2014年03月10日

藤原肇「釣れますか」

モバマスSS、地の文あり

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1394274842


さらさらと流れる渓流に向かって、手頃な岩に腰を下ろして。


自然の中に糸を放ち、ゆっくりと過ぎる時間をじっと感じています。


こうしてこの釣り場で魚を待つ事も、これからは少なくなるのかな。


そう思うと、なんだか寂しい気持ちが溢れてきます。


来月から、とうとう私も高校生。


家から一番近い高校に進学したら、新しい生活が始まって。


友人たちと遊んで、クラブ活動や委員会活動に打ち込んで。


そうしたら、こうやって釣りに来る時間も減ってしまうのかな。


でも、それもまた、私の道なのかな、と感じています。



おじいちゃんに教えてもらった、秘密の場所。


お父さんもお母さんも知らない、私とおじいちゃんだけが知っている釣り場。


釣り竿がなくても、岩に座って渓流に向かって、自然を感じるだけで。


まるで曇の切れ間から光が差すように、気持ちがすっとします。




ぴくり。


何かがかかったな、と気付いて私は竿を引き上げます。


ぐいぐいと竿は引っ張られて。


負けじと私も、竿を引いて。


「……ふう」


澄んだ空気に晒されてぴちぴちと跳ねる魚。


口に引っかかった針を外してバケツの中へと移します。



餌を付け直して、また針を川へと放ります。


次はもう少し長く、ぼんやりとしていたいな。


餌を付けなければいいのに。


そうは思ったけれど……これで、いいのです。


今はただ、じっとこの時間を味わっていたいだけなのですから。




ゆるやかに流れる川。


木々の間から差す木漏れ日。


鳥の声。


自然に囲まれた中で、私はそっと、糸の先へと意識を寄せます。



こくり、と体が揺れて、目を覚まします。


うたた寝をしていたのかなと気付いて、もう一度、しっかりと竿を握り直します。




ぴくり。


また、何かが掛かったのかな。


ゆっくりと、竿を上げます。


ですが、私が思い描いていたよりもずっと強い力で、針は水底へと沈んでゆきます。


大きな魚かな。もしかしたら、川の主かもしれません。


ぐっと力を込めて、ぴんと張った竿を引っ張ります。



「……あれ」


けれども、どんなに力を込めても竿は動きません。


おかしいな。こんなこと、今まではなかったのに。


確かに、私は普通の女の子。特別力が強い訳ではありません。


でも、この渓流でこんなに力の強い魚は、見たことも聞いたこともありませんでした。


少しずつ自分の体が、川に引き寄せられてゆくのが分かります。


「……あっ」


少しだけ、体が宙に浮いたような感じがして。


ここは浅かったかな、それとも。


そんな心配事が、頭をよぎりました。



川の冷たい感触が、頬を撫でました。


跳ねた水飛沫。ふと気付けば、私は両手を離していて。


「……竿」


そのまま、ゆらゆらと流されてゆく竿が見えました。


取りに行かなきゃ。


けれども、体はずっと、固まったままでした。




そうしてようやく、私は気付いたのです。


「……大丈夫か。もっと自分の心配をしろ」


私を支えてくれている、しっかりとした暖かい腕。


「……えっと、あの」


何が起こっていたのでしょうか。


どんなに頭を働かせても、答えにはたどり着けませんでした。



「……あの。ありがとう、ございます」


どういたしまして。


目を逸らし、ぽりぽりと頭を掻きながら彼はそう言うのでした。


じりじりと川へ引きずられる私を見て、咄嗟に助けようとしてくれたそうです。


なんだか、顔から火が出ちゃいそう。


でも、とても暖かくて、温かくて。


不思議な気持ちでした。


「……落ちなくてよかった。それだけだ」


それよりも竿が、と彼は川下の方を見ます。


岩の隙間に引っかかって、竿は流れの少し先に止まっていました。


「よかったな」


ええ。でも、川に落ちなかったことの方が、大事でした。



竿を川から文字通り引き上げて、持ってきていたタオルで濡れた部分を拭き取って。


あとはお日様に当てて乾かしておきます。


そうして、ふと気付きます。


「……えっと、あなたは?」


今更か、と言わんばかりに。


きょとん、とした顔で見つめられてしまいました。




彼も、私と同じでした。


この岡山の小さな町に生まれて、ずっとここに暮らして。


大学を卒業して、来月から社会人として働くそうです。


「……昔、俺のじいさんが……ここを教えてくれたんだ」


そんなところまで、全部一緒。


ひとつだけ違うのは、彼は来月からこの町を、岡山を離れてしまうことでした。



「……芸能事務所の社長に、拾われてな」


就職活動で都会に出ていた時に、突然声をかけられて。


そのままあれよあれよという間に内定を貰ったのだとか。


酔狂な人だ、と彼は笑っていました。


「ここに来ることも……しばらくはなさそうだ」


芸能事務所ということは、東京か、大阪か。


少なくともここより、岡山よりずっと都会の街。


修学旅行でしか岡山を出たことのない私にとっては、空想の中の世界。


どんな所かさえ、私にはちっとも想像が付きません。



「……どうした?」


ふと我に帰ります。


じっと一つの事を考えると、すぐに他のことを忘れてしまう私の悪い癖。


それでもおじいちゃんは、


「好きなことに集中できる、いい事じゃないか」


と言ってくれたっけ。




「あ、すみません。考え事が……」


頭を下げると、彼はふふっと笑って。


「……大丈夫だ。俺も……よくある事だからな」


だなんて、本当に不思議な人。


でも、どうしてでしょうか。


今日初めて会ったのに、温かくて不思議な気持ちになる。


きっと、私達は同じだからかな。


この町に生まれて、この町で育って。


この秘密の場所を知っているからなのかもしれません。



それから二人で並んで糸を垂らしながら、ずっとお話をしていました。


私の話。彼の話。この町の話。


彼の紡ぐ言葉は、すっと私の心の中に入り込んで。


私を捕らえて離さない。


何故でしょう。


ずっと、彼のお話を聞いていたい。


そんな気持ちが、心の中に渦巻いています。




ぴくり。


「……あっ」


握っていた釣り竿が川へと引っ張られて、私の意識は心の中から外へと引きずり出されます。


驚いて飛び上がりそうになったのを、ぐっとこらえます。


また、川へと落ちそうになるのはもう御免ですから。


「大丈夫か?」


大丈夫ですと笑って、竿を引き上げます。



今度は、私でも釣り上げられるような大きさの魚でした。


「どうですか?」


「……お見事」


よくやった、と彼は褒めてくれて。


思わず笑顔が溢れます。


「……えっと」


じっと、彼は私を見つめていました。


ふと、目と目が合って。


なんだか吸い込まれてしまいそう。


「……綺麗な目だな」


「笑った顔が、よく似合う」


そんなこと、ないですよ。


言い出そうとした言葉は、ふわふわと宙を舞って消えてしまって。


私はただ、顔を真っ赤にするしかありませんでした。



「……ひとつ、いいか?」


はい、と頷いたつもりでした。けれども、声は出ませんでした。


それを察してか、彼は言葉を続けます。


「アイドルに……興味はあるか?」


「……え?」




ぽかんと口を開けた私。


その表情を見て何か察したのか、彼はしまった、という顔を浮かべます。


「いや……忘れてくれ」


そう言って、彼は釣り糸へと目を移すのでした。



新しい餌を針に付けて、また川へと糸を下ろします。


私と、彼と二人で並んで。


風に揺れる木の葉の音、水の流れる音の中。


会話はありません。


けれども気まずさも、何もそこにはありません。


こうして釣り竿を握り、糸を大自然の中に垂らして。


二人で並んで魚を待つ。


不思議な、なんとも言えないような安心感。


少しくすぐったいけれど、ずっとこうしていたい。


そう思えるような何かが、そこにはありました。



「……あの」


心地よい沈黙を破ったのは、ふとした私の好奇心。


「アイドル、興味があります」


テレビの中に移る、光り輝くその姿。


この、岡山の長閑な町並みしかしらない私にとって。


きらきらと輝くアイドルは、憧れの的でした。


また、しばらくの静寂の後に。


「……そうか」


「はい」


彼はそうか、と呟くと、視線を戻します。


心なしか、嬉しそうな顔。


けれどもどこか、寂しそうでもありました。



ぴくり。


また、私の竿が揺れます。


私のありったけの力を込めて、引き上げます。


「……っ」


けれども、また。


「大丈夫か」


後ろから彼が、私の竿に手をかけます。


私と、彼と。二人分の力でも、釣れる気配はありません。


じりじりと、私達の足は水底へと引きずられて。




「あっ」


足の裏から、地面の感触が消えて。


温かい腕のぬくもりと共に、冷たい水の中へ。


ばしゃん、と大きな音が、木々の間に響き渡りました。



「――初めまして、肇さん」


あら。


不思議なことに私の目は開きました。


息もできる。手も足も動く。


冷たい水の中なのに、そこには息苦しさも何もありませんでした。


「……あなたは?」


目の前にゆらりと漂うのは一人の少女。


その顔は、まるで。


「ふふっ、私ですか」


水の中を歩くように、ふわふわと彼女は私に近づいて。


そっと、私の手を取ります。


「……いつか、分かりますよ」



目の前で起こったことを飲み込もうと、必死に頭を働かせるけれど。


私には、さっぱりわからなくて。


それでも彼女は、私に笑いかけます。


「……いつの日か、貴方は思い悩んで、躓くことがあるでしょう」


「その時にまた、お会いしましょう。……出来ればこの場所に、帰ってきてほしいな」


何故だかわからないけれど、つうっと、私の目から一筋の涙が零れて。


水の中なのに、おかしいな。


「今日のように、大自然の中に糸を垂らしてください。そうしたら、きっとまた会えますよ」


ぎゅっと彼女は私を抱きしめて、満面の笑顔で、そう告げるのでした。


「だから……行ってらっしゃい。貴方の決めた道を、進んでください――」


真っ白な光が、降り注いで。


そのまま私の意識は、またどこかへと消えてゆくのでした。



ぱちり。


「……あら?」


目を開けると、そこには彼の顔がありました。


緊張の糸が切れたように、彼はへたり込みます。


「よかった……目を覚まさないかと、思ったぞ」


えっと、それは。


ふと、気付きます。


「服……ずぶ濡れ、ですね」


「川遊びをさせられたからな」


いたずらな川の主さんですね、と笑うと。


迷惑な主様だな、と笑い返すのでした。



「……あの」


こんな時に言うのもおかしいですけれど。


「私も、アイドルになれますか?」


やはり彼は、ぽかんとした顔で私を見つめます。


けれども。


「……勿論だ。俺が、君を……トップアイドルにしてみせる」


真剣な顔で、こんな事を言うものだから。


なんだかおかしくて、おかしくて。


「ふふっ、それじゃあ……よろしくお願いしますね」


よろしく、と笑う彼のその顔。


ああ、そうか。


やっぱり、私は。



「どうした、肇……ずぶ濡れじゃないか」


ふと気付けば、そこにいたのはおじいちゃん。


「あ、おじいちゃん……その、これは」


傍から見ると、ずぶ濡れの男女二人。


おじいちゃんから見ては、孫と見知らぬ男性が、服を濡らしている。


えっと、どうしましょう。




「……水遊びです。年甲斐も無く」


彼が、とても真面目な顔で、真面目な声でそう答えます。


「川の主に……呼ばれたものですから」


おじいちゃんは、じっと彼の目を見つめて。


「そうか……。肇、今日は帰ろう。風邪を引くぞ」


と、背を向けます。


「それから、そこの若いの」


背中越しに呼ばれて、彼がびくりと驚いたのが見えました。



「……お前さんも、風邪を引いちゃいかん。近いから、家に寄っていけ」


呆気に取られて、それでもおじいちゃんの優しさに気付いて。


「……ありがとうございます」


と、彼は頭を下げました。




……あとでおじいちゃんに、どうして彼を疑わなかったのか聞きました。


そうしたら、おじいちゃんは一言。


「嘘をつくような男じゃ、なさそうだったからな」


と教えてくれました。


どうやら、おじいちゃんに気に入られたようです。



おじいちゃんが運転席から降りてたばこを吹かし、私達に早く乗れと促します。


私と彼は濡れた服のまま、荷物をトランクへと運びます。


受け取った、彼のクーラーボックス。


手にした途端に、私のイメージに反してとても軽かったことに気付きます。


「あら……今日はどうでしたか」


言葉の意味を図りかねる彼へ、にっこりと笑って。


「大漁でしたか?」


ほんの、冗談のつもり。


だった、はずなのに。


「ああ。……大漁だ」


彼は、私の手を取って、目を合わせて。


やはり真面目な声で、言ったのでした。






「一匹だけだが……大物が釣れた」


「……大漁だろう?」




私はただ、顔を真っ赤にして頷くばかりでした。


「……そうですね。釣られちゃいました」





――――――――――――――――――――


「どうした、肇?」


ぼうっとしていた所に声をかけられ、びくりと跳ね起きます。


けれども体はがっちりと固定されていて、シートベルトに体を少し打ちつけてしまいました。


ああ、女子寮まで送ってもらうところだっけ。


「疲れているようには見えなかったが……何かあったか?」


「……昔のこと、思い出していました」


聞き返す彼に、そう、昔のことですよ、と笑いかけます。


「また、二人で釣りに行きませんか」


この前行ったばかりだろう。いいえ、違いますよ。


じゃあどういうことだ、と少しだけ鈍感な彼に。


「約束したじゃないですか、二人で岡山に帰ろうって……」


言ってから、とても語弊のある言葉だな、と気付いて。


「……いえ、なんでもないです」


あまりの恥ずかしさに、取り消してしまいました。


「……大丈夫だ」



いつもよりも力強い、彼の声。


「後ろの鞄から……スケジュール帳、出してくれ」


少しだけ失礼して、彼の鞄を開けてスケジュール帳を取り出します。


いくつか張られた付箋から、言われるがままに三月と書かれたページを開きました。


「……あ」


「少し急だが……構わないか?」


二本の矢印だけが伸びた、二週間ほどのスケジュール。


たった一言、休暇としか書かれていないその予定を、私はじっと見つめていました。


やっぱり彼には敵わないのかな、なんて思いながら。


「ええ、もちろん」


バックミラー越しでも分かるように、笑ってみせたのでした。


以上で終わりです



17:30│藤原肇 
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