2016年06月02日

高垣楓「違いの分かるひと」




 「うーん……」







トレーナーさんが難しい顔をして腕を組む。

その向かいで首を捻る俺も、きっと良く似たような表情だろう。



 「ダンスに関しては要練習かと。姿勢と長い手足は良い武器になります」



 「ボーカルの方は」



 「即戦力ですね。デビュー組と比べても何ら遜色ありません」



 「なるほど。となると」



座り込んでスポーツドリンクを飲む高垣さんをちらりと眺める。

ストローを咥えたまま、不思議そうに首を傾げた。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1464424549







 「やはりビジュアル、ですね」



 「そのようで」





――高垣楓のアイドル道は、どーやら一筋縄ではいかないらしい。



 ― = ― ≡ ― = ―



 「すみません、手の掛かる女で……」



 「いえいえ、最初から完璧な人なんて居ませんよ。一緒に頑張りましょう」



 「はい、ありがとうございます」



高垣さんが柔らかく微笑む。



 「……うーん」



 「どうかしましたか?」



 「やっぱり、その笑顔を本番でも出せればなと」



 「今の、ですか……えっと、こう……」



 「……どうにも、違うなぁ」



さっきの笑顔を一目見れば、きっと誰もが惚れるだろう。

いや、別に俺は決して惚れてはいないが。



ともかく。

高垣さんはそんな素晴らしい武器を持っている。

だが、レッスンや撮影の場ではそれを上手く引き出す事がどうしても出来なかった。

どう違うのか、と言われると難しいのだが。



 「もう少し場数を踏む必要があるかもしれませんね」



 「そうなんでしょうか」



 「ええ。粘り強くいきましょう」



 「はい」



事務所へ向かう帰り道。

昼間は元気に暴れ回っていた太陽もそろそろ眠りに就こうとしている。

初夏の風が吹いて、高垣さんの髪を柔らかく揺らした。



 「今日は暑かったですね」



 「ええ。すぐに夏になるでしょう」



 「……」



 「……?」



 「えっと、あの……暑かったので、その」



 「……あー、飲みに行きますか?」



 「いいんですか?」



 「そりゃ、そんな行きたそうな目をされたら」





おやつのおかわりをねだる仔犬みたいだった、というのは言わないでおこう。





 「一応アイドルですので、そういうのも気にした方がいいかと……」



 「はは、一応じゃありませんよ。でもまぁ、まだうるさく言われる段階じゃありませんし」



……残念ながら。

いや、絶対にうるさく言われるような段階まで昇り詰めてやるけれども。



 「今日は何の気分ですか?」



 「ええと……ビール、かな?」



 「じゃ、二駅隣のあの店にしましょう」





頭の中に構築されつつある飲み屋データベースを参照する。

高垣さんと出会って以来、その更新速度は鰻登りだ。

同僚や他の大人アイドル組にも好評を博している。



 「高垣さん、他にはどなたとよく飲みに行ったりするんですか?」



 「……」



 「……?」



 「……あ、その。あまり、他の皆さんとは……」



 「え、そうなんですか」



てっきり週三ぐらいの勢いで通ってるのかと思ってた。



 「その」



 「はい」



 「……人と話すの、苦手で」



 「ご冗談を。俺とめちゃくちゃ話してるじゃないですか」



 「プロデューサーは、ええと、別腹……?」



別腹?



 「高垣さん面白いですし、すぐに皆さんと仲良くなれますよ」



 「そう、でしょうか」



 「良い人ばっかですし。あ、何なら今から誰か呼んでみます?」



 「い、いえっ!」



 「わっ」



 「まだ、心の準備が……」



 「……要ります?」



 「はい……」



まぁ、高垣さんが要ると言うなら要るんだろう。

ついでに言うと、急に手を握られると心臓がバクバクするから、その。





……俺にも、心の準備をする時間は欲しい。



 ― = ― ≡ ― = ―



 「という訳で、本日はお集まり頂きありがとうございます」



 「固いね。親睦会だろう?」



 「あら……留美さんが居ませんね」



 「残念ながら先約があったそうで」



高垣さんとビールを飲みに行った二日後。

後半は何があったのかイマイチ思い出せないが、ともかく二日後。

急遽開かれた高垣楓親睦会という名の飲み会。

突然にも関わらず三船さんと東郷さんが参加してくれた。



 「えー、本来は和久井さんを含め四人だけでの」



 「プロデューサー」



 「えー、何でもありません。よろしくお願いします」





じゃあ女性同士、仲良くなってきてくださいね。





そう飲み会の予定を伝えて仕事に向かおうとしたのが今朝の事。

力強く俺の肩を掴み、ふるふると首を振る高垣さんは実に可愛らしかった。





 「では僭越ながら。何でも無い平日に、乾杯」



 『乾杯!』



かちりとグラスを、高垣さんだけジョッキを打ち鳴らし、飲み会が幕を開けた。

早速三分の一ほどを飲み込んだ高垣さんが、満足げに息をついた。



 「……実に美味しそうに飲むね、高垣さんは」



やはり、自然と東郷さんが話の中心となる。

まぁそれを狙って声を掛けたんだけれども。



 「そうですか?」



 「ああ、予想を裏切られたよ。もちろん良い意味で」



 「私も……もっと大人しそうな方なのかな、と」



二人が興味深そうに高垣さんを眺める。

高垣さんが目を逸らすと、三船さんが何か気付いたように口を開く。



 「その瞳……」



 「え?」



 「オッドアイ……いえ、えっと……ヘテロ……何と言うんでしたっけ……」



よく見ると高垣さんの瞳は左右で色が違う。

俺にとっては当たり前の事実でも、他の人達にはそうじゃなかったらしい。



 「ヘテロクロミアだね。ああ、もし気にしているのなら話題にはしないが」



 「いえ、大丈夫です」



 「とても……何と言うか、神秘的で、素敵ですね」



 「あ……ありがとうございます。そんな事を言われたの、初めてです」



 「ふぅん? 世の男は見る目が無いんだね……なぁ、慧眼のプロデューサーくん?」



 「……ええ、全くですね」



一応コメントだけは返してから、モヒートで口を塞ぐ。

高垣さんも同じようにジョッキを呷って、三分の二はあった筈のビールがどこかへ消えた。

……あの細い身体のどこに収まってるんだろうか。



 「おや、二人とも。顔が少し赤いようだが」



 「モヒートのせいです」



 「ジョッキ生のせいです」



 「なら、そういう事にしておこうか」



東郷さんの笑みに釣られて、三船さんも堪えきれずに笑いを零す。

結局俺も高垣さんも釣られてしまって、バーの一角に笑いの輪が広がった。



 「……」



 「……三船さん? あの、どうかしました?」



 「あ、いえ……高垣さんの笑う所、初めて見たかも、って」



 「え?」



三船さんの言葉に思わず反応してしまう。

高垣さんは結構な頻度で笑っていると思うが……。



 「私もだ。いや、参った。惚れ惚れするほど綺麗だね」



 「初めてって……そんな事は。だって高垣さん、趣味が冗談って」



 「いえ、温泉巡りです」



 「そうでしたっけ」



 「まぁ、ともかくだ」



カクテルグラスを傾けて、ことりとテーブルに置く。

それだけの所作が実に様になっていて、何故かズルいなと思ってしまった。



 「美優さんは、どう思うかな?」



 「……」



三船さんもグラスを置き、顎に手を添えて考え込む。

それだけの所作が本当に色気があって、なんだかズルいなと思ってしまった。



 「親しみやすい人だなって、そう思いました」



 「うん。私もそう感じたよ。今まで高垣さんは、何と言うべきかな……そう」



言葉を切って、納得したように東郷さんが頷く。



 「違いの分かる女、だと思っていたよ」



 「違いの、分かる……?」



 「ああ。酸いも甘いも噛み分けた、オトナの女だってね」



そう笑う東郷さんの表情は、子供のように無邪気だった。



 「……あの、高垣さん」



 「はい?」



 「高垣さんは……笑っている方が、ずっと素敵だと思います」



三船さんの言葉に、高垣さんが目を丸くした。

単純だが、力強い言葉。

耳に入ってきたそれが酔いを醒まして、ぼやけていた思考が晴れ渡る。



 「三船さん、東郷さん」





気付けば口を開いていた。





 「高垣さんの笑顔、魅力的ですよね?」





 「何を今さら。酔いだけじゃなく焼きも回ってきたのかい?」



 「そうかもしれません。俺は、高垣さんの魅力を上手く引き出せないんです」



三人の表情が僅かに固くなった。



 「笑うと、素敵なんです。絶対、トップアイドルにだってなれるんです。でも」



 「プロデューサー」



高垣さんの声に、聞こえないフリをした。



 「駄目なんです。俺の力じゃ、この笑顔を」



 「私のっ」



焦ったように高垣さんが声を上げる。

眉を曲げて、まるで今にも泣き出しそうな表情だった。



……ああ。やっぱり俺は、駄目だ。

美人は泣いても美人だなんて、嘘っぱちだ。



 「あなたのせいじゃありません。私のせいです、プロデューサー」



 「……違う」



 「違いません」



 「二人とも、酔い過ぎだ」



東郷さんの声に意識を引き戻される。

気付けば三船さんに水を差し出されていた。

高垣さんと二人、一気に中身を飲み干す。



 「……」



麻痺していた鼻もアルコールの匂いを感じ取れるようになった。

人生最悪の悪酔いだった。



 「……笑うのは、好きです」



高垣さんがぽつりと零す。







 「でも……お仕事なんだからちゃんとしなきゃって思うと、どうしても上手く笑えなくて」



 「…………あ」







どうしてだろう。

どうして、今までこんな簡単な事に気付けなかったんだろう。



 「なるほどね」



 「やっぱり……みんな同じ、なんですね」



東郷さんと三船さんも気付いたようだった。

納得したような俺達を見回して、高垣さんが不安そうに眉根を寄せる。





 「高垣さん」





東郷さんと視線を交わす。

肩を竦めて、しょうがない奴だとばかりに頷いてくれた。

なら遠慮無く、言葉を借りよう。







 「――なりましょう。違いの分かるひとに」





 ― = ― ≡ ― = ―



映写室の真ん中の席へ腰掛け、高垣さんが所在無さげに視線を彷徨わせる。

ブルーレイをセットして、室内の照明を落とした。



 「二度、でしたっけ? ライブへ連れて行ったのは」



 「はい。ニュージェネレーションと、愛梨ちゃん達のと」



メニューを操作しながら会話を交わす。



 「確か、どちらも関係者席から観たと思いますが」



 「はい」



 「やっぱり、真正面から向き合った方が分かりやすいかなと」



再生ボタンを押す。

スクリーンに映ったステージの真ん中に、一人の女の子が歩み出た。



 「……卯月ちゃん」



 「ええ。島村さんのデビューライブです。よく、観ていてください」



挨拶と自己紹介。

それを済ませると、深呼吸を一つ。







そして、アイドルが唄い出した。







今の彼女からすれば、まるでまばらにしか集まっていない観客たち。

だがその全員が、唄い終えた彼女へ惜しみ無い拍手を贈っていた。

俺と高垣さんも、スクリーン越しに拍手を贈る。



 「高垣さん」



 「はい」



 「率直に言って、どう思いました?」



 「楽しそうでした」



そう言って、映像に釘付けだった視線を俺に向ける。



 「卯月ちゃんの笑顔をお手本に、と?」



 「いえ。そうではありません」



首を振って再びスクリーンを眺める。

島村さんとバトンタッチするように、本田さんが現れた。



 「大人組と、それより下のアイドル達。違いは何だと思いますか?」



 「……スタイル?」



 「まぁ、それも間違いではないですけど」



自身の手脚をあちこちチェックする高垣さんに苦笑を返す。





 「――経験です。多くの大人組は身に着けていて、大半の子供組にはそれが無い」





岡崎さんや佐久間さんなど、例外はあるが。



 「新しく始めるアイドルについて、熟知している人はそう居ないでしょう」



 「……」



 「だから今までの経験を基にして、あれやこれやと試行錯誤するんです」



 「……私は、モデルでした」



そう、高垣さんはファッションモデルだった。



幾つかの雑誌を見せてもらった事がある。

女性らしい物からフォーマルな物まで、彼女は様々な服を着こなしていた。

いずれのページでも、彼女は涼しい顔でこちらに視線を向けて。





 「楓さん。アイドルはモデルじゃないんです」





少し、言い方がキツくなってしまった。

深く息を吐いて頬を叩く。



 「モデルは主役ではなく、脇役だという話を聞いた事がありまして」



 「ええ、その通りです。モデルは、服を引き立てる為に居ます」



 「アイドルは、アイドルが主役なんです」



口に出した後で意味の分からない言葉だと気付いたが、高垣さんには伝わったようだった。



 「ファンの方々は高垣さんの歌を聴きに来る訳でも、踊りを観に来るのでもありません」



 「……え?」



 「アイドル、高垣楓に会いに来るんです。俺の極論ですけどね」



ただ、間違ってはいないと思う。

歌は歌手に及ばず、ダンスだってダンサーには敵わない。

なら、何故アイドルという存在が成立するのか。



 「モデルのお仕事で、笑うよう言われたり、笑わないよう指示されたりしたと思います」



 「……はい」



 「高垣さん。改めて島村さんの笑顔を見て、どう思いますか?」



言葉を切って高垣さんと二人、映像に目を戻す。

果たして、仕事だから笑っているのだろうか?

いや、そうじゃない。

渋谷さんと本田さんと共に、唄い、踊る彼女は。





 「――やっぱり、とっても楽しそうです」



 「ええ、俺もそう思います。本当に」





頭を掻く。

こんなに簡単な事を今まで伝え忘れていたとは。

全く、プロデュースってのは難しい。



 「高垣さん。すみませんでした」



 「え、あの、プロデューサー」



腰を折り、頭を下げる。

今さら取り返しのつくものでも無いが、せめて誠意だけは見せなければならない。



 「俺は手段を教えてばかりで、楽しむという目的を伝えられていませんでした」



 「そんな、私は」



 「高垣さん」



祈るような気持ちで顔を上げる。

困ったような顔の高垣さんへ、そっと右手を差し出した。







 「アイドルに、なりませんか」







高垣さんが俺の右手をじっと見つめる。

そして――差し出した手を俺の方へ押し戻した。





息が止まった。





 「私は、違いの分かる女です。だから」





そして目の前の笑顔に、止まった息がもう一段止まりそうになった。







 「――私は、もうアイドルです。今すぐ唄いたくて、踊りたくて、堪らないんです」







何か言葉にならない言葉を叫ぼうとして、思い切り咳き込んだ。

比喩ではなく息をとめていたらしい。阿呆か俺は。



 「だ、大丈夫ですか?」



 「ええ……すみません、格好付かなくて」



まぁ、元モデルさんの前で格好付けようとしてもしょうがないか。



 「さて、後は簡単ですよ」



 「え?」



 「アイドルを楽しむ為には――」



続けようとして、ちょうど映写室の扉が開いた。

久し振りに拝んだ光の眩しさが目を焼く。





 「――あ、居た居た。まだ居たっスよ留美さん」



 「何だ。てっきり先に行っちゃったかと思ったわ」





和久井さんと荒木さんが顔を出して、何やら会話を交わす。

首を傾げる俺の横で、高垣さんが思い出したように手を叩いた。



 「あ、今日でしたっけ」



 「貴女から誘ったんじゃないの」



 「すみません、今週は日替わりで飲んでるもので……」



 「身体大丈夫っスか? いえ私が言える台詞じゃないっスけど」



やはり、俺のプロデュースは一歩も二歩も遅れているらしい。

最近は苦笑が漏れてばかりだ。



 「それで、プロデューサー?」



 「はい?」



 「楽しむ為には、どうすれば……?」



 「ああ、いえ。もう言う必要は無かったみたいです」



すっかり慣れたように苦笑を浮かべる、同僚の友人たち。

爛々と目を輝かせ、帰る気満々で鞄を抱え込む高垣さん。

お酒が待っている夜の彼女の足取りは、ガラスよりも軽い。





 「高垣さんはもう、立派なアイドルですよ」





 「プロデューサーさんもご一緒にどうっスか?」



 「犠牲者は多い方が助かるわ」



 「何です犠牲者って」



 「この娘と飲みに行くと後半の記憶がどうも曖昧になるのよね……」



 「ああ……分かります」



 「分かるくらい飲んでるんスか……」



 「何でもいいから早く行きましょう」



 「あ、高垣さん。さっきの話ですけど」



 「はい?」



 「モデルを悪く言うつもりじゃなくて。モデルさんって、格好良いし綺麗ですし……」



 「口説くなら私達の居ない所でやってくれないかしら」







その日の記憶は、後半どころか中盤辺りからかなり曖昧だ。





 ― = ― ≡ ― = ―





 『――初めまして。高垣楓と申します』





ぴんと伸びた背筋を曲げる、お手本のような挨拶だった。



 『ええと……』



マイクを抱えたまま、高垣さんの視線が泳ぎ回る。



 『やっぱり喋るのは苦手ですね。でも、歌と踊りはバッチリ練習して来ました』



200人も入らない小さな会場だ。

だがその分、観客の表情はアリーナなんかよりも余程はっきり見えてしまう。

誤魔化しの効かない厳しいステージになる。



 『それでは短い間ですが、是非楽しんでいってくださいね』



だが心配はしていない。

観客席の一番後ろ。壁のすぐそば。

俺の立つこの位置からも、高垣さんの整った顔がよく見えた。



 『私も今日は、いっぱい楽しんじゃいますから』





その表情は――飲み会前のように、実に楽しげで。









 「聴いてください――高垣楓で、『こいかぜ』」





 ― = ― ≡ ― = ―



 「どうして普通のポップスじゃなくて、あんなラブソングだったんですか?」



 「ああ、俺の趣味ですよ」



持ち込んだデビューシングルは8割以上が捌けたそうです。

CDにサインをしたのですが、最後の方は疲れのせいでへろへろの字になってしまいました。



 「……趣味?」



 「ええ。高垣さんのラブソングを聴いてみたかったので」



 「そんな理由で決めてしまっていいんでしょうか」



 「いいんですよ、プロデューサーの特権です。譲りません」



プロデューサーが口笛を吹きます。

『こいかぜ』で、中々お上手でした。



 「高垣さん」



 「はい」



 「……」



 「……プロデューサー?」



 「ああ、いえ、何でもありません」



 「……『楽しかったですか?』って、聞こうとしたんですけどね」



プロデューサーが、満足げに笑いました。



 「ライブ中の表情が、全部語ってくれちゃいましたから」



 「……そうですか」



何だか無性に恥ずかしくなってきて、顔をぱたぱたと仰ぎます。

すっかり夏になった街は蒸し暑くて、なかなか汗が引いてくれません。

汗が引かなくて、焦る……あくせく……うーん、イマイチ。



 「プロデューサー」



 「はい」



 「とっても、楽しかったです」



やっぱり大切な事は、きちんと伝えたいから。



 「歌を聴いてもらえるのが、こんなに嬉しい事だと思いませんでした」



 「……」



 「握手が、こんなにも温かいものだと知りませんでした」



 「……高垣さん」





 「蘭子ちゃんをいじるのが、あんなに楽しいとは思いませんでした」



 「いえそれは知りませんが」





呆れたようにプロデューサーが頭を掻きます。

どうも、真面目な話をするのは恥ずかしくていけません。



 「……で」



 「はい?」



 「今日も飲みに行きます? ちょっと高い店でもいいですよ」



 「いえ、今日は止めておきます」



 「そうですか?」



 「はい。この喉の熱さをお酒で流してしまうのは、少し勿体なくて」



 「……そうですか」



 「あ、でも明日行きましょうね。ちょっと高いお店」



 「そうですか…………」



プロデューサーがいつの間にかそうですかマシーンになってしまいました。

ああ、本物のプロデューサーを何処へやってしまったんでしょう。

頬をぷにぷにと突っついて追及すると、鬱陶しそうに距離を取られてしまいます。



 「プロデューサー?」



 「はいはい、何ですか高垣さん」



 「私、モデルが好きでした」



 「……」



 「色んな服を着られて、綺麗にお化粧してもらって。私も、女ですから」



彼は、無言で頷きました。



 「でも、アイドルだって、また違う楽しさがありました」



 「……」



 「唄ったり、蘭子ちゃんをいじったり、お酒を飲んだり、レッスンしたり」



彼は、突っ込んでくれません。



 「プロデューサー」



 「……はい」



 「スカウトしてくれて、ありがとうございました」



深く深くお辞儀をして。

上げた顔は、自然と笑顔になってしまいました。







 「私、アイドルが好きです」







 「……」



 「あ。プロデューサー、泣きそうですね」



 「……泣きませんよ。大人はそう簡単に泣かないんです」



 「そんな事言って。ライブ中に目元拭ってたじゃないですか」



 「……見てたんですか」



 「え?」



 「え? ……あっ」



プロデューサーが両手で顔を覆いました。



 「ふふふー。そうですか、そうですかー」



 「……やられた」



 「熱心なファンが居てくれて幸せ者ですね、私」



 「どうとでも言ってください……」



言葉の代わりに、体中を好きなように突っつき回します。

振り払う元気は無いようでした。



 「プロデューサー」



 「はい」



 「私、モデルが好きでした」



 「はい」



 「私、アイドルが好きになりました」



 「はい」



 「私、プロデューサーが好きです」



 「はいえっ」



覆っていた顔を上げて、プロデューサーが面白い表情を見せてくれました。

ずれていた眼鏡を直してあげる間も固まったままで。

ようやく動き出した右手が、ずれた眼鏡を直そうとして空を切りました。



 「…………えーと」



 「プロデューサー」



 「あ、はい」







 「プロデューサーはこの違い、分かりますか?」







プロデューサーが今までで一番面白い表情になりました。

多分、ライブに出れば結構なファンが出来ると思います。



 「……いえ」



いつもの苦笑を浮かべて、プロデューサーが首を横に振りました。





 「きっと――俺の、勘違いでしょう」



 「なるほど」





私はアイドルで、違いの分かる女ですから。







とびきりの笑顔を浮かべて、こう言ってやりました。











 ――違いありませんね。







おしまい。





20:30│高垣楓 
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