2016年08月26日

モバP「速水奏の輝かせ方」

なにかを間違えている気がする。



 この状況も、速水奏の貼り付けた笑顔も、なにもかも。



 目の前に座る速水さんに視線を奪われながら、俺はそんなことを考えていた。





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 事態が急転したのは先週のことだった。



 昼下がりの事務室で書類整理をしていた俺は、突如現れた先輩に拉致された。一瞬の出来事だった。



 あまりの手際のよさに感服する。同時に一抹の疑問が頭の片隅を過ぎったが、俺は考えるのをやめた。



 この先輩はサークル時代からめちゃくちゃだった。外に置いてあった木製ベンチと四角柱の灰皿を担いで、五階の部室に運び込むぐらいの無茶はする。



 社会人になってもうしばらく経つのに、彼女はどうやら未だ落ち着きというものを知らないらしい。これで敏腕プロデューサーというのだから、世の中はわからない。



 どう考えもゴリラなのに。口には出さない。殺される。



 扉に向いていた先輩は施錠した。かちゃんと無常な音が部屋に響いて消える。

 振り返った先輩はにこっりと不穏な笑みをたたえて、対面の椅子に腰を下ろした。



 不吉な予感がした。



「お前、プロデューサーやってみない?」



「え、俺がですか」



 談話室の柔らかすぎる椅子に浅く腰かけた俺は、言葉を理解できず混乱する。



「うん、お前がよければだけど」



「いや、まあ無理ですよね。大体そんな人事、上が認めないでしょ」



 そもそも、俺は事務員として入社したのだ。それがいきなりアイドルのプロデュースなんてできるはずもない。



「もし認められてなかったらこんな話を持ちかけてないって。うちのプロダクションは慢性的な人員不足なのだ。まっ嬉しい悲鳴だけどな」



 慎ましい胸を張ってふんと自信満々に言ってのける先輩。彼女が誇らしそうなのは貢献しているという自負ゆえか。きっとやりがいもあるのだろう。



 しかし、プロデューサーの離職率の高さを考えれば、そう簡単には頷けない。死地に赴くに覚悟は、俺にはまだないのだ。



「だとしても、お断りですよ。めちゃくちゃ忙しいじゃないですか。それに俺の抜けた穴はどうするつもりなんです」



「大丈夫、ちひろさんがなんとかしてくれるってよ。ほらあの人化け物だから」



「わかりました。千川さんによく伝えておきます」



「馬鹿やめろ私を殺す気か」



 千川さんは事務員にして様々な実権を握っている謎の女性だ。部長が彼女に頭を下げているのを偶然目撃したとき、入社したての俺は身の振り方を覚えたのだった。

 俺は大仰にため息をついて見せる。



「それで、話はこれだけですか? そろそろ戻りたいんですけど」



「まあまあ、ちゃんと許可とってるんだからゆっくりしていこうぜ。とりあえず話だけでも聞いてくれって」



「他になにか」



「いやな、私はお前に感謝してるんだよ。てっきり三ヶ月ぐらいで逃げ出すと思ったのにもう三年だ。それもちひろさんに気に入られてるし、勤務態度は真面目で仕事の評判もいい。おかげで私の株が上がった」



「それはまあ……」



 前の会社を辞職してからぷらぷらしていた俺に、業界最大手のこのプロダクションを紹介してくれたのだ。いくら苦手な先輩とはいえ、恩人の顔に泥は塗れないだろう。



 まあ、単純に給料がいいから頑張れるというのもあるけれど。ここは残業代の出る素晴らしい会社である。



「だからな、今回はただの人手不足で声をかけたわけじゃないんだよ」



「その心は」



「昇給。約二倍」



「まじ」



 思わずため口になる。いやしかし、現状だって大学の同期たちと比べてもかなり多い額を貰っているのに、それが二倍って。



 きらんと先輩の眼が鈍く輝いた気がした。



「まじもまじ。とはいえ、当然そんなすぐには無理だけど。最終的にと言うか、最大での話かな。とにかく今よりかなり貰えるようになる」

「……でも、忙しくもなるんでしょう」



「まあな、それはそうだろうよ。ただ相応の評価はされるし、場合によっちゃ臨時ボーナスも出るんだぜ」



「…………」



「もちろん、無理にとは言わない。やっぱり激務にはなるからな。ただし、お前には悪いけどこの話はここで決めてもらわないといけない」



「えっ、今ですか」



 先輩は深々と頷く。むちゃくちゃだ。こんな大切なことをすぐに決めなくてはならないなんて。



「ああ、とにかく時間がないんだよ。あくまで今回は特例なんだ。他にも候補がいてな、お前が駄目なら次の奴に当たる。頼み込んでお前を優先してもらったけど、私にできるのはここまでだ」



 機会はもうこない。そう考えると逃すには大きすぎる魚な気がする。それに、いざとなれば辞めるのも手だろう。先輩には悪いけど、元々このプロダクションに骨を埋める気はなかったのだから。



 無責任な思考は気を軽くしてくれる。



「……わかりました。引き受けます」



「それは重畳だ」



 先輩は嬉しそうに微笑んだ。悪意的な笑みだった。



 俺は失念していた。先輩にはサークル時代から何度も騙されてきたことを。よくよく考えてみれば、先輩の言葉は詐欺師の手口そのものだ。



 やられた。そう内心後悔しつつ、俺はプロデューサーへと栄転したのだった。



 とはいえ、プロデューサーへの道は甘くないらしい。



 先輩曰く本決定には、三ヶ月後に控えるプロダクション主催の定例ライブにおいて、一定の評価を得る必要があるのだとか。



 つまり、現状は仮免プロデューサー。



 陸サーファー的なイカす肩書きだ。プロとついているのに、素人っぽさを滲み出している感が堪らない。プロのデューサーなんて存在しないけど。



 なんて、思考を飛ばしておかないと緊張で胃がやられそうだった。試験があるなんて聞いていない。知っていたら断っていた。



「だって訊かれてないし」



 抗議すると先輩は何食わぬ顔でそう言った。苛ついたので千川さんにあることないこと告げ口しておいた。後日、先輩に土下座された。千川さん恐るべし。



 それから一週間、簡単な研修に従事した。先輩の教えは擬音語が飛び交うばかりで俺の頭を混乱させた。



 こんな先輩でも担当アイドルは売れっ子なのだ。きっと、考えないぐらいがちょうどいいという教えなのだろう。



「こういうのは直感が重要なんだよ。狙えば外れる。アイドルとファンは人間だ、思い通りになんていきやしねぇ。



 もちろん無軌道にやれと言ってるわけじゃない。基本は常に、アイドルの個性や魅力を引き出すためにどう見せるか。



 良いものは良いんだ。理由なんていらん。そう思ったら突き進め。自分の感性を信じろ」



 研修の最終日。神妙な面持ちの先輩は、珍しく真の意味で先輩らしかった。

 そして研修を終えてから一日経った今日、俺は速水奏と対面することになった。



 談話室の柔らかすぎる椅子に深く座って担当となるアイドルを待つ。資料には目を通した。スリーサイズを空で言えるぐらいには熟読した。



 扉が開いたのはそれから三十分ほど経った頃だった。



 先輩に促されて目の前の椅子に腰を下ろした速水奏は、とても十七歳とは思えない容姿と雰囲気をしている。



 妖艶と神秘を混ぜ合わせて、儚さで割ったイメージ。



 今だって半信半疑だ。どうやら高校が終わってから来ているようだが、制服を着ていなかったらとても信じられないだろう。



 先輩は立ったまま、俺を指差して速水さんに微笑んだ。



「こいつが今日から速水のプロデューサーだ。まあ見ての通りに頼りない奴だ。しかも新米とまできてる。ただ、比較的優秀だとは思う。敬語も気も使わなくていいからよろしくやってくれ」



 そう言うと忙しなく談話室から出ていく先輩。去り際にじゃっ、あとは若いふたりにまかせるわ! なんて置き土産を残していったせいで、部屋にはなんとも言えない空気が漂った。



「お見合いかよ……」



 独りごちると速水さんはふふと小さく笑った。どうやら見た目の印象ほど取っつきにくいわけでないらしい。



 雰囲気がマシになったのを見計らって、手始めに軽めの挨拶。努めて明るい声音を作る。



「ええと、まあ紹介に与ったとおり、今日から速水さんのプロデューサーになった。よろしく頼むよ」



 すると速水さんは蠱惑的に微笑む。

「あなたが私の……。ふぅん、私をアイドルに……うーん、どうしようかなぁ」



「えっ、なに、ここで拒絶される展開なんて存在するの」



「そうねぇ……じゃあ……今、キスしてくれたらなってもいいよ。どう?」



「……はっ?」



「……なんてね。ふふっ。プロデューサーさん、顔が赤いよ?」



 なんておどけて見せる速水さん。どう考えても俺はからかわれていた。



 こんな美少女にキスをせがまれて赤面しない男がいるか! 叫び出したかったが、敗北宣言をするようで癪だ。



 大人げもなく、苦し紛れに精一杯の抵抗をする。嫌味にならないよう気をつけて。



「なんだ、意外と子供っぽいとこあるんだね」



「……ええ、子供よ。高校生って子供でしょ?」



 平然と言う速水さん。完全敗北だった。



「ああ、いや印象とは違うって話。ほら大人びて見えたから」



「よく言われるわ。正直、自分ではよくわからないけどね」



「そんなものだろう。あまり気にしないほうがいいよ。他人は無責任なものだからね」



「あなたも?」



「さあ、どうかな。それは速水さんが決めることだと思うよ」



「……胡乱な人ね。先が思いやられるわ」

 わざとらしくこめかみに手を当てる速水さん。動作ひとつひとつが様になっていて惹きつけられる。



 ぼうっとしていると視線を奪われそうだったので、ははっと笑い誤魔化す。



「まあ、キスはやめとくよ。たぶん、その先もしたくなっちゃうし」



 きょとんとしたのもつかの間、速水さんは頬を赤らめる。勝った気分になる俺はやっぱり大人げなかった。



「もうっ!」



 こうして俺と速水さんの顔合わせはつつがなく終了した。表向きは穏やかに、裏向きは距離の探り合いをしつつ。なんとか乗り越えたのだった。



「それでどうだった?」



 速水さんを見送ったあとに訪れた喫煙室。先輩は煙を吐きながらなんでもなさそうに訊ねてきた。



 俺はわざとらしくがっくりとうなだれて、煙とため息を吐いて見せる。ちょっとした嫌がらせだ。



 思惑通り、先輩は焦ったようだった。



「えっ、まじ。駄目だった?」



「冗談です」



「てめえ……」



 先輩はぐっと拳を握る。怖いので視線を逸らす。



「なかなか気難しい娘ですね。ずっと探り合いって感じでしたよ」



「速水は掴み所がないんだよな。距離を取って自分を守ってるのかもしれない。私たちが思っている以上に繊細なんだろうぜ」



 あるいは諦観しているのか。いずれにせよ、人付き合いが苦手とまではいかなくとも、踏み込むのも踏み込まれるのも得意ではなさそうだった。



「でしょうね。……面倒くさいな、俺には向かないと思うんですけど」



「お前のほうが面倒くせえよ。だから任せてるってのもあるんだが。お前は距離感絶妙だしな」



「過大評価ですよ……、そういや速水さんってもうデビューしてるんですよね」



 資料によると一ヶ月前にCD一枚をリリースしている。売れ行きは最低ラインといったところか。ただ、その後は大した仕事もなく、今のところ予定もない。



 直近では雑誌の企画で複数のアイドルと一緒に写った写真が数枚だけ。こう言っちゃなんだが、もったいないと思う。

 先輩はバツが悪そうに煙草を吸っていた。



「ああ、一応はな……、私には持て余し気味だった。色々試してみても上手くいかないんだこれが。素質はある。ただ、いまいち方向性が見えなくてね。不徳の致すところだよ」



 先輩の担当はニュージェネレーションズやトライアドプリムスなど、比較的素直で明るい娘が多い。速水さんのようなミステリアスな娘は苦手なのかもしれない。



「まっ、給料分ぐらいは働きますよ」



 辞めていないところを見ると、続ける気はあるのか。でも、いつまでその気でいてくれるかはわからない。三ヶ月というタイムリミットもあるし、多少急ぐ必要はありそうだ。



「ん、頼むわ」



 俺は短くなった煙草を灰皿に捨てて、喫煙室をあとにする。



 とりあえず、俺は速水さんを知る必要がある。資料には載っていない速水さん自身を。

 今日は速水さんのレッスンに同行することにした。



 狭いレッスン室の端にパイプ椅子を配置し、準備完了。ウェアに身を包んだ速水さんの側に寄る。



「とりあえずいつも通りにやってほしい。もしなにかあれば都度指摘するから」



「ええ、わかってるわ。でも……プロデューサーさん、初心者なんでしょ? 大丈夫なのかしら」



「初心者の視点てのも侮れないんだぜ。なんせファンはみんな素人なんだから」



「……たしかにそうかもね。うん、ちゃんと見ていてね。巧く踊って歌うから」



「もちろん。楽しみにしてるよ」



 そのために来ているのだから。



 メニューはボーカルとダンス。その後定例ライブで歌唱する楽曲を、本番同様に一曲通してダンスを交えて歌ってもらう。



 さて鬼が出るか蛇が出るか。



 レッスンが進むにつれて俺は困惑していく。ボーカルにせよダンスにせよ、とてもここ数ヶ月で始めたとは思えないほどの質だったからだ。



 当然、まだ完璧ではない。細かいミスはある。しかし、勘がいいらしく、トレーナーさんに指摘された箇所を即座に修正していく。



 仮免プロデューサーの俺から見ても、速水奏は才能に恵まれていた。



 しばらくして休憩に入ったのを見計らい、俺は確認するためにトレーナーさんに近寄り声をかけた。



「お疲れ様です。今話をしても大丈夫ですか」



「ええ、大丈夫ですよ。どうかしました?」



「ちょっと速水について聞きたくて」



「あっ、プロデューサーさんはまだ新人ですもんね。なにか気になることでもありましたか?」

 同い年ぐらいであろうトレーナーさんはにっこり微笑む。



 このプロダクションのトレーナーはみなアイドル並みに可愛い。油断すると惚れそうだった。気をつけねば。



「いえ、トレーナーさんから見て速水はどうなのかと思いまして」



「凄いです。なにを教えてもすぐに吸収するんですよ。筋もいいし勘もいいんでしょうね」



 ほっと安堵する。見立ては間違えていなかった。一応、俺の眼を疑う必要はなさそうだった。



「それはよかった。では、問題はありますか?」



 そんな質問をするとトレーナーさんはうーんと唸った。この感じからするとなにかありそうだ。



「言葉にするのは難しいです。たぶん、見てもらったほうが早いと思います」



 ズルはするなということか。さて、俺の審美眼と観察眼が試されるときがきた。自信ないけど。



「わかりました。引き続きよろしくお願いします」



 軽くお辞儀をしてパイプ椅子に戻る。とりあえずは次のライブ楽曲の結果次第か。そんなことを考えながら腰を下ろそうとすると、不意に視線を感じた。



 ここには三人しかいないわけで。



 膝を抱えて座る速水さんにガン見されていた。



 無視するわけにもいかなくて、俺は落としかけていた腰を上げて速水さんの元へ向かう。



 遠目にはわからなかったけど、近づくと速水さんは不機嫌そうに見えた。

 明るめに俺は言う。



「怖い顔してるよ? どうかした」



「……私には労いの言葉もないのね」



「うん? なに、労って欲しかったの」



「そうじゃないわよ。でも、担当アイドルに感想のひとつぐらいあってもいいんじゃないの?」



 ため息混じりな速水さん。どうやら不貞腐れているご様子。もっとドライなのかと思っていたが、そうでもないらしい。



 なかなかの可愛い生物。惚れそう。



「通しレッスン見ないことには大したこと言えないけど」



「評価はあとでいいの。今はあなたの感想でいいよ。なにかしらあるでしょう」



「感想ねぇ、月並みなことしか言えないけど、よかったよ。ただまだ発展途上とも感じたかな」



 ありきたりな感想だ。それこそ誰にでも当てはまるような。



 しかし、速水さんにはそれで十分だったようで、



「そう、お眼鏡に叶ったのならよかったわ」



 満足げに頷いた。その表情は年相応に見えた。



「そろそろ始まるだろうし戻るよ」



「待って、ひとつだけいいかしら」



 速水さんの声音には冷たさがあって、俺は自然に背筋を正す。彼女の黄金色の双眼は鋭く俺を見据えていた。



「担当アイドルをほっぽらかして鼻の下を伸ばすのは、ちょっと頂けないかな」



 年不相応な迫力に気圧される。



「は、はぁ、次からは気をつけるよ」



 そそくさと退散する情けない俺は仮免プロデューサーである。だから、速水さんはなにを考えているのか、いまいちわからなかった。



「なるほどねぇ」



 本番さながらに歌って踊る速水さんを眺める。



 幸いと言うべきか、残念ながらと言うべきか、俺はすぐにトレーナーさんの言葉の意味を理解した。



 たしかにこれは言葉にし辛い。



 強いていうなら違和感と表現するべきだろうか。



「わかりましたか」



 いつの間にか隣に立っていたトレーナーさんは、困り気味にそう言った。俺はええと返事して、問題点を見つけるため観察を続ける。



「奏ちゃんに技術的な問題点はありません。はっきり言って、このプロダクションのなかでも上位に食い込めるだけの実力があります」



「なんですかねこれは。ボーカルもダンスも巧いのに、惹きつけられるものがない」



「だから、気持ちの問題なのかもしれません」



「気持ちですか……、なにか聞いてたりします?」



「いえ。だけど、ええと、憶測なんですけど……」



 言い淀むトレーナーさん。不思議に思って座ったまま顔を覗き込むと、彼女は気まずそうに目を逸らした。



「憶測で構わないんで聞かせてもらえませんか」



「えっ、あの、たぶんわからなくなったんじゃないかなって」



「わからなく……」



「ほら、奏ちゃんは巧いんです。でも、人気のあるアイドルが必ずしも巧いわけじゃないし……それに」

 それに、努力しても評価されない。だから、わからなくなってしまったのだろうか。そうだとしたら、それは悲しい話だと思う。



「難儀な話ですね……、ありがとうございます。参考にします」



 速水さんのダンスは終わる。本人はどこか不満げに見えたけれど、視線が合うと口元を緩めてくれた。



 こちらに歩んできた速水さんは、



「どうだった?」



 悪意的な笑みを浮かべて感想を求めてくる。試されているのかもしれない。



「悪くはなかった」



「よくもなかった?」



「まあ、端的に言って魅力は感じなかったかな」



「……そう」



 少しだけ悲しそうに目を伏せる速水さん。残酷だとは思う。しかし、言わないわけにいかない。



 言葉を隠すのは不誠実だ。



「ちょっとプロデューサーさん、もう少し言い方があるでしょ!」



 トレーナーさんは糾弾するように言った。優しい人だ、おかげで俺は役割に集中できる。



「いいの、私自身わかっていたから。ちゃんと言ってくれて嬉しいよ」



「奏ちゃん……」



 しんみりとした空気が漂い始めていた。それを払い退けるため、俺は笑顔を作る。



「まあ、速水さんはあまり深刻に捉えなくていいよ。魅力を引き出せないのはプロデューサーの責任であって、速水さんに非はない。むしろ不甲斐ない俺たちに愛想を尽かさず努力を続けてくれたんだ。感謝こそすれ責める気なんて毛頭ないよ」

「……そんなことはないと思うけど」



「いいや、俺たちプロデューサーの責任だ。職務怠慢だよ。申し訳ない。努力が結果に結びつかないのはしんどいものだ」



「…………」



「もちろん、この先どうなるかなんてわからない。それでも、速水さんさえよければ、定例ライブまでは付き合ってくれないかな」



 頭を下げる。虫のいい言葉だ。でも、恐らくお互いにとってここはチャンスなのだ。きっと先輩もそう考えて俺に任せてくれた面もあるはず。



 沈黙。たっぷり五秒が経過して、速水さんは口を開いた。



「まるで私が辞めるとでも言わんばかりね。そんなこと一度も口にしていないけど」



「その選択肢がいつでもあるのは事実だろ? それにプロデューサーを変えることだって可能だ」



「随分と殊勝なのね。そう……、じゃあ、キスしてくれたら考えてあげる」



 俺が頭を上げると、速水さんはいたずらっぽく笑って、そのピンクな唇に指を添えた。圧倒的な淫靡だった。



 なんかもう、理性とか法律とか、そういうしがらみをすべて無視したくなる、恐ろしい魔力を秘めていた。



「……仕方ない」



 俺は立ち上がり、速水さんに一歩近づく。速水さんが息を呑んだのがわかった。

 さらにもう一歩踏み出そうとした、そのとき、



「駄目に決まってるでしょ!!!」



 トレーナーさんの声が木霊し、俺は肩を掴まれパイプ椅子に戻された。期待を裏切らないいい動きである。



「だってさ、悪いけどキスはお預けだ」



「ふふ、しょうがないわね」



 ふたりして笑い合う。少しだけ近づけたのかもしれない。



「何を考えてるのふたりとも!!」



 それからしばらくトレーナーさんの説教は続いた。ふたりして怒られるのはなんだか新鮮で、意外と悪い気はしなかった。



 命題、アイドルとはなにか。



 原義を辿れば偶像となるが、偶像にしたって千差万別。究極的には人の数だけ存在する。



 だから、俺たちは考えなくてはならない。



 アイドル、速水奏はどこに向かうのかを。



「たぶん、速水さんに必要なのはアイドルの定義だな」



 レッスン後、俺は速水さんを近場のカフェへ連れ出した。



 本当は敷地内にあるカフェテラスでもよかったのだが、外に出たほうが気晴らしにもなっていいだろうと考えたからだ。



 ミルクティーの入ったカップを持った速水さんは、不思議そうに首をかしげる。



「定義?」



「そう、速水さんにとってアイドルとはなにか。喩えばお金を稼ぐ道具でもいいし、承認欲求を満たす手段でもいい」



「……喩えが随分と悪意的ね」



 そう感じるのはなにかしらのアイドル像を持っているからか。無自覚なのかもしれないけれど。



「まあ、他にもファンに幸せを届けるとか自分が楽しむでもいいけど。要はさ、アイドルという職業を、漠然とでもいいから形付けて欲しいんだよ」



「今の私は具体性に欠けるということ? ……まあ、たしかに訊かれても答えられないしね」



「往々にしてそんなものだと思うけどね」



 俺だってプロデューサーがどういうものなのか理解していないし。この先続けていくのかだって未定だ。



「でも、人気のあるアイドルはやっぱり自分なりの形を持っていると思う。だから、どうしてアイドルを続けていくのか、なんのために努力するのか。その辺りも含めて考えてほしい」



 高校生には難しい話だろう。しかし、この業界で生き残っていくには必ずぶつかる問題でもあるはずだ。



 今はまだ答られなくてもいい。ただ、定例ライブまでには見つけてほしいところだった。



 そして、それは俺も同じといえる。



 速水さんはうーんと唸って考え込んでしまった。ミステリアスさに拍車がかかる。その姿は絵画のモデルになれそうだった。

「と、言うわけでやってきましたテレビ局」



 数日経ったある日、俺は速水さんを引き連れて城ヶ崎美嘉の収録を観覧しに来ていた。



 アイドルの知り合いは沢山いても、アイドルとしての一面は見る機会がなかった。表裏があるとは言わないけれど、誰だって公私で違う顔を使い分けているはずだ。



 だから、アイドルたちの仕事を見て、なにか得るものがあればと考えた。プロデューサーとしての初仕事である。



「そろそろ理由を教えてくれない? いきなり連れて来られて困惑してるんだけど」



 口を尖らせる速水さん。なにかを得ようと躍起になりそうだったので、彼女にはなにも説明していない。



 べつに得られなければそれはそれでいいのだ。軽い気持ちで眺めるぐらいがちょうどいい。



「自分探しの旅、的な? まあ息抜きもあるのかな」



「どうして疑問系なのよ……」



「まあまあ細かいことは気にしたら負けだぜ」



 速水さんはむっと顔を強張らせた。負けず嫌いなようだ。



 関係者出入り口前には約束通り、恰幅のいい男が立っていた。彼は入社直後から親交のあるプロデューサーである。



 彼に向けて、俺は軽く手を挙げて挨拶する。彼は気づくと破顔した。



「悪いな無理言って」



「気にすんな。使える伝手はどんどん使ったほうがいい」



「ありがとう。今日は世話になるよ」



「ああ、好きなだけ見ていけ。きみもね」



 彼は俺と速水さんの顔を交互に見てがははと景気良く笑った。その笑いかたはこちらの気持ちまで明るくしてくれる。

 速水さんはよろしくお願いしますと軽く会釈した。多少緊張している様子だった。彼はおうと気前よく返事した。



「にしても、まさかお前がプロデューサーになるとはね」



「自分でも意外だよ。本当はやる気なかったんだけど……」



「みんなもそう思ってたぜ。千川さんなんて未だに不満そうにしてるし」



「まじかよ」



 ここのところ忙しくて千川さんとは顔を合わせていなかった。最後は研修初日だったか。ろくに現状の説明もできていないし、やっぱりまずいよなぁ。



「ああ、事務員たちはストッパーがいなくなったと戦々恐々らしい」



 無言でキーボードを打ち続ける同僚たちが目に浮かんだ。想像のなかの同僚はみな死んだ目をしていた。南無三。



「ねぇ、千川さんってちひろさんよね。私には優しい印象しかないけれど、プロデューサーさんの前では違うの?」



「せんかわさんはやさしいよ」



 俺と彼の言葉は重なる。棒読みだった。



「一体なにがあったのよ……」



 悲哀の籠った目を向ける速水さん。俺は口をつぐむ。世の中知らないほうがいいこともあるのだ。



「さあ、そろそろ入ろう」



 話題を変えるようにそう言って、彼は背を向けてのしのしと歩き出した。俺たちは彼のあとを追う。

 城ヶ崎さんのレギュラー番組の収録を観覧し終えた俺たちは、彼女の控え室で休憩していた。城ヶ崎さんと彼が帰ってくるまではもう少しかかるそうだ。



「収録って初めて立ち会ったけど、思ったより時間かかるんだな。すごく疲れた」



「そうね、座っていただけなのに肩が凝ったわ」



「緊張したしね。それで感想は?」



「美嘉は私よりずっと大人だった。急なアドリブにも焦らず対応して、うまく現場を盛り上げて。……きっと私にはできないでしょうね」



 収録中、ゲストの若手タレントが失礼な質問をしたときの話である。城ヶ崎さんは快活に笑い飛ばし、うまく新たな話題へと転換して見せたのだ。



 あっぱれとしか言いようのない、見事な対応だった。



「まあ、慣れもあるんだろうけどね。きっとああいうギャップも、城ヶ崎さんの魅力のひとつなんだろう」



「ちなみにプロデューサーさんから見て、私の魅力はなに?」



「具体的に訊かれると困るなぁ。容姿に性格、歌声に些細な仕草。どれをとっても魅力的だと思うよ」

 ここまで揃っているのに活かせていないのだから、なかなかどうして上手くいかないものだ。



「そう思うならキスしてくれてもいいんだよ」



「俺としてはしたいんだよ? でも都条例が許してくれないんだ」



 そのとき、廊下からきゃぴきゃぴとした話し声が聞こえた。



「でも、あれだな。バレなければいいのかも。目を閉じて」



「ふふっ、いけない人ね」



 悪意的に口角を上げる速水さん。どうやら俺の思考を読んでくれたらしい。彼女はそっと目を閉じる。



 俺は彼女の側に寄って、ゆっくりと顔を近づける。遠すぎず、かといって近すぎず。邪推されそうな距離を保つ。



 扉はすぐに開かれた。



「お待たせー! って、あんたたちなにしてんのぉぉぉぉぉ!?」



 直後、城ヶ崎さんの声が木霊した。



「もうっ! やめてよびっくりしたじゃん!」



 城ヶ崎さんは紅潮した顔を手で扇いでいた。ギャップというなら、ギャルな見た目に反して初心であることが一番であろう。この初々しい反応もまた魅力である。



「ちょっと驚かそうと思ってね」



「さっきの反応、可愛かったわよ」



 しれっと言う俺と速水さん。息ぴったりだった。



「おい、お前のキャラ感染りかけてるぞ」



 彼は呆れ気味にため息をつく。その横では城ヶ崎さんがそうだそうだ! と俺を非難した。



 しかし、ふたりの言葉には首をかしげざるを得ない。



「ん? 元々こんなだったけど」



「それは語弊があるかな、普段は真面目だよ。最近はプロデューサーさんに付き合ってあげてるの」



 よく言う。いきなり冗談をかましてきたのは速水さんだろうに。ただまあ、俺が適当な人間なのは否定しないし、今回に限って言えばその通りだ。



「どうもありがとう」



「どういたしまして」



 彼と城ヶ崎さんは生温い視線を向けてくる。いや、そっちのほうが熟年夫婦みたいな雰囲気でてるぞ。城ヶ崎さんが茹りそうなので口にはしないけれど。



 そろそろ話を進めよう。俺は居住まいを正す。



「冗談はさて置き、ふたりとも今日はありがとう。城ヶ崎さん、トークよかったよ」



「まあねー、楽勝だよ!」



「こら美嘉、調子に乗るな」



 窘める彼に城ヶ崎さんは「あっ違うよ」と恥ずかしそうにはにかんだ。その笑顔には彼への信頼を見て取れる。



「この番組もそうだけど、みんなアタシが上手くいくように頑張ってくれてるんだよ。スタッフさんも、この厳ついプロデューサーもね。だから、楽勝になって当然じゃん? だってアタシだけの力じゃないんだからさ」

 城ヶ崎さんは苦労してきたのだろう。そして彼とともに努力してきた。その積み重ねが今の彼女を構成している。



 一人でここまで来たのではないと、そう認識している。だから、城ヶ崎さんはみんなに感謝できる。



 俺の思うよりずっと、城ヶ崎さんは真面目で優しい女の子だ。



「そうだとしても、美嘉は凄いと思う。私はあんなふうにできないわ」



「アタシだって初めは全然ダメダメだったよ。でも、その度にプロデューサーに相談して、ふたりで頑張ったんだ。この番組も最初は試行錯誤しまくりでさ。スタッフさんといっぱい話し合ったんだよね」



 へへ。城ヶ崎さんがそう照れ笑いを浮かべる。その横で彼は懐かしむような、娘の成長を感動しているような視線を向けていた。



「だから、アタシは頑張れるんだよ! ファンだけじゃなくて、プロデューサーやスタッフさんも含めたみんなのためにも。もちろんアタシ自身もまだまだ楽しんでくけどね!」



 明確な理由とアイドルとしての自覚。アイドル城ヶ崎美嘉が語ったその言葉は優しく、とても前向きだった。



 だけど、これは城ヶ崎さんの言葉だ。速水さんはどこか不安そうに呟いた。



「みんなのために……ね」



「ああ、もちろんこれはアタシの理由ね。奏がどうとかじゃなくって」



「そうね、私は私の理由を見つけないと……」



「うーん、まあそんなに焦んなくてもいいんじゃない? 無責任に聞こえるかもだけど、アタシも最初はとにかく必死でわからなかったし」



「そうだな。こういうのは探してもなかなか見つからないものなんだろう。続けていくうちに形になっていくのかもしれない。まあ色々と挑戦していくといいよ」



 城ヶ崎さんの言葉を引き継いだ彼は、そう締め括った。こればかりは新米の俺にはなにも言えない。さすがに年季の違いを感じた。

 それからしばらく雑談して、俺たちはテレビ局をあとにした。今日の仕事は終了だ。



 俺と彼は担当アイドルを送り届けるため、それぞれの社用車に乗り込んだ。移動中、速水さんは考え込んだまま、ほとんど喋らなかった。



 速水さんを送り届けてから、俺はひとり会社に戻るため社用車を走らせる。気がつけば陽は傾いていて、赤く染まる空になんとなく寂しさを覚えた。



 会社に到着すると、ロビーで彼に声をかけられた。どうやら俺を持っていてくれたらしい。面倒見のいい奴だ。



「お疲れさん」



「お疲れ。今日は助かったよ」



「あれでよかったか?」



「ああ、参考になった。俺も、たぶん速水さんもね」



「それはよかった。そういや定例ライブの準備はしてるのか?」



「楽曲と振り付けはそのまま引き継いだし、衣装も先輩がいくつか用意してくれていたみたいだからそのまま利用するよ。ステージ演出はまあ、手探りながら作成中」



 ステージの演出といっても、バックスクリーンの映像と照明の配色と強弱、あとは音響関係を少しいじれる程度だ。



 複数のアイドルが出演するライブなので、仕方がないのだろう。ただ、どうしたって無力感はつきまとう。

「アイドルのほうには口出せないけど、企画書の書き方ぐらいは教えられるぜ?」



「ああいや、ほら今まで散々企画書は見てきてるし、なんなら千川さんにも教わったから」



「そういやそうだったな。まあ、わからないことがあればいつでも訊いてくれ。じゃあまだやることあるし行くわ」



 そう言って立ち去ろうとする彼。俺と年齢は変わらないのに、その背中は老熟して見えた。



 彼の背中を眺めていると、不安になる。わだかまっていた疑問を投げかけた。



「俺はこれでいいのかな」



 彼は足を止めて振り返った。俺と彼の距離は、プロデューサーとしての差そのものに思えて落ち着かない。



「たぶん、それを決めるのは俺じゃない。俺とお前は違うし、担当アイドルも違う。方法論はひとつじゃないんだ。お前なりのやり方を見つけるしかないだろ」



 正論だ。反論のしようもない。だけど、不安だった。確認したくてしょうがなかった。



 速水奏を輝かせられるのか。



 俺はなにかを間違えている気がする。



 それからまた数日が経ったある日、俺と速水さんは大型のCDショップを訪れた。



 今日は宮本フレデリカのデビューシングル発売記念の握手会が開催されていた。



 デビュー以前に数度顔を合わせた印象から言って、宮本さんは大物になる確信がある。だから彼女からは、なにか糸口をつかめそうな気がしていた。



「それにしても結構賑わってるけど、速水さんのときもこうだった?」



「まさか。……一時間で十人だったわ」



 速水さんは寂しそうに周囲を見渡していた。気持ちは察する。申し訳なくて、ちょっとだけ後悔した。



「でも、十人のファンが来てくれたんだ。落ち込むことじゃあないよ」



「ええ、人数に不満があるんじゃないの。感謝はしてる。ただ、不満があるとしたら自分の仕事ぶりによ。来てくれた十人は、ここにいる人たちほど楽しそうじゃなかったから。申し訳ないなって」



「……そうだね。報酬を貰う以上、相応の仕事をしなくてはならない。給料は労働への対価だ。だから、真摯に取り組む限り、お金を稼ぐのは悪いことじゃないんだよ。その意味は考えて欲しいな」



「うん、認識が甘かったわ。そうよね、私たちはプロだもの。対価を求めるのは当然だよね。そのためにも自分を高めていかないと」



「ああ、俺もだよ」

 この握手会は通過儀礼的なイベントだそうだ。まだ認知されていない現状の認識と、ここからが本当のスタートだと自覚させる意味合いがあるらしい。



 素人と言っても過言ではない彼女たちには過酷な試練だが、意識を変えるにはいいのかもしれない。



 アイドルは部活や趣味ではなく、仕事なのだから。



 宮本さんへと続く列は、少なく見積もっても三十人はいる。デビュー直後としては大成功の部類だ。



 俺と速水さんは宮本さんのシングルを購入し、列に並ぶ。ひとりひとりと前に進んでも列は短くならない。



 宮本さんは何者なのだろうか。末恐ろしくてならない。



 俺と速水さんの順番がやってくる。宮本さんはこちらを確認すると少し驚いた様子だった。



「おおー! ふたりとも来てくれたんだうれしー!」



「順調そうでなによりだ。言いそびれてたけど、デビューおめでとう」



「アリガトしるぶぷれー、カナデちゃんもありがとねっ」



「上手くいってるみたいで安心したわ。この調子で頑張ってね」



「フフーン! アタシは絶好調! 今ならフルマラソンも走れそうっ。ちょっと試してくるね!」



「おっけー、じゃあ残りのCD全部背負って売ってきてね」



 言ってみたものの、そこそこ売ってきそうな気がする。



 宮本さんは軽口にもどこ吹く風で、あははっと笑って手を差し出してくる。適当なようでしっかり時間を把握しているあたり、本当に侮れない。



「やっぱり握手したくなっちゃったー、はい握手」



 細くしなやかな手は柔らかくて温かかった。握手の最中、目を見てにこっと微笑まれた俺は危うく惚れかけた。やりおる。



 隣から飛んでくるジト目がびしびし刺さって痛い。そろそろ次に譲ろう。



「最後までいるから、またあとで」



 離れ間際、小さく手を振ってくれた宮本さんは誰がどう見てもアイドルだった。

「先輩、今日はありがとうございました」



 宮本さんの着替えを廊下で待つ間、後輩のプロデューサーは律儀にお辞儀をしてくれる。しっかり四十五度の几帳面すぎるお辞儀だった。



 頼んだのはこちらなのだ。こうも感謝されると居心地が悪い。



 俺より二年遅れで入社してきた後輩は五歳年下である。歳の差と書類全般の書き方を指導したこともあってか、萎縮するほどに尊敬されていた。



「いや、こちこそありがとう。プロデューサーとしては俺が後輩だよ、敬語使おうかな」



「や、やめてください。わたしにとって先輩は先輩なのです」



「そう? ならこのままでいいや。それにしても大盛況だったな。報告書でしか見てきてないけど、ここまで人が入ったってのは聞いたことがないよ」



 平均は大体速水さんと同じぐらいだろうか。少ないと十人を下回る場合もある。



 認知されていないのだ。一時間のイベントで三十人も来れば上出来である。



 だからこそ、宮本さんの握手会は異例だった。なんと一時間に六十人以上と握手したのだ。単純計算で一分に一人前後訪れていた計算になる。



「私のときは十人前後だったの。凛や加蓮たちも似たり寄ったりだったみたいだし……ほんとフレちゃんの握手会は快挙だわ」



「はい、わたしもすごいと思います……」



「どうした? 随分と浮かない顔してるけど。もっと誇っていいと思うよ」

「いえ、あの、実は……わたしは特に指示してなくて……」



 後輩はほとんど呟くように言った。照れているのだろうか。



 気まずそうに目を伏せる後輩。



「じゃあ、あの開始直後にマイクで客寄せしたのは」



「フレデリカのアドリブです」



「笑顔を振りまいてたのは」



「フレデリカはいつもああです」



「そうね。言われてみれば、フレちゃんが緊張してるところは見たことないかも」



「まじか」



 てっきり謙遜しているのかと思ってみたけれど、どうやらそうでもなさそうだ。



 たしかにああも奔放にされて、なおかつ結果まで出されたらプロデューサーの立つ瀬がない。



 後輩ははぁと大きくため息をついた。



「わたし、フレデリカに結構厳しく接してたんです。もっと礼儀正しくしろとか、時間を守れとか。勝手にいなくなるなって」



「まあ、普通のことだと思うよ」



「そうなんですけど、フレデリカには必要なかったのかもしれません。わたし、間違えていたんでしょうか。もうわかりません」



 はてさて、相談しに来たのはこちらなのに、どうにも風向きが変わってしまった。今にも泣だしそうな後輩を前に、俺と速水さんは困惑する。



 しかし、その悩みは俺にも共感できるもので、とても放ってはおけなかった。



 それに、きっと後輩は考えすぎているのだ。



「うーん、とりあえずさ、答えはすぐにわかると思うよ」



 控え室の扉に人の気配を感じる。



 会話に切れ間が生まれた。すると狙い澄ましたかのように、



「お待たせー!」



 そんな声と同時に扉は開かれた。



 控え室に入ってすぐに、



「おつデリカ! ってみんな暗いよ! 目悪くなっちゃうよー?」



 宮本さんは困惑してるのか、よくわからないことを口走っていた。ふと思い返してみれば今に限った話ではなかった。



 俺は努めて明るめに言う。



「おつデリカ。ああ、今灯りが来たから大丈夫」



「おおー! アタシがいれば夜道も安心だねっ」



「虫が集まって来そうだから一緒にはいたくないかな」



「悪い虫を払うのもプロデューサーの役目だよねー?」



「まあね。もっともそれは俺じゃなくてこいつの役目だけど」



 視線で促すと後輩はえぇと曖昧に頷いた。真面目な彼女はこの軽いノリに戸惑っているようだ。



 速水さんは呆れた様子でため息をついた。



「もうっ、ふたりとも適当に会話しすぎ。フレちゃんのプロデューサーさんが困ってるでしょ」



「そうだよっ! カナデちゃんのプロデューサーさんが適当すぎるからー!」



「俺は真面目だよ。なっ、後輩?」



 上の空だった後輩に話を振る。彼女は話を聞いていなかったのか、きょとんとしていた。



「えっ、はい、先輩はいつでも格好いいです」



「ごめん、そうじゃないんだ」



「はっ! わたしはなにを!?」



「……一度、馬に蹴られたほうがいいと思うよ」



 じとっとした視線を向けてくる速水さん。言葉は刺々しく、声音は冷たかった。



 後輩は頬を赤らめてううぅと唸ったまま。宮本さんの控え室に相応しい、なんだかよくわからない空間だった。



 そんなふたりを一瞥した宮本さんは「ちらっ」と口にして俺に視線を向けてきた。どうやらアイコンタクトのつもりらしい。



 アイコンタクトが成立するほどの関係ではないので、これくらい露骨でちょうどいいのかもしれない。

 ははっと乾いた笑いを飛ばして、俺は宮本さんに向き直る。



「とりあえず、今日はお疲れ様。宮本さんは知らないだろうけど、今回の握手会はプロダクションのなかでも比類を見ない快挙なんだ。ほんと、いい対応だったよ」



「えへへー、よかったぁ。プロデューサーもいてくれたから安心してできたんだよねー!」



 なんでもなさそうに言う宮本さん。後輩は躊躇うみたいに口を開いた。



「わ、わたしはなにも……」



「えーっ! プロデューサー、適当なアタシにずっと向き合ってくれたじゃーん! それに始まる前も責任とるから好きにしていいって言ってくれたじゃん! 気にせずできたし、ちゃんと感謝してるんだよ?」



「でも、わたしはずっとフレデリカに厳しくして……」



「まあまあ後輩さん、物は考えようだよ。今だって奔放な宮本さんだけど、後輩が方向性を正してやらなかったら、もっと無軌道だったんじゃないのかな」



「そうね。私たちはなにも知らないから、教えてもらえないと不安になるわ」



 速水さんは感慨深げに頷いた。たぶん、誰にでも経験のあることなのだ。



「そうそう。たぶん今回上手くいったのは宮本さん自身の力も大きいけど、お前の力も大きいと思うぜ? 奔放さや適当さは彼女の魅力ではあるけれど、度を越せば欠点にしかならないんだ。メリハリもあるし上手く線引きできてるよ」



 もちろん、宮本さんをわがままや自己中心的と言うつもりはない。むしろわきまえて空気を読んでいると思う。



 それでも、無知によって起こるミスはある。そういうものを未然に防げていると考えれば、後輩のプロデュースは宮本さんのためになっているはずだ。

 宮本さんは後輩の手を握って微笑んだ。



「うんうん! こんなアタシに諦めず付き合ってくれただけでも嬉しいし、知らなかったことたくさん知れて楽しいよ! これからもプロデューサーとアイドルしたいなぁ、ダメ?」



「フレデリカ……ううん、駄目じゃない。これからもよろしくね」



「一緒に楽しくて甘いトップアイドルをめざそー! 必殺! コンベルサシオン!」



「フレちゃんはなにを倒すつもりなのよ……」



 笑い声は重なる。宮本さんに相応しい、楽しい空間だった。



 ひとしきり笑ったあと、速水さんは少しだけ真面目な表情になった。



「ねえフレちゃん、ひとついい?」



「いいよー、どうしたの?」



「フレちゃんにとってアイドルってなに?」



 うーん。宮本さんは考える仕草を見せる。一瞬で諦めた様子だった。



「わかんないっ! 楽しければいいんじゃないかな」

「え?」



「だって楽しくなかったら続かないし、誰も楽しませられないもん。それにアタシは今新しいことするのが楽しいんだぁ」



「まあ、まだ難しい質問なのかもしれません。ただ、ある意味フレデリカらしい答えだとも思います。ファンを楽しませるのもアイドルの仕事ですから。



 もちろん、答えをひとつに絞る必要はありません。複数の要素があってしかるべきでしょう。それに、あとから増えていってもいいんじゃないですか?」



 後輩は漠然とした答に解釈を与える。たしかに、現在と未来で同じ理由やイメージを持ち続けるのは難しいのかもしれない。



 速水さんはやっぱり難しそうな顔をしていた。

 そろそろ帰る頃合いだろう。



 そんな雰囲気になって身支度をしていると宮本さんは、



「あっ、プロデューサーとカナデちゃんは先出ててー! アタシは悪を倒さないといけないんだった!」



 なんて言い放った。



 俺は悪なのか。苦笑いを浮かべる。



 速水さんと後輩は怪訝そうに首をかしげた。



「どうしたのフレちゃん? プロデューサーさんになにかされた?」



「そういう勘繰りをされるのは俺と速水さんの専売特許じゃないかな」



「……すぐ茶化すんだから」



「まあまあ、ふたりは駐車場で待っててよ。あとから向かうからさ」



「はあ……わかりました。フレデリカ、先輩に失礼のないようにね」



 後輩は不思議そうにしていたけど、さして気にしていないようだった。宮本さんははーいと明るく返事をする。



「では速水さん、行きましょうか」



「大丈夫だよ、カナデちゃん。とったりしないから!」



「もうっ! フレちゃんまで!」



 頬を赤らめる速水さん。宮本さんは速水さんの扱いをわかっているようだ。



 ふたりが出てから少し待つ。宮本さんは廊下を確認してから、こちらを向いて気恥ずかしそうに笑った。

「気づいてくれてありがとね」



「うん、扉の後ろにいるのわかったからさ」



 後輩が悩みを吐露したとき、扉の先に気配を感じたのだ。きっと俺が一番近かったからだろう。



「あっでも、大丈夫。たぶん後輩は気づいてないから」



「あはは! そっかー! よかったー! じゃあじゃあご褒美欲しいでしょ?」



「いや、いらないよ。それは後輩にやってくれ」



「おお! 先輩らしくてかっくいー! じゃあサービスねっ、ちらっ」



 スカートの裾を少し持ち上げてポーズを決める宮本さん。意味不明だった。



「どうせなら見せてくれたほうがよかっかなぁ」



「えー、えっちなのはいけないんだよー」



「そう、いけないから見せちゃ駄目だ。……それで話ってこれだけ? もうないなら帰ろうぜ」



 宮本さんのペースに合わせていたら終わりそうもない。俺は少しだけ真面目な表情を作った。



「んー、ひとつだけ。カナデちゃんのことよろしくね」



「どういう意味?」



「カナデちゃんにはダンスとか色々教えてもらったんだよねー。でも、そのときずっと悩んでるみたいだったから心配なんだよ。カナデちゃんいつもしょんぼりしてるよね、元気になって欲しいなー?」



 きっと、宮本さんには見えている。速水さんの隠した苦痛や苦悩が見えているのだろう。



 それに俺のことも。



 本当に侮れない。



「ああ、頑張るよ。プロデューサーだからね」



 そう答えてみても、確信を持てない自分に辟易した。



 帰りの車中、もやもやとした感情が腹のなかに渦巻いていた。



 宮本さんの言葉と俺の返答。おかしいことはない。なんてことのない会話だ。



 でも。心配する友達と導く大人。こうすると違和感。



 後輩には偉そうに言ったけれど、俺はなにもわかっていないのだ。



 後部座席に座る速水さんをミラー越しに一瞥する。複雑そうな表情も魅力的に見えた。



「フレちゃんとなにを話していたの?」



「んー、ちょっとね。隠す必要はないのかもしれない。でも、ふたりでした話が外に漏れるのはちょっと嫌だよね。悪いけどそれで納得してくれないかな」



「……ごめんなさい。無神経だったわね」



「いや、謝らなくていいよ。速水さんは気にせずなんでも訊いてくれていい。答えるかどうかは俺の判断なんだからさ」



「ふふ、プロデューサーさんって律儀だよね」



 速水さんはからかうように笑った。



 俺はなんとなく気まずく思う。表に出さないよう努めなくては。



「さて、どうかなぁ。否定する気はないけど、それだけじゃないのかもしれない」



「そう。気に障ったなら謝るよ?」



「ん? なにが?」



「いえ、てっきり、理解したつもりになられて不快に感じたのかと思ったのよ。でも違うみたいね」

 ミラー越しに速水さんと目が合う。どうやらこちらの表情を窺っていたらしい。



 俺は歯を見せてにっとはにかんだ。



「よくさ、お前になにがわかるんだって台詞あるじゃん」



「えっ? ……ええ、あるわね」



「あれって共感できないんだよね。よっぽど的外れな指摘じゃない限り、相手の言葉はある一面を捉えていると思うんだ」



「一部だとしても理解されているってことかしら」



「うーん、まあそうとも言えるかな。もっと簡単に言うと、物事には複数の側面があるってことなんだけど」



 ああそういうことね。速水さんは納得したようにうなずいた。



「喩えば、俺は自分を律儀なんて思っていない。



 でも、速水さんには律儀だと見えている。



 これは矛盾しないんだ。主観と客観の違いはあっても、きっとどちらも正しい。あるいはどちらも誤っている。そもそも自分を完全に理解できていたら苦労しないよね。だから、べつに不快になんて思わないよ」



 本当の自分なんて存在しない。正の面と負の面、そのすべてが自分なのだ。どちらか一方なんてありえない。



 そして、側面は解釈によって変わる。



 あるいは、自分の気づかない側面だってあるのかもしれない。



「……そうかもね。自分にその気がなくとも他人にそう見えてれば、それはひとつの事実。否定はできないわね」

「うん。後輩のプロデュースにしたって、彼女の言うとおり、宮本さんの魅力を減衰させた一面はどうしたってあると思う。でも、それは魅力をわかりやすくした面だってある」



「ええ、正直驚いたわ。フレちゃんは明るくていい娘だけど、あそこまで上手く盛り上げるとは思ってなかった。しっかり加減していてたし、きっとそういう線引きをプロデューサーは教えてあげたのでしょうね」



「まあ、後輩がどこまで意図していたのかはわからないけどね。なにが活きてくるのか。このあたりを読めたら苦労はしないな。やっぱり、柔軟にいかないと。そう考えさせられたよ」



「柔軟に、ね。……なら、キスしてみない? 新しい私の魅力が開花するかもしれないよ」



「そっか。ならその先をしたらもっと魅力が開花しそうだね」



「……ばか」



 そんな軽口も息苦しく思う。



 今は上手くいっていても後々失敗だと気づくこともあるのかもしれない。そう思うと慎重にならざるを得ない。



 でも、制限時間は刻々と迫っている。



 なにが正しくて、なにが誤りか。



 俺は本当に速水さんのためになっているのか。



 自問しても答は返ってこなかった。



 終業時刻を迎える。



 作成していたテキストファイルを保存してから、シャットダウン。思考がまとまらず、作業は捗らなかった。



 帰ろう。こういうときはなにをしても無駄だ。一度手を離して、落ち着かないといつまでも抜け出せやしない。



 荷物を纏めて立ち上がる。と、背後からがしっと両肩を掴まれた。



「やあやあ、奇遇だなぁ。お前も今終わりか? そうかそうか終わりだな。よし、暇だな。呑み行くぞ」



 ゴリラだった。身を捩れもしない怪力である。



「お疲れ様です、先輩。実はこれから残業しようと思ってたところなんです。つまり、暇ではありません」



「おうおう、そうか。ご苦労なこった。よし、先輩なりの優しさを見せてやろう。残業はなしだ。よかったな、今日は呑みに行けるよ!」



「うぜぇ……」



「あ?」



「いえ、なにも言ってませんけど。呆けるには早いですよ?」

「……よくわかった。お前、私に喧嘩売ってるんだな」



 ひとりぐらい殺してきたと言われても信じられる、剣呑な迫力だった。



 俺は両手を挙げて無抵抗をアピール。いかんせんゴリラに通じるかは不明だが。



「まあいい。私は寛大だ、聞き流してやる」



「ありがたき幸せ」



「ただし、ちひろさんにはよく言っとくぜ。お前はちひろさんとは呑めないらしいってな」



「は? 千川さんいるんですか」



「さあ、どうかな……」



 肩から手を離されたので振り向く。先輩は遠い目をしていた。



「先に言ってくださいよ。今からですか?」



「えっ、なに、来てくれんの?」



「ええ、行きますよ。断れるわけないじゃないですか」



 千川さんと話をするいい機会だ。いざとなれば盾もいる。それに、先輩とも話をしたいところだった。



「ありがとう……本当にありがとう」



 先輩はやけに実感のこもる声音で俺の両手を握り、勢いよくぶんぶんと振った。千川さん、どれだけ荒れているのだろう。

「あー! 裏切り者ー! 薄情者ー!」



 ロビーへ降りると開口一番、俺は千川さんに非難された。裏切り者とは随分と人聞きが悪い。



「全然顔も見せないで……私はもう用済みですか。遊んでぽいですか」



「やめてくださいよ。めちゃくちゃ見られてるじゃないですか」



「あーあ、捨てられたのかなぁ」



 千川さんは嬉しそうに見えた。久々の再会を喜んでもらえると、こちらまで嬉しくなる。



 まあ、この女性はこういうときこそ恐ろしくもある。



 あるとき千川さんは部長の提出した書類を、軽く目を通したと思ったら目の前でシュレッダーにかけた。笑顔だった。



 涙目の部長の姿は今でも忘れない。



 もっともあとから確認した限り、部長の提出した申請書は、不備が多すぎてとても話にならなかったのだが。



 それにしても、な話である。



「お久しぶりです千川さん。諸々の報告やらなにやら遅れてすいません」



「そんなものはどうでもいいです。それより、慣れなくて大変でしょ、大丈夫? この人にいじめられてませんか?」



 千川さんは、俺の斜め後ろでそれとなく気配を消していた先輩を指差した。振り返ると、先輩の顔は青ざめていた。



「まあいじめられてはいませんね。そちらこそ大丈夫ですか?」



「ええ、でも細かい話はお店に入ってからにしましょうか」



 異論はないので、俺たちは会社をあとにした。

 千川さんに連れられて、近場の中華屋に入る。



 ここはメニューが豊富かつ安価で量が多い。サラリーマンの味方だ。



 とりあえずビールといくつかの料理を注文。すぐに運ばれてきたグラスをそれぞれ持ち、かちゃんと打ち鳴らした。



 先輩は一息にグラス半分を呷る。



「今日もビールが旨い」



「相変わらず先輩は豪快な飲みっぷりですね」



「この人はゴリラみたいなものですから。こうなったら駄目ですよ?」



「はは、なろうと思ってなれるものでもありませんから」



 むうと不満げな先輩。ただ、千川さんの手前、大っぴらに文句を言えないようだった。



「それで、プロデュースは大丈夫なんですか? あなた、素質はあると思いますが、正直向いてるとは思えないんですよね」



「そうですか? 私は向いてると思いますけどね。こいつは人を見る目もあるし気も回る。それに話を聞く限り速水とも上手くやってるみたいですよ」



 俺が答えるより早く先輩が反論する。思ったよりも評価がよくて気恥ずかしい。



 千川さんは首を横に振った。



「それは素質とか才能の話でしょ? 素質や才能の有無と、向き不向きの問題は別ですよ」



「そうだとしても、向いてると思うんですけどねぇ。お前自身はどう思う?」



 ふたりの視線が集まる。見定めるような視線は居心地が悪かった。



「そもそも論ですけど、俺は才能も素質もないと思ってます。向いてるかどうかはわかりません。……でも、仕事なんです。才能がなかろうが向いていなかろうが、関係ありません。給料を貰う以上、俺なりに働くだけです。最終判断は結果に対して会社が下すものでしょうし」



 どうでもいいことだ。眼前には山積した問題が横たわっていて、俺はそれに取り組むしかないのだから。



 ころころと千川さんは笑う。普段からこうしていれば可愛いらしいのに。



「ほら、向いてない。でも、私は好きですよ、そういう感情なんて知るかって感じ。公私を完全に切り離しているのは信用と好感を持てます」



「うーん……まあ、いいんだけど。なんかなぁ」



 納得いかないみたいに首をひねる先輩。やっぱりこうなる、後悔が込み上げてくる。



「私としては、みんなは必要以上に理由を求め過ぎていると思います。本来仕事はお金を稼ぐ手段であり、お金は生活と余暇を豊かにする道具でしかありません」



「ちひろさんの言うことはわかります。でも、アイドルがそういう姿勢だけで挑めば、まず間違いなくファンに見抜かれますよ? 売れませんよねたぶん」



「ええ、アイドルは特別なんですよ。そもそもからして求められているものが違う。だから、厄介なんです。ある種の感情論が成立してるんですよ。善し悪しよりも好き嫌いで語られて価値が付与される」

 もちろん、お金を稼いでいるという意識がないのは問題だ。バランスが重要なのだろう。



「つまりアイドルたちの感情も重要になるわけです。共感や感化されて応援したくなるのは誰しもが覚える感覚ですよね。しかし、彼女たちも人間です。ときには辛くもなるし苦しくもなる。そんなときにはプロデューサーのケアが必要になってくる」



「まあ、そうでしょうね。私だって凛たちを慰めたのは一度や二度じゃありませんし」



「プロデュースは彼女たちをアイドルにする過程も含まれますからね。心身ともに、アイドルにしなくてはいけない。そのあたりよく考えたほうがいいと思いますよ。もちろんプロデュースは仕事です。でも、彼女たちはそれだけだとは思っていないかもしれませんから」



「なにが必要かは彼女たちが決めるということですか?」



 俺は首をかしげる。それならセルフプロデュースをすればいいのでは?



「彼女たちの求めるプロデュースをする必要があるということです。あなたが思っている以上に求められるかも」



「よくわかりませんね。もちろん彼女たちの求めるものには応えていくつもりですが」



 千川さんは微笑む。すべてを看破するようなうすら寒い笑顔だった。



「だからあなたは向いてないんですよ。臆病だから、人と向き合えない。私は好きですけどね、みんながそうだとは限りませんよ?」

 その言葉は消化できず、頭の中をくるくると回り続けた。



 沈黙が生まれた。すると話の切れ間を狙ったかのように、ウエイターは料理を運んできた。



 テーブルいっぱいに料理が並ぶ。食べきれるか不安な量だ。



 空気を変えるように、先輩は明るく笑った。



「まあまあ、とにかくやるだけやってみろよ。どうせあと二ヶ月、定例ライブが終わるまではどうしようもないんだからさ」



「そうですね。決定しても続けるかどうかは、そのときに決めればいいと思います。もちろん、こっちの席は残しておきますよ!」



 悪意満々な笑みを浮かべる千川さん。どうせ戻ってくるだろうとでも言わんばかりだ。



「もしかして俺の異動、根に持ってます?」



「えーなにがですが? このクソ忙しい時期に異動したことですか? あなたがいなくなって仕事量が激増したことですか?」



 先輩は黙って目を逸らした。俺は笑うしかなかった。



「いえ、もうほんとすいません」



「いいですけどねー。でも、冗談は抜きにしてもプロデュースはちゃんとしてくださいよ。あなたは奏ちゃんの人生を背負ったようなものなんですから」



「ええ、自覚してます」



 自覚しているからこそ焦る。もう形振り構ってる場合ではなかった。

「で、こんな話をしたあとになんですけど、先輩」



「ん、なに」



 炒飯を頬張りながら応える先輩。



「なにすればいいんですかね。あと一押しなんです」



「あーそうだな。仕事とってくれればきっかけにもなるんだろうけど」



「なかなか厳しいんですよね。やっぱり実績ないし、雑誌とかになると少し先の話になっちゃうし」



 一応、営業に出てみたりもした。しかし、結果は芳しくない。もらえた返事も早くて三ヶ月先の予定だった。



 定例ライブには間に合いそうにない。



「だよなぁ」



「あっ、先輩、ネットラジオのレギュラーありましたよね?」



「ああ、それならいいよ。すぐには無理だけど、決まったら声かけるわ」



「ありがとうございます」



 なにをすればいいのかわからない。不安はつきまとうし、千川さんの言葉は頭をもたげる。



 それでも、できることを一つずつやるしかなかった。俺には他に方法がないのだから。



 数日が経っても思考は冴えないままで。



 現実みの薄れた日々に目を回しそうだった。地に足がついていない感覚。



 空回っているのかもしれない。気が滅入っているのかも。



 でも、立ち止まることは許されない。俺ひとりの問題ではないのだ。



 ロビーに下りるためエレベーターに乗り込む。扉を閉めようとすると、先輩が駆け込んできた。



「何階ですか」



「二階。サンキュー」



 なんとなく気まずい。先輩は沈黙をきらうように言葉を続けた。



「そういや最近、喫煙室で見かけないな。禁煙か?」



「いえ、会社では控えてるんです。煙草、嫌がるかもしれませんし」



「あー、私も送り迎えのときは控えるけどさ。あんまり無理するなよ」



「べつに無理してるつもりは。終わったら吸えますしね」



「や、煙草のことだけじゃなくてな。お前は意外と女々しいんだ、我慢なんてせずに吐きだしたほうがいい。たぶん、千川さんの言ってたのはそういうことだと思うぜ?」



 エレベーターは決まった通りに止まる。扉が開いた。先輩はエレベーターを降りて振り返る。



「案外、単純なものなんだよ。お前が考えるよりはな」



 そう言って去っていく先輩。扉が閉まるとひとりになった。



「できたら苦労しねーよ」



 呟く。取り残された気分になって落ち着かなかった。

 ロビーで速水さん、新田さんと合流した。今日は新田さんの送迎をする代わりに、音楽番組の観覧をできる手筈となっている。



 新田さんは和やかに微笑んだ。



「今日はありがとうございます。助かりました」



「こちらこそありがとう。約束だからね、今日は学ばせてもらうよ」



「私も美波のライブ、楽しみにしているわ」



「うん、奏さんの期待に応えられるよう頑張るねっ!」



 挨拶を済ませて駐車場に移動した。ふたりを後部座席に乗せて出発。エンジンの調子はよさそうだった。



「そういや新田さんのほうが年上だよね。どうして速水さんをさん付けしてるの?」



「年上だと思った印象が抜けなくって……」



「ちょっと。私はまだ高校生よ」



「ごめんね。ふふ」



 悪戯っぽく笑う新田さんも、負けず劣らず大人っぽい。そして色っぽい。



 後部座席には夢を乗せているのかもしれない。男の夢。



「速水さんにも意外と子供っぽいところあるんだよ」



「そうなんですか?」



「高校生だもの、子供で当然でしょ?」



 不貞腐れたみたいに言う速水さん。最近、子供扱いをすると機嫌が悪くなる。なかなかどうして扱いづらい年齢だ。



「まあまあ奏さん、プロデューサーさんだって悪く言ってるんじゃないんだから」



「知ってるわ。この人いつもこうだから」



「あはは、もう慣れっこなんだね」



「諦めてるって言うほうが正しいのかもしれないわね」



「飽きられてなくてなによりだ」



「呆れてはいるけどね」



 速水さんはわざとらしく大きくため息をついた。新田さんはおかしそうに笑い声をあげていた。

「そういえば、プロデューサーさんは奏さんのこと苗字にさん付けですよね」



「うん、そうだね。それがどうかした?」



「いえ、珍しいなぁって。ほら、うちのプロダクションはプロデューサーとアイドルの距離近いですから」



「ああ、速水さん担当してからまだ一ヶ月やそこらだからね、さすがに馴れ馴れしく思うんだ」



「私は構わないよ? 今さら馴れ馴れしいなんて言うつもりはないわ」



 ミラーに視線をやると、蠱惑的に微笑む速水さんと目が合った。微笑み返して視線を戻す。



「いやぁ……。それに、それこそ今さら変えなくてもいいかな。わざわざ変える理由も見つからないし」



 そう答えると、新田さんはいいと思うのになぁと呟いていた。俺は愛想笑いを浮かべて、運転に集中した。

 音楽番組はライブパートとトークパートで別撮りだ。今日はライブパートの収録で、新田さんの出番まで多少待ち時間が発生していた。



「緊張するなぁ」



 衣装に着替えた新田さんは、そわそわと落ち着かない様子だった。俺としては露出の多いその衣装のせいで落ち着かない。



 速水さんは刺々しい視線を向けてきたけど、こればかりは男の性だ。非難されても困る。試されている気がした。



 なんでもないふうを装って俺は首をかしげる。



「新田さんでも緊張するんだね」



「私だって緊張ぐらいしますよ。こればかりは慣れませんね」



「そうなんだ、てっきりもう余裕なものだと思ってた」



「そうね、美波がここまで緊張するのは少し意外かも」



「うーん、たしかにデビューした頃に比べたら大分落ち着いてるけど……」



 新田さんは感慨深そうにしていた。デビュー当時を思い出しているのかもしれない。



「でも、言われてみれば少しは余裕があるのかもね。前は失敗しないことばかりを考えていたけど、今はどうやったら見てくれる人が楽しんでくれるかを考えてる。たぶん、慣れないのは新しいことに挑戦してるからかな」



「新しいこと?」



「そう、新しいこと。やっぱりいくらいいライブでも同じものだと飽きちゃうと思うの。だから、同じ曲でもアレンジしたり振り付けを変えたりして違う見せ方をしてるんだよ」

 スタッフがやってきた。そろそろ出番が近いらしい。



 俺たちは控え室をあとにしてスタジオに向かう。



「ふふ、ふたりのおかげでリラックスできたみたい。奏さん見ていてね、私頑張るから」



「ええ、一秒たりとも見逃さないわ」



 ステージ上のアーティストが撤収する。すぐに新田さんの名前が呼ばれた。



「じゃあ新田さん、応援してるから」



「はい! 美波、行きます!」



 新田さんを見送ってから、邪魔なにならないよう俺と速水さんはスタジオの端へ移動する。



 ステージ中央に立つ新田さんは雰囲気が違って見えた。



「ねえ、ひとつお願いがあるんだけど」



 ライブが始まる直前、速水さんは唐突にそう切り出した。難しい内容ではなかったので俺はわかったと返事して、千川さんにメールを送った。



 そして、ライブが始まる。



 曲がかかると、空気が引き締まった。



 息を呑む。集中している様子の新田さんは目を閉じ、微動だにしまないまま。



 イントロの終わりが近づく。ゆっくりと目を開いた新田さんは、緩慢な動作で手に持ったマイクを口元へ近づけた。



 その瞬間、弾けた。新田さんの声がスピーカーを通して空気を揺らすたび、高めた期待がひとつひとつ弾けていく。



 ダンスは緩急をつけて誘い込むように、見る人の視線を離さない。洗練された動きに無駄はなく、そして美しい。



 サビに向けて高まるボルテージ。サビ直前に訪れる刹那の無音。



 ぐっと溜めたエネルギーは一息のうちに解放される。調和の取れたメロディは、だけど暴力的なまでに主張する。それはステージだけでなく、スタジオ全体を呑み込む。



 音の奔流に舞う新田さんは、まるで女神のようだった。



 曲が終わるとそれまでの勢いは一瞬で消え、余韻さえ残さない。皆身動きをとっていいのかわからない感じだった。



 新田さんが頭を下げて、やっと空気は弛緩する。湧き上がる握手と歓声。スタジオは新田さんに支配されていた。



 はあぁと大きく息を吐く。どうやら俺は途中から呼吸を忘れていたらしい。



 隣に視線を向けると、速水さんは瞬きさえせず一心不乱に新田さんを見据えていた。怖いくらい真っ直ぐな瞳だった。



 速水さんにとってなにかを得られたのかもしれない。

 新田さんの着替えを待ってから控え室に入る。



 ステージとは打って変わって、新田さんは柔和な笑みをたたえた。



「ふう、上手くいったかな! どうでした?」



「本当に魅せられた。鳥肌が立ったよ。なんか上手く言葉にできないけど」



「ええ、言葉を超越した気持ちが湧き上がったわ。感動と、ある種の恐怖さえ覚えたわね」



「そっか、よかった。ふたりのおかげかな」



「私たちはなにもしてないわよ?」



「ううん、やっぱり見てくれている人がいるってすごく力になるんだよ。もちろん、あの場にいたスタッフさんたちもそうだけど、私を見てくれるふたりがいたから心強かったの」



 照れてる様子の新田さん。ある種の謙遜に近い言葉は、彼女の意識の高さを表している気がした。



「俺からすると新田さんは、アイドルとしての確信みたいなものがあるように思える。新田さんにとってアイドルってなに?」



「初めは可能性のひとつでした。なにをしたいのかわからかったとき、プロデューサーに提示された可能性のひとつ。あくまで選択肢のひとつでしかありませんでした」



「今は?」



「今はもう違いますね。これが私の道だと思います。わかったんです。アイドルはひとつの可能性ではなく、たくさんの可能性を内包しているんだって。だから、新しいことに挑戦して、ファンを楽しませたり、夢を届けられればいいなって」

「美波はすごいね。私にはまだ具体的に掴めていなくて、今も迷ってる」



 速水さんは弱音を吐き出すみたいに、苦しそうに言った。力不足を痛感する。



「私は奏さんもすごいと思うよ。ダンスも歌ももう追いつかれそうだし、あと一歩踏み出すだけなんだよ。たぶん、奏さんの答はプロデューサーさんが持ってるんじゃないかな」



「やっぱりそうなのかしらね」



「…………」



「もちろん、他人から教えられてどうにかなる話じゃないと思う。こういうのって結果は同じでも自分で納得しないと受け入れられないし、きっと理解もできないからね。もし、奏さんが気づけたら、確かめてみるといいと思うよ」



「ええ、ありがとう。実を言うと少しはわかったの。ただ、漠然としていて、上手く言語化できていなくてね」



 一瞬、俺に視線を寄越す速水さん。アイドル探しの旅はここで終わりだろう。



 新田さんは嬉しそうに手を打ち鳴らした。



「じゃあ、あと少しだね! ここからはプロデューサーさんの仕事かな? 私が帰ったらふたりで話してみるといいかも。ふふ、楽しみだなぁ」



「そうするわ。美波があっと驚くアイドルになるから楽しみに待っていてね」



「うん! プロデューサーさんも頑張ってくださいね!」



「ああ、今日はありがとう。じゃあ帰ろうか」



 こうしてアイドル探しの旅は終わりを告げた。



 でも、旅の終着点は、まだまだスタート地点に過ぎない。だとしたら、速水奏をどこに連れて行けばいい? 答は出ないまま、俺は車を走らせた。

 新田さんを送り届けたあと、速水さんを乗せた社用車は会社に向けて走っていた。



 ライブ直前に速水さんが口にした言葉。



「これが終わったらレッスン室使わせてくれない?」



 きっと、このときにはもう朧げながらも答えは出ていたのだろう。



 速水さんに足りないもの。あるいは間違えてきたもの。



 言葉にするのは簡単だ。しかし、新田さんの言うとおり、こればかりは自分で気づかないと意味がない。



 感覚の問題であるし、意識の問題でもある。



 でも、本当は。



 それだけじゃないのかもしれない。



 俺は今でも怖い。口にすれば壊してしまいそうで、否定してしまいそうで。怖い。



 だとしても、必要なことだ。これは仕事なのだ。俺の感情なんて必要ない。



 そう奮い立たせる。やるしかない。俺は速水奏をアイドルにしなくてはならない。



 しばらく無言で運転を続けていると、速水さんは不意に口を開いた。



「少し、話をしても大丈夫?」



 当然、否定する理由もなく、俺はいいよと応えた。



「ありがとね」



「なんの話?」



「前もって話をしてくれていたんでしょ」



「……せっかくそばにアイドルがいるんだ。訊かない手はないよね」



 ただアイドルたちの仕事ぶりを見に行くだけではもったいない。城ヶ崎さん、宮本さん、新田さんには各プロデューサーを通して事前に質問をしていた。



 彼女たちは俺の想像以上に親身に答えてくれた。おかげで、速水さんはなにかを掴めたようだ。



「そうね。でも、きっと私には思いつかなかった。……いえ、思いついてもなにもできなかったのかもしれないわ」



「どうだろうね。もしかしたらなにかの拍子に、なんでもなく気づいたかもしれないよ」



「……ねえ、プロデューサーさんの口から教えてくれない? 私に必要なもの」



 俺は一度深呼吸をして、努めて明るく言う。



「先に言っておくけど、具体的な定義や観念の部分について、俺はなにも言えないよ。あくまで現状の速水さんに必要であり、不足しているものだとして聞いてほしい」



 ええ。速水さんは頷いたようだった。



「速水さんは誤解してたんだと思う。アイドルとしての魅力はダンスやボーカルの巧さだけじゃないんだ。もちろん、技術があるに越したことはない。でも、技術だけなら上にはいくらでもいる」



 なににしてもそうだ。上には上がいる。歌やダンス、演技にしても。技術だけを追求するならば、必ず上がいる。



「魅力は包括的な言葉なんだよ。歌もダンスも、そして容姿や性格も。すべてを内包している。だから速水さんの努力は無駄ではない。でも、足りない」

 些細な仕草も喜怒哀楽も、何気ない一言も。ひとつひとつが速水さんの魅力だ。しかし、彼女はそういうものを押し殺して、技術を追求してしまった。



「速水さんに足りないのは自分を表現することだ。ファンが求めるのはアイドル速水奏であって、速水さんの歌とダンスなんだ。アイドルはファンに応えてこそのアイドルなんだと、俺は思う」



 当然、人気のあるアイドルならば、好きなことをやってもファンはついてくるだろう。ファンは知っているのだ。そのアイドルは自分たちを楽しませてくれると。



 しかし、速水さんは違う。まだほとんど認知されていない。彼女はファンに伝えなくてはならない。私はあなたを楽しませると、仕事を通して伝える必要がある。



 速水さんは力の抜けたように笑った。憑き物が落ちたみたいだった。



「うん、私も気づいたよ。ずっと巧く歌って踊らないといけないと思ってた。完璧を目指していた。でも、違うんだね。それは私の求めることで、ファンが求めることじゃない」



「本当はさ、どこかで壁にぶつかって考えることなんだ。今はこれ以上の向上を望めない、だったらどうやって良いものを作り上げるか。たぶん、そうやって気づくんだと思う」



「あら、随分と買ってくれているのね 」



「才能あると思うよ。そして魅力的だとも思う。だからこそ不思議だった」



「ふふ……もったいなかったわね」



「これから活かせばいいよ。まずは、握手会に来てくれた十人のためにやってみよう」



 速水さんは俺が思うよりずっと大人で、同時に子供だったのかもしれない。

 レッスン室の隅にトレーナーさんと並ぶ。



 ウェアに着替えた速水さんはストレッチをしていた。



「急に呼ばれてびっくりしました。どうしたんですか?」



 トレーナーさんは不思議そうに首をかしげた。



「すいません。どうやら少し掴んだようで、確認したみたいです」



「ああ、なるほど。最近よくなってきていたし、そろそろかなとは思っていたんですけど。ようやくですね」



「ええ、アイドル速水奏の門出です」



 ストレッチを終えた速水さんは振り返り、妖艶に微笑んだ。驚くほど、魅力的な笑みだった。



「プロデューサーさん、見ていてね。魅了してあげる」



「もちろん。好きにやってくれ」



「ええ。トレーナーさん、曲お願いします」



「はい!」



 曲がかかる。すると、速水さんは一度深呼吸。彼女が息を吐き出した瞬間、しんと空気が澄んだ気がした。



 そこからは目を見張る展開だった。



 歌はうねりを持って俺を引き込む。脳を直接撫でられたかと錯覚する痺れをもたらした。



 ダンスは誘惑するように、そして私はここにいると主張するように、静かさのなかに荒々しさを持って進行していく。



 以前と比べればミスが目立つ。しかし、抑圧した感情を解き放った速水さんは、そんなミスさえパフォーマンスだと思わせる力強さがあった。

 曲が終わっても、誰も言葉を発せなかった。レッスン室には速水さんの息切れだけが聞こえる。



「どうだった?」



 ゆっくりと息を整えながら歩み寄ってきた速水さんは、からかうような声音で言った。



 俺はおかしくなって噴き出した。



「はは、まだまだだな。まだまだ足りない」



「ふふ、そうね。私もそう思うわ」



「でもよかった。もっと輝ける」



「ええ、そのときのご褒美はキスでいいよ」



「考えておくよ」



 和やかな雰囲気だった。それまでの苦しみから解放されたような表情の速水さんを眺めて、俺は少しだけ安堵する。



 と、そのとき、隣から奇怪な音が聞こえた。音の正体に視線を向ける前に、トレーナーさんは速水さんに抱きついた。



 号泣していた。



「よかった! よかったよぉ!! 奏ちゃんが……こんなに嬉しそうに笑えて……よかった」



 嗚咽混じりの言葉はとても優しかった。



 速水さんは穏やかな表情でトレーナーさんを抱きしめ返した。



「ありがとう。トレーナーさんにはたくさんお世話になったわね」



「ひとり、ファンが増えたな」



「うん、頑張り甲斐があるわ」



 トレーナーさんが泣き止むまでなだめた。



 やっと、速水さんはアイドルとして輝き始めたのだった。

 速水さんとレッスン室をあとにする。彼女は歩きながら掌を眺めていた。手応えを確認しているのだろう。



「今日はもう終わりだな。送ろうか?」



「ううん、大丈夫よ」



「そっか。じゃあ、俺はまだ仕事あるからそろそろ行くよ」



 エレベーターのボタンを押そうとすると、速水さんに袖を少しだけ掴まれた。視線を向けると彼女は俯いていて表情は窺えない。



「どうした?」



「プロデューサーさん、ありがとう。本当はあなたもわからなかったのに、私のために色々考えてくれてありがとう。悩んで苦しんでくれてありがとう」



「……感謝されることなんてないよ。これが俺の仕事だ。それに、俺は……」



 速水さんは頭を小さく横に振った。言葉の続きを察しとられたのかもしれない。



「プロデューサーさん言ったよね。なにが活きてくるかわからないって。物事に複数の側面があるって。プロデューサーさんがなにもしてないと思っても、そんなことはないの」



「…………」



「ずっと苦しかった。もがいてあがいて、それでも結果の出ない日々が辛かった。でも、プロデューサーさんと出会ってから些細な会話やたわいのない冗談は、気を軽くしてくれたの。私のために色々と動き回ってくれているのが嬉しかったの。だから、ありがとう。あなたのプロデュースは間違えてないよ」



 速水さんの声は上ずり、肩は揺れていた。胸のうちにある小さな棘が疼いた。



「感謝をするのは俺だよ。ありがとう」



 これ以上うまく言える気がしなくて、俺は黙った。それからしばらくして速水さんとは別れた。



 自分でもよくわからない感情が溢れる。ひとり、トイレで泣いた。嬉しさや安堵、罪悪感のない交ぜになった涙だった。



 涙と一緒に暗い気持ちも流れ出たのかもしれない。



 足取りは軽く、視界は明るい。俺は思っていたよりも単純な男だったようだ。



 だからこそ、不安にもなるけれど。



 副調整室から、防音ガラスで隔てたスタジオを眺める。速水さんの表情は明るい。



 視線に気づいたのか目が合う。にこっと微笑んでくれた。口の動きで頑張れと伝える。



 アイドル速水奏の一歩目は、ネットラジオの収録だった。



 先輩の企画した番組にゲスト出演することが決まったのは、数日前のことだ。急に台本を渡された。



 おかげで、速水さんと一緒になって必死に憶えるはめになった。もう少しどうにかならないものか。ありがたい話ではあるが。



 スタジオでは島村卯月、渋谷凛、城ヶ崎美嘉、速水奏が台本の確認、副調整室ではディレクターが機器の調整をしている。



 そろそろ始まる頃合いだろう。



「先輩は水を差したくなるときありません?」



「なんの話?」



「こう上手くいき続けてると不安になるというか……」



「どこかで大きな失敗が待っている気がして落ち着かないってか。くだらねー、先回りしてバランスでも取るつもりかよ」



「予定調和ってあるじゃないですか。盛者必衰とか生者必滅とか栄枯盛衰とか」



「泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、踏んだり蹴ったり。ほら見ろ、調和なんてねーよ。んなもんあったらもっといい世の中になってるだろ」



「あー、鴨が葱を背負って来るもありますね。棚から牡丹餅、寝耳へ小判とか」



「万事塞翁が馬。失敗は成功の母。要は結果論でしかないんだよ。どこで終わらせるかの問題だ、失敗したら成功するまで続ければいい。まっ、成功して辞めたからと言って、いい結末とは限らないけどな」



 楽しげに笑う先輩の言葉は正論だった。俺はどうするのだろう。



 定例ライブ後、プロデューサーは続けるのか。

 軽快なメロディーと共にラジオは始まる。



 速水さんは落ち着いた様子だった。どうやら緊張しているのは俺だけらしい。



「デレっす島村卯月です!」



「デレっす、渋谷凛だよ」



「デレっす! 城ヶ崎美嘉だよー!」



「今日はクールなアイドルがゲストに来てくれたよ」



「デレっす、速水奏よ。よろしくね」



「よろしく。久しぶりだね、調子はどう?」



「絶好調とまではいかなくとも、それなりにはいいわね」



「そうだねっ、この前より元気そうに見えるよ」



「美嘉ちゃんの現場を見学したんでしたっけ?」



「ええ、美嘉の仕事を学びに行ったの。真剣に取り組む姿勢は格好よかったわ」



「やめてよー、照れるじゃん」



「うん、美嘉ってこう見えて真面目だからね」



「すごく大人っぽかったわよ」



「それは奏でしょ!」



「たしかに、大人な女性って感じがします!」



「よく言われるわ。あっ、でも最近は子供扱いされるの。ひどいと思わない?」



「あー、奏のプロデューサーなかなかの曲者だもんねぇ……」



「なんか実感篭ってるけど、どうかしたの」



「いやぁ、ここじゃ言えないかなー、あははは」



 番組は無事進行していた。言葉に詰まったりしないか不安だったが、杞憂に終わりそうだ。



 先輩は感慨深そうにうなずいた。



「なんだ、思ったよりもずっと上手くいってるな。お前に任せてよかったよ」



「いえ、俺はほとんどなにもしてませんよ。先輩が準備してくれたおかげで、速水さんも色々考える時間ができたんです」



「そうだといいんだがなぁ。……速水には悪いことしたよ。いまいち理解してやれなかった。今こうして笑ってる姿を見ると安心する。お前はよくやってくれてるよ、ありがとう」



「……殊勝な先輩って気持ち悪いですね」



「うるせー」



 肩を小突かれた。照れ隠しだろう。



 俺たちは小さく笑った。みんなそれぞれ悩みを抱えている。そう思うと、少しだけ気持ちが和らいだ。

 収録が終了したのを見計らって、俺と先輩はスタジオに入っていく。防音扉は重かった。



「おう、お前らお疲れ。今日はいつになくトークが冴えててよかったぞ」



「奏が話広げるの上手かったからね、私たちも助かったよ」



 感心した様子の渋谷さん。この娘もなかなかに大人っぽい雰囲気をしている。



「そうですね。冗談も面白くて勉強になりました!」



 無邪気に笑う島村さん。この娘は純粋さと可愛いさを兼ね備えたアイドルらしい女の子。



 速水さんは悪戯っぽく微笑んだ。



「さあ、誰の影響かしらね」



「そんな影響を与える奴だ。きっとよっぽどな人格者なんだろう」



「減らない口ね。キスで塞いであげようか?」



「だってさ先輩」



「…………」



 無言で頬をつねられた。痛かった。



「もう! 際どい発言やめてよー! 控え室のときといい、みんな反応に困るでしょ!」



 頬を染めて焦る城ヶ崎さん。相変わらず反応が初々しい。



「イチャつきやがって……青少年健全育成条例知らねーのかよ」



「知ってますよ。なんですか、ここに来て清楚アピールですか? その歳ではちょっと無理かなぁって」



「あ? おし、表出ろ。教育してやる」



「ははっ、うける」

 と、視線が集まっていることに気がつく。アイドル四人は無言で不思議な視線を向けてきていた。



「どうかした?」



 首を傾げると、渋谷さんが代表するように口を開いた。



「いや、なんか……、随分と仲よさそうだなと思って」



 うなずく三人。速水さんはちょっと不機嫌そうだった。



 島村さんが言葉を引き継ぐ。



「おふたりって、もしかして付き合ってたりするんですか?」



 先輩と顔を見合わせる。笑いがこみ上げてきた。



「なんだ知らなかったのか。こいつは大学の後輩なんだよ」



「そもそも、俺がこのプロダクションに入社したのは先輩に誘われたからだしね」



 それぞれ、えー! とか、知らなかったとか漏らしていた。



 まあ予想なんてできないだろう。



「まあ、いいや。とりあえずお疲れ。速水もまた声かけるからそのときはよろしく頼む」



 先輩は好奇な視線を向けてくるアイドルたちを無視して、そう締めくくった。そろそろスタジオの退出時間だ。



 それぞれ挨拶して、スタジオをあとにする。



 順調な滑り出し。ただ、帰り際、考えごとをしている様子の速水さんだけが気がかりだった。



「いい報らせと悪い報らせ、どちらから聞きたいですか?」



 ある日、俺は千川さんに呼び出された。不気味なほど満面の笑みをたたえた彼女は、勿体つけるように話を切り出してくる。



 談話室が尋問室に思えた。



 聞きたくない。が、聞かないわけにもいかない。戦々恐々とした気持ちを抑え、平常心を装う。



「重要な話から先にお願いします」



「じゃあ、いい報らせですねー。奏ちゃんに仕事があります」



「仕事? なんでまた急に」



「まあ社内の仕事なんですけどね。ほらこの前のラジオあったじゃないですか。奏ちゃんのゲスト回、かなり好評なんですよ」



 たしかに、ネットでの評価は上々だった。予想以上の反響に先輩が驚いたほどだ。



 とは言え、あくまでホームページを覗きにくる熱心なファンの間での話だ。一般的な知名度は皆無に等しい。



 楽観的にはなれない。



「それは耳にしてます。よくやってくれましたよ。……それで、仕事の内容は?」



「来週から四週間。週一回、動画をホームページ上に公開することが決まりました。内容はレッスン室を訪ねて、定例ライブに向けてレッスンしているアイドルをインタビューするというものです」

「はあ、それで速水さんはいつ出演予定ですか?」



「全部です」



 当然と言わんばかりな千川さん。理解が追いつかない。



「はい?」



「奏ちゃんにはメインパーソナリティを務めてもらいます。もちろん、報酬は支払われるので安心してください。これ、企画書と台本です」



「はあ、まあ、願ったり叶ったりな話です」



 ぱらぱらと内容を確認する。動画は十分前後を予定。基本的には認知度の低いアイドルを紹介するコンセプトだそうだ。



 それぞれの動画でおよそ五人前後、全部で二十人ほどのアイドルを紹介する予定らしい。



「明後日、第二会議室で会議があるので奏ちゃんと参加してくださいね。これがいい報告です」



「承知しました。伝えておきます。それで、悪いほうは?」



「悪い報らせはこれ」



 千川さんがファイルから取り出したのは、俺の作成したステージ演出の企画書だった。



「駄目でした?」



「悪くはありません。ただ無難すぎると思います。できることは少ないですが、もっと攻めないと印象に残りませんよ」



「いやぁ、でもあんまりやり過ぎると逆に邪魔しませんかね」



「うーん……ピカソの絵画がありますよね。私にはよさを理解できないんですけど、あなたはわかりますか?」



 唐突な質問に俺は戸惑う。

「いえ、俺にもわかりませんけど……」



「でも価値はありますよね。たぶん、専門家から見ればすごいんでしょう」



「有名なものは敢えて崩して描いてるそうですからね。なにかしらの意味があるんですかね」



「さあ。では、喩え話をしましょう。名前を伏せて、ピカソの絵画を安い額に入れてなんでもないように飾ったとします。もうひとつ、美大生の描いた絵画を高級な額に入れてよさそうに飾ります。



 おそらく素人は美大生の絵画に群がりますよね。結局、そんなものなのですよ私たちは」



「喩え価値があっても、その価値を知らない人には見てもらえないと」



「ええ、人気アイドルはその価値を周知されているのです。安い額でも見てもらえます。しかし、奏ちゃんの価値はあなたしか知りません。その価値をわかりやすくする。これもプロデューサーの仕事ですよ?」



 納得のいく話だった。理解していたつもりなのに、いつの間にか俺は目を曇らせていたらしい。



「わかりました。もう少し考えてみます」



「もう時間はありませんが頑張ってください。ぎりぎりまで待ちますから」



 千川さんは朗らかに微笑んだ。アイドルが絡むと彼女は優しくなるのだ。その優しさを分けて欲しい。



 なににしても。



 俺は、もう少し線引きをする必要がありそうだった。

 駅の喫煙所で紫煙を燻らせる。



 頭が重い。ニコチンのせいか、進まないステージ演出の企画書のせいかわからなかった。



「まずいよね、これは」



 とにかく時間がない。元々提出したのが遅かったのだ。だから千川さんからの駄目だしも遅くれたのだろう。



 それに今日は動画の会議に、会議を受けて速水さんとの打ち合わせも行った。企画書を作成する時間がなかった。



 動画はライブDVDの特典にもなるらしく、思っていたよりも本格的な撮影になるそうだ。おかげで会議は長引いた。



 本当なら撮影に同行したいところだが、このままだと厳しいだろう。



 まずい、焦る。



 なにより、具体案を思いつけない現状に焦燥感がつきまとう。



 煙草を灰皿に押しつけ捨てる。



 きっかけが欲しかった。想像力を刺激するような、そんなきっかけ。



「見つけに行く時間もないよなぁ」



 ガラスで隔たれた喫煙所から出る。と、速水さんと鉢合わせる。



「あら……帰り道でも会うなんて、ちょっと運命感じちゃうかな。ふふっ」



 手には紙袋。買い物をしていたようだ。



「おー、帰ったんじゃなかったんだ」



「フレちゃんとお買い物にね。プロデューサーさんは今あがり?」



「うん、粘っても駄目そうだったからね」



「そうなんだ。ねぇ、時間あるかしら。よかったらお茶でもしていかない?」



「なに、デート?」



「ええ、たまには息抜きも必要でしょ」



 速水さんは悪戯っぽく微笑む。この笑みを前にして断れる男はいないだろう。



「……いいよ」



 プライベートなお誘いは初めてだ。だけど、デートと洒落込める気分ではなかった。



 小洒落たカフェに入る。



 落ち着いた雰囲気のいい店だ。話をするにはちょうどいいだろう。



 切り出したのは速水さんだった。



「プロデューサーさんって煙草吸ってたんだね。知らなかったわ」



「うん、会社では控えてたからね。嫌だった?」



「嫌ではないけど……ただ」



「ただ?」



「私、プロデューサーさんのこと、なにも知らないわね」



「そうかなぁ。べつに隠してるつもりもないんだけど」



 嘯く。隠しているつもりはない。ただ、明かしているつもりもなかった。



 速水さんは納得のいかない表情を浮かべた。意思の疎通ができ過ぎるのも考えものだ。



「どうかしら、プロデューサーさんは胡乱な男だから」



「随分と高評価だな。存外、俺はつまらない男だぜ?」



「それを判断するのは私でしょ?」



「そうだね。……まあ、機会の問題だよ。先輩のことだって隠してたわけじゃあない」



「ええ、理解しているわ。私だって訊かなかったもんね」



 うなずく速水さん。ここからが本題なのかもしれない。



「でも、定例ライブのことは、教えてくれてもよかったんじゃないの?」



「……どの話?」

「プロデューサーさんが結果を出さないといけない話」



 あーあ。今にもうなだれそうになる身体と心を、どうにか現状維持する。



 すこしでも期待した俺が馬鹿だった。



 やっぱりあるんですよ、先輩。予定調和的な展開って。



「……やー、余計な話を知ってしまったね」



「余計かどうかを決めるのは私よ。プロデューサーさん、考えすぎ。私は定例ライブに向けて調整していくだけなんだから」



 自信の垣間見える言葉。頼もしくもあり、嬉しくも思う。



「まあ、そうなんだけどさ。でも、やっぱり大人の事情に巻き込みたくなかった」



 あるいは俺の事情に。



 単純に話しをする機会がなかったというのもあるけれど。



「……いいわ。気を遣ってくれているのはわかるから」



 そっぽを向く速水さん。言葉と態度は裏腹だ。たぶん、態度のほうが本音だろう。



「悪かったよ。どうせならしっかり隠し通すべきだった」



「はぁ、わかっていてそう言うの」



「わからないから隠したいんだよ」



「臆病なのね。でも、……ぼーっとしていると、女はどこかに行ってしまうものよ」



 窘める言葉とは裏腹に、速水さんは楽しげに見えた。態度のほうが本音だと信じたい。



 吹っ切れてからの彼女は魅力が増している気がする。気を抜くと、高校生であることを失念しそうになった。

 恐るべき魔性である。



 努めて茶化すように笑う。



「俺は追うより追われたい派なんだ」



「それはモテる人の発言よね……それともモテるの?」



「さあ、どうかな。……まあ、今は眺めるのに精一杯だから、どちらにせよ関係ないけどね」



「ふふ、プロデューサーさんの視線を奪うのだから、その人はとっても魅力的なんでしょうね」



「ああ、目眩がするほど魅力的だよ」



 なにを伝えたいのか迷うほど、すべてが魅力的に見える。



 きっと俺には眩しすぎるのだ。だから、見誤るし、こちらの陰を照らし出してしまう。



「眺めているだけじゃもったいないんじゃない?」



「眺めるぐらいがちょうどいいんだよ。お互い、傷つけなくて済むだろう」



「……優しいなぁ。そのせいで傷つく人もいるのに」



 ほとんど呟くように言う速水さん。瞳に悲観や諦観はなく、静かな炎がゆらゆらと揺らいでいる気がした。



 俺は息を呑む。速水さんは意味深に微笑んだ。



「……ひとりごとよ」



「……俺は、期待には応えられないよ。月を隠す叢雲にはなりたくないんだ」

「隠されても、月はいつでもそこにあって同じ表情をしているの。裏側はいつまで経っても裏側のまま。



 ……でも、それって寂しいと思わない? 表はすぐに飽きられて見向きもされず、かと言って裏を見せられもしない。



 叢雲でも変化があればまた見てもらえるし、せめてひとりでも裏を知っていてくれれば、救われる気持ちになるかもしれないわ」



「価値観の相違だ」



「見解の相違よ」



 どうにも速水さんは諦めてくれない。言いたいことはわかる。しかし、彼女の望みは、俺にはすこし荷が重い。



 近づいたって、いいことばかりではないのに。



 速水さんは不思議そうに首をかしげた。



「私はプロデューサーさんを知りたいの。知って近づきたいのよ。同時に知ってもほしい。近づいてきてほしい。これってそんなにおかしいかしら」



「おかしくはないかな。俺の問題なだけであってね。まあ、好きにしていいよ。速水さんの気持ちは否定できないし、嬉しいとも思う。ただ、応えるかどうかはべつだけどね」



「ええ、そうするわ。プロデューサーさんを魅了してあげる。余計なことを考えられなくなるぐらいに、ね。ふふっ」



「ああ、楽しみにしてるよ」



 もう魅了されてるよ。口には出さない。



 強気に微笑む速水さんを眺めて、俺は考える。彼女をもっと輝かせるためにはなにが必要か。



 でも、すでに魅力に溢れていて、不足しているとは思えない。あるいは魅了されているからそう感じるだけなのか。



 俺は、なにかを間違えているのかもしれない。



 対照的な日々は過ぎていく。



 俺は行き詰まって、



 速水奏は好調極まって。



 だから、四本のうち一本目の動画が公開され、高評価を得ている現状に俺は焦燥感を覚えた。



 進まない企画書。白い画面を明滅するカーソルに気が滅入る。



 日に日に高まる気温は、定例ライブの近づきを実感させた。



 定例ライブまで一カ月。企画書の提出期限はあと一週間。



 なかなかどうして、妙案は浮かばないものだ。



 ホームページにアクセスして動画を眺める。画面のなかでは速水さんが蠱惑的な笑顔を振りまき、軽快なトークを展開していた。



 とても初めてとは思えない、堂々とした振る舞い。自分がどう見られているのかを意識しているように見える。



 アイドルとしての自覚か。自己主張し過ぎず、引き過ぎず。引き立てながらも存在感を示す。



 速水奏は絶妙なバランス感覚を持っている。



 年不相応なまでに。



 表と裏。きっと彼女は普段から線引きをして、距離感を見定めてきたのだろう。付かず離れず、踏み込まず踏み込ませず。



 他人との距離を測り続けてきたのだろう。



 速水さんのバランス感覚はもう駆け出しの域ではない。安心と安定感がある。



 ただし、新人特有の無鉄砲さがないのは欠点か。落ち着き過ぎていて、引きに弱い。

 動画を眺めて、千川さんの言う無難の意味が理解できた。俺の用意した演出では、安定感は増しても驚きや目新しさは感じないだろう。



「わからん」



 唸りながらデスクに突っ伏す。



「あの、先輩?」



 頭のなかでステージを構築していると、後輩に声をかけられた。身体を起こして振り向くと、後輩は驚いている様子だった。



「……大丈夫ですか? 随分と疲れた顔してますけど」



「速水さんは好調だよ。俺は絶不調だけど」



「珍しいですね。顔にまで出るのは初めて見ました」



 つまり普段は雰囲気で悟られていたのか。意外と態度に出やすいのかもしれない。気をつけなければ。



「いやはや参ったね。参ったんだよ」



「あの……そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないんですか?」



「難しく考えてるつもりはないけど」



「先輩はもっとこう、感情的になってみるといいかもしれません。やっぱり情緒に訴えるものですから」



 以前の飲み会で千川さんから聞いた言葉を思い出した。なるほど、考えてばかりでは駄目なのか。



「あっ、あの……偉そうなこと言ってすいません」



「いや、参考になった。ありがとう」



 だとすれば、問題は俺はなにを伝えたいか。



 案外、感情の問題が一番難しいのかもしれない。

 昼休みは外に出てみることにした。



 気分転換と気晴らしだ。カフェテラスあたりで昼食を済ませてから散歩でもしよう。



 ロビーに降りる。



「くらえ! ガレット・ブルトンヌ!!!」



 直後、意味不明の決め台詞。背後から伸びてきた手に頬をつねられる。台詞の勢いとは違って、加減はされていた。



「えっ、なに」



 パッと手が離れたので、振り向く。ほとんど密着といえる距離に宮本さんが立っていた。口元は笑顔だが、綺麗な翠眼は笑っていない。



 困惑する。



 と、宮本さんの斜め後ろから笑声が上がる。視線をやると、塩見周子と一ノ瀬志希が腹を抱えて爆笑していた。



 俺の経験上、混ぜるな危険の三人だった。



 宮本さんは一歩下がって、わざとらしく首をかしげた。



「アタシ、頼んだと思うんだー。カナデちゃんを幸せにしてねって。プロデューサーさんは、おう任せろ! って懐ろの指輪をチラつかせてくれたよね?」



「さあ、どうだったかな。ガラスの靴を用意しているつもりはあったけどね」



「あれー? じゃあアタシにプロポーズしてきたんだっけ?」



「いや、後輩にだったかもしれないぜ? まあ、とりあえずプロポーズから離れてみようか」



 周囲の目が痛い。さっきから受付のお姉さんに睨まれまくっている。千川さんのときも、座っていたのはあのお姉さんだった。

「プロポーズとプロデューサーって似てるよねっ! つまりはプロポーズ?」



「うん、似たようなものだからね。それで、用件は?」



「うーんとね……お腹すいたー! ねえねえ、ご飯食べに行こうよー?」



 ここでする話ではないのか。まあ、速水さん関連の話なら聞かないわけにもいかないし、おとなしく従っておこう。



 ただ……。



「はーい! おなかすいたーん」



「にゃはは、キミいい匂いするねー。ご飯よりキミ食べたほうが美味しそうかもー」



 いつの間にか隣りにいたふたり。塩見さんは挙手して空腹を主張し、一ノ瀬さんは俺の脇腹辺りを嗅いでいた。



 混沌だった。



 このふたりを連れていくのは気が重かった。



 しかし。自由奔放。自由気儘。縦横無尽。傍若無人。感情に素直な生き方に見える彼女たちには、学ぶ点も多い気もする。



 得られるものは得ておくべきだろう。



「オーケーオーケー。俺は喰わせないが、まあ飯は奢ろう。カフェテラスでよければだけど」



「やったー!」



 三人仲良く返事をする。そして走り去る塩見さんと一ノ瀬さん。取り残される俺と宮本さん。ため息がこぼれた。



 ふたりを眺めながら宮本さんと笑い合った。



「で、塩見さんと一ノ瀬さんはなにか用あるの」



 サンドイッチを食べ終わった俺は、浮かんでいた疑問を投げかけた。威圧的にならないよう気をつけて。



 塩見さんはんー、と気怠げに微笑んだ。



「あたしは興味半分かなぁ。フレちゃんが気にかける人ってどんななのかなってさ。ちひろさんの隣りにいた地味な人とは思わなかったけどねー」



 宮本さんは楽しそうに笑った。



「えー、地味かなぁ? ちょっと影薄いだけだよたぶん」



 どんな認識だよ……。心のなかで突っ込む。この面子に対して、突っ込みほど不毛なものはないので口にはしない。



 一ノ瀬さんはそうかなー、と首をひねる。



「アタシはそこまで意外じゃないかなー。ちひろさんの隣りにいるときから底が見えない感じがしてたし。あと面白い匂いだったからねー」



 もう、何も言うまい。きっと俺には理解できない世界観がふたりにはあるのだと信じよう。



「はあ……、一ノ瀬さんも好奇心?」



「どうかなー、好奇心はあるけどそれだけじゃないかも。うーん、期待感とでも言うべきなのかな」



「期待?」



「そ、フレちゃんをここまで突き動かしたキミにね。なにか面白いことをしでかしてくれる気がしたのだー」



 どうにもテンションの上下に差がありすぎて戸惑う。宮本さんとも違うタイプの自由さ加減。



 ペースを乱されないよう意識する。

 塩見さんはにやっと口角を上げる。偽悪的に見えた。



「ダメだった? もしかして怒ってるー?」



「んー、ごめん。べつに責めてるつもりはないんだよ。純粋に気になっただけでね」



「……あー、ダメだフレちゃん。ダメだよ、この人動揺しないよ」



「うん、プロデューサーさんはアタシより適当だからねー」



「そうそう、上には上がいるもんだ」



「にゃははー! いいねー! そういうとこ好感度たかーい」



 テンション高めの一ノ瀬さん。一応、気に入ってもらえたらしい。喜んでいいのかは微妙なところだけど。



 塩見さんは少しだけ申し訳なさそうにしていた。



「ごめんごめん。ほんとはフレちゃんと喧嘩しないか心配だったんだよね。でも、お節介だったかなー。ふたりともごめんね」



「気にしないでよ。俺はなんとも思ってないから」



「アタシも気にしてないよー。プロデューサーさんが怖いのはほんとだからねっ!」



「狼だから仕方がないね」



「わおっ! じゃあカナデちゃんは調教師かな? 狼さんのおいたは報告しないとねー!」



「いや、速水さんは月だな。俺を狼にしたのは彼女の魔性だよ」



 おおーと歓声が上がる。相変わらず突っ込み不在でやり辛い。冗談が冗談にならず、居心地が悪い。



「なら、早く月面着陸しないと! 旗を立てるの! 待ってるんじゃないかなぁ」



 と、急にトーンダウンする宮本さん。どうやらここからが本題らしい。

 雰囲気を察したのか、塩見さんと一ノ瀬さんはおとなしくなった。



「どうかな。月を描くには地球からの方がいいと思うんだ」



「えー、でもそれは誰にでもできるよね? プロデューサーさんにしか見えない景色ってあるんじゃないのかなー」



「あるのかもしれない。でも、近づけば見えなくなる景色もあるんだよ」



「なら、戻ればオッケーだよ! 二歩進んで三歩下がればあら不思議……あれ? 下がってるねー」



 ころころと笑う宮本さん。その言葉は核心を突いている気がした。



「……一理ある。ふむ、考え過ぎていたのかな。……そういやどうして急にこんな話を持ちかけてきたの?」



「うーん、あのね、喧嘩しちゃったのかなーって。カナデちゃんなんか疲れてるみたいだよ?」



「疲れてる、ね」



 先日のカフェ以来、お互いに忙しくてあまり顔を合わせる機会がなかった。ただ、そういう変調を見逃しているあたり、俺は間違えているのかもしれない。



「うん。最近会ってないって不満そうだったし、なにかあったの?」



「まあ、ないとは言わないよ。喧嘩じゃないけどさ」



「カナデちゃんああ見えて、意外と寂しがり屋だよ? プロデューサーさんが嫌なら仕方ないけど、アタシは仲良くしてるふたりのほうが嬉しいかなー」



「嫌じゃないよ……」



 でも、それだけでもない。たぶん、俺は得意じゃないから。誰かと必要以上に親しくしたり距離を詰めるのは、得意じゃない。

 言葉を選んでいると、一ノ瀬さんはうーん、と唸った。



「アタシはキミの言いたいことわかるよ。感情とは切り離された問題なんだよね」



「まあね。でも行き詰まってるのも事実なんだよ」



「だったらアプローチを変えてみるしかないかな。拘りは捨てて、新しい視点を取り入れていかないと。科学と一緒だよねー」



 アプローチと拘り。自分のスタイルに固執しているつもりはなかったけれど、保守的にはなっていたのか。



「シューコちゃん的には、奏ちゃんの気持ちに共感しちゃうかなー。やっぱり、意識して距離を置かれるのはちょっと微妙かも」



「や、距離を置いてるわけじゃないけど」



「でも、奏ちゃんがそう思ってたら一緒だよね。嫌な想像が過って調子悪くなったりしたら、それこそ元も子もなくない?」



「あー……たしかにそうかも。うん、必要なことなのかもしれないね」



「まあ、無理にとは言わないけどさ。できる範囲で適当にやればいいと思うよー」



 塩見さんはアンニュイな調子で言った。鋭い指摘に俺は納得させられる。



「たぶん、カナデちゃんはしょんぼりしててもにっこりすると思うんだー。だからよく見ててあげて欲しいな」



「うん、気をつけるよ」



「お節介だったかな。ごめんねー」



 宮本さんはちょっとだけ申し訳なさそうに笑う。



「ごめん助かったよ。ありがとう」



 彼女たちの不器用な優しさは俺を決心させる。ここまで気を遣わせてしまって、申し訳なく思う。



 ただ、不思議と心のつっかえはなくなっていた。



 パソコンに向かうと指は動く。



 頭に浮かんだアイデアを結びつけていくだけで、自然と企画書は形になっていった。



 結局、その日は残業をして完成させた。



 大したことはできない。だからこそ、できることを詰め込んだ。



 翌日、千川さんに提出すると満足そうにうなずいてくれた。



 これで俺の問題は解決できた。良し悪しは定例ライブ当日になるまでわからないけれど。



 なんにせよ、あとは速水さんに注力できる。



 きっかけとしては都合のいい日取りだ。



 用意はしている。考えが纏まらなかったある日、定時退社の後に気分転換も兼ねて、駅周辺をそぞろ歩いた。



 そこでちょうどいいものを見つけた。即決だった。そのときはこの決断力を仕事に活かしたいと苦笑いしたものだが、今となってはいい判断だったと思う。



 レッスン室の前に待機する。入っていってもよかったが、そろそろ終わる頃合いだろう。邪魔するのは忍びない。



 それから三十分後、レッスン室から出てきた速水さんは、俺の顔を認めて微笑んだ。



「あら、今日も会えないかと思ってたわ。ここのところ放置されてたし」



「悪かったよ。でももう終わったから。ちょっとだけ付き合ってもらってもいいかな」



「へえ、期待してもいいのかしら」



「あー、まあ……うん。多少は応えられるかな」



「楽しみにしてるわね、ふふっ」



「お手柔らかにお願いします」

 誰もいない休憩スペースの、窓際のソファに隣り合って腰を下ろす。



 窓の外には夕焼けが広がっていた。



 紅く照らされた速水さんは儚げで、今にも消え入りそうな気がして不安になる。感傷的になっているのかもしれない。



「色々話をしたいことはあるけれど、まずはごめん。カフェでの言葉は撤回するよ」



「……どういう風の吹き回し?」



「みんなに考えすぎだって諭された。実際、そのとおりだったらしい。速水さんと会えなくなってからどうにも調子が悪いんだ」



「ふふ、なにそれ。プロデューサーさん、私に夢中じゃない」



「なんだ、知らなかったの? 俺はとっくに魅了されてるんだよ」



「そう……ふうん、でも、どうしようかなぁ。私は傷ついたなぁ」



 悪戯っぽく微笑む速水さん。なかなかどうして大人びていて色っぽい。この表情には敵わないよ、本当に。



 降参と両手を挙げる。



「お姫様はなにをご所望でありますか」



「そうね……せめて素敵なプレゼントが欲しいかな。プロデューサーさんから貰えるモノの中でも、最高のモノをね。……目、閉じてるから」



 気を迷わせれば吸い込まれそうになる。ぐっと堪えてジャケットの裏ポケットから代物を取り出す。もちろん、指輪ではないけれど。



「誕生日おめでとう。目を開けて」



 素直に目を開けてくれた速水さんに、プレゼントを手渡す。少しだけ不満そうに見えたのは気のせいだろう。



「キスは無理だけど、きっと速水さんに似合うと思うんだ。開けてみて」

 速水さんは丁寧に包装を開けていく。気に入ってもらえるだろうか。緊張で心臓が高鳴った。



 筒状の箱を開けた彼女は、少し驚いたように息を吐いた。



「……綺麗」



 プレゼントは小さな三日月のペンダントがついたネックレス。一目見て、速水さんに似合うだろうと迷わず購入した。



「嬉しい、ありがとう。ねえ、つけて」



 速水さんは立ち上がって俺に背を向ける。どうしたって腕を回す必要があるわけで。



 ぐっと縮まる距離。



 レッスン後、シャワーを浴びたのだろう。シャンプーの香りが鼻腔を通して脳を刺激する。



 か細い首と見慣れないうなじ。艶のあるさらさらな黒髪と女性特有の柔らかそうな体躯。



 そのすべてが俺の理性を麻痺させる。



 このまま抱きしめてしまいたい。衝動に駆られたが、俺は中学生かと自嘲してどうにか自制心を保った。



「できたよ」



 くるっと振り返った速水さんの首元には三日月が煌めいていた。予想以上に似合っていて、俺は自分の目が間違えていないことに嬉しくなった。



「どう、似合う?」



「ああ、似合うよ。本当に、似合ってる」



 鞄から鏡を取り出してネックレスを確認した速水さんは、満足そうにうなずいて口元を緩ませる。子供っぽい笑みだった。



「これでキスがあれば完璧ね」



「ほう、つまり朝まで付き合えと。けしからんですな」



「ちょっとっ、解釈に悪意があるわよ」



 紅潮させて笑う速水さん。俺もつられて笑った。

「はは、いつになくテンション高いな」



「……浮かれてるかも。嬉しいんだもの、乙女ってそういうものよ」



「喜んでもらえてなによりだよ」



「ありがとう。大切にするわ。ずっと、ね」



 うんと返事をして、紅く染まった街を見下ろす。事務員をしていた頃には見えなかった景色。綺麗だと思う。



 きっといい画になる。写真を持ってくればよかった。



「ねえ、プロデューサーさん。……まだ、許してないわよ?」



 不意に予想外の言葉が飛び出してきたものだから、俺の頭は処理に遅れた。



「えっ、なにが」



「プレゼントは嬉しいよ。感謝もしてるわ。でも、これで解決じゃあ、即物的過ぎて味気ないじゃない」



「は、はぁ」



 言いたいことはわかる。俺も同じように考えたから。でも、これ以上なにをしたらいいのか思いつかないのも事実だった。



「せっかくの近づく機会なんだから有効活用しないとね。プロデューサーさんの気が変わる前に」



「ま、まあ、話は聞こうか」



 俺は息を呑む。速水さんは一瞬間を空けて、勿体つけるように口を開いた。



「これから奏って呼んでくれたら許してあげる」



 以前、新田さんを交えて話題に上がった呼称の問題。どうやら速水さんは気にしていたようだ。



 てっきりまたキスをせがまれると身構えていたので、正直肩透かし感があった。それぐらいならいいか。そう考える俺は彼女の術中に嵌ってる気がした。



 まあ、今さら断る理由もないけれど。



 可愛いと思う。



「はいはい、かなでかなで」



「はい、やり直し。もっと恋人の名前を呼ぶみたいに、甘く優しく慈しむように」



 注文がやけに恣意的だった。仕方がない、真面目にやるか。



 俺は速水さんの目を真っ直ぐ見つめる。



「奏」



 夕焼けがいやに眩しかった。



 それからは本当に順調な日々だった。



 疲労の溜まっていた奏を三日間休ませた。すると休み明けのレッスンは劇的によくなった。



 動画の評価は回を重ねるごとによくなり、最終的に上層部からお褒めの言葉を頂戴した。アクセス数は当初の予想を遥かに超えたらしい。



 この頃になると、SNSなどで奏の名前を見かけることも多くなっていた。動画のBGMに使用されていたこともあり、彼女のCDはじわじわと売り上げを伸ばし続けている。



 先輩のネットラジオにも再びゲストに呼ばれ、軽快愉快なトークを披露。経験を積んだ奏は自信がついたのか、巧みな話題展開でレギュラー陣を翻弄した。



 徐々に、営業にも影響を与えている。定例ライブ後の話だが、雑誌の企画にも声がかかった。



 ここが分水嶺だろう。



 注目を集め始めた速水奏。定例ライブの結果如何で、彼女の評価が定まるはずだ。



 善くも悪くも。奏の歩む道が決まる。

 俺たちの事情など関係ないように、定例ライブは幕を上げた。



 客席はケミカルライトによって燦然と輝き、アイドルの歌声やダンスによって波打つ。きっとステージから眺めれば光の海に見えるだろう。



 ステージはさらに煌びやかだ。ライトによって照らされ、アイドルによって色づけられていく。



 しかし、華やかなステージとは打って変わって、ステージ裏ではスタッフたちが慌ただしく駆け回っていた。裏側は意外とアナログなのだ。



 出番は着実に近づいていた。黒と白のコントラストの映えるセパレートタイプの衣装に身を包んだ奏に付き添って、ステージ袖に待機。



 湧き上がる歓声が遠くに聞こえる。なんとなく、現実味がなかった。



「プロデューサーさん、手……ぎゅっ。人の温度もたまにはイイでしょ?」



 唐突に、隣りに立っていた奏に手を握られた。心なしか震えているように感じる。



 俺は優しく握り返す。



「緊張してるの」



「してないと思う?」



「まあ、するよな。俺もしてるもん」



「知ってる。さっきから険しい顔してるわよ」



「格好いいだろ」



「ええ、黙ってたらそこそこイケてるわね」



「奏は綺麗だよ」



「もうっ……、平然と言うんだから」



 こんな軽口でも多少は緊張を和らげる効果はあるようだ。奏はふふっと笑みをこぼした。



「まあ、大丈夫だよ。心配する必要はないさ」



「珍しく、楽観的なことを言うのね」



「楽観なんてしてない。……そうだな、言わぬが花と言うけれど、言葉にしないと伝わらないこともあるよね」

 察しろとはあまりに身勝手で、また無責任であろう。他人は理解し合えないのだ。気持ちを知れたらどれだけ楽か。



 安っぽくなっても、馬鹿馬鹿しく思えても、言葉にしなければなにも伝わらない。



「奏を信じてる。この場にいる、どのアイドルよりも輝けると信じてるんだ。そして期待もしてる。俺にとってはさ、奏が一番なんだよ」



「……随分と嬉しいことを言ってくれるじゃない。冗談だ、なんて言ったら怒るわよ」



「本気だよ。あるいは本心だ」



「ずるい人ね。……本当にずるい、……そんな言葉を聞いたら応えるしかないじゃない」



「やることは変わらないだろ?」



 歓声が聞こえた。そろそろ奏の出番も近いだろう。



「そうね。だから、ちゃんと私のこと見ててくれなきゃ嫌よ、プロデューサーさん」



「当然だよ。なんて言っても俺は奏に魅了されてるんだ。目を離せるわけがない」



「ふふっ、もう、今日はいつにも増して積極的ね。熱でもあるんじゃないの」



「そうだな。浮かされてるのかも。冷まさないでくれよ?」



「明日寝込むぐらいには熱くさせてあげる」



 奏の名前が呼ばれた。俺の出番はここで終わりだ。



「よし、好きにやってくれ。なにも気にしなくていい。見せつけてやれ。速水奏はここにいると魅せてやれ」



「ええ、あなたのアイドルが輝くとこ、しっかり見せてあげる」



 手を離すと、奏は一度力強くうなずいてくれた。見届けてから、俺は彼女の背中を押す。月まで届くように願いを込めて。



 歩き出した奏の華奢な背中は頼もしくもあり、そして気力に満ち溢れて見えた。

 彼女を見送ってから、俺は関係者席へと移動する。約束だ。ステージの隅々まで見える位置に陣取る。



 この次のアイドルが終えれば奏の番だ。わかっていても緊張する。心配や不安はない。絶対に上手くいく。



 会場は熱気と歓声に包まれる。眩しいくらいに客席とステージは輝き、やっぱり現実味が希薄に思えた。



 きっと、奏を目当てに来ている客は少ない。もちろん、全く期待されていないというわけではないだろう。



 でも、彼女を目当てにしているのでもない。だから、見せつけてやる。速水奏というアイドルが輝く瞬間を。



 見せつけてやる。



「大丈夫そうか?」



「なにがですか?」



 隣りにやってきた先輩は開口一番そう言った。質問の意図が掴めず、俺は首をかしげる。



 しかし、先輩は一人納得したようで、笑って見せた。



「いや、いいや。うん、お前の様子を見るに大丈夫なんだろうよ。速水の出番は次か?」



「ええ、もうすぐですね」



 曲はアウトロに突入している。あと一分もしないうちに終わり、入れ替わりで奏はステージに現れるはずだ。



「おし、じゃあ楽しみにさせてもらおう」



 黙ってうなずく。



 と、歓声が上がる。ステージ上のアイドルは頭を下げていた。彼女は観客に精一杯の笑顔を見せて、ステージをあとにする。



 刹那の空白。ステージは空になる。そして暗転。明順応していた視界は暗闇に覆われる。



 空気が変わる。どよめきと困惑。ここまでの演出で暗転したのは初めてだ。



 イントロ。



 暗転のまま曲は始まる。徐々に高まる期待感。そして暗闇の中から、速水奏のカウントアップ。青白いスポットライトによって浮かび上がる。



 アンニュイな歌い出し。息を呑む。



 甘美かつ澄んだ歌声。囁くように、語りかけるように、だけど力強く。



 脳に染み込んでもたらされる酩酊感。



 違う。今まで聴いた彼女の歌声のなかでも、圧倒的な質の高さ。鳥肌が立つ。背筋が震える。



 誘って惑わすダンス。実体を掴ませない。穏やかに見えてその実激しく、洗練された動きは不自然な緩慢さを生む。

 滑らかに大胆で。



 緻密さと繊細さをもって。



 細部にまで目を奪われる。



 そして、速水奏を覆い隠すような光と暗闇の演出。はっきり言ってこんな演出は欠陥だ。



 それなのに、速水奏はこれでいいと言わんばかりの説得力と絶対的な存在感を示す。



 隠しても隠しきれない輝き。見せつけられて、魅せられて。誘われて惑わされる。



 絶妙なバランス感。明滅するライトの演出。綱渡りしていくような危うさを覚えつつも、速水奏は悪戯っぽく見え隠れ。



 次第に観客は身を委ね始め、ケミカルライトはリズミカルに揺れた。さながら音の奔流がうねるよう。



 速水奏は会場を支配していた。



 いけ、見せてやれ。もっともっともっと。



 サビ。



 音が跳ねては引く。牽引されていると思えば途端に突き放される感覚。爽快に飛び抜けていく姿を見せつけられる。



 どこまでも自由に。



 誰よりも美しく。



 速水奏はステージに存在していた。



 歌が終わり、アウトロ。途中、お辞儀を交え、ラストのカウントアップ。曲の終わりともに、再び暗転。



 つかの間の静寂が訪れる。直後、割れんばかりの歓声。ケミカルライトは大きく振られ、感動の大きさを物語った。



 成功だ。大成功。



 点灯後入れ替わりで次のアイドルがステージに上がって、速水奏のステージの終わりを実感した。

 ステージ袖に移動する最中、



「すげーな……お前、なにしたんだよ」



 感嘆したようにため息を吐いた先輩は、神妙な面持ちでそう言った。



「みんなの言うとおりでした。簡単なことだったんです。俺はただ奏を信じたんですよ。余計な思考を一切放棄してね」



「……なるほどなぁ。それは私じゃ駄目だったんだろう。あるいは信じきれていなかったか」



「さあ、どうでしょうね。こう言うのってきっかけわかりませんし」



 先輩は首を横に振る。確信を持っているように見えた。



「お前と速水は似てるんだよ。もちろん性格の話じゃなくて、境遇というのかな。前の会社を辞めた理由、そこだろ」



「……まあ、そうですね。どんなに仕事しても給料は上がらないし、残業代も出ない。嫌になりますよねそういうの」



 効率化すれば仕事が増えるだけ。いくら努力しても評価はされず、忙しくなるばかり。そしてさらに努力を求められる。



 そんな環境に、俺は逃げ出した。



「お前はどうして速水をプロデュースしようと思った? 私が連れてきたからか」



「もちろん、それもあります。仕事ですからね。選り好みはしませんよ。でも……」



 顔合わせをしたときを思い出す。きっと、あのときにはもう、俺はおかしくなっていた。



「俺は目の前でもがき苦しんでいる女の子をどうにかしたいと思ったんです。仕事以上に、個人的に」

 感情を持ち込めば、絶対にどこかで失敗する。見落とすし見誤る。だけど、その考えに固執することこそ感情的だったのかもしれない。



「たぶんさ、そう言うのってわかる奴にしかわからないんだろうな。少なくとも、私にはわからなかった。速水が上手くいかない理由も、あいつが苦しんでることも」



「俺だってわかりませんよ。傲慢だったのかもしれません。結局、俺ができたことなんて本当に些細なことですしね」



「いや、結果がすべてだ。私には速水を輝かせられなかった。お前にはそれができた。それだけだよ」



 速水奏の輝かせ方は信じるだけだった。信じて期待すれば、彼女は応えてくれる。



 月が陽光を反射し輝くように、俺らの信頼や期待を自分の輝きに変える。速水奏はそういう女の子なのだ。



 先輩はにかっと微笑む。清々しい明るい笑みだった。



「なにはともあれお疲れ。そしてありがとう。まず間違いなくいい結果になるよ。どうする、プロデューサー続けるか?」



「ここでそれ訊きます?」



「ははっ、そうだな。結果が出てからでいいよ」



 ステージ袖に到着する。そこには奏が満足そうな表情を浮かべて立っていた。



「ほら行ってこい。お姫様はお待ちだぞ」



「……あんた、なにを聞いた? ……いや、なにを話した」



「さあな。いいから行けって」



 とんと背中を押され、不承不承歩き出す。奏と視線が合う。彼女は微笑む。俺は片手を挙げた。



 こうして、俺と奏の定例ライブは幕を下ろした。



「奏さんのステージ、本当によかったです! ええと……、上手く言葉にできませんね、ふふ」



 駆け寄ってきた新田さんは興奮気味にはにかんだ。数日経っても、テンションは冷めきっていないのかもしれない。



「ありがとう。新田さんもよかったよ。安定のなかにある迫力は奏にはまだない要素だ。勉強になった」



 今日は夕方から打ち上げが催されていた。アイドルと社員でごった返した会社の大ホールは壮観でさえある。



 改めて、定例ライブは終わったのだなと実感した。



「プロデューサーさん、美波をいやらしい目で見ていたでしょ」



 奏は悪戯っぽく口角を上げる。たしかに新田さんの衣装は相変わらず肌色率が多かった。釘付けにするという意味では、上手い戦略である。



「なるほど、奏は新田さんをいやらしいと思ってたのか」



「ちょっとっ!」



「ええー、奏さん、私のことそう見てたの……」



「ああ、どうやら新田さんを卑猥で淫靡な存在だと認識していたらしい」



「うぅ、私だって好きで着てるわけじゃないのに……」



 わざとらしく俯く新田さん。思っていたよりノリがよく、茶番に付き合ってくれる。



「もうっ美波まで。……美波は女の私から見ても魅力的よ。あれだけ露出してもいやらしくならないのはすごいと思うわ」



「そうだな。ある種爽やかに見えるのは、新田さんの振る舞いや性格に起因するんだろう。純粋なんだね」



「どうでしょうね? 意外と女の子は強かなんですよ?」



 新田さんは瞳を潤ませて上目遣い。うっとたじろぐほどの色気と、目を背けたくなる背徳感を覚える。



 でも、視線を逸らせないのは彼女の魅力故か。

「じーっ」



 ただ、冷静でいられるのは、びしびしと冷たい視線が頬に刺さるから。と言うか、圧力が半端ない。



 奏は視線を声に出しながら、吐息を感じられる距離にまで急接近。



 進退窮まって冷や汗が噴き出る。両手に薔薇のはずなのに。



 そんな様子を見て、新田さんは笑った。いや、笑いどころではありません。



「ふふっ、これ以上はプロデューサーさんを困らせちゃうかな? 奏さんにも悪いしね」



「……べつに私はなんとも思ってないわよ」



「んー、じゃあそういうことにしておくね。プロデューサーさんもあまり目移りしていると、あとが大変ですよ?」



 悪女だ、悪女がいる。奏は賛同するようにうなずいた。どうにも、分が悪い。



「そうね、担当アイドルを放置して鼻の下を伸ばすのはダメかな」



「まあ、善処するよ」



 言いたいことは沢山あったけど呑み込んだ。伝わらないほうがいいこともある。沈黙は金だ。



「あっそうだ、呼び方変えたんですね。距離も前より近づいた気がします」



「色々あったんだよ。思うところもね」



「それで、どうですか?」



「少なくとも、悪くはないかな」



「よかった。詳細は奏さんに訊きます」



「えっ?」



 驚く奏。なんというか、御愁傷様? まあ、新田さんも本気ではあるまい。戸惑う奏を眺めて新田さんと笑った。



 と、視界の先で先輩と千川さんが手招きしているのを認めた。



「悪いけど、呼ばれてるから行ってくるよ。あとは若者で楽しんでくれ」

 それから先輩たちとお偉いさんに挨拶回り。お褒めの言葉を頂戴し、これからの活躍を期待された。



 そうこうしているうちにすっかり酔っ払った俺は、会場の隅に置かれた椅子に腰を下ろした。



 ぼうっと会場を眺める。みんなそれぞれ笑っている。アイドルも社員もみんな。



 きって俺にはこれぐらいの距離感がちょうどいい。眺めているぐらいのほうが気楽だ。



 でも、たまには。なにも考えずに楽しむのも悪くないのかもしれない。



 この三ヶ月を思い返して、そんなふうに考えた。感傷的になっているのだろう。あるいはおかしくなっている。



 しばらく休んでいると奏がやってきた。



「ねぇ、ふたりでパーティー抜け出さない? ……ふふっ。なーんて、映画のワンシーンみたいよね、このセリフ。で、返事は?」



「いいけど、なんで」



「プロデューサーさんと話したいだけって理由だけじゃ……ダメ?」



「……駄目じゃない。じゃあ、行こうか」



 奏を引き連れて、敷地内の広場に移動する。もう夏になるのに比較的涼しい。夜空には雲ひとつなく月がぼんやりと浮かんでいた。



 ベンチに腰掛ける。さあっと心地よい風が吹いた。



「どうだった?」



「褒められたよ。世間の評価も上々だ。出来過ぎた話に思えて落ち着かないぐらいだな」



「ふふっ、プロデューサーさんは疑心暗鬼になりすぎ。まあ、驕らないのは感心できるわね」



「随分と大人びた発言だな。いや、容姿もか」



 奏は空を眺めていた。月を眺めているのかもしれない。



「大人びて見える? ……背伸びしなきゃ届かないの。……なんてね」

「その背伸びを止めたときが大人への第一歩だな。等身大でいいんだよ。特に奏みたいに魅力的ならなおさら」



「どうかしら。私はプロデューサーさんが思うほど、魅力ないかもしれないよ?」



「奏が思う以上に魅力的に見えるよ。たぶん、そんなものだろう。自分一人じゃわからないことは色々あるんだよ」



 今回、俺はたくさんの人から助言をもらった。きっとみんながいなければ今はないはずだ。



 奏は月を眺めながら微笑む。その横顔はとても大人っぽかった。



「そうかもね。私は届かないと思ってた。手を伸ばすだけでいいのにね。それを気づかせてくれたのはプロデューサーさんよ」



「俺だってそうさ。たくさん気づかせてもらったよ」



「……プロデューサーさんはどうするの? 結果、出たのよね」



「ああ、今日の昼頃ね」



 今日の昼前に報せを受けた。大方の予想通り、俺は仮免プロデューサーから、真の意味でプロデューサーへとなった。



「ここで辞めるなんて駄作もいいとこだろ。続けるよ、奏と一緒にね」



「ふふっ、嬉しいわ。……ねぇ、ご褒美のキスが欲しいな」



 こちらを向いた奏は可愛らしく首を傾げた。ずるいと思う。



「キスしたらそれはエンディングだろう。まだ始まったばかりなんだ。終わらせるには早いよ」



「上手いこと言うものね。もし映画なら、今はまだラストシーンじゃない。そのとおりだわ」



「そろそろ戻ろうか。邪推されても面倒だし」



 立ち上がって手を差し伸べる。



 なにかを間違えていると思う。



 でも、酔っ払っているせいだろうか。奏の笑顔を前にして、どうでもよくなってしまった。



 奏は俺の手を取った。



 まあ、間違えていてもいいのだろう。

終わりです。





21:30│速水奏 
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