2016年06月30日

高垣楓「二分二十秒の気持ち」

モバマスss

書き溜め有り

地の文有り



乱文乱筆等、どうかご容赦ください





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 本作品に登場する商品はすべて、実在のものとは関係ありません。



 楓「ただいま戻りました」



 その日、高垣楓がドラマの撮影を終えて事務所に帰りついたのは、午後七時を回ろうかというころだった。



 あとは仕事の報告と次の自分の予定を確認すれば、彼女のアイドルとしての一日は終わりを告げる。





 たしかな空腹を抱えながら、彼女は晩餐をなににしようかと思案していた。





 世間的にはどうにも居酒屋で管を巻くイメージが強い彼女ではあったが、意外にも料理は得意とするところのものだった。



 しかし今日は撮影の疲れもあってか、なんとなく自炊をする気分にはなれない。



 不精な発想から適当に即席麺で済まそうにも、備蓄を切らしたばかりなので買いに行かなければならない。



 となれば、誰か暇そうな大人組を捕まえて、居酒屋でゆっくり飲もうなんて考えていたのだが。





 事務所の扉を開けた先にいたのは、彼女のプロデューサーだけだった。

 P「お疲れさまです。意外に遅かったですね」



 パソコンとにらめっこをしながら、プロデューサーが声を投げる。



 楓「お疲れさまです、少し撮影が長引きまして。……えっと、他の皆さんは?」



 P「今日はもうみんな帰りましたね」



 座ったままの姿勢で軽く伸びをして、プロデューサーが答える。



 楓「そう言うプロデューサーさんはまだお仕事ですか?」



 P「ええ、今日はしっかりやって帰ろうと」



 楓「ふふ、遅くまで残業みたいですね、お疲れさまです」



 P「いえ。いまが頑張りどきなので」



 楓「なにか大きなイベントでもあるんですか?」





 P「次の楓さんのソロライブに向けての準備ですよ」



 楓「もう次の企画考えてるんですか」



 P「次こそは確実にシンデレラを勝ち取りにいく予定ですので」



 ディスプレイに向かうプロデューサーは、軽い口調で話しながらも、その眼差しは真剣そのものだった。





 困ったような笑みを浮かべながら、楓は心中でため息を吐く。プロデューサーを飲みに誘おうとも考えていたからだ。

 楓「じゃあ、夕飯はどうされるんです? もう食べたとか?」



 楓はプロデューサーのデスクの周りをあてどなく歩きまわる。



 キーボードを打つ手を止めて、プロデューサーは、



 P「さっきスーパーで買ったカップ焼きそばがあるので、それを食べようと思ってます」



 たしなめるように楓が言う。



 楓「もう少し手の込んだものを食べないと力が出ないんじゃないですか?」





 P「俺、実はカップ焼きそばが結構好きなんですよ」



 まぶたをぱちくりとさせながら楓が、



 楓「あら……そうなんですか」



 プロデューサーは、少し含みのある笑みを浮かべて、



 P「たまに食べる分には、いいでしょう」

 楓「じゃあ……ついでにちょっと一杯ひっかけませんか?」



 P「これから残業なんだから駄目に決まってるでしょうが」





 楓「たまに飲む分には、いいでしょう?」



 楓が冗談めかしてそう言うと、プロデューサーは楽しそうに笑った。



 P「いつも飲みたがるんだから」



 つられて楓も笑ってしまう。

 しかしプロデューサーも、口ではそう言いつつも、怒っている様子はなかった。



 むしろ名残惜しげな気配さえ、漂わせている。



 そんなプロデューサーの様子を察した楓は、考えを巡らせた。





 彼には仕事が残っているから、彼とお酒は飲めない。



 だからといって、帰って一人で飲むのも辛気臭い。





 ほどなくして、楓は閃いた。

 楓「ねえ、プロデューサーさん?」



 白く長い指を絡ませて、ものをねだるような表情を浮かべて、楓がプロデューサーの顔を覗き込む。





 楓「楓さんがプロデューサーさんに、相談があるそーだん?」



 語尾の調子を上げながら、ぱちりとウインクをする様は、男を簡単に射止めてしまうほどの代物だった。





 P「そういうのは俺じゃなくてカメラに向かってするものです。で、相談ですか」



 もう慣れてしまったと言わんばかりに平然とした表情のプロデューサーに、楓は本題を持ちかけた。





 楓「あなたの夕飯に、私をご一緒させるとゆう判断、いかがです?」

 プロデューサーは一度なるほど、と頷いて、





 P「いいですね、どこに食べに行きます?」



 彼がそう言うと、楓はわかりやすく頬を膨らませた。



 会話の流れからして、プロデューサーの返答は当然のものではある。しかし楓が望んでいるのは、別のものだった。

 楓「夕ご飯なら、もう買ってあるじゃないですか」



 P「え、ああ……そういうことですか」





 聞き分けのない子供のような声色が、ぱっと甘やかになる。



 楓「私にもプロデューサーさんの買い置きをおひとつ、くださいな」





 お湯を注いで三分。



 さりげない幸せは、こういうところから生まれるのだろう。

 P「夕飯というよりは間食と呼んだ方がしっくりくるメニューですが……」



 楓「じゃあ間食を完食しちゃいましょう!」



 P「……あなたは、まがいなりにもアイドルなんですが」



 楓「たまに食べる分には、いいでしょう!」





 楓が拳を振って、力説する。



 楓「実を言いますと、私も結構、カップ焼きそばが好きなんです」



 星屑をちりばめたように瞳を輝かせて、楓がプロデューサーに詰め寄る。

 やがて根負けしたように、プロデューサーが苦笑した。





 P「楓さんがそう言うなら、一緒に食べますか」



 楓「やったっ」



 思わず彼女がガッツポーズをするのを見て、彼も顔を綻ばせる。



 P「にしても意外ですね。好きなんですか」



 楓「……お恥ずかしながら」



 P「別に恥ずかしがらなくてもいいのに。俺とあなたの間柄ですし」



 プロデューサーが不思議そうに言う。



 楓「乙女にはハードルが高いんですよう」



 P「乙女、ねえ」



 楓「プロデューサーさん?」



 P「おおっと」





 彼らももう、いい大人である。それ故にわかりきっているのだ。



 一人で食べる御馳走より、たとえ安上がりでも誰かと一緒に食べる食事の旨さを。

 P「じゃあ、キリのいいところまで仕事進めちゃいます」



 楓「なら私は二人分のお湯沸かしてきますね」



 P「お願いします」



 刻々と夜が深まり続ける中、楓は給湯室で薬缶に入れた水を沸かしながら、どこかわくわくしている自分を自覚した。



 コンロの前で水が沸騰するのを待ちながら、つい笑みがこぼれてしまうのだ。



 限りなくチープで、だけどそれがいい。





 カップ焼きそばを前にして、アイドルもプロデューサーも、関係ないのだから。

 たっぷりの水が沸騰したことを確認してコンロの火を消し止め、楓は事務所に戻った。



 ちょうど仕事に区切りをつけたらしいプロデューサーが、戸棚からカップ焼きそばを取り出すところだった。





 楓「そういえばカップ焼きそばって、なにを買われたんです?」



 ごく自然な流れで、楓はこの質問を繰り出した。



 すると彼は不敵な笑みを浮かべて、すぐには答えようとしない。



 P「ふふーん、知りたいですか」



 楓「あ、いまの幸子ちゃんっぽい」



 P「フフーン!」



 楓「わあ、結構似てますね……じゃなくて、カップ焼きそばの話ですってば」



 P「知りたければこのカワイイボクを倒してからにしてください!」



 楓「それなら手始めに角の部位破壊をしないといけませんね」



 P「いや、角て」





 もう何年も、二人三脚で頑張ってきたからか、妙なノリも示し合わせることもなく成立すれば、二人して子供のように笑うこともできる。



 気の置けない関係。



 二人の間には、他の誰にもわからないような繋がりが存在する。

 P「カップ焼きそば、なにを買ったか、でしたよね」



 一頻り笑い終えた後で、プロデューサーが口を開く。



 たったの、一言。





 P「ヒントは、世界一美味しいやつです」

 ただそれだけの、なんでもない言葉。



 しかしその言葉が、これから始まろうとしている騒動の契機になった。

 プロデューサーのその言葉を受けて、楓の表情に、微かに陰が差したことに、プロデューサーは気付かなかった。



 そして楓自身、なぜ自分その言葉から不穏な気配を嗅ぎ取ったのかがわからないままでいた。





 楓「世界一、美味しいんですか?」



 楓のその言葉は、先ほどまでのように、うきうきと躍ってはいなかった。



 P「ええ、世界一ですとも」



 対称的にプロデューサーは、とても気分が良さそうだった。

 楓は僅かに一歩、後ずさる。



 なんら警戒することなど、ないというのに。



 先ほどから彼女の勘が、警鐘を鳴らし続けている。





 P「わかりませんか? こいつですよ」



 彼はそうして戸棚から「世界一」と評したカップ焼きそばを手に取って、彼女に掲げてみせる。







 彼女の、息を呑む気配があった。

 楓「……ペヤング」





 それは、彼女の声にしてはあまりにも底冷えするような響きがあった。





 楓「お好きなんですか?」

 P「いやあ、カップ焼きそばといったら、これでしょう」



 P「さっき近くのコンビニに買いに行ったら売り切れてたんですよ」



 P「だからちょっと遠くのスーパーまで行く羽目になってしまったんです」



 プロデューサーが掲げてみせる直方体のプラ容器には、これでもかといわんばかりに派手なデザインでもって、「超大盛」と記してある。





 P「夜食にこいつを食べてるときが、最高に幸せなんですよね」

 楓「残念です」



 冷ややかでいて、棘のあるトーン。



 それは、井戸に毒を垂らすように、静かな声だった。





 想像だにしなかった楓の言葉の温度差に、プロデューサーの笑顔が少しだけ強張る。



 P「……はい?」





 楓「プロデューサーさんは、ペヤングが一番だと言い張るんですね」



 P「えっと……楓さん?」

 楓「夜食にペヤングだなんて、めっちゃショックです……ふふ」





 楓「カップ焼きそばといえば、夜店の一平ちゃんこそが単独首位に決まっているのに」





 それは、戦いの幕が切って落とされた瞬間だった。

 P「一平ちゃんというと、あの一平ちゃんですか?」



 相対するプロデューサーの声のトーンが、一段階下がる。





 楓「ええ、そうです」



 P「あの、からしマヨネーズの」



 さらに、もう一段階下がる。





 楓「はい、その通りです」



 P「……あー、そうですか」





 P「楓さんは、そっち側のひとなんですね」



 手に持つ超大盛りのペヤングをテーブルに置いて、プロデューサーは大仰なため息をついた。



 普段から身に纏っている温和な雰囲気は、いつの間にか拭い去られている。



 数年来の付き合いにもなる楓すら、いまのプロデューサーを見るのは初めてだった。

 楓「どっち側のひとだって言いたいんですか?」



 楓も、それこそ何事もないかのような口ぶりではいるものの、背筋が凍りつきそうになるほどの威圧感が身体から漏れ出ていた。





 P「人間は、大きく分けて二種類存在します」



 プロデューサーは話しながら、おもむろに右手を楓の方に差し向ける。



 人差し指と中指の二本を真上に立てて、あたかもそれはピースサインのように見える。





 P「ペヤングを世界一のカップ焼きそばだと知っている人間と」



 そう言って彼は中指を折り曲げる。



 P「それを、認められない人間とに」



 続いて、人差し指を折り曲げる。





 いまや彼の拳は、堅く握りしめられている。



 暴力的なまでに、堅く。

 楓「へえ」



 プロデューサーの、意思の籠もった強い視線を浴びながら、楓はなんでもない様子で返した。



 むしろ、お前の威勢はその程度かと笑い飛ばさんばかりに、逆に彼を見つめ返す。まったくの無表情だった。



 それから、お互いに全く動かず、なにも話さない、完璧な沈黙の時間が降った。





 五分だろうか、はたまたそれ以上だろうか、永遠とも感じられるその静けさを破ったのは、楓だった。





 視線は相手を捉えながら、悠然と佇んでいた姿勢だけを解いて、事務所の奥へと歩を進める。



 プロデューサーも、楓の挙動に追従するように、お互いの距離を一定に保ちながら移動する。



 二人の進む先には、ガラステーブルを挟んで、一対のソファがあった。

 殆ど同タイミングでソファに腰掛けた二人は、改めて面と向かい合う。



 一方の楓はソファに浅く腰掛け、もう一方のプロデューサーは、ソファ中腹に腰掛け、脚を組む。





 P「いいでしょう。こうなればどちらの推しカップ焼きそばが美味しいか、徹底的に討論しましょうよ」



 P「派閥が違う以上、いつか起こるだろう争いは避けられないだろうし」

 自分が、これが一番だといって疑わないものがあったとして、他の全員が全員ともそうだと頷くことは滅多にない。



 別のものを一番だというひとも中にはいるだろう。



 自分が選んだものを指して、少なくともそれは一番ではないというひとも、中にはいるだろう。



 そして、往々にして意見の対立する者同士は、相いれないのだ。



 どちらかが屈服するまで、諍いは続くのだ。







 楓「いいえ」



 しかし楓の言葉は、違った。

 楓「そうじゃありません」



 楓「私達は、そんな無用な争いはしてはいけない」



 プロデューサーは神妙な顔つきのまま、言葉の続きを促した。







 楓「まず最初に、誤解のないように言っておきたいのですけど」





 楓「ペヤングは、美味しいです。とても、とても」





 ほんの微かに、プロデューサーが目を見開いた。

 楓「酸味の効いた、あっさりした味付けが舌に馴染むソースに、細くてつるつると食べられる麺が、たまりません」



 堰を切って楓が話し始める。



 楓「食べるほどに癖になる謎の肉と、瑞々しいキャベツの食感。キャベツに至っては、市販のカップ焼きそばに付属する加薬の中では、トップクラスの満足度です」



 窮屈だった場所からなんとか抜け出すように、言葉は彼女の口から次々に飛び出してゆく。



 楓「コショウも忘れちゃあいけません。ペヤングはスパイスの調合も素晴らしですし、ふりかけの胡麻もきちんと仕事をしている」





 それはまさしく、感情の奔流だった。



 もしも言葉が色彩を持ったとしたら、楓のそれは、燦然と輝いていただろう。

 熱量をもって滔々と語る楓は、プロデューサーを前にして一歩も臆する様子を見せなかった。



 楓「超大盛りになると桁が一つ繰り上がるカロリーだって、人間が生きていくために必要な熱量なわけです」



 楓「夜中に空腹で目が覚めた日などに、人目を憚らずにかきこむペヤングの暴力的な魅力、それは美味しいと評さずにはいられない逸品です」



 話しながらペヤングの味を思い出したのか、楓の口元が微かに緩んでいる。



 しかし同時にどこか、彼女は悲しんでいるようにも見えた。





 P「…………」



 プロデューサーは、組んでいた自分の脚を解いた。



 目線は油断なく彼女を捉え続けたままでいるが、もはや攻撃的な態度は拭い去られていた。





 楓「その美味しさをもってして、プロデューサーさんは世界一と評するわけなんでしょうけど」



 楓の口上はまだ続く。



 しかし彼女の表情はいつの間にか、くすんでしまっている。

 楓「そもそも、私やプロデューサーさんがいう『一番』美味しい、という表現は、各々の私見、つまるところ個人の好みに過ぎないんです」



 当たり前のことを、しかし罪状を言い渡すように、重苦しく楓が呟く。



 なんだそんなこと、と笑われてしまいそうなその言葉は、しかしプロデューサーには響いたようだった。





 楓の言葉を受けて、プロデューサーがその続きを継ぐ。



 P「……だから、どんなに思い入れが強くても、言葉を選ばずにいってしまえば、それは自己満足に過ぎない」

 楓「……ええ」



 楓「生まれもった環境やなにを食べて育ったかなんて、星の数だけ人間がいるんだから、好みだって星の数だけ存在するだろうって、それはわかります」





 あまねく人間に味覚というものが備わっており、その人間が七十億も存在する中で、一番うまいカップ焼きそばを、誰もが納得する形で決定することは、不可能だ。



 幾千の美辞麗句を並べ立て、主張を続けたとしても、だからといって絶対的な順序が決まるわけではない。





 これはなにも、カップ焼きそばに限定した話ではない。



 あるものについて、誰かが好きだと主張しても、別の誰かは好きではないというかもしれない。





 といって、多数派であればいいという話でもない。



 人間の感性は、数字によって左右されるはずがない。

 そして人間の感性は、数的な面だけでは観測できない輝きを秘めているのもまた、事実だ。





 アイドルに魅せられるファンがいる。



 ファンに背中を押されて、夢や希望を振り撒くアイドルがいる。





 カップ焼きそばを愛してやまない人間が、いる。

 楓「……それを踏まえてなお、私達が主張したいのは、それを私達がどれだけ好きか、という気持ちの大きさなんです」



 楓「そしてそれは決して、相手を突き落とすための武器になってはいけないんです」



 だから、楓のその言葉には、希望が宿っている。



 自分の好みのカップ焼きそばを堪能し、相手の好みのカップ焼きそばを称え、お互いにその素晴らしさを認め合う。





 人間は途方もない時間をかけて、お互いに共存しあう道を得た。



 時には味を巡って対立してしまうこともあるだろう。



 心ない言葉で相手を傷つけてしまうこともあるだろう。



 彼らはその度に、気付かされるのだ。



 なにかを好きだと主張するということは、簡単な話ではないことを。



 相手の"好き"を認めた先に、自分の"好き"が認められるということを。

 P「……今日は、腹を割って語り合いませんか」



 一度、ぴんと背筋を伸ばし、深く呼吸をしてプロデューサーが楓に提案をする。



 語り合う内容は、もはや、自明だった。





 楓も、仕事場で見せる以上に真剣な面持ちになる。



 しかし、色彩の異なる両の瞳は、熱意に煌めいていた。





 楓「プロデューサーさんに残されたお仕事は、消化しなくていいんでしょうか」



 P「そんなものはいつでもできます、でも」





 P「やっと本気で話せるひとに出会えたんだから、いまはただ、話したい。駄目でしょうか」



 楓「いいえ」



 楓の否定は簡潔でいて、とても力強かった。

 どれがどれより美味しいとか、あれと比べてこれだけ売れてるとか、そんな話は全国中どこでも起こっているだろう。



 二人の対談と、それらの決定的な違いは、そこに宿る愛の大きさである。





 強い"好き"の気持ちをぶつけ合い、確かめ合える相手がいるのも、幸せのひとつの形なのかもしれない。

 楓「一平ちゃんの話をしましょう」



 挑戦的な笑みを浮かべて楓は、プロデューサーを見据える。



 彼もまた、彼女とよく似た表情になる。





 P「一平ちゃんについて俺がまず素晴らしいと感じるのは、からしマヨネーズよりも、麺の食感なんですよ」



 プロデューサーが開口一番にそう言うと、楓の表情がぱっと華やいだ。



 楓「そう、そうなんです。わかっていただけますか」

 P「楓さん、あなたが、お湯を入れて三分で出来上がるタイプのカップ焼きそばを作るとき、お湯はどの時点で捨てますか?」



 楓「通説では二分二十秒台後半が最も美味しい加減にできあがるとされてますよね」



 P「ええ。平均的なラップタイムではそうです」





 楓「私の場合ですと、二分二十秒です」



 楓の言葉に、プロデューサーは小さく指を鳴らした。



 P「一平ちゃんならそのラップタイムで十分なパフォーマンスを約束できます。いやむしろ、それぐらいがいい」



 楓「そうなんです。二十秒の時点で湯切りを始めることで、一平ちゃんの細麺がなんともいえない歯ごたえになるんです」



 両頬に手を当てて、楓が瞳を輝かせる。





 楓「もちろんソースとの絡まり方もあるんでしょうけど、なんであんなに一平ちゃんの麺は美味しいんですかね」



 プロデューサーも興奮気味に頷きながら同意する。



 P「俺もあれは、奇跡を体現した食感だと思います」

 楓「そこにきて、からしマヨネーズだって、革新的な発明だと思います」



 P「焼きそばにマヨネーズだなんて邪道だという意見も少なくはありませんが、俺は有りだと思います」



 それにね、と楓が続ける。



 楓「他社にもからしマヨネーズを小袋に採用している商品はありますが、群を抜いて一平ちゃんのからしマヨネーズが美味しいんですよ」



 P「わかります。辛みの按配がたまりませんよね」



 プロデューサーも、楓の言葉にいたく同意した。



 楓「からしマヨネーズが絡むことで、ぐっと味が引き立つんです」



 P「そうそう。明星の焼きそばは基本的にソースが甘めでパンチが薄いんですけど、一気に味をまとめてくれる」



 お互いの視線がぶつかる。



 どちらからということもなく、ごく自然な流れで二人は手を差し出し、堅い握手を交わした。

 P「こってり甘めのソースと、絶妙な歯ごたえの細麺の親和性」



 楓「そして、麻薬的なからしマヨネーズ」



 P「たしかに素晴らしいカップ焼きそばだといえます」



 楓「明星の系列だと、ごつ盛りも捨てがたいですよ」



 食べたくてたまらないといった表情で、楓が言う。



 P「俺も、あれは食べ応えがあって大好きです」



 楓「一平ちゃんの築いた風土を大切にしつつ、あの容量を実現した明星のホープです」



 二人の夜は、まだまだ深まる。

 楓「オタフクお好みソース味焼きそばはどうでしょう」



 P「いいですね。麺の感じがのっぺりとしていて、それがソースと絡むとまたうまいんです」



 味を思い出したのか、話しながらプロデューサーは目を細めた。



 楓「食感が頼りないと感じてしまいますが、味は流石のオタフクソースですよね」



 P「濃い味のソースにはストレート麺が合いますが、ストレート麺の食感は食べ慣れていないとちょっと拍子抜けするかもしれませんね」



 楓「でも、嫌いではないですよ? ストレート麺は。今後の発展が大いに楽しみです」



 P「ふふん、俺も好きです」





 ふと楓が、疑問に思ったことを口にする。



 楓「……そういえば幸子ちゃんって、カップ焼きそばとか食べるんでしょうか」

 P「聞いたことないですね。あの子、いいとこのお嬢様だから食べたことすらなさそう」



 楓「じゃあ今度聞いてみませんか?」



 P「あわよくばすすめましょう。いや、でも食わず嫌いするかもな」



 楓「それは……どうでしょうか」



 楓が口元に手を当て、考えるポーズを見せる。



 P「いや、あの子って年齢の割にはかなりしっかりしてますし、健康に悪いとか言いそうでしょ」





 プロデューサーがそう言うと、少し呆れたように楓がため息を吐いた。



 楓「あのですね」



 楓「カップ焼きそばというものは、誰かと一緒にじゃなくて、一人で食べるものなんです。それも、カロリーやそれに準じるしがらみから解放された状態で」



 P「それは、そうだと思いますけど」



 P「でもそれは食べ慣れてる俺達の発想でしょう? 幸子だったら敬遠しそうですよ」

 楓「麺のかたさ加減とか、食べるペースとか、食べる時間帯とか、そういうことを誰に気を遣うでもなく、気ままに食べられるところもカップ焼きそばの良いところだと、私は思います」



 楓「それって、私みたいに友達を作るのが下手っぴで、一人で行動しがちな人間とか、普段、周りのひとに振り回されているようなひとにとっては、嬉しいと思うんです」



 楓「だから、意外に幸子ちゃんみたいなタイプがハマっちゃうんですよ」



 もちろん味の方も美味しいんですけど、と楓が小さく付け加えた。







 P「あれ、でも楓さん、一人でどうたらとか言いながら、さっき俺と一緒に食べようって言ってくれたじゃないですか?」



 プロデューサーがそう言うと、楓は微笑みながら、





 楓「他のひとには言えません。プロデューサーさんだから、言ったんですよ?」



 楓「……ああ、いやつまり、それだけ心を許せると言いますか、その」



 楓「えっと……はい、そんな感じです」





 話しながら徐々に勢いがなくなってゆく楓の顔を、プロデューサーがまじまじと見つめる。



 視線に気付いた彼女が、ふいっと目線を逸らす。



 心なしか、頬が紅く染まっている。



 楓「な、なんですか」



 P「楓さんって……」

 P「……今更ですけど、食生活は大丈夫ですよね?」



 楓「……はい?」





 P「あらためて、楓さんはかなりカップ焼きそばに精通してらっしゃると思ったんですが」



 P「もしかして、ご自宅では毎食とはいかないまでも、そこそこ食べているのでは、と」



 P「もしもそうなら、アイドルなので、プロポーションや健康にも気を使っていただかないといけないので、その」





 頬を染めたままの楓が反論をする。



 相変わらず目線は逸らされたまま。



 楓「いまは、そんなに食べなくなったんですけど」



 P「な、なるほど、失礼しました」

 楓「……そりゃあ、モデルのお仕事を始めるにあたって上京してきたときは、初めての一人暮らしでしたし、自炊も下手っぴでした」



 楓「そんなときにお世話になったのがカップ焼きそばで、当時の私がその味にハマってしまったと、言えないこともありません」



 楓「いままで片手で数えられるぐらいの回数しか食べたことがなかったのに、ちょーっと集中的に食べすぎた時期もあったかもしれません」





 楓「でもいまは、違います」



 楓「なぜなら、私はアイドルですから」



 楓「他の一流アイドルを相手取る……ふふ、アイ、ふふふ、アイドルですから」







 P「最後で台無しなんですが」

 楓は、んんっ、と大きく咳払いをして、



 楓「あのですね」







 楓「……そりゃあ、モデ」



 P「やり直さないの」



 楓「むう」

 楓「……でもですね」



 急に楓の声が、消え入るようなものになる。



 楓「アイドルになっていなくて、あのままモデルを続けていたら、いまもまだ私は一人のままだったかもしれません」



 P「……楓さん」



 話す言葉の一文字さえも、慎重に選りすぐるようにして、楓は丁寧に話す。





 楓「一人でいるのは、たしかに楽です」



 楓「アイドルを始めるまではそう思っていました」





 楓「でも、一人だと、楽しくないです」

 楓「誰かを幸せにして、自分も幸せになれるこの仕事が好きです」



 楓「色んなアイドルがいて、お互いを認め合えるこの事務所も好きです」



 楓「毎日が充実していて、まるで夢みたいで、」





 楓「……あと、好きなものについて熱く語れる相手もできましたし」



 楓「これからも、ご迷惑をおかけしますが、お世話になります」



 幸せを噛みしめるような楓の言葉が、プロデューサーに届く。





 しんと静まり返った事務所に、二人の息遣いだけが宿る。



 押し黙った楓は俯いていて、その表情をプロデューサーが窺うことはできない。



 P「……あー、楓さん」



 楓「……はい」



 P「俺、いまから酒買ってきます。今日は飲み明かしましょう」



 楓「えっ?」





 プロデューサーの声が、僅かに震えている。



 顔を上げた楓の瞳に移ったプロデューサーの目元には、小さな涙が浮かんでいた。

 P「だから、一緒に乾杯しましょう」



 楓「でも、なにに?」



 困惑した表情で、楓はプロデューサーに尋ねた。





 P「それはもちろん、愛するカップ焼きそばに」



 P「と、言いたいところですが」



 P「楓さん、他ならないあなたに」



 そう言ってプロデューサーは、屈託のない笑みを浮かべた。



 P「移籍したてのあなたは、どこか息苦しそうでした。あんまり自分を出さない印象もあって、なんとなく遠慮がちで」



 P「うちのアイドル達の多くは、うるさ、元気なひとが多いから、だから、ちょっとだけ心配でした」



 P「でもそれは杞憂だった。いまや楓さんも、うるさ、いやまあ、アイドルを楽しんでいただけているようで」



 楓「……プロデューサーさん?」



 P「と、とにかくですね、俺が言いたいのは」





 P「こちらこそ、これからもよろしくお願いします、ってことです」



 P「あなたがシンデレラになるまで。そして、シンデレラになってからも」

 P「勝手に感極まっちゃってごめんなさい、要するに、諸々の前祝いみたいなものです」



 照れたように笑いながら買いに出るプロデューサーの背中を、楓は静かに見送る。



 その目はどこまでも優しく色づき、口元には柔らかな笑みがたたえられている。





 彼女は既に勘付いている。



 彼女の、彼に対する想いと、



 彼の、彼女に対する想いの種類の違いを。

 楓「ふふっ」



 それでも楓は、幸せそうに笑う。



 今日この瞬間だけは、プロデューサーを独り占めできるのだから。



 お互いだけを見て、二人だけで話して、酌み交わすことができる。



 それだけで、十分すぎるほどに満足だった。





 楓「さて、と」



 やがて楓もソファから立ち上がる。



 もうすっかり冷めてしまったお湯を、沸かしなおさなければならない。

 それから少しして、プロデューサーが購入したつまみを二人でつつきながら、



 楓「いまさらなんですけど、私がこんなにカップ焼きそばが好きなことは、恥ずかしいので誰にも言わないで下さいませんか?」



 そう言って楓は照れたようにはにかんだ。



 P「やっぱり女性的にはまだまだハードル高い食べ物ですもんね」



 楓「ええ、残念ながら……あ、そこの塩辛取って下さいな」





 P「任せて下さい。二人だけの秘密にしましょう。はい、塩辛どうぞ」





 楓「……」



 P「あれ、楓さん?」



 楓「ずるいなあ、プロデューサーさんは」



 P「なにかおっしゃいましたか?」



 楓「大したことじゃありません」



 P「気になるじゃないですか、教えて下さいよ」

 ご多分にもれず、アイドルである楓にとって、恋愛事はご法度である。



 楓だって、そのことはもちろん理解している。



 隠さなければならない感情も、普段はおくびにも出すことはない。



 でも、稀に彼女の中の悪魔が甘言を囁いて、思わず思いの丈をぶつけてしまいそうになることもある。



 その度に、甘く、柔らかく伸びきって、融けてしまいたくなる欲望を堪えて、また、その感情を大切にしまいこむのだ。



 ガラスの靴を履ける、その日まで。





 楓「二分二十秒ぐらいが、一番いいんです」



 楓「うっかり気を抜くと、伸びてしまいますから」



おわり



20:30│高垣楓 
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