2016年04月14日

高槻やよい「思い出はもやしと共に」


※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。



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 とんとんとんとリズミカルになる包丁の音と、台所から漂ってくる料理の良い匂い

 ――そろそろ、ご飯の時間だな――そんな風に、俺は自然と目を覚ましたかったのだ。

 

「はづき。ちょっとそこに座りなさい」



 目の前の可愛らしい少女は、きょとんとした顔で俺を見下ろしていた。

 

 頭の横で二つにくくられた、ゆるいウェーブのかかった髪。

 その、母親譲りの綺麗な赤毛が、俺の呼吸に合わせてゆらゆらと揺れている。



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「えぇー。はづき、もう座ってるよー?」



「うん。座ってるのは、パパのお腹の上だな。そこから降りて、床に座りなさいと言ったんだ」



「はーい!」



 そうして元気よく返事をした今年六歳になる愛娘は、ソファーに寝転がっていた俺の上から降りると、

 床にしかれたカーペットの上へちょこんと座りなおす。



 

「座ったよ?」



 顔を上げて小首を傾げるその動作に、

 俺は今すぐにでもこの可愛らしい生き物を抱きしめたい衝動にかられたが、ぐっと拳を握って我慢する。

 

「いいかはづき? 何度も言ってるけど、パパを起こすときにお腹の上へダイブするのは止めなさい。」



「えぇー、でもぉ……」



「でも、なにさ?」



「お姉ちゃんが、その方がパパが喜ぶからって」





 ちらりとはづきが目線をやったその先には、見慣れた女性が座っていた。

 

 一見しただけでわかる、清楚で、気品の溢れるたたずまい。

 身につけている服や小物も、見た目こそ派手ではないが、決して安い物でもない。

 あれは確か、今年流行のセレブファッションとして雑誌で紹介されていたヤツだ。

 

 腰まである長髪は、入念に手入れされているのだろう。

 枝毛の一つもなく、艶やかに蛍光灯の光を反射している。

 

「なぁに? そんな顔しちゃって」



 わざとらしく、女性が言う。

 その口元には笑みが浮かんでおり、まるで面白い玩具をみるような目で俺を見ていた。

 

「いいかはづき。あのねーちゃんのいう事は簡単に信じちゃいけないぞ? 

 あれは、パパを困らせる事を生きがいにしているような女だからなー」



「そうなの、お姉ちゃん?」



「まさか、違うわよ……はづきちゃんの大好きなパパを困らせるような事なんて、お姉さん言わないよー?」





 そうして彼女――水瀬伊織はテーブルの上に肘をついたまま、「ねー♪」とはづきと顔を見合わせる。

 

「大体な、お前は来るのが早すぎるんだよ。仕事はどうした仕事は」



「そんなもん、とっくに終わらせてるわよ。っていうか、今日は元から予定なんて入れさせる気、なかったもの」



「いけしゃあしゃあとまぁ……この前律子が頭抱えて悩んでたのは、ひょっとしてお前が原因だったんじゃないか?」



「さぁ? どうかしらね」





 伊織はすました顔でそう言うと、テーブルの上に置かれたリモコンに手を伸ばした。

 

 ピッと音が鳴ってモニターに明かりがともると、

 スピーカーから流れ出した軽快な音楽と出演者の声を聞いて、はづきがテレビの前へと移動する。



「ありがと伊織おねーちゃん! はづき、このテレビ好きなんだ!」



「えぇ、知ってるわ。だから今日は、はづきちゃんと一緒に観たくてここに来たのよ」



 にこりと伊織が微笑むと、はづきが食い入るように見つめるテレビ画面に二人の女性が映し出された。

 

 一人は、セミロングの髪を頭の右側で一つくくりにした、わりと背の低い女性。

 薄い長袖のシャツの上から、黄色い半そでのジャケットを着て、下は半ズボンといういでたち。

 

 もう一人はショートカットの良く似合う、どこかおっとりとした雰囲気の女性。

 薄紫のカーディガンに、ロングスカートがよく似合っていた。



 

『やっほー! テレビの前のみんな元気かなー? 双海亜美だよー!!』



『本日も生放送でお送りします。【お散歩小町】、司会の三浦あずさです〜』



 最近まで活動を続けていた人気アイドルユニット、『竜宮小町』の元メンバーである双海亜美と三浦あずさ。

 

 元気溢れる亜美と、落ち着いた雰囲気のあずささん。

 二人が並ぶ姿は、まるで仲の良い母と娘のようにも見えて……そんな事を考えていると、ニヤニヤと笑う伊織と目が合う。

 

「アンタが考えてる事、今度二人に言ってあげようかしら?」



「冗談でも止めてくれよ。ただでさえ最近のあずささんは年齢気にしてぴりぴりしてんだから」



「そりゃあ、自分よりも若い子が先に結婚したらねぇ……いくらのんびりのあずさでも、多少の焦りは感じるわよ」



 俺達の間にしばしの沈黙がおとずれて……次に口を開いたのは、殆ど同時だった。



 

「でも、小鳥さんよりかはマシか」



「そうね、小鳥よりはマシよ」



 そうしてお互いに、同じ人物の顔を思い浮かべてため息をつく。



「この前さ、会社の資料預かるために小鳥さんの住んでるアパートに行ったんだけど」



「ちょっと、怖い話は止めてよね」



「玄関開けて出てきた小鳥さんの後ろに、見ちゃったんだよね、俺」



「人の話し聞いてる? 私は聞きたくないって言ってんのよ」



「ちらっと見えただけだけど、彼女の後ろに男物の服着せたマネキンが、こうずらっと――」



「だぁかぁらぁっ! 聞きたくないって言ってるでしょっ!!」



 バンッ、と、伊織がテーブルを叩く。

 するとテレビを見ていたはづきが、頬を膨らませて俺達に振り返った。



「もぉー。パパたちうるさいよー! テレビの音が聞こえないでしょー?」



「ご、ごめんなさいねはづきちゃん。お姉さんが邪魔しちゃって」



「はっはっは。天下の水瀬伊織さんも、どうやらうちのお姫様には頭が上がらんようですな〜?」



 両手を合わせ、自分よりも遥かに幼い少女に頭を下げる伊織の姿。

 普段の強気な彼女からは考えられないその姿を見て、俺もつい調子にのってしまう。

 

「ほほほほ……ホーント、どうしてこんな性悪男からこんなに可愛らしい子が生まれたのか、わたくしも理解に苦しみますわー」



「は、はは…………うっ……!」





 しまったと思った時にはもう遅い。はづきに気づかれぬよう、伊織がキッと俺を睨む。

 

 「後で覚えときなさいよ」……声にこそ出さなかったが、彼女の口がそう動くのを見た俺は、

 引きつった笑顔のまま乾いた笑いを続けるしかなかったのである。

===



『さぁてあずさお姉ちゃん。今日は風・邪・で!……お休みしてるいおりんの分も、二人でガンガン盛り上げて行こうね!』



『そうねぇ亜美ちゃん。風・邪・で!……お休みしている伊織ちゃんの分も、二人で頑張りましょ〜♪』



 テレビの中の二人は笑顔でそう言うが、「風・邪・で!」仕事を休んでいるはずの当の本人はというと、

 先ほどから自らの膝に幼女を乗せて、グラスを片手に上機嫌で同僚の映るテレビを眺めていた。



 

「にひひ……いつもは映される側だから、こうして番組を見る側に回るのも、たまには新鮮でいいわねぇ〜」



「……今からでもサプライズとかなんとか言って、二人のところに合流してきたっていいんだぞ?」



「ダメよ、ダァメ! だってもう私、飲んじゃってるもの」



 はて? 頬に赤みのさした伊織が持ち上げて見せたソレは、今晩のために用意していた俺のとっておきだったはずなのだが。

 

 動揺を悟られぬよう、俺は震える声を抑えて問い詰める。

 

「それ、もしかしなくても俺のだよな? わざわざ通販で取り寄せた、美味いと評判の地酒だよなぁっ!?」



「これね、アンタの奥さんが用意してくれたのよ? 『伊織ちゃんお酒好きだったよねー』って」



「な……なん……だと……」



「『パパが、美味しいんだぞって言ってましたー。良かったら伊織ちゃんも一緒にどうぞ!』ですって。

 良かったわねぇ、あんな綺麗で可愛くて気の利く素敵な女性がお嫁さんに来てくれて」





 そうして空になったグラスに、どぼどぼと新しく酒を注いでいく。

 先ほどまでの上品さはどこへやら、今ここにいるのは、酒癖の悪いただの酔っ払いだ。



「このお酒、確かブランド品でお高いんじゃなかったかしら? 

 貧乏性のアンタにしては、思い切った買い物してるじゃないの……美味しく頂いてるわ♪」



「俺の……三か月分の小遣いが……」



「はづきちゃんと、素敵な奥さんに乾杯! あ、そうそう。アンタも飲むんだったら、入れ物は自分で持ってきなさいよね」



 しれっとした伊織の態度に、俺の涙腺がゆるむ。



 なんだこれは? まるでいじめっ子といじめられっ子の関係ではないか。

 悔しいかな、こういうところは出会った頃からいつまでも変わっていない。

 

 しかも、今回の伊織の暴挙は、愛する妻のお墨付きなのだ。

 これでは、俺も怒るに怒れないじゃあないかぁ!!



「もうお前帰れよっ! 風邪なんだろ? 病欠したんだろっ!? そんなに顔が赤いって事はこりゃ熱も相当だなー! 

 今から病院連れてってやるからそのまま入院しちまえよコンチクショーっ!!」



「バカねぇ、だから体を冷やさないよう、こうしてお酒を飲んで温まってるんじゃないの」



 結局、俺にできるのは子供のように悪態をつくだけ。だがそれも、伊織には風のように受け流される。



 するとそんな俺達のやりとりを聞いていたはづきが、心配そうに顔を上げると、伊織の膝に座ったままで彼女にたずねた。





「……伊織お姉ちゃん、お熱なのー?」

 

「そうなのよはづきちゃん……実はお姉さん、ちょっと体の調子が悪くって……こほっ、ごほっ……あぁっ!」



 伊織が大げさに咳き込むと、わざとらしく頭に手をやってから、座ったままの姿勢で体を横に倒す。

 

 そうして自然と膝から下ろされる格好になったはづきが、

 カーペットの上に横たわる伊織の体をゆさゆさと揺さぶりながら俺に言う。



「だ、大丈夫!? パパっ! おねーちゃんが大変! お医者さん、お医者さんだよぉ!」



「そうだな。おねーちゃんにはきっと頭のお医者さんが必要だなー」



「あぁ、はづきちゃんのパパが私に意地悪を言ってるわ。このままじゃ私……ごほっ、ごほっ!」



「あああぁ……ぱ、パパぁ!」



「ほっときなさいはづき。その病気は、時間がたてば勝手に治るから」





 涙目で訴えるわが子の可愛さといったらないな。

 なんて親バカな考えに浸っていると、まるで心配した様子をみせない俺の態度に腹を立てたのか、

 はづきが両手を腰に当てて仁王立ちになり、俺にむかって厳しい顔を向ける。

 

「パパっ! お熱のある人にそんな意地悪いっちゃ、ダメですよ!」



 

 そうして右手を顔の前に持ってくると、「メッ!」といった風に人差し指を立てる。

 この怒り方は、はづきを叱るときの彼女の格好そのままだ。それに、口調まで真似していて……

 まるで小さくなった嫁に、説教をされているような気分にもなる。



 そしてそのまま、うぅむ、こうして女の子は、だんだんと母親に似ていくんだなぁ等と

 関係のない事まで考え始めてしまった俺に、もう一度はづきが声をかけてきた。

 

「パパ? はづきのお話、ちゃんと聞いてますか?」



「お、おう。ちゃんと聞いてるよ……大丈夫、伊織の病気は、『仮病』だから」



「……けびょう?」



 伊織が転がったまま視線だけを俺に向けて、「ちょっと! 余計な事言わないでよ!」と訴えてくるが、

 俺はその訴えを無視してそのまま説明をつづける。



「仮病って言うのは、嘘の病気ってこと。

 だからほら、転がってるのに、しっかりとお酒の入ったコップは握ったまんまだろう?」



「え、えぇー……?」



「……っ!」





 そこからの伊織は素早かった。

 はづきの疑惑の眼差しが向けられるよりも先に、その小さな体を勢いよく自分の方へと抱き寄せる。

 

 あっという間に伊織の腕の中に収まったはづきの姿は、まるで捕食者に捕らえられた獲物のようで。



「あぁはづきちゃんったら優しいのね! こんなにもお姉さんのことを心配してくれて!」



「ちょ、ちょっと! 伊織おねーちゃん……!」



 はづきが手足をじたばたと動かして伊織の腕の中から逃れようともがくが、伊織は腕の力を緩めない。

 

 もう一つ付け加えておくと、そんな状態でも伊織の手に握られたグラスから

 酒が一滴もこぼれないのが、その時の俺には不思議でならなかった。

 

 一体どういう仕組みになっているのか? だが、その謎は一朝一夕で解けそうも無いので――それよりも今は、

 この悪酔いおでこの魔の手からはづきを取り返す方が先だ――と、目の前にある、すぐにでも解決できそうな問題へと頭を切り替える。

 

「その辺で止めとけよ伊織。あんまりきつく抱きしめたら、はづきが泣いちゃうだろーが!」



「むぅぅ……お、おねーちゃんっ……!」



「まさかぁ! そんなことないわよねー? ほぉら、ほっぺすりすり〜♪」



「だぁから止めろって言ってんだよ。はづきも、嫌なら嫌ってちゃんと言わないと……」



「うぅぅ……い、嫌あぁ!」



 伊織の力が緩んだ一瞬の隙をついて、伊織に頬ずりをされていたはづきが彼女の腕の中から脱出した。

 そしてそのまま、伊織の手の届かない位置まで後ずさる。

 

「あぁっ……はづきちゃん……戻ってきてぇ……」



 寝転がったままの姿勢で、名残惜しそうに自分から距離をとったはづきへと手を伸ばす伊織。

 

 そんな伊織に向かって、はづきがその小さな鼻をつまんで言い放つ。



 

「やっ! おねーちゃんお酒臭いもんっ!」



「そ、そんなぁっ……!」



 幼子の無垢な言葉でトドメを刺された伊織が、がっくりと肩を落とす。

 その様子を見ていた俺は、伊織には悪いが、内心ではよく言ったとはづきに拍手を送っていた。

 

 そもそも許可が出ていたとはいえ、持ち主に断りなく人の酒を勝手に飲むから

 後々こういうツケが回ってくるのである。因果応報とは、まさにこのことだ。



 

「ふっ、これも天罰だな。そこでしっかりと反省したまえ水瀬くん! ふははは!」



「いいわよ別に、私にはまだこのお酒が残ってるから……こうなりゃとことん飲んでやるわよ!」



「ふはは……う、うん? だからな、その酒は俺の酒で、別に飲んで良いって許可したわけじゃ――」



 その時だ。聞き覚えのある凛とした女性の声が、俺の言葉を遮った。



「本当に、こんな時間から酔っ払って子供に絡むだなんて。

 はづきちゃんの将来に悪い影響を与えたら、どうするつもりなのかしら」



 声のした方を見上げると、こちらも見慣れた姿が目に入る。

 

 伊織同様、腰まである長髪を今日は頭の後ろで結び、手には食材の詰まったビニール袋を提げていて。



 青系のカッターシャツを身にまとったスラリとしたシルエットが、

 同年代と比べてもそれなりに高い彼女の身長を一回りほど大きく見せていた。

 

 そんな彼女の姿に、俺は驚いたように声をかける

 

「千早――いつ戻ってきたんだ?」



「つい、さっきですよ。声をかけても返事がないので見にきたら……大の大人が二人も揃って、一体何をやってるんですか」



 そこには呆れたような表情でため息をつく、如月千早が立っていたのだ。

===



「ところで、なんで一人なんだ? 一緒に買い物に出たはずだろう?」



「それが、ここに戻る途中で、萩原さんと真から連絡がありまして……」



 ビニール袋から買って来た商品を取り出しながら、キッチンに立つ千早が言う。

 

「雪歩と真が? そういえば今日はこれないって言ってたもんなぁ」



「萩原さんは学校が、真はこの時期、自分の会社が忙しいですからね……

 あ、はづきちゃん。ちょっとこっちに来てくれないかしら?」



 千早の呼びかけに、はづきがとことことリビングから移動していく。



 

「なぁにー? 千早お姉ちゃん」



「ふふふっ、何だと思う?」



 そうして千早がガサガサとビニールを鳴らし、箱のような物をちらりと袋から覗かせた。

 

 最初は微妙な表情でそれを見ていたはづきだったが、しばらくしてその正体が分かったのか、

 ぴょこぴょこと体を揺らして興奮気味に指をさす。

「それ! はづきの好きなヤツ! 『ケロケロビスケット』!」



「大正解〜! 良い子にお留守番してたはづきちゃんに、お姉ちゃんからのお土産です」



 ケロケロビスケット。それは、可愛らしいカエルのイラストが印刷された

 ビスケット生地の裏にチョコレートが塗ってあるお菓子で、はづきはこれが大好きであった。

 

 しかもシンプルゆえに飽きが来にくく、

 気をつけないといくらでも食べ続けてしまう、魔性の魅力を秘めたお菓子でもある。

 

 過去にもこのお菓子のせいで体重計に乗るのを嫌がるようになり、

 その存在自体を封印してしまった女性を俺は知っていた……何を隠そう、妻のことだ。

 

 そういえば以前、そんな妻がダイエットを始めると同時に余り買って貰えなくなったとはづきがぼやいていたが……

 本人もその事を思い出したのか、もじもじと下を向き、黙ってしまっているじゃないか。





「でも、いいのかな? ママが怒ったり、しない?」



「大丈夫よはづきちゃん。ちゃんとアナタのママに『はづきちゃんに買ってあげても良いかしら?』って聞いてるから!」



「……ほんとう?」



「えぇ! だからほら、どれでも好きなのを持ってって!」



 ニコニコと笑う千早の言葉に若干の違和感を感じたが、俺が口を挟む前に彼女が持っていた袋を逆さにする。



 すると、その場にドサドサと現れる大量の「ケロケロビスケット」。その数、軽く十は超えていた。

 

 その物量に圧倒され、はづきも大きく口を開けてその場に立ち尽くす。



「はわわ……け、ケロケロビスケットが一杯だよぉ!」



「ふふっ♪ 普通のビスケットだけじゃなくて、ココア味やイチゴ味もあるのよ?」



 あぁ、「また」千早の悪い癖が出てしまった。どうしてこう、はづきの周りの大人は彼女に対して甘いのか……

 いや、自分にも身に覚えがないわけではないが。

 

 しかしここは親として、甘やかし屋の千早にはびしっと一言いっておかねばなるまい。

 俺はソファーから立ち上がると、心を鬼にして彼女達の前に立つ。





「ちょっと待て千早! 何なんだそのビスケットの量はっ!」

 

「ど、どうしたんです急に……? あっ! まさか、これっぽっちの量じゃ足りなかったのかしら……!?」



「ケロケロ〜♪ ケロケロ〜♪」



「違う違う! そうじゃなくてな、物にはほらっ、限度ってのがあるだろう?」



「……なによ、これぐらい可愛いもんじゃないの。お望みとあれば、今度コンテナ一箱分のビスケットを送ってあげるわよ」



 いつの間にか、床に転がっていたはずの伊織までキッチンに来ていた。その顔は青く眉間にも皺をよせ、

 虚ろな目はふらふらと、積まれたビスケットとその山を探索するはづきとの間を揺れている。

 

「どうしたの伊織……なんだか、随分と顔色が悪いわね」



「それが変なのよね。体が思うように動かないし、頭痛と眩暈も……悪いけど、お水貰えるかしら?」



「酒好きなのに弱いんだから加減すればいいのに……それ飲んだらあっち行って休んでろよ、話がややこしくなるから」



 伊織が差し出されたコップに注がれた水を一気に飲み干す。

 その傍でははづきが鼻歌を歌いながら、ビスケットの箱を手に取り、どれにしようかと悩んでいた。



「ところで、はづきちゃんはどのビスケットに決めたのかしら?」



「えっとねぇ。うんと……えっと……ダメ! 一杯あって選べないよぉ!」



「バカね。そういう時は全部開けちゃって、一つずつ順番に食べていけば良いのよ。

 そうすればほら、選ばなくても全部の味が楽しめるでしょ?」



「そっかぁ! 伊織おねーちゃん、頭良い〜!」



「ふふん。当然よ! こんな簡単な問題、私の手にかかればどうってこと無いわ!」





「だからぁ、酔っ払いはこれ以上話をややこしくするなって! それにそんな食べ方、パパが絶対に許しません!」



「はい、どうぞ。これで全部の味が食べられて良かったわね、はづきちゃん♪」



「ありがとう千早お姉ちゃん!」



「言ってるそばから! 千早ぁっ!」



 お皿の上に盛られたビスケット。上機嫌で高笑いをする酔っ払い。

 千早は人の話を聞かないし、はづきはハムスターのようにもぐもぐとお菓子を詰め込んでいる。

 

「はぁ……はづきちゃん、可愛い……そうだ、写真に撮ってもいいかしら?」



「写真ー? どうするのー?」



「そうねぇ。今日は遠くのお仕事で来れない春香に送って、自慢しちゃおうかな」



 そうしていそいそとズボンのポケットから携帯を取り出す千早を見て、俺も諦めて頭を押さえる。

 もう良い、これ以上俺は何も言わん。各自で好きにやってくれ!

 

「可愛く撮ってねおねーちゃん!……ぶぃっ!」



「っ!! その格好、凄く良いわ!!」



 カシャカシャと高速で連射されるシャッター音を聞きながら思うのは、小鳥さんだけじゃない。

 ここにも「拗らせた」人間がいるという事と……。

 

「うぇぇ……気持ち悪い……。もう、動きたくないぃ……」



 息も絶え絶え、ソファーに仰向けで寝転がる酔っ払いの介抱を誰がするのだろうという心配。

 いや、心配も何も一人しかいないのだが、どうして酒を飲まれた上にその後の面倒まで見ねばならんのか。



「今度はこっち! こっちに目線を頂戴!」



「水ぅ……水持ってきてぇ……!」



「えへへ! 何だかすっごく楽しいねっ!」



「……頼むから、早く帰って来てくれよぉ」



 呟きはむなしく部屋の喧騒にかき消される。

 すがるように部屋にある時計に目をやれば、時刻はようやく、夕方を迎えようとしていた。

===



 人を好きになる瞬間って、どんなだろなーって考えた事、ありませんか?

 

 お金とか見た目とか、立場や名誉だったりとか。そういうのを一回、

 全部関係無くしちゃって、まっさらな状態で考えてみたときに、私思ったんです。

 

 きっとそれは、自分のお家にいるときみたいな、安心感を感じられるかどうかなんじゃないかって。

 それは多分、優しいだけじゃない……言葉にできない、不思議な感情で出来てるのかなーって。

 

 だからその安心感を感じたときに、私、思い切って言ってみたんです!



 

『私、アナタの事が好きなんだと思います』……って。





 そうしたら彼は、持っていたお茶碗を落として、その瞳をぱちくりとさせて。

 彼だけじゃ、無かったかな。食卓を囲んでいた弟や妹も、びっくりしてた気がします。

 

 だけど、一番びっくりしてたのは、他ならぬ私でした。

 自分でもなんでこんな事を言っちゃったんだろうって、もう心臓がドキドキして、

 顔も耳まで真っ赤になってたのを、今でも覚えています。

 

 でも、視線だけは逸らさずに……私は彼の言葉を待ちました。

 

 だってその言葉は、私のホントの気持ちでしたから。

===

 

 玄関を開けて聞こえてくる、賑やかな声。

 ぱたぱたと足音を立て、廊下の奥からやって来るのは、今年六歳になる私の娘。

 

「ママ! おかえりなさーい!」



「えへへ……ただいま、はづき。良い子でお留守番できたかなー? はい、お土産!」

 

「これ、なぁに?」



「それはね、真おねーちゃんがはづきにってプレゼントしてくれたの」



 私は靴を脱ぐと、持っていた紙袋を彼女に手渡し、小さな頭をなでなでして。

 

「おぉっ! やっと帰ってきたか!」

 

 そうしてはづきの後を追うように顔を見せたのは、あの頃から少しだけ年を取った彼と、

 エプロン姿の千早さん。その手には、ハンドミキサーとボウルが握られていて。



「お帰りなさい。今ちょうど、ケーキを作ってたところなの」



 そう言って、二人とも微笑みます。



「すみません千早さん。先に始めてもらっちゃって」



「ううん、いいのよ。そんなに手の込んだ物を作るわけじゃないし……萩原さん達とは、ちゃんとお話できたかしら?」



「はい! でもみんな久しぶりに会うから、中々話が終わらなくて。荷物を置いたら、私も手伝いますねー」



 荷物を置くためにリビングに入ると、ソファーの上に薄目を開けて寝転がる伊織ちゃんの姿。

 彼女も私に気がつくと、気だるそうな声で「帰ってきたのね」と呟きました。



「ど、どうしたの伊織ちゃん? 具合が悪そうだけど……」



「……ちょっと、飲みすぎちゃって……悪いけど、しばらく横になってるから」



「う、うん。ゆっくり休んでていいからね」



 伊織ちゃんはそれだけ言うと、背中をこちらに向けて寝返りをうちます。

 彼女はこのまま、晩御飯まで寝かしておいてあげた方がいいみたい。

 

「ねぇねぇママ……どうかな? 似合うー?」



 スカートの裾を引っ張られ振り向けば、フリルのついた可愛らしい服を体に当てたはづきが立っていました。

 

「うん、似合う似合う! 今度おねーちゃんに会ったら、はづきもちゃんとお礼言うんだよー?」



「えへへ……真おねーちゃんのお洋服、可愛いからはづき大好きなんだー♪」



「へぇ……その服、真からのプレゼントかい?」



「そうなんです、『今度の新作だよ』って。貴方からも後でちゃんと、お礼を言っておいてくださいね?」



 そうして彼にはづきの相手を任せて、私はキッチンへ。

 案の定そこには食器や容器が散乱としていましたが、このくらいの散らかりようなら、すぐに片付けられるでしょう。

 

 千早さんのケーキ作りの進み具合を確かめてから、もう必要の無くなった食器なんかを流しに移し、

 台の上に転がるお菓子の空き箱はゴミ箱へ……あれ? お菓子……?

 

「あのー、千早さん」



「なにかしら? あっ! もしかして片付けの事? ごめんなさい、私、どうしても効率よく動けなくって」



「そのことなら、大丈夫です。えっと、聞きたいのは、コレについてなんですけどー」



 にっこりと笑顔で、私は彼女に持っていた「ケロケロビスケット」の空き箱を見せました。

 すると、分かりやすいくらいに千早さんがうろたえだして。

 

「たしか私、お店では『一箱だけなら買ってもいいです』って言いましたよね?」



「そ……そうね」



「それでお会計の時も、カゴの中は一箱だけだったと思うんですけど」



「そ、そうだったかしら?」



「千早さん?」





 タンッと、私は台の上を軽く叩きます。それに合わせて、千早さんの肩がビクッと震えて。



「ご、ごめんなさい! やっぱり、沢山あったほうが、はづきちゃんに喜んでもらえると思って……!」



「だと、思いました。千早さんの甘やかしは、今に始まった事じゃないですし」



「うぅ……本当に、ごめんなさいね?」



「悪気があったわけでも無いし、反省してるのでいいですよ。

 それに……話を聞いてみないといけない人は、他にもいるみたいですから」



 くるりと隣の部屋を振り返ると、こちらの様子をうかがっていた三人が、一斉に顔を逸らして。

 

 せめて今日ぐらいは怒らないようにしたかったけど、それはそれ。きちんとケジメはつけないといけません。

 

「三人とも……ちょっと私と、お話できますよねー?」



「は、はい……」



 うなだれる三人を一列に並べて、軽くお説教。

 その間に千早さんがケーキの準備を終えて、テーブルの上を片付けて。

 

 そのうちにピンポンとチャイムがなり、本日予定していた最後の来客です。

 

「こんばんわー! 亜美の登場だよー!」



「みなさん、お邪魔しますね〜。これ、差し入れです〜」



 お菓子やジュース、お酒の入った袋を携え、あずささんと亜美がやって来ました。





 準備は万端。年季の入ったホットプレートの電源を入れ、食卓を囲む面々に宣言します。

 

「それじゃあもやし祭り、開幕でーす!」



 あの頃と違い、プレートの上にはもやしだけじゃなく、ちゃんとお肉や他の野菜ものっていましたが。

 やっぱり、私としてはこの呼び方のほうが、性にあっているように感じられるのです。

===



「そういえば、響と貴音からお祝いのメールが来てたぞ」



「そうなんですか? なら、後で返事を送らなくちゃ」



「あの二人、確か海外に行ってるんですよね? 今はどの辺にいるのかしら」



「はづき知ってるよー! 響ちゃん達、ラクダさんに乗ってたの!」



「そうそう、その前の放送の時は、お姫ちん達アメリカにいたよねー。

 地元の巨大ハンバーガーを完食するってチャレンジやってたよ」



「ちょっと待って。あの二人の番組って『世界動物ふれあい紀行』でしょ? それのどこが動物とのふれあいなのよ……」



「まぁまぁいいじゃない。あの二人らしくって〜」





「アメリカといえば、美希の奴が日本に戻ってくるのも来週か。早いもんだなぁ」



「ふふっ、真さんがぼやいてました。予定よりも早く戻ってくるから、イベント用の衣装の準備が間に合わないって」



「美希ちゃん、俳優とモデルで引っ張りだこですものね〜。今度は、どれくら日本にいられるのかしら?」



「皆何だかんだと忙しいですからね。本当は今日、春香も来る予定だったんですが……」



「そうそう! 亜美も真美を誘ったんだけど、ベンキョーに集中したいからって断られちゃったんだよね」



「あぁ、そういえばもう六年だものね。試験は来年?」





「うん、多分そう。こーんなに参考書抱えて、家にいるときでもずっと勉強してるから、

 さすがに無理やり連れてくるわけにもいかなくてさー」



「雪歩さんも試験の前は、沢山勉強してましたねー。お医者さんになるのと考古学の先生なら、どっちが大変なんでしょう?」



「どうだろうなぁ……専門外の俺からしたら、二人とも凄く頑張ってるって事ぐらいしかわかんないもんなぁ」



「ねぇねぇ、テレビつけてもいーい?」



「えぇ、私がつけてあげるわ。はづきちゃんは何が見たいのかしら」



「えっとね、お歌の番組! かすみお姉ちゃんが出てるんだよ!」



 食事をしながら、わいわいがやがや、みんな思い思いにお喋りを楽しんでいました。

 普段は三人の食卓なので、こうしていると実家暮らしを思い出し、なんだか懐かしい気持ちにもなります。

 

 高校を卒業して、彼と結婚して、すぐにはづきが生まれて……

 あっという間の六年間。変わってしまった物も当然あるけれど、

 それでもこうして皆が集まると、心はいつでもアイドルをしていた、あの頃に戻ることができて。



 

「それじゃあケーキの前に、私、食器を片付けてきますね」



 食事も一段落し、私は皆に声をかけましたが、返事はなし。

 

 まぁ、それもしかたがないでしょう。だって皆、方々で酔っ払っていましたから。



 すっかり酔いの回った千早さんと亜美は、真さんがくれた洋服に着替えたはづきを囲んで、撮影会を始めてますし。

 伊織ちゃんは再びダウンして、あずささんは一人陽気にグラスを空けて。

 

 そんな皆の様子を微笑ましく思いながら、私は食器をまとめて立ち上がります。

===



 かちゃかちゃと食器を片付けていると、もそもそと彼が隣の部屋からやって来て、私の近くに座りました。

 

「お水、飲みますか? あずささんに、だいぶ飲まされてたみたいですから」



「あぁ……そうだな、一杯貰おうか」



 手についた泡を落としてから、コップにお水を注いで彼に手渡します。

 

 椅子に持たれるように座り、コップを受け取った彼は、

 一口だけ口に含むとその水面をじっと見つめて、何かを考えているようでした。

 

「……今日は、良い日だな。忙しくても、皆ちゃんとお祝いに来てくれて」



「どうしたんです、急に?」





 ぽつりと呟く彼のセリフに、私も食器を洗う手を止めて、話を聞こうと向き合います。

 

「いや、なに……初めて告白されたときも、こんな賑やかな夜だったなと思ってさ」



「ふふっ、そうでしたね」



 彼の言葉で思い出す、昔の記憶。

 

 当時の私は、アイドルとしても、そして恋する少女としても、まだまだ未熟なものでした。

 

 そんな私を、担当のプロデューサーだった彼は公私を共に支えてくれて。

 

 まだ手がかかった弟たちの面倒をみてくれたり、共働きで忙しい両親の代わりに遊びに連れて行ってくれたり。

 

 今から考えると、その大半は仕事への支障がでないよう、私の機嫌をとっていたのかもしれません。でも……。

 

 保護者のように思えていた彼の事を、恋愛対象として意識したのは、高校生になったころでしょうか。



 

「気づいてました? 昔は事務所にいるみんな、アナタに多少なりと気があったんですよ?」



「まぁ、年頃の女の子ばかりの職場に、大人の男は俺ぐらいだったからな。なんとなく、そんな感じはしてたさ」



「自分の気持ちに気づいたとき、みんなの気持ちも分かってましたから……不安だったなぁ」



 いつの間にか、私も彼の隣に、同じように座って。

 

「だから、その気持ちを見せないように、気づかれないように振舞って。

 こうみえても私、現役時代は演技が上手って、褒められてたんですから」



 私の言葉に、「初耳だな」と言って彼が笑います。

 

 

「だから、あの日の告白は自分でもびっくりしちゃって。それに……」



「それに?」



「玄関を出て、アナタが帰る直前に言ってくれた言葉で、もう一度驚いて……いつからです? 私の事をそう見てくれてたのは?」



 すると彼が、照れたように頬をかきがながら答えました。



 

「いつからってのは、憶えてないなぁ。気がついたら、一緒にいるのが当たり前みたいになってたもの」



「……その答えは、ずるいですよ」



 子供の頃のようにぷくっと頬を膨らませると、それを見た彼はくすくすと笑って。

 

「ははは……そう怒るなよ」



 ふっと、頬に手が伸びてきて、唇が重なります。そうして、一瞬だけ伝わる思い出のかけら。



 思わず私も、彼の頬に手を伸ばそうとして――。

 

「あぁーっ!」



 突然の声に驚き、二人ともびくりと体を震わせると慌てて距離を取りました。

 

「もうっ! ママだけずるいよー! はづきもパパとチューしたいー!」



 そこには、さっきまでの私と同じように頬を膨らませたはづきと、その後ろから私達をのぞき見る野次馬の面々。





「んっふっふー。これはこれは、中々に見せ付けてくれますなぁ〜お二人さん!」



「は、はづきちゃんの前で、ふしだらですよ!」



「なっ! お、お前らこそなんだ! こそこそ覗くような真似して……ほらっ、散れ! 散れ!」



「あらあら〜、なんだか楽しそうね〜」



「どうせまた、あのバカがしでかしたんでしょ。まったく! 

 いつまでも戻ってこないと思ったら、何をやってるんだか」



 顔から火がでそうなほどの恥ずかしさの中、それでも私は、そっと唇に手をやって。

 

 寒空の下、初めて交わしたキスの味は、直前に食べていたもやしの味。それは全然、ロマンチックではなかったけれど。



 

「そうだ……忘れるところだった」



 喧騒の中、振り返った彼が私に言います。

 

「誕生日、おめでとうな……やよい」



 あの日と変わらない優しい笑顔を見て、胸に感じる安心感。

 

「えへへ、ありがとう……!」



 嬉しくなった私は、今度は周囲の目も気にせずに、自分から「お返し」をしてあげたのでした。





08:30│高槻やよい 
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