2016年08月23日

高垣楓「好き、嫌い、大好き」


「プロデューサーさん、」



「恋の定義って、何だと思います?」







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いつもより騒がしい、平日末の居酒屋。

楓さんが、仕切られた座敷の中でグラスを傾けながら呟いた。



からん、と氷のぶつかる音がする。

「好き」。しばらく触れたことのない感情に、胸が詰まる。



手で掴んでいる自分のグラスが、汗をかいている。

心の中を、整理しよう。

そのグラスを持ち上げ、ごくり。





疲れている自分の頭をフル回転させて、過去の記憶を手繰り寄せながら口を開いた。



「うーん、そうですね......。その人の一挙一動が気になったり、その人のことを思うと胸が痛くなったりすること、じゃないですか?」



「ふーん、そんな感じなんですか......」



天井に、ぶら下がっている照明。

それをぼけーっと見つめながら、楓さんは返した。

失礼な物言いになるが、こういう動作の一つ一つが子供っぽい。

まあ、それが魅力でもあるのだが。





「楓さん、やけに他人事ですね」



「ええ、今まで誰かを好きになったことが無いですし......」



「そうですね、アイドルたるもの、それが一番ですね」

その様な趣旨のことを言おうとしたが、次の言葉に遮られた。



「あ、でも」

「私、今はプロデューサーさんが好きですよ」



腹の奥から、変な感覚。

ダメだと分かっているが、気持ちが舞い上がってしまう。



楓さんは、続ける。

心臓が強く鳴っているのが分かった。



「この鱚も好きっす。ふふっ......」



その後の発言に、思わず苦笑い。

氷は既に溶けて、酒と混ざり合っていた。



......................................................



「プロデューサーさんの、」



「好きだった人って、どんな感じでした?」





今日は趣向を変えて、小洒落たバーに寄ってみた。

暖かい色の照明。

人は少なく、クラシックの音が響いている。



楓さんを、見つめている。

口元にワインを運ぶと、甘みが広がっていく。

喉の奥で飲み込んでから、答えた。



「初恋は、幼稚園の年長でしたね」



「1つ年下の子でした。仲が良くて、相思相愛だったような」



顳かみを指で支えて、テーブルの端に目線を移した。

見ていなくても、楓さんが笑っているのが分かる。





「プロデューサーさんは、年下が好みですか?」



「いえ、そんなこと無いですよ」



笑顔でそう返したら、沈黙。

お互い何も喋らなくなって、時間が経っていく。



痺れを切らして、顔を上げた。

楓さんは、テーブルに突っ伏して寝ていた。



溜息を一つ。

それが幸せか、辛さか。

よく、分からない。





楓さんの手元に、飲みかけのグラスが一つ。



(ここまで酔い潰れるのだから、相当強いワインなんだろう)



そう思って、楓さんを起さないように。

グラスを手に取った。



楓さんの唇が当たっていない所を探して、口付けをする。

喉の奥に流れ込んできたワインは、飲んだことがあるものだった。



グラス。いや、

無機物に、なりたい。



......................................................





夜空に、インターホンの音が鳴る。

酔い潰れた楓さんを背負って、ちひろさんの家の前まで来ていた。



名前、出身、誕生日、身長体重、3サイズ、利き手、血液型、趣味特技。

楓さんに限らず、担当するアイドル達についての情報はこれしか知らない。



自分の家に泊めるのは申し訳無いし、

当たり前のことだが、楓さんの住所を俺は知らなかった。



楓さんはちひろさんの家に泊まってもらうことにした。



インターホンに気付いたのだろうか。

ドアの奥から、足音がしてくる。



(この音が近付くのが、少しでも遅くなったらいいな)



そう考えている自分が、果てしなく嫌いだ。

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ドアを開けて出てきた彼女は、家で着る物さえ黄緑色だった。



「プロデューサーさん、そんなに見ないでくださいね」



「やだなぁ、事務所と大して変わらない格好じゃないですか」



「まあ、それは置いといて......」

「今背負っている楓さんは、どうされたんですか?」



「それが、途中で酔い潰れちゃって......。そこまで飲んでなかったんですけど」



「次からは、ちゃんと気を付けてくださいね」



「分かりました。......楓さん、ライブがもうすぐあるので、それのレッスンで疲れていたのかもしれませんね」





「それも、プロデューサーさんがしっかり調整してくださいね」



「アイドルの調整も、プロデューサーさんのお仕事ですから」



少しして、沈黙。

この気まずさを、これまで何回味わってきたのだろう。

あとどれくらい、感じたらいいのだろうか。





......................................................



寝ている楓さんを受け取って、ちひろさんが問う。



「あとどれくらい、続けるんですか?」



「何を?」とは、聞き返せない。

ちひろさんが思う「何か」について、思うままに答えた。



「この気持ちが収まるまで、続けますよ」



ちひろさんは、哀しそうな顔をして笑う。

背中を、風が掠めた。

その風は、止まらない。





......................................................



「プロデューサーさん、」



「お願いがあるのですが」



ライブ前日。

リハーサルが終わった直後、楓さんが話しかけてきた。

二人以外、誰も居ない所で。



「もし、ライブが成功したら」



「場所を変えてみませんか?」



無音が支配する部屋の中で、少し困ったような顔を見せた。

嘘をつくな、俺。



......................................................



ステージから、恋の風が吹いている。



ファンは勿論のこと、俺も例外ではない。

この場所全体が、高垣楓に恋をしている。





声に耳を澄まして。

流れてくる言葉を、全身で受け止めた。



「君を探している ただ君に会いたい only you」



「君のそばにいたい ずっと 」



楓さんは、今まで誰かを好きになったことがあるのだろうか。

歌詞のような想いを抱いた人が、いるのだろうか。



そのことを考えると、胸が痛くなる。



「嫉妬、しちゃうよなぁ......」



ぼそりと呟いた感情は、風に乗って消えていく。

絡まり合っていて解読不可能だった感情は、恋の風によって分解された。





......................................................



「へぇ、ここがプロデューサーさんの......」



「あんまり見ないでくださいね。男の部屋なんて汚いですし」



「あら、そうは思いませんけど」



「そうですか?」



「ええ、そう思いますよ」



「なら良いんですけどね......。何から飲みます?」



「えっと......じゃあ、この瓶から」



「はい、分かりました。今開けますね。おつまみとかそれなりに有りますけど、食べますか?」



「ぜひ」



......................................................



「プロデューサーさん、」



「女の人を、家に入れた時はありますか?」



答えは、もう既に用意されていた。





「楓さんが、初めてですよ」





......................................................



「何か、こういうのって良いと思いませんか?」



「何をですか?」



「こうやって、お酒を飲みながら過ごすの」



「いつもやってるじゃないですか」



「あ、今の言い方。少し子供っぽいですよ」



「楓さんに言われたくないですよ」



目を合わせて、二人で笑った。

この時間が、いつまでも続いたらいいな。



そう思う自分は、もう嫌いじゃない。



......................................................



日付も変わり、空気が静寂を帯びてきた。



目の前には、楓さんが突っ伏している。

この人は腰が重く、中々帰ろうとしなかった。



溜息を一つ。

幸せだよ。

今なら、迷いなく言える。



でも。

寝ている楓さんにさえ、そう言う勇気はなかった。



あと数センチの、勇気が欲しい。

そんなことを考えて、書置きを残す。



今一番清潔であろう毛布をかけて、家を出た。

どこに止まろうか。



そう考えて、歩く。

......................................................



少し離れると、楓さんが起きた気配がしてきた。



「離れていても分かるって、益々おかしくなっていくな」



そんなことを言って、一人で苦笑い。



「そんなプロデューサーは、少し嫌いです」



夜風に乗って、楓さんのそんな声が聞こえてきた。

......................................................



「プロデューサーさん、」



「今、恋をしていますか?」



いつもと殆ど変わらない居酒屋。

いろいろあって、何だかんだで飲む時はここに落ち着いた。



自分の気持ちも、落ち着いていくのかな。

そう思って、正直に答える。



「はい、していますよ」

「大好きな人が、居ます」

「楓さんは、どうですか?」



楓さんは、全く関係無さそうなことを話した。



「私、今日はミートソースを使ったものを食べようと思います。」



何となく言いたいことが分かって、頬が緩んでしまう。

それを確かめてから、楓さんは呟いた。



「Me too.」



高垣楓さん。

俺は今、あなたに恋しています。

あなたのことが、大好きです。

終わり。





22:30│高垣楓 
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