2013年11月07日

佐久間まゆ「マフラーのプロデューサーさん」

一番古い記憶。
まだ顔立ちに子供っぽさが残る女の子に抱きあげられていた記憶。

その頃の俺は四足歩行でもふもふした耳と、そして……


尻尾があった。



そう、前世の俺は飼い犬だったのだ。

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その薄ぼんやりとした記憶は年月を重ねていくごとに少しずつ、少しずつハッキリしていった。
もしも子供の頃からその記憶が全開だったなら俺は相当の変態さんになっていただろう。

その点だけは本当に、心から助かったと思っている。

俺は女の子とその家族と短くない時間を過ごした。

拾われ、大事にされ、犬としては幸せな時間を過ごした。
いつしか女の子は結婚し、俺は彼女の両親と余生を過ごした。

俺はその頃には大分衰弱していた。
まぁ寿命だから仕方ない。そもそも女の子が結婚した時点で俺は大分お年寄りだったし。
最後に見たのは結婚し、大人びた表情をした女の子だった。
俺の頭を知らない男の子がポムポムと撫で回していたのは覚えている。
もしかしたら男の子は彼女の子供だったのかもしれない。

おやすみなさい。と彼女が言ったのを最後に記憶は途切れている。

今になって考えればわざわざ俺を看取りに戻ってきてくれたのだろう。
ありがたい話だ。

いい犬生?だったのだろう。
もっとも、今となっては彼女を探す気も無い。

『貴方の元飼い犬です!人間に転生して会いに来ました!』

大の男が出会い頭にこの台詞。
怖すぎる。
トラウマ物だろう。

プロデューサーとして忙しいしそんな余裕もない。
というか色々事情があってこの記憶、厄介なのである。
そんなことをぼんやりと思い出しながらマグカップの中身に口を付ける。
苦味が口の中に広がっていく。

「…最初から砂糖入れとけばよかったな」

角砂糖をひとつコーヒーの中に放り込みながらぼやく。

「…ん、まゆか」

「お仕事、進んでますかぁ?」

日もすっかり落ちて俺たち以外誰もいなくなった事務所にまゆの声が響く。
「ぼちぼち、もう少ししたら俺も上がるよ」

「というかこんな時間にどうしたんだ?」

そもそも今日はまゆの仕事は入ってなかったはずだ。

「いえいえ、ちょっとお話がありまして♪」

小さく微笑んでまゆは俺の首を指さす。

「今日もマフラー、付けてきてくれたんですねぇ♪」

「…気に入ってるからな」

俺はこの赤いマフラーを気に入っている。
……嘘では、ない。
「…それだけじゃないですよね?」

「『首に巻いている』ことが大事なんですよね?」

「首ってなんのことだ?」

図星を突かれた割には冷静に対処出来たと思う。
そしてこれこそが、この記憶を厄介と言わしめた理由である。

「それ、首輪のつもり、ですよねぇ♪」

「ずーっと不思議だったんです。一年中マフラーを付けたプロデューサーさん」

「…愛梨と一緒で寒がりなだけだよ」

いつの間にか周りからは『マフラーのプロデューサー』と呼ばれるようになっていた。
まぁ、周りへの印象付けには成功していたので便利っちゃ便利ではある。
「まゆ、見てたんですよ?」

「ありすちゃんが現場でプロデューサーさんのマフラーの端を引っ張ってるの♪」

「……」

…見られていたのか。
でもだからどうしたと……。

「プロデューサーさん、嬉しそうでしたねぇ♪」

「スタッフさんたちは兄弟みたいで微笑ましいって言ってましたけどまゆにはそう見えませんでした」

「何なんでしょう?って思ったんですけど凛ちゃんがハナコちゃんをお散歩してる時にやっと分かりましたぁ♪」

冷や汗がツーっと背筋を通り過ぎて行く。



「ハナコちゃんの目とあの時のプロデューサーさんの目、一緒だったんですよぉ♪」


「ははは、面白い冗談だなぁ…」

「うふふ、ですよねぇ♪」

コロコロと表情を変えて笑うまゆ。
……誤魔化しきれたのだろうか…?

「ねぇ、プロデューサーさん」

「ん、なんだ?」

掌をこちらに差し出してくるまゆ。

『お手』

「はい」

掌の上になんのためらいもなく自分の手を重ねる俺。
いくらなんでも素直すぎるだろう俺。
「はい」はないだろ、「はい」は。

「やっぱりわんちゃん、ですよねぇ?」

「…冗談に付き合っただけだよ」

もう嫌だ。犬の習性いやだ。

「そうですかぁ…」

人差し指を唇に当てて考えこむまゆ。
そこはかとなくエロい。

「…ちょっとまゆに飼われてみませんか?」

ちょっと何を言ってるのこの娘。

「ごめん、何を言ってるんだかさっぱりだ」

「大丈夫、優しくしますよぉ?」

まゆは瞳を爛々と輝かせながら一歩ずつ距離を詰めてくる。
割りと真面目に怖い。

「三食昼寝付きですよぉ?」

非常に魅力的な提案だけど了承したら多分人の道には戻れない。
多分マフラーが革製の丈夫なものにランクアップするのだろう。

「まゆ、見たんです」

「何を?」

嫌な予感しかしない。

「階段に両手を付いていたプロデューサーさんを…」

「あぁ、階段で躓いて転んだ時か…」

確かダンボール抱えてて足元が見えなかったんだっけ。

「きっとプロデューサーさんは普段から四足で犬みたいな歩き方がしたかったんですよね?」

待って、俺が高度な変態になってる。

「まゆがそれを見た時しまったって顔をしていたのを覚えてます」

「いや、格好悪い所を見られたなと思っただけなんだけど」

「無理しなくていいんです、まゆ、分かってますから…」

まゆは慈愛に満ちた眼差しで見つめてくる。
そこまで犬化してないよ。
……多分。

「きちんと受け止めてみせますから」

まゆは小さくガッツポーズしてやる気満々。
ちょっと待って、受け止められても困るんだけど。

「毎日散歩にも連れて行きますから!」

「……だから飼ってもいいですか?」

まるで犬を拾ってきた子供のようだ。
俺が親だったらきちんと面倒見るんだぞとか言ってたかもしれない。

「駄目」

「……ずるいですよぉ」

まゆはムスッとした表情を浮かべる。

「…最初は聖來さんです」

聖來さんと聞いて俺の中の忠犬が目を覚ます。
それを知ってか知らずかまゆの表情がより険しくなる。

「プロデューサーさんが憧れの目で見てました…」

「最初は大人の魅力なのかと思ってました…」

「…でも違いますよねぇ?」

…これは仕方がないことなのだ。

俺の中のわんわんが囁くのだ。
あの人こそが我らわんわんの希望の星。

飼い主の中の飼い主。

あの小ざっぱりとした性格からのわんこ愛。

連れ回されたい。

聖來さんのわんこになりたい。

平日は玄関で正座待機したい。
休日の公園を気の向くままにお散歩したい。

首を軽く引っ張られる衝撃で現実に回帰する。

「…聞いてますかぁ?」

マフラーの端を掴んだままジト目でこちらを見るまゆ。

「もちろんだ」

真面目くさった顔をして一言。
もちろん大嘘である。
というかマフラー掴まないで欲しい。

「…むぅ、ありすちゃんがマフラー掴んでた時は嬉しそうでした」

「構って欲しい盛りの妹が出来たみたいで嬉しかっただけだよ」

「…ありすちゃんと仕事してた時のこと覚えてますか?」

「ん、あぁ…」

まゆが見たと言っていた現場での話なんだろう。


あの時のありすは可愛かった。
マフラーの端を伸びきらない程度に引っ張ってちらちらとこちらを伺うのだ。
…伸びちゃってないですよね。とか自分で掴んでたマフラーを見て呟いた時なんてもう…。


「…待てますかってありすちゃん聞いてましたよねぇ?」

「言われたな」

うんうんと頷く。

「それでプロデューサーさん、なんて答えましたかぁ?」

「『待て』が出来てこその一流」

「やっぱりわんちゃんじゃないですかっ!」

まゆが声を荒らげて突っ込んだ。
珍しい光景だ。

「あの…意味分かって言ってます…?」

「え?仕事終わるまで待っててくださいってことだろ…?」

「……そうだったら良かったんですけどねぇ」

遠い目をするまゆ。
なんだか哀愁が漂っているように見える

「…まさか」

そうか、ありすは既に俺が何者なのか気づいていたのか…。

「…今更気付いたんですかぁ」

まゆはふぅ、と溜め息を吐く。

「まゆ」

真剣な表情でまゆと向き合う。

「はい?」

俺はきょとんとした顔のまゆに告げる。

「今日から俺のことを橘プロデューサーと呼ぶように」

「どうしてそうなるんですかっ!?」

「父さん、母さん、ごめんなさい。今日から俺は橘家のわんわんです」

俺は決意を込めた瞳と共に立ち上がる。

「ありすぅ!今会いに行くぞ!」

今の俺を阻むものは何もない。
終わりかけていた仕事を放り投げ、駆け出そうとする。

「…ストップ、です♪」

「ぎゅぇ…」

首が絞まる感覚と共に後ろに引っ張られ進行が阻まれる。
振り返るとマフラーの端を掴んだまま笑顔で威圧感を放つまゆが居た。

なんか段々俺の扱いが適当になってきている気がする。

「全体的に俺の扱いが雑になってきている気がするんだけど」

「…気のせいですよぉ?」

だったら目を逸らさないで欲しい。

「えーっとですねぇ…」

再び考えこむまゆ。

「よしっ♪」

どうやら何かを決めたらしい。
ニコニコした笑顔から一転、険しい顔つきになる。

「プロデューサーさん」

視界一杯にまゆが収まる。
背中にまゆの腕がゆっくりと回され、抱きしめられる。

「お、おいっ…」
突然のことに若干俺の声がうわずる。

「大丈夫です…大丈夫ですよぉ…」

スルスルと首に巻かれたマフラーがほどかれていく。
気づけば精神安定用のマフラーがまゆの両手一杯に収まっていた。

「ぽーいっ♪」

まゆはそのままマフラーを放り投げる。

「ボッシュートです♪」

可愛い。可愛いけど自分のプレゼントがその扱いでいいのだろうか。

マフラーという精神安定剤を失い呆然としている間にまゆが背中に回りこんでいた。
背中に軽い衝撃を受け、首に柔らかなまゆの腕が絡みつく。

「これで大丈夫ですよねぇ?」

何が大丈夫なのか分からない。
とりあえずズリ落ちそうになる手をプルプルさせたまゆの足を支える。
これ完全におんぶだ。

「さぁ、帰りましょう♪」

「…どこへ?」

「プロデューサーさんの帰る所こそまゆの帰る場所ですよぉ?」

完全に呪いの装備と化したまゆ。
おかしい。こんなハズじゃなかった。





「おはよう、ありす」

朝一番にありすが事務所に入ってくるのが見えた。
努めて笑顔で振る舞う。

「は、はぁ…おはようございます」

一瞬ギョっとした顔をしてからありすは頭を抱える。

「…というか朝から突っ込みどころ満載なんですけど…」

「…ソレ、何ですか?」

俺の後ろに居るであろうまゆを指さすありす。

「まゆはただのマフラーですよぉ?」

「ちょっとよく分からないです」

大丈夫だ、ありす、俺もよく分からない。
ありすはそのまま俺の後ろまで歩いてくる。

「…は・な・れ・て・く・だ・さ・い!」

首に回されていた手が離れていく。
ありすがまゆを引き剥がしたのだろう。

「というか本当になにやってるんですか!?」

「ちょ、ちょっとアレな人だなぁと思ってましたけどここまでだとは思いませんでしたよ!?」

ちょっとアレな人だと思われてたのか。
でもよく考えたら確かにちょっとアレかもしれない。
もっとよく考えたらかなりアレかもしれない。

「ありす、俺はもう昨日諦めた」

昨日まゆに投げ捨てられたマフラーがソファーに落ちていたので首に巻こうとする。

「ぽーいっ♪」

巻いている途中にまゆに放り投げられる。
昨日から何度も繰り返しているやりとりだ。
代わりに後ろからまゆの腕が再び首に絡みつく。

「~~♪」

まゆ、ご機嫌。
でも昨日から周りの刺すような視線が痛い。

そしてマフラーの代わりにまゆを首から引っさげて活動することになった。

常にまゆを背中にくっつけて、まゆが仕事をしている時のみしかマフラーを付ける機会が無くなった。
女の子を首にひっつけて活動するプロデューサーを見て誰しもが度肝をぬかれたことだろう。

そのインパクトたるや絶大なものがあった。


そして、今まで自分を『マフラーのプロデューサー』と呼んでいた人たちは皆口を揃えて別の名前で呼ぶようになった。






―――『マユラーのプロデューサー』と。



END

08:44│佐久間まゆ 
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