2016年09月09日

高森藍子「菜々さんへの誕生日プレゼントが思いつかない……」

――5月8日――



困った。



どうしよう。





なんて思いつつ、高森藍子は楽しげに微笑んでいた。







※単発作品、地の文つきです。







SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1463316917



「どうしよっかなー……」



ベッドの上に雑誌を並べる。流行の特集にはあまり縁がなかった。ファッションの話で1日を過ごしたり、少ないお小遣いをやりくりして着飾ったり、藍子にはそんな経験があまりない。あるとしたらアイドルの時だけで。衣装を選んだり取材を受けたり、そんな時くらい。

詳しそうな北条加蓮から一通りの雑誌を借りてはみたものの、かれこれ3時間ほどにらめっこして、藍子の中では何も進展していなかった。

1週間後の、5月15日の。

安部菜々の誕生日に、何をプレゼントしようか、って。



折り目のついたページを捲る。頭の中で立ち姿を思い浮かべてみる。

事務所で見る時は、たいていがウサミミメイド。メイド服に似合いそうな物はちょっと分からないし、菜々はメイドのプロだ。そういった小道具の1つや2つ、きっと持っている。



菜々の私服は。

……見たことがあるはずなのに、思い出せない。

印象に残っていない。

安部菜々、イコール、メイド。



メイド服を送ってみるのはどうだろう?

少し考えて、藍子はかぶりを振った。

それはきっと、自分がプレゼントとしてアルバムを贈られるのと同じだろう。

嬉しいけれど、きっと困ってしまう。



「……どっちの方がいいのかな?」



雑誌を閉じて、窓の外を見てみる。

よく晴れた日だ。外に出たい。ゆっくりと歩きながらだったら、いいアイディアも……いいや、きっと浮かばない。

周りの風景に目をとられて、帰ってきた時には日が暮れて目的を忘れてしまっているだろうから。

どうやら、外での自分はけっこう抜けているらしいし。

……と、それは加蓮が以前に教えてくれたこと。

お恥ずかしい話だ。せめて「いつも抜けている」という評価でないことを祈りたい。



「菜々"ちゃん"に? それとも、菜々"さん"に……?」



安部菜々。永遠の17歳。実年齢は――

藍子は菜々の実年齢を知っている。どうして知ったのかはよく覚えていない。

加蓮が教えてくれた気もするし、菜々が自爆してしまった気もする。いやいやモバP(以下「P」)がぶっちゃけてしまったんだっけ? もうずっと前のことなので思い出せない。



どっちで考えて選べばいいんだろう。



17歳の安部菜々ちゃんに?



にじゅうほにゃらら歳の安部菜々さんに?



「う〜〜〜〜ん……」



どうしてか分からないけれど、相談してみるという選択肢は浮かばない。意地を張ってみたいと決めて、ずっと時間を使っている。

……また雑誌をめくれば思いつくかな?

視線を落とす。10分くらい、目をあっちへやって、こっちへやって。



……。

…………。



そうだ、想像してみたらどうだろう? ――藍子は目をつぶる。暗闇の世界に事務所を描いてから、写真をフォトフレームに入れるように、菜々をセッティング。

やっぱりメイド服しか想像できないので、無理矢理に自分の服を着せてみた。

……想像の中での菜々は、困った表情をした。

い、いやぁ藍子ちゃんの服なんて似合いますか? ナナもいい歳ですしちょっと――ハッ!



「…………」



ものすごく、申し訳ない気持ちになった。



ベッドの隅に投げていたスマートフォンを、指先で引き寄せる。

待ち受けに表示されているのは加蓮と菜々の笑顔。冬から春にかけての頃、事務所に行ったら2人がソファにて肩を預け合いながらうたたねしていた。

いつもいろいろな表情を見せる加蓮と、いつもいっぱいいっぱい必死に踏ん張る菜々が、揃って遊び疲れた子どものような顔をしていて、思わず1枚。

たぶんバレてはいない。……たぶん。



「…………ふうっ」



待ち受けのロックは解除しないで、またスマートフォンを放り投げた。

気分一新。

雑誌を開いて、想像して、目を閉じて。

……30分くらいして、また、ひといき。



「あうぅ……思いつかない……」



ふと加蓮に雑誌を借りた時のことを思い出した。あの時の加蓮はちょっと驚いた顔をしつつ(藍子が流行にさほど興味を示していないのは加蓮も知っている)、それから口元を隠しての含み笑いを浮かべ(たぶん目的はバレている)、決まったら教えてね、と音符マーク混じりに渡してきた。

意地を張るのをやめてみるのはどうだろう?

もしかしたら加蓮も同じことをしているかもしれないし――悩む時にはとことん悩むタイプだし、お互いにいいアドバイスができるかも。



「……うーん……」



伸ばした手はスマートフォンにまで至らなかった。

清白なシーツを親指と人差し指で摘み、こすりあわせて、それから未練を消し去るかのように思いっきり大の字になった。雑誌がぱさりと音を立てて跳ねる。

目に髪が軽くかかるのをそのままにして、考える。



悩むことはけっこう好きだ。特に、誰かにプレゼントをする時は。

何がいいかな。何が似合うかな。喜んでくれるかな。

いろいろな光景が脳裏によぎってはシャボン玉のように弾けていき、その度に笑みが1つこぼれる。

それを繰り返しているうちに文字通り日が暮れたりするのだけれど、……正直、それはちょっぴり困ることだけれど、でも、楽しい。

今だってそう。菜々の、あの混じりっけのない笑顔を見る為に――もうちょっぴりだけ欲張るなら、涙もろい彼女に頬を拭わせる為に、数時間――1日、数日ほどを消費するのは、苦でもなんでもない。



ただ、1つだけ問題がある。



笑顔の想像が、うまくいかない。

菜々の笑顔そのものはよく見るけれど、どうやったら笑顔になるかが分からない。



「…………どうしてだろ?」



問題が発生した時に。

藍子は、どうすれば解決できるか考えるタイプで。

菜々は、当たって砕けるタイプ。

で、加蓮が問題の原因を考えるタイプだ。



……ここは加蓮のやり方を借りることにしよう。

分析してみよう。



どうして、菜々の誕生日プレゼントが思いつかないのだろう?

想像ができないから?

それは、どうして?



「あっ……もしかして」



思い当たることがあって、藍子はゆるやかに上身を起こした。頭の後ろのところがちょっとだけ熱い。



「私があんまり菜々さんのことを知らないから、かも……?」



思い浮かべるのはメイド服の姿。私服を見たことはあるのかもしれないけれど、まったく思い出せない。

何を贈れば喜んでもらえるのか、なかなか決まらない。つまり何が好きなのかをあんまり知らない。

それがきっと、"原因"。



じゃあ、どうやったら解決できるだろうか?



「……よぉし」



両手を、ぐっ、と握った。



頭の後ろの熱が、心へと移っていく。

藍子は今、めらめらと燃えている。



――5月9日――



学校帰りに事務所へ向かった。ドアを開けると、菜々とPの話し声が耳に飛び込んできた。



「――だーかーらー、千葉県の特産じゃなくてウサミン星の特産なんですぅ〜!」

「分かった分かった、分かったから」

「その顔! ぜーったいに分かってませんね! ナナ覚えてます、前にPさんが勝手にキャッチコピーを入れ替えたこと!」

「いや、あれは、その……な? 先方の都合でな?」



ああ、またやってる。

小さなため息、1つだけ。そうしたら、絵本を眺めて楽しむような気持ちが生まれた。



「なーにが都合ですか。それ面白そうって乗ったのPさんでしょうがぁ!」

「俺は乗ってないぞ? 提案をしたのが俺ってだけで先方がそれに――あっ」

「なおさらじゃないですか!」



言い争いを横目に給湯室へ向かって、4人分のハーブティーを淹れる。

ケンカしている2人の頭を冷やす分と、自分用と、そろそろ制服姿でやってくるであろう加蓮の分。



「まあまあ……おふたりとも、お茶を淹れましたから、ゆっくりしてください」

「お、藍子。いつも悪いな」

「藍子ちゃん! キャハッ☆ 来てたなら来てたって言ってくださいよぉ!」



さんきゅ、とPが気さくに茶飲みを取る。



「ふふっ。菜々さんとPさんのお話があまりに白熱しているみたいなので、つい。……Pさん。あんまり、菜々さんをいじめちゃだめですよ?」

「う゛。い、いやぁ……いじめてる訳じゃないんだ」

「だってPさん、すっごくいじわるそうな顔をしてますから」

「藍子に言われちゃお手上げだな」



降参だー、とわざとらしいくらいに情けない声で、Pが両手を挙げる。



「そうだそうだー! ウサミンいじめ、ダメ、ゼッタイ!」

「ですっ」

「ぐぬぬー、俺の味方はいないのかー」



ちらりちらりと視線を彷徨わせている。残念なことに事務所の出入り口は開閉しない。

こういう時に悪ノリで参戦する(どちらサイドかはその時の気分次第)病弱系小悪魔女子は、まだ到着していないようだ。

今度はわりかし演技抜きに肩を落としたPは、ずず、とお茶を啜った。

うん、今日もありがとうな、という言葉に、胸の内側がぽかぽかする。朗らかな笑みのPをずっと見ていたい――



おっと。

今は、そうじゃなかった。

……今は別にやることがあって、ああ、でも彼の笑顔も見ていたい。なやましい。



「ホント、藍子ちゃんのお茶はいつでもバッチリですね! これならいつメイドカフェに来ても大丈夫ですよぉ!」

「あはは……メイドカフェに行くことは、ちょっとないかも……?」

「ふむ。そういえばアイドルのメイドカフェ体験イベントに枠があったような」

「そ、それは菜々さんにお譲りしますっ」



改めて見てみれば、今日の菜々もウサミミメイド。この時間なのに学校の制服を着ていないのは……。

うん、きっと着替えてしまった後なのだろう。そういうことにしておこう。



「あれは不慣れなメイド仕事にあたふたするのが楽し……もといファンにウケるんだ。菜々がやっても新鮮味がないというか……いや逆に年季が入ったメイドってのもそれはそれでアリか?」

「確かに、メイド暦9年のナナがやるよりは藍子ちゃんみたいなメイド初心者がやる方が喜ばれるかもしれませんね。ナナが働いていたお店でも、新人メイドが入ったらそういうイベントとかやってましたし。懐かしいなぁ……この手で何人の新人を一人前に仕上げたか!」

「あの、菜々さん……? 17歳、なんですよね……?」

「ハッ! あ、ああええとそのっほら小学校のね! 小学校の時にね! ごっこ遊びとか、ほら!」



……気を遣う必要はないのかもしれない。

心の隅に、いたずらごころが生まれてしまう。



「……? 藍子ちゃん? ナナの顔になんかついてます?」

「あ、いえっ」



ずっと見ていたら不思議そうな顔をされてしまった。答えに詰まっている間に菜々が2歩3歩と引く。引きつった顔とともに。



「ま、まさか顔に出てます?」

「……顔に?」

「そのー、ですね。最近ちょっと忙し気味というかオーバーワーク気味というか。そのせいで寝るのが遅くなって……お肌のケアはいつも欠かしていないつもりですがやっぱりなんか出てます!? ナナ、カメラに映れる顔になってます!?」

「……………………」



選択肢。

冷静に。



ウサミンいじめ、ダメ、ゼッタイ。



「ふふっ。大丈夫ですよ、菜々さん。何もついてませんし、ちゃんとカメラに映れる顔ですよっ」

「ほっ――あ、ああまぁお肌のケアっていうのはほらっナナはアイドルですからねアイドル! いつでもどこでも、そのー、ね?」

「大丈夫ですっ。分かってますから」

「藍子もたまには菜々をからかっていいんだぞー」



くつくつ、とPが悪そうに笑う。



「いじってくださいって全身で言ってるウサミンが悪いんだし、藍子もやってやれー」

「そうなんですか?」



「Pさぁん!? やめっ、やめてくださいよ! ただでさえPさんに加蓮ちゃんがアレなのにっ……それに藍子ちゃんはほら冗談とかを真に受けかねませんし!? ほらっなんかPさんの言葉を疑ってないって顔だしっ……あ、藍子ちゃんはそんなことしませんよね!? ウサミンをいじめたりしませんよね!?」

「だ、大丈夫ですっ、あはは……」

「大丈夫って風に見えないんですが!? 何か誤魔化してますよね!? Pさんが余計なこと言うからですよ!? どうしてくれるんですか!?」

「え、俺のせい?」



逡巡があったことなんて、簡単に見破られた。拙い演技なんてやっぱり誰にも通じない。



「大丈夫です、ほんと大丈夫ですからっ」

「大丈夫大丈夫って繰り返す人ほど信じられませんよ!? あのぉ……ホントに、信じていいんですよね? 藍子ちゃん?」

「…………」

「答えに詰まってるうううううう! 藍子ちゃんだけは、藍子ちゃんだけは信じてたのに!」

「えー俺のことは信じてくれないのかーショックだなー」

「Pさん、だめですっ」

「ナナ今日は自棄酒する! 17歳だけど!」

「ええぇ……」

「お、いいなウサミン、俺も付き合うぞ」

「Pさんまでっ。え、ええと、菜々さんは17歳なんですから……ね? ね?」



にじゅうほにゃらら歳のマジ泣きを宥めている間に時計の針は周り、仕事の時間になった。

撮影現場まで送ってもらい、スタンバイに入り、楽屋のドアを開けたところで。

最初の目的を思い出して、藍子は思わずがくりと項垂れた。



……誕生日プレゼントが決まるまで、まだもうちょっとかかりそう。



――5月11日――



In物陰。



「お、お疲れさばでず、加蓮ぢゃん……」

「お疲れー菜々ちゃん」



夕方5時。いつものように学校帰りに事務所まで行って、ドアを開いたら。

そこに加蓮と菜々がいたので。

反射的に物陰に隠れた。

……隠れた後で、頭の上にたくさんのクエスチョンマークを浮かべる藍子だった。



「……なんか、いつもよりひどい顔になってるよ? 大丈夫?」

「へ、へーきです、へーきへーき。うさみんこれくらいでへばらない……」

「とか言ってソファにべちゃってなってるし……もー。Pさん呼んでこよっか?」

「待ってくだっゲホッ!」



物陰に隠れるなんて慣れている訳がない。息を殺すのでせいいっぱいだ。

でも、あの加蓮がからかうよりも先に心配しているのが引っかかる。

菜々は、それほど疲れてしまっているのだろうか。

葛藤しながら、藍子はそろりそろりと顔を出した。



いつ目が合ってしまうか、いつ加蓮が口元にイタズラを思いついた時の笑みを見せるか――

そんなことがあってはならなくて、あっては目的を達成できないからこうして隠れてしまっているのに、そのスリルがちょっぴり楽しい。

かくれんぼみたいで。



「さ、さすがにこの姿はそのぉ……見せたくないというか、見せられる訳がなくて……。で、でもPさんに助けてもらいたいって気持ちも……か、加蓮ちゃんなら分かってくれますよね? この矛盾!」

「ん、まぁ分かるけどさ。私なんにもできないよ?」

「平気です、ちょっと横になったら回復しますからね、ホントマジで。やーもう平気ですへーきへーき。1時間で治りますからマジで」

「……なんか自分に言い聞かせてない?」

「気のせいです」

「そう?」

「気のせいです。……はー」



仰向けウサミン、大きくため息。



「しんどい……疲れた……。今回の新曲、ハードすぎやしませんか……」

「…………」



「……でもま、それが楽しいんですけどね。無理なことができた時のあの快感! ファンにお披露目して、拍手をもらえた瞬間なんかはもうっ……!」

「相変わらず涙もろいなぁ。まだ本番まで何日もあるのに」

「この歳になると涙腺が弱くなるんですよ。加蓮ちゃんもそのうち分かりますから!」

「…………そだね。二十歳も後半になるとすぐ泣くようになったってお母さんも、」

「誰が二十歳後半じゃー!」

「先に言ったのアンタでしょ!?」

「ハッ! ……加蓮ちゃんが誘導させたんですよ!」

「私のせい!? 勝手に自爆しておきながら!? それってなくない!?」

「日頃の行いってものがありますからね」

「そりゃ……うぐぐ、言い返せない……!」



ここから見えるホワイトボードを確認してみる。どうやら加蓮と菜々は一緒にレッスンをしたらしい。

それだけ、2人とも疲れているはずなのに……はずだけれど、楽しそうに言い合っている。



「だいたい加蓮ちゃんこそ! 実はクタクタなのに無理してるってことありません!? ナナに気を遣うとか一切いりませんからね! さあさあ一緒に横になりましょう!」

「気なんて遣ってないって。私は私なりに全力出してるだけだし」

「どーだか。加蓮ちゃん、隠すの得意ですからねぇ」

「ここに来てからはそこまで得意じゃ……あ、でもガバガバなウサミンよりはマシだね、うん」

「失礼な!」

「ところでさー菜々ちゃん。昨日、Pさんと一緒に事務所の食堂で酔いつぶれてたって聞いたけど。ホントなの?」

「あー……起きた時に後悔したんですよねぇ。いい大人になって何してるなろうって。幸いにも二日酔いってことにはならなくてナナ安心――」

「ところでさー菜々さん」

「ハッ! ってなんか呼び方が変わってるー!? ……ちょっ、なんですかそのよそよそしい目は!」



藍子は静かな時間が好きだ。

Pや、加蓮や、菜々と、ゆっくりとお茶を飲んで、お菓子を食べながら、なんでもないお話をゆったりとするのが好きだ。

一緒にアイドルに情熱を注ぐのも楽しいけれど、何もしないでいい時間も大切にしたい。

だから、今のあの2人に混ざりたいかと聞かれると、少しばかり微妙だけれど。

そんなに声を荒げていないで、ゆっくりお休みすればいいのに、と思うけれど。



……。



…………。

「――こんにちはっ、加蓮ちゃん、菜々さん!」

「おっ。こんにちは、藍子」

「うっさみーんっ! 今日も藍子ちゃんは元気そうですねっ。ナナ、さっきレッスンがあったんですがハードすぎて……クタクタなんですよねぇ。その若い体が羨ましい――」

「あの、17歳……」

「ハッ! あ、えええと要はそのっ……こ、ここでウサミントリビア〜! 実は、地球での1年はウサミン星での10年で計算され、」

「え? ってことは菜々ちゃん、ホントは270歳になるってこと?」

「ナナはウサミン星出身地球在住だから問題ないんです!」

「うん……うん?」

「ぜーっ、ぜーっ」

「……菜々ちゃんじゃないけど私もクタクタ。ねー藍子、私の家までおぶって運んでー」

「ふふっ、それはちょっと無理です、ごめんなさいっ。かわりに、何か飲み物を持ってきますね。何がいいですか?」

「サイダー」

「ナナ、お茶をお願いします!」

「ちょっと待っててくださいね〜」



給湯室へ向かう。サイダーの缶と、お茶の未開封ペットボトルを取り出して、自分は何を飲もうかと悩む。

別に何でもよかったはずだし、それほど喉が乾いている訳でもないのに、どの飲み物も不思議なくらいに美味しそうに見えてしまう。



<藍子おそーい

<サイダーが見つからないんじゃないですか? 藍子ちゃん、困ってるんじゃ

<藍子なら上手くやるでしょー



「ごめんなさーい、すぐに行きますっ!」



たっぷり5分くらいを使った頃に催促の声が聞こえた。

慌てて冷蔵庫をもう1度開けて、食器棚からコップを取り出した。

3人分の飲み物を持っていく時にはもう、菜々の誕生日プレゼントを悩んでいたことが頭からすっぽり抜け落ちてしまった。



そしてまた、帰宅して頭を抱えることになる。

あと4日後なのに。



ちょっとずつ、余裕が無くなっていく。



――5月12日――



アイドルをやっている以上、ストーカーなどの不審者には気をつけろとPからよく言われる。

自分が被害者になるとは藍子は思っていない――加蓮やPからすれば「人気アイドルの自覚が足りない!」と怒られてしまうだろう。

それでも、何かよくないことに巻き込まれてしまったらアイドル仲間やPに迷惑をかけてしまうかもしれないから、多少の意識くらいはしているつもりだ。



ただ、自分が加害者側に回るなんて事態は、これっぽっちも予想していなかった。



「〜〜〜♪ 〜〜〜〜♪」



電車に1時間ほど揺られて向かった先は、塗装が少し剥がれ落ちてしまっているスーパー。

鼻歌混じりに菜々が商品をカゴに放り込んでいく。今日は体力が余っているのか足取りは軽い。

やがて牛乳コーナーへと向かった彼女は、陳列棚へと身を乗り出して唸りだした。賞味期限が……、というひとりごとが聞こえる。

そんな庶民的アイドル安部菜々をストーキングする、お散歩大好きアイドル高森藍子。



特定のアイドルのストーキングは、お散歩と言って誤魔化せるのだろうか?



(何をやってるんだろ、私〜〜〜〜!)



もう何度目かの自問自答になる。

例によって学校帰りに事務所に行って、菜々も藍子も軽いミーティングだけで終わった。それから菜々が「今日は用事があるのでお先に失礼しますね!」と言って、その後をなんとなく追いかけて……なんとなく、今に至る。



なんとなく。

なんとなく、としか言いようがない。

別の手段があっただろう――声をかけるとか、一緒に行こうとか、何かあったとは思う。

今になって思っても、もう行動してしまった後だけれど。



「マーガリンはもうちょっとあったし、あとは――」



我に返った時には牛乳選びが終わっていた。小走りで、陳列棚の陰から陳列棚の陰へ。……近くを通りかかった主婦からの視線は気にしない。

そろぉりと菜々を見る。

彼女はある一点を睨んで何事か悩んでいた。心なしか表情に汗が浮かんでいるように見える。



視線の先には、銀色の缶。

あと、未成年を禁止する注意書き。



お酒コーナーだった。



(じ……じゅうななさいっ!)



心の中で叫ぶだけに留めた自分を藍子は心の底から賞賛した。まかり間違って口に出していたら不審どころの騒ぎではない。下手すると菜々ともどもアイドルバレした挙句にウサミン星人=成人説が生まれてしまう。いや藍子が気遣わずとも既にバレバレなのかもしれないが、そこは、ほら、本人が隠しているのだから。そう、隠しているのだから"知っている"藍子も隠さなければならない。決して言い訳ではなくそれが正解なのだ。たぶん。



……ぐるぐると思考が沼に沈んでいく間に、菜々が一歩を踏み出した。

おそる、おそる。

足を進めるごとに顔の汗が倍増になっていく。

やがて引きつった顔にヤバげな笑みが浮かび上がり、ついにはゲヒヒゲヒヒと悪役のような声まで漏れ落ちるようになって――



「な、菜々さんっ、奇遇ですね!」

「ひゃいっ!?」



その辺りが藍子の限界だった。



「なななななななナナはななななな……って藍子ちゃん!?」

「はいっ、藍子です!」

「へ? なんでここに――」

「奇遇ですね!」

「き、奇遇、ですね……?」

「ほらっ、私、お散歩が趣味ですから!」

「はぁ」

「だから、その……奇遇です!」

「は、はぁ」

「奇遇なんです!」

「……………………なんか隠してません?」

「ぎくっ」



狼狽が警戒へ変わり、やがて探り目に。

唇をへの字に結んで迫ってくる菜々の迫力たるや、バレたら怒られることを隠している時の母親の如く。

菜々は何かを警戒するように右へ左へと首を振り、顔をぐいっと引き寄せてきて囁いてくる。



「……何も、企んでないんですよね?」

「も、もちろんじゃないですか、やだなぁ……」

「Pさんや加蓮ちゃんに入り知恵されたとか、そそのかされたってことは――」

「何も言われてません。それはホントです!」

「“それは”?」

「あっ」

「…………」

「あは、あはは……」



ウサミントリビアによると、ウサミン星の1年は地球での10年に匹敵するらしい。

今、この瞬間。

菜々にとっては10秒くらいだったのかもしれないが、藍子にとっては1時間くらい見られていたように感じた。

案外、作り話ではないのかもしれない。ウサミントリビア。



やがて菜々はやれやれと息を吐いて、すっ、と離れる。



「まっ、藍子ちゃんですから。ダマされてあげましょうか!」

「ほっ……」

「…………」

「じ、じゃなくてっ、あ、ありがとうございますっ。菜々さんに信じてもらえて嬉しいです。あ、でも、私は何も隠してませんけどっ」

「……………………あの、ナナが言うのも何ですけど……もーちょっと演技力レッスンとかした方がいいんじゃありません?」

「そ、そうだっ。あの、菜々さんはお買い物をしていたんですよね? 今日の晩ご飯は何の予定ですかっ」

「……。……今日は肉じゃがを作っちゃいますよ! よければ藍子ちゃんも食べていきます? なーに、2人分も3人分もたいして代わりませんからね!」

「じゃあ、お邪魔しちゃおっかなー……」



ふっ、と目が逸れるだけで体感温度がだいぶ下がった。

額が汗塗れになっていることに気付いて、行儀が悪いながら服の袖で拭っているうちに菜々はレジの方へと向かっていってしまう。

よろめきつつも慌てて追いかけた。



立ち去る菜々が一瞬だけ未練がましい顔を見せた。

ちらり、と振り向いた先のことを考える程の余裕は、藍子にはなかった。



「さーて藍子ちゃん。夜は長いですからね。ナナに何を隠しているか、しっかり吐いてもらいますよぉ〜?」

「……み、見逃してくださいっ」



ウサミン星人代表と地球人代表の戦いは深夜23時まで繰り広げられたそうな。結果は、地球人代表の辛勝。



――5月14日――



「あの、加蓮ちゃん。これ、返しますね」

「もういいんだ?」

「はいっ」



渡した雑誌をパラパラとめくる加蓮に、藍子は次になんて言おうと悩んでいた。

もっと言うと、「雑誌を返した次に何を言おうか」と、昨日の晩からずっと悩み続け、少し寝不足になり、それでも答えが出ないまま午前11時へと至った。

何も言われないことに、こっそりとため息をついてしまう。

そんな藍子を加蓮が一瞥したが――藍子は、気付いていない。



「…………ふわぅ……あっ、ご、ごめんなさいっ。昨日、ちょっぴり寝るのが遅くなって」

「で? 決まったの? 菜々ちゃんへのプレゼント」

「……あはっ。やっぱり、バレちゃってました?」

「うん、バレバレ。で、その顔を見ると……決まってないって感じ?」

「実は、あうぅ」



曖昧な返事に加蓮は少しだけ眉根を寄せた。それから改めて雑誌を大雑把にめくる。

藍子の目にはかろうじでページごとの色が確認できるくらいに手つきが早い。



加蓮の目つきは真剣そのものだった。



サスペンスドラマで探偵による推理ショーを見せられている犯人役の気分だ。

ドラマでは、探偵が「犯人はあなたです!」と言った後で、犯人がそれを認めて項垂れる。

現実では――



「…………ふぅん」

「そ、その、……ごめんなさいっ!」

「んん?」

「せっかく加蓮ちゃんに雑誌を借りたのに……あの、やっぱり決まらなくてっ。うまく想像ができないけど、でもそれは菜々さんのことをよく知らない私が悪いんです! なのになんだかぜんぜんうまくいかなくてっ、それで――」

「ちょ、ちょっと待って、落ち着いてよ。どうしたのいきなり?」

「……ふぇ?」



がしり、と両肩を掴まれてから、初めて全身から力が抜けていった。



「うーん。よしっ。じゃあ1個ずつ整理していこっか、藍子」

「は、はいっ」

「誕生日プレゼントを決める為に、藍子は私から雑誌を借りた」

「はい、借りました」

「決まらなかった」

「……ごめんなさい」

「謝らなくていいってば。決まらなかったのは、藍子が菜々ちゃんのことをよく知らないから……って藍子は思ったんだよね?」

「はい……」



「……なんで泣きそうな顔してんの?」

「それは――って、私、泣きそうな顔、してました?」

「うん。私が止めなかったら5秒後くらいに泣いてたかな? ってくらいの顔」



1つずつやり取りをしていくうちに頭が冷えていく。一区切りついた後にソファに促され、素直に座ったら「飲み物とってくるねー」と加蓮が立ち去った。

軽快な足取りで給湯室へ向かう後ろ姿をぼうっと眺める。姿が消えたほぼ直後、ひょい、と顔だけ覗かせて「この前のお返しだねっ」とイタズラっぽい声が弾んだ。

ワンテンポ遅れてから加蓮が何を言っているのか理解した藍子は、思わず小さく噴き出していた。

それを見た加蓮は満足気にウィンクして、今度こそ顔も引っ込ませ、瞬きしている間にペットボトルとグラス2つを持ってくる。

オレンジジュースが、とくとくとく、と注がれるのをこれまたぼうっと見て、そうしたら時計の針の音が鮮明に聞こえるようになった。



「加蓮ちゃんは」

「ん?」

「いつも決めるのが早いですよね。……ほらっ、前の打ち上げでファミレスに行った時も、最初に注文を決めていたの、加蓮ちゃんでしたっ」

「だっけ?」

「ずっと悩んでる私に、加蓮ちゃんが助け舟をくれたんですよ。両方頼んで実際に見てから決めるといい、食べない方をPさんが……って。ふふっ。あの時もPさん、困った顔をしちゃってました」

「そんなこともあったねー」



矢継ぎ早だった口調が、徐々に緩やかになっていく。自分の声が自分にも聞こえるようになった。

自覚したのと同時に考えを見計らったように加蓮がしたり顔になり、うん、と大きく頷く。



「よしっ。いつもの藍子に戻ったね」



グラスを手渡される。無言で軽く頷いて、受け取る。



「乾杯っ♪ ……甘ぁい。もー、変な藍子。何を思い詰めてんだか」

「……いつの間にか、ちょっと考えすぎてたのかもしれません」

「たかが誕生日プレゼントなのに?」

「されど誕生日プレゼントですっ」

「相談くらいしてくれていいのにー」

「その……意地を張っちゃってっ。何回も何回も、私って何をしてるんだろ? って思っちゃって。でも――」

「後には引けなかった、と」

「あはは……」

「藍子って変なところで頑固だよね。よし、じゃあ菜々ちゃんが悪いってことにしよう。ううん。菜々ちゃんのややこしさが悪いってことにしよう」

「でも、悩んでいたのは私ですし、菜々さんのせいにしてしまうのは――」

「人のせいにすると楽になれるよ。自分が悪い自分が悪い、って言ってたら疲れちゃうし」



私もねー、と何かを続けようとした加蓮は、そのまま苦い顔をして押し黙った。

半分くらい残っていたオレンジジュースを一気に煽り、軽くむせ、心配そうな顔をする藍子を手で制しつつ小さく頬を掻く。



「で、何に悩んでるの?」

「へ? それは、菜々さんの誕生日プレゼントを」

「そうじゃなくて。聞き方が悪いのかなぁ……。なんでそんなに悩んでるの? って聞きたかったってゆーか」

「菜々さんに贈るプレゼントがなかなか決まらなくてっ」

「違うってーの……。ああもうっ、じゃあもうちょっとぶっちゃけるね。なんでそんなに、しんどそうな顔して悩んでるの?」

「……しんどそう?」

「無自覚なんだ……。なんで藍子が、おでこにこんなシワを寄せて、」



ぺちり、と額をはたかれた。



「あたっ」

「こーんな顔して悩んでるのか、って話」



うにょーん、と加蓮がツリ目をして見せる。



「藍子っていっつもアホみたいな平和顔で、どうしよっかなー、どうしよっかなー、ってばっかりで、あー今日も幸せそうに生きてるなーってちょっと妬んでたくらいなのに」

「……あの、そんなこと思っていたんですか?」

「半分冗談。あと、前に物陰に隠れてた時なんて、もっとドキドキワクワクって感じだったでしょ? なんで今はそんなつまらなさそーな顔してんの?」

「陰に隠れ……って、ええっ!?」

「……?」



「あ、あれっ、あれもバレていたんですか!?」

「あー……菜々ちゃんにはバレてないかな? うん、たぶん」

「そんなぁ……」



ようやく膝に力が入って立ち上がれそうだったのに、またへなへなと腰が抜けてしまう。

そのままソファにしなだれかかる藍子へ、加蓮がくつくつと声を漏らした。



「あはは、ほらっ。私って人の気配とかけっこう鋭い方だし……きっとかくれんぼとかしたら藍子には、っていうか事務所のたいていの人には勝てる自信があるよ」

「あ、あはは……なんだか私、すっごく馬鹿みたいじゃないですか」

「うーん……。それは否定できないけどさぁ」

「加蓮ちゃんひどいっ」

「え? 否定してほしかったの? 藍子ってそういう面倒くさい会話したがるタイプだっけ……? まーいいや。でもさ……ふふっ。隠れるのってけっこう楽しいでしょ? バレそうでバレないってあのスリルとか!」

「ドキドキばっかりしていたので……その、バレないかな? ってばっかり考えちゃっててっ」

「でも私にはバレバレでした、っと」

「……加蓮ちゃんのいじわる〜」

「菜々ちゃんに言わなかっただけ温情だと思いなさい」



芝居じみた口調に首を縦にも横にも振れないでいるうちに、ぽすり、と加蓮が藍子の隣に腰掛け直した。

ソファが軽くへこむ。ずり落ちそうになって背もたれへと手を伸ばすと、加蓮がその手を掴んでくれる。

よいせっ、と引き上げてくれようとした……のだろうけれど、引っ張られる力はあまりに弱く、加蓮を巻き込んで床に転がり落ちそうになった。

なんとか全身で踏ん張って起き上がる。加蓮と目が合う。やや気まずそうな吐息に、つられて下唇が少し曲がってしまう。



「あ、あはは……。えーっと、かくれんぼの話、じゃなくて」

「菜々さんの、誕生日プレゼントのお話ですっ」

「でもなくて」

「……あれ?」

「そ。藍子が馬鹿だって話」

「違いますっ」

「違わない」

「もうっ。それも加蓮ちゃんのいじわるなんですよね? でも、私、これでも真剣に悩んでるんです」

「ふうん」

「なのに加蓮ちゃん――」



あれ? と気付いた。"なのに加蓮は"……何だろう?



「あははっ、ごめんごめん」



思考がぷつりと途切れた藍子へと、加蓮はおどけて頭を下げて見せた。



「知ってるよ。藍子が真剣だってことくらい。藍子は他人想いだもんねー。自分のことしか考えてない私とは大違い。いーなー」

「そんなことないですっ。加蓮ちゃんが優しい子だってこと、みんな知ってますよ?」

「今こうして真剣に悩んでる藍子をからかっていじめてばっかりなのに?」

「それは……ううん……うまく説明できませんけれど、でも、それが加蓮ちゃんの優しさかなぁって……。ほら、私をもっと気楽にさせてくれているのかな? なんてっ」

「バレたかー」

「バレバレですっ」



お返しっ、と藍子は笑う。



「ふふっ。ちょっとは気楽になれた?」

「え? ……あっ」



また、記憶から抜け落ちかけていた。

そうだ。今日は5月14日で、明日は安部菜々の誕生日。なのにまだプレゼントは決まらない。

お昼を回ればあっという間に夕方が来て、夜が来てしまう。



頭を抱える藍子へと加蓮が、またあのおどけた顔を見せる。



「ねー藍子。私さ、ちょっと困ってるんだ」

「……加蓮ちゃんがですか?」

「加蓮ちゃんもです。…………」

「……?」

「や、……いや、前言撤回……。ちょっと今自分で言おうとしたことがヤバイくらいクサいって気付いて……。えーと、あ、そうだ。あのねー、実はここ数日くらい寝ると変な夢ばっかり見てさー。今日、藍子の家に泊まりにいっていい?」

「…………」



リアクションに困った。早口の小声で発言を書きなおしてからの、明らかに取り繕った"嘘"。

目の前で本音を隠される様を見せられてはかける言葉が見つからない。

ぱちくりと、瞬きを2回。



「……やっぱりダメぇ?」

「だめっていうか……あっ!」



その時ふと思い出した。数日前、年季の入った一軒家――ではなくてウサミン星の拠点(仮)にてウサミン星人を相手に辛勝した夜のことを。

菜々はどんな態度を取っていた?

明らかに隠し事をしている藍子に対して、騙されてあげる、と何度も口にした。

……その度に藍子が安堵の表情を浮かべてしまうものだからまた追及が始まり、やがて菜々が騙されてあげて、藍子がほっとして――以下、無限ループ。



「ふふっ。加蓮ちゃん。私、だまされてあげますねっ」

「わーなんかすっごいムカつくー腹立つー」

「あれ!?」



「あははっ。で、泊まりに行っても大丈夫?」

「あ、はいっ、大丈夫です!」

「よかった。じゃ夜更かしでもしていろいろとおしゃべりしよっか。あっ、私が先に寝ちゃうと思うけど落書きとかしないでよ? ……あとスマホで撮るのも禁止」

「はーいっ。ふふっ。加蓮ちゃんには、ちっとも隠し事なんてできないですね」

「……んん?」

「あれ?」

「隠し事って……アンタまだ何か隠してんの?」

「え、だってスマートフォンの待受のこと、知ってて言ったんじゃ――」



あ、まずい。



前言を撤回しようと口を開いた瞬間、加蓮の形相がみるみる変化していく。反射的に逃げようと身を翻したら腕を掴まれた。あーいーこー? と地獄から轟くような声で名前を呼ばれる。閻魔大王か何かか。振り返るのがすっごく怖くてイヤイヤとかぶりをふったら両手で顔をがしっと掴まれて強制的に死神のような目と直面させられた。



たすけてくださいと声に出せずに叫んだ。



助けは来なかった。



「あ、あはは、あははははははは……」

「ふふ、ふふふっ……」

「…………」

「…………大丈夫、加蓮ちゃんに任せておきなさい。藍子の悩みなんて5秒で解決してあげるね。うーん、ざっくり言うと『同じ悩むなら楽しみながら悩みなさい。忘れそうになったら常に楽しむことを意識すること。藍子ならそれができるでしょ?』、はい終わり。じゃー残りの時間は」

「の、残りの時間は?」

「ふふっ」



いやあああああああああああああああああ!!



――悲鳴は誰にも届かなかった。



――5月15日――



朝早くの事務所にて。



「プレーンクッキーがプレゼントとは、ナナちょっとびっくりでしたよ! しかも手作り! これ、加蓮ちゃんが焼いてくれたんです?」

「藍子にもだいぶ手伝ってもらったけどね。ケーキとか食べ飽きてそーだし、手作りで何かしてみたいなーって……でもお菓子作りなんて滅多にやらないからすっごく苦労しちゃった。変な形になっちゃったし……ごめんね?」

「いえいえ。加蓮ちゃんと藍子ちゃんの気持ち、いっぱい受け取りました!」

「こらこら、恥ずかしいこと言わないの」

「キャハッ☆ これで明日から、いや今日からまた頑張れます!」



さくさくさく、と食べる音が、心地よく耳に届く。



「実を言うとナナ、少し身構えていたんですよね」

「っていうと?」

「加蓮ちゃんが何を仕掛けてくるか」

「えーなにそれひどくない?」



「それに最近は、藍子ちゃんもちょっと様子が変でしたからね。ナナの取り越し苦労でよかったですよホント」

「藍子も何か言ってやれー」

「……え? あ、あはは……。不安にさせちゃってごめんなさい。でも、もう大丈夫ですから!」

「もう大丈夫ってことは、解決したってことですね? いつもの藍子ちゃんに戻ってくれて、ナナも一安心ですよ!」



いやーよかったよかった、と菜々は何度も繰り返す。

……すぐ後に、戻ったんですよね? とあの夜に見飽きるほどに見た怪訝な表情を向けてきた。

はいっ、とふんわり頷く。心の底からほっとしたような顔も、もう結構な回数を見た。



次は、どんな顔が見られるかな?

……もしかして加蓮がいつも菜々にちょっかいをかけているのって、と閃き、すぐに藍子はかぶりを振った。

それはたぶん、よろしくない。何かが、よろしくない。たぶん。



「解決したっていうか、これから解決するっていうか。ね、藍子」

「はいっ」

「むっ、加蓮ちゃんと藍子ちゃんが何やら秘密のやりとりを……ナナも混ぜてくださいよ〜!」

「心配しなくても、どのみち菜々ちゃんに関わることだから」

「ナナに? も〜、焦らさないで言ってくださいよ!」

「はいっ」



クッキーの端をゆっくりと飲み込んで、立ち上がる。

鋭く息を吸った途端、台本がぱらぱらとめくられていく様子が脳裏をよぎった。

まるで、繰り返し練習してとうとう撮影の日を迎えたドラマのよう。

少し違うのは……役に入る必要がないことと、台本なんてないこと。



朗らかな笑顔から緩やかな真顔になった藍子へ、菜々が瞳をぐるんと回す。

……きっと、ちょっとへんてこな結論だと思う。

でも堂々としていたい。自分と加蓮が一緒に考えた、1つの結論。



「菜々さん。実は私……ずっと、菜々さんの誕生日プレゼントに悩んでて。結局、最後まで思いつかなかったんです」

「へっ? え、じゃあこのクッキーは……」

「それは私のプレゼントでーす。藍子は手伝ってくれただけだよ。ま、藍子の話を最後まで聞いてあげて?」

「はあ……おおっと。それでそれで?」

「それで、よく考えてみたら、私、菜々さんのことをあんまり知らないなぁ、って」

「あらま」

「なので、菜々さんへの誕生日プレゼント、もうちょっとだけ待ってもらってもいいですか? 菜々さんのことをいっぱい知って、そうしたら、何がいいかな? って思いつくことができそうだから……」



……堂々としていた、つもりでも。やっぱりどこかズレているように思えて、つい口ごもってしまう。

ぽかんとしている菜々へと、加蓮が肘で軽く小突いた。

それでも誰も言わないまま、少しの沈黙の時間が続く。



もうちょっとだけ、言わなきゃ。



「だからっ……菜々さん! 今度、一緒に2人で遊びに行きましょうっ」

「へ、へ?」

「今日……は、お忙しいと思うから、明日とか、明後日とかっ。あっ、その時にいいものがあったら買いたいなぁ、って思っちゃったりして……ええと……その……や、やっぱり変、でしょうか……?」

「あ、ああいえっなるほどなるほ……ど? なるほど……? ……キャハッ☆ 藍子ちゃんは変なことを言いますね!」

「あうぅ、やっぱり……」

「ちっちっち。変なことって言うのは、そんなのわざわざ大げさにしてるってことですよ。どこへ行きます? メイドカフェとか? 藍子ちゃんオススメの公園なんてのもいいかもしれませんね!」



あ、それなら私のオススメを――と加蓮が横槍を入れ、菜々がなぜだか引きつり笑いで両手を前に出す。

明らかなノーの姿勢に加蓮がへそを曲げる。えーなんでー、と不満気な声に、何を吹き込まれるか分かったものじゃありませんからね! と反撃する菜々。



大げさにしすぎた。



悩みすぎた。



最初は、あれこれ想像しながら、ずっと心を弾ませながら雑誌をめくっていたはずなのに。

いつしか日付が流れて、切羽詰まりだして、余裕がなくなって。

気がついたらものすごく大きな問題みたいに思えてきてしまっていた。



でも菜々は「大げさすぎる」と言う。そして加蓮は「同じ悩むなら、楽しみながら悩めばいい、忘れそうになったら意識するといい」と言う。



……そっか。



大切なことを忘れていた。

アイドルをやっている時も、学校に行っている時も、お散歩をしている時も。



「菜々さんっ♪ どこに行くか、いっぱいお話しましょう! 菜々さんがどこに行きたいのかも、私、教えてほしいですっ」

「キャハッ☆ 藍子ちゃんこそいっぱい教えてくださいよ! いやぁ最近の若い子がどういう物が好きなのかたまに分からなくなってインタビューの時とかも相手方にポカンとされて困――ハッ! い、いやいや別にそーいう訳じゃなくてですねぇ、その、いやほら単純に藍子ちゃんの話を聞いてみたいっていうかゴニョゴニョ……」



……ほんのちょっぴり、だいなしだ。

そして1つ思い出した。物陰に隠れて、2人の言い争いを見ていた時に思ったことを。



「じゃあ、今日の夜は藍子の家に集合ってことで――」

「えー、だめですよ。今日は、私と菜々さんの2人で話し合うんですから。加蓮ちゃんは来ちゃだめですっ♪」

「んなっ――え!? 私ハブ!? ちょ……藍子!?」

「だめです、加蓮ちゃんっ♪」

「なんでぇ!?」

「だめなものはだめなんですっ」

「どーいうこと!? 私最初からそのつもりで藍子の計画を聞いてから場所のメモとか……藍子おおおおお!?」

「ゆゆゆ揺らさないでくださっあううぅぅぅ」



こうして、輪の中に入って、どうでもいいことで言い争うのも。



……らしくはないかもしれないけれど、楽しいこと、そして、少しだけ思い切ったことの、ひとつ。





おしまい。





22:30│高森藍子 
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