2014年05月28日

千早「初めてよね、私の家に来るのは」


玄関の扉が締まる無機質な音に合わせるように



後ろに続く来客に言葉を向ける





「そうね……」



「……………」



彼女はそのことを喜ぶ素振りもなく



素っ気なく答える



いつもとは少し違う彼女の空気



でも思えば



彼女は裕福な家の子



人の家で礼儀を欠くことはないのかもしれない



「いつもの調子で居て欲しいわ」



「別にあんたに言われるまでもないわよ……ただ、ちょっと空気に馴染めないだけ」



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彼女は少し顔を顰めて



備えつけの下駄箱を見つめる



「あんた、靴は買わないの?」



「別に沢山はいらないでしょう? 普段履く靴とその予備。あとは一応ビジネスシューズくらいで良いと思うのだけど」



「……千早、あんた一応アイドルなんでしょ?」



呆れた溜息とともに



彼女は自分が履いていた靴を



下駄箱の中の私の靴の隣に並べる



それでもやっぱり



空気が9割近くを占めていた



「寂しい下駄箱ね」



「……私しかいないから」



思わず呟いたその一言



それに対する言葉を



彼女は少し躊躇う



馬鹿言ってんじゃないわよ。なんて



いつもの彼女なら言うはずなのに



「……悪かったわ」



「どうして謝るの?」



「あんたのことを知ってるからよ」



「…………………」



弟が他界していて



両親は離婚していて



その両方とも殆ど絶縁しているような状態



そんな私が一人暮らしなのは当たり前と言えば当たり前で



その家が寂しいものなのもまた



当たり前と言えば当たり前だったのだ



「………………」



「………………」



玄関での気不味い沈黙



このままでは帰ると言い出してもおかしくない



でも



彼女は私の横を通って



リビングへと向かって行く



「何してるのよ」



呆然と見ていた私に向かって



彼女は不思議そうに呟く



「……意外と強引よね。水瀬さん」



「そんなの解りきってる事じゃないの?」



「それもそうね」



彼女の笑みに向かって微笑みを返し



私もリビングへと向かった



下駄箱よりも遥かに広いリビング兼私の部屋



必要最低限しかないその場所は



下駄箱以上に物寂しい場所だった



「……音楽機器とかあまり買わないの?」



「そうね……買わないわ」



機械はあまり得意ではないし



たとえ扱えたとしても



それを家に置いたところで意味はない



「調理器具も最低限なのね」



「あなたにもそういうこと判るのね」



「……私だって調理器具の種類くらい解るわよ」



彼女は少しだけ私を睨む



けれど



その知識は高槻さんからのものであって



彼女が初めから持っていたものではない……とは



言わないでおいた



「……ねぇ、千早」



「なにかしら?」



彼女は廊下の方を見つめ



私に対しての言葉を紡ぐ



「お手洗いとお風呂以外にも部屋があるわよね」



「ええ」



「……使ってるの?」



誰か。とは言わない



それが彼女なりの優しさ



それに対して私は首を振る



「そう……じゃぁ私が使っても良いわよね」



そして、彼女は私に対してそう言った



「何を言ってるの?」



「無駄にしてるなら私が使ったっていいじゃない」



彼女はいつものように



にやっと笑う



「どうして?」



「勿体無いでしょ?」



彼女はさっきまでの静かな空気を投げ捨てて



いつもの高飛車な空気を醸し出す



でも、



その高飛車な言動の中にも



彼女の優しさがあると私は知っていて



だからこそ



私も微笑みを返した



「な、なによ」



「私のためだったりするのかしら」



「あ……あんたがそう思うんならそうなんじゃないの?」



彼女は少し呆れたため息をつきながらも



頬を赤く染めていて



それが図星だったことは明白だった



「あんた……本当は初めから誰かを求めてたんでしょ?」



「……え?」



「周りを突き放してる頃から、ずっと……誰かを求めてたんでしょ?」



彼女は同じ言葉を繰り返す



私ではなく



両手で掴むカップから目を外し



僅かばかりの哀愁を漂わせる瞳で私を見つめる



「どうしてそう言えるの?」



「あんたがこんな部屋に住んでるからよ」



彼女は言い切って紅茶を一口啜る



その仕草はやはり気品があって



お嬢様であることを再認識させる



「探せば一人暮らし用の場所なんていくらでもある」



「……………………」



「なのにあんたは無駄部屋ができるここに来た……どうして?」



彼女は珍しく……というのは少し失礼かもしれないけれど



私の内側に潜む本心へと



彼女は真面目な声色で問う



「それはいつか誰かが自分の隣に来てくれることを望んでいたから……違う?」



私の内面的な思いは生活に現れていた



彼女はそう言っていて



そして、それは間違いじゃない



この家に帰るたびに



事務所の喧騒との差異に



胸が締め付けられるような痛みを覚えていたのだから



「…………………」



彼女は少し照れくさそうに髪をいじりながら



黙り込む私を見つめる



「春香だってそうだけど、私もあんたのこと……見てるんだから」



「……水瀬さん」



「もう、そんな寂しい思いしなくていいようにしてあげるわよ」



言うやいなや



彼女はフイッと顔を背ける



いつもの照れ隠しのように怒鳴ったりしないのは



そんな余裕がないくらいに



緊張しているから……なのかしら



私は手元にある冷めてしまった紅茶を一口啜りながら



彼女のことを見ず、紅茶だけを見つめて答える



「……ありがとう」



「っ……ばか」



小さな小さな悪態をつく同居人



だけど、彼女は恥ずかしさに頬を染めながらも笑っていて



私もまた



彼女のその歳相応な反応に



思わず笑みをこぼしていた



おわり



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