなるだろう。



だけど、多感な青春時代に親元故郷を離れて、仕事に費やす… 



そうストイックになりきれない所もまた、肇の良さであり、肇らしさなのではないだろうか。



そんな肇だったから、俺は… 力になりたいと思うと同時に、惹かれていった。









「プロデューサーは本当に優しくて、それで祖父の事を思い出して…」



「………」



「………祖父と無意識に重ねている自分が居ました…」





肇はそこで一旦口を噤んだ。



言い淀んでいるとか、言葉を探しているとか、そういった感じではない。



ただ、時折啜る鼻の音が、俺に必死に涙を隠そうとしている事を悟らせた。











俺はただ肇の言葉を待った。



急く様な話題でない事は自明だし、待つのを苦に感じる事も無かった。



肩を震わせ、必死に涙を堪えようとする肇に、ただ頑張って欲しいと思った。





「ですが… さっき、祖父とプロデューサーは、やっぱり違う人間なんだと、そう自覚させられました…」





…そう自覚させたのは他ならない、俺自身だ。



結局、都合のいいだとか、妄想だとか… そんな風に逃げ口上を並べ立てて、自身が目を背けていたに過ぎない。





「………肇!」





………思考がそう到達したとき、カッと全身が熱を帯びたのが分かった。



二人しかいないこの空間には必要のない程大きな声を出した。



そんな自分を、どこか冷静な思考が諌めようと囁いてきたが、今はそんな心の声に耳を傾けている場合では無かった。









肇の肩を掴んで力ずくでこっちに向きなおさせる。



常では考えられない乱暴な動作だったが、今の肇は常態では無く、ただ一人、普通の女の子… 藤原肇としてだからそれも厭わない。





「………っ」





ガチャガチャと急須やら湯呑やらの割れる乾いた音が響く。



せっかく煎れてくれたお茶が、本来の用途とは違い、床を汚していたけど、そんな事はどうでもいいと思った。









望郷の念に焦燥する肇に何か言ってあげたくて、肩を掴んだまま向き合っていた。



だけど、情けない事に、こんな時にでも俺の口からは上手い文句は生まれてこない。





「…私、高い所が好きなんです」



「えっ………?」





俺の心中を察してではなかった。肇は呟くようにそう言った。



独り言みたいに言ったけど、いつか聞いたその言葉は、今度はしっかりと俺に向けられていると思った。





「天気のいい日だと、見える様な気がして…」





馬鹿みたいでしょう? そう言外に自嘲しているのがありありと見える。



………続く言葉は、岡山か祖父か。俺には判別できない。





「なぁ、肇」





判別は出来ないけど、そんなのは大した問題ではない筈だ。



だって、肇が求めているのはきっと依り代だろうから。











肩に置いていた手をそっと背に回した。





「じいちゃんの代わりじゃない… 俺を頼ってくれよ」





抱きしめつつ、耳元でそっと囁いた。



肇は、俺と祖父が違うと明言した。



俺は肇のおじいちゃんにはなれない。物理的にも心情的にもだ。



だから、もっと違う形で、お前を支えてやれたらと、ただそれだけを願った。





………勢いに任せてでも、好きだとは言えなかった俺を、世間では臆病者と呼ぶのかもしれない。



だけど、それでもいいと思った。ただ、肇にどんな形であれ、俺を頼って欲しかった。









「プロデューサー………」





肇は俺の背に手を回し、抱擁に応えた。





「もう寂しい思いなんて、絶対にさせないから…」





つい今、寂しい思いをさせた張本人がいうには都合のいい台詞だった。



それでも、心情として決意として、肇との約束として、もうそんな思いはさせない。





「約束、ですから………」





そう言って零れ落ちた一滴の涙は、きっとさっきまでとは真逆のもの。



俺達はもう何を言う事も無く、いつまでも抱き合っていた。









___





「あ…?」





気付けば穏やかな陽光が窓から射している。



いつの間にかすっかり眠ってしまったようだった。





「ふあぁ… ってもうこんな時間かよ!」





結局、ホテルを出ようと話していた時間からは大幅に超過していた。



これはちひろさんに大目玉をくらいそうである。





「はぁ〜… まぁいいか」











…よくはないんだけど。



それでも、どうでもいいやと思えるほど、俺の心は穏やかな感情に満ちていた。





「そう言えば、どこいったんだろう」





あの後の事はよく覚えていないが、先に目覚めた肇は部屋に戻って身支度でも整えているのだろうか。





〜〜〜♪





………なんて事を考えていると、携帯に着信が。



ちひろさんだろうか。言い訳を考えねば。









その辺に適当にほっぽり出しておいた携帯を探す。





「あれ…?」





音源はいつもの見慣れた『仕事用』からではなく、めったに鳴る事のない方からだった。



見ると、登録していない番号から。



一抹の不安を抱えつつ、とりあえず出てみることにしたが、その不安は一瞬で消え去った。





「おはよう。肇」



『おはようございます…!』





全く、車内の一間に調べたのだろうか?









………もう肇は大丈夫だろう。



何となくだけど、そう思った。



だって、電話越しだけど、いつもより元気そうな声を賜ったから。





「なぁ、肇」



『なんでしょう…?』



「いつか二人で帰ろうな」



『………はい!』





俺自身も、帰るなんて烏滸がましい表現かもしれないが、いつか二人で帰る場所になっていたら素敵だと思う。



きっと今そんな事をしたら、それこそおじいちゃんに何を言われるか分かったもんじゃない。





だから、二人でもっと高い所に… 



皆が認める、トップアイドルになったら、二人で帰ろう。



おわり





08:30│藤原肇 
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