2014年06月16日

千早「降福」


 雨は、昔から嫌いだった

 気分が暗くなるし、歌をいくらうたっても晴れやかにならない



 洗濯物も乾かなくて、出かけるのも億劫になる







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 都内に大雨警報が出た、いつもより強い風雨の夜

 いつものように音楽を聞いていると、携帯電話が振動していることに気がついた



 プロデューサー?



「もしもし、どうかしましたか?」





『ああ、千早。起きてて良かった』



「え……?」



『実はさ。この雨で電車が止まっちゃって、春香が帰れなくなっちゃったんだ』



「春香が?」





『さっき、テレビ局から車で出てきたんだけどな』



「お疲れ様です、こんなに遅くまで」



 時計の針を見る

 九時過ぎ、こんな遅くまで仕事だなんて



「春香は、いま何を?」





『ああ……コンビニに寄って、いまは晩飯を買ってるところだよ』



 ご飯も食べずに仕事をしていたなんて、と春香の体調に不安な気持ちを抱く

 普段はこの時間まで収録も入っていないのに、どうしたのだろう?



『ああ、実は収録が押しちゃったんだ』



「そうですか……」





『なあ、千早。良かったら、春香を一晩泊めてくれないか?』



「えっ?」



 来るとは思っていた言葉だったけれど、心構えをしていなかったから大きく反応してしまった

 春香を泊めるなんて、いつぶりだろうか



『春香にはビジネスホテルでも探すかって言ったんだけど、できたら千早ちゃんの家がいいです、って』





「私の家……」



『メールもしたって言ってたけど、見てくれたか?』



「……すみません」



 ヘッドフォンで音を聞くのは、やっぱり良くないかもしれない

 いつの間に電話が震えていたのか、気づかなかった





『いや、構わない。良かったら、泊めてもらっても構わないか?』



「わかりました」



 急いだ会話になってしまった

 相手が全て言い終わる前に、返事をしてしまうような



『ありがとな、千早。これから春香を送って行くよ』





「お願いします。……春香と電話しても良いですか?」



『ん、ああ。春香、千早から』



 電話の向こう側で、春香の元気な返事と一緒にごそごそ、と物音が聞こえてくる



『もしもし、千早ちゃん』





「春香、大丈夫?」



『うん、ごめんね……雨も降ってて、しかも収録も時間がかかって』



 春香は、毎回千早ちゃんのお世話になっちゃって悪いなぁ、と続けた

 私が、自分の家だと思ってくつろいでと言うと、声色がはずんだ



『千早ちゃん、ありがとう! 私、お手伝いいっぱいするからね』





「ええ。それじゃあ、待ってる」



 電話を切った後で気づいた

 プロデューサーがまだ何か伝えることはないだろうか?



「……まあ、大丈夫よね」



 何かあるなら、春香を送った時に言うだろう





「部屋、片付けないと」



 一人暮らしをすると、ひとりごとが増える

 私のちょっとした癖だった



「……ふふっ」



 春香が泊まりに来る、楽しみだ





 元々物が少ない殺風景な部屋だ

 お風呂を洗い直して、ベッドのシーツを整えるぐらいで綺麗になった



 インターホンが鳴って、私は受話器を耳に当ててみた



『千早、おまたせ』



「待ってました」





 ロビーのオートロックを解除するボタンを押して、部屋の前に来るのを待つ

 数分で春香とプロデューサーはやって来た



 その間にも、雨音は強くなっていく



「こんばんは、プロデューサー、春香」



「千早ちゃーんっ!」





 私がドアを開けると、春香が突然私を抱きしめてきた

 雨のせいだろう、彼女の髪や服はしっとりと濡れてしまっていた



「こら、春香。濡れた服で抱きつくんじゃない」



「あっ、ごめんなさい……大丈夫だった?」



「ええ。これからお風呂に入って、着替えるんだし」





 私はプロデューサーの方を向いた



「お疲れ様です、プロデューサー」



「ありがとう。千早こそ、夜分遅くにすまないな」



「気にしないでください。私は春香だって、音無さんだって……プロデューサーだって、泊めますから」



「俺は困るかな、嬉しいけど」





 三人で笑ったら、普段も見ているはずの廊下や景色が色を付けたように変わる

 相変わらず、雨のにおいがするけれど



「それじゃあ、よろしく頼むぞ。おやすみ」



「おやすみなさい、プロデューサー」



「おやすみなさいっ、プロデューサーさーん! ありがとうございました!」



「ああ。気をつけてな」





 春香をリビングに案内するまえに、お風呂場の横に置いたバスタオルを持ってきた

 彼女の髪を、わしゃわしゃと拭いてみる



「千早ちゃん、なんだか楽しそうだね」



「そう?」



「うん、ずっと笑ってる」





「そうね。春香が泊まりに来たから、かしら?」



「え、私?」



「ええ」



 春香は照れくさそうに、頬をかく

 私はタオルをバスケットに放り込むと、お風呂を沸かすためのボタンを押した





「千早ちゃん、お風呂は入った?」



「まだ、入っていないわ」



「それじゃ、一緒に入らない?」



「春香が良いなら、よろこんで」



 雨の日は、昔から嫌いだった

 けれど、こんな幸せな夜をもたらしてくれる雨は、嫌いじゃない……かも?



おわり



17:30│如月千早 
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