2015年08月19日

響「赤月の夜空に、ごきげんよう」


秋の夕方。



今日はとっても、特別な日。







「ねぇねぇひびきん! 今日何の日か知ってる?」





事務所のドアを開けると、亜美がいきなり飛びついてきた。





「知ってるよ。皆既月食でしょ」



「ちぇーっ……ひびきんも知ってたか……」



「そりゃ、テレビでいっぱい言ってたし、学校でも話題になってたしね」





三年ぶりの皆既月食に、みんなワイワイ盛り上がってた。



自分もずっと、今日を心待ちにしてたんだけどさ。



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ただ、自分の場合は、みんなとはちょっと違う理由で。





「亜美、貴音来てる?」



「お姫ちんなら給湯室にいるよん」





荷物を置いて給湯室を覗きこむと、亜美が言った通り、姿があった。





「ああ、らぁめん。何故あなたは三分もの時間、わたくしを待たせるのでしょうか」



「自分なら二分ちょいで食べちゃうけどね」





びくんと、貴音の肩が跳ねる。



わっかりやすいなぁ。





「……響、いつからそこに?」



「今来たとこ」





人を驚かせてはなりません、とちょっぴり怒られた。



「貴音はもう上がり?」



「はい。本日のレッスンは終わりました故」





貴音と話していると、コーヒーカップを片手にプロデューサーがやってきた。



おかわりに来たのかな。





「ん? 響、今日スケジュール入ってたか?」



「ううん、何もないよ。貴音と待ち合わせしてたから寄っただけ」



「ああ、それで貴音はレッスンを早めにしたのか。コーヒーあるか?」



「プロデューサー、カップを」



「お、ありがとう」





貴音はプロデューサーからカップを受け取り、傍のメーカーからコーヒーを注ぐ。



貴音、やっと使い方を覚えられたんだな……。



貴音はカップラーメン。



プロデューサーはコーヒー。



自分は冷蔵庫に入ってたプリンを貰った。





「二人とも、待ち合わせしてた用事っていうのは長いのか?」



「ん、なんで?」



「春香が月食を見ようって言い出してな。みんなで屋上から見るんだけど、二人はどうかなと」



「あー……」





折角のお誘いだけど……。





「ごめん、プロデューサー。自分たちは行けないや」



「お誘いを無下にしてしまい、申し訳ありません」



「いやいや、気にしない気にしない。居るやつだけの突発イベントだしな」





プロデューサーはぐいっとコーヒーを飲み干すと、お疲れ、と言い残して仕事へ戻った。



自分たちもそろそろ行こうかな。





「再び三分待てと申すのですか。いけずです」





……貴音が二杯目を食べ終わったら。



結局、四杯目を死守してから事務所を出た。



やや物足りなくも満足げな貴音を見てると、ちょっとむかっとする。





「ずるいぞ。貴音ばっかりいい思いして」



「そう拗ねなくとも良いのですよ。良い子良い子」



「うがーーー! 子ども扱いするなよー!!」





高身長の貴音がちっちゃい自分を撫でると、本当に自分が子どもみたいだ。



悔しいよ……神様、あと二十センチ伸びたいです。





「少し急いだ方がよさそうですね」



「あ、もうそんな時間?」





腕時計を見ると、時刻は18時。



もうすぐ、始まる。



「この辺りでいいかな」



「そうですね。ここなら人目もつかないでしょう」



「あっ、ここの芝生ちょうどいい! ほらっ、貴音貴音!」



「少し落ち着きなさい、響」





小さな丘の上にすとんと腰を下ろすと、貴音も少し遅れて隣へやってきた。





「綺麗な満月だね」



「ええ、まことに」



「貴音の髪の色だ」





貴音は珍しく、はにかんで頬を赤らめた。





「そういうことは、あまり軽々しく言うものではありません」



「自分は思ったことを素直に言うタイプだからな」



「……むぅ」





小さく唸って俯く貴音も、これまた珍しいなぁ。



「あ」





月が。



自分が声を上げると、貴音も空を見上げた。





「18時15分。欠け始めたぞ!」



「相変わらず、眼がいいのですね」



「貴音は分からない?」



「月が欠けているところは見えません……が」





二人して、貴音の足を見た。





「欠け始めたことは、分かります」





消えたつま先を撫でながら、貴音は穏やかな声で言った。



座りなおして、また月を見上げる。



先はまだ長い。





「まだかなー」



「ゆったり待ちましょう」





あと一時間と少し。



夜空に瞬く月の下で、二人で他愛もない話を続ける。



この前のCM収録が楽しかったこと。



撮影先で会った黒井社長が罵りながらジュースを奢ってくれたこと。



それに対抗心を燃やした社長がコーヒーメーカーを買ってきたこと。



得したのがプロデューサーだけだったこと。



実はついさっきまで亜美が追いかけてきてたこと。





「……え、ホント?」



「響は気付いていなかったのですか?」



「全然……だからあんな変な道歩いてたのか」



そんな世間話が、ぴたりと止んだ。





「あ、小指が……」



「おや、思っていたよりも時間が経っていたようですね」





貴音の右手の小指が徐々に消えてく。



気付くと、膝下もほとんど見えなくなってた。





「みんな、今の貴音を見たらびっくりするかな」



「二人だけの秘密ですよ、響」



「うん、分かってるって」





事務所に入るよりも前。



三年前からの、二人だけの秘密。





「月、だいぶ欠けてきたね」



「ええ、これほどまでに欠ければ、わたくしの眼でも分かります」





僅かに残った貴音の手のひらが、自分の手に重なった。



そのあとは、何も話さなかった。



二人でただただ、月を見上げる。



重なってた貴音の手は、とっくに消えてた。





「19時00分だ」





隣にいる貴音は、もう上半身から下は見えなかった。



腕も、二の腕から下は消えてる。



ウェーブがかかった長髪も、先の方が少しずつ欠けてく。





「……」



「どうしたのですか、わたくしを見て黙り込んで」



「……別に」





ぽつりと返事をすると、貴音は目をぱちくりさせてから、クスッと笑った。



「わ、笑うことないだろー!」



「ふふふっ。響はまこと、可愛らしいですね」



「うがぁーー! またそうやって子ども扱い!」





ぷんすか怒ってたら、僅かに残った腕で、貴音はぎこちなく自分を抱きしめた。



あったかいなぁ、貴音は。





「大丈夫ですよ、響。そのまま消え尽きてしまうわけではありません」



「それは……分かってる、けど」





今日という日を、自分もずっと待ってたけど。



でも頭では分かってても、貴音が消えていくのは、とっても寂しいんだ。



月がどんどん、影に食われてく。



その姿と同じように、貴音の身体もどんどん消えていく。





「そろそろ、全部なくなっちゃうね」



「泣いては駄目ですよ、響」



「な、泣くわけないだろ! そうやって馬鹿にして!」



「それなら良いのですが」





貴音が楽しそうに笑う。



顔が消え始めると、あとはあっという間だった。



時計を見ると、針がまさにその時刻を指そうとしてた。





「あ……」





綺麗な銀髪が、上質な砂糖菓子が溶けるようにさらさらと消える。





「そんな顔を、してはなりませんよ」





最後にそう言って微笑み、貴音は夜の闇へと溶け込んだ。



「……貴音、居なくなっちゃった」





呟いても、返事は返ってこない。



丘の上には、一人きり。





空を見上げると、三日月のように欠けた月があった。





「貴音……」





三年間。



二人で待って待って、待ち続けた時。



そして。





「……あっ……!」





欠けていた月が、鈍い光を放ち始める。



ゆっくり、うっすらと、その姿を現し始める。



その姿は、さながら月の現し身のようで。





「響」





空から手が差し伸べられる。



清水のように透き通った肌。



そこにかかるのは、月の色に光る長髪。





風にたなびく、紅い髪。





「ごきげんよう」





赤い瞳が自分を見つめた。



待ちわびた時が来た喜びを胸に、その手を取った。





「おかえり、貴音」





貴音に手を引かれるまま、とんっと地面を蹴った。



赤銅の月に照らされ、二人の影が空へ舞う。



貴音に誘われた空は、吹きつける風が冷たかった。





「寒いね」



「動いていれば、寒さなどすぐになくなります」



「そうだね。じゃあ――」





月を背にして、どちらからともなく。





「月のワルツを、踊りましょう」





夜空の舞踏会が、静かに始まった。



風に乗って、虚空を蹴って。



赤月の夜空を、軽やかに舞う。





「あははっ! この空全部がステージみたい!」



「はて。ステージということは、どなたかご覧になっているのでしょうか?」



「貴音ったら何を言ってるのさ」



「?」





不思議そうな表情をする貴音は、何だかおかしかった。





「自分はずっと、貴音のことを見てるぞ」



「……ふふっ。ならばわたくしも、響のステージを拝見するとしましょう」





手を取り合いながら、もっともっと、空高く。



踊りましょう、天高く。



奏でられるのは、夜風のさえずり。



赤いスポットライトに照らされ、二人で踊る。



赤月の刻は、まだまだ長い。





手を放せば、しばしの遊覧飛行。



三拍子のリズムは鼓動を刻み続ける。



薄い雲を破ると、ふわりと再び上層へ舞い上がる。





そうしてしばらくの間、自分たちは二人きりの空で踊り続けた。



「響、行ってみませんか」



「ん、どこまで?」



「あそこまで」





貴音は赤い月を指さした。



丘の上から眺めるよりも遥かに大きな月。



その妖艶な輝きは、全てを吸いこんでしまいそうだった。





「うん、いいねそれ」



「それでは競争しましょうか」



「おっ、自分、足の速さなら負けないぞ!」





自分がそう答えるや否や、貴音はいたずらっぽく笑って飛んだ。



そのあとを追って自分も飛ぶ。



赤い赤い、月を目指して。





貴音の赤い髪が風にたなびく。





「貴音」



「何でしょう?」



「あそこに行くのは、今度にしよっか」





自分の言葉を聞いて、貴音は赤い長髪を手に取った。





先の部分が、欠け始めていた。



「おや……いつの間にか、時間が経っていたようですね」



「楽しいことはあっという間だね」



「ええ、まことに」





再び貴音の手を取って、ゆっくりと空を降りてく。



後ろを振り返ると、赤い月。





「また今度、行こうね」





名残惜しく思いつつ、背を向けた。



「最後にちょっと、寄り道しようよ」



「寄り道?」



「――」





行き先を告げると、貴音はちょっと驚いたような顔をしてから微笑んだ。





「行きましょうか、あの場所へ」



「うんっ、行こう!」





手をつないだまま、出来る限りの早さで、空を駆けた。



――――――――――――



――――――――



――――







「おい、春香、亜美。風邪ひくぞ。律子もあずささんも、もう下に戻ろうってさ」



「いいじゃんいいじゃん! もちっとだけなんだから!」



「プロデューサーさんも、折角ですから最後まで見ましょうよ」



「お前たちは体調管理とか、もう少しプロ意識というものをだな……」



「……あれ?」



「亜美、どうしたの? 変な声出して」



「ううん……変だなぁ」



「風邪ひいたか?」



「違う違う! なんか、誰かが近くに居た気がしたんだって!」



「えっ、私たち以外の人が屋上に?」



「うーん……屋上、なのかな?」



「んー……なんかすっごく見られてる気がするんだってば」



「そんなこと言っても、私たち以外にはお月さまくらいしかいないよ?」



「……はるるん。結構ロマンチストだったんだね」



「うえぇっ!? そそそそんなつもりじゃないよぅ!」



「お月さま、ねぇ……」



「ぷ、プロデューサーさんまでぇ!!」



「いや……案外、そうだったりしてな」



「え?」



「さっ、いい加減に中入ろう。雪歩がお茶入れてくれてるから」



「よっしゃー! お茶受けは貰ったー!」



「あっ! ま、待ってくださいよぉ!」



――――――――――――



――――――――



――――







丘の上へ戻ってくる頃には、貴音の身体は再び消える直前だった。



夜空の赤銅色が薄れてく。





「響、楽しんでいただけましたか?」



「すっっっごく楽しかったよ!」



「それなら何よりです」





貴音はにっこりと笑い、月を見上げた。





「そろそろ、終わりのようですね」





先程は溶けるようだったのとは対照的に、身体と赤い髪が燃え上がるように消えてく。



ついその髪を撫でると、貴音はちょっとくすぐったそうに身を捩った。





「わたくしにとっても、とても心地良い時間でしたよ」





満面の笑みを浮かべながら、貴音は燃え尽きた。



再び一人きりになり、丘の上に座り込んだ。



見上げた夜空には赤みが抜けた三日月。



何もすることがなく、ただ茫然と月が丸くなっていくのを見つめていた。





「次の月食は、来年の春だそうです」





しばらくすると、隣から声が聞こえてきた。





「今度は結構近いんだね」



「ええ。今回の三年に比べればかなり」



「自分、貴音が三分三分騒いでる間、ずぅっと待ってたんだからな」



「いいですか響、かっぷらぁめんを待つ間の三分間の重要性というのは」



「ああうん、そういうのはいいや」





横を見ると、既に身体もほぼ元通りとなった、銀髪の貴音が居た。





「もうちょっと?」



「はい。月もまだ、少し欠けております」





見上げると、月は少し窪んでた。



それから、またしばらくして。



月が完全に丸くなったのを見て、二人して立ち上がった。





「貴音、お腹空いてる?」



「お腹、ですか」





ぐぅ、という音が、貴音のお腹から代わりに応えてくれた。





「じゃあうちに寄っていきなよ。ご飯作ってあげるぞ!」



「それはまことに良き考えですね。わたくしお腹が空いておりますので、そのおつもりで」



「どういう脅迫だよ……何食べたいか、スーパー着くまでに考えといてね」



「心得ました!」





わくわくした表情で、貴音はあれこれと思案している。



そんな姿を見てると、ついさっきの空旅行が嘘みたいにしか思えない。



次の月食は、約半年後。



その時はきっと、あの赤銅に輝くお月さままで。





「響」



「えっ、あ、うん。何食べたいか決まった?」



「わたくしはお待ちしておりますよ。響が、あの月まで来て下さる時を」





自分の心を見抜いているかのような言葉に、思わず面喰った。



やっぱり貴音はちょっと変だぞ。





「待ってる……?」



「はい」





貴音は柔らかく微笑んだままで、それ以上の答えはなかった。



でもきっと、言葉通りの意味なんだと思う。



貴音は、待ってる。



あの赤銅の月が昇った、夜空の向こうで。





「なら、もうちょっと待っててね」





いつまでかかるか分からないけど。





「必ず、そこまで行くからね」





もう、一人ぼっちじゃないよ。







手を握ってそう答えると。



貴音は、嬉しそうに手を握り返してきた。









終わり



23:30│我那覇響 
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