2016年08月20日

双葉杏「色の無い水槽」


どうしても合わない人間ってのはいるもんだ。

価値観、人間性、思考の違い……なんて言えば最もらしく聞こえるが、何てことはない。

どんな理由をつけたって、合わないものは合わないのだ。





社会ではそうした人と嫌でも付き合わなければならず、ストレスは産まれるし悩みもする。こんな言葉は誰もが聞き飽きたことだろう。

それでも、辟易するくらいに繰り返されてきたこのフレーズを実感するのは、嘘でも自分なりに人生を歩んできたからなのかもしれない。



僕にとって初めての『合わない人間』は、仕事上でのパートナーだった。

彼女は人当たりが良く、相手の感情を読み、合理的で、気持ちのいいくらい自分本位の性格をしていた。

これ以上なくワガママに生きている彼女のことを僕は羨ましく、同時にこの上なく厄介にも感じた。

そんな空気を感じ取ってこちらに深く踏み込んで来なかった聡さも気に食わないくらいに、僕は彼女とは合わなかった。



彼女はアイドル。そして僕はプロデューサーだった。



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彼女の褒め言葉はたくさん出てくる。そして、悪口も負けないくらいに出てくる。

その中には僕の穿った観点から生まれるものもあるが、一つだけ確かなのは、仕事に関して彼女はあまりにも不誠実だったということだ。



「怠けたい」から始まる矛盾した彼女の仕事への動機は、彼女を頑張らせれば頑張らす程に楔を打ち込んでくる。

いくら僕が奮い立たせようとも、風になびくように彼女は躱す。それでいてアイドルとしての才能はピカイチだからたちが悪い。



新米の僕にとって、彼女をプロデュースすることは水を手で掬うのと同じだった。

そして当然、僕の隙間だらけの手のひらから彼女はしくしくと溢れていった。













彼のことは好きだった。

それはもしかしたら恋愛感情だったかもしれない。

ただ、そもそも恋愛ということに程遠い杏にはその想いに名前を付けることは難しい。

結局、友達としての好きだった、ぐらいにしとくのが無難だと思う。



杏はその程度には彼のことが好きだったけど、相手はどうもそうではなかったらしい。

まぁ、そりゃそうだ。杏とはまるでキャラクターが違い過ぎる。

こんなにも真反対の人間がいるのかというくらいに彼は真面目で一生懸命に生きていたし、怠惰が付け入る隙なんて無かった。

だから杏は深くは入り込まず、それでもギリギリのラインまで甘えて、甘え尽くす。

彼と杏の関係は透明な薄い膜に覆われていた。



しかし、それも今はどうだろう。

甘えてるのはどっちだろうか。



ベッドに転がり、携帯のメールアプリを閉じた。ついでに瞼も閉じて体を休ませることにする。

暗闇の中浮かび上がったのは彼の後ろ姿だ。

本人はきっと気づいてないだろうけど、彼のうなじには小さなホクロがある。おんぶをされ続けていた杏だけが知っている。

彼は最後まで杏にお姫様抱っこはしてくれなかったけど、彼も知らない彼のことを知ってるという事実はなんだか悪戯めいていて、不思議と顔がにやけた。くひひ。



枕元に投げた携帯が鳴った。

プロデューサーから送られてくるとき専用の着信音だった。













待つことは好きではなかったが、相手を待たすよりかはずっとマシだった。

自分のために相手が時間を浪費しているという事実が僕には耐えられず、誰かと待ち合わせをするときには十分以上前から待ち合わせ場所に着いておくことにしている。



そんな性格も僕らは不一致だったのだろう。

彼女と待ち合わせするときはどんな時であってもこっちが待つ側で、あっちが待たす側になっていた。

約束時間から五分十分平気で遅れる彼女に不満が無かったわけではないが、変わらないという安心感もあった。





案の定、今日も彼女は遅れてくる。

喫茶店の入り口でキョロキョロ周りを見渡し、こちらを見つけたと思えば大きな欠伸をして体いっぱいに怠さを表現してくる。

プロデューサーだった頃、彼女のそんな仕草にわざとらしさがあることには気付けなかった。

僕と会うとき、彼女がくたびれたウサギのぬいぐるみを離さないことも分かっていなかった。





「眠い」





淡白な音が空中にただよって消えていく。

僕は返事をしないまま、机の上に散らかしていた仕事の資料を片付ける。

待っている間に少しだけ簡単な読み物をしようとしてただけなのに、いつのまにか結構な量の書類が散らばってしまっていた。



僕のそんな態度のせいか彼女は不満げに息衝きながら席に座る。そして、すぐにお店で一番高いパフェを注文しだした。

空になりそうなコーヒーに気づいていたのかコーヒーも追加で頼んでいて、基本的に気は利く方ではあったが、こうあからさまなのは珍しい。



「学校はどうだ?」



「仕事はどう?」





食い気味に被せてくる。意地悪く笑う。

茶化すのが好きなのかもしれないし、単純に聞かれるのが嫌だったのかもしれない。

どちらかは分からなかったが、かつて僕も親に似た質問をされた時に気恥ずかしさで返事を誤魔化していたのを思い出す。

明確な理由はなかったけれど、正直に答えるのはむず痒さがあったのを覚えている。





「ぼちぼちだよ、そっちは」





痒くもない鼻の頭をかいて、少しだけ嘘で濁した。

プロデューサー業を辞めて、新しくスタートさせたのは芸能業界とはまるで違う、経済に関する仕事だった。

やっと二年が経ち、仕事も慣れてはきたけれど、自分が今いる場所はどうにも馴染むことができていない。

しっくりとしない何かがいつも体に付きまとっていて、その違和感を捨てる勇気もないままに中途半端を彷徨い続けている。



彼女は僕の態度に何かを感じ取ったのか、それ以上話を掘り下げようとはしなかった。

居心地の悪さを感じて「そっちは」と繰り返し強調してしまう。

怒ってないはずなのに自身の口調に釣られて、胸の中がささくれだった。



声に反応して、彼女はめんどくさそうに顔を背け、また溜息をつく。



彼女は溜息の似合う子だった。

それは僕と一緒にいるときの記号のようなものでもあったから、ただの僕の勘違いなのかもしれないが、呆れや諦めといった感情は彼女らしさの一つだと思っている。



彼女の金髪が窓から光に流され、整った顔立ちは憂いを帯びている。言いようの無い魅力が場を支配する。

かつて、目の前の彼女はアイドルで、自分はプロデューサーだった。たった数年前のことがはるか昔のようだった。



言った通り僕と彼女の相性は最悪で、お互い私生活などについて踏み込みはしなかったが、仕事での衝突は余りにも多く、言い争うこともしばしばあった。

だいたいそれも、僕の一人相撲だったけれど。



ただ最近は、少し違えば僕と彼女の歯車も噛み合っていたのかもしれないと考えることもある。

少なくとも僕らの望む先は高くなく、彼女の目標はぐうたらな生活で、僕の目標は彼女をしっかりとサポートすること。

それは今も変わってはいない。





あたたかく重い水の中に沈められたと錯覚するほどに、息がしにくかった。





「彼氏とか出来たか? 学生だろう」





学生だからなんだというのだろう。

けれど、密やかな緊張に支配されまいと、言い慣れない言葉が思わず口をついてしまう。

彼女が目を丸めてこちらを向いた。

妙な舌触りに口が乾いても、注文したコーヒーはまだやってこなかった。













机の上にわざとらしく散らばった紙の束を見たとき、その変わらなさに呆れてしまった。

休日だというのにスーツのような服で喫茶店にいる姿は周りから浮いていて、サイズの合っていないTシャツを着ている女の子が向かい合わせに座れば、怪しげなものになるかなと考えたりもした。



だからこそ、彼が尋ねたこと……いや、冗談か。とにかく、それは杏の中にすっと溶け込むものじゃなかった。

反芻すればただの社交辞令のようなもののはずなのに、その言葉が彼の口から出たと思うとたちまち意味は朧げになっていく。





「出来たよ、彼氏」





とりあえず嘘をついてみた。

大学では男の知り合いもそれなりにいるけど、誰もが杏の友人の彼氏とかで、とてもじゃないけど杏自身の彼氏なんてものは想像できない。

入学当初に知り合った彼女達が一年も経たないうちに全員彼氏を作ることに成功している事実は、どこか現実味がないように思う。



彼は「よかったな」と、自分から質問したくせに素っ気ない言葉を返し、空のコーヒーカップを煽ろうとした。

全く、慣れないことをしなければいいのに。だから動揺してしまうんだ。

それに、そういうのはそっちの方がちゃんと考えたほうがいい時期に来ているのを理解した方がいいんじゃないか。



そういえば彼氏だかなんだかのお話で、最近ポストに結婚式の招待状が届いていたことを思い出す。

それはかつての事務所の仲間から送られてきたもので、送り主は意外な人物だった。

当時、杏は彼女のことをある意味で一番結婚とは程遠い人だと考えていたけれど、その招待状に載っていた二人の名前を並べて見たとき、納得するものもあった。





「そういえば結婚式の招待状とか来た?」



「何の話だ、まさかお前のか」



「コーヒー、空だよそれ」



「知ってる、今注文しようとしていたところだ」





杏が注文するのを見てただろうに。いい加減めんどくさいな。

彼は今も杏がアイドルをやめた理由を自分のせいだと思っているらしい。

だから、杏に対して責任があるなんて変なことを考えたりしている。

動揺する理由がそこにあるのはこちらも分かっていて、おかげさまで謎の罪悪感だって感じてしまうんだ。



たまの休日にわざわざ呼び出してきて日常のことを聞いてきたり、勝手に杏の将来のことを心配してくるくらいなら、その責任感で杏を養ってくれてもいいだろうに。



言葉にする代わりにウサギを手にとって耳を伸ばしたり抱きしめたりした。

ウサギはいつもよりくたびれてるように見えた。













パフェとコーヒーがそれぞれ机に運ばれる。

確認しなくてもコーヒーは僕の目の前に、パフェは彼女の目の前に置かれた。

パフェはとても大きく、小さな彼女がそれを食べる姿はなんだかアンバランスに見えた。





「お前のとこにも来たんだな」





彼女は相槌もうたずにパフェを貪り続ける。



招待状はかつての先輩から送られてきたものだった。

僕は大概色んなことに不器用だったけれど、先輩は仕事も人間関係も上手で、自分の担当以外の子や難しい気質の上司などとも仲良くやっていた。

右も左も分からなかった僕にも優しく手を差し伸べてくれて、僕は先輩をとても尊敬していた。



そんな先輩のことで強く印象に残っているのは、先輩の担当アイドルが結構な問題児だったことだ。

問題児といっても基本は大人しくて人に危害を加えることもなかったけれど、事務所の机でキノコの栽培をしたり、街中で叫んだりして、かと思えばいつの間にか部屋の隅で自作の歌を歌っている。

得体の知れない子だった。しかし、そんな行動も不思議と可愛く見える子でもあった。



プロダクションの倒産から数年、先輩とも連絡を取ることはなくなっていたが、幸せそうな知らせが届いて安心したものだ。

同時に、先輩の担当していたその少女が今どうなっているのかは気になっている。



それにしても、彼女のいう招待状というのはそのことであっているのだろうか。

僕はともかく、彼女が先輩から招待状を貰うというのはいまいちピンとこない。

僕が知ってる限り、二人が交流することなんて特になかったはずだ。

お互い人付き合いが上手だったのに、必要以上に関わることがなかったのは、二人の間で何かしら暗黙の了解があるように僕には見えていた。





「結婚するの、前の担当の子とだよ」





訝しんでいた僕を見て彼女が言う。二重の意味で虚をつかれる。

読心術でもあるのかと疑うと、分かりやすいからとあしらわれる。



前の担当の子と結婚。

そうか、確かに先輩の結婚相手の名前に既視感があった。

ただ、僕には彼と彼女の仲の良さが『そういったもの』とは違う別の物に感じていて、どうしても頭の中で繋がらなかった。



さらにもう一つ、歳の差というのも気付けなかった要因だろう。

先輩は僕の三つ上、担当の子がアイドルだった頃は確か中学生くらいだったはずだ。

祝福する気持ちより犯罪じゃないかという不安の方が首をもたげたが、パフェをもう空にしてしまいそうな彼女を目の前にすると、何かどうでもいいことに拘っているという気分になる。





「出席するのか」



「するよ、おめでたいしね」



「じゃあ、一緒に行くか?」





彼女のスプーンが止まった。

怪しそうにこちらを睨んでくるが、眠たげな瞳がさらに眠たそうにしているようにしか見えない。



慣れないことをするべきではないのに、今日の僕は似合わない言葉ばかり口をついてしまう。



突き刺さる視線を無視して、自分の未来へ想いを馳せてみた。

やりがい、周りにいる人、目標、結婚。過去の先輩が困ったように笑う姿が脳裏に浮かぶ。

僕の過去と今を比べてみると、状況は大きく変わっているけれど、これから先何か変わっていく未来は何も想像できなかった。



ただ、彼女だけはいずれ僕の目の前から消えていくのだろう。

アイドルとして成功させてあげることができなかった、だから彼女に責任を感じているなんて、僕のワガママだ。

そんなことは随分前に自覚している。



それでもこだわってしまうのは、いずれ終わってしまう今がたまらなく愛おしいものだと気付いているのかもしれない。





「そうだ、困ったことがあったら何でも相談しろよ」





惑わないように焦点をぼかすと、彼女の輪郭だけが眼に焼きついた。





「ああ、なんなら、恋愛相談だっていいぞ」





彼女が物凄く嫌そうな顔をする。

止まっていたスプーンからクリームが溶け、うさぎのぬいぐるみにこぼれた。

うさぎはいつも、僕と彼女の間を隔てていた。













彼の皮肉と自虐と、さらに濁った不純物が含まれていたせいでそれはとても不透明だった。

なんだかこっちがたまらなく恥ずかしくなってくる。いくらなんでもらしくないにも程がある。



何が彼をここまで変にしているのだろう。

彼氏が出来たとか言ったからかな。人妻が好きなのか。

それとも思春期でも遅れて来たのかもしれない。

どちらにせよ劣情をこっちにぶつけてもらっても困るけれど。

頭の中で冗談を転がしても生温い空気は体を離してはくれなくて、誤魔化すことはできなかった。





「うさぎ、汚れてるぞ」



「知ってる、おしぼり貸してよ」



「お前の目の前にあるだろ」





スプーンをおいて、おしぼりでうさぎを拭く。

パフェでお腹はいっぱいになってしまったし、今度はココアを頼むことにした。口直しに必要な犠牲だった。





「恋愛相談」





一拍。息を吸う。





「プロデューサーも、結婚できなかったら相談してね」





妙な空気にさせられた仕返しのつもりで、プロデューサーとも久々に呼んでやる。



今度は彼が苦いものを噛んだような顔でこちらを見た。

嫌がらせは成功したのかもしれないけど、空気はどんどん変になっていくし、言わなきゃ良かったと後悔した。

でも、こんな雰囲気にしたのは彼が原因だ。つまり、杏は何も悪くない。



彼は居心地悪そうに、黙ったまま目の前のカップに触れる。

困ったり手持ち無沙汰になったりすると意味もなく目の前のものを手にとろうとするのは変わらない彼の癖だ。



これから一年経っても十年経っても、杏はそんな彼の仕草を見ているような気がした。





十年経っても、百年経っても。





今までの妙な空気と彼の行動が重なって、ふと疑問が浮かぶ。

杏と彼は合わない。それはもう徹底的に合わない。杏と彼は水と油だった。当然、杏が水で彼が油だ。

けど、合わないということが決定的なものでもなかったから、今まで杏達は一緒にいることが出来た。

それは口に出さなくてもお互い分かっていて、装飾のない会話だけが杏達には許されていた。



それなら、もしかしたら。

もしかしたらこれは違うんじゃないか。

今までにない、どこかちぐはぐで気持ちを持て余すようなこの会話は、心の奥底をくすぐられるようなこの違和感は、モヤモヤするだけで終わるだけの単純なものではないのかもしれない。





錆びついた歯車がキシキシと不協和音を鳴らす。

無理をすればすぐに壊れてしまいそうなくらい不安定だけど、確かに動いている、そんな音が聞こえた。



気付いた途端、瞳が熱で潤んだ。

彼はこのことを分かっているのだろうか。杏と彼がとてつもないことになっているのを。



彼がコーヒーに浮かんでいた薄い膜をスプーンでかき混ぜる。

膜はすぐに粉々になって液体の中に溶け込んでいく。





「なぁ、この後は時間あるか」





いや、分かってるわけなかった。よかった。

たぶん、よかった。

少し脱力していると、彼は返事をしない杏に何か勘ぐったのか、唇をきつく結んだまま緊張している。

そんな姿を見ると笑いそうになる。



やっぱり、気づいてない。

数年間を紡いできて、近づくことも遠ざかることも出来なかった杏達が今、先へ進んだことに。



そして、それなら。

十年後、百年後、杏達はもっともっと進んでしまうのかもしれない。





「そうだね、彼氏とデートがあるかな」





もう、透明な膜はどこかへ行った。これから杏はきっと、もっと甘えることが出来る。



今度、結婚するあの子に話を聞いてみようか。

どうやって結婚したのか、どんなことがあればそんな関係になるのか。



いつか本当に彼から結婚の相談をされても答えることが出来るように、戸惑わないようにしとかないといけない、そんな気がした。













「だから、どこか行こうよ」と彼女は続けた。



今日の僕も彼女もどうかしている。



ウサギのぬいぐるみはもう彼女の手にはなく、そばに寄りかかってるだけだった。



12:30│双葉杏 
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