2016年03月16日

鷺沢文香「バウムクーヘン」

鷺沢文香さんが前髪を上げたり下ろしたりするやつです。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1450955000





「何がいったいどうしてなんだろう。昔から私は何を考えているのかわからないと言われてきました」





「文香ちゃん、なに考えてるかわかんないんだもん!と初めて言われたのは小学生の頃です」



「級友の、誰かから言われたのは覚えています。前髪を伸ばし始めたのもその頃から」



「その頃から、もしかしたら私は誰のことも見ないようにしていて、誰も私のことを見ないようになっていて」



「視線に気付かれないように、視線に気付かないように何重にも暗幕を張って、それで良いと思いこんでいました」



「でもきっとあのとき。ドアがカランコロン鳴って、それが暗幕が開ける合図になったんです」





 ライブが終わって、確かに私は充足感に包まれていました。



 やり切った。

 汗がダクダクと流れます。

 

 スポットライトの熱も、開けた視界も、ファンの作る光の波も、少し前までは全く知らなかったことだから。

 暗幕が上がって、私を見て、歓声が上がるなんて、誰が想像出来るだろうか。



 少なくとも私には縁遠い世界だったはずですし、そんな光景は本にだって書いてるわけがありません。



 

「お疲れ様、文香。どうだった?」



 共演した奏さんは、こういうことには慣れているんでしょうか? 



 どこを歩いていても、なにをしていても華になる彼女のことだから。



「正直、困惑しています」



「あら……楽しくなかったの?」



「いえ、そうではなく……こんなに楽しいものがあるんだと思って」



 そう言ったら、彼女はふふっ、と楽しそうに笑います。

 余裕を感じさせる彼女の表情から、二歳の差はあまりに小さいものに思えました。





 この世界では過ごした年月よりも経験の濃密さがものを言うのだな。



 外に向けてきた感情の総量。それが私には大きく足らないように思えて。



「本当ね。アイドルって、楽しいわ。私もこうしてステージに立つなんて思いもしなかった」



「奏さんもですか……? 貴女ほど煌びやかな舞台が似合う人も、いないように思うのですが……」



「そうかしら。私だって、普通に女子高生なのよ?」



 普通に夢見て、普通にクラスメイトとおしゃべりして。そういう女子高生だったの。



 そう奏さんは言って、また楽しそうに笑いました。





「誰かに見られたいっていう欲は、あったかもしれないわね」



「誰かに見られたい……」



「そう、だから私は着飾るし、唇にルージュを引くの」



 一度見たら視線を掴んで放さない。その唇に彼女は手を当てる。



「ねぇ、文香って、恋したことある?」



「えっ?い、いえ……」



「本の中の出来事だと思ってた? 私もなの。ずっと恋愛映画みたいな恋はできないんだろうなって、そう思ってた」



 心の中を見透かされてしまう。きっと奏さんはエスパーなんだ。





 ヘアメイクの力で上げられた前髪がさらさら揺れて、それでも視界を邪魔することはない。



 なんとも言えず不安だけれど、奏さんはしっかり私の目を見て話します。



「恋をすると、その人に見られたくって堪らなくなるの」



「そういうものなのでしょうか……?」



「ええ。きっと文香もそう」



「私も……」



 その唇から放たれる言葉は、悉く私に突き刺さります。



 奏さんとしっかり目を見て話すことなんて、今までなかったかもしれない。



 彼女の目は角度によってレモンイエローに輝くって初めて気づいた。





「ほら、プロデューサーさんたちが迎えに来た。そろそろ行きましょう?」



「奏さんは今、恋をしているんですか……?」



「そうね……私きっと、恋してる」



 今日一番の笑顔で、奏さんは答えました。



 きっとそれは誰かへの特別な表情でした。





「ねぇ文香。目は口ほどに物を言うって本当なのね。貴女の目、本当に綺麗よ」



 思わず前髪を撫でつけるけれど、綺麗にセットされたそれが目を隠してくれることはなくて。



「貴女は、その目で誰を見るんだろう。楽しみね。ふふっ♪」



 駆け出した彼女は自らのプロデューサーの手を取って、二人で歩き出しました。



 なんてことだろう。このまま赤い顔で、プロデューサーさんに会うことになってしまった。







「うわっ、文香、顔真っ赤」



 無遠慮にプロデューサーさんはそういうから、流石にむっとした。

 また前髪を下ろしていたのに、よく気づく人だった。



「えっ、なに、怒るようなことしたか俺」



「女性には……気づいてもそういうことは言わないものだと思います……」



 デリカシーのない彼は、すまないと謝り倒しています。



 が、その程度で私の機嫌は良くなりません。

 なにか補填を要求します。つーん。





「わかった。なんでも言うこと聞くから、機嫌直してくれよ」



「今、なんでもっていいましたね……?」



 言質は取りました。



「おう、今日はクリスマスだしな!」



「中原中也……」



「えっ?」



「中原中也の詩集を要求します……」



「なんだ、本か。そのくらいなら」



「無論、全集ですよ……全五巻、なんなら別巻まで……」



「へ……? んなぁっ!!」





 手元のスマートフォンで値段を確認したプロデューサーさんは、すっとんきょうな声を上げる。

 なんだか可笑しくって少し笑ってしまった。



「この近くの古書店に有りましたから……行きましょう。今すぐ」



「あぁっ、ちょっ、意外とこの娘力強いっ!」



 ずるずると彼を引きずって、私たちは会場を後にします。



 前髪は今度こそ目の前で揺れて、彼がどんな表情だったかはよく見えませんでした。



 困ったような声が聞こえて、私はそちらの方を見ずに、ずるずると書店に向かいます。









 街は一面クリスマスムードが漂っていて、あぁ今日はクリスマスなんだな。



 今日「クリスマスライブ」を演っていた私が言うのもおかしいですが。



 彼は少し丸まった背中で、隣を歩いています。

 中原中也全集が彼の両手に重たくぶら下がっているからなのは言うまでもありません。



 恥ずかしい話ですが、クリスマスのやたら男女が多い街を、実際に歩いたのは初めてでした。



「少しお持ちします……」



「文香は優しいなぁ。身に染みるよ……」



「それは、皮肉でしょうか……?」



「滅相もございません」





 彼から全集を二冊受け取って、ずしりと腕が重たくなります。



 小さなころ、大好きな両親にクリスマスプレゼントとして大きなハードカバーの本を貰って、とても嬉しかったのを思い出しました。



 この腕の重みは、そのときの喜びによく似ている。



 子どものころから、私はなにを考えているかわからないんだそうです。

 今も本当に嬉しい。



 どうして、他の人には伝わらないのでしょう。

 

 前髪で目を覆ってしまえば、そんなことは考えなくても良くなった。



 今だって、プロデューサーさんの表情は見えなかった。









 前髪が伸びてから、初めてきちんと見た顔は、きっと彼です。

 叔父のお店で店番をしていたら、急に彼が前髪をかきあげて。



 目と目が会うなんて経験はそのとき本当に久しぶりで、彼は宝物を見つけたような表情をしていました。

 それはもう狼狽えている私の前に、彼の名刺が置かれたのも良く思い出せます。



 それからはどうだっただろう。



 日々忙しくなるアイドルの仕事に追われながらも、彼はちゃんとと私を見てくれていました。



 そもそも、アイドルに成り立ての私に次々と仕事が舞い込んで来たのだって、彼が私をよく見てくれていたから。



 よくよく考えると、それまで彼ほど、私をわかってくれている人もいなかった。



 どうしてって、それは今まで私の心を前髪で隠していたからで。



 彼は無理矢理暗幕を開けて、私自身を見てくれました。





 それから、私は、私の心はなにか変わったのだろうか。



 結局、いつもは前髪を下ろして、私を隠して、なにも見ないままだった気がする。



 さっき私が連れ出したとき、彼は笑っていたんだろうか。呆れていたんだろうか。怒っていたんだろうか。



 今、キラキラとクリスマスは眩しく輝いている、はずです。

 前髪のフィルターを通したら、少し暗くなって、それが私には丁度良かった。



 道を行き交う人たちは皆どのような表情なのでしょうか。

 隣を歩くプロデューサーさんも、フィルターを通してしまえばこの通り。それが私には丁度良かった。



 本当に?





 LEDに彩られた街を、私たちはゆっくりと歩く。



 きっと彼が私の歩調に合わせてくれていて、優しいのは彼のほうでした。

 彼はこれまでずっと私に優しかった。



 私が優しいなんていうことはなくて、実際今日もプロデューサーさんを振り回してばかり。



 本当に、それで良いのでしょうか?



 このまま彼をただ振り回して、そうしていたらいつか愛想を尽かされるんじゃないか。



 そんなの、堪らなく嫌でした。





 いつのまにか、プロデューサーさんは少しずつ私の前を歩いていました。



 彼が早足になったんじゃなくて、私の歩くのが遅くなったから。



 彼は私の方を振り返ることなく、スタスタと歩いて行ってしまいます。



 私が隣にいないって、まだ気づいてない。



 このままじゃ、人混みにそのまま混じってしまう。



 お願い、気づいて……!





 私の心は臆病だから、彼に駆け出そうとしても、脚が震えた。このままではダメ。



 私の心は臆病だから、彼を呼ぼうとしても、口がパクパクと震えるだけ。

 このままでは、ダメだ。



 勇気がない。

 今まで他人を見てこようとしなかったからです。



 ちゃんと彼を見ようとしたら、こんなに勇気が要るなんて。



 一歩でいい。先ずは右脚。その次に左脚。



 怖いのは否定されること。

 彼に手を伸ばして、それを掴まれないこと。



 それでも一歩、二歩と脚は進んで、彼はあと少しです。





 彼のことをちゃんと知りたい。



 臆病な私は、言葉ではうまく言えないけれど、だからこそ、まずは私と目を合わせて。



 見て。見て。私のことを、これからも見てください。



 そうしたら、今度こそは私も、貴方を見ます。



 だから。



 あと少し、あと一歩。空いた手を伸ばして、彼の袖を引きました。





 彼は本当に私が後ろに行ってしまったのに気づいてなかったらしくて、肩で息をする私のことを心配してくれました。



 ずるいですよね……なにも見ないでいたのに。



 なにもしなくても貴方からは見られるだなんて、甘えていました。



 私、これからきちんと貴方を見ます。



 だから……貴方も私のこと、見ていてください。

 





 バウムクーヘンの層を一枚一枚剥がすように、彼によって私の視界が開けていきました。



 少しずつ、少しずつ。

 

 クリスマスのイルミネーションはどんどん明るくなる。



 すれ違う人の幸せそうな顔が見えて。



 その次に、やっと。



 あぁ、彼の笑顔が見えた。









お わ り 



23:30│鷺沢文香 
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