2015年08月10日

北条加蓮「一番の宝物」




――秋の始まりの頃から、北条加蓮の様子が少しおかしくなった。











SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1439112142



それはほんの些細なこと。

学校帰りに事務所に来て、アイドル仲間と一言二言交わし、時には仲よさげに談笑し、レッスンスタジオに向かう。

仕事の日には俺が送り迎えをするか、あるいは加蓮に任せるか。

車の中では楽しそうに学校のことを喋っていた。それはいつも通りだけれど、様子は、少しおかしい。



根拠は何だっただろうか――なんて、思い出さないと思い出せない程のことなのだろうけれど。

ああ、そうだ、思いだした。

たまにガラケーを見ていることがある。

……何がおかしいって?

アイツが使っているのはスマホだ。ガラケーじゃないし、携帯電話をもう1台、買い足したという話も聞いたことはない。



仕事の打ち合わせをした後と、移動の待機時間10秒と、レッスン後にソファに座った後。

ほんの少しの時間、加蓮はガラケーを取り出して、何かを思案するように目線を宙にやって、そしてまた、いつも通りに戻る。

たった5秒足らずの動作がひどく目に焼き付いて、気になって仕方がない。



上着がもう1枚ほしくなった頃、加蓮を食事に誘ったことがある。

ひどく驚かれてから、そして、目が徐々に三日月形へとなっていった。

……ひとまずは、適当にはぐらかしてみたものの。

アイツは聡い。人の目線や思考には特に。

気付かれているだろうか。気付かれているとしか思えない。



だったら直接に聞けばいいんだろうけれど、そうさせないのは。

加蓮と出会って2ヶ月くらいした時の……そう、ちょうど制服の仕事が入る1週間くらい前に言われたことが、今でも引きずっているからだ。



『アタシ、Pさんのこと嫌いになりたくないから、先に言っとくけど』



手渡された台本を義理で読み上げるかのような口調と共に、一言。



『"アタシの為"とか言ってやりたいようにやってるのって、案外バレる物だからね』



それ以来、なかなか踏み出せずにいる。



それでも俺と加蓮の仲は良好だ。良好、だと思いたい。いつも見せる笑顔が偽物だったら、人間不信になってしまいそうだ。

踏み出さなくても、人間関係は作れる。

今まではそうだったから、今までどおりにやろうとしたけれど。



違和感は瞼に張り付いて、俺の睡眠時間を奪っていった。







靄が晴れないまま、秋が終わろうとしていた。

その日、俺は加蓮を小会議室に呼び出し、あるリストを見せていた。



「……ってことで、これが今回のカバーアルバムの収録曲候補だ」



jewelriesシリーズの続編発売が決まった。

第1弾の時はCDデビューもしていなかった加蓮だが、この度、見事にメンバーの1人に加えられた。



「待ってましたっ! って、うわっ、多!」

「カバーソングはファンからの要望も入るからな、それはもうすごい量になる」

「ここから決めるんだ。ちょっと骨だね」

「それだけ加蓮への要望が多いってことだよ」

「いいように言っちゃって。ふふっ」



顔が隠れていない。俺が口の中だけで笑みを作ると、目敏く反応する。あー、今笑った! と。



「なんだか、小さい頃に聞いた歌が多いなぁ。昔の歌ばっかり」

「最近の歌はカバーしにくいからな。許可とか使用料金とかキツイんだよ」

「え、でもこういうカバーって許可とかいらないんじゃないの? テレビで言ってたよ」

「……そこはほら、大人の都合と立場」

「はーい」



彼女の目線が再び落ちるのを見て、俺は頬杖をついた。



さて。

リストこそ持ってきたが、ほとんど参考意見を聞きに来たような物だ。

ポケットに忍ばせている、メモ1枚分のリスト。そこには5曲がリストアップされている。

ファンのアンケートの中から特に多かった物から加蓮に似合いそうな物を、独断と偏見、それからトレーナーさんの意見を織り交ぜて選んでおいた。

加蓮から要望が出ないようなら、ここから選ぶつもりだったけれど――



「……ん」



加蓮がふと、唇に指を置いた。そして、目だけを俺に向ける。



「これ」

「……んん?」

「これ、歌いたい」



俺は思わず時計を見ていた。まだ話を始めて5分も経過していないが……加蓮にはもう、引っかかる物があったというのか。



「ほう、もう決めたのか」



感心する一方で、口の中で少しだけ舌が突き出てくるのが分かる。

加蓮が真面目なことは言うまでもないが、時々、短絡的、あるいは直感的に決めることがある。

若い内は猪突猛進でいい。社長はよくそう言っていたけれど、時に手綱を引くのも大人の仕事だ。

そう思って、目を細めたところで。



「これ、歌いたい」



加蓮が、言葉をかぶせてきた。



「……どれだよ」

「これ」

「ん? ……えー……どういう歌だっけな、これ」

「もう。リスト持ってきたのPさんでしょ。覚えてないの?」

「すまん……。思い出すのも兼ねて、ちょっと歌ってみてくれ」

「ん。……〜〜〜♪ 〜〜〜〜♪♪」



埃臭い小会議室に、清涼の声が響く。

音程もリズムも合っていて、そしてそれがどういう歌なのかすぐに思い出すことができた。



「前にカラオケで歌ったんだ。凛や奈緒と行った時にね」

「ほう」

「奈緒に軽く引かれた」

「……おおう」



「『え、違うよな? 加蓮? 冗談だよな? 冗談……だよね?』……最後には乙女っぽくなってたっけ」

「相変わらずモノマネうまいよなお前……」

「声色の1つも変えられないでアイドルがやってられますか」



だったら世の中のCDはもっと虹色になっている筈だ。



「で、歌。これにしたいんだけど、いい?」

「まあ俺はいいけど……。じゃあ、ちょっくら交渉してみるかな」



「だめ」

「は?」

「もっと真剣にやって。Pさん。いつもみたいに」



人は影響される。相手が年上だろうと年下だろうと、面倒を見てくれる人だろうと面倒を見ている相手だろうと、関係なく。

俺はいつの間にか加蓮の飄々した性格をトレースしていたようだ。そして我がお姫様は、それに気に食わないらしい。



「私、どうしてもこの歌が歌いたい。お願い、"プロデューサーさん"」



そしてもう1つ。

いざという時にはとんでもなく真剣な雰囲気を漂わせる切り替えも。

スケジュール帳を開くまでもなく時間の予定を思い出せた。事務仕事はあるが徹夜すれば問題はない。



「……分かった。ただ、そうなると電話だけじゃなくて直談判の方が効果的だ。今から営業に行くことになるが予定と体力は大丈夫か?」

「予定? ……っと、んー……うん。夕方からのカラオケの予定、今キャンセルしたから大丈夫」

「おいおい……」

「大丈夫大丈夫」

「でもな――」



言葉を続け……ようとしたら、すっ、と加蓮の白い指が伸びてきた。



「ふふっ」

「……」



ムカついたので舌を伸ばそうとしたら人差し指で思いっきり頬をぷにっとされた。



「うおっ」

「こら。そういうのは時と場所を考えてよ」

「……時と場所を考えたらいいのかよ」

「時と場所を考えた時に何もしてくれないのはPさんの方でしょ」

「…………ちょっと走っただけでフラフラになるような奴がなんか言ったか?」

「あ、ひどーい! これでも最近は体力つけてきたんだからね!」



そういうのは人の散歩に付き合うだけですらフラフラになるのを克服してから言え。言われても困るが。









『蛍火』。



加蓮がカバーしたいと言った歌の題名だ。

元々はゲームの歌で、切なさを残しつつも盛大に演奏された曲調は、結果として力強さよりも最後の瞬きというイメージを彷彿とさせる。

そして何よりも、大切な人を喪ったという歌詞。

どうしても伝えたいメッセージがあり、作曲がそれに応えた、という印象があった。



正直に言おう。

改めて歌詞を調べ直した時、苦笑してしまった。

加蓮は(あんな性格で)正統派アイドルでありつつ、病弱系アイドルだということも知られている。

ファンから愛されているが故か、ちょっとLIVEのスケジュールが繰り下がっただけで、あーまた加蓮が死んじゃったかー、とネタにされることがあるようで。

俺もそのフレーズを思いだした。



後で全力で頭を下げたら、そういう真面目なとこは嫌いじゃないよ、と笑って許してくれた。

でもPさんはアホだよね、とも言われたけど。



「……加蓮」

「ん?」



交渉はスムーズに進んだ。原曲提供側は加蓮がカバーすることを快く承諾し(加蓮のことを知っていたらしい。有難い限りだ)、加蓮も、全力で仕上げます、なんてどんなに外面を作っていてもまず言わない言葉と共に意気込みを見せ、あちらさんにさらに気に入ってもらっていた。

あの分だと、カバーソングを仕上げた頃に次の仕事が期待できるかもしれない。



進捗は順調、だったのだが。



「……いや、なんでもない」



収録を2日後に控えた日。オフだった筈の加蓮はいきなり事務所に乗り込んで、開口一番、車を出せ、と言い出した。

どこへ行くのか聞いても答えず、しょうがないので車に乗せたら、助手席に滑りこんできた加蓮が俺に見せないようにカーナビを弄くり、気付けばどこかの住所が入力されていた。



「昼飯とかはいいのか? もう12時になるが」

「お腹すいてない」

「……そうか」



何が何だか分からないが。

どうも、笑って済ませるようなことではないことらしい、ということが、雰囲気で分かった。



「終わってから、どこかで食べよ?」

「そうだな」



会話が途切れ途切れになる。

別に喧嘩した後とかでもないのに。

次の言葉を探していると、黄色信号を見逃していた。

40キロオーバーで交差点を走り去る。視界の隅で加蓮が唇を尖らせる。



「……いっそPさんに抱きついて事故らせようかな」

「ちょ、お前、いきなり何を言い出す」



「仲良くあの世に逝っちゃおう!」

「冗談でもやめろ。お前が言うと冗談に聞こえない」

「えー。もう、Pさんっていつまで経っても真面目なままだよね。もうちょっと楽に生きればいーのに」

「真面目なことだけが取り柄だからな。加蓮も俺を見習うといいぞ」

「Pさんを見習うとハゲそうでヤダ」

「誰がハゲだ。俺はまだふさふさだぞ、ほらこれ見てみろ触ってみろ、ふさふさだ、ふさふさ」



「十円ハゲ見っけ」

「嘘だろ? オイ嘘だろ!? 加蓮、いつもの冗談だよな? 今ならまだ間に合う。冗談だよな、冗談って言え!」

「お、凛からメール来てる」

「今それどうでもいいよな!?」



……分かったことがある。

グダグダと考えるだけ無駄だ。

いつか加蓮が言っていた。

真面目なのは嫌いじゃないけど、生真面目なのは好きじゃない、と。

アイドルにとって理想のプロデューサーになるのも、仕事の1つだろう。

断じてハゲたくないからではない。



「Pさん」

「……メールはいいのかよ」

「うん。だってあれ嘘だし」

「お前はまた……」



ついていい嘘とついてはいけない嘘を熟知している人間って、ホントに厄介だ。



「Pさんが友達に会いに行くなら、お土産は何にする?」

「お土産?」

「そ。お土産」

「……いや、普通、友達に会いに行くだけなら何も持っていかんだろ」

「…………」



加蓮が拗ねた。

なんでだよ。おかしなこと言ってないだろ。



「……じゃあさ。数年ぶりに会う友達だったら? さすがに何か持っていくでしょ」

「そうだな……。やっぱ食い物だな。相手によるけど、どっかの土産物とか」

「やっぱり?」

「無難だろ」

「冒険とかしない?」

「しねえよ」



ぐい、と身を乗り出した加蓮は、そっか、とあっけなく身を引いた。



「……やっぱいいや。ごめんねPさん」

「そうか」



それから1分くらいの間があって、再び彼女は口を開く。



「Pさん」

「おう」



「私、実は結構、臆病なんだ」

「急にどうした?」

「Pさんがいないと、緊張で歩けないかも」

「……そうか」



らしくねえな、とは言えなかった。知っている、とも言いたくなかった。



「だからさ。Pさん、隣にいてくれる?」

「……俺がいないと、お前、すぐ無理ばっかするからな。俺が見張っていないと」

「Pさん相変わらず過保護だ。うざーい」

「おう。俺はお前に何を言われても過保護でいるって決めたんだ」

「私の病気が完治しても?」

「その時は……その時だな」



実のところ、ふらついていない加蓮なんてもう想像できない。

アイドル活動がやりやすい体になれば、加蓮が苦しまなくて済むならば、それでいいと思うのはもちろんだけれど――

例えばパッショングループの面々のように走り回っている加蓮とか、どうやっても想像できない。

いや、一瞬だけ想像しかけて気分が悪くなりかけたので、窓を開けて唾を吐き捨てた。



茶をがぶ飲みしてなんとか調子を整えたところで、加蓮が何してんのと尋ねてきたので、お前も飲むか? とペットボトルを差し出してみた。

ちょっとだけ顔を赤くした加蓮は、いらないよ、とそっぽを向く。

勝った。

とニヤけた瞬間、奴は脇腹を突いて来た。痛い。地味に痛い。



「加蓮」

「んー?」

「お前、どうせ俺が立ち去ろうとしたら、引っ張ってでも止めるだろ」

「そうなったら仲良くベッドの上で生活だね。Pさんとなら退屈な病院生活でも耐えられるかも」

「やめろ」



やがて車は目的地へと到達した。静かに降りた加蓮は、大きく息を吸って、それ以上の二酸化炭素を吐くというとても器用なことをしていた。

続いて俺も降りて……ああなるほど。なんとなく、加蓮の気持ちも分かる。

そういえば俺はここに来たことがなかった。てっきり自分も足を運んだつもりになっていた。

加蓮が倒れた時は……加蓮の家に突撃しただけで、結局、ここには訪れていない。



「よし。行こ。Pさん」

「意外にアグレッシブだな」

「Pさんがいてくれるからね」



腕がグイグイと引っ張られる先にあるのは、無機質な白さが目立つ四階建ての建物。

手前側と奥側の二棟に分かれていて、ここから小さく見える奥側の建物が、人工的に白く見えた。

てっぺんに赤い十字が刻まれ、その上に緑の字で書かれていたのは。



――中央病院。







リノリウムの床が、俺の顔を揺らいで映す。

目を凝らしても造形すら確認することができない。もちろん、どんな顔をしているかも。

外界と内界を仕切る曇りガラス付きの扉でも、自分が取ってつけている表情を確認することはできなかった。

加蓮ならこういう時、手鏡を使うのだろうか。

それとも――アイツは自分がどういう顔をしているかいつも把握していて、改めて確認する必要なんてないのかもしれない。



「…………」



無性にタバコが吸いたくなった。プロデュース業を始めると同時に水の底に沈めてしまったから、2年半ぶりの感覚か。

名前のないプレートが、お前は誰だ、と揺れる。

悪かったな。加蓮じゃなくて。加蓮の保護者みたいなものだ。

視線でそう返したら、ぱたん、ともう1度揺れる。



「――お待たせ」



がじゃら、と砂と土が擦れて、扉が開いた。

そこから姿を見せた少女は。

何か憑き物を落としたような顔を作ろうとして。

失敗して、変な笑みを浮かべていた。



「もう、いいのか?」

「うん。自己満足だし」



加蓮は歩き出す。

後を追おうとして、ふと、ほんの少しだけ開かれたままの扉が気になった――その先に見える、真白の病室。

一瞥するだけで魂を吸い込まれそうなほどに虚無の空間で、そこから出てきた加蓮は異界の住人なのではないかとメルヘンチックな想像を巡らせてみた。



ふと、隙間の向こうに、ゴツゴツとした四角い物が見えた。

それは、ここ数日の間、俺の頭を悩ませていたガラパゴスケータイ。



「…………」



思わず加蓮の方を振り向く。彼女は足を止めて不思議そうにこちらを見ていた。

何かを聞こうとしたけれど、聞かずに理解したいと思って、開かれたままの扉を閉める。

ひどく耳障りな音が、意識を現実へと引き戻させた。



「あー、いや……な?」

「ふふっ。変なの」



置いて行かれそうになって、小走りで隣に並ぶ。



「……ありがと。私のワガママを聞いてくれて」

「車のことか? 別に、これくらい――」

「ううん。歌のこと」

「……『蛍火』か」



誰かを喪った歌詞。なんですぐに死んでしまうのか、と笑い草にされているのは加蓮だって知っているだろうに、それでもこの歌を選んだ。



――かじかむこの手をにぎり、寒い? と笑った君は

――今はもうここにいない



「昔ね、いたんだ。私みたいに、夢を見た子」



「……」

「私がアイドル。で、その子が歌手。……私よりすごかったんだよ。

私はテレビで見たからって理由だけだったけど、その子はもっと具体的だったもん。

歌手になったらこういう歌を歌う、体力があんまりないからこういう風に仕事がしたい、って。

看護婦からいろいろと教えてもらったのかな。それとも何か調べたのかな。すごく詳しくて、まるで物語を読んでるみたいだったんだ。



死んだけど」



死んだ、という言葉を、すごく呆気無く使う。

言葉の重みを操作しているように――ただの言葉を歌詞にして、メッセージにしているように。

蛍光灯が緩やかに点滅している角を曲がった時、加蓮は立ち止まって、すっ、と儚い笑みを浮かべた。



「一度、喧嘩したことがあってね。夢なんて叶えられる訳がないって」

「そうなのか……?」

「ちょうど、仲良くしてたおじいちゃんが死んじゃった時かな。私も、その子も、仲良くしてもらってて」

「それは……キツイな。ガキの頃だろ?」

「うん。おじいちゃんの口癖だったんだ。いつかここを出て昔の友達とゲートボールをやるんだって。それが夢だって言ってた」



思い出話を、どうしてここまであっけらかんとできるのだろう。

手をポケットに突っ込んで車のキーを軽く回す。それでも少し落ち着かないので、しみったれた壁へと背を預けた。

加蓮がぐいっと覗きこんできた。なんだよ、と手で払うと、なんでも、と身を引く。



「おじいちゃんが死んじゃった後にその子、どうせ夢なんて叶わなくて死ぬんだ、だから考えても無駄なんだ、って。ふふっ、私も黙ってられなくて、言い返したんだけど……なんて言ったと思う?」

「……お前のことだから、そんなことない! って反発してそうだな」

「残念。私、そんなに子供っぽくなかったから」



行き場所を失った右手で壁をなで上げると、ざらり、と砂っぽい感触がした。



「じゃあなんて言ったんだ?」

「そうやって諦めてたら、テレビで見た人だって生まれなかった、って。言ってやった。ムカつくガキでしょ」

「おう」

「ふふっ」



加蓮が歩き出す。とん、とん、とわざと足音を響かせる姿は、確かに子供っぽかった。

子供らしくもなければ大人になりきれてもいない、はたはた迷惑な子供。



「それから……3日後だったかな。強いね、って言われちゃった」

「強い……」

「あと、この前はごめんって。もう諦めないって」

「……お前は昔から、凹んでる奴に発破をかけるのがうまかったんだな」

「まあ、その5日後に死んだけど」

「そりゃ、また……」



天井を見上げた。目立つ場所に蜘蛛の巣があった。加蓮もつられて見上げて、あっ、蜘蛛の巣、と嬉しそうに言う。



ちょっとした発見が楽しかったんだ、と続けた。そうか、とだけ俺は返した。

確かに北条加蓮は強いのかもしれない。その所以は、どこにあるのだろうか。



「夢なんて叶わない。ううん、叶えられない。どれだけ努力をしても無駄。全部、蛍火みたいに消えていく」

「……」

「って塞ぎこんでたなぁ。だからほら、そーいうのが大っ嫌いで。私って努力とか下積みとかそーいうキャラじゃないし?」

「そういうことか……」

「なのにPさんに出会えて、夢が叶っちゃって。……夢のステージに立てた時、ファンと、Pさんと、それから、あの子に伝えたかったんだ。夢は叶うんだって」



けれど、もう――伝える方法がない。



彼女ともっと早く出会っておけばよかった。そうしたらもうちょっと伝える方法もあったんじゃないだろうか。

――なんて。

今の加蓮を見ていると、不可能に不可能を塗り重ねたことにすら縋りたくなる。

もしももっと早く出会ったところで何ができたというのだ。どの道、もうずっと昔の話なのだから。



「だから、自己満足」



加蓮はイタズラっぽく笑った。



「いいんじゃないか? それで」



だから俺も、できる限りの笑みを作った。



「うん。それにほら、新しいこととか、新しい場所とか、そーいうのが楽しくなってきちゃったからさ。ここらで墓参りでもしないと拗ねられそうだし?」

「そりゃまた面倒な奴だな。類は友を呼ぶってか?」

「……んん? Pさん、今アタシを馬鹿にした?」

「さーて用が済んだなら帰るぞ加蓮。腹が減ったな。ファミレス行くか。いやジャンクフードでも奢ろうか」

「あ、こら、待て、逃げるなっ」



階段が、2人分のリズムを刻む。

かつて加蓮の隣にいたであろう、名前も知らない誰か。今はもう蛍火となって消えてしまった奴の代わりに、俺はなれているだろうか。



……愚問だ。

別に俺は、姿が見えない何かの代替品になりたい訳ではない。

そもそもそんな奴がいたなんて考えたら神経がすり減ってしまう。こちとら加蓮のガラケーを見ているだけで睡眠時間が減る奴なんだぞ? 元々この席には誰かがいたなんて知った日にはベッドにつくことさえ難しく――



「なあ加蓮。そいつってさ、男?」

「ふふっ。Pさん、シュレディンガーの猫って知ってる?」

「……ぐぬぬ」



名前のないプレートが、ぱたり、と音を立てた。

加蓮に見えないように、こっそりと手を合わせておいた。









1階まで駆け足で降りて本棟に戻って、エントランスが見えた頃、なんで俺らは仕事場に向かうように急いでいるんだと顔を見合わせて苦笑いして。

通りかかった看護師が加蓮を呼びとめて、二言三言、やりとりを交わす。

最後に、もう大丈夫です、と笑顔を見せていたあたり、もういいの? とでも尋ねられたのだろうか。

俺の方を向いた加蓮は……なんか着替えを見られた直後みたいに顔を赤らめていた。



「……尖ってた頃を知ってる人」

「ああ……」



そういえばアニバLIVEの時も、昔のことはいいからとか言ってたっけ。



「やだなぁ、ああいうの」

「俺からすりゃ子供の成長期みたいで見てて楽しいけどな」

「子供なんだ」

「それ以外に何があるってんだ」

「そりゃもちろん、……………………」

「ははっ、そこで赤くなってる間はまだ子供だよ」

「うー、Pさんがムカつく。いつも以上にムカつく」



北条加蓮は誤解されやすい人間だ。俺だってよく間違えてしまう。

だからこうやって、軽く笑い飛ばすくらいがちょうどいい。



「んーっ。はー、スッキリした。ずっとモヤモヤしてたからかな。ふふっ、ありがと、Pさん」



「俺は別に何もやっていないさ」

「私はアイドルになったぞ、どうだっ、って言ってやった」

「へえ。そりゃ居心地が悪いだろうな。なにせ夢なんて叶わないって突っ張ったんだから」

「いつか歌手に路線変更してみよっかな。あの子の分まで」

「アイドルとしてやりたいことを全部やったら、それもいいかもな」



加蓮はいつだって自分の為に生きてきた。自分のことでいっぱいいっぱいだった。

もし、人の為になろうって言うのなら――

俺はそれを、本音をすべて吐き出してでも応援したいと思う。

……いや、違う。応援だけじゃなくて……できることなら、そんな彼女の隣にいたい。



「いつかあの子に笑われないように、もっと頑張らないとね」

「……そういう、微妙にシャレにならんことを言うのはやめろよ」

「ふふっ。でも頑張るのは明日からで。今日は何か食べて帰ろっか。たまには私が奢ってあげよーっと。JKに奢られる20代後半……ぷぷっ」

「やめろ。オイ馬鹿やめろ。2人で店に入るだけで視線が痛いんだからなっ」



前言撤回――いや、前言修正。

隣にいたいと思う前にまずこの捻じ曲がりまくった性分をなんとかしなければならない。さもないと俺の胃に穴が空いてしまう。



「じゃ、行こっか」



明るい掛け声。それだけで、頭の中のスイッチが切り替わった。

もう昔話もしないし、シリアスな語りもいらない。今日の出来事はすべて終わった。

あとはファミレスなりハンバーガーショップなりに立ち寄ってくだらない話をして、時間が余ったらドライブがてらどっか連れて行って、それで終わり。

……だった、筈だけれど。



また早歩きになった加蓮を掴もうと手を伸ばした時だった。

加蓮が舌をぺろっと出して前を向いた時だった。

人の行き交いが少ない廊下に、甲高い声が響いたのは。









「あーっ! テレビのおねえちゃんだー!」







「……うん?」「お?」



質素な服の女の子が、とてとてとて、と危なっかしい足取りでやってくる。

3歳か、4歳くらいだろうか。

顔をオレンジ色にして、わー、と加蓮にキラキラとした眼差しを送っている。

ちょっとだけ首を傾げた我らがアイドル様は、すぐに営業スマイルへと切り替えた。いつもよりちょっと柔らかめの。



「やっぱり! テレビのおねえちゃんだ!」

「はーい。テレビのお姉さんですよー」



「すごーい! テレビからでてきたの?」

「えっ? っと……うん、そうだよー。お散歩ー」

「すごーい!!」



すごいすごい、と、女の子は加蓮の回りをくるくると回る。

決して美人ではないけれど、まるまるの顔は愛嬌を誘うし、何より笑顔がとても眩しい。親世代やお年寄りが愛でそうな出で立ちだ。

内ポケットから名刺を取り出、



「Pさん?」

「はいごめんなさい冗談です」



初めて会った時より視線がキツかった。違う、いきなりスカウトじゃなくて紹介くらいで、と脳内で言い訳をしていたら視線に殺されそうになった。



「ねえねえおねえちゃん。おうたうたって! おうた!」

「お歌? うーん、そうだねー」



ちらり、と視線が流された。軽く首を縦に振っておいた。

ストリートライブならともかく、病院の廊下でちょっと口ずさむ程度なら咎める必要もない。



「いいよー」

「やったぁ!」



加蓮は、にかっ、と笑って、子供に目線を合わせる。髪をぐしぐしと撫で回し、きゃっきゃっと黄色い声を受け止めてから、また立ち上がって。

すぅ、と口を開いた。



「あーる♪ おー♪ えーむ♪ えー♪」

「わぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ!!」



歌い出したのは、彼女の持ち歌ではない。あれとはまるで真逆の歌。

赤城みりあの歌だった。

おい、なぜそれをチョイスした。

4歳児(?)には厳しくないか? あれ。



「〜〜今日もよろしくね♪ 遊ぼうよマイフレンズ♪♪」

「すご〜〜〜い! すごい、すご〜〜〜〜〜〜い!!」



すごくウケていた。



……サビに入る直前、こっちを一瞬だけ見た加蓮がなんかドヤ顔していたような気がする。

気のせいだ。気のせいだろうけれど、後でほっぺたをつねってやろう。



「……どう?」

「すごい! テレビのおねえちゃん、おもしろい! おうたすっごいうまい!」



俺は聞き逃さなかった。最後に「どう?」と聞いた時、ほんのちょっとだけ息を呑んだことを。

俺は見逃さなかった。子供がさらに高い歓声をあげた時、照れた笑いを見せたことを。

……そして、笑顔を少女に見せつつ目だけでこっちを睨んでいることを。

駄目じゃないか加蓮。アイドルならどんな時だって、お客さんに全力にならないと。

「ふふっ。ごめんね。そろそろテレビの中に戻らないといけないから」

「えぇ〜〜〜……」

「そうだ、いい子にしてたらまた来てあげよう」

「ほんと!? じゃあ、またおうた、うたってくれる?」

「もちろん! あ、次までに元気になってたら、一緒に歌おうか。その方が楽しいよ」

「やったぁ! じゃあね、いいこにして、げんきになる!」

「うんうん」



「あっ、そろそろせんせいがくるじかんだ!」

「……そっか。いい子なら、抜けだしてこんなとこを歩いてちゃだめだよね?」

「ごめんなさーい!」

「ちゃんとお部屋で待っていないとね」

「うんっ!」



またねー! と手を振りながら去っていく少女。

ばいばい、と小さく手を振る加蓮。

そうか。入院患者だったか。あの質素な服は病院着だったのか。ここに来たことがなかったから知らなかった。

それにしては元気だった。病人ってのは体力がないものじゃないのか? それは加蓮だけか。



「――――――」



で。

その加蓮は、子供の姿が見えなくなると共に手を降ろし。

けれど、じいっと、子供が駆け去った先を見続けていた。

じいっと。

子供の姿が見えなくなっても、ずっと。



「……加蓮?」



回りこんで見てみるも、曖昧な笑顔で固まったまま。眉すらも動かさない。



「加蓮? おーい、かれーん」



額を軽くどついてみた。これすら反応がない。



「……おいおい。車までお姫様抱っこで運ぶぞ? 新しい黒歴史が語り継がれるぞ?」



冗談めいた口調にも反応はない。

さっきの子供の声を聞いたのか、看護師がこっちにやって来るも、加蓮をちらっと見るなりなぜか温かい笑顔で立ち去っていった。

去り際に一瞬だけ目があって、ますます笑みを濃くされた気がする。



「どうしろってんだ……」



思わず片手で頭を抱えた、その時だった。







「――――見つけたっ!」





加蓮が再起動した。



「うおっ! 何だお前いきなり……!?」



目を白黒させる暇すら与えない。

ぐいぐいと俺の腕を引っ張って、周りに誰がいるだとかここがどこだとかそんな事情を一切合切無視して、それはもう素敵な――写真に収めることがもったいないとすら思う素敵な笑顔で、声を弾ませる。



「PさんPさんっ! 私、やりたいこと、また見つかった!」

「や、やりたいこと……?」

「アイドルの仕事! みんなに夢を届けてあげたい!」

「みんなって……それに夢って、お前いつも」

「そうじゃなくて! ううん、そういうんじゃなくて、子供に!」

「子供に?」

「子供に! 子供たちにも、夢を届けてあげたい! 私みたいに……夢を見られなかった子にも! みんなに!」







――そして、[希望の聖夜]へ続く。









18:30│北条加蓮 
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