2016年09月06日

アナスタシア「またひとつ、約束を」

ある日の昼下がり。

屋外での撮影を終えた後、私はふと空を見上げる。

白い雲はまばらにしか浮かんでいなくて、春の陽ざしが青空をさわやかに映し出していた。

私の大好きな星が見えるのは、今から4時間以上後のことだろう。





「アーニャ。お疲れ様」



「プロデューサー。どうでしたか? 今日のアーニャ」



「いつも通りよかったよ。カメラマンの人も、理想通りの写真が撮れたって褒めていた」



「プリクラースナ……すばらしい、ですね」



褒めてもらえるのは、うれしい。がんばりが、認められたような気がするから。





……けれど。



「いつも通り……ですか」



「……アーニャ?」



「なんでも、ありません」



お仕事が終わった後、プロデューサーはいつも私を褒めてくれる。

いつも通りに、褒めてくれる。

さっきも言ったけれど、それはうれしい。たまに頭を撫でてもらえると、もっとうれしい。くすぐったくて、暖かくて。



「事務所に帰りましょう。ランコたちが、待っています」



「……そうだな。車、こっち」



「ダー」



先を歩くプロデューサーの背中を追いかける。

その背中が、いつもより小さく見えたのは……きっと、私の気持ちの問題。







SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1471332303



「………」



「………」



聞こえるのは、車のエンジンの音と、流れているラジオの音だけ。

私もプロデューサーも、口を開かない。

いつもは、プロデューサーがお仕事の話や世間話をしてくれるけれど、今日は違った。

静かな時間は、決して嫌いでないけれど……なんとなく、寂しい。

寂しさを紛らわすために、ラジオの声に耳を傾ける。

どうやら、プロ野球のニュースをやっているようだった。



『○○選手はこの試合でも無安打。昨年新人王を獲得した期待のホープが、伸び悩みを見せています』



『一年目が一番良かった、という結果にならないためには、もう一皮むけることが必要でしょう』



「……ウージャス」



思わず、『最悪だ』なんて口に出してしまった。プロデューサーには、聞こえていないかな。



『続いてはサッカーのニュースです』



ニュースの話題が変わったことに、ほっと一息。できればこれ以上、さっきの選手の話は聞きたくなかったから。



伸び悩み。一年目が一番良かった。

それらの言葉が……まるで、自分に向けられているような気がしたから。





実際は、そんなことはない……と、思う。

歌もダンスも、演技やトークだって。デビューしたての頃よりも、今のほうがずっとうまくなった。トレーナーも、そう言ってくれている。実力は、ついてきているはず。



けれど、新しく事務所に入ってきた人たちが、どんどん力をつけて、どんどん人気が出てきて……仲間が輝くこと、それ自体は、とてもうれしいのに。

どうしてだろう。心の奥底で、怖いと感じる自分がいた。

まるで、自分が追いかけられて、追い詰められているような――





「アーニャ」



「………」



「アーニャ。聞こえてる?」



「……あ。シトー? どうか、しましたか」



考え込みすぎていたせいで、プロデューサーが声をかけていることになかなか気づけなかった。



「少し、寄り道をしていいか」



「寄り道ですか」



「ああ。君に見せたい場所があるんだ」



「………?」



うなずきながらも、私はプロデューサーの唐突な提案に首をかしげるばかりだった。



「よし。じゃあ、進路変更だ」



ただ、うれしそうに微笑むプロデューサーの横顔を見つめていると。

これから連れていってもらう場所に、何か素敵なものがある。そう信じることができた。

私に新しい世界を見せてくれた時……初めて出会った時の表情と、よく似ていたから。





「ここだ」



車を止めて、プロデューサーが運転席から降りる。

私も、後に続いて外へ出る。

次の瞬間、目に映ったのは。



「クラスィーヴィ……きれい」



「そうだろう。まだ8分咲きくらいらしいから、満開の時はもっときれいなんだろうな」



丘の上から一望できる、桜の木々。ひとつひとつが美しく輝いて、たくさんの人々がお花見を楽しんでいる……そんな景色。



「桜の近くは混雑するからな。意外とここは穴場だったりするんだ。それでも結構人がいるけど」



こういう花見も悪くないだろう、と問いかけるプロデューサー。

私はただ、うなずくことしかできなくて。



「桜……ひとつひとつが、星のよう」



「星か、アーニャらしいな」



「なんでも星にたとえてしまうの、ダメですか?」



「いいさ。俺が許す」



「ふふ……スパシーバ」



なぜか偉そうな態度をとるプロデューサーに、ちょっと噴き出してしまったけれど。

私たちはしばらくの間、ふたりきりのお花見を楽しむことにしたのだった。





「桜の木、ひとつひとつが星のよう……さっき、アーニャはそう言ったと思うけど」



お互いに無言で桜を眺めていると、ふとプロデューサーが口を開いた。



「じゃあ、その桜の花びらひとつひとつは、なにに見える?」



「花びら、ですか。ンー……星を作る、なにか?」



「アバウトだなあ。でも、間違ってはいない」



ケラケラと笑うプロデューサー。ちょっと、恥ずかしい。

星は好きだけど……理科的な話になると、実はあまり詳しいほうじゃないから。



「じゃあ、もうひとつ質問。その星をアイドルにたとえると、花びらひとつひとつは何にたとえられると思う?」



「………」



星がアイドルなら、その星を形作るものは……



「プロデューサー……スタッフ……トレーナー……たくさんの、ファン」



その答えは、自分自身の中にあった。

前に私自身が、同じようなことを言った気がするから。



「みんながいるから、私はズヴェズダ……星になれます」



「そうだな。だから……何か悩みがあるなら、相談してくれてもいいんだぞ」



「……気づいて、ました?」



「そりゃあ、付き合いも長いしな。それに、アーニャは顔に出やすいから」



顔に出やすい。

その言葉は、意外だと思った。



「……昔は、表情が硬いと言われていました」



「最近は表情豊かだ。いろんな顔をいつも見せてくれるようになった」



「そうですか?」



「うん」



ライブの映像を見て、自分が心の底から楽しそうな笑顔を作れていることはしっていたけれど。

ステージの外でも、それは同じなのかな。だとしたら、なんだかうれしい。



「なるほど。伸び悩みを感じている、か」



さっきまで考えていたことを、包み隠さず打ち明ける。



「私、悪い子ですね。他の子が輝くのを見て、焦ってしまうなんて……」



「そんなことはないさ。本気でアイドルに取り組んでいるなら、同じ事務所の子だとしてもライバルだからな」



もちろん、大切な仲間でもあるけれど――そう付け加えて、プロデューサーは私の目をじっと見つめる。



「それに。アーニャは焦るだけじゃなくて、うれしいとも思っているんだろう」



「……ダー。みんながステージで輝く姿、ハラショー……とても、素晴らしいです」



まるで、夜空に輝く星や……それこそ、今見える桜のようにきれいなものだと思えるから。



「やっぱり、アーニャは桜が似合う子だな」



「?」



「桜の花言葉……まあ、たくさんあるんだが。そこに見えるソメイヨシノの場合は『優れた美人』だったり『純潔』だったり。そういう意味があるんだ」



「アー……聞いたこと、あります。確か、アスカが教えてくれました」



「飛鳥か。最近花言葉に凝り始めているらしいからな」



誰の影響なんだろうな、と笑うプロデューサー。答えを知っているような顔だった。



「まあ、それはそれとして。ソメイヨシノの花言葉は、アーニャにぴったりだと俺は思う」



優れた美人、純潔……それが似合うといわれると、なんだか照れてしまう。



「アーニャは、照れるとすぐにわかるな」



「どうして、ですか?」



「肌が白いから、赤くなるとすごくわかりやすい」



「……恥ずかしい、です」



……でも。



「私、桜に似合いますか」



「ああ」



「……ヤラッド。うれしい、です。桜は、日本の心……大事なものです。だから、とてもうれしい」



こんな見た目をしているけれど、やっぱり私には日本とロシア、両方の血が流れている。

そう思わせてくれるから。



「桜のこと、今までよりもっと好きになれそうです」



「それはよかった」



私が微笑むと、プロデューサーも微笑み返してくれる。

それだけのことが、心を温かくしてくれる。



「アスカと、桜を見る約束をしてますよね」



「あれ、知ってるのか」



「アスカから聞きました」



桜の花言葉を語っていたとき、アスカがついでにそのこともぽろりとこぼしていた気がする。

こぼしていた、というのは、そのことを言った瞬間、アスカがハッと口をつぐんで咳ばらいをして、すぐに話題を変えたから。



「……うれしそう、でしたよ?」



「そうか」



「私とも、約束してくれますか」



「アーニャとも?」



「ダー」



それとなく、わがままを言ってみる。



「どうしようかなあ。アーニャとは星を見る約束を何度もしてるからなあ」



「む〜」



「冗談だよ。また、ここの桜を見にこよう」



「……プロデューサー。いじわるです」



「たまにからかいたくなるんだ」



「子ども、ですね。素直になりましょう」



「アーニャ先生に怒られてしまった」



「ふふっ」



出会った頃は、お互いもっとたどたどしい話し方だった。

お互いに距離を探っていて、遠慮したり、引き下がってしまったり。



けれど今は、こんなふうに軽口を言い合える。それはとても楽しくて、素敵で、幸せなことだと思う。





「星を見ること、桜を見ること。また、約束が増えました」



「アーニャは欲張りだな」



「ダメですか?」



「いや。そのくらいがちょうどいいさ」



「安心しました」



「もうすっかり暗くなっちゃったな」



かなりの間花見をしてしまっていたようで、帰りの車の中から見える空は、すでに黒く染まっていた。



「ちひろさんにはあらかじめ連絡しておいたから、問題はないだろうけど」



窓越しに見える星たちは、都会の光に負けそうになりながらも、一生懸命輝きを届けている。

それはやっぱり、私たちアイドルと重なるように感じられるもので。



「プロデューサー」



「ん?」



「昔から、星に近づくのがメチタ……夢、でした」



お気に入りの公園があって、そこの滑り台の上が私にとっての夜景スポット。

何もせずに、ただただ夜空を、そこに浮かぶ星たちを眺めるだけの時間。それがとても楽しかった。



「今、その夢は『トップアイドルになること』に変わっています。でも、根っこ、は変わっていません」



アイドルと星は違うもの。けれどとてもよく似たもの。

今日、桜がそれの仲間入りをした。



「星は、ひとつひとつ、いろいろな光を出しています。まるで、人がそれぞれ、違った輝きを持つように」



「うん」



「私はその中で、一番輝く星になりたい」



あいまいだった私の夢。よりどころのなかった私の願い。

それは、プロデューサーに出会って、アイドルになって、はっきりとした形になった。

輝きたい。ひときわ輝く、アイドルになりたい。みんなに歌を、笑顔を、幸せを届けられる、そんなアイドルに。



「アーニャの夢は、この一年でようやく明確なものになった」



私の話を黙って聞いていたプロデューサーが、おもむろに口を開く。

運転中だから、私を見てはいなかったけれど……その口元は、少し緩んでいた。



「明確になった途端、すごい勢いで階段を上ってきたんだ。それこそ、蹴りあがるくらいの勢いで。先輩アイドルが焦るくらいに」



その言葉に、ハッとさせられる。

私が今、後輩アイドルの存在に焦っているように……私も昔は、先輩アイドルを焦らせていた。

そうやって、誰かが誰かの心に入り込んで、そしてそのあとどうなるか。

私が尊敬している、大好きな先輩たちは、どうしていただろうか。



「誰にだって、うまくいかないと感じるときはある。ライバルの躍進に焦るときだってある」



「………」



「そういう時は、少しくらいペースを緩めてもいいんだ。今まで全速力で駆け抜けてきたぶん、ゆっくりしたって問題ない」



「いいのかな……それで」



「アーニャは素直で真面目な子だから、違和感があるかもしれない。けれど、いつでもがむしゃらに全力で挑むことが、必ずしも正しいとは限らない」



もちろん、間違っているわけでもない。そう付け加えて、プロデューサーは話を続ける。



「星だって、時々雲の奥に隠れて休む時があるだろう? それと同じ」



「……よく、わかりません」



「だな。今のは自分でもたとえが下手だと思った」



苦笑いを浮かべるプロデューサー。



「結局、俺が一番言いたいことは……ちゃんと、いつでもアーニャの隣にいる。だから安心しろってことかな」



「あ………」



心が、すっと軽くなるような気がした。

その言葉をもらうだけで、暖かいなにかが胸いっぱいに広がるようで。

私は今、本当に安心したんだと、そう感じた。



「アビシャーニエ……約束、ですよ?」



「もちろん」



「……えへへ」



「私、よくいい子と言われます」



「でも、本当は欲張りで、寂しがりです」



「知ってる」



「かまってもらえないと、拗ねます」



「知ってる」



「子どもっぽいところ、あります。はしゃいでしまうこともあります」



「知ってる」



「……プロデューサーは、なんでも知っています、ね?」



「なんでもじゃない。大事な人のことは、よく知っているだけ」



「スパシーバ♪」



プロデューサーは、運転のために前を見て。

私は、星空を眺めるために窓の向こうを見て。

お互いがお互いの顔を見ていないけれど、表情が手に取るようにわかる気がする。



「私は……知らないこと、たくさんあります」



「それも知ってる。アーニャが新しいことをたくさん知ろうとしていることも」



「ダー。知りたいこと、たくさんあります。アイドルのこと。東京のこと。星のこと」



そして。



「……プロデューサーのこと」



「俺のことを知っても、そんなに面白いことはないぞ」



「……確かに?」



「おいっ」



「ふふ……冗談、です。ロシアンジョーク」



反応が面白くて、ついつい笑ってしまった。



「ボケ、に挑戦してみました。どうですか?」



「挑戦もなにも、もともと天然ボケの気はあると思うけどな……ああでも、意識したボケとはまた違うか」



「シトー? どうかしましたか」



「いや、なんでもないよ」





「まあ、アーニャが知りたいならいつでも教えるよ。俺のこと」



「うれしいです」



「何が聞きたいんだ?」



「ンー……コイバナ」



「意外な話題が出てきたな」



「アーニャ、思春期です。恋に興味、ありますよ?」



「それもそうか」



「だから、聞かせてください。プロデューサーのコイバナ」



「そうだなあ。ちょっと恥ずかしいけど、初恋の話でもしようか」



「ハラショー! 楽しみです」



「誰にも言っちゃだめだぞ」



「ダー♪ アーニャ、口固いです」



「自分でそう言う人間は、あまり信用できないらしいぞ」



「ンー……日本語、難しいです」



「ははっ」



さあ、これからプロデューサーは、私にどんな話をしてくれるのだろう。

とても楽しみで、心がときめく。

昼間に感じていた心のしこりが、すべて消えたわけではないけれど。

それらとも、うまく付き合っていける。乗り越えていける……そんな気がする。



だから今は、ただ、願いたい。



「……シャースティエ」



「アーニャ?」



「ふふ、なんでもありません。お話、続けてください」



「ああ。そうだな、まずは――」



流れ星に祈ったわけではないけれど。

その願いは、きっと叶う。そう信じることができた。





でも、それはそれとして。

いつかプロデューサーと、一緒に流れ星を見たいな。



またひとつ、約束を増やしてしまおうか……なんて♪





おしまい





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