2016年02月26日

神谷奈緒「幸福な食卓」

前作 神谷奈緒「あたしの幸せ」

アイドルマスターシンデレラガールズ、神谷奈緒のお話です。



地の文あります。奈緒がアイドルを引退してる設定です。



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「ん……朝、か……」



 カーテンの隙間から射す朝日が眩しくて目が覚める。



「……仕方ないよな」



 一人で使うには大きすぎるダブルベッド。あたしの右側には誰も居ない。



「慣れないな……」



 気持ちを切り替えるために窓を開けて大きく伸びをする。朝の澄んだ空気が気持ちいい。



 寝室を出てキッチンに向かう。その間も右側に誰も居ないのがなんだか変な感じがする。



「……やっぱダメかもしんないよ、Pさん」



 今は居ないあたしの愛する人に語りかける。聞こえるわけはないのだが……。







 冷蔵庫を開けて、朝食の準備をしようとしたのだが、ろくなものが入っていない。食べてくれる人が居ないと作り甲斐もないので、昨日は外食で済ませてしまった。だから冷蔵庫が空っぽなのに気付いてすらいなかった。



「……買い物、行かないとな」



 ろくなものが無い、とは言え全く何もないわけではない。食パンくらいならあったし、マーガリンもちゃんとある。



 トースターに食パンをセットして、リビングのテレビをつける。



「あいつら、元気そうだな……」



 テレビの中にはかつてのあたしの仲間が映っていた。テレビの中の二人は昔と変わらない綺麗なままで。



 トーストをかじりながらぼんやりと二人が出ている朝の情報番組を眺めていた。見ながらあの二人との楽しかった日々を思い出す。



 いつもいつも年下のくせにあたしをからかってくる、生意気な、でも憎めない可愛い妹分。そんな妹分と最後にあったのはいつだろう?



「そっか……もうずいぶん会ってないんだな……」





 あの二人は今も魔法にかけられたシンデレラ。片やあたしは魔法の解けた灰被り。あたしとは違う世界の住人、そもそも簡単に会えるわけがないのだ。



 誰も居ない右側をじぃっと見つめる。



 そこにはただ虚空が広がるばかりで、あたしが求める人の影も形もない。



「Pさん……会いたいよ……」



 目から一筋の涙が零れ落ちる。泣かないってあの日にPさんと約束したのに、あたしはPさんとの約束すら守れていない。



 ふと、読書が好きだったPさんが持っていた一冊の本が目に入った。テレビ台の中に無造作にぽんと置かれた一冊に。



「『幸福な食卓』……」



 タイトルは「幸福な食卓」。今のあたしの食卓を皮肉るようなタイトルの本に多少の苛立ちを覚えてしまう。



「はぁ……」



 あたしにとっての幸福な食卓はPさんと一緒の食卓なのに。







 あたしがアイドルの神谷奈緒から、ただの神谷奈緒に戻った日の事を思い出す。



 シンデレラガールに選ばれたあたしは、名実共にトップアイドルの仲間入りを果たした。でも、目標がなくなってしまったあたしにはそのままずっとアイドルを続ける事は出来なかった。



 だから、シンデレラガールになった日に、あたしはただの神谷奈緒に戻った。魔法にかけられたシンデレラから、魔法の解けた灰被りに。



 アイドルのままだったとしてもあたしはそれなりに幸せにはなれただろう。でも、あたしはアイドルとしての幸せよりも、普通の女の子として生きる幸せを選んだのだ。



 アイドルとして華やかに輝き続ける幸せと、普通の女の子として好きな人と結ばれる幸せ。その両者を天秤にかけたら、後者に傾いたのだ。だから、あたしはアイドルを引退した事を後悔はしていない。



 実際、あたしは幸せな女の子だろう。ずっと好きだった人と結ばれ、しかもその好きだった人もあたしの事をずっと好きでいてくれたのだから。





 Pさんと結婚した日、あたしはPさんに幸せすぎて怖い、と言った事がある。



 その時、Pさんは俺がずっとそばに居てやるから怖くない、と言ってあたしの頭を優しく撫でてくれた。



 でも、今はその優しく撫でてくれたPさんは、あたしの右側に居ない。もちろん左側にも。どこにも居ない。



「嘘つき……」



 あたしはまた零れそうになる涙を必死にこらえ、ソファに横になってぼんやりと天井を見つめていた。







「んう……?」



 いつの間にか眠っていたのだろう。朝よりも強い日差しが部屋中を満たしていた。



「あったかいな……」



 こんなぽかぽかした陽気の日にPさんと腕を組んで散歩にでも行けたらどれほど幸せだろうか。



「何考えてんだろ、あたし……」



 叶わない願いなんて願うだけ無駄なのに。



「掃除でもしよっかな」



 気持ちを切り替えるためにも掃除は有効だ。こんな天気の良い日に何もせず、欝々と過ごしていては勿体ない。







 何かに集中している時、人は多くの事を忘れていられる。



 お風呂、トイレ、キッチンと言った水回りから始め、リビングと寝室も納得するまで掃除しきった。



「この本、どうしよう」



 先ほどから目に入っている「幸福な食卓」と言うタイトルの本。



 あたしは漫画とラノベばかりで小説はあんまり読まない。そのため、読書好きなPさんは自分の仕事部屋に小説を保管しているのだ。



 Pさんの仕事部屋の前で立ち止まる。一人では入ったことのない部屋。



「……ちょっと、読んでみようかな」



 ドアノブにかけた手は、扉を開く事を躊躇った。仕事部屋を開けてPさんがどこにも居ない事を再認識するのはとても辛かった。



「開けなければ、居るかもしれないし、居ないかもしれないし」



 シュレディンガーの猫、という奴だ。厳密には何か違う事を言いたいらしいが、あたしは可能性を残す、という認識だ。







「読むんじゃなかったかも……」



 リビングで「幸福な食卓」を読み終えたあたしはそんな事を思ってしまった。



 ストーリーは一時期流行ったような良くあるストーリー。恋人が死んでしまうという感動物とでもいえばいいのか。



「あたしとは状況が違うとは言え、今の状態で読むにはきつかった……」



 愛する人がどこかに行ってしまうというのはとても辛いものだ。言葉に出来ないくらいに。



「ごはん、どうしよっかな……」



 時計に目をやると、短い針が3のところを指していた。



「今から食べると、夕食が入らないよな……。ただでさえ昨日外食して高カロリーなもの食べたのに……」



 アイドルをやっていた頃と違って、特に体形に気を遣う必要はないかもしれないのだが、女の子としては体形が気になるのは仕方ない。



「……ま、見せる相手も居ないんだけどな」



 そう思うとまた涙が零れそうになってしまう。



「せめて声だけでも聴きたいよ、Pさん……」



 Pさんの仕事部屋に向かってひとりごちる。聞こえるわけはないのだが、言わずにはいられない。





 結局、昼食は食べないまま、撮り貯めていたアニメを消化して夕食の時間まで時間を潰していた。



「今日も手抜きで良いかな……」



 何を作ろうかと思い、冷蔵庫を開けたのだが、そこには相変わらず何もなかった。朝に確認して、それから買い物にも行っていないのだから当然なのだが。



「掃除じゃなくて買い物に行くべきだったなぁ……」



 すっかり忘れてしまっていた昼間のあたしを恨む。やはり食べてくれる人が居ないと作る気にならないのだろう。



「でも、さすがにお腹減ったし、何か食べる物買ってこよう」







 最低限の身だしなみを整え、靴箱の前に立った。普段のあたしなら近場に行く程度なら履き慣れたスニーカーで行くのだが、今日はPさんにプレゼントしてもらったお気に入りのパンプスを履いてみた。



「……会えないからな。仕方ない。」



 何をするにもPさんとの思い出がよみがえる。たかだが、某ハンバーガーショップに行くだけなのに。



 久々に来た某ハンバーガーショップはひどく懐かしい気がした。昔は凛と加蓮と一緒に来ては、その都度、ハッピーセットじゃなくて良いのか、とからかわれたものだ。



 Pさんと一緒になってからとこの某ハンバーガーショップに来るのは初めてかもしれない。



 店員さんの営業スマイルにあたしも愛想笑いを返しながら、懐かしさもあってハッピーセットを注文した。もちろん、テイクアウトで。



 どうせ家に帰ってもあたしをからかうような人は居ない。今、あの家は無人なのだから。



 さすがはファストフードと言うべきだろう。あっという間に商品が出てきて、今日初めての外出は30分にも満たなかった。







 家に戻り、リビングでテレビをつけながらハッピーセットをもそもそと食べていると、朝にも見た二人がまた出ていた。



「やっぱすごい人気だよなぁ、あいつら……」



 妹分が幸せそうに笑っているのを見ると、姉として誇らしく思えてくる。



「って、もうあたしはアイドルじゃないから妹分なんて言えないか。ははっ……」



 何を言っても誰も返事を返してはくれない。一人きりの食卓。



「……っ。ぐすっ……」



 今日、何度目か分からない涙がまた、あたしの目から零れていった。







 カーテンの隙間から朝日が射す。



「……朝、か」



 起きているのが辛くて、昨日は早くに床に就いたのだが、早く眠れば眠るほど目覚めるのも早くなるようだ。



「また今日も一人、か……」



 相変わらず一人で使うには広すぎるダブルベッド。あたしの右側には誰も居ない。



「……」



 しばらく天井を見つめてぼーっとしていた。また今日も一人かと思うと何もやる気が出ない。あの小説の主人公の女の子もこんな気持ちだったのだろうか。



「あたしとは状況が違うのに、比べられるわけないよなぁ……」



 ぽつりと呟いた独り言は虚空に消え去ってしまう。誰にも聞かれるの事のない言葉。





 あたしがやっとの思いで起き上がった時、玄関の方で物音がした。



「えっ……? なに……?」



 ガチャリ、と鍵が開く音。そしてギイィっと扉の開く音がする。



 思わず息を飲んでしまったが、近づいてくる足音に気付く。



「ただいま! 奈緒!」



 勢い良く寝室の扉を開けたのはPさんだった。



「え? なんで? 出張、明後日までじゃ……?」



 あたしが聞いていた予定と大きく違っていたので、どうしてPさんがここに居るのか理解できない。もしかして、あたしずっと寝てたのか……?



「いやー……、凛と加蓮に『そんなに奈緒奈緒ってため息吐かれまくるとうざいからもう帰っていいよ』って言われてな」



 バツの悪そうにあたまをかく。





「奈緒に会えなくて死にそうだったし、お言葉に甘えることにしてすぐさま夜行バス手配して帰ってきた」



 顔がにやけて仕方がない。



「も、もう! しょうがないなぁ! Pさんは!」



「ただいま、奈緒」



 Pさんが抱き着いてくる。恥ずかしくて顔が赤くなるが、それ以上に予定より早くPさんに会えた事が嬉しくて仕方ない。



「おかえり、Pさん」







 冷蔵庫の中がすっからかんのままだったので、ろくな朝食が作れなかった。昨日と同じ、トーストだけという食卓。



「この番組にも付き添ってるはずだったんだよな」



 テレビをつけると、Pさんが一緒にいるはずだった情報番組に凛と加蓮が映っていた。



「おう、あともう一か所回って番宣巡り終了の予定だった」



 二人でトーストかじりながら見ていると、司会者さんが二人にコメントをお願いしていた。



テレビの中の二人は相変わらず綺麗だったが、急に昔のようないたずらっぽい笑みを浮かべた。



『奈緒―。見てるー? Pさん早く返してあげたんだから感謝してよねー?』



『プロデューサー、暇があれば奈緒奈緒ってうるさかったんだよ』



「ぶふぅっ!?」



 思わずトーストを吹き出してしまった。何を言ってるんだ! あの二人は!



 右側を見ればPさんも持っていたトーストを、カーペットにマーガリンの面を下にして落としていた。





 今ではただただ綺麗になった二人はそのテレビの間だけは、昔のようなあたしの可愛い妹分のままだった。



 そのままあたしとPさんは二人の出番が終わるまで真っ赤になりながら見ている事しか出来なかった。





「あー……なんだっけ、なんとかの確率だかなんだかって言うんだよなー……」



 Pさんがボヤキながらカーペットについたマーガリンをどうにかしようと四苦八苦している。



 ちょうど屈んだから目に入ったのだろう。あたしが昨日読んで、ソファの上に置きっぱなしにしていた本に気が付いた。



「お、『幸福な食卓』じゃないか。なんでこんなとこに?」



「あたしが昨日読んでたからだよ」



 Pさんの疑問に回答をすると、Pさんは納得したのか腕組みをしながらなるほどと唸っていた。





「で、どうだった?」



「どうって言われても……」



 正直、よくある話としか思えなかったので、なんとも返事に困る。



……本の感想ではないかもしれないが、読んで正直に思った事を言おう。



「あたしにとって、幸福な食卓ってさ」



「うん」



「Pさんと一緒の食卓の事だと思ったよ」



 例えトーストしかなくても、Pさんが一緒なら、あたしにはそれだけで『幸福な食卓』なのだ。



End





22:30│神谷奈緒 
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