2013年11月05日

モバP「五光年先の星空」

「Pくん、こっちの資料は出来てる?」

『ええ、こちらに。次のグラビア撮影とその後の営業回り用の資料も纏めてあります』

「助かった、恩に着るよ! では社長、行ってきます! ……ああ、もしもし、今事務所を出た、すぐ迎えに行くから――」


怒号のような、絶叫のような声を三番手プロデューサーがあげる。スーツの上着へ片方だけ袖を通し、もう片方の手には携帯電話を持って、そのまま事務所から出ていく。

 この事務所に出向してきてはや一週間。初夏の兆しがそろそろ見え始める季節となってきたが、よもやこれほどの業務量とは思いもよらなかった。

 業務自体は難しくないものの、いささかどころかとんでもなく業務の量が多い。良くこの業務量をこの人数の社員で回していた物だ、と感嘆の声さえ出そうになる。

 プロダクション全体としてみると、アイドルの仕事が多いわけではない。ただ、それに付随する事務的な書類が山積しており、それが雪だるま式に膨れ上がっていた。

 つまり、こなしてもこなしても増えていく上に、一銭にもならないような事務作業があまりにも多すぎるのだ。おまけに事務作業のマニュアル化がなされていない。

(まずは、書類の事務形態をマニュアル化しないといけないみたいだね)

 明らかに人手が足りていない。その状況で、洗練されていない事務形態なのだから仕事が一向に減らない。僕でさえ、人生で初めて残業をする羽目になったほど、仕事量は多い。

 無論引き抜かれた前任者がこの量をこなせるわけもなく、彼はともかく緊急度の高い仕事から、時間外労働をしてなんとかやりくりしていたのだという。

 それではこの企業の業績が上がらないわけだ。金になる作業に労力を割けない状況なのだから当然である。

(……本当、よくやるよ)

 僕は次なる資料の整理を始めながら、ちらりとデスクの向こう側のブースにいる、若い男を見やる。

 このプロダクションの稼ぎ頭であり、一番手プロデューサーと呼ばれる彼は、各地のアイドル養成所から応募されてきた候補生やスカウト、オーディション結果などのリストを、血眼になってめくっていた。

 およそ一千枚に上るだろうリストを、一枚一枚確認しては分別していく。挨拶したときは、なかなか鼻持ちならないいけ好かない男だと思ったが、仕事は出来るようだ。

「Pくん! 営業資料は上がるかい!?」

『少し待ってください、あと十分で上げます』

「すまない!」

 事務所の扉が勢いよく開くと同時に、今度は二番手プロデューサーが営業から戻ってくる。戻ってくるやいなや、僕に対して営業用の資料を要求する。

 僕はタイピングのペースを上げると、五分ほどタイプに没頭する。そして、資料を打ち上げると、印刷を開始し、その間に別の資料をホチキス止めする。

『上がりました、二番手さん』

「早いな、ありがとう!」

 中肉中背の彼は、青白い顔のままずり落ちそうになる眼鏡を直すと、冷めかかったコーヒーを一気にあおり、僕の元から資料をひったくって事務所から出て行く。

(……やっぱり、人手が足りない)

 どかっと椅子に座りながら、僕は息をつく。今でこそ僕は事務に専念しているが、今プロデューサーたちが受け持っている営業の仕事も、いずれはやらなければならない。

 そう考えると、僅かに背筋が凍りそうになる。仕事自体は難しくないが、数の暴力で押しつぶされる、というのは如何ともしがたいものだ。

 せめてもう一人事務員がいれば、と思うものの、経理担当さえいないこの状況下では、人員補充が出来るほどの予算編成が出来るわけがない。

 それにしたって、ただ事務作業が多すぎるだけが、業績の上がらない理由としては不適当だ。他にも理由があるはずである。

『手を広げすぎているのかもしれないね』

 書類を見ながら、僕は小さく呟く。この事務所のプロデューサーは三人だ。にもかかわらず、五十人以上のアイドルとタレントを擁している。一人頭二十人近い担当だ。

 これでは、一人に対する密度が薄くなりすぎる。せめて十人ほどに収めないと、業績が上がらないだけではない。業務超過でプロデューサーが倒れることだって考えられる。

 そうなれば、只でさえ人が足りないこのプロダクションは終わりだ。

『……まあ、難しいか』

 たかだか平社員がどうにかできる問題ではない。そもそも、出向社員の僕がこの企業の経営方針に口出しすることなど、もってのほかだろう。

 僕は二分ほど休息を取ると、次の仕事に取り掛かる。緊急度合いの高い仕事が終わっても、平常業務の書類や広報告知などは吐いて捨てるほどある。

 のうのうと休んでいる暇はないのだが――。

「ああ、Pくん。そろそろ休憩に入ってくれたまえ。あまりこんをつめてやるのは良くないからね」

 社長室から姿を現した社長が、そう告げる。いざ打ちはじめるぞ、とドキュメントを開いたばかりの僕は、なんとなく出鼻をくじかれた気がして、

『まだまだ仕事は残ってますから。僕だけが休息をとるわけには行きません』

 と、抗弁した。実際、プロデューサーたちが休憩を取っているところはめったに見ない。それなのに、出向社員の僕が休憩するわけには行かない。ところが、

「そういうわけには行かないんだよ、Pくん。そちらの社長さんとの契約でね、勤務時間と休憩時間はきちんと守って欲しい、と要請されているのでね」

 すこし困ったような表情の社長は、そうして笑うと、半ば無理やりにタイムカードのスタンプを押し、

「少しお茶にしよう、一番手君も飲むね?」

 と言って、一人いそいそと給湯室へと入っていく。

(暢気な社長だ)

 ご自身の会社が危ないんですよ、だなんて面と向かって言えればどれだけいいだろうか。だが、僕は分を弁えているつもりだ。そんなことを言っていい立場ではないのは承知していた。

 ともかく、社長じきじきの命令であるし、いたし方がないというのはおかしいだろうが休憩を取ろう。僕は立ち上げたばかりの白紙ドキュメントを閉じた。

「Pも休憩か」

 少し首を回すと、こき、こきと骨が鳴った。と同時に、背後から声を掛けられる。振り返ると、黄土色をした顔の一番手プロデューサーが、力なく笑っていた。

『大丈夫ですか、一番手さん』

「ああ、Pのお陰で何とか、ね。本来は俺がやる必要のある事務作業まで引き受けてもらってる。助かるよ」

 彼はどかっとソファにもたれかかると、天を仰ぎ、まるで列車が蒸気を吐き出すように、大きく息を吐き出した。

『お疲れ、ですね』

 僕は何気なく彼に言うと、一番手プロデューサーは天を仰いだまま苦笑し、眼を閉じながら言った。

「そりゃあ、二十人近くタレントを担当してるからな、ぎりぎりだぜ、ほんと。あー、疲れた……」

 いかにも喋ることさえ辛い、といった様子だ

『社長に直訴してはどうですか』

「んあ、何をだ?」

 僕は不思議に思いながら聞くと、彼も顔だけをこちらに向け、不思議そうな表情を浮かべた。

『担当アイドルの数を減らしてもらえば、負担も軽減できます。今のままではリスクだけが大きすぎて、メリットが少ないように思えますが』

 すると一番手プロデューサーは少しぽかんとした表情を浮かべ、そしてしばらくした後に少し吹き出して笑った。

「馬鹿言っちゃいけないぜ。好きでやってることなんだから、増やすことはあっても減らすことはないよ」

『しかし……』

「いけるさ、なんてったって俺だからな。この程度で潰れるわけない」

 彼は少し黄ばんだ歯を見せながら笑う。それが、僕にとってはどう見ても強がりにしか見えなかった。どう見ても自分の力を把握していない。そんな気がして、内心僕は失笑する。

(計画性がないというか、分を弁えていないというか)

 そんなことを考えているうちに、給湯室から社長がマグカップを三つ持って戻ってくる。つん、とココアの芳醇な匂いが、事務所の中に広がった。

「いやあ、彼のようには上手く淹れられないね。粉を入れて湯を注ぐだけなのに、どうしてこうも違うんだろうね」

 社長は苦笑すると、テーブルの上にマグカップを置く。甘いココアの匂いが鼻腔をくすぐる。インスタントのそれではあったが、最近のインスタント飲料もなかなかに馬鹿に出来ないようだ。

「ああ、あの人はこんな安物でも、不思議とおいしく淹れてましたね」

「こら、安物なんていうんじゃないよ」

「へへ、すみません」

 一番手プロデューサーは、死人のような顔でそんな軽口を叩く。僕は、その軽口を聞き流しながら、ふと気になったことを聞いた。

『あの人、とはどなたです?』

 すると社長は、少しばかり微笑むと、

「ああ、シンデレラさんに行った君の前任者だよ」

 やや嬉しそうに、そして懐かしそうに言う。

『前任者、ですか。うちの社長には、類まれなる凡人である、とお聞きしましたが』

 僕がそういうと、社長は愉快そうに笑い出す。

「はっはは、類まれなる凡人、か。うん、確かに彼は凡人だったね。そりゃあもう、とびきりの凡人だよ」

「いやぁ社長、あの人無しじゃ、今頃僕らはぶっ倒れてましたよ。こう、なんていうんですかね。縁の下の力持ちって言うか。必要なものを必要なときに間に合わせてくれました」

「うん、仕事が出来るわけじゃなかったが、不思議と彼には色々と助けられていたと思うよ」

『……仕事が、出来たわけではないんですよね?』

 懐かしそうに、そして嬉しそうに話す社長と一番手プロデューサーを見て、僕は怪訝な表情で二人を見る。

「ああ、あの人は仕事が速いほうじゃなかったよ。それこそ、今のPのほうが仕事はずっと早いんじゃないかなぁ」

「そういえば、彼が向こうに行ってから、有線放送を流していないね。たまには流してみようか」

 社長はゆっくりと立ち上がると、棚においてあったリモコンをいじる。そうして、少しすれば、事務所のスピーカーからゆったりとした洋楽が流れ始めた。

「ああ、一番手君。ココアを飲み終わったら、少し営業に出てきてくれないか。今日はそのまま帰ってくれていいからね」

「あ、ういっす。どちらに行けば?」

「ラジオ局と宣材撮影のスタジオにね。まあ、挨拶程度でいいから、そのあとは家に帰ってしっかり休みなさい。酷い顔だ」

「へへ、社長はよく見てらっしゃりますなぁ」

 へらり、と一番手プロデューサーは笑い、そしてココアをぐいと流し込むと、書類をカバンに突っ込み、

「そいじゃ、ぱぱっと行って来ます」

 と言い残して、事務所から出て行った。

「ふう。……全く、困った子だ」

 社長は少し微笑みを浮かべながら、やれやれといった様子でそう呟く。どことなく嬉しそうな、そんな雰囲気を感じたが、その理由は僕にはわからなかった。


「ところでPくん。仕事には慣れたかね?」

 ココアを一口飲むと、社長は僕にそう言葉を掛けた。

『ええ、まあ。これほど量が多いとは思いませんでしたが』

「そうか、それは良かったよ。何か気になることはあったかね?」

 社長がそう尋ねてくると、経営に口出しをすべきではない、という思いから一度、問題はないと口を開きかける。しかし、思いとどまれば、少し逡巡しながらも、

『……一先ずは、事務作業のマニュアル化が必要不可欠かと思います。決済に関して二度手間を要するものや同じ書類を二度使用する必要があったりしますので』

「ふむぅ……」

 社長はあごに手をやると、少し考えるそぶりを見せる。やがて少し笑いながら、

「そちらの社長より、P君が改善の余地があると思ったことに関しては、君の責任下において改善させてやってほしいと聞いているからね。それに関しては、君に全て委任しよう」

 そう社長は言う。今更ながら、うちの社長がかなりの根回しをしていることを知った。新人の出向社員にそこまでの権限を与えていいものか、と思ったほどである。

 社長の見る目が良いのか、それともただ単にばくち打ちなのか、それは定かではなかった。

『それと、可能であるならば人を増やすべきです。今のままでは、各社員の作業効率が落ちすぎて、むしろ人件費の無駄です』

「どういうことかね?」

『経営学、まあ机上の知識ではありますが――』

 僕はいくつかの例示を上げつつ、社長に説明をしていく。ともかく、今でこそ僕だけで仕事をやりくりしているが、この会社には営業と広報、事務のほかに経理と、最低でもあと四人必要だ。

 産休の社員が戻ってくるとしても、三人分の人件費が一気に増えるのは負担ではあるが、代わりにプロデューサーたちがプロデュースに専念できる環境を整えることが出来る。

 そうすれば、売り上げを作る存在であるアイドルやタレントのパフォーマンスも上がる。結果として収益は出るはずだ。いわばこの人件費は先行投資である。

 損して得を取れ、というわけではないだろうが、今期の赤字が来期以降の黒字に繋がる。人材は成長するのだ。才能を発揮できれば――たやすい。

「なるほど……。うむ、分かった。それについては適切な人材を確保してみよう」

 少しばかり渋るかと思ったが、思ったよりもあっさりと、社長は承認した。何か理由があってこの人数でやっているのかと思ったが、取り立ててこだわりがあったわけではなさそうだ。

「社長さんに、なかなか扱いづらい子だと聞いていたが、いやはや、このプロダクションにはもったいないほど君は優秀だね」

『……お褒めの言葉、ありがとうございます』

 僕は少しだけ頭を下げると、ゆっくりと顔を上げ、再び社長の目を見据えながら提言をする。

『もう一つ、僭越ながら申し上げますと』

「なんだね?」

『プロデューサー方の担当アイドルないしタレントに関して、担当する数を減らしたほうがよろしいかと。新しい人を雇い入れてその人に分担するなり、解雇するなり、手段はあると思いますが』

 極めて建設的な提案であると思う。プロデューサーの人数が増えるか、解雇をするならば、それだけ一人あたりの負担は減る。シフトを組めば、今のような働きづめの生活とはおさらばだ。

 そうすれば、プロデューサーもアイドルも、相対的にパフォーマンスが向上する。増益は間違いなく、設備資金や人件費に当てることも出来る。結果、経営は上向く。

 ぜひとも、今すぐするべきである。そう思っての提言だった。

「ふむ……」

 だが、社長はやや苦い顔をしながら、じっと考え込むようにしていた。そしてどことなくだが、何か得心いった、といった雰囲気でもあった。

『……なにか?』

「いや……。そう、だね。ううむ、なんと言ったらいいのか」

 少しばかり口を濁す社長は、少し逡巡したそぶりを見せ、やがてゆっくりと口を開く。

「……いや、やはりなんでもない。済まないね、気にすることはないよ。さ、そろそろ休憩は終わりだ、私も仕事に戻るかね」

 そういって社長は苦笑しながら立ち上がる。

『……カップは片付けておきます、社長』

「おお、すまないね。では、よろしく頼んだよ。少し出てくるから、もし外出することがあれば戸締りはしっかり頼んだよ」

 社長はそういい残すと社長室へと戻り、数分後には鞄を一つ持ってそのまま事務所から出て行った。

『……一体なんだったんだ』

 僕は小さく呟いた。何か社長の気に障るようなことを言ってしまったのかもしれない。そう思って僕は自分の言葉を思い返すも、残念ながら思い当たった節などまるでない。

 結局、その日はなんとなく集中できないまま業務を再開し、めでたく人生二度目の残業をすることになったのだった。

今回の更新は以上です。本当は昨日に更新する予定だったのですが、諸事情によりずれ込み申し訳ございません。
ひとまずは書き溜めが今回で消化されましたので、以後の更新は月-火曜日の定期更新になるかと思います。
それでは読んでいただきありがとうございました。

16:50│モバマス 
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