2014年03月11日

翠「迷いと遊び、心の中に」


 ――事務所



翠「……」ボー





 ガチャ



珠美「なるほど、バスケットボールも大変ですな――おや?」



渚「うん? …って、翠?」



翠「…ああ、珠美さんに渚さん。おはようございます」ペコ



珠美「先程何やら憂いのある表情をしておられましたが、体調が悪いのですか?」



翠「…いえ、気のせいですよ」



渚「嘘だね、…何か悩んでるんでしょ?」



珠美「なんと。渚殿はわかるのですか?」



渚「まァ職業病ってやつさ。部活だけどね」ハハ



翠「……ふふ。流石、たくさんの人をまとめあげるキャプテンだけありますね」



渚「そりゃ翠もそうだろォに。…で、仕事? 話なら聞くよ」ドサ



珠美「無論珠美も助力します!」ピョコ



翠「渚さん、珠美さん……ありがとうございます」



渚「仲間なんだから気にしないのッ! それで、何に困ってるのさ?」



珠美「まさか、翠殿に忍び寄る不埒な輩が居るとか……それなら珠美にお任せ下さい!」



翠「そういう訳じゃなくて――ええと、何と言うか……私はこれでいいのかと思ってしまうんです」



渚「うん? どういうこと?」



翠「ここを訪れて、アイドルになって、仕事をしてきて……順調に今の今まで過ごしてきて。…それがこの先もちゃんと続いていけるんでしょうか?」



渚「この先っていうと、…どうなるかわからないもんなァ」



珠美「難しいですな…。翠殿は現状の自身が不満なのですか?」



翠「勿論Pさんがお仕事を下さって、それをこなしていくのはとてもやりがいがありますし、達成感もあります。でも……」







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渚「――あー、なんかわかるなァ」



珠美「渚殿?」



渚「珠美もよくわかるんじゃないの? …変われない不安ってのはさ」



珠美「……ええ、よくわかりますとも」ハァ



翠「渚さんも思ったことが?」



渚「そりゃあなァ。バスケでも仕事でも、練習してる時は常にそんな気分だよ」



珠美「珠美も…練習はしているものの」



渚「でも自分じゃ気づかなくてもちゃんとレベルアップしてるし、プロデューサーが居ればもっと上手くなれてるさ。だから気にすることなんてないよッ」



珠美「ら、来年こそは珠美もぐんと成長しますよ! してやりますから!」クッ



渚「剣道の事はわからないけど、頑張れな」ポン



珠美「…まずは頭を撫でられないようにするのが目標でしょうか」



翠「……そうです、よね」



渚(もうそろそろ年末なんだから辛気臭いのはなし……と言いたいけど、翠には無理っぽいかなァ)チラッ



翠「なんだか朝からすみません、お手数おかけしました――」



渚「よし、翠ッ!」バシッ



翠「は、はい?」ビクッ












渚「もう来月には新年なんだ、ちょっと早いけど自分を見つめ直すってのはどうだい?」



翠「自分を見つめ直す…ですか?」



渚「他の人から翠はどんな感じなのか聞いてみるとかさ。周りの評価を聞いてみたら自分がどれだけやってこれたのか知れると思うな。それで反省点でも見つけられたら直せばいいし、また来年頑張れるよねッ!」



珠美「うーん、武道的…己を知ることもまた修練なのですな」ウンウン



翠「……そうですね。ちょうどいい機会なのかもしれません」



渚「そーそー。自分で考えてても仕方ないって! まずは動かないと始まんないよッ!」



珠美「その通りです。迷っては剣も鈍るというものですよ、翠殿」



渚「いや、翠は剣を振らないから…」



翠「ありがとうございます。突然つまらない話をしてしまってすみません」



珠美「気にすることはありません。だって珠美達は仲間じゃありませんか!」



渚「そういうこと! ついでに私と翠は同郷なんだし、もっと頼ってよねッ!」ニコ



翠「ふふ、そうでしたね。……わかりました。まだ次の仕事まで時間があるので、早速行動してみますね。それでは失礼します」ペコ



 スタスタ…





渚「……翠は先のこと、ずっと考えてるんだなァ」



珠美「というと、渚殿はあまり気にしないのですか?」



渚「いやまァ、考えてはいるけどさ。私は悩むぐらいなら練習した方がいいだろうし、誰だってやればできると思ってるからそこまで深く考えないんだよ」フリ



珠美「自信があるからこそ、のようです。珠美も見習わなければ」フム



渚「いやいや、そんなたいそれたことじゃないよ。……そういうのも、プロデューサーのおかげなんだよね」



珠美「プロデューサー殿ですか……非常に有能な方ですからね。事務所の皆が信頼するのも頷けます。無論珠美もです」










 ガチャ



有香「押忍――じゃなかった。おはようございます!」チラ



渚「お、有香か。今日は仕事?」



有香「いえ、レッスンです。それまでに色々準備をしようと思いまして」



珠美「準備……ですか?」



有香「はい! 明日は翠ちゃんの誕生日ですから! 以前のお仕事で得たお菓子作りの技術を披露する時です!」



渚「うげ……そういえば誕生日だったな、うっかりしてた。悪い事したなァ」



珠美「同感です…。全然そういった素振りを見せませんから、翠殿はいつも落ち着いていて大人っぽいです。……はっ、だからこそあのような悩みが……?」



渚(翠はプロデューサーになら悩みくらい相談しそうだけど……うーん)



有香「翠ちゃんに悩みですか?」



渚「まあ、色々あってなァ。…しかし、明日誕生日か……私はどうしようかなァ」ウーン



有香「あ、だったら一緒に作りませんか? きっと喜んでくれますよ!」



珠美「よろしいのですか、有香殿?」



有香「うん、大丈夫! かな子ちゃんにも教わったから珠美ちゃんも覚えようよ!」



渚(なのにそうしない訳は――……私はこういうの苦手なんだけど、やってみるかァ)










渚「いいね、私も参加するよッ! …それと、もう作り始めるの?」



有香「色々買ってきてありますから、今から準備して作りますよ!」



渚「あー…ゴメンね、誘ってくれるのは嬉しいけどちょっとその前にやることがあるから先に始めててくれないかな?」



有香「はい、わかりました! 準備しながら待ってますね!」



珠美「渚殿お一人で大丈夫ですか? よろしければ珠美もお助けしますが」



渚「大丈夫大丈夫、大変な事じゃないから。じゃあ先始めててよ……っと、ちひろさーんッ!」トタトタ



ちひろ「どうしたんですか、渚ちゃん?」キョトン



渚「仕事中にゴメンッ、プロデューサー今何してるかわかる?」



ちひろ「プロデューサーさんですか? …ええと、今はいつものスタジオで撮影を見てると思いますよ」



渚「ああ、あの近くのか……よし」グッグッ



ちひろ「ちょ、ちょっと渚ちゃん? なんでそんな急に柔軟体操を――」



渚「ちひろさん、ありがとねッ! 珠美と有香も、悪いけど後からちゃんと参加するからよろしくなッ!!」



 ドタドタ……バタン



ちひろ「いっちゃった……。一応徒歩圏だけど…プロデューサーさんに連絡した方がいいのかしら」







珠美「うーむ、なんという俊足……」



有香「私にもあの速さがあれば――って、見ている場合じゃなかった! じゃあ先に始めちゃいましょうか!」



珠美「そ、そうですね! 珠美も精一杯頑張ります!」








  *





 ――レッスンルーム





晶葉「――愚問だな」



翠「…え?」



晶葉「先が見えない、失敗が怖いから歩きたくない、そういうことだろう?」フン



翠「そんな、決して失敗が怖いわけでは――」



晶葉「エラーだな。矛盾しているではないか」



翠「……どういうことでしょうか?」



晶葉「誰だって歩けば転ぶ、それが当たり前なのだ。なのに翠は進むという言葉とは裏腹に前を向くことに迷いを感じている。……私はロボット制作に関しては天才を自認しているが、何もこの世に誕生してからずっとそうだった訳ではない」



翠「……」



晶葉「アイドルだってそうだ。まだまだ未知の世界に居る私は、程々に失敗をしているさ。――それこそ、私がロボットを作り始めた時のようにな」



翠「それでも…どうしてそんなに強く居られるのですか?」



晶葉「楽しいからだよ。助手と出会って、新しい世界を見出してくれた。根源がどうであれ、それは私自身の逢着でもあるし、開発への新たなフィードバック対象でもある」



翠「新しい、世界…」



晶葉「翠はアイドルが楽しくないのか?」



翠「いえ、そんなこと! Pさんに出会って、本当に楽しく仕事をさせて頂いてます」



晶葉「ならそれでいいではないか。トップアイドルという最終目標があろうが、それまでにフロチャート無しに進むわけではないのだ。ストロークに多少『遊び』があってもいいだろう?」



翠「……そんな風に考えたことはありませんでした」



晶葉「そうは言うが、翠はきちんと我々の目指すべき場所を認識している。長いプロセスを経る上でこれほど重要な事は他にない。卑屈になることはないさ」



翠「…ありがとうございます。少し気分が晴れました」



晶葉「迷いはいずれ思考の多角化に繋がる。悩むというシチュエーションは電脳における一つの大課題だが……面白い。翠は助手のようにまっすぐだが、それでいて――いや、それだから悩むのか。どうだ、一つ私のロボット制作に手を貸してはくれまいか?」



翠「ロボットに、ですか? …ふふ、面白そうですね。私で良ければお手伝いしますよ」



晶葉「それは助かるな。でも、その前に他の人にも同じく訊いてみるといい」



翠「他の人にも?」



晶葉「ああ、そうだ。私がマイノリティである可能性もあるからな。人の感情や意見を総合するなら、統計が一番有効なアプローチだぞ?」



翠「……なんだか、晶葉さんのロボットになった気分です」クス



晶葉「面白い冗談だな……いや、私が助手と同じ立場になるのも面白いかもしれないな、はは!」








 スタスタ



櫂「ん〜? 何の話?」ヒョイ



翠「あ、櫂さん。お疲れ様です」



櫂「お疲れ様です。やだなあ、あたしの方が後輩なのに。呼び捨てでいいんすよ?」



晶葉「それも特性というものだ。他所はさておき、ここじゃ気にしない方がいいぞ」



翠「そうですよ。晶葉さんのように」ニコ



晶葉「……もしかして気に障ったか?」



翠「いえ、そんな。羨ましいとは思いますけど」クス



晶葉「う、うむ……そうか」アセ



櫂「ならいいけどねー…それで、珍しい組み合わせだけど何の話してたの?」



晶葉「なに、我々の持つ思考回路の多重構造及び多様性をどう実装するかについて、少し話をしていたのだ」



櫂「……え?」



翠「ふふ、違いますよ。…少し、相談に乗ってもらっていただけです」



櫂「そ、そっかー! いきなり難しいこと言われてびっくりしたよ」



晶葉「確かに我々の持つ原始的な動作や思考、身に纏わるあらゆる存在はありふれた物であるにも関わらず解っていない所も多い。それを理解し再構築することがロボット制作の重要な要素であることは――」



櫂「わ、わかったから! いやわかってないけど!」



晶葉「む。…いかんな、少し夢中になってしまった」



櫂「熱中できるのは良いことだけどね。…それよりも翠さん、悩みはもう解決?」



翠「そうですね……悩みというか、少し意見を聞いてもいいですか?」



櫂「オッケー! あたしに出来ることなら何でも手伝うよ!」








  *





櫂「――なんだか、あたし的には羨ましいなって思う」



翠「私の事が?」



櫂「そ。翠さんの最初の頃がどうだったとか、あたしは全く知らないけど、それでも何事も無く過ごせたって事は元々この場所に向いてたってことじゃないの?」



晶葉「ふむ、そういう見方もあるな。失敗をしていないのと失敗を知らないのは違う」



櫂「勿論、あたしは失敗あっての今だから、ないよりは合ったほうがいいと思うけどさ。単純に経験としてなら他の人に話が聞けるんだから、思いつめなくていいと思うなー」



翠「……やはりいけませんね。考えすぎみたいです、私」



櫂「だから、というか。目指してる場所にどんどん進められるっていうのは、…本当に羨ましいよ」ハハ



晶葉「櫂、…君は」



櫂「うん。元々あたしは水泳やってたんだけど、その頃はずっと練習していればいいタイムも出て、将来はその道で飯が食べていけるんだろうなって思ってたよ」



翠「…でも、できなかったんですね」



櫂「だね。やっぱり才能の差ってあるんだなって思って、その時は泣いたかな。…でもそれも、プロデューサーに会えたからヨシ、って感じ!」



晶葉「風の噂で聞いているよ。助手が学校に不法侵入まがいの事をしたとか」



櫂「あはは、やっぱり広まってる! そうそう、部活終わりで後輩に挨拶してたらプールにスーツの男が立ってたの。そりゃ変に決まってるよね」



翠「ふふ。Pさんらしいと言えば、怒られるでしょうか」



櫂「それで話を聞いたら目的はあたしだって、…それもびっくりだよ」



晶葉「今アイドルとしてやっていけるということは、少なからず君も助手に才を見出された、ということだな」



櫂「…もしかして、スカウトされてここにいる皆はプロデューサーに?」



翠「本当に不思議な方です。上手い言葉があるわけでもないのに、そっとやる気にさせてくれる……本当に、不思議」



晶葉「それこそ見えている世界が違うのだろう。門外漢だが、助手が凄いことぐらい私にもわかる程だ」










櫂「ま、そういう訳ですぱっと諦めてこっちに来たわけ。それでもやれているのは、きっとプロデューサーも含めて、先輩たちがみんな助けてくれるからだよね!」



翠「皆さん優しくて、心強いですよね」



櫂「うん! だからさ、きっと翠さんの悩みは、もっと誰かを頼れば解決できるんじゃないかな」



翠「私は…その、あまりそういう事をしたことがないので…難しいですね」



晶葉「ならばこれからはすればいいだろう。…助手に対してしているように、な?」



翠「あ、晶葉さんっ」アセ



櫂「うん? そっか、プロデューサーにはちゃんと頼れてるんだ。だったらそれと同じ感じで大丈夫だって!」



翠「…そうですね、その通りです。…これも失敗なのかもしれませんね」



晶葉「トライアルアンドエラーだ。助手の見込んだ翠なら出来るに違いないな」



櫂「そうそう。タイムを縮めるのは一人でも、練習はみんなでやるからね。頼らなきゃ勿体無いよ!」



翠「……ありがとうございます。お二人に話を聞けて、よかったです」ニコ



晶葉「なに、こちらも得る物があったからな。レッスンの合間にしては、よいレクリエーションになった」



櫂「晶葉さんはこれからまたレッスン?」



晶葉「無論だ。時間は有限なのだから、リソースの費やし方はよく考えなければな」



翠「だからといって、朝まで開発に勤しんではPさんも悲しみますよ?」



晶葉「……気をつけよう」










櫂「あ、そろそろ次の予定の時間が来るっ。じゃ、あたしはこれで!」ビッ



翠「はい、お付き合い頂きありがとうございました」



晶葉「頑張りたまえよ」フリ



櫂「わかってるってー!」



 トタトタ…



翠「…ふふ、元気があって可愛らしいです」



晶葉「何を言う。翠のしゃんとした佇まいも魅力的だぞ?」



翠「あ、ありがとうございます。…なんだか照れますね」



晶葉「別に照れることでもないだろうに……というか、そう言われると私まで恥ずかしくなってきたではないか!」



翠「お互い様、ですね」クス



晶葉「全く、君という人も中々にわからないな。だからこそ面白いのだが……まあいい。私も次のレッスンに行くから、翠は明日を楽しみにしておくといい」



翠「明日ですか? ……何かありましたっけ?」



晶葉「お、おいおい…。とにかく期待してくれたまえ。君が一人ではないということを、未知の物質が証明してくれよう。そして明日の朝食はあまり摂らないように。ではな」フリ



 ジャアレッスンサイカイデス!

            モンダイナイ…





翠「……何かあったかしら?」キョトン










  *



 ――寮



 コツコツ…



千秋「……あら。今日は早いのね」



翠「あ、千秋さん。ただいま戻りました。今日はレッスンだけですので」



千秋「それにしては少し遅いわね。いつもの自主練でも?」



翠「いえ――いや、ある意味そうなのかもしれません。私を知る良い機会でした」ニコ



千秋「要領を得ないわね……それはそれで構わないけど。じゃ、とりあえずこれ渡しておくわ。どうぞ」ハイ



翠「え、あ、ありがとうございます……でも、どうしてですか?」



千秋「明日は仕事で抜けるからね。後に渡されるより先に渡したほうが気もいいでしょう?」



翠「いえ、ありがたいですが、何故私にプレゼントを?」キョトン



千秋「……呆れた。あなた、記念日に興味はないのかしら」



翠「そんなことはありませんよ。記念日はとても大事なものですから」ニコ



千秋(本当にこの子は……)ハア



千秋「誕生日よ、誕生日。……貴方のね」



翠「え……あぁ! 晶葉さんが期待してと言っていたのはそういうことだったのですね!」



千秋「自分にはあまり興味がないのね……不思議な子」



翠「そ、そういう訳ではないのですが……ええと、アイドルの事ばかり考えていて、つい」



千秋「それを悪いとはいわないけど、もう少し自分を大事になさい。貴方は、貴方が思っているよりもずっと綺麗なのよ。私と肩を並べるくらいには、ね?」クス



翠「はい、千秋さんと共に仕事ができて光栄です。プレゼントもありがとうございました」ペコ



千秋「そこまで言ってくれると渡したこちらも嬉しいというものね。じゃ、私はこれで失礼するわ」



翠「わかりました。わざわざありがとうございました」ニコ








 スタスタ…





翠「……助けてくれる仲間が居て、共に歩む方が居る。自分が見えなくても、周りがそれを見てくれる。――これが渚さん達の言う言葉だったのですね、ふふ」



翠(それにしても、明日が私の誕生日だったなんてすっかり忘れていました。まだまだ精進が必要です)



翠「今日はもう用事もありませんし、部屋に戻って勉強でも――」



 ティロリン♪



翠「…って、あら? 渚さんからメール…?」










 *



 ――翌日



  [事務所]



 ガチャ



みちる「あ、もぐ……んく。翠さんじゃないですかー」ゴクン



翠「みちるさん? ふふ、朝からよく食べますね」



みちる「おいしーですからー…って、そうじゃなかった。ちょっと待ってて下さい…晶葉さーん! 来ましたよー!」



 スタスタ



みちる「よし、じゃ、あたしはこれで失礼します! パンが呼んでいるので!」バタバタ



翠「行っちゃった…まだ食べるのでしょうか」キョトン



 カツカツ…



晶葉「――む、早いな。おはよう」



翠「晶葉さんもおはようございます」ペコ



晶葉「さて、いきなりだが今日が何の日か知っているか?」



翠「ふふ、大丈夫です。千秋さんに教えて頂きましたから」



晶葉(いや、それはそれで問題だが…)



晶葉「こほん、じゃあ…なんだ、誕生日おめでとう、翠。年上としてその姿勢、尊敬しているよ」



翠「ありがとうございます。そう言って頂けると、過去の私も、今の私も喜びます」



晶葉「こういう時ぐらい多目に喜んでも罰は当たらないと思うが、それもまた一興。…それでは、私からはこれをプレゼントしよう!」ドン



 コト



翠「これは…小さい、私ですか?」



晶葉「うむ。昨日翠との会話を元に作ったロボットで、名づけて翠型ミニチュアシンクロシューターだ。ふふん、よく出来ているだろう♪」










翠「あら、弓道着と弓まで丁寧に作られていますね…ロボットというからには、動くのですか?」



晶葉「残念ながら裁縫の技能はないのでそれは海に作ってもらったよ。そして当然動く。まずは首筋に指を当ててくれたまえ」



翠「ええと、こうですか?」



 ピッ

     カチュン…



晶葉「うむ。これで認識完了だ。さて、このロボットだが、テーマは『迷い』だ」



翠「昨日、難しいと言っていた?」



晶葉「そうだ。このロボットは認識した者と感情をシンクロする事ができる。そしてこのミニ翠の前に的を置いて……と。よし、この的に神経を集中させてみてくれ」



翠「は、はい……では」



 キリキリ……パシュッ

          ペチン!



翠「わ、的に当たりました!」



晶葉「矢がどこに飛ぶかは、本人、つまり翠がどれだけまっすぐなのかどうかで判別される。つまり翠が迷いを感じているなら、的には当たらないということだ」フフン



翠「集中こそが弓道の真髄。…まさにそれを体現したようなロボット、素晴らしいです!」



晶葉「しかも電子知能も搭載している。簡単な命令なら活用次第でこなしてくれるようになるだろう」



翠「ふふ、小さくて可愛いです…♪」



晶葉「……うむ、その顔が見れただけで作った甲斐があったというものだ。私からは以上だ。次は――」










有香「はい! 翠ちゃん、おめでとうございます!」ピョコ



翠「わっ…ありがとうございます。なんだか甘い匂いがしますね」



珠美「流石は翠殿。鋭敏な感覚をお持ちで」



渚「いや、だれでもわかるよ、これは…」アハハ



翠「渚さんに珠美さんじゃないですか! ……ええと、渚さん」



渚「礼はいいよ。大きなお世話にならなくてよかったからねッ」



珠美「む? 何のことでしょう?」



渚「まァまァ、気にしなさんな。今はこっちでしょ?」



有香「じゃあ、私達からはケーキとその他スイーツのプレゼントー!」バッ



翠「ケーキにタルト、ホットケーキにクレープ……ふふ、どれも甘くておいしそうです」



晶葉「うむ、私の脳も糖分を欲しがっているぞ…」



珠美「珠美と渚殿もお手伝いして、みんなで作りました! どれも翠殿のためのプレゼント、如何ですか!?」



渚「有香みたいに上手くないから、私達は簡単なことしかできなかったけどね」ハハ



有香「それでもいいんですよ。気持ちが篭ってれば、押忍! なんでも大丈夫です!」



翠「ふふ、その通りです。私のためにありがとうございます…」



有香「じゃ、後は――」



 ガチャ



みちる「みなさーん、他の人も来ましたよー」



晶葉「うむ、良いタイミングだな」



法子「やっほー。お誕生日おめでとう! 私からはドーナツのプレゼントだよ!」



葵「めでたぁ日っちゃ、お祝いするしかないけん、あたしからも料理をもってきたっちゃ!」



翠「わ、わ…嬉しいですけど、こんなには食べられませんよ…?」



珠美「心配ありませんよ、翠殿。実は皆今日はここで朝食を摂る計画を練っていたのです。珠美ももうお腹がぐーぐーです!」グゥ



渚「あんまりしない方がいいんだろうけど、せっかくだからみんなで作ってきて朝食パーティでもしようか、ってことになったんだッ!」



法子「うーん、いい香り♪ さ、さ、翠ちゃんは主役なんだから、そこに座って座って!」オシオシ



葵「朝食いっとったけん、あんま慣れんけどデザートに合うもの多かよ! 自信はあるっちゃ♪」サッ



みちる「フランスパンを切ってー、スープも用意してー、あとトッピングも出してー。おいしそっ」モグ



晶葉「といいつつもう食べてるではないか……」ハァ










有香「――はい、完成! じゃ、改めて……」



 『お誕生日おめでとう!』



翠「皆さん……」



晶葉「まあそれは後でもいいだろう。まずは皆が用意してくれた翠のためのプレゼントを楽しもうではないか!」フフ



法子「晶葉ちゃん、お腹空いてるもんね」



晶葉「そ、…そんなことはないぞ!」



翠「ふふ、私のために貴重な時間を割いてロボットを作ってくれてありがとうございます、晶葉さん」



晶葉「なに、貴重なリソースを割くだけの価値が合ったというだけのことだ」



みちる「まあまあパンでもどうぞ。あむ」



有香「みちるちゃんももう食べてるし、私達も食べましょうか、頂きます!」



珠美「むむ、どれも美味しそうで迷いますな…」



みちる「フゴフゴ、どれも美味ひいでふよ、たわむぃふぁん」



葵「行儀がわるいっちゃ。しゃんとし」



みちる「むぐ……すみません、つい」ゴクン



 アハハ…







渚「……翠はもうわかった?」



翠「はい、皆さんのおかげで、気づけました」



渚「そっか。そりゃよかった。…じゃあ楽しもうかッ!」



翠「はい!」



 ガヤガヤ…





 [おわり]










  *





 ――今日、時間あるッ?



 今眼前で行われている作業に支障のない程度の音を立てて、一人のアイドルがスタジオに現れたかと思えば、俺の下へ来てそう訊ねた。

 どこから来たのだろう、軽く肩を上下させ、この寒空のせいか顔も赤い。



 彼女は、いかにも運動が好きそうな、快活なスタイルと長いポニーテールが特徴の子、愛野渚であった。

 本来の仕事中であればたしなめるべき状況だが、今回の撮影はアイドル主導でどんどん行われているため、多少の割り込みは見逃してやることにする。



「今日って……午後からか?」

 現在の時刻は午前十一時。

 午前九時にセッティングや打ち合わせを行い、少し前から撮影が本格的に始まったところである。



「そォ。行ける?」

 こういう時は先に用件を述べなければ会話は進行しないだろうに、と思いつつ、今朝確認したスケジュールを脳裏に浮かべた。



「まあ、そうだな。午後からはレッスンのサポートの予定だから必要なら時間は空けられるけど……で、どういう理由でだ?」

「翠のことなんだッ」

 背後からカメラマンの威勢のいい掛け声が響く。

 その中で、渚は『翠』という言葉を口にした。



「翠? 水野翠か?」

 齟齬の無いように確認する。

 いや、彼女が口にする『みどり』が『翠』でない確率はそう高くもないのだが、如何せん一発で理解させるには突然すぎる。



「そ、翠。あの子のためにプロデューサーの午後、借りれないかなッ?」

「……悪い、ちょっと飲み込めない。最初から話してくれないか」

 現在の位置でも撮影エリアからは大分離れた所にいるのだが、それでも話し込んでは撮影の邪魔になる。

 渚を手招きして、ドア付近、照明が殆ど届かない所にまで誘った。

 一挙一動、それらを写しだす写真は被写体だけがすべてではないのだから、出来るだけ不純物は取り除いてやるべき、と判断したのだ。



 渚はというと、移動する俺に抵抗すること無くついてきて、俺の思案を察して今以上に小さな声で事の経緯を話し始めた。








「あのさ、一応聞きたいんだけど。…最近翠に何か相談とかされたりした?」

 遠くではフラッシュがパチパチと焚かれ、良いムードで進行しているが、対して渚の表情は決して明朗とは言えないものであった。

 それが、面白い話題ではない事を明らかにさせる。

「相談か……仕事のやり方とかコツとかを訊かれたことはあるけど。……渚の求めている事とは違う、そうなんだろう?」

 そう尋ね返すと、渚は鼻の下をこすって小さく笑った。



 こうして仕事中にけしかけてまで訊くような質問が、そんな当り障りのない所に落ち着いている訳がない。

 しかし、だからといって渚の質問にはこう答えるしかないのだ。



 水野翠。極めて落ち着いた面持ちで、そして一生懸命に仕事に励むアイドルだ。

 この事務所の中では際立って真面目さが突出しており、派手で個性の強いアイドル達の中では埋もれがちながらも、真摯な態度と仕事ぶりに定評のある子である。

 ……尤も、仕事をする人間とは本来こうあるべきなのだろうが、どういう訳かウチの所属のアイドルたちは個性が強すぎるきらいがある。



 そういった意味でも、彼女の佇まいというのはそれなりに異色であった。



「さすがプロデューサーだねッ」

 渚は言う。

 もし一つ目の答えだけで会話が終了していたのであれば、俺は渚を叱ってやらねばなるまい。

 しかし、渚はこうする必要があって来たのだから、俺はその先の言葉を待つことにした。



「実はね、翠のやつ、ちょっと自分のことで悩んでるらしいんだ」

「自分のことで? 仕事のことじゃなくてか?」

 渚は俺の返答にもならない返答を飲み込んで、事情を説明し始める。

「翠って、贔屓かもしれないけど結構仕事できる子でしょ? だから、…いや、だからこそ、この先の自分に不安を感じているみたいなんだ」



 暗がりでも、彼女を思う渚の気持ちが伝わってくる。

 決して安易な冗談ではない。

 普段快活な彼女がそんな表情をするのだから、よほどそう感じたのだろう、心配という言葉がありありと俺の脳に伝達させた。










「それで、俺に何とかしてほしい、ということか」

「そういうことッ」

 別段難しい話ではないので答えてやると、渚は先程とは打って変わってはっきりと言葉を返してみせた。

「まあそういう事なら、プロデューサーとして見逃す訳にもいかないんだが……渚では駄目だったのか?」



 渚と翠。

 共通項目といえば、スポーツをしている事――尤も、弓道をスポーツとするかどうかは異論があって当然だが――、そして同じ愛知県出身であることだ。

 性格は真反対だし、これまで際立って仲良くしていたという話も聞かない。



 ともすれば、どうして渚はここまで翠に執心するのだろうか。

 取ってつけたような理由ならいくらでも思い浮かぶが、きっと彼女の中には、もっと別の何かがあるに違いない。



 しかし、それを察するには少し情報が足りないようであった。

「出来る限りはしたけど……翠だからさ、やっぱプロデューサーじゃないとダメかなって思うんだッ」

 確かにプロデューサーという立場上、悩みの種を解消してやることが本場といえば本場だが、果たして俺が出ることが最良の答えなのだろうか。

 こういう職に付いているとはいえ、所詮彼女は女性で俺は男性。悩むにしても、他に適任が居るようにも思うが……。



「うーむ、まあそう言われちゃ動かない訳には行かないな……わかった。少し翠に話をしてみるよ」

 雰囲気を察したのか、向こうの方ではひと通りの撮影が終わって次の衣装の切り替えに入ろうか、という声が出てき始めていた。

「ともかく、渚は戻れ。後は俺が何とかするから」

 そろそろ撮影していたアイドルも戻って来るし次の指示も出さなければならないのだから、渚とずっと話している訳には行かない。



 きりよく訪れたタイミングで、ひとまず会話を区切らせることにした。

 決して彼女たちの事を邪険に扱うつもりはないが、状況が状況なのだ、仕方あるまい。

「ありがと、よろしくッ! 仕事の邪魔してゴメンね、じゃッ!」

 最後の最後、渚は元気よくお礼を言って、颯爽とこの場を立ち去っていった。



 外はもう寒いだろうに、全くもって元気な子である。










 それにしても……悩み、か。

 未成年で大人同然で仕事をしなければならない特殊な環境で、そういった悩みを持たない者が居ないはずはない。

 しかし、ここに至っては話は別である。



 単純に同じ事務所に所属する人間という間柄を超えて、仲間、そしてライバル、時には家族のような、そんな親しみを持つ者達だっているのだ。

 そういう雰囲気にするといった方針があったからこそ今の土台があるのだが、故に翠にもそういった相手が居るはずなのだ。

 しかし、渚はそれらを飛び越えて俺に頼みを言った。



 それが何を意味するのか。

 ぼんやりとした不定形を切り捨てて、俺は撮影を一区切りしたアイドルの下へ駆け寄っていったのだった。








  *





 十二月の寒空は、まだまだこれから寒くなるだろうにも関わらず、一番寒いと思ってしまいそうな風を街中に吹き込んでいた。

 みっともない格好だが、俺はイルミネーションの取り付けが行われている人通りの多い道の真ん中、大きな木が植えられた広場でポケットに手を突っ込んで待っていた。



 何故この時間、こんな場所に立っているのか。

 無論、わざわざ身を震えさせる趣味などない。理由といえば、今朝の続き、とも言うべきだろう。

 寒い膜の張った手をポケットから渋々取り出すと、そこに握られていた携帯電話を開いてメールを眺める。



 ――午後ニ時、街の広場にて。



 渚のメール。要約すると待ち合わせの連絡であった。

 確かに空き時間があるとは言ったが、それは翠と話す時間を設けようとしたのであって、買い物にいくために時間を作った訳ではない。

 それを問いただせば、彼女は明日は翠の誕生日だから、とこちらに伝えたのだった。



 そう言われては断れない。



 当然、プロデューサーとしてそれを把握していない筈がない、というよりも、無視できるはずもないのだが。

 メールの文面から察するに、大方明日訪れる翠の誕生日プレゼントを今日買いに行こう、という魂胆だろう。

 もっと事前に購入しておくべきだと一つ言っておくべきかとも思ったが、みんなアイドルの仕事と練習で日々忙しいのだ。多少遅れたことを責める道理はない。



 パチリ、と携帯電話を閉じる。

 このご時世、いい加減スマートフォンに乗り換えたほうがいいのかもしれない。

 現に何人かのアイドルからは誘われているのだが、大人となると色々面倒なのだ、とその度に説得をかわしている。

 実際便利なのは事実だからな、と寒空を仰ぐ。



 ポケットに仕舞う際、サブディスプレイから時刻を知る。





 もうすぐ二時だ。

 実を言うと俺はもうささやかながらプレゼントを購入しているので渚の買い物に付き合うだけなのだが、せっかくだからウィンドウショッピングでも楽しもうか。



 そう思ってふと正面を向き直したその刹那。



「え……Pさん?」





 季節相応の秋色のコートを着込んだ翠が困惑して立ち尽くしていた。










  *





 まだクリスマスソングが街中に鳴り響くには早過ぎる。

 秋の後、冬の前。

 丁度もうすぐ訪れるであろう空のグラデーションを想像しながら、俺達は落ち葉を踏みしめて歩き出していた。

「……お時間をとらせて、すみません」

 日中のささやかな喧騒の中、風音にすらかき消されそうな声で翠は言った。



 言葉の意味を咀嚼するその前に、事の起こりをまず考えなければならない。



 どうして待ち合わせ場所に渚ではなく翠が現れたのか。

 ――古典的な方法故に、解を導くのにそう時間はかからなかった。



 要は、俺達はまんまの渚に嵌められた、ということだ。

 恐らく翠の携帯電話には、俺へと届けられたメールと似たような文面が届けられているに違いない。

 結局は渚の方が一枚上手だったのだ。

 そして、誕生日の前日にこうして買い物に誘う、という名目で俺達を引きあわせたのだろう。



 全く、事務所の雰囲気もあるとはいえ、仕事上の人間を形はどうであれ騙すのは頂けないな。

 まあ、結果的に約束通りの事になっているので悪い話ではないのだが……。





 ともかく、今は現状を見据えるべきだ。

「気にするなよ。最近は翠と話す機会も減ったから、嫌とは全く思ってないぞ」

 せっかくの俺の時間を自分のために使わせてごめんなさい。



 理解すればするほど、ますます彼女の態度には辟易する。



 一つ一つコミュニケーションを取れることを、誰が迷惑と思うのだろうか。

 勿論こういう形はイレギュラーとはいえ、事実、翠と会話をする機会は昔に比べれば減ってしまった。

 それを解消する事ができたのだから、喜びこそすれ、謝罪される義理など毛頭ない。



「優しいですね、Pさんは」



 彼女はにこりと笑って、返事をする。

 寒空の中での赤らんだ表情は、とてもそれが本気とは思えなかった。










「さあ、話してくれるか」

 街中で見かけた店でホットドリンクを購入し、体を暖めながら歩き続ける。

 落ち着いた所で話すのも良いかと思ったが、面と向かって話し合うのも何だか問い詰めているようで好ましくないので、道すがら問いかけることにした。



「何を悩んでいるのか、でしょうか」

 手袋越しに暖かな容器を両手で包み、はあ、と白い息を吐いた。



「……はっきり言えば、もう解決しました」

「え?」

 素の声が出たような気がする。



 おかしな話である。

 渚からは悩みを解消してほしいとの事だったはずだ。

 それなのに、一言もその件に触れずに解決してしまったということなのだろうか?



 交代するように困惑する俺の表情を見て、翠はまたもや笑う。

「みんなが助けてくれました。……良い所ですね、あの場所は」

 そう言って温もりを持つ飲み物を口に含んだ。



 ……つまり、渚に頼まれてから今までの間に、アイドルの誰かが何らかのアクションを起こしたという事なのだろう。

「なんだ、そういうことだったのか……」

 俺もつられて苦笑する。



 生まれた時、親の存在がなければ子は何も出来ない。

 何も力を持たず、何も知識を持たぬ子なのだから、至極当然の話である。



 しかし、もはや彼女たちは違う。

 子は子を助け、親をも思う。



 助けた、助けられたという関係は、決して上下に起因するものではなくなったということなのだ。



 それは事務所として、確固たるつながりを持った証。

 誰がそうしたのか推し量ることは出来ないが、確実に困っている人を助ける事のできる子が事務所に居る。

 そういう存在が、事務所をよりより場所にしてくれるに違いない。

 価値が薄くなった親として、俺はそれを誇りに思いたい。










 ともすれば、今二人でこうして歩くことに意義はもうなく、残ったのはただの空いた時間である。

 ふと手元に意識を向ければ、購入したドリンクの中身が底をつきそうであった。





 さて、では何をしようかと思った時、俺はふと口に出して言う。

「早いけど、誕生日おめでとう」

「えっ…あ、ありがとうございます」

 翠の誕生日は間違いなく明日だが、あえて今言っておくことにした。

「はは、やっぱり早いか」

 彼女の困って笑う姿におどける。



 明日は恐らく親の出番ではない。

 あの場所に、翠の仲間がいるのなら、その時のあの場所はすべからく彼女たちの舞台である。

 ならば、俺がでしゃばれるのは降って湧いた今しかない、ということだ。

「いえ、こちらこそわざわざありがとうございます」

 翠は軽く会釈をして礼を言った。



 アイドル一つとっても、反応の仕方は千差万別だ。

 にやりと笑う子も居れば恥ずかしがる子も居る。あるいは何でもないように礼を言う人もいる。

 だから翠のこの態度も、彼女なりの素直な反応なのだろう。



「……せっかく出かけたのに、用がなくなってしまったな」

 今日のこの時間のことを知らなかったので、渡す予定のプレゼントは家に置いてあるのだ。

 ここで渡せれば、とも思うが、悔やんでも仕方がない。

「私は、用がなくても楽しいです」

「そうなのか?」

 彼女は続ける。

「昔はずっと一緒に歩いてきたけれど、Pさん、最近はずっと他の方につきっきりでしたから」

 咄嗟に俺は、ありがとう、とだけ述べる。



 空白の時間が埋まる事を彼女は心中待ち望んでいたということに、俺は不思議な感覚を抱く。

 彼女の中に、よもやそこまで心酔するほどの感情はあるまい。

 それでも、そう言って微笑む翠の表情に裏はなさそうだ。



 これは、信頼されている、とだけ受け取ってもよいのだろうか。

 ……もとい、それしか方法はないのだけれども。










「――よし、じゃあ行くか」

「え?」

 この時期ともなれば、頬を薙ぐ冷たい風音は周囲を席巻する。

 それに負けないように俺が言うと、翠はきょとんとした目をした。



「せっかくの誕生日だからな。今から翠へのプレゼントを買いに行くぞ」

「そ、そんな悪いですよっ」



 当たり前というか、ここで拒否するあたり翠らしいというか何と言うか。

 これが未央あたりなら快諾するだろうにな、と思うと、何だか面白く感じた俺であった。



「明日は他の子の時間だから、まあ……前夜祭ということで、ほら」

 やるなら最後まで。やるならきっちりすべきだ。

 この時間を、ただの街歩きの時間にしてしまうのはいささか勿体無さすぎる。

 彼女の時間を独占できたのだから、少しぐらい奮発しても文句は言われないはずだ。



 そう言って無意識に差し出した俺の手を翠はじっと見つめた。



 俺としては、単に開始の合図としてやってしまったというだけの話なのだが、翠にとってはどこか違う物を感じ取ったらしく、少し間を置いて呟いた。





「おうじさま、ですね」

 繋がれた手袋越しに伝わる暖かさは、ホットドリンクでない、別の温もりであった。










 ――そこからは、なんてことのない買い物の時間だった。



 普段行く機会のないらしいブティックであったり、時計屋であったり。

 何故か俺の服を見立てたいと若者向けのショップに入って行ったり、ふと立ち寄った本屋で好きな本をお互いに勧めあったり。

 良い香りのする屋台の食べ物を、二人で分け合ったり。



 なんてことのない時間が、なんてことのない空白が、彼女の笑みによって彩られていったのであった。







 ……そうして過ごしていれば、背後には鮮やかな軌跡が残されていた。

 それは、本来であればただの無色透明の軌跡だったものだ。



 俺達は歩いている内に、いつのまにか事務所の近くにまで戻ってきてしまっていた。

 どうやら街中をぐるりと回ってきてしまったらしい。

 翠と話している時には気付かなかったが、周囲にはもはや我が家の庭ともいうべき慣れた景色が広がっていたのだ。



「もうすぐ、次の時間ですよね」

 翠は網膜に小さく映っているであろう我が事務所を捉えると、そう訊ねてきた。



 次の時間とは、考えるまでもなく俺の予定である。

 この後、俺は別のアイドルのレッスンを見る事になっているのだ。

 ふと気になって時計を見ると、針は丁度その時間の十数分前を指していた。





 まさか、と思って彼女に振り向くと、意に介さず……何もなかったかのように、落ち着いて、それでいて普段の笑みを漏らしていた。



 ――そう笑う彼女の首には、一本の白いマフラーが巻かれている。

 雪が降れば周囲と擬態してしまうのではないかというほどの、ふんわりとした、純白のマフラーだ。



「今日はありがとうございました。楽しかったです!」

 俺の隣に居たはずの翠は少し駆け、くるりと踵を返して俺と向き合った。

 白いマフラーと、彼女の長いポニーテールが宙を踊る。



「こちらこそ。あんまり話せなくて悪かったな」

 大世帯だから、という言葉は言い訳にはならない。

 現にそう感じてしまっているのだから、それは当然俺の過失である。








「いえ、仕方ありませんから。それがわからない私じゃありませんよ、ふふ」

 まあそう言うだろうな、とは思ったが。



 くすりと笑うと、突然翠はポシェットから一つの袋を取り出した。

 ベージュの色で、小さくくるまれているその袋はどこかで見たことがあるような気がする。



 それがどこで見たものだったか。

 答えを引き出す前に、彼女が先に踏み出した。



「それでは、次の仕事がんばって下さい」

 いきなり取り出した袋を使って一体今から何をするのかと思いきや、手に持った袋を俺に預けてきたのだ。



「え、これは」

 何度目かの困惑を迎える俺に、マフラーに埋もれている翠は微笑んだ。

「思い出は、共有しなければ消えてしまいますから。それでは失礼しますっ」



 ぺこり、と腰を折ると、その意味を訊ねる暇もなく、翠はそのまま髪を揺らしながら立ち去っていってしまったのだった。







 唖然として彼女の後ろ姿を見送ると、袋を持っていない方の手で思わず頭を掻いてしまう。



 人の感情や思惑の機微が全部わかるほど全知全能を名乗るつもりは毛ほどにもないが、それでもわかりたいと思ってしまうことはある。

 例えば今の彼女の言葉の意味など、だ。



 結局行き先は同じなのだから先に行っても仕方ないだろうに、と俺も遅れてゆっくりと歩き出す。










 かつ、かつ、と舗装された歩道を鳴らしながら歩く。

 寒空にふさわしい、冷たい音だ。



「そういえばこの袋は何なんだろうな」

 そんな中、事務所に戻るまでの道すがら、渡された袋を注視した。





 開けない理由はない。

 まあ、翠が渡すものだから決しておかしなものは入っていないだろう。





 ある意味安心して袋から取り出した『それ』は。





「……ああ、なるほど」

 雪のような――俺が使うには少し勇気の要るような――純白の手袋であった。







 瞬間を置いて、言葉の箱はようやく開く。



 示されたささやかな解答と表れた安堵と共に、俺はそれをおもむろに付けたのであった。





 [おわり]


17:30│水野翠 
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