2016年07月26日

モバP「お前を芸術品にしてやるよ」頼子「……」


「Pさん、美術館興味ないですか? チケット……2枚あって……」



おずおずといった感じで差し出されたそれを受け取ったのは数日前の話だ。





現在、僕と彼女――――古澤頼子さんは、ちょっと気まずい感じで二人並んで歩いている。



例えるのなら、偶然帰り道が同じになった新しいクラスメイト、といったところか。チラチラとお互いの姿を確認しあっては何を言うのか考えて、結局何を言うわけでもなく美術館に歩を進める。



要するに、僕も彼女も口下手で、尚且つ僕は男女でお出かけをしているというシチュエーションに緊張しきっていた。



「あっ……」



何の気なしに彼女を見たら、丁度彼女も僕に目線を送っていたところだった。考えられる限り頭を働かせて、やっと「今日も暑いですね」と言うと、彼女も慌てたように「そうですね」と相槌を打った。



それきり彼女も僕も目線を逸らして、そのまま会話は終了してしまった。



何をやってるんだ、一体。僕は彼女に気付かれないように自分の頭を軽く掻いた。



古澤頼子さん。17歳で、眼鏡が特徴的な女の子。趣味は美術展や博物展の鑑賞だという。



そういえば、彼女をスカウトした時も美術館だったっけ。正確には美術館に入ろうとしていた彼女に声をかけたんだけど。



僕たちは出会ってから、まだ、数日しか経っていなかった。僕らはお互いのことを知らな過ぎていて、だからこの沈黙も仕方ないもののように思える。



……などと、ひとしきり言い訳を頭の中で作ってから、それにしたって、と僕は思った。折角気を遣って誘ってもらったんだから、きっと今度は僕が気を気の利いた話題の一つや二つ提供するべきなんだろう。



学生時代の女っ気のない生活を呪いつつ、綺麗に塗装された道を歩いた。静かな中、風に揺れる葉の音だけが耳に印象を残していた。





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「あ……ここです」



それほど十分ほど経って、僕らは目的地に到着した。



結局、到着までに僕が彼女に話題を振るようなことはなかった。先程の彼女の言葉に少し安堵したような響きがあるのもきっと勘違いではないだろう。



そうですか、と相槌を打ちながら、彼女と同じように僕も少しホッとしていた。とりあえず、先程までのむず痒いような沈黙からは解放されるだろう。



彼女の方を見る。古澤さんは、まっすぐに美術館の方を見つめながら微笑んでいた。



視線を追うと、今日の展示品のポスターが貼られている。付き合いが短くても、流石に彼女が今日の展示に高揚しているであろうことは伝わってきた。



「楽しみなんですね」



「えっ」



別に深く考えずににそう言ったが、そう言われてから彼女は僕の視線に気が付いたようで、恥ずかしそうに顔を赤らめた。



「……その、はい」



「あれ、どうされました?」



「えと……そんなにじっと見られると、恥ずかしい、です……」



「……!」



「P……さん?」



「い、いや!すみません、つい!ハハァ……」



彼女の恥じらうような態度にドキリとしていたのだが、それを表現する力も度胸も僕にはなかった。



僕らの間にまた沈黙が降りる。いたたまれなくなって、すぐに口を開いた。



「じゃあ、行きましょう……か」



「は、はい……」



そんなやり取りをしてから美術館に入った。美術館は、外でよくわからないやり取りをしていた僕らに「まあ落ち着きなさい」とでも言いたげな冷風を送りつつ僕らを迎え入れてくれた。





――――――――――――



「あ、これ……」



「これも知っているんですか?」



「はい……これの作者は有名な、方ですよ?」



「は、ハハァ……」



美術館に入って数十分後、すっかり落ち着きを取り戻した僕らは美術品の鑑賞に夢中になっていた。



僕は、そんな作品があるんだ、そんな捉え方ができるんだ、という感じで。彼女は多分、知識としては知っていたあの作品が今目の前にある、という興奮があるんだろう。



方向性は違うけど、それぞれ楽しんでいるのは間違いなかっただろうし、それが美術館の在り方として正しいようにも見えた。



妙ちくりんな壺を二人眺めながら、彼女の蘊蓄を聞く。今朝を振り返ったら予想できない場面だった。



彼女は僕が思っていたよりもずっとよく笑うし、好きなことに対しては中々饒舌で、それに、博識だ。僕はこの短時間で幾度となく彼女の口から語られる未知の単語に感心していた。





壺を見終わってから、少し休憩することにした。ベンチで並んで座って、何を言うでもなく自動販売機で買った飲み物を飲んだ。



彼女はコーヒーよりも紅茶が好きらしい。うん、新しい発見だ。



僕が手に持ったコーヒーと紅茶を見て、迷うことなく彼女の姿を思い出しながら、そんなことを思った。



彼女の方を見ると、チビチビと紅茶を飲んでいる。それが終わったタイミングを見計らって声をかけた。今なら、多少話せることがあるような気がしていた。



「好きなんですね、こういうの」



「あ……はい。その……Pさんは、どうですか?」



「どう、と言われると……今まであまり興味はなかったけど、楽しいですよ今日は。今まで知らなかった世界を体験してる感じっていうか」



そうですか、と彼女は嬉しそうに言った。



「古澤さんは、どうして美術品が好きなんでしょう?」



そう聞くと彼女は、うーん、といった感じで猫背気味の背中を揺らして、ペットボトルの紅茶を一口飲んだ。



「美術品は……なんていうか、私にないものを持っている気がして」



「ないもの?」



「その……Pさん……えと……や、やっぱりなんでもありません」



「え?」



「行きませんか、Pさん。休憩は、終わりです」



そう言って立ち上がって、彼女は美術館に向かって歩いて行ってしまった。



彼女が何を言おうとしたのか、また、どうして言わなかったのか。二つの疑問を抱えたまま、僕はその背中を追った。



彼女に話す気がないなら、別に無理に聞く必要もないだろう。彼女が怒った様子でもなかったことが救いだった。



――――――――――――



「今日は……ありがとう、ございました。私の趣味に付き合っていただいて……」



「いや、いいんですよ。僕も楽しかったですし」



僕らが美術館から出るころには、すっかり日は暮れて月が顔を出していた。もしよかったら、という僕の夕食への誘いに、彼女は二つ返事で了承してくれた。



事前に下調べしておいた、美術館にほど近いレストランは、緑に囲まれている綺麗な景観を保っていた。



きちんとした店を調べておいてよかった。満足げな彼女の表情を見ながら、ほっと一息を付いた。



「その……今日は付き合っていただいてありがとうございました」



「え?」



「殆ど、私がお話しするような形になってしまって……」



「ああ」



あれから、彼女は最後まで喋っていたし、最後まで僕は彼女の言葉を聞いていた。



その事を気にしているのだろうか、彼女は少し申し訳なさそうにそう言った。



「気にしなくていいんですよ」



「そう、ですか……?」



「ええ。僕も、古澤さんの色々な一面を見ることができて楽しかったです」



「そう、でしょうか……」



「ええ」



嘘偽りのない、正直な気持ちだった。



彼女は少しホッとしたように、出された食後の紅茶に砂糖を入れてかき混ぜた。一つ、二つ。案外甘党なのかもしれない。紅茶に入れられた三つめの砂糖なんとなく見つめながらそう思った。





「それにしても……」



「え?」



「僕ら、今日一日で凄く仲良くなりましたね。あの……今朝はあまりお話しできずにすみません。その……女性と出かけるような経験があまりなかったものですから」



「いえ、私も……その、経験、ないです」



「古澤さん、ミステリアスな雰囲気があって……それでちょっと何の話をしようかな、なんて考えてました」



「ミステリアス……ですか?」



「はい」



「ええと…… ミステリーはたまに読みます…えっ、あ、違いました?」



「はい」



僕は笑った。彼女は少し困惑していたけれど、それでも。



今日は、来てよかった。



彼女は紅茶を半分ほど飲んで、まるで、何かを言おうとする前みたいに唇をなめた。





「あ、あの……」



どうしました。そういうと、彼女は残っている紅茶を勢いよく飲みほした。何か、大切な事でも言おうとしてるのだろうか。



彼女につられて少し緊張して、僕も手元のコーヒーに口をつけた。温かくて苦い液体が僕の喉を通り抜ける。



「どうして……私を、アイドルに?」



大きく深呼吸をしてから、彼女はそう言った。



ずっと、気になっていました、と彼女の表情には書いてある。



そんなに気になっていたんだろうか。僕は彼女をスカウトした時を軽く思い出してから、言った。



「なんかね、ピンときたんですよ」



「ピンと……?」



「ええ、ピンと」



「ええと、その……僕は新人ですけど、アイドルってずっと好きだったんです」



「そう、なんですか」



「はい」僕は頷いた。「そりゃもう、古澤さんの美術好きに負けないくらいに」



コーヒーを一口飲んで続ける。



「なんていうかな、この職業に就いたのも、その好きなアイドルを自分の手でプロデュースしてみたいっていう思いがあったのもありまして。好きなんですよ、アイドルの子が笑顔でステージで歌ったり踊ったりしたり、そういうのが。だからその、えと……」



ここまで話してから、まずい、なんて勝手に思い始めていた。



彼女は何も言わずに話を聞いてくれている。なのに、僕が勝手に追い詰められているみたいだ。



きっと、これは彼女にとってとても大切な質問なのだろう。だから、しっかりとした答えを言いたいのに、なんとも口下手な自分が恨めしかった。



僕の言葉はしっかりと彼女に届いているのだろうか。



「だ、だからですね!古澤さん!」暫く考えてもちゃんとした言葉を頭の中で作り出す事に失敗して、僕は半ばやけになっていた。「あなたがステージで輝いている姿を見たいと思ったんです!初めて見たとき素敵だと思いまして!絶対に、この子ならトップアイドルを目指せると思いました!そのくらい魅力的でした!」



「あ……」



彼女が俯いて頬を染めているのを見てから、僕は何かとんでもないことを言ってしまったような気がした。



女性に面と向かって素敵だといったのは初めてだ。意外なところで初めてを消費してしまった。



その、と言ったがどう繕ったらいいかわからなくて、続かない。僕たちの間に静かな沈黙が漂った。









「ふふ……」



少しして、彼女が笑いながら顔を上げた。予想と違う反応に、僕は大いに混乱した。



「ふ、古澤……さん?」



「頼子で」彼女は言った。「名前で呼んで……ください。出来れば、これからは敬語もなしで。いいでしょ、Pさん?」



「え、ええ?」



あたふたと混乱する僕をよそに、彼女は笑顔を崩さなかった。



「私、不安でした。アイドルとしてPさんにスカウトしてもらって、本当に私にアイドルができるのか、って。でもPさんが、そうして……私を魅力的だって言ってくれたから、少し自信がもてた……かな」



「古澤、さん」



「頼子、です」と再度彼女は言った。



「頼……子」



「ええ」彼女は笑顔で言った。「Pさん。……覚えてますか?なんで私が美術が好きなのか、私……答えませんでした、よね?」



「あ、ああ」



「美術が好きなのは……単純に、美しいものが好きって他にもう一つ、あるの」



もう一つ。オウム返しにそう言った僕の言葉に彼女は頷く。





「きっと……私も、ああいうものに憧れていたんだと思います。たくさんの人を魅了して、心の中で生き続けるような、芸術に。Pさん」



「は、はいっ」



いつの間にか、僕は彼女の出す雰囲気に呑まれていたみたいだった。そのくらい、目の前の彼女は不思議な魅力があった。



「もしかして、華やかな世界に憧れてた事、Pさんは気付いてたの、かなって。……偶然かもしれないけど、私、そんな気がします」



だから、と言って彼女の瞳が僕をしっかりととらえた。



「これから、みんなの心を奪おうと思います。今日見た、芸術品みたいに。一緒にこれから……頑張りましょうね、Pさん」









――――――――――――――――――――――――





「わぁ、綺麗ですね……月」



「そう、だな。綺麗だ」



店を出ると、木々の隙間から月のかすかな光が僕たちを照らしてくれた。



僕らが店を出るころには僕のコーヒーは冷たくなっていたし、それまでには彼女の指摘の賜物か、僕は彼女に砕けた口調で話せるようになっていた。とはいっても、まだぎこちなさは残るが。



月を見つめる、彼女を見た。



空に浮かぶ月を見て、彼女はいったい何を考えているのだろうか。



月に照らされる彼女は、幻想的で、どこか憂いがあるような気がして、そして……とても綺麗だった。



それはまるで、一枚の絵画みたいだった。



だからかもしれない。



「頼子」



思わず声をかけた。



月に向けられていた彼女の瞳、その魅力的な双眸がこちらを向いた。



彼女に向かって右手を伸ばした。今日の、俺と彼女にとってきっと大切な日になるはずの最後に、かっこいい台詞の一つや二つ言ってやろうとして―――――























「お前を芸術品に仕立てや・・・仕立てあげてやんだよ」



















思い切り噛んだのだった。彼女の顔にクエスチョンマークが浮かぶ。どっと冷や汗が出るのを感じる。





「お前をげいじゅつし・・・品にしたんだよ!」





二度目も噛んだ。もうどうしようもない気持ちだ。きっと僕の顔は真っ赤だ。



もうどうにでもなれ、三度目の正直だ。なんて思う僕のそばで、失敗を恐れるもう一人の自分が囁くのが聞こえて、結局それに従った。





「お前を芸術品にしてやるよ」





自分でも最初に何を言おうとしたのか、オーバーヒートした頭では最早わからなかったけど、多分、今、口から出た言葉は妥協したセリフであろうことはわかった。



頼子は最初、何が起きたのかと呆けている様子だったが、僕の失敗を耳と目で感じ取ると、コロコロと、鈴のなるような声で笑った。その間、僕の体温は上がりっぱなしだった。



彼女が僕の差し出した右手を握った。依然、声を出して笑いながら。



「ええ。そうなれるように、頑張りましょう」



暖かい、左手の感触。なぜ左手なんだ。



僕の失態を笑い続ける彼女に、何かお返しをしてやりたくなった。そのためにじっと彼女の目を見つめると、予想通り彼女は笑うのを中断してこちらを不思議そうに見つめた。



「……Pさん?私の顔に、なにか……?」



「ああ、いや。改めてみると綺麗だなって。すごく綺麗だ。とっても可愛いよ」



彼女の目を見て、そう言ってやった。



見る見るうちに彼女の表情が赤く染まる。先程までの絵画のような幻想的な印象は消え去り、そこには一人の初心な少女が残った。



よし、と。笑われた仕返しはできたことを心の中で喜びつつ、なんだか僕も照れ臭くなって何も言えなくなった。



喋らない二人が、完成した。















二人並んで、歩く。朝と同じように無言で、でも朝とは違う静かさの中で。



僕達は、まだまだ未熟だ。僕も彼女も、きっと経験も技術もまだまだ足りないのだろう。



でも、それでもいい。きっと、これからどんどん成長できる。



きっと、彼女を。誰にも負けない、誰の心にも留まるような、そんな芸術品みたいなアイドルに。



握手の為に出した手を離さない彼女の暖かい左手の感触と、天然の入った性格を感じながら。



僕はいたって大真面目に、丸く輝く月に向かってそう誓うのだった。











終わり







08:30│古澤頼子 
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