2013年11月06日

凛「私は――負けない」

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「お〜しぶりん! さっすが、最高だったよぉ〜♪」

「凛ちゃん! よかったよー! 私、もう感動しちゃった!」

控室へ戻ると、同じ事務所のアイドル仲間、本田未央と島村卯月が凛を出迎えた。
二人は興奮冷めやらぬ様子で、

「凛ちゃん、こんな大きな会場を埋め尽くすなんて本当にすごいよ!」

「ホントホント! 横アリのキャパでも、三日分を一瞬で完売にしちゃうんだもんね〜。
 この三人の中では、しぶりんがずっと先に走って行っちゃって、
 同世代の置いてかれる側としては淋しいですなぁ、しまむーさんよ」

目を輝かせる卯月と、大袈裟に肩を落とす未央。
勿論、未央の仕草はあくまでも冗談なのだが、

「わ、私は未央のことも卯月のことも置いていく気はないよ、ね?」

凛は二人の手をはっしと掴み、それぞれの目を真っ直ぐと見て言った。

「あっはっは、マジメだねぇ〜しぶりん。冗談だよ冗談♪ わかってるくせに〜」

そう言って未央は空いている方の手で凛の肩を叩きながら笑う。卯月も柔和な笑みを浮かべている。
そもそもこの三人は同期。今更気兼ねなど必要ない間柄なのだ。

「そりゃわかってるけどさ……。でも、私だけじゃここまで到底来られなかったよ」

「おっ、しぶりんの恒例、Pさんへのオノロケが早速くるか〜?」

「ちょ、ちょっと未央、そんなんじゃないってば!」

「凛ちゃん、もっと素直になってもいいんだよ?」

「ちょっと! 卯月まで〜〜! もう……」

凛は形のよい眉を少しだけ上げた。しかしそれはすぐに戻り、二人の手を改めて取り直す。
「……二人のおかげ、なんだよ? 切磋琢磨してゆける環境に私を置いてくれた。二人がいなければ、私もここにいない」

「しぶりん……」
「凛ちゃん……」

凛は眼を閉じて、ゆっくりと、反芻するように言葉を続けた。

「きっと私は、巡り合わせが多少良かっただけ。未央も、卯月も、すぐ、この会場を溢れさせるくらいになる。私はそう確信してる」

二人とも、凛がユニットを組んでいる相手だ。

そのユニット『ニュージェネレーション』は、名の通り“新世代”アイドルトリオとして活躍している、CGプロ事務所のパイオニア。

勿論、それぞれがソロとしても活動していることは云うまでもない。

ただし単独で横浜アリーナ3DAYS公演をこなせるのは、現時点のCGプロ所属アイドルでは凛のみであった。

凛の言葉のように、未央や卯月がこの箱を埋められるようになるのはそう遠くないのだが、それはまた別の話――――

言い終えて眼を開けた凛は、照れ隠しなのか、不自然にハキハキとした言い回しで言葉を遺す。

「じゃあ私はシャワー浴びてくる。二人の相手はプロデューサー、よろしくね」

そして彼女は、Pの返答も待たずシャワー室へと小走りで向かっていった。
おそらくその顔は、朱が差しているに違いない。

「……しぶりん、ずっと先を走ってるけど、常にニュージェネのことも考えてくれてるんだよね」

「そうだね未央ちゃん。凛ちゃんはいつもニュージェネレーション……ううん、それだけじゃない、事務所の後輩たちのことを考えてる。すごいよね」

凛の背中に目をやりながら、二人はぽつりと、そう漏らした。

卯月は、あはは、と苦笑いしながら付け足す。

「本来なら私がリーダーとして頑張らないといけないんだけど、凛ちゃんに引っ張ってもらって、ラクしちゃってるかもなぁ」

一般論として、ユニットの中で誰かが一つ頭抜ければ、大抵は嫉妬の嵐が襲うものだが、
この三人にはそういった兆候は全く見られなかった。

麗しき女同士の友情――いや、その程度の言葉では生温いかもしれない。

彼女たちは、芸能界と云う戦場で命を預け合った戦友同士なのだ。
Pは、そんな彼女たちの絆を、一種の羨望を以て眺めていた。

「凛の言う通り、あいつが成長できたのは君たちのおかげだ。三人を組ませて正解だったよ」

そう声をかけると二人は、意外、という顔をしながらPを振り返った。

「でも、凛ちゃんの原動力の一番はPプロデューサーさんでしょう?」
「だよねー、しぶりんってPさんが絡む事案だと瞬発力すごいもん」

……女の子はよく見ている。

プロデューサーという立場の人間からすれば、その言葉を首肯するわけにはいかないのだが。

「まあ百歩譲って仮にそうだとしてもだ、一人で背負うにしては重すぎるものをあいつは担ごうとしている。
 なのに何故潰れないかと云えば、それは卯月ちゃん、未央ちゃん、君たちがさりげなくサポートしてくれているからだよ」

女の子がこちらをよく見ているのと同様、プロデューサーも彼女たちのことをよく見ているつもりだ。

二人は、Pのその言葉に、僅かだがピクッと反応した。バレてたか、と眼が語っている。
アイドルたちを輝かせるために、芸能界の裏の黒い部分はPたちスタッフが受け持つ。

その点ではアイドルたちは気兼ねなく活動できるのだが、芸能界と云うのは、光り輝く白い部分だけでも、相当な重圧があるものだ。

凛のBランクの現状ですらこうなのだから、世の中のAランクアイドルたちはどんな世界を見、どんな重さに耐えているのだろう。

「これからは、凛だけでなく、卯月ちゃんと未央ちゃんにも、輝く重圧がかかってくると思う。
 そのときは、きっと、三人で助け合って歩んでくれよ」

Pの言外に、“より一層覚悟しろ”と感じるものがあったのだろう、彼女らは力強く頷いた。

「島村卯月、もっと頑張らなきゃ!」
「不肖、本田未央も頑張りますぞぉ〜♪」

強い意思の込められた笑顔。
さすがアイドル、こういう顔が“様”になる。


ニュージェネレーションの二人に気合が充填されたところで、
ノックの音と共に迎えの馬車――と形容するには些かむさ苦しいが――がやってきた。

「それじゃあアタシらももっと仕事を獲ってこんとねェ、鏷プロデューサーさん」
「まったくだ、Pにばかり美味しい思いをさせてたまるかよな、銅プロデューサーさん」

それぞれ、卯月を担当する、矢鱈とムチムチでガタイのよい『銅―あかがね―プロデューサー』と
未央を担当する、黒スーツにスキンヘッドにサングラスという出で立ちの『鏷―あらがね―プロデューサー』だ。

このタイミングの良さ……扉の外で待ち構えてやがったな。Pは内心で苦笑いした。
CGプロの企画制作部には三つの部署があり、

クールを担当する第一課、
キュートを担当する第二課、
パッションを担当する第三課――

となっている。Pを含めたこの三人はそれぞれの部署のプロデューサーというわけだ。

「お姫様がた、お迎えの馬車ですよ」

肩を竦めながらPが卯月と未央に促すと、

「どっちかっていうと“ソッチ系”のシークレットサービスみたいだけどね〜♪」

未央が、けたけたと笑いながら担当、鏷の許へ歩んでいった。

鏷は、未央に彼女の鞄を渡しながら言ってくる。

「見てたよ、P。凛ちゃんサイッコーだったな。あそこまで一体感を覚えるライブはなかなかない」

彼にしては珍しい、手放しの賞賛だった。

「そりゃそうだ、俺の秘密兵器だからな」

Pが腕を組んで応えると、鏷も未央の肩を抱き寄せながら

「秘密兵器っぷりで言ったらウチの未央も負けてねーけどな」

と、ニカッと笑って言った。その隣では未央が顔を赤くしてもじもじしていた。

……わかりやすい、とPは思った。
他方、銅はマイペースに手帖を捲りながら卯月の身支度を整えている。

「ほい卯月、そろそろスタジオに向かう時間だ。行くよ」

「はい! 卯月、今日の収録も頑張ります!」

「んじゃアタシらは先に出てるわ、Pはこのあと直帰か?」

銅がドアノブに手をかけながら問う。

「いや、ボックス席へ社長の様子を見に行ってから事務所に戻るよ」
今回のライブは半ば社運を賭けたものだった。この規模を開催するのは初めての経験だったのである。
来賓も多いし、当然、社長は顔を出してきている。

総指揮者としてPは挨拶へ行かねばなるまい。事務所での残務処理もある。

銅、鏷両プロデューサーは、その答えに頷きながら出て行った。

去り際、卯月と未央が手を振ってきたので右手を軽く挙げて返す。


――パタン。

ドアの静かに閉まる音と同時に、静寂が訪れた。
空調の微かな音だけが耳に届いてくる。
今回のライブ光景を反芻したいところだが、まだやることは山積だ。

Pは凛に書き置きを残してから控室を出た。


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「いやぁ〜P君、今日のライブはよかったよォ〜! ティンときた!」

ボックス席につながる通路へ通りかかると、社長と来賓が退場してくるところに出くわした。

そしてPの存在を認めるや否や、真っ黒いシルエットの人物が笑いながら握手をしてくる。

765プロの高木社長だ。
所属アイドルの全員がAランクと云う化け物じみた事務所。

特に、天海春香、如月千早、星井美希と云った面々は、
テレビを点ければどんな時間でもどこかしらの局に映っていると言っても過言ではないほどである。

それをたった二人のプロデューサーで廻していると云うのだから恐れ入る話だ。
Pも一人で同じくらいのアイドルを抱えてはいるが、それはFからBまでまちまちだ。
十人以上がAランクの職場の多忙さを想像すると、他人事ながら、それだけで頭が痛くなった。

「君のところの社長に是非ともP君と渋谷君を欲しいと常々言っているんだがねェ〜〜!」

リップサービスなのか本気なのかよくわからないテンションで、高木は言う。

その後ろでは、うちの社長が顔を引きつらせていた。

「ははは……光栄です」

こめかみに一筋の汗を垂らしながらPは高木へと頭を下げた。

「フンッ! その程度で浮かれていては近いうちに足元を掬われるぞ」

高圧的な声が、さらに後ろの方から聞こえてきた。

高木と同じく真っ黒いシルエットの人物、業界最大手の961プロ、黒井社長だ。

まさか961プロの社長が、新興事務所であるCGプロのライブの招待に応じるとは、
開催直前に知らされたときのPは腰が抜けそうになったものだ。

どうも、うちの社長はかつてプロデューサー時代、
黒井と高木――当時は共にプロデューサーであったが――と懇意にしていたらしい。

「君ィ、確かにイイ線は行っているかも知れんね。だがまだまだケツの青さが抜けとらんな」
黒井は自らの額をとんとんと叩きながら続ける。

「彼女の素材としてのポテンシャルは評価しよう。
 だが961プロではあんなものは候補生クラス。貴様の魅せ方もまだまだなっとらん。
 まあ、我、が、社、で、徹底的に鍛え上げればジュピターにも比肩しうる存在になるかもしれんがね!
 ハァーハッハッハッ!」

端から見れば散々な言い草だったが――
961のジュピターは765のナムコエンジェルと並び、男性アイドルのトップに君臨しているグループだ。

これは黒井なりに、発破をかけてくれているのだろう。

黒井は765プロに対しては悪辣な部分もあるが、
本心ではアイドル業界全体の底上げを願っていると聞いたことがある。

「……ご指導ご鞭撻、宜しくお願い申し上げます」

Pは、深く頭を下げた。


・・・・・・・・・・・・


凛はひとり、シャワー室で汗を流していた。

ぬるめの湯が、艶やかな髪から、ふくよかな双丘、そして白い大腿と、火照った全身を撫でてゆく。

耳に入るのは、優しい水音のみ。
しかし彼女の頭の中には、ステージ去り際の歓声が、ずっと、こだましていた。


これまで、同じようなキャパシティの会場で演ったことは何度もある。

しかし、三日間ぶっ通しで行なうと云うのは初めての経験であった。
観客動員数のプレッシャーもさることながら、
数日に渡ってライブパフォーマンスをするのは、体力を保てるのか不安に思ってもいた。

でも、プロデューサーは、お前なら出来る、と常に支えてくれた。

あの人がそう言ってくれると、

いつの間にか自分もやれる気になってしまっている。

不思議なものだ。

「プロデューサー、私、あなたの期待に応えられたかな……」


私は、偶像。

あの人が“渋谷凛”を形作り、

私は“渋谷凛”という存在を表現し、

観客はそんな私に熱狂する。


存在を表現すると云うのは、実に――楽しい。


眼を瞑ると、たくさんのファンが応援してくれた、先ほどの光景が浮かぶ。

揺れるサイリウム、飛び交う声援、観客と共に踊る振り付け。

数万もの人が、一点に、私に、視線を送る。

ああ……いまでもゾクゾクするよ。


人間には誰しも、自己顕示欲と云うものがある。

ねえ、もっと私を見て?

ねえ、もっと私を聞いて?

ねえ、もっと私を――感じて?

この快感、クセになる。


……でも、ヒトが見る私は、渋谷凛というアイドル。

ただの、偶像。

ただの、容れ物。

さて、それは本当の私?


ただの容れ物だとはいえ、大勢が見てくれるのは嬉しいこと。

頑張れば頑張るだけ、ニュージェネレーションの露出も増えるし、未央たちの手助けにもなる。


だけど、いつも偶像を演じていると、時には疲れてしまう。

偶像を解き放ちたい、そう思う刻が、確かにある。

そんな刻、決まってあの人は支えてくれる。

そんな刻、あの人がとても頼もしく見える。

勿論、あの人はプロデューサーで、私はアイドル。

この仄かな憧れを、これ以上昇華させるわけにはいかない。

でも……そっと、心の中に持つことくらいなら、赦されてもいいでしょう?

アイドルである以上、結ばれることはない。

しかし、アイドルになったからこそ、あの人と出会えたのだ。


そう、それでいい。
今は――それでいい。


凛はこれまでに何度も繰り返してきた自問と自答を終えると、ふぅ、と軽く一息吐き、シャワーを止めた。

あまり長居をしてはいけない。撤収の準備は間もなく始まる。

彼女は手早く身なりを整え、シャワー室を後にした。


・・・・・・・・・・・・


控室でPの書き置きを読んだ凛は、Pを捜して裏廊下を歩いていた。

階段を上がると、遠くに人影、そして微かにあの人の話し声が聞こえる。

彼は、あそこにいるのだろう。そう思って少し歩を早めると、

――あんなものは候補生クラス。
 貴様の魅せ方もまだまだなっとらん――

Pとは違う声。
声自体は爽やかなタイプなのに、その声が紡ぐ爽やかではない言葉が聞こえてしまった。

この特徴的な声、どこかで……
……ああ、業界最大手の961プロ、その社長じゃない。

凛は立ち止まって、唇を噛んだ。

この世界では批判や誹謗など日常茶飯事。
それでも自分の耳ではっきり聞くと、心にぐさりと来るものがあった。

ゴシップ記事のようなただの文字情報と、実際に人から発せられる生の声では、全然違うのだ。

特に業界の大物の発言とあらば、一笑に付すことはできない。

それに、自分のことよりも、プロデューサーを悪く言われたのが、想像以上にショックだった。

プロデューサーはとても頑張ってくれているのに。
……いや、ショックを受けている暇などない。これを成長の糧としなければならないのだ。

961ほどの大手からすれば、まだまだ私はひよっこ。

凛は自分にそう言い聞かせ、彼ら来賓の前で偶像を演じるため、さらに歩を進めた。


・・・・・・


Pと共に控室へ戻った凛は、心なしか不機嫌のように見えた。

ついさっき、来賓に挨拶を済ませたときとはだいぶ違う。

――皆様、この度は私のコンサートにご足労くださいまして、ありがとうございました――

――若輩者にも拘わらず、おかげさまで公演は無事成功裡に終えることが出来ました。皆様のご支援に深く感謝申し上げます――

澄ました笑顔でこんなことを言っていたのに。
もし控室へ戻ってくるこの数分の間で機嫌を悪くしたのでなければ、猫かぶりが巧いものだ。

Pはそんなことを思いながら彼女に尋ねた。

「どうした? 機嫌が悪そうじゃないか」

「うん、ちょっとね」

凛は椅子の上で、器用に体育座りをしながら視線を動かしている。
「俺が何かヘマやらかしたか? 気を損ねたなら謝るが」

「ううん、違うよ。そうじゃない」

その言葉とは裏腹に、唇はへの字に曲がっていた。

出会った頃のようで懐かしいな……
Pはそんなことを思いながら、入口近くに立ったまま腕を組んで、次の言葉を待った。

凛は意を決したように口を開く。

「……何て言うのかな……さっきさ、黒井社長の話が聞こえちゃって」

Pは、あぁ……あれか、と小さく漏らしてから凛に訊ねた。

「……こき下ろされてムカついたか?」

「むかついた、って言うよりは……」

凛は体育座りをしたまま床に視線を落とす。
しばらくの後、Pの方に顔を向けて続けた。

「……私がどうこう云われるのは構わないよ。自分自身まだまだだって自覚しているし。
 ……でも、プロデューサーのことを悪く云われたのが……悔しくて……」

凛は拳をぐっと握ってから立ち上がって、Pの許へと近づく。

「ごめんね、私が未熟なせいで……プロデューサーの腕を悪く言われちゃって」

そう、ぽつりと、呟いた。

そんな凛の肩に、Pは優しく手を乗せて、微笑んだ。

「凛、少し誤解している節がありそうだ」

「誤解……って?」

凛は訝りながら、Pの顔を仰ぎ見た。

「俺は、あれは黒井社長なりの発破だと思ってる」

「……あんな意地悪な言い方なのに?」
「そう。黒井社長もああ見えて根は悪い人じゃないよ。
 むしろ誰よりもアイドル業界のことを考えてるからこそ、厳しい言葉を浴びせるのさ」

凛は目を閉じて、Pの言葉を消化する。

「アイドル業界に……誰よりも……本気……」

「黒井社長にああ言われるということは、逆に俺たちは期待されていると捉えることもできるのさ」

「期待……されてる……」

凛はゆっくり目を開けて、微かに笑った。
業界最大手の社長に期待されている――そう聞いて何も思わないほど感情の乏しい凛ではない。

「つまり、立ち止まっている暇はないってことだね」

「そうさ、トップアイドルになるまでな」

トップアイドル――その言葉を出した刹那、凛の瞳孔の奥に力が宿る。

「プロデューサー、私、全力で、駆け抜けてみせるから」

Pはその碧い瞳に、吸い込まれていきそうな感触を覚えた。



 ――これからも隣で私のこと、見ててね――

とりあえず今回の分はここまでです。ってもう四時じゃねえか! なんか予想より分量多くなる悪寒……
あと奈緒ちん誕生日おめでとう! 誕生日SS書けなくてごめんよ!
トライアドプリムスが後半で出てくる(たぶん……)ので勘弁してください! 何でもしますから!

>>33
んにゃ、すみませんそれは読んだことないです……
命名由来は、『銅』を元素周期表で見てみてください

電車止まってPio行けなくなったのでSS書きます(絶望)

>>51
基本的には、全篇でデレさせたいですが、果たしてどうなることか……

あーかーんー 表現ドン重なりしとるやないけー やっぱ眠い中書くのはあかんー
>>46 は以下に差し替えて読んでください
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「俺が何かヘマやらかしたか? 気を損ねたなら謝るが」

「ううん、違うよ。そうじゃない」

その言葉とは裏腹に、唇はへの字に曲がっていた。

出会った頃のようで懐かしいな……
Pはおよそ二年前の凛に思いを馳せ、入口近くに立ったまま腕を組んで、次の言葉を待った。

彼女は意を決したように口を開く。

「……何て言うのかな……さっきさ、黒井社長の話が聞こえちゃって」

Pは、あぁ……あれか、と小さく漏らしてから凛に訊ねた。

「……こき下ろされてムカついたか?」

「むかついた、って言うよりは……」

凛は体育座りをしたまま床に視線を落とす。
ぼちぼち投下再開します
今回分は少し長いかも



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四月、新学期の季節。

横浜アリーナでのコンサートを無事終えた凛は、音楽雑誌の事後インタビューなど残務を終えて久々の休みを貰っていた。

たったの数日のみではあるが、年明けからずっとライブの準備に勤しんでいたから……およそ三箇月振りか。

高校三年生になった凛は、だからといって劇的に何かが変わるわけでもない日常を過ごしている。

普通の学生生活に於ける新年度特有のクラス替えは、
凛の通っている、芸能科のクラスがひとつしかない学校には、およそ関係のない出来事であったし、
強いて挙げるとすれば、先輩がいなくなって、自分たちが最高学年になったと云うくらいのものであった。

それでも、大きな規模の興行をこなした直後だけあって、先日昼休みに校庭のテラスで昼食をしていたときは、
ライブを見に来ていた同級生や後輩からもてはやされ、多少こそばゆい思いをした。

一般的には、高三ともなると、否が応でも進路のことを考えなければならない時期だ。

当然今は、このままアイドルでトップを目指すというのが目標。それはデビュー以来変わっていない。

でも……
ふと、二年前を思い返して、もし自分がアイドルになっていなかったら、と〈IF〉に思い巡らす。

ふつーに通学路を歩いて、
ふつーにJK生活を満喫して、
ふつーに憂鬱な考査を消化して、
ふつーに部活とかやって、
ふつーに街で遊んで、
ふつーに受験勉強して。

……たぶん、実家の手伝いに活かせるよう、一橋大の商学部あたりを目指していたんじゃないかな。
そんな他愛もない、パラレルワールドの自分を想像して、凛は惜春に少しだけ胸が締め付けられる感覚を持った。

私に、普通の青春時代は存在しない。

その代わり、私には、アイドルとしての眩い青春時代が存在する。

どちらの方がいいとか、どちらの方が優れているとか、そんなのを云うつもりはないけれど。

私が味わったことのない、普通の青春時代を過ごしている人を、ふと、羨ましく思うときがある。

勿論、そんな“普通”を過ごしている人は、アイドル生活を羨望したり夢想したりするのだろう。

本当に、人間って、ないものねだりをする生き物だ。


…………なぜこのような一種哲学的なことを考えているのか。

凛の待ち人がこないからであった。

現在、日曜日の昼前。
オフが重なった未央と渋谷へ遊びにいこうと云う話に、先日なったのだが。

――寝坊でもしたのかな。

駅に着いた時点で一度電話を入れた際は、呼び出し音が十回ほど鳴った後、留守電に切り替わってしまった。

電車に乗っていて取れないのかと判断し、メールを入れておいたものの……

ハチ公前の『アオガエル』に寄り掛かりながら左手首を見ると、既に約束の時刻から15分が過ぎている。

これ以上ここにいるのは好ましくないな――

凛は時計の長針を見ながら、心の中で呟いた。

一応、変装はしている。

髪をアップに結ったり、アイドル仲間の上条春菜からもらった伊達眼鏡をかけたり、瀬名詩織に薦められた帽子を被ったり。

ただ流石にこの場に留まったままでは、見破られるのも時間の問題だろう。

大抵の人は、街の雑踏の中で“まさに今”、“まさにすぐそこ”に、芸能人がいるとは思わないもの。

一瞬気付かれそうになっても「まさか、ね」で終わってしまう。

だから多少の街歩き程度なら、そこまで神経質になる必要はない。

しかし、待ち合わせなど、動かず一箇所に留まっていると、気付かれる可能性は飛躍的に高まる。

そしてそのとき独り、かつ何もしていない状態でいると、十中八九、声を掛けられる。

現に、ハチ公像の隣に立っている中高生らしき女の子が、ちらちらとこっちを窺っている様子だ。

……場所を移さないと。

そう判断した瞬間、凛のiPhoneに着信があった。

未央からだ。ひとまず歩きながら話そう。
「――もしもし未央? どうしたの、もう15分待ってるよ。寝坊?」

『ごめーんしぶりん! 寝坊もそうなんだけど、いま鏷プロデューサーからの電話で起こされて、緊急の仕事が入っちゃった!』

「うわ、急なヘルプか」

『うん、第三課―パッション―で他に空いてる子がいないらしくて、今からブーブーエスに行かなきゃ〜〜あわわ』

「まあ、それじゃ仕方ないね。けど……起き抜けでしょ? そんな状態で局行って大丈夫なの?」

『鏷プロデューサーが車を廻してくれるから、その中で何とかするよ〜〜うわうわメイクどうしよー』

目が蚊取線香のように渦巻いて、デフォルメされた汗が飛んでいる光景が容易に想像できそうな雰囲気だ。
声の向こうからは、バタバタと駆け回る足音が聞こえてくる。

「それじゃこっちのことは気にしないで、準備と仕事に専念して」

『ありがとーしぶりん、ごめんね、この埋め合わせは今度するからぁー!』

そう言い残して電話は切れた。
急遽仕事がブッキングされることはままあるし、自分もよくそれで友達に迷惑をかけている。

だから今回の未央のドタキャンについて怒ることはない。
寝坊も……まあ一つの可能性として頭の片隅にはあったので、これもあまり気にしない。

未央らしいといえばらしいし、ね。


……さて、どうしよう。

オフの日に出かけるときは、たいてい誰かしらと一緒だった。
独り街中へ出るのは久しぶりだから、調子が少し狂う。

アイドル一人でぶらぶら、っていうのは避けるべきだし……
今日は帰った方がいいかな。

――でもせっかく渋谷へ来たんだし、楽器屋でベースの新しい弦を買いたいな。

 デビューシングルを出した際、ベースに興味が湧いた私を見て、プロデューサーがコンコードと云うベースを譲ってくれた。

 第三課の木村夏樹にその話をしたら目を丸くしていたっけ。

 ロックに詳しい彼女曰く「かなりイイモノ」だそうなので、大切に使っている。

 今では、そこそこ上達したと思う。夏樹とセッションすることもあるよ。


――あーあとマルキューを覗いたり、アップルストアにも行きたいな……

 うーん、マルキューあたりは独りで行くと万一バレたときに少し面倒かも……


そんなことを考えながら、楽器屋のある西口の方へ向かおうと、井の頭線下の横断歩道に差し掛かったとき。

青信号を渡ってきた女性が、凛の目の前で「どんがらがっしゃーん!」と派手に転んだ。

つまづくようなものは何一つないのに見事な転倒っぷりで、身につけていたハンチング帽と黒縁眼鏡が、凛の足元へ飛んでくる。

「……大丈夫ですか?」

凛はそれらを拾うと、転けた人を覗き込んで尋ねた。

その人は、いたた……また転んじゃった……今日二回目だよ……、とつぶやきながら立ち上がり、凛の差し出したものを受け取る。

「すみません、ありがとうございます」

その人が顔を挙げた瞬間、凛の片眉がぴくっと上がった。

業界人は勿論のこと、一般の人間でも知らぬ者はいないであろう人物だったからだ。

「天海……春香さん?」

今をときめく24歳のAランクアイドルその人は、あちゃーという顔を見せた。


・・・・・・・・・・・・


「これからは転んでも解けないような変装が必要ですね……」

春香はソイラテを一口飲んでから、たはは……と苦笑した。

ここは桜丘にあるカフェ。

近傍には大学やオフィスビルがあるため、渋谷駅から玉川通りを一本隔てただけなのに、静かで落ち着ける場所となっている。

さきほど転倒した際の衝撃で彼女の眼鏡が曲がってしまったので、凛は伊達眼鏡を貸すと申し出た。

凛は髪型を変えて帽子も被っているから、眼鏡を外しても、“まだ”、なんとかなる。

そうしたら、もののついでと云うことでお茶に誘われたのだ。

凛は茉莉花茶で喉を濡らしてから問う。

「あの……天海さんほどの人が、どこの馬の骨だか知れない人間とお茶しちゃって大丈夫なんですか?」

それを聞いた春香は目尻を下げながら、

「そりゃあ、一般の方と二人きりでお茶するのは避けますけど、同業の方なら特に問題ありませんし」

「えっ?」

凛は素っ頓狂な声を上げた。
その様子を見た春香は、不思議そうな顔をしながら「あなた、渋谷凛さんでしょう?」と笑った。

まさか。

まさか八年もの間Aランクを独走している天海春香が、新興の私を知っているなんて。
「そんな驚かないでくださいよ。CGプロさんの方々はそれなりに存じてますから」

「そうだったんですか……」

「……さすがに全員は無理ですけど」

「……私でも把握し切れていませんのでそれは仕方ないと思います」

凛は瞼を閉じ、こめかみを抑えながら正直に言った。

春香は口元に手を当ててくつくつと笑っている。

「でもまさかトップアイドルたる天海さんが私なんかのことをご存知なんて、とにかくびっくりで……」

「そんなに謙遜なさらないで。渋谷さんはいま最も勢いあるアイドルとして有名なんですから」

「きょ、恐縮です……」

凛は顔を少し赤らめて、寄り目のようにして手許のカップへとフォーカスを落とした。
「あと、私のことは天海じゃなくて春香、って呼んでください」

「えっ、そ、それは」

動揺して反射的に視線を上げた凛に、春香はウインクして「その方が慣れてますから」と人差し指を立てながら言った。

「……わかりました、春香さん。私のことも凛と呼んでください」

そして、カップを口元へ近づけながら、春香の様子を窺うように言葉を付け足す。

「あと……こそばゆいので、可能でしたら普通に話して頂ければ……」

「おっけー。それじゃ凛ちゃんで! ふ〜、他所往きの言葉は疲れちゃうから助かったよー」

春香は安堵の表情でそう漏らした。

それは、生っすか!?サンデーでよく見る、自然体の彼女であった。
「でもごめんね、わざわざ眼鏡を貸してもらっちゃって。
 私、眼鏡かけないとすぐバレちゃうから、転んで眼鏡が壊れたとき正直ちょっと焦ったんだ」

春香は、凛が貸した眼鏡の縁を、くいくいと動かしながら感謝した。

「早いうちに今度そちらの事務所まで返しに往くね」

凛はあわてて両手を振りながら答えた。

「あ、いえいえお構いなく。見ての通り伊達ですし、それにうちにはメガキch……」

コホン、と一度咳払いし、

「眼鏡をたくさん抱えている、妙に詳しい者がおりますので」

「あはは、面白い子がいるんだね」

「ズレにくかったり、壊れにくかったり、変装用眼鏡の選ぶコツを訊いておきますね」

「あ、それ助かるー。私さっきみたいに転んでばかりだから、眼鏡すぐ取れちゃうんだ」

私の変装には眼鏡が必須なのにねと言葉を付け足し、春香は首をやや傾げながら右手で自らの後頭部を叩いた。
「私は髪型を変えて帽子を被れば眼鏡がなくてもまだなんとかなりますけど、
 春香さんくらいの髪の長さだと中々そういうわけにはいきませんよね」

「そうなんだよー。
 うーやっぱり髪の長い子って、それだけでも判別要素になるよね。
 千早ちゃんや美希も髪をアップにすると雰囲気だいぶ変わるしー……」

ソファの背もたれに体重を預けながら春香は独り言つ。

その言葉で、凛はふと気付いた。

「逆に言えば……春香さんは今の私を見て、よく渋谷凛だとすぐにわかりましたね?」

さっき一般の人とは喫茶しないと云っていた。
つまり凛をお茶に誘った時点で春香は気付いていたはずだ。
「あーそれは、プロデューサーさん、
 ……あ、うちの赤羽根プロデューサーね――が凛ちゃんのバレンタインのSRを持ってるところを見たからだね」

「えっ、あれって市井には出ていないはずじゃ……」

予期せぬ返答に、凛は軽く狼狽えた。
あのカードは、事務一帯を取り持つ千川ちひろが、内部向けの特典として用意したものだったからだ。

「ああうん、一般には出回ってないけど、業界の人間なら、ね。
 あれには765―うち―からも何人か参加しているし」

そういえばそうだった。
当時、CGプロの企画に765プロが乗ったと話題になっていたっけ。

「特にバレンタインの凛ちゃんSRは、プロデューサー職の人はこぞって狙ってたみたい。死屍累々だったんだよ?」

赤羽根さん、一箇月もやし生活だったしねー、と、しれっと恐ろしいことを春香は言った。

自分の影響力って、予想以上に拡がっているのかも知れない……
凛は茉莉花の香りを鼻にくすぐらせながら思った。

その後、他愛のない話を色々お喋りして、短針がそろそろ真上を向こうかという頃。

二人のカップはほぼ同時に空となり、お茶会はこれにてお開き。

早朝に収録のあった春香は、これから二時間かけて帰るそうだ。

売れっ子になってもそれは変えてないと言う。

そのガッツに凛は舌を巻いた。

凛の実家は東京西部にある花屋。毎日通えない距離ではない。

しかし、――人が殺到して商売にならなくなるのを避けようとした意図があるとはいえ――
凛自身は、笹塚にある、通学・通勤に便利なCGプロの第一女子寮へ入っている。

春香のような始発列車での長時間通勤は、到底真似できないものであった。

二人、ピークを過ぎた桜の花弁が舞う坂道を、駅へと向かって下りていく。

「今日は楽しかった。他の事務所の子とお話しする機会って中々ないからさ」

「はい、私も先輩にたくさん伺えて楽しかったです」

先輩と云う言葉がくすぐったかったのか、春香は少し照れた風を見せた。

「凛ちゃんさえよければ、また、お茶しようね」

「はい、喜んで」

「あっそうだ忘れてた! 凛ちゃんアドレス交換しよう!」

両手をぱん、と拍手―たた―いてから出された春香の提案。それは凛にとって願ってもないことだった。

「ありがとうございます。是非、お願いします」

よもや天海春香とホットラインを築けるとは、連絡先を交換するのにこれほどドキドキすることが、かつてあっただろうか。
染井吉野の樹の下、二人はiPhone同士をbumpすると――

harukakka@i.hardhage.jp

「春……閣下……?」

「そうそう、ファンの人たちからそういうネタがあるって教わってね、面白いからアドレスにしちゃった」

『てへぺろ』と云う形容がよく似合う仕草で春香は語る。

なんと貪欲な取り入れ方。

こう云う姿勢が私にも必要なのだろうか……考え込みながら歩いていると、玉川通りにすぐ着いてしまった。

春香は駅へ、凛は近くにあるベース専門店へ。通りを渡る歩道橋のたもとで二人は別れる。

「いつでも気軽に連絡してね、それじゃ!」
春香は、頭を軽く下げて見送る凛にひらひらと手を振りながら、雑踏へ紛れていった。

その後ろ姿を眺める。

テレビの中とまったく変わらない天海春香。

その裏表のなさが、彼女をトップアイドルたらしめているのかも知れない。

アイドル天海春香としての味――

凛は、ヒントを垣間見た気がした。

しかし……それをただトレースすればよいのかと云われれば、答は違うだろう。

「私自身の味って……なんだろう……」

この二年間、プロデューサーに導かれるまま我武者羅に走ってきて、考えもしなかったこと。

凛の心の中に、未知の謎が芽生えようとしていた。


・・・・・・・・・・・・


「おはようございまーす」

フロストガラスの扉を開けながら挨拶をすると、ちょうど千川ちひろがコピー用紙を持って通り掛かるところだった。

「あらおはよう、凛ちゃん。今日はオフのはずじゃなかった?」

「うん、そうなんだけど足が自然とこっちに向いちゃって……」

あの後、別れた場所すぐそばの店でベースの弦を買ったものの、手持ち無沙汰になってしまって、
結局、通い慣れた事務所へとやってきたのだ。

「あらあら。ワーカホリックなプロデューサーさんが伝染ったかしら」

そう笑いながら、ちひろはコピー機へと歩いていった。

「プロデューサーさんは休憩室にいるわ」

「あ、ありがとう、ちひろさん」

凛が訊いてもいないのに、ちひろは背中越しにPの居場所を宣った。

なんだかまるで私がプロデューサーへ逢いに来たみたいじゃない。

凛はつんつんと心の中で微かな抵抗をしたが、

「……あながち外れてはいないけれど」

その抵抗はあっさり霧散した。

休憩室に入ると、果たしてPはそこにいた。

入口に背を向け、アコースティックギターを抱えてTommy EmmanuelのLuttrellを爪弾きながら。

斜向かいでは、凛と同じ第一課―クール―に所属する高峯のあが、
それを聴きつつ何故か科学雑誌――それもアンドロイド特集――のページを捲っている。

ふと凛の存在を認めたのあだったが、凛が片目を閉じて唇の前に人差し指を立てたので、そのまま雑誌に目を通し続けてくれた。

心なしか、普段感情を表に出さない、下を向いた彼女の口角が上がっているように見える。

「また新曲に詰まったの、プロデューサー?」

凛が気配を出さないようにして後ろから声をかけると、当のギター奏者は驚きのあまり座ったままの体勢で飛び上がった。

「うおっ!? ……凛か、おはよう。びっくりさせるなよ」

心臓に手を当てながらPは声の主を振り返る。

「おはよ。ギターに没頭しすぎて勝手に驚いただけでしょ」

くすっと多少意地悪く笑いながら、凛はPを回り込んで対面のカウチにすとんと腰を下ろした。
「今度のお前の新曲をどんな方向にしようか考えていたんだけどな、今日はあまり“降りて”こないから気分転換していたのさ」

Pはプロデューサーという立場上、売り出し方、音楽の方向性、予算・進行管理、つまり凛の全てを管轄する。

――いや、凛だけでなくクールアイドルの全てと云うべきか。

CGプロの他課のプロデューサー、銅や鏷と違い、Pは音のラフスケッチを描いてそれを作曲家/編曲家に渡すことが多い。

低予算の場合は、昔取った何とやら、と云いつつ自ら曲を書いてしまうこともある。

だからインスピレーションが湧かないときは、こうやって適当に楽器を鳴らしているのだ。

それはギターだったりベースだったり、はたまたウーリーであったりドラムであったり。

そうすると、不意にアイデアやフレーズが浮かんでくるのだそうだ。
結構よくあることなのだとか。

凛がベースに興味を持ったのも、そんなPを間近で見ていたからであった。

第三課の夏樹が度々「うちの鏷プロデューサーと交換してくれよ」とからかうように言ってくる。

あながち冗談に聞こえないから性質が悪い。

そこへ安部菜々がひょっこりと顔を出した。第二課―キュート―に所属しているアイドル。

……の大御所。

その昭和生まれは、私服の凛を見て、至極真っ当な疑問をぶつけてきた。

「あれー? 凛ちゃん、今日はお休みじゃありませんでしたっけ? なんで事務所へ?」

「あー、うん。プロデューサーに逢いたくなったから」

彼女の問いに凛が真顔で回答すると、当のPは「???」と心底不思議そうな目をしてきた。

ま、思った通りの反応だけどね。

菜々は口を大きく開けて「キャハっ! ダイタンですね凛ちゃん!」と笑みを浮かべているのに。

曲がりなりにもアイドルにあんなこと言われたんなら、もう少し照れたり喜んだりしてくれてもいいと思うんだけどな。

……まあ菜々ほどの反応はしなくてもいいけど。
「冗談だよ。今日は未央と渋谷を街ブラする予定だったんだけど、あの子、急に仕事入っちゃったからさ」

帽子を脱いで、アップにした髪を解きながら答えると、その黒い絹糸の上を、照明の白い反射光が流れていった。

Pは合点がいったようで、「そういえば鏷がだいぶ焦ってたな朝」と
スケジュールの書かれた電子黒板を横目に見ながら言った。

「そうね……他所の部署とはいえ……少々心配になるくらいだったわ」

のあも頷く。

「そんなに大変だったんだ? 結局あれ以降、未央から連絡ないし、大丈夫だったのかな……」

「まあ連絡がないってことは大丈夫なんだろうよ、きっと」

確かに、問題があれば何らかの報せがきているはず。
それがないなら、順調と云うことだ。
凛は話を続けた。

「それで、ベース弦を手に入れたらやることがなくなったから来ちゃった」

「ん、弦? あのコンコードの? どれにしたんだ?」

凛は楽器屋の黒い袋から、買ったばかりのブラックナイロン弦を取り出してPに渡した。

「お、LA BELLA 760Nじゃないか。凛もこれにしたのか」

「うん、こないだプロデューサーが渋くて好きって言ってたでしょ。だから試してみようと思って」

Pが以前、編曲家とオールドスクールな出音が気に入っていると云う話をしていた際、その言葉を凛は憶えていたのだ。

この弦でスラップすると、アタック音が独特の触感になって心地よいのだとか。

「まだ三連プルさえ巧くいかないひよっこだけどね」

最近までツーフィンガーしかやっておらず、スラップを始めて間もない雛鳥な私。

だけど、新しい音の世界を見るのは楽しみだ。

凛がそう言って目を輝かせるとPも笑みを浮かべた。
「凛はリズム感がいいからスラップはすぐに上達するさ」

「音感じゃなくてリズム感? 確かにテンポを保つのは重要だけどリズム感ってそんなに関係なくない?」

顎に人差し指を添えながら首を傾げると、Pはチッチッと手を振った。

「大アリさ。スラップベースは打楽器ともいえるからな」

打音の強弱リズムのつけ方ひとつ取っても、奏者によるセンスがモロに出る。

その点、ダンスのセンスとリズム感に定評ある凛なら飲み込みは早いだろう、とPは力説した。

「ふーん、まあ今度個人レッスンでもしてよ、プロデューサー」

凛は前屈みになり、Pを下から覗き込むようにして云った。

「時間が合えば、な」
Pがすっくと立ち上がり、ギターをスタンドに戻しつつ答えると、それまで寡黙であったのあが口を開いた。

「Pの……“個人授業(My Tutor)”……? 羨ましいわね……」

「おいのあ、言葉に何やら厭らしいニュアンスを感じるんだが」

「ふふ……Pは……厭らしいと感じたのね……? 一体何にかしら……」

言葉だけ聞けばPをからかっているようにしか思えないが、当ののあは科学雑誌から一時も目を離さずに話している。

「のあさんいつも通りだね」

凛が半ば呆れるように言っても、のあは動じない。

「さぁ……私の言葉に意味があるか、それとも気まぐれなのか……其処に意味を見出すのはP、貴方次第よ」
「善処するよ」

Pは観念したかのように両手を軽く挙げて、降参のポーズを取った。

そのまま凛へ向き直り、弦の入ったパッケージを顔の横でひらひらと振った。

「ま、こいつなら、ジャズ、RnB、ソウル、フュージョンによく合う……
 渋さはピカイチだが、その良さが判るには、凛はまだ少し早いかもしれんな」

少しだけ苦笑気味にそう漏らす。

「むっ、ちょっと、私を子供扱いする気?」

凛が口を尖らせると、Pは「滅相もございません」と首を振った。

絶対子供扱いだよね、それ。
「まあいづれにしろ、感触がスチールとは少し違うから最初は戸惑うかもしれん。
 わからなかったら訊きにくればいい」

言葉の後半でPは表情を緩め、凛に弦を返した。

――おちゃらけた雰囲気からの、この包容力ある笑み。
ほら、プロデューサー、そういうのが女の子キラーなんだよ?

「……うん、ありがと」

凛は弦の入った袋で口元を軽く覆い、心の中の言葉は噯にも出さず、感謝のみ述べた。
そこへ菜々が、ぬっと顔を突き出して問う。

「凛ちゃんがベース弾くのは知ってましたけど、フュージョンやるんですか?」

「え、ううん、別にフュージョンって決まってるわけじゃない……けれど……」

「フュージョン演りませんか!?」

菜々の目はどこか憧れに光っているようにみえる。

「え、ま、まあ……シンデレラガールズのみんなでバンドみたいなことをやってみたい……とは思うけど……」

それを聞いたPは「シンデレラガールズバンドか……アリだな……」と考え込み始めた。

いつでもどこでもそのモードに入るんだから……と凛が思っていると、菜々が鼻息粗く迫ってきた。
「やりましょう、カシオペアやりましょう! ナナ頑張ってキーボード覚えますから――
 ギターは夏樹ちゃんや李衣菜ちゃん呼んで、ドラムは……伊吹ちゃんあたり出来そうだから引っ張ってきて、カシオペアイドル演りましょう!
 ナナ、ずーっと司会屋実ポジションやってみたかったんです!」

菜々のあまりの勢いに凛は思わずたじろぐ。

「な、菜々……カシオペアって……なに? 星座のこと……じゃないんだよね?」

「凛ちゃん! 知らないんですか! カシオペアを! 知らないんですか!!」

菜々はその甲高い声で詰め寄った。

菜々の目は憧れに光っているのではなかった。猛禽類のそれなのだということに凛は気づいてしまった。

「80年代に一世を風靡したフュージョンバンドですよ! 野呂一生のチョッパーギター! 櫻井哲夫のグルーブ満ち溢れるベース!
 司会屋もとい向谷実のKX88から紡がれるコードの魔術! 神保彰のド安定なリズム隊と華麗なタムさばき……!
 当時ナナがどハマリするくらい凄かったんですから!」

「と、当時ハマッた……?」

凛は半歩ほど後退って冷や汗を垂らしながら思わず言葉を漏らした。
すると血気で紅かった菜々の顔は瞬時に青くなり、「と、ととと当時のビデオを見たんです!」と弁明したが、

「だからってなんでそんな詳しいメンバー構成や向谷実の通り名まで知ってるんですかねぇ菜々さん」

Pがやれやれといった様相で菜々に問い掛ける。

「な、なんで他の子は呼び捨てやちゃん付けなのにナナにはさん付けのうえ敬語で話すんですかPプロデューサー!!
 85年伝説の国技館ライブをベータにダビングしてテープが擦り切れるほど見たからですよ!」

「あ、その映像俺も欲しいですね」

その言葉に菜々は笑みを輝かせたが、そこへPは間髪入れずに突っ込んだ。

「でも菜々さん、今や一般家庭でテープデッキがあるかどうかすら怪しいというのにベータってのは――ちょっと」

「ハッ! ウ、ウ、ウサミン星ではベータがVHSに勝ったので現役なんです! キャハっ!」

「うわぁ……」

Pはさすがに目尻の痙攣を抑えきれなかった。
銅はどうやってこれを捌いているのか心底不思議になる。
その様子を見ていた凛は、Pが引くなんてよっぽどなんだろうなと諦観した。

相変わらず科学雑誌へ目を落としているのあに、声を小さく抑えて訊ねる。

「ねぇ、のあさん、ベータ……ってなに?」

「たしか……昔の……ビデオテープの規格ね……」

「ビデオテープって、一種類だけじゃなかったんだ……」

ぽつりと呟くと、のあはその独言を拾って話を続ける。

「そうね、今で云うSDカードとメモリースティックの違い……
 みたいなものかしら……私も詳しくは……知らないのだけど」
凛は少し考え込んだのち、眉をひそめて再度問う。

「……のあさんですら、知らないものなの?」

ついにのあは雑誌から目を離して凛の方を向いた。

「流石に……私もバブルは未経験よ?」

そういえばそうだった。

妙に落ち着いた趣を持っているとはいえ、のあは丁度バブル経済が崩壊し始めた時期に産まれたはずだった。

――しかしどうしてか凛がそのことを信じられないのは、どこか心の奥底で、のあが実は人間じゃないのでは、と思っているからなのかもしれない。

なにやらベースの話題から始まったドタバタに小さな溜め息を吐くことしばし。

奇妙なやり取りをする間に弦をバッグの中へしまっていた凛は、立ち上がってPの横までいくと、彼の左肘を引き寄せた。

「まあガールズバンドのことはひとまず置いとこうよ。これ以上菜々……さんに突っ込みを入れても仕方ないし」

「凛ちゃんもしれっと非道いこと言いますね!?」

凛は菜々のささやかな異議申し立てを華麗にやり過ごして、Pの肘をさらに引っ張る。

「ねえプロデューサー、お昼まだでしょ? 私おなか空いちゃった。ご飯どこか連れてって」

「ん? なんだ凛お前まだ食ってないの? ……じゃあそこらへんのイタ飯にでも往くか。
 のあや菜々……さんはどうする?」
「ちょっと、P……こう云う刻にそんな野暮なことを訊くものかしら? ねぇ……菜々“さん”?」

のあは意味深な視線を菜々へ向けた。そんなのあに、菜々は脂汗を流しながら同調する。

「あ、あはは……そうですね、ナナはお腹空いてませんから、凛ちゃんと二人で食べてくればいいと思いますよ〜……」

「? そうか。じゃあ出るか、凛」

「うん、いこ、プロデューサー」

帽子を頭に載せ、心なしか凛の声は弾んでいる。その片手はPの腕を掴んだままだ。

そして、パタンと扉が閉まる音と共に訪れる静寂。

休憩室には、必要以上に疲れた様子の菜々と、無表情で雑誌を読み進めるのあが残されたのだった。
ふう、ちょっと小休憩します
息抜きに作中で挙げた曲貼っておきますね

Tommy Emmanuel "Luttrell"
http://www.youtube.com/watch?v=IUXwn-ob9mk


菜々さんがベータのテープを擦り切るほど見た、カシオペア85年国技館ライブの様子
Casiopea - Looking Up
http://www.youtube.com/watch?v=S0Xm1PWb07o

Casiopea - Galactic Funk
http://www.youtube.com/watch?v=AKgjOCuW_MU



・・・・・・・・・・・・


首都高一ノ橋ジャンクション周辺の喧噪から少し離れた半商半住なエリア。

CGプロ事務所のある麻布十番は、六本木や東京タワーが近いのに、一本路地を入れば意外と庶民的な街だ。

しかしここは美食の都東京。親しみやすい住宅地の中にも、グルメなお店は多い。

Pと凛は、元麻布との境にある、お洒落なイタ飯屋に来ていた。
――いや、然るべくイタリアンレストランと云うべきだろう。

「ちょ……ちょっとプロデューサー……ここ、だいぶ高そうなお店だよ?」

エレベーターを降りた直後からとても落ち着いた雰囲気を纏わせるエントランスに、凛は少し後込む。

絢爛な自己主張はしないが格調高い調度品。
決して広くはないが席と空間にゆとりある店内。

一目見ただけで「高級だ」とわかるレストラン――
凛はもう売れっ子と表現して差し支えないレベルのアイドルだが、
それでもディナータイムにドレスコードが設定されそうな店へ入る経験はそう多くない。

それもそうだ。
ほんの少し前まで、彼女はただ普通の女子高生だったのだから、当たり前と云える。

「別に問題ないさ。今日のお前は洒落た服装をしてるし、充分に綺麗すぎるくらいだ」

Pは軽くそんなことを言ってのけるが、いきなりこのような場所に連れてこられては、凛の心の準備ができていないのも仕方あるまい。

しかも、いつもの制服ではなく私服姿を綺麗と褒められたものだから、期せずして頬も染まってしまう。

凛は、それを悟られないように少しだけ下を向いた。

意識しないでこう云う言葉がぽんぽん出てくるんだから、この人は本当に天然ジゴロ。

私の心をこんなに掻き乱してどうするのだ。

軽い気持ちで昼食をねだったつもりだったのに。

そんな愛憎の念が複雑に入り交じった視線を、横目で隣の人物に流した。
それに気付いたのか気付いていないのか、凛を向いてPが説く。

「まあそれに、こういう場所なら変装しなくても入れるし、レンズに狙われることもない」

確かにそれは頷ける。
もはや今となっては、帽子を被るだけの変装と呼べない変装でファミレスやファストフード店へ行っては、混乱が起きてしまう。

以前、卯月が本郷にある第二女子寮近くのCMOSバーガーまで、変装せずひょっこりと行ったら、大変な騒ぎになったそうだ。

 ――案の定、銅プロデューサーにこってり絞られたらしい。


それでも最近は、十番周辺の人々はCGに所属するアイドルたちを見ても、日常の一部のように捉えてくれることが多くなった。

ありがたいことだ。

地域の人の理解と支えがあって初めて、アイドルは支障なく活動できるのかも知れない。
凛がそんなことを走馬灯のように思っていると、一番奥の席へ通された。

メニューの上には、到底ランチとは思えない値段のコースがずらりと並んでいて、一瞥しただけで軽く目眩を覚える。

「ねえ、プロデューサー……桁が違うよ?」

「いいんだよ気にするな。
 こないだのコンサートの成功祝いを個人的にやってあげられてなかったからな。
 好きなのを頼め」

「ん……
 なら、いいんだけど……」

そう言いながら唇に人差し指の腹を当てて、少し考え込んだ。

Pは続ける。

「それに、お前みたいな売れっ子は変に遠慮なんかしなくていい、もっと堂々としていろ」

勿論、無遠慮はだめだが、遠慮しすぎるのも駄目だ、と付け加えて、泰然自若な笑みを向けた。

凛はそれにつられて微笑み、ありがと、と述べてから、じゃあ、と二番目に高いコースに決めた。
「ん? 一番高い、メインディッシュありのやつじゃなくていいのか?」

「昼時からそんなに食べられないって。このコースのアマトリチャーナがいいな」

「そうか、じゃあ俺はアンチョビにしようかな」

そう云ってPはオーダーを済ませた。

「横浜アリーナ公演成功を祝して――」

食前に供されたサンベネデット・フリザンテのグラスを、二人は乾杯、と言いながら掲げた。

乾杯とはいえ、これはスパークリングウォーター。

Pはこんな昼間からアルコールを呑むわけにいかないし、凛はそもそも未成年だ。

だから、ノンアルコールで控えめに。

それでも凛にとっては充分な杯だった。
「あ、この発泡水おいしい……」

「これはベネチアのものらしいな。イタリア料理にはイタリアの水、ってことかね」

グラスもベネチアンガラスのようである。凛は水の都に思いを馳せた。

「ベネチアか……北イタリアだっけ」

生まれてこの方、海外へはあまり行ったことがない。

経験があるのは、せいぜい中学の頃に家族と旅行したサンフランシスコやバンクーバー、上海、長安くらいなもの。

欧州は未知の場所であった。
「……いつか行けるといいな」

「凛ならそう遠くないうちに行けるんじゃないか? 世界ツアーも夢想話ではないと、俺は半ば本気で思ってる」

グラス側面の装飾を眺めていたPは、凛に視線を向けた。

「ふふっ、プロデューサーにそう言われると、出来るような気がしてくるのが不思議だね」

「お前なら出来るさ」

あまりにも自信たっぷりに言うので、まるでこの人は未来からやって来たんじゃないかと思うときがある。

「でもまずそのためには、この日本でトップアイドルにならないとね?」

挑発的な笑みを浮かべると、Pは一瞬、虚を衝かれたような顔をして、すぐに破顔した。

「そうだな、まずはそこからだ」

改めての船出を確認し合う二人、それを見計らったかのように、前菜が運ばれてきた。

「トップアイドルといえばさ――今日、渋谷で天海春香さんと一緒になったんだけど」

前菜のカルパッチョを軽くつまみながら、凛はPに昼前のことを報告した。

「へぇ、天海さんと、か。お前、オフで彼女と絡みなんてあったっけ?」

Pはサラダを口の前にまで持ってきていた手を止めて、目を少し大きく丸くした。

「ううん、会ったのは偶然だったんだ。で、そのとき色々あって、アドレスを交換したの」

「そりゃまた、たまげたなあ。あんな先輩とお近づきになれるとは中々できないぞ」

「やっぱそうだよね……だいぶ強運だと自分でも思うよ。……っていう、一応報告まで」

「ほいよ、了解」

この業界に限らず、仕事に関係しそうなことはどんな些細なものでも報連相が最低限の務め。

特に相手が大物である以上、凛は自分だけで内々にしておくのは好ましくないと考えたのだ。
「それで、メールとか……してもいいかな?」

「ん? ああ、まあこちらで特に制限するつもりはないが」

「そっか。一応、他の事務所の人だし……訊いておかないとと思って」

「あーそりゃ、勿論、仕事の守秘義務に関連する話は駄目だけどな、凛はそんなこと云うまでもなく判ってるだろ?」

それはPが、基本的に凛を信用しているというのが伝わってくる言葉だった。

「うん、それはさすがに、ね」

「女の子同士だし、弁えて交友するなら特に問題ないさ。向こうの赤羽根さんにも話を通しておくよ」

末端のアイドル同士だけではなく、事務所や担当プロデューサー間で意識を共有する。

こうすれば、トラブルは起き難い。
「うん、ありがと、プロデューサー」

凛は、心置きなく春香と親交を深められそうだと、内心ホッとした。

実際のところ、事務所をまたいだ交流は規制されるかもしれないと思っていたからだ。

「お前の眼が生き生きしてて、俺も嬉しいよ」

「え、どういうこと?」

「この業界で初めて背中を見せてくれる人が現れた、そのことを喜んでるように見えるのさ」

Pはフォークを一度置いて、人差し指を上へ向けた。

「ほら、お前はうちの事務所じゃ一番の古株で、『頼れる先輩』って身近にいなかっただろ?」

「そう……だね」
確かに、アイドルデビューしてからこれまでずっと、凛がそのポジションだった。

現在、CGプロにいる者は、同期の卯月と未央を除いて全て後輩。

この世界は、歳上だろうが歳下だろうが関係なく、芸能歴が全て。
28歳の三船美優や、27歳の高垣楓すら、凛にとっては後輩なのだ。

凛自身はあまり上下関係を気にしない性格ではあったが、全員が後進である以上、CGプロの中で、凛が誰かを頼ることなどなかった。

むしろ、CGプロ全てを代表するリーダー格として、誰かに縋ることが出来ない空気すらあったと云えるだろう。

強いて挙げれば、卯月と未央とでサポートし合うことはあった。

しかしそれはあくまでも戦友同士の助け合いであって、誰かの腕に身体を預けるわけではない。

勿論プロデューサーを頼ることはあったが、それは指導をする者と受ける者としての関係であった。
「俺もそのことは認識していてな……。年端もいかない高校生の両肩にかかる重責を、
 満足に消化させられないままでいる今の状況は……どうにかしないとと思っていたんだ」

Pは少し肩の力を抜くようにして訥々と語る。

「だから、天海さんと交流を持つことで、何らかのヒントを吸収できたり安らいだりできるなら、
 これは凛の成長のためにもいいきっかけだと思う」

勿論お前の力を信用していないわけじゃないぞ、とPは付け加えた。

「先頭を走る人間には、それ特有の悩みってのが出てくるものだ。
 なのに、その弱さを誰にも見せられないのは、酷なこと」

「酷な、こと……」

「そうだ。
 お前にはその酷を押し付けたまま、二年も放置してきてしまった」
Pは両手をテーブルに置いて、少しだけ頭を下げた。

「凛のその強さに、俺が寄り掛かってしまっていたんだろうな。それは否めないし、済まなかったと思う」

何の気なしに、今日起きたことを報告しただけだったのが、いつの間にか話のスケールが大きく、
プロデューサーが詫び言を述べる状況になっていて、凛は少しだけ気後れした。

「そ、そんな……謝らないでよ。私はプロデューサーがいたから、ここまでやってこられたんだよ」


「プロデューサーがいなければ、私は世界の輝きを知らなかった」


「プロデューサーのおかげで、今の私があるの」


「プロデューサーとなら、どこまでも行ける」


そう、貴方となら。

初めてアイドルの世界に足を踏み入れてから今まで昇ってきた階段を思い出す。

「私、確かに全て自分で背負い込むことが多かったかもしれない。
 もしそれで心配をかけていたなら、辛いときは辛いって言うようにするよ」

テーブルに置かれたPの左手に、凛はそっと右手を重ねた。

同時に、少し頬を染める。

「いつも、ありがとう。
 私、愛想ないから……あんまり伝わらないかもしれないけど……プロデューサーには、感謝してるよ」

どうしたんだろう。

今日の私、随分と饒舌だ。

凛は、自らの“らしくなさ”に戸惑いながらも、Pへのお礼を口にした。

これまでの、上っ面だけの「ありがとう」ではなく、

本心からの“謝辞”として。

――

Pは内心、鼓動の高鳴りに焦っていた。

凛はこんなにも色香のある微笑みをかつて見せただろうか。

出会った当初はあまり信用のなさそうな視線を不躾にぶつけてくる女の子だったのに。

年頃の娘は化けると良く云うが、凛の進歩は全く理解の範疇を超えていた。

事実、Pの予想以上のスピードでBランクまで登り詰め、もはやAランクも秒読みという段階だ。

ダンスやビジュアルに比べ出遅れていたボーカル力も、最近はめきめきと上達している。

勿論、天性の才能もあるのだろうし、真面目にレッスンに取り組んでいた成果もあるだろう。
しかし、それにしてもこの成長速度は。

――凛ちゃんの原動力の一番はPプロデューサーさんでしょう?
――しぶりんってPさんが絡む事案だと瞬発力すごいもん

……いや、気のせいだ。

……気のせいでなければならない。

真実はどうあれ、少なくとも、気のせいと云うことにしておかねば。

ことり。
一瞬の思考へ耽っている間に、二人の前には、メインとなるパスタが用意された。

このタイミングで料理が出て来たのは僥倖であった。

これ以上考えていたら、後戻りが許されない領域に足を踏み入れそうだったからだ。

切り替えるように、努めて明るく声を出す。

「お、うまそうだな。頂こうか」

「……うん、そうだね」

そうしてしばし、二人は特別な昼食を楽しんだ。

――

店を出ると雨が降っていた。

事務所を発った時はそんな兆候はなかったのに。まさか春に村雨とは。

強くもないが弱くもない。雨宿りするか強行突破するか。

Pはビルの出入口で少し空を眺めてから、凛の方を向いた。

「……事務所まで近いし、さっと走っちまうか」

凛も空を軽く見上げる。

「そうだね、なんだかすぐには止みそうにないし……」
その返答を聞くや否や、Pは矢庭に背広の上着を脱いで、凛の頭の上に被せた。

「ちょっ、プロデューサー?」

「濡れるから合羽の代わりにしろ。俺の上着ですまんがな」

「いや、それは別に構わないんだけど、プロデューサーこそびしょびしょになっちゃうよ?」

「俺はいいんだよ」

アイドルを濡らす方が大問題だ、と言いながらPは走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ」

慌てて追いかけようとする。

刹那、凛を撫でる風の流れが、彼女に届けてくれたもの。

「……」

半歩ほど出した足を止める。

「……ふふっ、プロデューサーの匂いがする」
頭から肩を経て身体を包んでくれているあの人のスーツ。

ほのかに馨るあの人の証跡を、少しだけ吸い込むと、左の内胸ポケットに刺繍されたあの人の苗字が目に入った。

その橙の糸の盛り上がりをそっと撫でてから、凛も雨の街を駆ける。

意図せず感じるPの温もりを、走りながら噛み締めて。

――このまま事務所に着かなければいいのに――

不思議な感覚が、心に染みていく――


・・・・・・・・・・・・


あっという間に雨とはおさらばだった。

たかだか200mほどなのだから、ゆっくり走っても数分程度で着いてしまうのは当然と云えば当然なのだが。


先に到着していたPは、髪やワイシャツに染みた雨を手で払っている。

その軒先へ、凛が、とん、と舞うように辿り着き、頭から被っていたスーツを自らの肩に掛け直した。

そしてニットデニムのポケットからハンカチを取り出してPの頭や肩を拭う。
「おお、悪いな」

「ううん、……結構濡れちゃったね」

「そうだな、思ったよりも降りが強かった。……サンキュ、あとは給湯室のタオルで拭くさ」

「うん、風邪引いちゃうよ、早く事務所入ろ?」

乾いたタオルを持ってこようと、凛は小走りで事務所へ向かい、その後ろをPがのんびり歩いて着いていく。

給湯室でタオルを数枚手に取った凛は、事務所の上がり端へ戻ってPを拭いた。

美少女が大人のスーツを羽織り、ぴょこぴょことタオルを持って走り回り、
さらには濡れた男性に甲斐甲斐しく世話をする光景は、そこはかとなく退廃的に見える。

勿論、それを目撃した他の所属アイドルからは意味在り気な視線を送られるし、
菜々は空気を読まずに無邪気なのか弄っているのかよくわからない言葉を投げる。

「あー! 凛ちゃんって、尽くすタイプだったんですね〜キャハっ!」

ぴくっ。

言われて意識してしまった凛は顔を紅潮させて、悟られまいとPの顔にタオルを押し付けた。

「むぐっ! ん! んん!?」

そして、慌てるPを無視するようにして声の主へ向いた。

「菜々ァ……さぁん……?」

「!?」

そんな微妙な空気を察知した銅に、菜々ははたかれ、首根っこを掴まれて第二課の業務エリアへと引き摺られていった。

「ぷはっ! い、一体なんだ?」

「ん、ちょっとね。何でもない」

目鼻口を塞いでいたタオルから解放され混乱するPへ、凛は無愛想にそう云うと、
第一課の事務スペースへ大股で歩いて行った。

Pの上着を衣紋掛けに吊るして、風通りのよい場所へ備えてから、ソファへすとんと腰を下ろし
棚に置かれたファッション雑誌を持ち出して読み始める。

Pがそんな凛を不思議そうに眺めていると、興行部の遠藤プロデューサーが話し掛けてきた。
機会を窺っていたのかどうかはわからないが、ドンピシャなタイミングである。

「あ、Pさん、今後の公演でご相談が――」


・・・・・・


遠藤の相談は、年末、CGプロの目玉企画として、クリスマスライブを開催したいとのことであった。
正式な会議ではないので第一課のエリアで軽い立ち話という体裁である。

「まあ、まだ上層部―うえ―の了解は取り付けていないんですがね」

そう笑いながら云っていたが、渡された企画書にはだいぶ細かい計画が書かれていて、仮のゴーサインが出ていることは推し量れた。

「そこで、メインの顔としてはやっぱり凛ちゃんにトップを張ってもらいたいんです」

「ん? それはニュージェネレーションではなく凛をソロで、と云うことですか?」

企画書から目線だけを上げて、遠藤に問い掛けた。
「あーいえ、勿論ニュージェネも推しでいきます。ただそれとは別枠で、ライブの顔として凛ちゃんを、と」

遠藤は掌を前に出すジェスチュアをする。

「なるほど……承知しました。あいつはそういう立場に立つのは慣れていますし、それ自体は問題ないと思います」

Pは計画書のタイムテーブルとマイルストーンに目を落としながら、付け加えた。

「ただ、この規模この編成だと、12月頭までに凛の曲を三つほどリリースしておかないと少し心許ないですね」

「はい、そこなんです。
 凛ちゃんで現在進行している企画は、どちらかと云うとユニット型の曲ばかりなので、
 年末にライブを開催するにはもう一歩のテコ入れが必要です」

「……およそ二箇月半ごとに一曲……ですか。さすがにこのペースだと、凛への負担が気になります」
そう、現在計画されている作業量は明らかに、
渋谷凛と云う一つしかない身体に対してオーバーワークであった。

「最近はあいつを直接指名した仕事やレギュラーもかなり増えていますし、
 フジツボテレビ夏の改編の月9にオファーが来ていまして……」

何気なくこぼした凛の予定タスクに、遠藤は目を大きくした。

「おっ、フジツボさんの月9ですか! それは素晴らしい」

「はい、局の方でもほとんどトップアイドルと云っても差し支えない扱いになってきています」

そんな遠藤の反応が嬉しく、凛を誇りに思うPは少しだけ顔を緩めた。
遠藤は済まなそうに頭を下げながら、

「そんな売れっ子に申し訳ないとは思うんですが……何とか時間を作れませんか」

「ううむ……あいつは芸能科の高校とはいえ学生です。
 そうである以上、全休させるわけにもいきませんし……」

「そこを何とか。これでも幸子ちゃんや輝子ちゃんのタスクを増やして、
 凛ちゃんの負担を減らす努力はしましたので……」

第二課や第三課の子、しかも凛と同年代を引き合いに出された上、
目の前で合掌されては無下に断るわけにもいかない。

そもそも、プロダクションの企画するライブに、
所属するアイドルが全力を傾けないなどという道理は通るはずもなく。

額に手を当てて思案に暮れるが、中々落としどころが見つからない。

まったく、興行部と云うのはいつだって無理難題を吹っ掛けてくる。
「そりゃ、何かをしたいから動く、なんて誰でも当たり前じゃない? 醜くも何ともないと思うけど」

加蓮がOS-1を飲みながら不思議そうな顔をした。

「そう、――かな」

「そうだよ。アタシだってアイドルとして輝きたいからレッスンしてるんだし。○○したい、だから□□する、というのは普通でしょ」

そう云って、掌を上に向け、首を傾けた。

「生きてる限り欲望から逃れられない、か。食欲、性欲、睡眠欲は云わずもがな、顕示欲とか、金欲とか。……人間って因果なものだね」

凛が眼を瞑って、微かに頭を振ると、

「せ、性欲っておま――」

奈緒が、特定の言葉に反応して顔を赤くする。
「言葉の綾だよ、奈緒。何を初心な反応してるの」

「う、うっさいな!」

凛の突っ込みに奈緒が更に顔を赤くする中、反対に加蓮は済ました顔で、

「ねえ凛、随分と哲学的と云うか諦観的と云うかニヒリズムと云うか、喋ることが妙に背伸びしてない? 何か悩みでもあるの?」

「え? ……あ、いや、別にそう云うわけじゃないんだけど」

凛は内心慌てたが、極力それを表に出さないよう気を張った。加蓮は、ならいいけど、と云ったが、新たなことに気付いた。

「ねえ、凛、顔紅くない? レッスン終わってから結構経つのに」

「そ、そう? 今日はいつもより大きく動いたからかな」

加蓮は、いまいち納得し切れないような顔で、更に首を傾げた。

・・・・・・

……不味い。

翌朝、目を覚ました凛は、イの一番に、身体の極端な重さをはっきり実感した。

枕元の基礎体温計に手を伸ばして、途中でやめる。

体温は……怖いから計らない。

基礎体温の計測は毎日の習慣ではあったが、どうせ最近は生理が止まってしまっているのだから、計る意味など無い。

無理矢理にでも自分にそう云い聞かせて、起き上がった。
その瞬間襲いかかる、激しい頭痛。

「――〜〜ッ!」

思わず、言葉にならない呻きを漏らした。

プロとしてあるまじき、体調管理の不行届。

最近の私は、とことん駄目だ。

病は気から。この根性なしめ。

「あ、あー。あ・え・い・う・え・お・あ・お――」

掠れてはいないが、ピッチがいつもより若干低い。いや、これは耳のせいか?

鼻通りもだいぶ悪くなっている。
兎にも角にも、この状態を何とかしなくては。

アイドルが頭痛に顔をしかめ、声を枯らし、鼻水を垂らすなどあってはならない。

奈緒や加蓮に感染さないよう、鎮咳剤も飲む必要がある。

――確か以前処方してもらった鼻炎薬と消炎鎮痛剤があったよね……

救急箱を漁ると、昔、使い切らなかった様々な錠剤が顔を覘かせている。

シャワーを浴び、湧かない食欲に無理を云わせ、エネルギーゼリー飲料と共に、薬を胃へ流し込んだ。

市販薬と違い、処方薬と云うものは実によく効く。

一気に体温は平熱まで戻り、鎮痛作用は劇的で、その副次的な効果として、激しい動きによる筋肉の悲鳴に耳を貸す必要がなくなった。

作用も早く、薬が切れ悪寒を再び感じ始めた段階で再度服用すれば、速やかに抑えてくれる。

喉と耳のピッチ感覚のずれは、レッスン前にカフェインを摂取し、感覚を研ぎ澄ますことで対処できた。

あとは、精神力にものを云わせれば良い。

大丈夫、これなら、明後日のバトルは問題なくこなせる。

この日のレッスンも、トライアドプリムスの三人は、最後の詰めに余念がない。

それとは別に、凛は、夜まで自主練習に励んだ。

・・・・・・

さらに翌朝。

目を覚ました段階で眉に皺が寄るほど、激しい頭痛。今日は咽頭痛と胸痛もあった。

全然寝た気がしない。事実、夜中うなされて何度も覚醒したのだから。

あー、と声をチェックすると、昨日より更にピッチが低くなっている。

しかし枯れていないので、まだ大丈夫。明日まで保てばいい。

常用の消炎鎮痛剤に、更に別の消炎薬を頓服として飲んだ。

食欲がまったく湧かないので、栄養ドリンクで薬を流し込む。

寮を出る頃には、身体の重さ以外は気にならないくらいまで抑えられた。

「凛……ちょっとどうしたの? 肌の荒れ方とか尋常じゃないよ?」

下校後に出社し、レッスンルームに入ると、加蓮が明らかに不審がる顔を向けた。奈緒も同様だ。

「うーん、ここ何日か、最後の詰めで酷使してるから、そのせいじゃない?」

凛は、極力平静を装ってとぼけた。

加蓮や奈緒に心配をかけるわけにはいかない。

「なあなあ、いくら直前だからって、あまり根を詰めると倒れちまいそうだぞ?」

「大丈夫。ライブバトルはついに明日だよ、気合入れないと」

精神力で気丈に答える。しかしその裏では、朝方は頓服で飲んでいた薬すら、午後からは常用する状態になっていた。

身体が薬に慣れてきてしまったのか、症状が悪化しているのか。

「明日。……そう、明日、だよ」

凛は、半ば自分に云い聞かせるように呟いた。

「あれ、凛ちゃん、今日はいつもより動きが控えめですね。どうしました?」

最後のレッスンをこなすうち、慶が凛の動きの差を見て云った。

「明日が本番ですから、抑えめにしておこうかと」

はったりも良いところだ。実際はこれが精一杯の動きだと云うのに。

「なるほど、でもあまり抑えすぎても動きが狂う原因になりますから、適度にね」

慶はそのまま深く突っ込んでくることはなかった。

無愛想やポーカーフェイスは、こう云う時には威力を発揮するものだね――

凛は、自分の特徴に他人事のような感想を抱いた。

明日に備え、この日のレッスンは早めに打ち止め。

シャワーを浴び終え、湯を止めると、リバーブのかかった加蓮の声が響いた。

「いよいよだね――」

ブースを出ると、加蓮はバスタオルで全身を撫でていた。

凛の生身を見た加蓮が「相変わらず脚が細くて長いよね凛は」と羨望の嘆息をしてから、

「――いよいよアタシ、凛と同じ舞台に立てるんだね。夢にまで見た、凛とのステージに」

凛は、長い髪へタオルを巻き、鏡越しに加蓮を見て頷く。
「アタシさ、小さい頃からアイドルに憧れてて、でも自分はその世界には行けない人間だって決めつけてて。
 そんな、アイドルに輝きを届けてもらってたアタシが、今度は誰かに輝きを届けられる立場になって。
 テレビで見ていた、大きく輝く凛と一緒に、スポットライトを浴びられる資格を得られて――生きててよかった、って思う」

おもむろに語った加蓮に、身体を拭った凛は、白いショーツを穿きながら苦笑した。

「そんな、生きててよかった、なんて大袈裟だよ」

しかし加蓮は首を振った。

「大袈裟じゃないよ、アタシの本心。ホントに、生きててよかったって思ってるの」

「あたしも凛とステージに立つなんて夢みたいだな。あたしは、最初はアイドルを良く判ってなかったけど
 それでも凛のことは知ってたし、いざアイドルやってみたら面白くてさ」

奈緒も言葉を重ねる。既に着替え終え、パーカーに腕を通しているところだ。
「……なんか、二人にそう云われると気恥ずかしいな。私だって二年半前にデビューしたばかりの青二才だよ――」

凛は、ブラをつけるのに、背中へ一瞬意識を持って行ってから続けた。

「――加蓮も奈緒も、私の時より早いスピードで、階段を昇ってる。きっと、アイドルとしての才能は私よりあると思う。
 そのうち、私が二人の背中を追う側になっちゃうかもよ? ふふっ」

二人は、ないない、と云ったジェスチュアを返す。凛は、ふっ、と息を吐き、

「明日、どんな相手が来ても、私たちは勝つよ」

「おう!」
「とーぜん!」

三人、不敵な笑みを浮かべ、軽く頷き合った。

――あと一日、あと一日さえ保てばいい。

凛は悪寒と身体の痛みを、無理矢理抑え込みながら笑った。


・・・・・・・・・・・・


ここは台場13号地、Zeqq Tokyo。

鈷に連れられやってきた、本日のライブバトルの会場だ。

数多くのアイドルたちが参戦し、夕方からの開演に備え、午前は当日リハが行なわれていた。


「お、おい……あたし、こんなキャパで演ったことねえぞ……」
「ア、アタシだって……」

2700人収容のフロア規模に、奈緒も加蓮も緊張を隠せない。
「大丈夫だよ。キャパの大小なんて関係なく、これまで通り演ればいいだけなんだから」

反対に、凛は全く動じず澄まし顔。

事実、凛が出場すると云う情報が大々的に出ていたら、この箱の大きさでは到底間に合わないのだ。

トライアドプリムスは、良い意味でも、悪い意味でも、まだ無名なのである。

むしろ、その結成初日のグループに凛が居る、と云うギャップを利用する戦略なのだから当然か。

「そう、楽しんだもの勝ちよね」

突然掛けられた声にトライアドプリムスの三人は振り向く。
「あ、泉、さくら、亜子。久しぶり。そっちもバトル出るの?」

凛が軽く手を挙げて挨拶する。

そこには高校生アイドルの大石泉、村松さくら、土屋亜子がいた。

事務所は違うが、凛とはほぼ同期で、たまに番組収録などで絡むことがある。

「久しぶり、凛。……なぜ凛ほどの高ランクがこんなとこにいるの?」

泉が、その冷涼な見た目とはやや乖離した気さくさで話しつつ、頭の上に疑問符を掲げた。

「新しくトライアドプリムスってユニットを組むことになってさ。そのデビュー戦が今日なんだ」

「あれぇ? トライアドプリムスって、わたしたちと対戦―や―るチームだよねぇ☆」

凛の返答に、素早くさくらが反応した。これには凛も驚く。

「えっ、そうなの?」
そこへ鈷が割り込む。

「あ、そういえば云ってなかったな。今日はニューウェーブと対戦するんだよ」

衝撃的な言葉を放ち、ここで初めて相手が知らされることとなった。

『ニューウェーブ』

ニュージェネレーションの対抗馬となりつつある、泉、さくら、亜子たちによる親友ユニット。

アイドルランクはそれぞれC、D、Dだ。

凛がBだとは云え、こちらはまだEの奈緒と加蓮を率いての戦いであるから、決してラクな相手ではない。

その上、同郷・同級生同士ならではのコンビネーションのよさは、特筆に値する。
「はー、今日は、りんが相手かいな……。トライアドプリムスなんて聞いたことないし、ラクショーやと思っとったのにー!」

「ねぇ、これ無理ゲーじゃないのぉ? イズミーン」

亜子とさくらは、あからさまに落胆した声を上げた。

「私だって、ユニット結成後初めての戦の相手が、結束固いニューウェーブだと知って絶望中だよ」

凛も、参ったな、と云った体で首を縮める。

「ま、今更云ったって仕方ないわね。お互い頑張りましょ」

「そうだね、勝っても負けてもお互い様」

凛と泉、二人が拳をこつんとぶつけ合ってから、それぞれのユニットは控室へと消えて行った。

――まさかこの体調でニューウェーブとバトルだなんて……。

凛は控室の椅子でじっと思案していた。

相手の力量もさることながら、朝飲んだ薬が間もなく切れるであろうことも懸念点だった。

奈緒、加蓮、そして鈷までが集まっている部屋で、錠剤をばらばらと出すわけにはいかない。

化粧室で飲もうにも、間もなく凛たちのリハの番のはずだった。

「タイミング悪いな……」

「ん? どうした凛ちゃん?」
凛は、小さなつぶやきを鈷が拾うとは思っていなかったので、驚く。

「あ、ううん、まさか相手が泉たちだとは思わなかったからさ」

「すまんね、相手の実力的に、あまり事前情報は入れない方がいいかと思ってさ。
 凛ちゃんはともかく、奈緒と加蓮は怯むかも知れなかったから」

鈷はぽりぽりと頭を掻いた。凛はすかさずフォローする。

「それは奈緒たちを見くびり過ぎだよ。むしろ相手に不足はない、ってワクワク・ノリノリだと思うけど。ねえ、奈緒?」

「あ、ああ。そうだな。ニューウェーブを相手にして好成績を残せれば、あたしらの株は爆上げだろうさ」

そこへ、ノックと共にアシスタントが入ってくる。

――すいませーん、トライアドプリムス、袖で待機してくださーい。

結局不安を払拭できないまま、リハに突入してしまった。

舞台へスタンバイすると、途端に曲のオケが始まった。

奈緒と加蓮の二人はいきなりのことに若干焦ったようだが、すぐに持ち直した。

当日リハはノンストップが基本だ。

照明の山谷、モニターの返しなどをチェックしつつ歌う。

奈緒が、ステップを一つ抜かし、歌詞を間違えた。

加蓮は、コーラスラインがフラット気味になっている。
しかし二人ともミスを気にせず、レッスン通り続行しているのでまだ問題ない。

ここまでは凛の予想の範疇だ。一番での傾向を見て、二番ではそれに合わせた動きに組み替える。

熱いステージライトがトライアドプリムスを照らす。

薬が切れ、体温が上がりつつある凛を、電球から降り注ぐ光が更に熱した。

回転の鈍くなった脳味噌を、必死に振り絞ってパフォーマンスを二人に適応させていく。
そして間奏が終わり、二番へ。


雨にも流されぬ 一輪の花のよに
密やかに咲いてる 乙女心――


加蓮が担当箇所を唱い終わり、次は凛の番。

声を出そうと息を大きく吸った瞬間――
「――ッ!?」

突然の激痛。

あまりの胸の痛みに、息が止まった。

あばらに手を当て、がくりと膝をつく。酸素を求めて、金魚のように口を開閉させる。

両隣では突然の異変に奈緒も加蓮も驚き、動きを止めていた。バックの音楽だけが空しく流れていく。

構わず続けて、と目で訴えても、二人は動揺して凛を介抱しようとする。

そして、ついに音楽が止まってしまった。
不測の事態が起きてもパフォーマンスを途切れさせないのが最低限でも要求されること。

トライアドプリムスは、それを満たすことが出来なかった。

凛は、頭を振り、痛みをこらえて立ち上がった。

「すみません大丈夫です! 一瞬、少しだけ胸に痛みが走っただけですので!
 申し訳ありません、107秒から再度プレイバックお願いします!」

そう云って深く頭を下げた。

リハ後、楽屋裏。

「困るよー当日リハでああ云うことやられちゃー」

ライブバトルのディレクターが、鈷を呼んで苦言を呈していた。凛も自分の意思で同席していた。

奈緒と加蓮は、ここから見えず邪魔にならない場所で待機させている。

「申し訳ございません、全てわたくしの責任です」

ひたすら詫びの弁を述べる鈷に、ライブディレクターは容赦ない。

「凛ちゃんが出るから、って新ユニットの参戦を許可したのにさあ、その凛ちゃんがこけてどうすんのよー」

凛も一歩前へ出て謝罪する。

「ユニットのリーダーとして、事態を引き起こした張本人として、私からもお詫び申し上げます。
 本番中はこのようなことが起こらないよう万全を尽くします。最低でも、不測の事態が起きようと続行し、完走させます」
「そうは云ってもねえ凛ちゃん。そんなのわざわざ言葉にするほどの内容じゃないでしょ。常識じゃないの」

「はい、私のリーダーシップ不足です」

ディレクターの尤もな指摘に、凛は目を伏せた。

「……まああのとき相当苦しそうな顔してたけど。今は大丈夫なの?」

「おかげさまで、今は回復しました。ご心配をおかけしまして、申し訳ありません」

今日何度目か判らない、深いお辞儀をした。

「うん、まあそれならそれでいいよ。本番は気をつけて頂戴よ」

「はい、ありがとうございます」

鈷と凛は再度会釈し、その場を離れた。

「――副プロ、ごめんね。私のせいで」

二人並んで、ゆっくり歩きながら凛は謝った。

「いや、こうやって頭を下げることこそが僕の役目さ。むしろ凛ちゃんに来てもらっちゃって、僕の方がすまないね。調子はもう大丈夫なの?」

「大丈夫、平気だよ。――大丈夫」

凛は胸に手を当て、静かにゆっくりと、自分自身へ聞かせるように云った。

「……そうか。じゃあ僕はスタッフさんへのフォローがあるから」

鈷は、凛に先に控室へ戻るよう指示して駆け出して行った。

扉を静かに開けて控室へ入ると、先に戻っていた二人が苦し気な表情で立ち、待っていた。

「凛、ごめんな。あまりにも気が動転して途中で止まっちまった……。レッスンでは絶対最後まで止まるなって云われてたのに。
 その所為でディレクターに怒られちまって……ごめん」

「凛もあの刻、止めるなって目でアタシたちに云ってたんだよね。今頃になってそれが判るなんて。
 ディレクターに怒られてるのを陰で聞いてる時、自分の不甲斐なさが悔しくて悔しくて堪らなかった」

「ううん、二人ともあれは仕方ないよ。全て私のトラブルのせい、気にしないで。本番まで二時間ある、気持ちを切り替えよう」

凛は二人を、椅子に座って休むよう促した。

そして「はい、水」と二本のペットボトルを差し出すと、礼を述べて一口飲んだ奈緒が問うた。

「さっきのは……一体どうしたんだ? まさかあんなことが起こるなんて予想もしてなかったから……」
「あー、あれは……うん、大丈夫だよ。もうあんなことは起きないし、起こさないから」

そう云って凛は、二人から少し離れたところで、ポーチから薬をばらばらと出した。


アレグラ、クラリチン、ザイザル。

リンコデ、そしてロキソニンにボルタレン。

それぞれアレルギーや鼻炎を抑えるもの、咳、炎症と痛みを強力に鎮めるもの。

クラリチンとザイザルは今は要らないし、さっきの激痛を鑑みると、ボルタレンの頓服は二倍量にしておくべきか……
錠剤をシートからプチッ、プチッと取り出していると、その音に気付いた加蓮が凛へ振り向く。

「あれ、凛。なんで錠剤なんか取り出してるの?」

水で流し込んだ凛が、「え、加蓮どうして判るの」と問うと、カツカツと音を響かせて凛の傍へやってきた。

そこに散らばる、錠剤のシート。仕舞う間も捨てる間もなく、加蓮の目に入る。

途端に彼女の顔色が変わった。

「ちょっと! 凛! なんてもの飲んでるの! 身体、どこかおかしくしてるの!?」

「か、加蓮……なんで見ただけで判ったの……?」

「アタシは昔、身体が弱くて入院ばかりしてたから、自然と薬には詳しくなったの。
 メジャーなものなら色と形を見ただけで判るよ」
凛の戸惑いに構わず、加蓮は畳み掛ける。

「どこを悪くしてるの!」

「た、たぶんただの風邪だと思うけど……ひどい頭痛とかがあって踊りや歌に影響出るから
 せめて今日のライブが終わるまでは薬で抑えよう……って」

「だからってそんな滅茶苦茶な組み合わせ、自分で自分の身体を壊してるようなものじゃない!
 ロキソニンにボルタレンを重ねるなんて、なんでこんな無茶な飲み方してんの!
 バファリンやパブロンなんかとは訳が違うんだよ!? 胃潰瘍や喘息を起こすよ!」

加蓮が凛の肩を勢いよく掴む。その剣幕に、凛はかなり怯んだ。
奈緒が更に加蓮の肩に手を置く。

「お、おいおいおい、加蓮、落ち着きなって。ひとまず今ンとこはライブこなすしかないだろ」

「そうは云ったって、処方薬を勝手に飲むとホント命に関わるんだからね?
 アタシ、身に染みて判ってるんだから。病院で診てもらわないと」

「そ、そりゃあたしだって凛は今すぐ病院へ行った方がいいと思うけど、どうせライブが終わるまで梃子でも動かないだろ……」

奈緒が困惑しつつも加蓮を宥めて、凛を心配そうに覗き込む。

「なあ、いつから調子悪いんだ?」

「確か……五日前から……」

「五日!? 五日もあたしたち気付かなかったのかよ……」

髪を掻き上げて天を仰いだ奈緒に、凛が申し訳なさそうに云う。

「心配かけたくなかったんだよ。ライブ終わるまで隠し通せなかったのは大誤算だけど……」
そのまま、苦痛に息を漏らす。

「あー痛……暑いけど寒い……身体が重い……」

机に突っ伏して、薬が効き始めるのをひたすら待つ。

満身創痍な凛の様子を見て、奈緒は嘆息した。

「そんな状態で五日間ずっとあんな動きして歌ってたのかよ。最近あたし、凛に近づけたと思ってたけど
 とんでもない思い違いだった。凛が本調子じゃなかっただけなんだな……」

「私がたとえ本調子じゃないとしても、奈緒と加蓮は、ここ一箇月で確実にぐんと伸びてるよ。それは間違いない」

顔だけ二人の方へ向けて訥々と話す凛に、加蓮が気付いたように訊いた。

「昨日もしかして慶さんから指摘されてたことって……」

「あー、あれか……。うん、あの時はあれが精一杯の動きだったんだ。ポーカーフェイスと、尤もらしい理由付けでやり過ごしたけど」
それを聞いた加蓮は、額に手をやって、溜め息をついた。

「とんでもない女優だねまったく……」

奈緒も同じく、やれやれ、と腕を組んでいる。

「演じるのは……得意だからね」

そう述べる凛の、色の無い表情からは、冗談なのか本気なのか読み取ることはできない。

そのまま目を閉じて、軽く規則的な吐息を出す。

幸い、ロキソニンもボルタレンも効きが早い。

二人と話していて気が紛れたのか、思ったよりも早く痛みや悪寒は消えた。
「……ん、もう大丈夫そう」

机から上半身を起こし、二人を向いて、弱々しく苦い顔で、親指を上げた。

そして、ふう、と溜め息をつくのに吸おうとしたところ、あまり吸い込めないことに気付いた。

大丈夫、と云ったばかりで全身を強張らせる凛。それに気付いた加蓮が問う。

「凛、どうしたの」

「……息を、大きく吸えない。息が、続かない……」

「なんだって!?」

奈緒と加蓮が慌てて立ち上がり、勢い余った椅子が倒れた。
凛が大きく呼吸しようとすると、ある程度までしか息を吸い込めない。

それ以上吸い込もうとしても、肺が拒否するように、空気が入っていかないのだ。

これでは、ロングトーンを出せないし、既定のブレスタイミングに合わせられないだろう。

凛は、ここにきてこんな状態になるなんて、と苦虫を噛み潰したよう。

「このままじゃ……歌えない……」

頭を抱え込む凛の肩を加蓮は抱き、しばらく思案したのち奈緒を向いた。

「……アタシたちがカバーしなきゃ。
 サビはアタシと凛のパートラインを交換すれば大丈夫だよね。
 アタシがトップへ行って、入れ替えにセカンドが凛、サードはそのまま奈緒、こうすれば凛の声量は控えめでもいける。
 問題になりそうな凛の独唱とメイン重唱部分は、一番は奈緒、二番はアタシ。それぞれデュオで支える。どう、奈緒?」

「おう、わかった。それならあたしでも大丈夫だ」
両手で頭を抱えたまま、凛は言葉を絞り出す。

「手間掛けさせてごめん、二人とも……。私がしっかりしないといけないのに……」

奈緒は、凛の肩を、加蓮が支えている手の更に上から抱き、諭した。

「何水臭いこと云ってんだよ。あたしたちは仲間だろ?」

その言葉に、凛ははっと顔を挙げ、目を大きく開いた。

しばしの後、ぎゅっと瞼を閉じて、

「仲間……そう、仲間、なんだよね……」

そう云って静かに息を吐く。

「ごめん……私、背中を見せることしか意識がなかった……
 ホント、色々な意味でアイドル失格だね、私……」
「凛がアイドル失格だったら、大半のアイドルが失職さ」

そう云ってポンポンと肩を叩いた奈緒は、

「一番にある、あたしメインの重唱部分はどうする? あそこは凛がコーラスラインだよな」

加蓮に相談すると、

「アタシあそこの凛コーラスは音取ってないんだよね。もともと最後の二文節はアタシが入って三パートになるし」

と少し困った顔をした。

凛は待って、のジェスチュアで左手を挙げた。

「声が出せないわけじゃないから、コーラスパートなら……たぶん大丈夫」

「よし、まだ時間は余ってる。今のうちに音合わせしておこう」

奈緒がパン、と手を叩いて、即席の編成変更を練習した。

――

歌い切ったトライアドプリムスの三人に、観客席から惜しみない拍手が注がれる。

僅差ではあったものの、トライアドプリムスはニューウェーブに見事勝利した。

その堂々たる風格は、とてもEランクが二人もいるユニットとは思えないものであった。

それは所謂“ハッタリ”だったのだが、幸いにも観客には、見抜かれていないようだ。

『私たちが凛を支えなければ』と云う想いが、奈緒と加蓮の、現在の実力以上のものを出した側面もあろう。
しかしそれでも、唐突な変更内容を消化できる、この地力は大したもの。

凛が「二人は自分以上に才能がある」と云ったことは強ち間違いではなかった。

凛の体調不良、直前での編成組み替えがあっても、ハッタリでここまでの成績が出せるのだから、
全員が本調子で臨める機会にはどうなるのか、今後が非常に楽しみだ。


トライアドプリムスが控室へ下がろうと楽屋裏を歩いていると。

「待て、渋谷凛」

そう呼び止める黒い影。
振り返った瞬間、凛は驚きを禁じ得なかった。

そこに立っていたのは、誰あろう黒井崇男だったのだ。

「く、黒井社長……?」

洩れた呟きが奈緒と加蓮の耳に届いて、二人は驚愕のあまり仰け反った。

なぜ961プロの社長ともあろう人物がこんなライブバトルに来ているのか。

その驚きは表に出さないようにして、「いつもお世話になっております」と頭を下げた。

それから奈緒に顔を向け、廊下の奥を指差す。

「奈緒と加蓮は、先に控室へ戻っててくれない?」

「お、おう、わかった」と云いながら、二人はちらちらと、こちらを気にして歩き去って行った。

「なんでこいつがこんなところに、という顔をしていたな、渋谷凛。私は仮にも最大手の社長だぞ。
 ライブバトルを観察して、原石や趨勢をチェックするのは当たり前のことだ」

黒井は先回りして凛の疑問に答えた。

実に恐ろしい人間だ。

そんな黒井は大袈裟に溜め息をつき、失望の色を隠さない。

「リハから見ていたがな、まるで別人かと勘違いしたぞ。勿論、悪い意味でな」

大きく両手を広げて、そう云い放った。
「貴様は本当にあの渋谷凛か? よもやただのソックリさんではあるまいな?」

次々と放たれる鋭い矢。凛は顔を少しだけしかめる。

「お言葉、誠に痛み入ります。宜しければ、どこでそうお感じになったか、お教え願えますか」

「フンッ、本気でそれを云っているのか? だとしたらもうアイドルなど辞めてしまえ」

凛なりの身を削る厭味に、ストレートな罵倒が返ってきた。

「あいつの影が“この国の”業界から消えて以降、貴様の体たらくは一体どうしたのかと思っていたが、
 今日実際にパフォーマンスしているところを見て確信に至ったわ」

Pがハリウッドへ飛んだことを、既に掴んでいる表現であった。
「『あいつ』とは、Pのことでしょうか」

「わかりきったことを訊ねるな。貴様の脳味噌は飾りか」

歯に衣着せぬ物云いに、凛は粛として耐えた。

「あいつがいないだけでここまで落ちぶれるのか。観客を表面上でしか楽しませることの出来ない三流以下に成り下がるとはな」

そのこと自体は凛も充分認識しているので、何も反論しない。――いや、出来ない。

少しだけ、顔を伏せる。
「どうやらあいつの目は腐っていたようだな。
 まったく、二流三流しか育てられない無能なプロデューサーが蔓延るから業界は劣化していくのだ。
 お前はそこそこの逸材だと思っていた私自身も恥ずかしい。961なら候補生養成段階でふるい落とすところだ」

褒めているのか貶しているのかよくわからない云い方だが、凛には一つだけわかる点があった。

――Pが無能だと断言されたこと。

「私のことは何と仰っても構いません。現に、黒井社長の仰る通りの醜い有様を、先ほど晒してきたところです。
 ……でも、あの人を悪辣にこき下ろしたことだけはお取り下げください。全ては私自身が至らなかったからです」

凛は、静かに沸々とわく感情を、必死に抑えて云った。

自分のことはいい。

しかし、これまで凛や数多くのクールアイドルを支え、CGプロを大きくし、先般の選挙では四人もの上位を
第一課から送り出したPを悪く云われるのは、凛にとって、第一課全員、即ち家族への中傷と同義であった。
しかし黒井は歯牙にもかけない。

「ノン。貴様に対する非難とPに対するそれは同質のものだ。
 アイドルが頂への道を登れないのは、そもそもプロデューサーの、アイドルを見極める眼が足りないと同義」

プロデューサーたるもの、輝くに足る原石を見極め、磨かなければならない。

状態の良い原石を探り当てること、そして、その原石を、眩く輝くように磨くのが責務。

それが出来なければプロデューサー職者は失格なのだ。

「つまり、あれもこれもと大したことのない原石を拾い集め、
 二流以下のアイドルしか育てられないのは、プロデューサーの怠慢であり無能の証明なのだよ」

「違うッ! 全部私が悪いの!」

ついに凛は我慢できなくなって叫んだ。悲痛の叫びであった。
そんな声にはまるで構わず、黒井は鋭利な刃を突き立てる。

「渋谷凛、さきほど貴様は自らが至らないせいだと云ったな。
 自惚れも大概にしろ。
 お前の奥底に眠る弱さを看破できなかったあいつが無能なのだ」

凛はついに、目前の人物が高位であることも忘れ、眼を固く閉じ、こめかみを抱えて、かぶりを弱々しく振った。

「もう……やめて……あの人を否定しないで……」

黒井はそんな凛の様子を鼻で嗤う。

「フンッ! ならばあいつがいなくてもトップを張れるのだとその身体で証明してみせろ。
 Pの選球眼は間違っていなかったと貴様自身が証明してみせろ」
その言葉に、凛は顔を挙げた。

「私が……自分自身で証明……?」

「ウィ。証明だ。まあ、今の貴様では無理だと思うがな――、
 Pさえいなくても渋谷凛はトップに立てるのだ、と世に見せつけてみるがいい」

人差し指を立てて挑発的に云う。

「貴様のアイドルとしての価値、そしてそのアイドルを見出したプロデューサーの価値は、貴様がそれを出来るかによって変わる」

「私の価値と……あの人の価値……」

「まあせいぜい証明のために足掻くのだな。ただし醜態を晒すことだけはするなよ」

そう云って黒井は踵を返し、すたすたと去って行った。

凛はよろめいて、壁にもたれるように寄り掛かり

「私と、あの人の価値は、連動している……?」

独り、呟く。

そこには強烈なヂレンマが存在した。

“トップに”立たなければ、“Pは有能だった”と証明できない。

しかし。

“今からP不在で頂点へと登り詰めたら”、“Pはいなくてもよかった”と云うことになるのでは――

その相容れない命題に気付いてしまった凛は、後頭部を強く殴られたような衝撃に襲われた。

目の前の景色が霞んでいく。
腹部、鳩尾の辺りで、強烈な異物感が湧き、膨張していく。

咄嗟に、傍の化粧室へ駆け込んだ。

「ぅ……ぅぇ……かはっ……」

食欲あらず何も口に入れていないのだから、吐き出すものなどない。

しかし不快感を排出したい身体は、それでも胃を締め上げ続けた。

黄色い胃液ばかりを吐く。

防衛反応は、凛に呼吸を許さない。
しばしの拷問を終えると、ぜえ、はあ、と肩で息をしながら、凛の双眸から泪がこぼれ、頬を伝った。

「私……どうすればいいの……」

自分がどう動いても、理想とする答えに辿り着けない。

自分がどう動いても、あの人に応えることが出来ない。

そもそもアイドルになったことが過ちだったのだろうか?

自分がアイドルになっていなければ、あの人は別のもっといい原石を発掘できたのだろうか?
認めたくない答えから身体を護ろうと、再び吐き気が込み上げる。

「――うッ……ぁ……」

嘔吐と云うのは、身体を著しく疲弊させる。

凛は責苦と闘いながら、視界が白い光の粒に包まれ、何も見えなくなった。

――あ……いけない、貧血だ、これ……

長い間体調不良を起こしていた凛にとって、度重なる嘔吐は限界を超える酷な消耗であった。

吐きすぎて腸液も混じったのだろう、意識を手放す直前の記憶は――次元の違う苦味がした。


・・・・・・・・・・・・


――お前が好きなのは、“プロデューサー”なんだよ。“俺”じゃない

でもそんなのは、ただのきっかけでしかない。

――お前は、わかってたんだろ? あの歌の意味を

うん、あの歌詞に込められた裏の意味は、読んだ瞬間にわかったよ。

――少し時間をおこう

プロデューサーは、私のこと嫌いなの!? 私が本気で云ってるわけじゃないと思ってるの!?

――そうじゃない。そうじゃなくて、俺は首を縦にも横にも振れないんだよ

待って、プロデューサー! 置いてかないで! 私を一人にしないで!


「――プロデューサあぁぁぁぁ!!」


私は、飛び跳ねるように起き上がった。激しい呼吸に、全身が汗まみれだ。

見慣れない、白い部屋。左手の甲に違和感を持ったので見てみると、点滴の針が刺さっている。

「病……院……?」

そうだ、Zeqqで黒井社長に会って、化粧室で戻して、それから……。それから――

そこからの記憶がない。

……きっとその時に倒れ、誰かが見付けて搬送してくれたのだろう。
今は何時だろう?

そう思って時計を探すと、部屋の隅にカレンダー機能付きの電波時計が置かれていた。

ライブ翌日の――朝八時。

なんと、一晩まるまる気を失っていたのか。

……また、やらかしてしまった。

アイドルが倒れて病院へ担ぎ込まれるなんて、ゴシップの格好の餌じゃないの。

私は、右手で頭を抱えた。髪がくしゃりと音を立てる。

そこへ控えめのノックが三回響いて、引き戸がするすると開いた。

「お、目が覚めたか!」

喜びの声と共に、男性が部屋へ入ってきた。

――え?

まさか。そんな。
まさか。そんな。

「プ、プロ……デューサー……?」

その人は、ベッドの右側に椅子を引いて、枕元の隣に座った。

「ん?」

「プロデューサー!!」

点滴のチューブなどお構いなく、私は、目の前の愛しい人の胸に飛び込んだ。

逢いたかった。

たった二箇月ぶりなのに、とても懐かしい馨りがした。
うわっ 余計な行が入った

>>544
× まさか。そんな。 → ○ (削除)
「お前が倒れたと聞いて、取る物も取り敢えず帰ってきたよ。何も云わずに発って、すまなかった」

私は、プロデューサーの胸に顔を埋めて、首を振った。

帰ってきてくれた。それだけで、私はいい。

「お前にはだいぶ辛い思いをさせてしまったな。お詫びに何でもしてやるよ」

プロデューサーは、私の背中に腕を回し、ゆっくり語り掛けた。

「……何でも?」

「ああ、何でも」

「なら……」
私は、たっぷりと考えて、口を開いた。

「プロデューサー、私と一緒にトップアイドルへの道を登って。
 プロデューサー、ずっと私の隣にいて。
 プロデューサー、結ばれなくてもいいから……せめてキスを……頂戴」

顔を挙げると、プロデューサーはまいったな、と云う表情をしていたが、すぐに私の肩を抱き寄せた。

そして、あの人の吐息が、すぐそこに――

私は、そっと目を閉じた。

えーひとまず今回分はここまでです
しぶりんとキスできるならこの命投げ打ってもいいのにどうして画面の中へ入れないんだろう

余った処方薬を勝手に自己判断で飲んじゃダメ、ゼッタイ(迫真)
せめてロキソニンとかのNSAIDs飲む時はオメプラールやタケプロンと一緒に



今日は早めに書けそうだぞ! ジョジョーーーーッ!!

>>549
クロちゃんは、一見悪辣だけど根はデレ優しい、自分の中ではそんな像があります

>>550-551
何事も用法容量を守る、これ大事
しぶりんは、責任感が強い余り、今回のように自らで抱え込んでしまう、
そんな不器用なところがあるのではないかと、個人的に思っています



・・・・・・

凛が目を開けると、天井が見えた。

……あれ? ……プロデューサーは?

そう云おうとしたところで、彼女は声がくぐもってうまく話せないことに気付いた。

口と鼻を覆うように酸素マスクが装着されている。


――なんで私がこんな状態でいるんだろう


「病……院……?」

そうだ、Zeqqで黒井社長に会って、化粧室で戻して、それから……。それから――

凛には、そこからの記憶がなかった。
少しだけ首を動かすと、身体は碧の入院着に包まれている。

左前腕には点滴が刺さり、右手の指には血中酸素濃度計のクリップと血圧計、胸には心電図の電極が数箇所取り付けられ、

鎖骨近辺には高カロリー輸液のチューブが埋め込まれ、股の違和感は……尿道カテーテルか。

一体この大仰な姿はなんなのか。ただの風邪のはずではなかったか。

もぞもぞ、と身体を少しだけ動かすと、傍らに置かれたナースコールに気付く。

ひとまず現在の状況を確認しなくては。

ボタンを押し込むと、すぐさま、ナースと同時に、血相を変えノートパソコンを脇に抱えた男性が、勢い良く入ってきた。
「凛ちゃん、目が覚めたか!」

その人物は、鬼気迫る表情でベッドへ駆け寄る。

「副プロ? ……私、どうしたの?」

鈷は寝ていないのだろうか、だいぶやつれた顔をしている。

「肺炎と極度の疲労で担ぎ込まれたんだよ」

「肺炎?」

「ああ、あと胃潰瘍にもなりかけてるらしい。
 Zeqqの化粧室で倒れているのを奈緒たちが見つけて、119番したんだ。
 救急搬送されたと聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ。今ナースコールが押されるまで生きた心地がしなかった」

鈷はほっとしたように胸に手を当てて云った。
その鈷の肩越しに時計が見え、十時を指している。

窓から光が差し込んでいるから、午前だ。

「……ねえ、私どれくらい気を失ってたの?」

「今日で三日目だよ。ライブがあったのは一昨日だ」

凛は驚きに目を大きくした。そんなに時間が経っているとは思いもしなかったのだ。

「そんなに経ってたの……その、ごめん。ずっと風邪だと思ってて、まさか肺炎なんて」

「ほんと無茶は勘弁してくれよ。まあ症状が重篤になる前だったからまだよかったさ。
 それに、そのことに気付けなかった僕の責任でもある。
 ま、あと一週間は入院して安静にしてることだ。特に明日明後日くらいまでは絶対安静な」

「あと一週間も!? そんなに入院してたら仕事が――」

「大丈夫だ。ちひろさんが処理したからほとんど問題ない。せいぜい日本放送のニュージェネのレギュラー一回分が凛抜きで進行するくらいだ」
凛が出演していた月9はライブ前に撮影が終わり、ついこないだ最終回を迎えたばかり。

ブッキングが決まっていた番組ゲスト等は他の第一課アイドルが代役で出る。

凛専用の、どうしても動かせない仕事がなかったのは、不幸中の幸いであった。

ちひろの謎の力によって、問題なくリスケが完了していたのである。

「何をするにも、身体を治さないことには始まらないしな。
 だから、ひとまず何も考えず休みな。今の凛ちゃんの最大の仕事は、一日も早く回復することだ」

鈷は親指を立てて笑った。

「……わかった。色々とごめんなさい」

凛が謝ると、小さく頷いて「じゃあ俺は仕事に戻るよ」と言い残して去っていった。

ひとまず、治そう。

凛は、そう自分に云い聞かせて目を瞑る。無理矢理にでも寝なければ。

視界が黒に包まれると、先ほどの夢の光景が浮かんだ。

――プロデューサー、逢いたいよ……

その瞬間、Pの向こうに、黒井社長の姿も浮かぶ。

自分の脳味噌が、自分に安寧を許してくれない。

考えるのを放棄したいのに、思考は、とぐろを巻くようにどんどん濁っていく。
最適な着地点とはどこなのか、まるでわからない。

――アイドル辞めて普通の女の子に戻っちゃおうか……

脳裏に不穏な考えが浮かぶが、すぐに打ち消す。

――そんなことをしたらプロデューサーへの裏切りになるから駄目……

凛の思考は、あちらを立てればこちらが立たずの問題に直面し、どこへも進めなくなっていた。

昔の、何も考えず漠然と“トップアイドルを目指す”と云っていた自分が、ひどく幼いように思えた。
確かに、トップアイドルを目指すのは、Pと約束したこと。

しかし、果たしてそれはPの存在を否定する結果を示してまで、目指すべき場所なのだろうか。

しかし、トップアイドルにならなければPの正しさを世に見せつけられないのだ。

しかし、自分なんかにその場へ立つ資格があるのだろうか。

『しかし』の連続。或る事柄を考えると、すぐにそれを否定する思考が浮かんでくる。そしてさらにそれを打ち消す――

終わりのない否認の反復。
凛はゆっくり目を開けた。濁った精神状態では何もいい考えが浮かばない。

袋小路に迷い込んでしまう“弱さ”も、自己嫌悪を加速させる。

「駄目々々だ、私……」

溜め息と共に、一粒の泪がこぼれた。

枕で拭いてしまおうと首を回すと、枕元に、鈷が置いていった凛のiPhoneが目に入った。

画面を点けると、通知センターに、アイドルたちからのSMSやLINEがたくさん表示されている。

その中に、春香から心配するメールがあった。

トップアイドルの彼女は、これまで何を見、何を為し、何を得、何を棄ててきたのだろうか。

「春香さん……助けて……」

短く、シンプルな文章を、春香に送った。

――

ふと、凛は目を覚ました。

いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

背中や腰がだいぶ痛い。身体がチューブまみれで満足に寝返りも打てないのだから当然だ。

その痛みで目が覚めたと云っても過言ではない。

顔をしかめながら目を開ける。空の色を見るに、今はどうやら夕方のようだ。
「あ、目を覚ましたね。おはよ、凛ちゃん」

明るい声が凛に届いた。その声の主を認めて息を呑む。

「ッ? は、春香さん!? い、いつからいらしてたんですか?」

そこには春香がいた。

「はい、天海春香ですよー。お昼過ぎくらいに来て、まったりしてた。寝入ってたから、起こすの憚れたんだ」

つまり凛がメールを送ったその数時間後には来てくれたと云うことだ。

凛は春香のあまりのフットワークの軽さに驚き、また恐縮した。
「ご、ごめんなさい、お忙しいのにメールした張本人が寝てしまっていて……。しかもお一人でなんて、手持ち無沙汰だったでしょう」

「あーううん、外に赤羽根プロデューサーがいるし、今日は午後はオフだったから問題ないよ。
 待ってる間はゆっくり仕事の資料読んでたしね。それに凛ちゃんのSOSならすぐに飛んでくるって」

「……すみません……色々とありがとうございます。
 あと、こんな姿でごめんなさい。私の声、聞こえにくくないですか?」

凛は安静状態で風呂に入れていない、汗とチューブまみれの身体や、酸素マスクを気にしながら訊いた。

「大丈夫。幸い周りは騒がしくないから、ゆっくり話してくれれば聞き取れるよ」

そして春香は凛の右上腕に手を添えて、訊いた。

「それで、凛ちゃん、どうしたの? メールには助けてとしか書かれていなかったけど……」

凛は数瞬、目を伏せて、逡巡する。

しかしすぐに顔を挙げ、春香の目を見た。
「……春香さん……私、わからなくなっちゃったんです」

「わからなく?」

「はい、アイドルとしての自分がわからなくなっちゃったんです」

凛は目を閉じて息を長く吸い、

「私の夢であったトップアイドル、そこを目指す意味が見えなくなってしまって」

春香は柔和な笑みから、真面目な顔つきになって凛の言葉を聞いている。

「勿論トップアイドルになるのは目標なんです。
 でもトップアイドルになって私をここまで磨いてくれたPプロデューサーに報いようとすると、
 逆に、Pさんは必要なかったと云う相反する結果になってしまうんです。
 そのことを、先日、黒井社長に、突きつけられました」

そして凛は春香の目をすがるように見て問う。

「前にも後ろにも進めなくて、どうすればいいのか……」
春香は目を閉じて、しばらく考えてから、衝撃的な言葉を告げた。

「……こんなこと云うと怒られちゃいそうだけど、トップだとかそうじゃないとか、私はあまり興味ないんだ」

凛は驚愕のあまり目を見開いた。口をぱくぱくと開閉させ、声にならない声を出している。

春香は構わずに続ける。

「アイドルって、手法はどうあれ人を笑顔にするのが究極の存在意義なわけでしょ?
 ランクがどこにあっても、そのことさえ考えてればいいんじゃないかな。
 応援してくれる人、笑顔になってくれる人から見れば、そのアイドルこそが、その人にとってのトップアイドルなんだと思うよ」

凛は自分の足元が、崩壊して底なし沼に変化していく感覚を憶えた。

目指していたトップアイドルが、その地位にいる人物から直々に、意味のないものと突きつけられたのだ。
しかし春香は「ただね――」と付け加える。

「でも、そんな自分とファンとの間だけで完結する意識の話でなくて、
 所謂第三者の視点で、指標としてアイドルの地位をわかりやすくランク付けすることに異論はないよ。
 世界は自分とファンの第二者だけで形作られているわけじゃない、むしろ無関係な第三者の方が圧倒的に多いわけだからね。
 その第三者に対して、番付で説得力を持たせるのはとても重要なことだと思う」

腕を組んで、少しだけ考える振りをし、人差し指を立てて、軽く振った。

「たぶん凛ちゃんが目指しているトップアイドルって云うのは、その『如何に説得力を持たせるか』の部分を云い換えた言葉なんだよね」

ファンとの間にある概念としてのトップアイドルと、世間との間にある指標としてのトップアイドルの違い。

そこを履き違えると、会話に大きな齟齬が出る。春香の言葉は、その確認の意味合いもあったのかも知れない。

凛は、足元が崩壊したわけではないのだと、安堵した。

早とちりもまた、凛の悪癖であった。
「で、凛ちゃんが云うには、その指標としてのトップアイドルを目指すと、相反する結果が一気に顕在する、てことだよね?」

凛はゆっくりと頷いた。

春香は顔を伏せ、左手を顎に持っていって考え込んでいる。

「――うーん、そもそもさ。それって、本当に相反する結果が出るものなの?
 今後活動を続けたところで、これまでの凛ちゃんが否定されることってないんじゃない?」

春香は不思議そうな顔をして、言葉を紡いだ。
――今からトップアイドルになったとして、確かにそれはPさんの力を借りずに登り詰められた、と云う意味を持つだろうけど、

だからといってPさんの存在を否定することになるのかな?

普通の女子高生だった原石を磨いて、ここまで連れて来られたのは間違いなくPさんと凛ちゃんの二人三脚の結果でしょう?

その歴史までは誰も否定できないはずだよ。

むしろ厳然たる事実として輝いていると思う。

『渋谷凛の根幹を作り上げたのはPの腕だ』ってね。

今からトップアイドルになっても、それは“今までの積み重ねの延長線上”であって、

これまでの凛ちゃんが存在しなければ、即ちこれからの凛ちゃんも存在しないわけ――


難しく考えることはないと思うよ、と凛の額に手を置いてゆっくり語り掛けた。
凛は、驚嘆に言葉を失っていた。

自分は、現在を分岐点に、これまでの渋谷凛とこれからのそれは、別物だと思っていたが……

しかし、過去の積み重ねこそが未来を作る、春香はそう指摘したのだ。

その言葉によって、思考の暗闇へ一筋の光が差した感覚を受けた。

一呼吸置いて、春香はゆっくりと続ける。

「凛ちゃん、Pプロデューサーさんのことが好きなんだね?」

彼女は見抜いていた。

「……はい。アイドルとプロデューサーが結ばれることなんかない、わかっていても、止められませんでした。
 そして、私は……禁を破ってしまったんです。赦されないのに、はっきりと言葉に出してしまった」

凛の額に手を置いたまま、目を閉じ、しばらく黙っていたが、

「……私もわかるよ。その気持ち」

「えっ? ……春香さんも誰かを?」

春香は言葉では答えず、こくりと頷いた。
「私、春香さんの周囲からはそう云う浮ついた話を全く聞かなかったので……ただただ、驚きです……」

凛の嘆息の混じった言葉に、春香は手を横に振った。

「そんなことないよー。私は嘘をつくのがうまいだけ。それに……昔の話だしね」

そして、春香は、凛が初めて見る、哀しい顔を浮かべた。

「……凛ちゃんは真面目だね。だから、自分の気持ちに嘘をつけないんだと思う。
 この業界って、ハッタリ噛ましてナンボ、って部分があるじゃない。だから余計に凛ちゃんは苦しいのかも」

そう云って、春香は12階の病室の窓から見える空を、遠い目で眺めた。

凛もつられて視線を窓の方へ向ける。

黄昏れに染まる雲が、ゆっくりと、流れている。

しばし、無言の刻が過ぎ――

「――そしたら、有無を言わさないトップアイドルになって、スパッと辞めちゃうとか?」

凛は慌てて春香の顔へ向き直った。

「ちょ、春香さん、そんな……」

「別にそれって、凛ちゃんが初めてじゃないよ?
 山口百恵とか、トップアイドルになって、好きな人と一緒になるため潔く辞めた人がこれまでにもいるんだ。
 日高舞だってそうでしょ?」

「トップへ立って、辞める……」

「そう。凛ちゃんがさっき云ったように、今後誰かの許でトップになる、そのことでPさんが否定されるのであれば、
 そうならないように、自分の意思で、自分で考えて、自分の行動でトップになればいい。
 誰かに引っ張られてトップになるのではなく、自分の歩みだけでトップへ登れば、ね」
「“Pが育てたアイドル”が、自らの脚のみでトップへ登れば、“それを育てたP”は、否定されることはない……」

凛が、一節一節、ゆっくりと間を置いて呟いた。

「そういうこと」

春香の言葉によって、凛の頭の中に、明確な目的地が見えた。

――プロデューサー、あなたへ逢いに行くため、私はトップアイドルになる――

しかし凛は春香の目を覗いて、独白のように云う。

「でも私、欲張りなんです。好きな人と一緒になって、その上で、皆に輝きを届けられる存在になりたい」
春香は、おっ? と不思議そうな顔をした。

「今はその手法は見えないけれど、でも、まず自力でトップアイドルになること。
 そして愛しい人へ報告しに行くこと。
 ――それを第一の目標としようと思います」

「うんうん、その意気だよ。
 勿論、私もそう易々とトップアイドルの座を明け渡したりはしないけどね」

春香は不敵な笑みを浮かべる。

「本気で、獲りに行かせて貰います。 ――負けませんよ」

凛も、口元に微かな笑みを浮かべて、宣言した。

どちらからともなく、腕を出して、拳をこつり、と触れ合わせた。

――

それと前後して、病室の外では。

赤羽根と鈷が、長椅子に腰を掛けて、缶コーヒーを傾けていた。

「まさかP君が移籍した直後にこう、問題が表へ出てきてしまうとは、大変だね」

「……いえ、ある程度は予測済みでしたから」

ふぅ、と大きな呼吸をすると、芳ばしい薫りが鼻をくすぐる。
「そうか。……まあプロデューサーたるもの、様々な可能性は考えておかないといけないからね。
 765―うち―も昔はそれで大分ゴタゴタしてしまった」

「赤羽根さんほどの人でもですか?」

「はは、当時は新米もいいところだったし、独りだったからね」

赤羽根は、過去を思い出して苦笑した。

事務所に所属する十人全員を一手に引き受けていた初期の頃は、頼れる人もおらず試行錯誤の連続だったと云う。

「そのせいで、春香や美希をはじめ事務所のみんなに、辛い思いをさせることになってしまった。
 そんな意味で云えば、P君は僕のときよりまだマシな状態かもしれないね」

「どう云うことです?」

「人間には、どうしても平等に分配できない要素があると云うことだよ。P君なら、凛ちゃんだけに専念できる」

赤羽根は、ふっ、と目を細めて長い吐息を漏らした。
不思議そうな顔をしている鈷に顔を向けて、そのうち君にも判るようになる、と語り、

「凛ちゃんの例で云えば、P君が戻って来さえすれば、ある程度は解消できる問題だ。
 勿論、問題の根幹部分はそうはいかないだろうし、根本的に解決しようとすると、CGプロの範疇には収まらないだろうけどね」

赤羽根は後ろの壁にもたれて、難儀な問題だよ、と呟いた。

鈷は膝に肘を乗せ、口の前で手を組んで考え込む。

「今の凛ちゃんに一番必要なのはPさんだと云うのは何となく判るのですが、
 事務所の全体にも関わることなので、僕の一存でPさんを呼び戻すことは出来ないですし……」

「そうだね。結局は、彼女が、自分で見つけるしかないよ。僕たちは、ヒントやアイデアは与えられるけど、答えそのものは、あの子の中にしかないんだ」

鈷は姿勢を変えず、黙ってゆっくりと頷いた。


そこへ歩み寄ってくる影が二人。

鈷がそれに気付き、親指で病室の中を示した。

――

凛と春香が微笑み合っているところへ、扉をノックする音が響いた。

どうぞ、と云おうとするが、酸素マスクのせいで大きな声が出せない。

代わりに春香が「どうぞ」と返答した。

扉がそろりと少しだけ開いて、その隙間から中を窺うのは、奈緒と加蓮。

凛が手招きをすると、二人はようやく引き戸を大きく開けた。
奈緒が何かを告げようと口を開いた瞬間、凛の隣へ座る女性を、加蓮と共に視認し、目が点になる。

「アイエエエ!? ハルカ!? ハルカナンデ!?」

奈緒も加蓮もHRSを発症し、立ったまま硬直している。

その後ろから赤羽根プロデューサーが、「春香、そろそろ行こうか」と呼んだ。

「あ、はーい。じゃあ凛ちゃん、お大事にね」

そう云ってウインクを投げる。

「今日は本当にありがとうございました。何とお礼を云えばいいのか……」

凛が顎を引きながら述べると、春香は「いーのいーの」と笑い、手を振って赤羽根と共に去っていった。

「なななななんで天海春香がいるの?」

春香たちが扉を閉めると、加蓮が慌てた様子で訊いてきた。

「お見舞いに来てもらっちゃった。……いや呼び付けちゃったって云う方が正確かな……」

奈緒は半ば呆然と口を半開きにしている。

「一体どんなパイプだよ……って、もう大丈夫なのか? いや大丈夫じゃないから入院してんだから適した言葉じゃねえな……」

「まあ、峠は越えたみたいだから大丈夫だと思うけど……」

凛が答えている間に、奈緒たちはベッドの傍へ椅子を寄せて座った。
「はい、凛。ひとまず入院で必要になるものを見繕って持ってきたよ。足りないのがあったら持ってきたげるから云ってね」

そう加蓮から渡されたバッグの中には、およそ入院生活に必要そうな、あらゆるものが入っていた。

「ありがとう。すごい、よくわかったね。欲しかったものばっかりだよ」

「私は昔病弱だった、って云ったでしょ。入院なんか数え切れないほどしたから、慣れたモンなんだ」

ま、最近はご無沙汰だけどね、と軽く笑って、すぐに少しだけ眉根を寄せる。

「それにしても肺炎なんて、どれだけ我慢重ねてたのよ、凛」

その口調は咎めるようだったが、「手遅れになる前に済んでよかったけどさ」とホッとする様子も見せた。
「ごめんね。二人が私を見つけてくれたんだって?」

「ああ、凛の戻りが遅いから見にいったら廊下に居なかったからさ。スタッフに訊いたら外へ出た形跡は
 なさそうだから、って中を探し廻ってたらぶっ倒れてるのを見つけたんだ」

奈緒の言葉に加蓮も頷く。

「アタシ、血の気が引くってのを実感したのは初めてだったよ」

凛は溜め息をついた。仲間にこれほどの心配をかけるなんて。

「ありがとう。二人がいなかったら、私もっと大変なことになってたと思う。命の恩人だよ」

「いいさ、大事に至らなかっただけでもな」

奈緒は掛け布団をぽんぽんと叩きながら笑う。
「あーそうだ、凛、早速色々おかしく云われてるよ」

加蓮が思い出したように前日のスポーツ紙を取り出して云った。

『渋谷凛 公演後倒れる』
『凛ちゃん 意識不明か――』

センセーショナルで無責任な文字が踊っていた。

「あー……まぁ、そうなるよね……」

凛が観念したように嘆息すると、

「午前中、鈷さんから目覚めたと知らされるまで、アタシたち――いや、事務所の皆こんな感じだったけどね」

と加蓮が苦笑する。

「で、こんな不穏なトップ記事見せたいんじゃないんだ。ほら、こっち」
そう云ってばさばさと芸能面を開くと、そこには

『新ユニット:トライアドプリムス、鮮烈なデビュー! 渋谷凛と組んだ新人、貫禄あり』

と、決して扱いは大きくないながらも、ユニットの初ライブ初勝利を報じるスペースが設けられていた。

凛が倒れたことで、善かれ悪しかれ、トライアドプリムスも注目の的となったようだ。

「怪我の功名……なのかな、これって」

凛は目を瞑って、心なしか口角を上げて呟いた。

「いづれにしても、注目株になったからにはもっとレッスンに励まねえとな」

奈緒が手を叩いて気合を入れると、加蓮も「そうだね、凛が退院してくるまでに腕をもっと磨いて、驚かせてあげないと」と同調した。

「ふふっ、それじゃ、退院後追い付かれないように、私も気合いを入れないとね。早く治さなきゃ」

三人はお互いを見詰め合って、どちらからともなく笑みを浮かべた。

――

三日後。

凛は順調に快方へ向かい、酸素マスクは鼻チューブへと、一段軽くなった。

しっかり話せることがこんなにも気持ちのいいことだとは、一度身体を壊すと、些細なことが幸せに感じる。

さらには、ようやく病院食が許可され、高カロリー輸液のチューブが外された。点滴経由での投薬も、経口へと切り替えられた。

心電図は前日に外されており、これで凛を束縛するものは右手の酸素濃度計と血圧計のみだ。

ようやくシャワーが許可され、久しぶりに人心地が付いた。

普段全く意識しない日常を、改めて噛み締める。
あーまた日本語がおかしい……

>>586
× しっかり話せることがこんなにも気持ちのいいことだとは、一度身体を壊すと、些細なことが幸せに感じる。

○ しっかり話せることがこんなにも気持ちのいいものだとは、一度身体を壊すと、些細な事柄が幸せに感じる。

今日は、ニュージェネレーションレギュラー番組の日。

今頃卯月と未央は、ブースで待機しているはずだ。

本来であれば、凛も日本放送へ仕事に出るはずだが、当然、そんなことは許可されない。

先ほどシャワーを浴びたとき、調子が上がってダンスのステップを少し踏んだだけでもナースから怒られたほど。

今回はおとなしく、ベッドの上で、いちリスナーとして楽しませてもらおう。

まもなく四時。凛はiPhoneのサイマル放送を起動した。

時報と共にオープニングテーマが流れ、番組が始まる。
≪こんにちは、今週も始まりました、日本放送、ザ・ボイス・オブ・シンデレラ。パーソナリティは、ニュージェネレーション島村卯月です!≫

≪みんな、おっ待たせ〜! 同じくパーソナリティの、ニュージェネレーション本田未央でーっす!≫

≪まず最初に、残念なお知らせです。いつも一緒にお話をしている渋谷凛ちゃんが、本日はお休みさせて頂くことになりました。ごめんなさい!≫

≪みんなもう知ってるかもしれないけど、しぶりん、急病で入院しちゃったんだ。今週はしまむーと私の二人でお送りします!≫

≪えーと、早速メールを頂いてます。ラジオネーム、おぉっ!サンさんから≫

≪いつもありがと〜!≫
≪凛ちゃんが倒れたと云うニュースがありましたが大丈夫ですか?
 凛ちゃんのことは勿論、NGの皆さんの心持ちは如何ほどのものかとお察しします。
 それと比例するようにCSでのタイガースの調子も下がり心配です、凛ちゃんの一刻も早い回復を祈っています。――とのお便りです≫

≪うぅ……皆が気遣ってくれて嬉しいねえ……泪が出ちゃうよ。しぶりんは、だいぶ快方へ向かっているから心配しないでね!≫

≪他にも沢山の、凛ちゃんを心配してくれるメールやお葉書を頂いてます≫

≪すごいよ、リスナーが送ってきてくださったお見舞いの品がこんなに。ほら! ――≫

マイクの向こうからガサゴソと音がする。目には見えないが、沢山の便りや見舞いが来ているようだった。

ファンのみんなに、心配をかけてしまったことは理解しているが、こうやって実際の反応として感じると、更にその思いは強くなる。

凛は心の中で手を合わせた。

その後番組は、エンディングまで問題らしい問題はなく、つつがなく進行した。

凛が居ない分、卯月と未央の喋る量が増えて若干大変そうではあったが、手慣れたもので二人カバーし合っていた。

番組開始当時は、放送事故にも等しいような間があったりして、それが逆に話題となったことを思い出す。

そこから考えれば、大した進歩だと思う。

ザ・ボイス・オブ・シンデレラの次番組を聴きながら昔の軌跡を思い出していると、ノックと共に来客があった。

卯月と未央である。
凛は驚いた。番組が終わってからまだ一時間と経っていないのだ。

「凛ちゃん、調子はどう?」

卯月が覗き込むようにして訊ねるが、凛は起き上がってベッド上に座しながら、まず驚きを口にした。

「さっき終わったばかりなのに、もう着くなんてびっくりしたよ」

「有楽町から三十分で来られるしね、ここは」

あはは、と卯月は笑った。

例の件以来、仕事での最低限の用事以外はあまり喋らなかった凛と二人。

このようにゆっくり何かを話す機会は、久しぶりであった。

特に、未央はどことなく余所余所しい。

あんなことを云ってしまったのだから仕方ないし、未央のことだ、根を詰めすぎて倒れたのは、自分に原因の一端があると思っているのかも知れない。
「ねえ、未央」

そんな未央に、凛は穏やかな顔で語り掛けた。

未央は、一体何を云われるのかと怪訝な様子だ。

「……ごめんね。私、どうしようもない馬鹿だった」

「しぶりん……」

未央は、驚きと哀しみを併せた、複雑な表情をする。

「ううん……私が考えなしだったんだよ。
 Pさんが突然居なくなって、しぶりんが一番辛かっただろうに、それを判らず、支えられなかったんだもん。
 ニュージェネレーションの仲間失格だよ……」

目を伏せて、ゆっくりと語った。
凛は顔を横に振って、未央の掌を持つ。

「私が弱かったの。それが一番の原因。未央は悪くなんかないよ。
 それに、こうやってぶつかり合って、大事なことに気付けた。私はもう、大丈夫」

力強く宣言すると、卯月が凛の目を見て問う。

「凛ちゃん、答えを見つけたの?」

「答えはまだ見つかってない。でも、何をすべきかは判ったと思う」

凛は頷きながら答えた。

「まずは、年末のライブを成功させること。そして、IUでトップに立つこと。これが私の為すべき行動――」

卯月と未央はその言葉に度肝を抜かれた顔をした。
「ええっ? 凛ちゃん、IUって、あの?」

「そう。アイドルアルティメイト。そこで私はトップに立つ」

IU、アイドルアルティメイトは、年に一度、年明けの頃に開催される、真のトップアイドルを決めるためのオーディション番組だ。

古今東西、腕に覚えのあるアイドルたちが、こぞって目指す頂。

ここで優勝すれば、名実共にトップアイドルであることが証明されるのだ。

ここ数年は、女性部門は春香をメインに、765のメンバーの誰かが優勝の常連。

男性部門は961のジュピターの独擅場だ。


Prologue
http://www.youtube.com/watch?v=9RpGF2sy2l4


豊かなリバーブが横に拡がり、観客の歓声がより一層大きくなる。

バンドパスフィルターが縦横無尽に音を彩り、ダイナミックに躍動した。

場を支配する音は、電子の波、テクノ。

よもやアイドルのコンサートで流れることなど予測できない、まさかのサウンドの轟流に、観客は度肝を抜かれ、黄色い声が大きな潮流となる。

そして、トップライトによって、暗闇に浮かび上がる二つの『人形』。

『のあ』と『誰か』

観客は、凛に気付いていない。


STAGE2
http://www.youtube.com/watch?v=WLTNz53DpRs&t=5m52s&hd=1


ボコーダー経由でロボット化されたボーカルが、パッドサウンドと規則的なリズムに乗って流れていく。

そこへ照明が一気に点され、ステージを輝かせた。


 Radio Tour information

 Transmission télévision

 Reportage sur moto

 Caméra, vidéo et foto

 Les équipes présentées

 Le départ est donné

 Les étapes sont brûlées

 Et la course est lancée ――

のあの風貌でこの演出は最高のインパクトであった。

舞台上でアンドロイドが唱い、踊っている。

これまでのツアーとは明らかに異なる演出に、会場のボルテージはあっという間に針が振り切れた。

客席のサイリウムは、のあのイメージカラー、銀白に染まった。

そこへ、凛がボコーダーを外して地声になる。


 Les coureurs chronométrés

 Pour l'épreuve de vérité

 La montagne les vallées

 Les grands cols les défilés

 La flamme rouge dépassée

 Maillot Jaune à l'arrivée

 Radio Tour information

 Transmission télévision ――


のあともロボットボイスとも違う、澄み、落ち着いた声。

誰だあれは、と客席に驚きと戸惑いが混じる。

やがて、その声に気付いた一部の人々が、蒼いサイリウムに切り替えると、それが伝播していく。

会場は、蒼と白の協奏曲となった。

アウトロが、たっぷりの余韻を引き連れて響いていく。

「みんな! 今日はCGプロライブツアー千秋楽へようこそ!」

凛がウィッグを取り、客席へ投げ込んで叫んだ。

銀髪が描く放物線の、着弾予測地点では、歓喜に沸く客が手を伸ばしている。

「最初、私が誰かわからなかったんじゃないかな? でも、途中から、正体に気付いてくれた人がいたみたいだね!」

会場は、歓声でそれに応えた。

照明が絞られ、のあがMCを引き継いで喋る。

「――どうやら掴みはOKのようね。さあ、これから約二時間、魔法の掛けられた世界へ浸りなさい。
 続いては、CGプロと云えばこの三人、ニュージェネレーションがお相手よ」

客席からは「のあ様ァ!」と崇拝者の叫びが止まらない。
のあがMCをしている間に、凛は床下へ降り、カラコンの脱去と髪型の変更、早着替えを済ませ、所定の位置へスタンバイ。

卯月と未央も既に舞台下で準備完了していた。

三人、息を合わせて宣言する。

「ニュージェネレーション、行くよっ! 輝く世界の魔法!」

PAからキューが入り、新たなイントロが流れ始めた。

ベルの音に合わせて、ニュージェネレーションを乗せたセリが上がる。

白い三つのピンライトが、各々を下からアオリで照らしている。
ゆっくりと、三人が浮かび上がってくると共に、そのライトがステージ上へ洩れていく。


 輝く世界の魔法 私を好きになれ

 ほら笑顔になりたい人 一斉の


 唱えてみよう――


ニュージェネレーションが励起する様は、CGプロを象徴しているかのように見えた。

卯月、凛、未央が連携して一番をサビまで歌い上げると、すぐに二番。

 おやすみ 優しく瞬く星達――

ステージ中央に設けられた階段の上から蘭子、アナスタシア、楓、幸子が歌いながら降りてくる。

ライブ開始初っ端からCGプロトップクラスのメンバーが現れて、観客席は大興奮に沸いた。

そのまま、プログラムはCDデビュー組がそれぞれローテイションで進んで行き、トライアドプリムスへ。

歌った曲は先日のライブバトルと同じものだが、パフォーマンスは明らかに別次元へと昇華されていた。

ゆっくり、しっとりした曲を、情緒豊かに演じ上げる三人は、照明効果もあって非常に艶かしく見えた。

ライブバトルでのデビューから僅か二箇月。

トライアドプリムスは、ニュージェネレーションに比肩し得る、立派な二大巨頭ユニットへと成長していた。

凛、奈緒、加蓮、それぞれ強烈なカリスマを持った三人が、力を合わせて一つの舞台を組み上げるその姿は、まさに第一課の集大成であった。

曲が終わり、切り替わる僅かな間、一旦、照明が落ち、客席に踊る蒼、赤、橙のサイリウムが、より映える。

数瞬後、照明が戻ると、そこには、コンコードベース、テナーサックス、ショルダーキーを身につけた三人が、立っていた。

――

「――ちょっとアイドルらしくないことをやってみたいんだよね」

11月のとある日、凛は第一課のソファで、ヨーグルトドリンクを飲みながら独言のように呟いた。

「アイドルらしくないこと?」

正面で楽譜を読んでいた奈緒が鸚鵡返しで訊く。

「そう。今度の年末ライブなんだけどさ、最終日に、ちょっとお客さんを驚かせたいなーって」

「驚かせるって云ったって、何をやるの?」

隣でネイルを塗りつつ加蓮が問うと、凛は間髪入れずに答えた。

「ジャジーなインストバンドとかどう?」
「……は? 幾ら何でもそれは明らかにアイドルの範疇じゃないだろ」

奈緒が、凛の言葉の意味するところを考えていたのか、少々の間を置いて突っ込みを入れてきた。

「だからだよ。前に『如何にもアイドルアイドルした普通の曲を演ったって面白くない』ってプロデューサーが云ってたの。
 それを受けて出した新曲は大ヒットしたんだ」

キレッキレのダンスが巷に強烈な印象を与えたことは、記憶に新しい。

「それは憶えてるけどさ、バンドって何をやるの? 楽器?」

あのPV凄かったね、と付け加えながら、加蓮は塗り終わった場所に、息を吹きかけて、凛を向いた。
「そう。加蓮って、鍵盤楽器は弾けるよね?」

「まあ……簡単なものなら」

「じゃあ加蓮はショルダーキーボードで決まり。奈緒は……サックスとか吹けない? ビジュアル的に合いそう」

「ハァ!? サックス? 吹けるわけねーだろ、あたしリコーダーしかやったことないんだぞ」

「リコーダー吹けるんだ? じゃあサックスも大丈夫だよね、はい決まり」

「ちょっと待てェ!」

「大丈夫、奈緒なら出来るよ。まだ時間あるし」

にこりと凛は笑った。柔和だが、有無を云わさぬ、見えない圧力がそこには在った。
「ぐ……し、仕方ねえな……。トライアドプリムスの注目度を上げるためなら一肌脱ぐか……」

と云って、奈緒はあっさりと受諾した。彼女は、意外と押しに弱い。

「ギターは李衣菜辺りに声を掛けておくよ。ドラムやその他のパートはサポートバックバンドの人にお願いするつもり」

凛はパン、と手を叩いて、構想を述べた。

そのまま鈷を経由してPに簡単なスコアを書かせ、一週間後には初回のセッションレッスンを行なう迅速ぶりに、他の人間は目を白黒させている。

トップを目指す、と意思を明確に固めた凛は、以前にも増してイケイケドンドンになっていた。

奈緒は、麗の付きっきりの特訓の成果か、譜面を渡して二週間後にはそれなりに吹けるようになった。

サックスは音を出すことすら難しいのだが、やはりセンスがあるらしい。

――

楽器を肩から提げたトライアドプリムスの面々に、ざわつく客席。

「ちょっと息抜きしない? たまには箸休めも必要だよね」

凛が会場へ向かってウインクしながら語り掛けた。

その顔をレンズが追いかけて、バックスクリーンに様子が大きく映し出される。

ステージへ李衣菜が駆け寄り、カウントを開始すると、バックバンドのドラムの合図ののち、サックスのイントロが流れる。

その奈緒を見て、観客は歓声を上げた。


Megalith
http://www.youtube.com/watch?v=Wl8cg2257oM&t=34s



凛のスラップベースと、李衣菜のカッティングがオーバーダブされ、加蓮のシンセリードが煌めくラインを彩る。

バックバンドのキーボードには、しれっと菜々が混ざっている。

李衣菜はともかく、凛が人前でベースを披露するのは初めてのことだ。加蓮の演奏も然り。

トライアドプリムスが、これまで一度も現していない、別の一面を見せたことに、客席は興奮の渦を巻く。

全楽器がワイヤレスシステムになっていて、行動に制約のない面々が、楽器を奏でながら縦横無尽にステージを舞い回る。
これまでと全く違うアイドル像。

きらびやかに着飾った可愛い女の子たちが、笑顔を振りまき、渋さ満点の楽曲をノリノリで自ら演奏している。

ベースのソロ、サックスのソロ、シンセのソロ、そしてギターのソロ。

それぞれのパートがこなされる毎に、会場全体から拍手喝采が浴びせられる。

アイドルらしからぬ動きと、各自の見せ場を最大限に活かすその姿を見て、度肝を抜かれ熱狂しない者はいまい。

凛がPから受け継いだ、新世代の偶像の定義付けに、観客は酔いしれた。

五分間の演奏が、まるで一瞬のように過ぎ去り、そのままの流れで凛メインのプログラムへと移行する。

Never say neverで徐々にボルテージを上げ、

CGプロの研究生を後ろに従えたキレッキレのダンスで、すっかり暖まっていた会場は熱狂し、

ブリティッシュロカビリーでは、はっきりとしたリズムに揺れるサイリウムが、蒼一色に染まった。

全篇英語詞にも拘わらず、客席と一緒に歌い上げる一体感。

トライアドプリムスの出番から通算して、五曲連続。

当初、凛のプログラムはもっとばらけていたのだが、意図的に後半へ集積させたい、と、鈷に変更を願い出た。

そんなプログラムを、20分以上ぶっ通しで、歌唱を張り上げ怒濤のダンスを舞っても、鈍くならない動作。
CGプロが誇るアイドル――

否、アイドルの枠を越えた“渋谷凛と云う存在”の威力が、横浜アリーナに炸裂している。

その力は、三月の単独ライブを遥かに凌駕する勢いであった。


 He’s no good, girl

 No good for you

 You better get to gettin' on your goodbye shoes……


バックの演奏が消え、凛の独唱で曲が終了する。

同時に消える照明。
「この、みんなと一緒に作り上げるムード、最高だね」

漆黒に眼を塞がれ、耳だけで感じる凛の語り掛けに、聴衆は歓声で応える。

そして一瞬の間を置いて照明が戻り、早着替えを済ませた凛がステージの中央へ立った。

落ち着いた、黒基調のゴシック服だ。

「激しい曲ばかりだとみんなも疲れちゃうだろうから、この辺りで、しっとりバラードでもいこっか。
 実は、私が静かな曲を持ち歌にするのって、これが初めてなんだよね。
 そして奇しくも、今日がそのCDの発売日。皆、もう買ってくれたかな?」

さらに大きな歓声が上がる。

「皆、ありがとね! この曲は、私が初めて作詞に挑戦した曲です。


 聴いてください――」



この空の永遠のように
http://www.youtube.com/watch?v=1ayWnXwvVpg


余韻の長いシンセベルのイントロが響き、そして、甘いギターが、副旋律を奏でる。


 誰かが わたしを呼ぶ 声が 聞こえて
 甘い 夢の途中 ぼんやり 目覚めた

 恋は どこから やってくるの?
 窓を 開けたら 不思議な夜明け

 小さな 詩―うた―の中に 秘めた 思いは
 長い 時代―とき―を越えて 涙を 伝える

 果てしない この道で いつの日か 出会うひと
 伝えたい 優しさを いつまでも その胸に

 誰よりも 信じあい 求めあう 気持ちだけ
 抱き締めて いられたら 何もかも こわくない

 果てしない この道で いつの日か 出会うひと
 穏やかな 優しさで あなただけ 見つめたい

 この空が 永遠に どこまでも 続くように
 変わらない 願いだけ いつまでも 抱き締める…

アウトロがフェードアウトしていくと、静かに聴き入っていた会場が歓声に包まれた。

ツアー初日にこの曲の存在が公となったとき、渋谷凛の新境地としてマスコミを賑わせたが、

そのままの手応えが、この横浜アリーナでも感じられる、そんな喝采であった。

「みんな、ありがとう。……たまには、こういう落ち着く曲も、いいよね?」

凛の言葉に呼応するように、拍手が大きくなる。

その拍手に対して、申し訳なさそうな声で、魔法の解ける刻を告げる。

「さて、名残惜しいけど……次が最後の曲です」

客席から響く、「えーっ」「もっと続けてー!」と云う声。
会場全てが、もっと魔法にかかっていたい、そんな願いが籠った声に包まれると、何故か照明が全て落ちた。

ステージ上は真っ暗闇で何も見えない。

そこに、どこからともなく割り込むMC。

「……あくまで、プログラム上は、ですけどね!」

観客席が、一気にざわついた。

「こっ、この声は……一体誰ッ!?」

凛が、実にわざとらしい大仰な演技をする。

瞬間、舞台の中心をスポットライトが照らすと。
そこには、凛の隣に、パンキッシュゴシックの衣装を纏った天海春香が立っていた。

「箱根……じゃなかった、横アリのみなさ〜ん! 天海春香ですよ〜!!
 今日は、CGプロさんのライブツアーが楽しそうなので、お邪魔しちゃいましたー!」

「はい、と云うわけで、千秋楽限定シークレットゲスト、春香さんが来てくださいました!」

凛が春香の言葉を引き継いで続ける。

まさかの大物ゲスト登場に、会場は大歓声に包まれた。

「今、私がしっとりした曲を歌ったので、ラストへ向けて、徐々に、ゆっくりと、もう一度熱を上げていこうか」

「いえす! それじゃあまずは、凛ちゃんと私で、オ・ト・ナなデュオを披露しようかな!」

「では、もう一度柔らかなナンバーを。Je t'aime... moi non plus ――ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ――」

ステージを、柔らかい光が包み、歓声の波が静かに引いて行く。


Je t'aime... moi non plus
http://www.youtube.com/watch?v=9krvMqLnc5U&hd=1


しっとりしていながらも、ファンクなドラムとギター、オルガンが、ゆっくりと空間を満たしていく。


 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime

 Moi non plus

 Oh mon amour, tu es la vague, moi l'île nue
 Tu vas, tu vas et tu viens entre mes reins
 Tu vas et tu viens entre mes reins et je te rejoins

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime...


超人気アイドル二人が魅せる、新たなステージ。

妖しく、色艶やかな歌唱は、大人を思わせる色香を放っていた。

凛は、もう18歳だ。

デビュー時から続く、“少女”と云うイメージを、変遷させる力を以て唱い上げる。

“少女”が“オンナ”に変わる刻――

――それは、観客の心を、どくんと鼓動させ、掴み上げた。

「しぶりーん、そんな色気たっぷりなの演られちゃ、私たちが出て行き難いよー」

未央がそう云いながら、卯月と共に下手から、

そして奈緒がコンコードベースを持って、加蓮と共に上手から舞台へ現れた。

凛が奈緒からベースとヘッドセットマイクを受け取り装着している間に、卯月が

「せっかく春香さんが来てくれたんだもの、CGを代表するユニットでお迎えしないとね」

と云い、客席へマイクを向けた。拍手と指笛が沸き起こる。

春香が、卯月のMCに応え、

「おおっと、沢山のお出迎えが来てくれましたね! この人数を活かして、渋いチョイスを行きましょう!」

そのまま、凛のベースに合わせて、独り、歌い出した。


Spread Love
http://www.youtube.com/watch?v=zRfcMn1TVAM



 I know somebody who declares he has it made
 He won't admit it, but it's just a masquerade ――

そこから春香のリードに併せ、フィンガースナップと共に、横ノリな五声のハーモニーが響き渡る。

ベース以外には全く伴奏がない。

そう。 ア・カペラ。

瞬間、その場は、黄色のような、はたまた、橙のような色に包まれた。

その色の照明が焚かれたわけではない。

音だから色なんて判るはずが無いのに、確かに、横浜アリーナの中を、色の付いた複雑なハーモニーが奔流したのだ。

――

11月末、まもなくツアーが始まろうかと云う頃の、ある日の夜。凛は春香にメールを送った。

【今度カメオして頂ける最終日なんですが、一緒に歌う曲をリクエストしてもいいですか?】

希望リスト、そして楽譜と歌詞を添付すると、すぐに返信ではなく電話が来る。

『やっほ、こんばんは。……なるほどね。これ、凛ちゃんなりのメッセージ……だよね?』

「こんばんは、お電話をくださってありがとうございます。その通りです。流石、春香さんにはすぐに見破られちゃいました」

『一番目はいいとして、二番目の曲、これを演るの? 音取りや和声が相当難しいよ?』
「はい、お客さんの度肝を抜きたくて。春香さんがカメオして頂けると云うサプライズの上に、さらにこのギミックを出したいんです。
 春香さんはリードに専念して頂いて、ハーモニーはCGメンバー側でこなしますので、あまりお手間は掛けさせません――』


春香は、電話から一度添付ファイルのPDFへiPhoneの画面を切り替え、ざっと見てから云う。

「わかった。私はハーモニーに関わらないとは云っても、一回か二回くらいは合わせた方がいいよね。
 赤羽根プロデューサーに予定を固めてもらって、一度CGプロへ伺うよ」

『すみません、ありがとうございます。こちらも鈷プロデューサーに伝えておきます』

「うん、それじゃあね、おやすみ」

春香は電話を切り、iPhoneをスクロールさせ、凛から送られた歌詞を、再び読んだ。
 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime

 Moi non plus

 Oh mon amour, tu es la vague, moi l'île nue
 Tu vas, tu vas et tu viens entre mes reins
 Tu vas et tu viens entre mes reins et je te rejoins

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime...

  愛してる、愛してるわ……

  ――さぁてね?

  私は一糸纏わぬ島、あなたは波。
  寄せては返す波……

  愛してる、あぁ、愛してるの……


凛ちゃんめ。

大胆な作戦に出たね。

次の曲のメッセージもだいぶ強いし。

ここまで想われる人が羨ましいな……


――

六人で唱う、ア・カペラの和声が着々と盛り上がって行き、サビへと突入する。


 Spread love, instead of spreading lies

 Spread love, the truth needs no disguise

 I've often said love could open any door

 Oh, but I wish we had much more

 More love is what we need


Spread love ―― C7(9)からB♭6へ落ちる極めて印象的なフレーズ。

――愛を蒔こう。嘘を塗るのではなく。

――温もりを拡げよう。本当の気持ちに仮面は要らない。

――愛はどんな障碍でも越えられるとよく言ったけれど

――その欠かせないモノがもっと溢れていればよかったのに。


最後のハーモニーですぱっと曲を終了させると、ホールに六種類の残響が漂う。

高度な和声をこなしたアイドルたちに、聴衆は呆然としていた。

一瞬の間を置いて、はっと気付いた観客が、一斉に拍手と喝采を轟かせる。

「こう云う、複雑なハーモニーの歌も、またいいもんでしょ?」

加蓮が指をピストルの形にしながら訊ねると、更に歓声の音量が上がった。
「さあ、後ろ髪を引かれる思いだけど、ラストの曲になっちまった!
 最後はパァーッと、春香さんと一緒に、CGプロ全員と一緒に、そして皆も一緒にいこうぜ!」

奈緒の掛け声に併せ、凛や春香が叫ぶ。

『お願い!シンデレラ!』


 お願いシンデレラ 夢は夢で終われない
 動き始めてる 輝く日のために――

六人のイントロ重唱が終わると、

『イェーイ!』

上手下手の両手袖からCGプロのアイドルが全員、大挙してステージへ走り寄った。

凛は、ア・カペラの時のまま、踊りながらベースをスラップさせ、

李衣菜と夏樹はギターを肩に掛け、それぞれカッティングとリードを弾き、

加蓮はアナスタシアからショルダーキーを受け取って、シンセアルペジオを鳴らしている。


 Everyday どんな時も CUTE Heart 持ってたい――

春香と第二課全員が可愛く唱い、

 Pinchもサバイバルも COOLに越えたい――

第一課全員が澄ましてこなし、

 Update 無敵なPASSION くじけ心 更新――

第三課全員が熱く飛び跳ねる。

そして杏ときらりは相の手を入れ、観客がそれに同調する。
わかりやすい曲構成、会場全体が一体となる。

熱情の四分間は、あっという間だった。


 涙のあとには また笑って スマートにね
 でも可愛く 進もう!――


照明の輝度が落ちて行く中、加蓮のアルペジオで曲が終わりを迎えると、今日一番の熱狂が沸いた。
しかし、暗くなっても、客席のライトはまだ点かない。

それの意図するところ。

そして、方々から止まない、アンコールを求める手拍子。

薄暗い会場の中に、凛の声が響く。

「ふふっ、拍手が途切れないね。……じゃあ、みんなのアンコールに応えよっか」

待ってましたとばかりに盛り上がる歓声の予定調和。
「さあ! 折角春香さんが来てくれたんだし、敬意と謝意を表して、『READY!!』を行くよ!」

凛の声を合図とし、PAがキューを送る。


 Are you ready!? I'm LADY!!
 始めよう やれば出来るきっと 絶対私NO.1


横浜アリーナを熱く滾らせる興奮が、冬の夜空に溶けてゆく――


えー少し短いですが、ひとまず今回分はここまでです

ライブ光景の描写は実に難しいですね
ラインナップは、アイドルが演ったら度肝を抜きそうなものをメインにチョイスしました
TAKE6なんて演られた日にゃ俺速攻で心を撃ち抜かれますわ

あとやっぱりTPにはオーラがありますよね
http://i.imgur.com/0GMVe4m.jpg

本当はJe t'aime... moi non plusの訳って、原意に忠実に翻訳するならもっと過激なんですが、
さすがに刺激的すぎてアレなのでマイルドにしました
しぶりんは、若かりし頃のJane Birkinに通ずる雰囲気があると思います

それではまた



メシ食ったらまもなく再開します
今回は大きく展開していき、次回にかけてクライマックス(予定)です
今月中には完結させられるかと思います

>>655
コンコードもそうですが、同じアトランシアのソリテアー、冗談抜きにオススメですよ

>>656
サックスはCoアイドル全員似合う気がしますね

>>657
出戻りで楽器を弾いたときにこそ、本当の良さがわかるみたいですよ、さぁさぁ(ゲス顔




・・・・・・・・・・・・


「なんであれだけ大規模なツアーの翌日に、フツーに仕事入ってんの〜?」

ニュージェネレーションのラジオ番組を済ませ、太陽が没して航海薄明が終わる頃。

麻布十番の駅から事務所までの道を歩きながら、やれやれと云う顔をして未央がぼやいた。

「レギュラー番組なんだから仕方ないよ、未央ちゃん」

「そうだよ。むしろ今日は、朝事務所へ出社しないで、夕方日本放送に直行していいって云われたんだから、休みを呉れたようなもんだよ」

卯月と凛が未央を窘める。
ツアー終了翌日の放送というだけあって、ライブの出来を賞賛する感想メールが非常に多かった。

放送前に目を通すのが大変な量だったほどだ。

世間では、CGプロの躍進と、春香のサプライズカメオ及びその理由に関するニュースがお茶の間を賑わせ、

番付番組は、凛が、“春香に認められた者”として、Aランクへ登り詰めたことを示した。

卯月や未央もBへ上昇し、奈緒と加蓮に至っては、Eから一気にCへ跳ね上がった。

蘭子や楓など、その他のアイドルたちも、今回のツアー成功に伴って軒並み評価を上げている。

事務所のビルに入ると、普段よりも静かなフロアが三人を包んだ。

本日、ニュージェネレーション以外のアイドルたちは休日を貰っている。

勿論、後処理の残っているプロデューサー陣含め事務方は休むわけにいかないので、人気が皆無と云うわけではない。

「なんかこう、いつもと違う雰囲気だと、落ち着かないね〜。じゃあまたあとでー!」

未央が苦笑しつつ洩らし、第三課へと入って行った。

その後凛は卯月と第二課前で別れ、独り、第一課をくぐる。

デスクで作業している鈷に終業の報告へ向かおうとすると、

「おう、お疲れ」

ソファから声が掛けられた。


――この声は。


凛が、勢いよくその方向を向くと。


Pが、座っていた。


その姿を認めた瞬間、凛はまるで蝋人形のように動きが固まる。

長く美しい髪だけが、慣性の法則に従って揺れた。

何秒ほど硬直していただろうか、不意に、泪が、ぽろっとこぼれた。

「お、おい」

あまりにも急激に変わる凛の表情を見て、Pは慌てた。

そんな彼に構わず、事務所の中であることにも構わず、一粒こぼれた雫が呼び水となって、双眸から泪が止め処なく溢れ出た。

顎から滴り落ちたそれが、カーペット地の床に、点々と染みを作っていく。
Pが立ち上がると、凛は持っていたバッグを放り出して、コートも脱がず、帽子もマフラーも取らず、懐へ飛び込んだ。

「プロ……デューサー、なんで? なんで……?」

震える涙声で問う凛の背中に、Pは腕を廻し、とんとんと優しく叩いた。

「それは、なぜ俺がここに居るか、って云う意味でいいのか?」

凛は声を出せず、Pの胸に押し付けた顔を上下に動かした。

「昨夜のライブをストリーミングで観ててな、居ても立ってもいられなくて夜明けと同時に飛んできたんだ」
CGプロは、遠方で会場へ来られない人のため、ファンクラブ上級会員向けにコンサート映像のストリーミング配信サービスを行なっている。

Pは、向こうでそれを観ていたらしい。

ライブが終わったのは夜の八時過ぎだから、ロサンゼルスは当日未明の三時だ。

そのまま夜明けを待って、朝の便で飛び発ち、サンフランシスコ経由で入国、ついさっき着いたと云う。

「ひとまず、どこかゆっくりできる処へ行くか。鈷がこのままじゃ仕事できない」

鈷は、先ほどから、意識してこちらを見ないようにしていた。

勿論、その状態では仕事に力は入るまい。
「今日は他のアイドルいないから、ダンスルームでも開けるか? 休憩室でもいいし」

「私……屋上が……いい……」

凛が、嗚咽に声を詰まらせながら、希望を述べる。

屋上は、普段は開放されない場所だ。確実に邪魔が来ないことを、彼女は知っていた。

「寒いだろうけど大丈夫か?」

身体を心配するPに、凛はゆっくり頷いた。

「そうか。ちひろさんに鍵を貰ってくる。階段で待っててくれ」

Pは凛へハンカチを差し出し、衣紋掛けに吊るされたロングコートを持って第一課を出て行った。

屋上へ出ると、夜の帳が下りて、明るい星が、次々と瞬き始めている。

気温は、日没からしばらく経ったせいか、だいぶ下がっていた。

その上、設置されたエアコンの熱交換器から排出される冷気が相俟って、相当寒く感じる。

「こりゃ、かなり冷えてるけどいいのか?」

念のため再度訊ねると、凛は、ぐす、と鼻を鳴らしながら、Pが着ている外套の中へ正面から潜り込んで、

「大丈夫。むしろ、その方が堂々とくっつけるからいい」

真正直な返答を寄越した。

屋上のスペースと、置かれた室外機の間へ設けられた金網に、Pは背中を預ける。

カシャン、と響く乾いた音は、すぐに機械の動作音と混じり、消えて行った。
「お前、最終日のライブのプログラムに大分口を挟んだらしいな?」

「……うん、表現したいことが、あったから」

Pは軽く、それでいて少し長めに息をついた。

「……やっぱり、あれは意図的だったか」

凛は何も云わずに頷く。

「俺がこないだトライアドプリムスに書いた曲、その真意に気付かないお前じゃないだろう?
 そんな凛が、今度は作詞を手掛けた曲であんな、“いつまでも想う”なんてことをこっちに伝えてきて。
 ……更には春香ちゃんとのセッションではあの露骨なラインナップだ」

しばらく戻ってくるつもりはなかったんだが、と嘆息し、

「あそこまでやられちゃ、飛んで来ざるを得ない」

降参、と云った様子で両手を挙げると、凛は、先ほどと同様、懐に顔を押しつけ、埋めた。
そして、右手の拳で、Pの鎖骨の辺りを強めに何度も叩く。

Pは何も云わず、彼女の身体が冷えないよう、自らのコートで深く包み込み、静かに、叩かれ続けた。

やがて、叩く力は段々と弱くなり、再び嗚咽が聞こえてくる。

細かく震える身体は、むせび泣きのせいか、はたまた寒さのせいか。

Pは、外套の中で、凛の背中を、楕円を描くようにゆっくりさすった。

シャツの胸に拡がる、濡れた感覚。

これは、女の子を泣かせてしまった、不名誉な痕と云えるだろう。

凛は、不規則にしゃっくりを上げる。

「なあ凛、顔を上げてくれないか。このままじゃ、話をし難い」

しばしの後、Pはゆっくりと、凛の頭上から語り掛けた。

「やだ」

「どうして」

「……メイクがぐしゃぐしゃだもん」

この辺はやはり乙女の感覚だろうか。

男としてはあまり気にしないのだが、女の子にとっては一大事なのかも知れない。

「今更そんなことを気にする間柄でもないだろ。既に俺はお前のすっぴんさえ見慣れてる」
凛は、ゆっくりと、泪の跡が残ったままの顔を挙げて、誹る。

「……すっぴんとメイク崩れは違うんだよ。……ばか」

「……すまんな」

「それは何に対しての言葉? 今デリカシーのない発言をしたこと?」

少し険しい顔をして、凛は問うた。

「諸々全て、……だな」

「そんな、今謝るくらいなら、どうして何も云わずに居なくなったの? 当初私がどんな状態になったか、知ってるんでしょ」

「……順を追って、話そうか」
Pは瞼を閉じ、ゆっくりと、深く呼吸してから続けた。

「……お前が俺のことを悪く思っていないというのは、比較的早い段階から気づいていたよ」

凛は、驚きに目を見開いた。

これまで何度も、誘惑する仕草をしても全く気に留める様子なんてなかったのに。

「鈍感なフリをするのは、それはそれで結構大変なんだぞ――」

凛の表情から、その心の中を読み取ったPは、少しだけ、責めるような口調と顔つきで、凛の目を覗き込んだ。


 ――判り切っているだろうが、お前はアイドルで俺はプロデューサー。そんな二人が恋に落ちるなどあってはならないことなんだ。

 それでもはっきり断らず、鈍いフリをしたり有耶無耶な反応に留めたりしていたのは、

 お前の、俺の期待に応えたい、または俺に褒められたいと云う感情をモチベーションとして利用する、そんな下衆い計算があったからだ――


凛は、まだ、何も云わずに、じっと、Pの言葉を聞いている。


 ――だが、その作戦は、あの日、お前が直接俺に伝えてきたことで破綻した。

 間接的な表現ならまだしも、はっきりと直接云われては、もうとぼけた振りは出来なくなった。

 だが、きっぱりと拒絶すればお前のモチベーションに少なからず影響が出るだろう。

 もうトップアイドルは目の前、掴めそうな場所にあるというのに。

 だから断れなかった。

 なによりも、俺だって本心では、お前を離したくなかった。

 ……プロデューサー失格だな――


ここで一度、Pが深く息を吸って吐き、続けた。


 ――だがそんなことは赦されない。

 俺個人の勝手な欲望で、国民の宝を台無しにするなど赦されない。

 お前の想いに、イエスともノーとも云えなかった。

 ……運命の選択ができなかった。

 お前の想いを受けても間違いだし、拒んでも正解には遠い。

 理想の解が存在しない問題――


凛は、Pも、自分と同種のヂレンマを抱えていたのだと知った。

苦しんでいたのは、自分だけではなかったのだ。


 ――俺は結局、その問題から逃げたんだよ。

 俺は、意志も情も薄弱な人間だった。

 逃避して、ほとぼりが冷めるまで待つことしかできなかった――


Pは、ここで一度言葉を止めた。
そして逡巡してから、眼を瞑り、意を決したように続ける。

「――男として答えれば、お前を離したくない。お前が欲しい。
 ……だがプロデューサーとして答えれば、お前に手を出すわけにはいかない」

Pの真意を知った凛は、あの誕生日のときと同じように、感情を吐露した。

「今、私を欲しいと云ってくれて、どれだけ天へ昇る気持ちになったか! 私は、Pさんが欲しいの! プロデューサーでもない、貴方が欲しいの!」

「まだだ。まだ駄目だ」

Pは、凛の唇に指を置いて制止した。

「凛には云ってしまうが、俺は今、事務所の戦略上、外せないことをやっている。
 向こうで修行して、技術をつけたらまたCGプロへ戻ってくる。今度はチーフプロデューサーとしてな。
 研修ではなく移籍と云う体裁を採っているのは、ライバルや利害関係者にぎりぎりまで勘付かれないようにするためだ」

本来であれば、修行を終えて戻ってくるまで云うはずのなかった言葉。
しかし、二人三脚で歩んできた戦友――いや、愛しい女性―ひと―を前にして、隠し通せるほど冷酷には成り切れなかったのだ。

「一つだけ確かに云えることは、俺だってお前を好いている。好いているからこそ、今直ぐにはどうこうできない。それはわかって欲しい」

「じゃあ、私がアメリカへ行く。日本に居るのが都合悪いなら、行き先はどこでもいい、この国から出る」

凛が、眼力鋭くとんでもないことを宣言した。

その強い言葉に、Pは肝を冷やす。

「何を云っている! 折角ここまで重ねてきた軌跡を自ら棄てる気か!?」

「誤解のないように云っておくね。私、決めたの。トップアイドルには勿論なるよ」

Pの胸に両手を置いて、真面目な表情で、顔をあおり見る。
「年明けか、再来年か、それとも更にその次の年か。
 いつになるかは判らないけど、必ずトップアイドルになって、あなたの選球眼が正しかったんだと証明した後、胸を張って、あなたへ逢いに行く。
 私がトップアイドルになる前にあなたが日本へ戻ってくるなら、一緒に頂へ登り詰めて、そしてスパッと辞める」

凛の真っ直ぐな瞳に、その意思の強さを感じ取ったPは、ついに折れた。

「……俺は明日、社長へこのことを報告しにいく。
 もはやこの問題は、俺たち二人の間だけで済む性質の物じゃない」

Pは、凛の頬を両手で包んで、硬い声音で告げた。

「お前には火の粉が飛んで行かないように頼んでくるから、もし俺が腹を切ることになったら、介錯してくれ」

凛は首を振った。

「介錯なんてしないよ。
 ……私も、一緒に……征く」

――

「突然帰国してきたと思えば、穏やかじゃない雰囲気だねえ」

翌日、社長室。

Pは、凛を連れて、報告に訪れていた。

ライブの成功を受けて二人とも喜んでいるものと思いきや、現れた顔が硬く締まっているのを見て発した社長の言葉である。

執務机から立ち上がり、応接スペースへ歩いて来ながら問う。

「こんな急に飛んできて、向こうの仕事は大丈夫なのかね」

「キリスト圏は今、クリスマス休暇中ですので」

答えるPに、そう云えばそうだったね、と社長は自らの後頭部を叩いた。
ソファへ促され座ったPは、身を乗り出して、緊張した面持ちで、上半身を社長へ向けた。

そして、言葉を選びながら声を発する。

「単刀直入に申し上げます。昨夜、私と凛は、互いに、想いを伝え合ってしまいました」

深く、ソファに腰を沈めた社長は、眉をぴくりと僅かに上げた。

「私の、プロデューサーとして自覚欠如の結果であり、弁解の余地はありません。
 私への処分はどんなものでも甘んじてお受けします。ですが、凛は、凛だけは咎めないよう、お願いします」

社長の言葉が出る前に全てを云い切ろうと、Pは、ゆっくりながらも、声を途切れさせずに述べた。

そして、頭を下げる。

「ちょっと、プロデューサー、自覚欠如の誹りを受けるのは私だよ。プロデューサーは私のせいで苦しんだんだから」

凛はPの二の腕部分を持って、軽く揺すった。
社長は腕を組んでPに問う。

「それは、P君も渋谷君も、お互いに好き合っていて、その思いの丈を、どちらも吐露した……と云うことでよいかね?」

「はい」

「P君は渋谷君を想っており、そして渋谷君もP君を恋い慕っていて、その気持ちを、二人とも明確に認識し合った、と?」

「はい」

Pは頭を下げたまま。

社長は、眼を瞑って動かない。
凛が不安になって、戸惑った表情でPと社長の顔を交互に見ていると、社長はゆっくりと目を開けた。

「……予想していたよりも、大分時間をかけたねと云うのが正直な感想かな」

「なっ!?」

Pが驚いて顔を挙げる。凛も同様に、口を開けて固まっている。

「君たちが惹かれ合っているのは、薄々勘付いてはいたのだよ。勿論、確信ではなかったがね。
 渋谷君が不調になったのはP君が発った直後だものな、一種判りやすい反応ではあった」

凛は申し訳なさに縮こまった。
「まさか、既にお気づきとは……」

Pが嘆息すると、社長もまたソファの背もたれに体重を預け、

「曲がりなりにも芸能事務所の社長兼スカウトマンなのだよ? 女の子を捉える眼はそれなりに鍛えられていると自負しているのだが」

恐れ入りました、とPは顔を伏せる。

「で、想いを確認し合って、既に昨夜、肌は重ねたのかね?」

その言葉の中にある社長の意図を汲み取って、凛は赤面した。

――そ、それって、つまり……アレ、だよね……?
初心な反応を見せる凛とは反対に、Pはきっぱりとした態度で云う。

「いえ、想いは伝えましたが、まだ男女の仲ではありません。凛の生身に触れることは何もしておりません。口づけさえも、です」

社長は眉を上げて、ほう、と呟き、

「ふむ、その辺りはきちんとしているようだね」

「曲がりなりにもアイドルのプロデューサーですので……その最終ラインのけじめはきっちり守っているつもりです」

Pは少し困った顔をして答えた。

「はっはっは、すまんすまん、これはこちらが一本取られた」

下腹部の前で手を組んで、社長が笑った。
「正直に云ってしまえばね、この業界、こんなことはザラにある。
 君たちが既に性交渉を済ませていたとしても何ら驚きのない世界なのだよ。――ああすまん、これは言葉の綾だ。
 決して君たちを見くびっているわけではない」

社長は、右手を軽く挙げ、衝撃的な言葉を続ける。

「破天荒で有名な日高舞は、動機はどうあれ普通の結婚をして引退したが……
 更にその昔、ファンクラブ結成直後と云うタイミングで、担当プロデューサーと電撃結婚、引退したアイドルがいたくらいだからね」

前例があることに凛は驚いた。

アイドルとプロデューサーが結ばれることはない、と、盲目的に刷り込まれていたからだ。
「そ、そんなことをして無事で済んだんですか……?」

口に両手を当てて、凛が訊ねた。

「あー、まぁ当時は色々あったね。脅迫やら何やら。
 しかし、その者はまだ業界に残って、アイドルのプロデュースをしているよ。
 ……まあ彼の場合は例外中の例外と云えるかも知れんが」

さらに凛は驚いた。例外とは云え、そんなことが実際に赦されているとは。

「……プロデューサー、知ってた?」

横目で問い掛けてきた凛に、Pは軽く肩を竦める。
「話は聞いたことがある、と云う程度だな」

「無理もなかろう。今からおよそ25年以上も前の話だ」

社長は遠い目をした。

「勿論、アイドルとは夢を振りまく存在であるから、建前として潔癖さを求められるのは当然だ。
 だが、渋谷君、君を含め、アイドルたちは機械ではない。人間なのだ。だから誰かを好きになることがあるのもまた当然だ」

社長は前に屈み、声のトーンを少し下げる。

「こんなことを云っては怒られるだろうが、表に漏れさえしなければ、アイドルが誰かと付き合うのを禁じることなど無用だと思っている。
 無論、情報の封じ込めが難しいからこそ、一律に禁止と云うのが通例になっているわけだがね」
社長は姿勢を戻し、「で、君たちはどうするつもりなのかね?」と問うた。

Pが佇まいを正して答える。

「私は現在、社の戦略上、重要なことを任されている認識を強く持っています。
 凛と結ばれるために業界を去る、と云う選択肢は有り得ません。
 現段階は、二人が結ばれる時期ではないと思いますし、凛もそれをきちんと認識しています」

凛は黙って、Pの言葉に首肯を添えた。

「君たちはストイックだね」

社長は感歎の溜め息をつく。
「だが、それでは渋谷君がアイドルである以上、結ばれることはないのではないかね? P君のその意気には社長として感謝しているが」

凛が、社長へ向けて口を開く。

「……私が、去ります」

強い意思を宿して、そう答えた。

「私の活動を応援してくれる方々に、今後も応えていきたいと云う想いはあります。
 でも天秤に掛けると、どうしてもPさんを選んでしまう……ですので、トップアイドルの地位まで登り詰め、
 ファンの期待への回答を果たしたら引退し、Pさんの許へ向かおうと考えています」

「まだ世に出て三年も経っていないのに、勿体無い話だね」

落胆の声に、凛は目を伏せた。

「申し訳ありません」
「正直、君の才能は、『トップアイドルになったから』と引退させるには惜しいと思っている」

社長の意見に、顔を挙げて、泣きそうな表情で問う。

「そっ、それは、私がPさんに添い遂げることを許可しない……と云う意味でしょうか」

凛の問い掛けに答えず、社長は話を変えた。

「渋谷君、いま君は『P君の許へ向かう』と云ったが、アメリカへ飛ぶと云うことかね?」

「……いえ、必ずしもそうではありません。
 IUにてトップアイドルを獲ると云う目標達成が早ければアメリカへ逢いに飛びますし、
 時間が掛かってPさんが日本へ戻ってきていれば、一緒に頂へ登ってから、引退、と」

社長は、その言葉を受けて何やら考え込んでいる。
「渋谷君、私としては、先ほども云ったように、君の才能は引退させるには惜しいと思っている。
 だがトップアイドルになるという目標を達成したなら、その後どんな道を選ぼうが、勿論それは君の自由だ。
 こちらに不利益が発生するのでない限り、君に、身の振り方まで指示する資格は、我々にはないからね」

「で、では」と口をつく凛を制し、しかしだ、と社長は続ける。

「君自身、今後もファンに応えていきたいと思っているのだろう?」

「そ、それは……赦されるのであればそうしたいですが……」

言質を取った、とばかりに笑む社長。

「芸能活動を維持しつつ、P君と結ばれる。その両方を目指すのでは駄目なのかね?」
「……え?」

Pが思わず聞き返した。凛は、自分の理想に近い言葉を社長から得られたことに、息を呑んでいる。

社長はそれらを意に介さず、言い放つ。

「渋谷君。IUでトップを獲りたまえ。――そして、アメリカに飛ぶのだ。さっきの君の言葉でティンと来た」

Pも凛も、社長の真意を理解できず、ぽかんとしている。

「そ、それはつまり、どう云うことでしょう?」

Pがおずおずと訊ねた。
「君らが海の向こうで何をしようが、日本にいる者たちはどうにも手出しできない、と云うことだよ。
 アメリカで、結ばれると良い」

Pと凛は驚きの顔のまま、二人、見詰め合った。

社長が、仲を認めてくれたのだと理解するのに、少々の時間を要した。

徐々に喜びの表情へと変える二人に、社長は「その上で、これから云うことは命令ではない。あくまで提案だ」と付け加える。

そして肘を腿の上に置き、顔を少し近づけた。

「渋谷君、将来日本で芸能活動を続けられるように、アメリカのショービズ市場で、結果を出したまえ。
 そうすれば、君が既に男性と結ばれていようとも、逆輸入と云う形で堂々と迎えることが出来る。
 P君も、それまで一緒に向こうで技術を磨き続けたまえ」

社会には、理由付け・大義名分と云うものが必要とはいえ――なんと大胆な、二兎を追い、その両方を得る作戦。

仮に、アメリカで結果を残せなくとも、Pと結ばれることで一兎は得られる。
社長なりに、凛の希望を叶えたいと慮った結果だろう。

彼にとって、凛は事務所躍進の立役者であり、更には設立当時からの“愛娘”なのである。

「勿論、日本に復帰する気がないのなら、P君のハリウッド研修が終わった時点で人知れず戻ってくればよい」

私としてはその選択はあまりして欲しくないがね、と笑いながら。

どうかな? との問いに、凛は力強く答える。

「やります。私、……実は欲張りなんです」

そう云って大きく笑顔を拡げた。

――

「えっ? アメリカ!?」

社長室を出た後、そのままニュージェネレーションとトライアドプリムスの面々が集められ、報告された。

「まだ、“もしかしたら”の話だけどね。振り回す結果になるかも知れない。申し訳ないと思う」

凛は頭を下げ、ことの経緯をかいつまんで説明した。

「……つまり、IUで優勝できたら、アメリカに挑戦して、何年か後に、また戻ってくるってこと?」

卯月が代表して凛に問うた。

「の、予定。失敗したら、たぶん私はそのまま表舞台から消えるだろうけど……」
「ちょっと凛、不吉なこと云わないでよ!」

加蓮が血相を変えて詰め寄った。

「それにしてもアメリカかぁ。折角ユニットを組んで、滑り出しも順調なのにな」

少しだけ不満そうに口を尖らせた奈緒に、

「ごめん、それは……」

顔を伏せる凛。

「ちょ、ちょっと奈緒ちゃん」

卯月が奈緒を制止しようとするが、

「ううん、卯月、我が儘な私が悪いんだ。
 それに、入院しているとき、漠然と身の振り方を考え始めた時点で、皆には伝えておくべきだった。
 どの面下げて云えばいいのか、って先延ばしにしてた私が悪い」

凛はそう呟いて、微かに首を横へ振った。
奈緒は、目を瞑ってこめかみを掻いている。

「まぁ、あたしだって本気で云っちゃいないし、困らせるのは本意じゃないんだよ。感情に任せて喋っちまって済まなかった。
 そりゃ、いつまでも凛に、おんぶに抱っこの状態じゃ駄目だってことは、判ってるよ」

奈緒の言葉に、加蓮は大きく頷き、

「そ。アタシたちはもうCランクなんだから、独り立ちしても大丈夫なようにしておかないと。
 凛に引っ張られたとは云え、EからCに飛び級したアイドルは稀らしいよ?」

と、胸を張った。
未央が気丈に振舞い、

「私は、しぶりんがPさんとそうやって決めたなら、文句は云わないよ。
 アメリカへ行っている間、留守中のニュージェネレーションは、私にまっかせなさい!」

「凛ちゃんがPさんと決めたこと、私、応援してるからね」

卯月も微笑ましそうに笑って云った。

二人とも『Pさん』の部分をやけに強調したように聞こえたけど、気にしない。

「そうだね、トライアドプリムスだって、アタシたちがきちんと守っていくからさ。ね、奈緒?」

「おう、勿論だ」

加蓮と奈緒が拳を握って、小さなガッツポーズ。

――私は、本当に、いい仲間と巡り会えた。

昨日に引き続き短めですが、ひとまず今回分はここまでです

気付けばもう700と云う数字に戦慄です
次回、クライマックスへ向かいます(……の予定)、それでは



メシ食ったらまもなく再開します
今回はエピローグまで行っちゃいます

>>703
しぶりんはどんな表情でも“画”になりますね

>>704
そ、それはまぁ24歳にまで成長して腕を上げたと云うことで……(震え声)

>>705
読者の数だけしぶりんは心の中に存在しているのですよ……




・・・・・・・・・・・・


2014年 三月某日



≪本日、気象状況に恵まれ、左側には、数百キロも離れているサンフランシスコの街並を、微かにご覧頂けます――≫


成田を飛び立っておよそ九時間、機内のモニタを見ると、現在時刻、朝の十時を少し過ぎた頃。

出発したのは“今日の夕方五時”。

まるで過去へタイムスリップしたかのような、この日付変更線の感覚は面白い。

JAL62便、ボーイング・トリプルセブンの小窓から、北米大陸西海岸の、長く連なる海岸線が見える。

黒い海と、乾燥した大地、肥沃な森林、白い高山が、メリハリのあるコントラストを描いている。

上空から俯瞰する大地のあらゆる場所で、ここからは見えないながらも、人の営みと云うものがある。

この大陸で――あの人が待っている。


――

年明け早々の22日に開催されたIU。

男性部門は、予想通りと云うべきか、ジュピターが並み居る挑戦者を悉く蹴散らして、波乱なく終わった。

しかし女性部門は事務所の代理戦争と化し、史上稀に見る激戦となった。

序盤戦で876プロや東豪寺プロなどに所属するアイドルが散っていく中、

三浦あずさや双海姉妹、おにぎりを事前に食えなかった美希を次々と打ち破る新星が、快進撃を見せていた。

しかし倒しても倒しても立ちはだかる鉄壁の765布陣。

そこに単騎挑むCGプロ、渋谷凛の姿は、もはや、悲壮とも感じられるオーラがあった。

強者へ果敢に立ち向かう様が共感を得、その人気は、ネットそして双方向テレビ放送の投票で、本命視の天海春香と競るほど。

決勝で相見えた両者は、先輩後輩であり、良き友人であり、そしてライバルであった。

「凛ちゃん、ごめんね、私は負けないよ」 春香が笑顔で云い、

「春香さん、申し訳ないですが、勝たせて貰います」 凛も笑む。


力の拮抗する者がぶつかり合ったとき、勝敗を左右するもの――

それは、ベクトルの方向である。

片や、これまでの実績を強調し、守りに入ってしまう者。

片や、新しい偶像の姿を提示し、攻めの姿勢を見せる者。

時代が求めたのは、後者。

蓋を開ければ、審査員の批評と一般投票を併せた結果は、雪崩を打ったかの如く、凛の圧勝だった。

王者がその座を後進に譲った瞬間、それは、凛が正真正銘のシンデレラガールとなった“瞬間”。

……そして、一般市民の与り知らぬところで、凛のアメリカ行きが本決定した“瞬間”であった。

IUの翌日、Pが一時帰国し、社長と共に凛の実家を訪ね、報告した。

預かった大切な子を無事頂点へ立たせられたこと。

高校卒業を機にアメリカへ挑戦させること、――将来は、凛と一緒になりたいと考えていること。

勿論、凛の両親は、大層驚いた。

アメリカ挑戦のビジョンと、何よりも、添い遂げむとするPと娘の意思に。

しかし、何の変哲もない普通の高校生だった我が子を日本のトップアイドルにまで押し上げた者たちを、信頼してくれた。

お前は、社会を三年経験した、もう充分な大人だ。自分の信じる道を、信じる人たちと共に歩め――

Pの隣に座る娘へ、父親はこう、言葉を掛け、

その凛は、頬を濡らしながら、ゆっくりと、万感胸に、深く頭を下げた。

――

高校の卒業式から一箇月が経ち、出国を約半月後に控えた日、情報が一部解禁された。

『渋谷凛、俄の無期限活動休止』

『シンデレラ、激務で療養の噂』

『裏に男の影、引退への布石?』

『アナリスト、米国進出を予測』――
トップの座を掴んだばかりのアイドルが、突然、活動を休止すると云う異例の電撃発表。

そのニュースは瞬く間に拡がり、お茶の間の話題はそれで持ち切りだ。

芸能誌、スポーツ紙はおろか、一般紙にまで特集が組まれるほどであった。

明確な理由までは公開しなかったので、憶測が憶測を呼び、様々な飛ばし記事が行き交った。

正解に近いものもあれば、てんで的外れなものもある。

まさに、情報の錯綜と云えた。

「うーん、凛ちゃんの件、大騒ぎになってるよねー。予想通りだけど」

事務所の休憩室で新聞や雑誌を読んでいるトライアドプリムスの正面に、局での収録から帰ってきた卯月が座った。

凛が紙面から顔を挙げると、卯月の顔には、やれやれ、と少しだけ苦笑いの色が浮かんでいる。

「……やっぱり、マスコミにしつこく訊かれた?」

「芸能記者はシャットアウトするよう手配されてたからそれほどでもなかったんだけど、局の制作関係者たちからは、大分ね。
 簡単に見越せることだったから、模範解答を準備してそれで押し通したよ」

卯月はそう云って、あはは、と軽く笑んだ。
凛と同じユニットを構成するメンバーに、強引な取材が入るのは充分に予期できた。

勿論、関係の深いアイドルは全て車で送迎したりと、充分な対策を練ってある。

しかし現場と関わる以上、根掘り葉掘り訊かれるのは避けられないことだった。

そこへ、同じく仕事から戻って来た未央が到着し、つと嘆息した。

「はー、参った参った」

「未央ちゃん、お疲れだね」

労う卯月に、くたびれた顔をした未央が片目を瞑って答える。

「今日はグラビアだったんだけどさ〜、撮影スタッフが野次馬根性で
『ねェねェ、ユニットメンバーなんだもん、知ってるんでしょ? こっそり教えてよ』
 とか色々尋ねてきて。知ってても云わないっての〜! もー振り切るの大変だったよー」

スタッフの台詞を妙なダミ声で真似て、そのまま、どかっ、とカウチに飛び込んだ。
「ごめんね、煩わしい思いをさせて」

凛は眉をハの字に下げて顔の前で合掌した。

「まあまあ、いいのいいの〜! うざったいとは云っても、むしろ注目される私たちの露出が増えて美味しいよね♪」

そう云って未央は高く笑う。実に逞しい考え方だ。

隣の加蓮も、「そーそー、そう考えれば苦じゃないよね。むしろチャンス?」と同意している。

「そうだな、IUに前後して、あたしらもソロの出番を増やして手応えを掴んできたし、今は攻めの時期さ」

奈緒が、顔を綻ばせ、そして凛の目を覗いた。
「何年掛かってもいい。絶対に成功して、戻ってこいよ。そして……もう一度トライアドプリムスをやろうな」

未央が挙手してつなげる。

「勿論ニュージェネレーションもね〜!」

皆の嬉しい激励に、凛は滲み掛けた泪を我慢して、力強く首を縦に振る。

「元より、そのつもりだよ」
「まあ、凛が還ってくる頃には皆がトップアイドルになっちまってて、入る隙間がないかも知れないけどな!」

奈緒が、ニッと、白い歯を見せたので、凛は口元に軽い拳を添えて笑った。

「ふふっ、そうだね、その頃には、きっと皆もアイドルの頂点に立ってるはずだよ」

卯月が、にっこり微笑みながら、大きく、何度も頷く。

「そうそう。未央ちゃんも奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、私だって躍進してるもんね、今!」

戦友同士が、朗らかに笑い合った。

今生の別ではない。泣くのではなく、笑顔で羽ばたこう。

――


≪間もなく着陸態勢に入ります。座席、テーブルは元の位置にお戻しください。以後お手洗いのご利用はご遠慮ください――≫


到着を予告するアナウンスで我に返った。

腕時計を見ようと左手を挙げると、赤いモルガナイトの指輪、そして橙のインペリアルトパーズのブレスレットが目に飛び込んでくる。

耳につけた蒼いアイオライトのピアスと共に、成田で卯月たちから贈られたものだ。

『蒼、赤、橙。これは、ニュージェネレーションとトライアドプリムス、両方に共通するイメージカラーだよ』
卯月と奈緒は赤、未央と加蓮は橙、凛は蒼。

奇しくも、凛の関わったユニットは、それぞれ同じ色で構成されていた。

『一応、意味も吟味して選んだんだよ』

そう云って、皆は笑っていたっけ。飛行機から降りたら調べてみよう。

眼下にチャネル諸島が見えてくれば、間もなく接地。

微かな衝撃と、スラストリバーサによる制動は、地に降り立ったことを明確に伝えてくれた。


・・・・・・・・・・・・


ガラス張りのターミナルに、昼の日射しが降り注ぐ。

ロスの三月末は、日本で云えばもう初夏のような陽気だ。

スーツの上着が要らないと思えるほど。

ここはロサンゼルス国際空港、トム・ブラッドレー国際線ターミナル。

――そろそろかな

Pは到着便情報を確認して、独り言つ。
凛の搭乗したJAL62便は、先ほど着陸した。今は、入国審査に並んでいる頃だろうか。

IUで勝利後、社長はすぐに関連書類の作成へと取り掛かり、凛のO-1ビザは、Pの時よりも圧倒的にスムーズに取得できた。

トップアイドルと云う巨大な実績があるのだから当然か。

今日から、元トップアイドル渋谷凛の、新たなフェイズがスタートする。

まずは早速、どのような戦略で凛を売り出すのか、練り上げていこう。

Pの研修先のスタッフは精鋭揃い。どんなアイデアが出てくるか楽しみだ。

そして凛が、どのような驚きを全米へ届けてくれるのか、今から既にワクワクしている。

ふと、数十メートルほど離れた到着ゲートから、多数の人に紛れて、長く美しい黒髪の少女――否、女性が姿を現すのを視認した。

遠くから一目見て判るのは、きっとオーラを纏っているからと云う理由だけではあるまい。

それだけ惚れているのだ、彼女に。

大きな大きなスーツケースを傍らに転がす愛しい人の許へ、ゆっくりと歩き出す。

すぐに、向こうもPを認識した。

自意識過剰かも知れないが、Pだからこそ、凛はこの距離でも気付いたのだと思う。
それぞれ、小走りで駆け寄る。

お互い、少しだけ息が弾んでいる。

しっかり、十秒ほど見詰め合ったのち、

凛が、目の前の懐へ勢い良く飛び込んだ。

Pは、しっかりと受け止める。

ようこそ、アメリカへ。


そう声を掛けるPに、凛は微笑みを返す。

そして、


何も云わず、Pの首へ腕を廻し、


熱い抱擁と、深いキスを交わした。



西海岸の太陽が、唇を強く重ねて抱き合う二人に降り注ぎ、優しく、暖かく、包み込んでいる――



――――
――











・・・・・・・・・・・・
EPILOGUE


「うー……ねっむーぃ……」

春麗らかな朝八時。

未央が、だるそうな目を擦ってCGプロ事務所へ出社した。

「あー未央ちゃん、おはよー……」

玄関ホールで卯月と一緒になる。彼女もまた瞼が半分閉じ、相当に眠そうだ。

それも仕方ない話。最近、二人の睡眠時間は充分確保できても四時間程度なのだから。

今をときめくAランクアイドルの代償と云うべきか。

かつての天海春香は、長距離通勤の上、全く睡眠不足な素振りを見せていなかったのだから、どれだけ強靭な身体をしていたのか、甚だ恐ろしい。

凛がいなくなって、もう何度目の桜が咲いただろう。

CGプロは、各アイドルの活躍で、961、765に並ぶ、最大手へと躍進していた。

かつてトップアイドルとして一時代を築いた765の面々、春香や美希たちは引退し、

現在は、卯月、未央、奈緒、加蓮、蘭子などの他、765の後進がAランクを彩っている。

そんな超売れっ子の未央が第三課のソファへ身を投げると、鏷に丸めた雑誌で頭を叩かれた。

「行儀悪い振る舞いするんじゃねーって」

「やるのは事務所の中でだけだよー眠いんだから勘弁〜」

間延びした声で抗弁する未央に、鏷は廊下の向こうを指差して云う。

「じゃあまだ仕事へ出るまで少し時間あるから、休憩室行ってこいよ。たぶん目が覚めるはずだ」

「ん〜? なにそれ?」

「まあ行きゃ判る」

つれない鏷に未央は首を傾げながら、ゆっくりと立ち上がって休憩室を目指した。

廊下では、銅に同じことを云われたのか、第二課から卯月が出てくるところであった。

「ねぇしまむー、休憩室に何があるんだろ?」

「私も詳しくは聞かされなかったんだよね。でもなんかアイドルは、皆ほとんど休憩室へ行ってるらしいよ」

卯月が顎に指を当てながら答えた。

二人、疑問符を頭上へ浮かべながら廊下を歩く。
休憩室を覗くと、果たして、そこにはアイドルが大挙して押し寄せ、方々で何かを読んでいた。

その中に、奈緒と加蓮の姿もある。

二人とも、卯月や未央と同じく、睡眠時間があまり取れていないはずだが、食い入るように本を見ている。

「奈緒ちゃん加蓮ちゃんおはよー。それ、なに?」

「ブルボードだよ。あっちのテーブルにある」

卯月の問いに、奈緒は紙面から目を離さず、右手奥のテーブルを指差した。

「え、ブルボードって、あの?」

未央が驚きの声を上げると、加蓮が、声を出さず頷く。
アメリカで最も権威ある音楽業界チャート、ブルボード。

そのブルボード誌が、テーブルに沢山置かれていた。

訊けば、Pが大量に送ってきたのだと、第一課のアイドルが云う。

一目見ただけで判る、明らかに日本のものではないそれ。

アメリカの雑誌特有の匂い。

日本の書籍とは異なるデザインセンスや、開く方向。

――その表紙に、凛が載っていた。

Special Features : RIN - the entertaining giant from the Far East. の見出しと共に。


2014年に西海岸へ上陸し、ロサンゼルスを拠点にアメリカのショービズ界に風穴を開けた新人、渋谷凛。

無謀とも云える渡米を行ない、充分な後ろ盾もない状態にも拘わらず、地道に芽を伸ばし、
ついにはAmerican Top 40の上位を賑わせるまでになった、かつての日本のトップアイドルにフォーカスを当てた記事だ。

当然全て英語なので、未央は細かい部分まで正確には理解できないが、貪るように読んでいく。


――ただの普通の高校生だったこと。

――大きく迷い、惑ったこと。

――日本でトップアイドルに駆け上がったこと。

これまでの軌跡などが、インタビューを交えて記録されている。

日本でアイドルをしていた――それだけでは、アメリカじゃ、やっていけない。

アメリカで成功できた理由は、一に努力二に努力、三四に努力、五に才能。そして、人々の支え。

日本とアメリカの習慣の違いに戸惑ったことなどにも触れられ、

それら中身は一見重いが、インタビュアーとの軽妙なやり取りが印象的だ。


ハリウッドやシリコンバレーと云った、最先端へ常に触れられる環境だからこそ湧くインスピレーションや、

西海岸特有の制作環境の心地よさ、そして何より、愛する人が傍で導いていること。

それらが自らのモチベーションを高めてくれる、と語っている。

聞き手は、今後の展望は? と訊ねるが、

凛は、未来のことはわからないし、わかってても秘密、と、はぐらかしたようだ。


未央たちにとって、それは今最も知りたい情報の一つであった。

事実、CGプロの人間は誰も、凛とPが今後どうなるのか、聞かされていないのだから。

唯一それを知っている社長は、未だ誰にも話さない。

お預けを喰らった犬のように残念がりながら、未央はページを捲った。



そして、記事の最後には。

――『貴女の信念とは何か?』







「I'll never say ... NEVER」  私は――負けない。







ちょっと短いですが、今回分はここまでです

フィナーレと見せかけて、まだ終わりではありません
次回完結、ご期待ください
エピローグは、もうちょっとだけ続くんじゃよ



13:23│渋谷凛 
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