2017年02月02日

相葉夕美「プロデューサーに花束を」




プロデューサー。







何度唱えてみても、やっぱり変な言葉だと思う。

カメラさんとか、監督さんとか、そういう人をそういう風に呼ぶのは、何となく分かるけど。



でもプロデューサーはいつも隣に居る人で。

この事務所だけかどうかは分からないけど、そう呼ばせたがる人が多くて。

私の担当さんもその一人。





 「ありがとね。Pさん」



 「夕美もお疲れ様。ゆっくり休んで」





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帰り道を車で送ってもらって、気付けば引っ越したばかりの家に着いてて。



――もう少しゆっくり送ってくれてもいいのになぁ。



そう思うのは心の中だけ。

この人が遣ってくれた気は、とてもじゃないけど無駄になんて出来ない。



 「あのさ、夕美」



 「うん?」



 「試しに、試しにさ。昔みたいに、プロデューサーって呼んでみてよ」



 「ううん、やだ」



 「……これ以外の聞き分けは良いのに」



 「だって、急に『プロデューサー』『相葉さん』に戻ったら、そっちの方が変だよ?」



 「それはそうなんだけど……こう、公私の。そういう、曖昧な……」



 「彼女を名前で呼ぶの、そんなにイヤ?」



 「そんな訳無いよ。ただ、何となく……一緒くたにしたくないんだ。アイドルと、普通の女の子と」





Pさんとナイショで交際を始めてから、そろそろ一年。





凛ちゃんにも、周子ちゃんにも、藍子ちゃんにだって秘密のお付き合い。

でも何となくだけど、多分バレちゃってるんじゃないかな、とはちょっと思ったり。

私もPさんも、あんまり嘘が得意な方じゃないし。



 「だから、簡単だってば」



Pさんの手を握ってみる。

ゴツゴツしてて、カサカサしてる、男の人の手。





 「好きって。ちゃんと言ってくれたら、私だって……そう呼ばない事も無い、かも」





 「……ごめん」



Pさんが首を振って、薄く笑って、手を離して。

世界で一番優しいこの人は、私の一番欲しい言葉だけはくれなくて。

ズルいなぁ。本当に、ズルい。

乙女心を弄んでばかりだと、この気持ちだって枯れちゃうよ?





うん、えっと、今の無し。

心の中でつく嘘は、いつか本当になっちゃいそうで怖いから、やめやめ。





 「おやすみ」



小さくなっていく社用車を見送るりながら、自然に溜息が一つ。



普通のデート経験、無し。

キスした事、何回かだけ。

その先――もちろん、一切無し。



 「……はぁ」



アイドル生活はとっても楽しいけど、アイドルの肩書きはちょっとキライ。

そんなわがままをPさんに伝える訳にもいかなくて、もやもや、モヤモヤ。





 「ただいまー…………あっ」



玄関を開けた所で思い出して、急いで靴を脱いだ。





今朝、日向ぼっこをさせてあげたポインセチア。

窓際に置かれたままの彼女は、少し元気が無くなっていて。



……ごめんね。

 ― = ― ≡ ― = ―



 「夕美さん、最近何かありました?」



 「えっ?」



事務所のカフェでお茶をしていると、藍子ちゃんが首を傾げる。

何かと言われても、うーん、何だろう。



 「この前から、『薄れゆく愛』とか、『貴方を忘れない』だとかむひゅっ」



 「しーっ! しー……っ!」



慌てて藍子ちゃんの口を塞ぐ。

周りを見渡せば、他の娘たちからは少し席が離れていて。

しばらくもごもごしていた藍子ちゃんと目を合わせてから、何度も頷いた。

そっと手を離すと、藍子ちゃんはぷはぁ、と息を吐いて、責めるように私を見つめる。



 「……息が、出来ませんでした」



 「ご、ごめん……でもっ、どうして知って」



 「花言葉、ですか?」



私とPさんは、一月に一輪ずつ、お花を贈り合ってる。

花に言葉を載せて、花に載せた言葉で返してもらって。

シュウメイギク、シオン、バーベナ。

あんまり有名な花だとみんなにも分かっちゃうから、ちょっとマイナーな花を選んで。

藍子ちゃんも、そこまでお花には詳しくない、筈なんだけど……。



 「ええと……実は、こっそり写真を撮っていたんです。鞄や花瓶に挿したのを」



 「しゃ、写真?」



 「その、携帯電話で。それを、その……凛ちゃんに」



 「……あー、あー」



凛ちゃん家のお店は、私も贔屓にさせてもらってる。

お花や種やアンプルを買うついでに、他の娘とは話せないような事も、少しだけ。

凛ちゃんも私と同じような真似をしているらしくて、相談にも乗ってもらったり。

それこそ、Pさんへ贈るお花を買っていったり。

写真を送って来られたら、確かにすぐ分かっちゃうと思う。でも。



 「……どうして、わざわざ?」



 「ごめんなさい。やっぱり、上手くいってるのかどうか、気になっちゃって」



 「上手く、って」





 「だって、友達が担当さんとお付きゅむぅ」



 「しぃーーっ!!」





何度も頷き合って、今度はすぐに解放してあげた。



 「……知ってたの?」



 「知ってたと言うか、ええと……誰でも分かるんじゃないかなぁ、夕美さん達の事」



何か言おうとしても、口はぱくぱくとするだけで、私はテーブルにつっ伏してしまった。

うぅ、一応は隠してたつもりだったのに。



 「それで、どうしたんですか?」



 「……」



辺りを伺いながら、藍子ちゃんが耳元へ寄せた口に手を添えてくれる。

顔を上げて、むっつりとした顔を作ってやって、小さく呟く。



 「Pさんがね」



 「はい」



 「好きって、どうしても言ってくれないの」



 「はい。ご馳走様です」



 「の、ノロケとかじゃなくってっ」



 「叫んじゃいますよ?」



 「…………ノロケです」





何だか最近の藍子ちゃん、つよふわになってきた気がする。







 「――なるほど。そういう事でしたか」





一通り話し終わると、藍子ちゃんがすっかりぬるくなったカフェラテを口に運ぶ。

私も真似をしてハニーラテを傾けて、やっぱりぬるくなってた。



 「ずっと変わらずいようとするのって、難しいですよね」



 「……そう、かな」



 「はい。私、よく日向ぼっこをするんですけど」



そう笑って、藍子ちゃんが窓の外へ目を向ける。

釣られて外を見渡すと、春の日差しが東京を優しく照らしていて。



 「太陽って、意外なくらいすぐに動いちゃうんです。日向ぼっこって、実はコツが要ったり」



 「暑過ぎず、寒過ぎず……って?」



 「はい。でもそれって、何でもそうだと思うんです」



藍子ちゃんの言葉は柔らかくて、聞いていると段々と眠たくなってきちゃう。

眠気を飛ばそうと手元をいじって、空になったカップの意外な冷たさに少し目が覚めた。

コーヒーを飲むのにも、コツが要るのかな。



 「恋人という関係……とても、素敵だと思います」



にこりと笑って。そういう藍子ちゃんこそ、とっても素敵な表情。

たまには担当さんへも、素直にそういう顔を見せてあげたらいいのに。



 「ずっと隣に居たいなら、ちょっとだけ近付いてみるのもいいんじゃないでしょうか」



 「……そう、かも」



 「夕美さん、そろそろお誕生日ですよね?」



 「うん」



 「花や花束を贈り合うのも良いですけれど、たまに別の何かをねだってみてはいかがでしょう」



 「……プレゼント、かぁ」



私はお花が好きで、Pさんも好きになってくれた、と思う。

でも確かに、お花を贈ればそれでいいのかって言うと……少し、違うような。



恋人らしく。

まだまだ難しいけど、確かに大切な事かも。



 「……うん。何となく、分かったかも。ありがとうね、藍子ちゃん」



 「どういたしまして」



 「じゃあ、今度は藍子ちゃんの話だね」



 「……」



笑顔で席を立とうとする腕を捕まえた。

意外に力強いゆるふわさを逃がさないように、私もにっこりと微笑んで。





根掘り葉掘りって、園芸が語源なんだよ? 藍子ちゃん。





 「こ……この後、日向ぼっこの予定がありまして……」



 「ダメ。私だけなんてズルいし。……ユニットメンバーとしての義務だよっ」



 「ゆ、ユニットって、デュオじゃないですかぁっ……!」





そうして騒ぎ合ったせいで、他の娘たちも集まって来て。

結局うやむやのまま、私達は逃げるようにカフェから転がり出て。



女の子にとって、コイバナは何よりの栄養なのに。







……恋人らしく、かぁ。







 ― = ― ≡ ― = ―



 「お疲れ様、夕美」



 「うん」



初めてのバースデーライブは、規模こそ小さいけれど、大成功。

会場中に黄色いサイリウムが咲き乱れて、まるでお花畑の中に居るみたいで。

まだふわふわとした気持ちのまま、いつものように助手席へ沈み込んだ。



……あ、マズいかも。

疲れて、寝そうで……ううん、今日だけはダメ。ダメ。



 「約束の夕ご飯、行けそう? 疲れてるんだったら」



 「行くっ! だいじょぶっ!」



 「……そ、そっか。流石はパッションと言うか」



思わず被せ気味に答えちゃって、ほっぺたが熱くなる。

ドキドキする胸を抑え付けて、何でも無いように、視線は窓の外。

何か話すべきなのに、何も話題が思い浮かばない。

どうしよう、どうしようと焦っている内に、車はレストランへ到着しちゃった。





 「――みんな集まってくれて、良かったね」





 「……うん」



 「チケット回収率97%だって。払い戻し含めたらほぼ100%。凄いよ、夕美」



 「そ、そう……かな?」



 「夕美」



 「う、うん。聞いてるよっ?」



 「いま、何食べてる?」



 「え? えっと……スズキ?」



 「シタビラメだよ」





とっても美味しい筈の味も分からなくて、何を喋ったかも覚えていなくて。

二人きりの大切な時間なのに、私は緊張でただ固まってるだけだった。

Pさんも分かっているみたいで、話を振りながら、困ったように笑ってる。



 「そろそろ、出ようか」



 「……うん」



この一時間がすっぽ抜けたみたい。

私はぐるぐると回るだけの空っぽ頭を抱えて、出口の自動ドアをふらふらと潜った。



変わらないエンジン音と、時々小さく跳ねる時の振動。

家への帰り道を辿る車に乗ってしばらく、鼓動が少しだけ落ち着いてきた。

すっかりからからになった喉を鳴らして、精一杯の自然さを装って、口を開いてみる。



 「あの……Pさん。あの、あのね?」



 「ん、ああ……プレゼントだよね。大丈夫、忘れてないよ」



 「その、それも、なんだけど。えっと……静かな場所に、連れてってほしいの」



 「静かな……うん、いいよ。どこで渡そうか迷ってたんだ」



 「なら、ちょうどよかった、のかな」



 「さっき渡してたら、そのままテーブルの上に置いて来そうだったしね」



 「そっ、そんな事無いよっ!?」



 「ははっ」





大丈夫。ちゃんと話せてる。

嘘で着飾る訳じゃない。思ってもない言葉を並べるつもりなんかじゃない。





ほんのちょっぴり、近付いてみるだけ。

それだけだから、きっと大丈夫。ぜったい大丈夫。





 ― = ― ≡ ― = ―



 「綺麗だね」



 「……うん」





小高い丘の上に造られた、ちょっと広めの公園。

けっこう最近になって出来たみたいで、夜なのに歩く人の姿がちらほら見える。

私は眼鏡と帽子を被って、Pさんは私の名前を呼ばない。

私はアイドルで、Pさんはプロデューサーだから、窮屈なルールに縛られないといけなかった。



 「Pさん」



 「うん」



 「この前のライラック、ありがとね」



 「……あ。そっか、そろそろそっちの番か」



月の初めにPさんが、半ばに私が。

それぞれ花を贈り合って交わす、みんなには秘密の会話。

自分でもちょっと乙女過ぎるかなと思う趣味に、Pさんもよく付き合ってくれると思う。

今回のライラックは、籠めた花言葉と言うよりも、誕生日記念だろうけどね。



 「今日は私も……プレゼントにとっておきのお花、用意してきたんだ」



 「……え?」



手ぶらでそう呟いた私に、Pさんが小さく首を傾げた。

空っぽの掌を見せつけるように振って、震えそうな顔をむりやり笑わせる。



 「Pさん。私、幾つになったっけ?」



 「22。アイドルになって、四年目」



 「私、少しは綺麗になれたかな?」



 「少しなんかじゃないよ。凄く、綺麗になった」



欲しい言葉はくれない癖に、恥ずかしい言葉はすぐに返って来て。

ズルいな、ズルいなぁって思いながら、一歩ずつPさんへ近付いていく。





 「お花みたいに?」





私が呟くと、Pさんが、気付いたみたいに小さく口を開ける。

葉桜の頃。あの夕焼け。

出会った時にはもう散っちゃってた、ソメイヨシノの花びら。

小さな、沢山の桃色が、春風に吹かれてゆっくりと舞い上がった。





 「夕美」





Pさんが、私のプロデューサーが、名前を呼んでくれる。





 「好き」



空っぽの手が寂しかったから、すぐそばにあった手を握る。

いつも通りの真面目な顔を、逃がさないように、真っ直ぐ見上げる。





 「私をあげる。私の全部を、あなたにあげます」





ぴかぴかの街灯は多分LEDで、Pさんの顔が夜でもはっきりと分かった。

背中の向こう、通り過ぎるカップルがちらりとこっちを見て、すぐに元通り歩いて行った。



 「……交際しといてなんだ、って思うだろうけどさ。そういう」



 「勘違いじゃないよ。言い間違いでも、ないから」



 「アイドル。アイドルだよ。僕は、多分まだ、プロデューサーだ」



 「知ってる」





ずっとずっと、あなたを好きになる前から。





 「好きって、言ってくれなくてもいい。Pさんが、どうしても守りたいなら」



 「……」



 「だから。今日だけでもいいから……私を、Pさんのものにして……ください」



言いたい事は全部言い切って、途端に胸が震え出した。

すぐに手脚が続いて、春の夜だっていうのに、私はぷるぷると震えていた。

震えてる癖にどこもかしこも熱くて熱くて。



 「……プレゼント、あげる立場なんだけどね」



 「うん」



 「貰っても、いいのかな」



 「……うん」



頭を掻いて、Pさんがポケットからお財布を取り出した。

何枚かのカードを見比べて、ぱたんと二つに折り直す。





 「おいで」





来た道を戻り出す背中に、私も凝り固まった足を踏み出してみる。

一歩進む度にぴりぴりと痺れて、何だか無闇におかしかった。



 ― = ― ≡ ― = ―



 「いらっしゃいませ」





思わず見上げちゃうくらいの高さに気を取られて。



慌てて後を追い掛けると、ロビーはどこもかしこも白くてぴかぴか。

行き交う人達の身なりも立派で、その度に自分の服と見比べちゃう。

ふかふかのソファーで帽子を深めに被り直して、フロントに立つPさんを横目で眺める。



 「ダブルを一室お願いしたいのですが」



 「恐れ入りますが、ご予約などされていらっしゃいますか」



 「いえ……それと、これ、使えますか」



 「失礼致します……かしこまりました」



Pさんが緑のカードを取り出すと、フロントの人が何回か頷いた。



 「ダブルを一室でございますね。只今調べますのでお待ちください」



 「あ、すみません。それと……なるべく、良い部屋を」



 「そうしますと、スイートに幾つか空きがございますが」



 「……えっ」



聞こえて来た言葉に、呟きが零れて。



ダブル。スイート。



た、確かに私がお願いした。お願いしたんだけど。

いざ、そういう事をするんだって思うと、どんどん、どんどん顔が熱くなってきて。

帽子の深さじゃ足りなくて、鍔を引っ張りながら顔を伏せた。



 「景色の一番良い部屋をお願いします」



 「でしたら……ミレニアスイートがございます。少々手狭にはなってしまいますが」



 「では――」



胸がうるさい。

すぐそこではあの人が淡々と手続きしてるのに、私の方は大騒ぎ。

自分から入って来た癖に、今すぐ駆け出て行っちゃいたかった。



 「あの、聞こえてる?」





 「ひゃ、はいっ!?」



 「っと……行こう。51階だって。案内も断ってきたから」



 「う……うん」



素っ頓狂な声で叫んじゃって、ますます顔が、熱く。

……このままじゃ、茹で上がっちゃいそう。



エレベーターも見たことが無いくらい広かった。

行き先のボタンを押そうとして、2階から45階まで飛んでいるのにまた驚いて。

ゆっくりと昇っていく箱の中で、黙ってると溺れちゃいそうになる。



 「……さっきのカード、何?」



 「ん、ああ。昔、ちひろさんに言われるまま入会したやつ」



 「それ、大丈夫なのかな」



 「困ったら使えって言われてたし……まぁ、お金を使う宛も特に無いから」



 「と言うか、えっと何で、こんな」



 「家はマズいし、こういう所の方が変な輩も入り込めなくて――」



じりじりと増えていくパネルの数字が51になる。

小さく鳴りながら開いたドアから踏み出して、柔らか過ぎる絨毯に足を取られた。



 「っわ」



 「とっ……大丈夫?」



 「うん……あ、歩き辛い、かも」



 「これは……やり過ぎじゃないかなぁ」



不思議な感触を少しずつ踏み締めて、やたら部屋数の少ない廊下を歩く。

流れているクラシックが無かったら耳が痛くなりそうな静かさで。



目的の5102号室は何だか高そうな木製の扉だった。

金色のリーダーへPさんがカードをかざすと、電子ロックの外れる音がする。



 「……」



 「手狭?」



 「って、言ってたね」





お部屋の中に、ロビー。

一瞬だけ、本気でそう思っちゃった。





黒塗りのテーブルの周りには椅子が何脚か。

窓際には大きめのフラワーベースが二つ。

照明スタンドはこんなに要るのかなっていうくらい沢山あって、それでもちょっと暗い。

お部屋の角は聞いた通りに窓が填め込まれていて、私とPさんの姿が並んで映ってた。



 「え……あっ、まだ部屋がある」



 「う、うそっ」



Pさんの言う通り、奥にはまだ部屋があって、こっちと同じくらいの広さ。

でも飾りは随分と少なくて、ダブルベットと、壁一面の夜景がいやでも目立ってる。



 「……」



Pさんと二人、そわそわしながら立ち尽くす。

何から何まで想像以上で、どう感想を言っていいかも分からなくて。



 「……え、っと。まだ、扉があったっけ」



 「うんと、ここは……あ」



ベッドルームと反対側の扉を開くと、こっちにもぴかぴかの鏡が一面に。

中はガラス板で仕切られてて、その向こうに金の猫足付きのバスタブが置いてあった。

……初めて見たかも。猫足。



 「何と言うか、眩しい」



 「確かに……ん」



バスタブの横に置いてあった、小さな藤籠。

中には幾つもの薔薇の花だけが入っていて、どれも摘みたてみたいに良い色。



 「お風呂場に、バラ? 何だろう、これ」



 「あれじゃないかな。多分、お湯を張った後に浮かべる為の」



 「バラの……お風呂」



お湯の上に浮かぶ色とりどりの薔薇を想像してみる。

昔からちょっと憧れてて、でも流石にもったいなくて出来なかった夢。

それが今、出来ちゃうかも。



 「……うずうずしてるね、夕美」



 「へっ? そ、そうかな?」



 「うん。新曲のお披露目前みたいな」



 「だ、だってだって、バラのお風呂だよっ。普通出来ないよっ」



 「……本当に、花が好きなんだね。夕美は」



気付いたら私は花籠を握りっぱなしで。

Pさんの目は、はしゃぐ子供でも見守るみたいに。





私、もう子供じゃないよ?





 「入る?」



 「え?」



 「Pさんも」





少しだけ間が空いて、Pさんが気付いたように口を開ける。

どういう返事が飛んで来るのか怖くて目を逸らした。



大きめのバスタブは真っ白で、私の顔を薄く映してた。



 ― = ― ≡ ― = ―



ジャケットを脱いで、ネクタイとベルトを外して、ワイシャツを籠へ放った。

僕の手はそこで止まって、こっそりと後ろを振り返る。



 「あ」



同じように振り返っていた夕美と目が合う。気まずい方の沈黙が流れた。

彼女は上着と靴下を脱ぎ捨てて、参ったようにキャミソールの裾を摘んでいる。

しばらく迷った末、僕は肌着を脱いで半身を晒した。

男の肌なんて面白くもないだろうに、夕美は目を丸くしてじっとこちらを見つめて。



 「……」



何度か深呼吸をしてから、夕美が一息にキャミソールを捲った。

その下から現れたのは当然ながら、下着。

勢いを逃したくないみたいに、そのままフレアスカートの留め具も外す。



 「……ああ」



 「な……なにっ?」



 「あ、いや、ごめん……何でもない」





――そこは花柄じゃないんだ。





揃いの薄緑。

胸中で呟く僕の頭をはたいてから、こちらもスラックスを捨てて身軽になる。

そこで再び手が止まった。

大きな鏡越しに、夕美の綺麗な背中がよく見えた。



22:30│相葉夕美 
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