2016年07月07日

佐藤心「タバコよりも苦い味」

アイドルマスターシンデレラガールズ、佐藤心のお話です。



地の文あり、独自設定等、大目に見て頂けると幸いです。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1460374139





 いつの頃だろう。この想いが芽生えたのは。記憶を探ってみても確かな事は何一つして分からない。でも、この想いだけは確かに私の心の中にある。



 そう……ただ彼が好きという想いだけは、私の心の中にある。





「おはよー☆」



 普段通りに事務所に向かうと、そこにはすでに彼が居た。



「ああ、おはようございます」



 少し慌てたように、取り繕ったような笑顔で挨拶を交わす。初めてその笑顔を見たとき、アイドルに疲れた顔なんて見せられないと言って苦笑いしていたのが記憶の片隅にある。



「また徹夜? ほどほどにしろよ☆」



 気付かないフリをしてあげるのが優しさなのかもしれないけど、それではいつか彼が壊れてしまう。彼が壊れてしまうのだけは避けたいものだ。



「ははっ、大丈夫っすよ。それに……」



「それに?」



 作った笑顔ではなく、心からの笑顔を私に向けた彼は、照れくさそうに顔を背けながら言葉を区切った。



「徹夜すればはぁとさんが心配してくれるじゃないすか。俺、それが嬉しくて」



 頬を若干赤く染めた彼の口から飛び出した言葉はとんでもない破壊力を秘めていた。





「そんなこと言うと惚れるだろ☆ やめてね☆ やめろよ☆」



 アイドルとプロデューサーが付き合うのはご法度なのだ。どれだけ嬉しくてもアイドルである私が彼の言葉をそのまま受け入れることは出来ない。



 例え口では否定しながらも、真っ赤な顔で声がワントーン高くなっていてもだ。認めなければ事実ではない。



「はぁとさんみたいな綺麗な人に惚れてもらえるなんて、俺にもついにモテ気到来ですね」



 彼も私達が結ばれるわけにはいかない事をよく分かっている。お互いにプロなのだ。境界線に足を踏み入れる事があっても、踏み越えることは決してない。



「おうおう☆ うちのアイドルにモテモテなくせして何言ってんだ☆」



 彼と軽口を叩きあう、今の私にはそれだけで幸せなのだ。



 夢を叶え、アイドルになったからには、もう自分の幸せを優先は出来ない。夢と希望を振り撒くのが今の私の……しゅがーはぁとの仕事なのだ。



 例え、彼が私の事を憎からず思っていてくれたとしても、しゅがーはぁとには届かない。私が彼の事をどれほど慕っていても、プロデューサーには届かない。



 だから、私は心にこの想いをしまう。鍵をかけて心の奥の奥の方へ。大切なものだから。







「そういや次の仕事なんですけど」



 どうやら軽い休憩は終わったのだろう。先ほどまでの笑みはどこへやら。打って変わってキリッとした表情で仕事の話を始める。



「うん? なんか変更あった?」



 私も彼に合わせて仕事モードへ切り替える。長年の夢を叶えて掴み取った大きなライブなのだ。半端な気持ちで向かっては失礼だろう。



「変更と言うか、追加って感じです」



 そう言うと彼は机の上から書類を取り出す。一見すると雑然としているのだが、どうやら彼はきちんと把握しているようだ。迷うことなく掴み取ると私に差し出した。



「見てもらえればわかりますけど、席に少し余裕が出せました」



 丁寧に蛍光ペンでマーカーの引かれた部分を見る。なるほど、どうやら機材分で確保していた部分を開けたのだろう。確かに事前に聞いていたよりも収容人数が増えている。



「お♪ やったね☆ これではぁとの姿をもっと多くの人に見てもらえるな☆」



 ようやくトップアイドルと言っても過言ではないところまで階段を登れた。しかし、登れば登るほど振り落とされるものもある。今回で言えばライブに来られないファンが振り落とされた。





「チケット取れないっていう声が回を増すごとに増えてますからね。嬉しい悲鳴ですけど」



 最初にやったライブを思い出す。



控室で緊張のし過ぎで真っ青な顔になって、やっとの思いで震える足を動かしてステージに向かったというのにだ。ステージ袖から客席を覗いてみると、お客さんはたった6人しか居なかった。理想と現実のギャップに愕然とした。私が思い描いていたアイドルは沢山のファンに囲まれ、ステージの上で楽しく歌い踊っているはずだった。でも、現実はたったの6人だ。



「最初にライブやった時からは考えられない進歩だな☆」



 見せてもらった書類を丁寧に彼へと返す。



「理想を現実にする時ですよ」



 受け取った彼は、最初のライブの時、ステージ袖で私に言った言葉を口にした。



「……そう、だな☆ 理想を現実にするのがはぁととプロデューサーだもんね☆」



 すべての人を笑顔にするために、私はアイドルとして輝く。アイドルになったあの日、彼と約束したのだ。理想を現実にするまでアイドルを辞めないと。例え、私が本当に求めるものが手に入らないとしてもだ。それが夢を叶えた者の責務だ。









ライブを終え、控室に戻ったは良いが、いつもなら控室で待っている彼の姿が無かった。



「聞きたいことあったのに、肝心な時にはいないな、あいつ☆」



身体は限界が来ているものの、頭は興奮してしまって中々落ち着かない。ライブ終わりはいつもこうだ。しかし、彼にお疲れ様と声をかけてもらうと不思議と元気が湧いてくるのだ。



「ちょっと探しに行ってみるかな……」









「あ、お疲れ様でーっす☆」



 馴染みのスタッフさんに挨拶を交わしつつ、つい30分ほど前まで私が歌い、踊っていたステージに立つ。



 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。本番中、ここから見えていたサイリウムの海はもうどこにもない。ファンの皆の地鳴りのようなコールも聞こえない。見えるのは暗い客席。聞こえるのはステージをバラす音。夢から現実に帰って来たのだ。



「……理想を現実に、か」



 ライブ前にも彼から言われた言葉。私はその言葉を達成できたのだろうか。彼に尋ねてみたくて、衣装のまま会場を捜し歩いているのだが尋ね人は見つかる気配がない。



「ま、ステージになんか居るわけないよね」



 誰に言うわけでもなく独り言ちながら袖に戻ると火気厳禁の札が目に入った。



「もしかして……」



 確証があるわけではない。でも、何度か目にしたことがあったのだ。一度も吸っているところを見た事はないけども、彼のジャケットのポケットにタバコの箱が入っているのを。







「……よっ☆」



 搬入口から外に出てみると、暗闇の中にポツンと火が灯っているのが見えた。顔が見えるわけではないが、なんとなく彼だとわかる。



「お疲れ様です。……すんません。今消しますね」



 私が声をかけると、彼は咥えていたタバコの火を消そうとしたのだが、気にするなと制す。タバコくらい気にはしない。



「……タバコ、吸うんだ?」



 彼の隣に立ち、彼と同じように壁にもたれかかる。冷たい外の空気に冷やされた壁が露出している肌に触れる。



「吸ってるわけじゃないですよ。火をつけて咥えてるだけです」



「はぁ?」



 彼からの返答が思いもよらないものだったので思わず地声が出る。





「吸ってはいないです。咥えてるんです」



「なんのために?」



 素直な疑問を彼にぶつけてみる。なんでそんな無駄な事をしているのだろうか。



「こうすると、色々諦められるんですよ。タバコ一本分が灰になると、灰と一緒に色々諦められるんです」



 遠い目をしながら彼は諦めると言った。



「無駄だとは分かってるんですけどね。止められないんですよ。儀式みたいなもんです」



 そう言うと彼はジャケットの内ポケットから携帯灰皿を取り出し、まだ残っているように見えたタバコを揉み消した。



「何を諦めたの?」



 一体彼は今までこうして何度この儀式を繰り返していたのだろう。何度も繰り返さねばならないほどに、彼は諦めなければならないものが多かったのだろうか。



「はぁとさんには言えないっすよ」



 はっきりと見えるわけではないが、苦笑いを浮かべながら携帯灰皿を内ポケットに戻す。





「じゃあ戻りましょうか。ここは冷えますし、ライブ終わりで汗かいてますよね。そんな薄着じゃ風邪ひきますよ」



 確かに、すっかり身体は冷え切っていたのだが、タバコの煙がかかったようにもやもやした心模様では戻る気にはなれなかった。



「ねぇ」



「はい?」



 戻ろうと歩き出していた彼の背中に向かって声をかける。搬入口の扉の隙間から射す光で顔が先ほどよりも良く見える。振り向いた彼は先ほどの遠い目をした彼ではなく、いつも見る仕事中の彼の目に戻っていた。



「理想を現実に出来た?」



 この答えを聞くために私は彼を探していたのだ。



「もちろん。みんな笑顔でしたよ」



 いつも見る笑顔で彼は答える。ただ、何故かその笑顔に違和感を覚えてしまった。





「プロデューサーは?」



 不審に思った私は、普段見せる事の無い素のままで更に問いかける。彼の言う『みんな』に彼自身は入っているのだろうか。



「俺も嬉しかったですよ。もちろん」



 徹夜明けに見せる取り繕ったような笑顔でそう答えた。



 今まで、私が知らなかっただけなのだろう。彼がこの笑顔を見せる時は徹夜明けなのだと思っていた。だが、この笑顔は何かを諦めた時に見せるものだったのだ。儀式を終え、無理やり作った笑顔。私は一体今まで何度この笑顔を見たのだろうか。覚えていることなど出来ないくらいに見てきた。



「……そっか☆」



 今、私も彼と同じ笑顔をしているのかもしれない。何かを諦め、取り繕うような見ていて悲しくなってしまう笑顔を。



 どうして、私はこの人を笑顔には出来ないのだろう。例え、彼が理想を現実に出来たと言ってくれても、彼が笑顔でない限り私の理想は現実にはなりえない。



「ねぇ、プロデューサー」



 再び歩き出そうとしていた彼に別の質問をぶつける。





「どうすれば、私はあなたを笑顔に出来ますか?」



 アイドルしゅがーはぁととしてではなく、佐藤心という一人の人間として問いかけてみた。



「みんなのアイドルしゅがーはぁとじゃなくて、俺だけの心さんになってくれれば俺も笑顔なりますよ」



 彼はしばらく無言のあと、口を開いて普段の彼からは考えられないほど冷たい声で続けた。



「だから、諦めたんです」



二人の間に沈黙が流れる。



 アイドルのままでは彼を笑顔には出来ない。でも、アイドルでなければみんなを笑顔には出来ない。私の思い描く理想はすべての人を笑顔にする事だ。



……アイドルになったあの日に交わした約束を思い出す。しまっていたはずの大切なものと一緒に。



「約束、破っちゃうけどほんの少しだけアイドル辞める」



 アイドルである限り、私は誰か一人のものになるわけにはいかない。でも、彼との約束を果たすまでは私はアイドルを辞める事は出来ない。



 ……初めて交わした口付けはタバコよりも苦い味がした。



End





23:30│佐藤心 
相互RSS
Twitter
更新情報をつぶやきます。
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: