2013年11月07日

藍子「セルフタイマー」

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AA禄見に行ったらAAが増えてました。やったね

 通いなれた写真屋さん。
 そこで証明写真を撮ってもらうのは、なかなか緊張するものだった。

 そうして私のアイドル活動がスタートした。

 握手会やサイン会。
 バレンタインにチョコを配ったり、レッスンしたり……。
 
 アイドルをするって、これでいいのかな。
 考えていても、毎日は過ぎていった。


 それと、日を重ねるごとに同僚も増えていった。

 私が事務のちひろさんに、

「よくあんなにたくさん連れてこれますよね」と、訊いたら、

「なんでかしらね」

 よくわからないわ、とちひろさんは肩をすくめた。

「勧誘マニュアルとか、あるんですか?」続けて質問すると、

「ええ。あれ、私が考えたの」

 と、今度は得意げに鼻を鳴らした。

 まるでネズミ講の勧誘みたいでしたよ、とは言わなかった。
 そもそもそんなの受けたことなかったし、あったにせよ、言えるはずないよね。

 それにしても、プロデューサーさんは、いろんな子を連れてきていた。
  
 中でも、身長182cmの子は、私に大いなる衝撃を与えた。
 しかも話してみると存外に常識的だったので、衝撃は余計に大きくなった。

 他にも外国の人。
 着ぐるみにくるまれた九歳児。
 きのこに対してやたら執着を見せる子……。

 例を挙げだすとキリがないし、彼女たちのことを一口に説明するのはとても難しい。

 とにかくみんな元気でまとまりがなかったのだ。

 私と違って個性的な人たち。
 私は少しうらやましく思っていた。

 そんな中で、私はなぜかまとめ役みたいなポジションに収まってしまっていた。

 といっても、そこまで大したことをしてたわけじゃないけど。
 幸い、みんな話はちゃんと聞いてくれる子たちだったから、私みたいなのでもどうにかできた。

 ふらりと立ち去ろうとする子。
 隅っこでぼーっとしてる子。

 そういう子たちを引き戻して、レッスンをつつがなく終了させる。

 これが最近の私の役目だった。

 嫌になったらさっさとやめちゃおうかな。

 なんて考えていた私にとって、
この立ち位置はある意味で絶妙だった。

 でもやっぱり、そういうのはガラじゃないかな、とも思っていた。



 レッスンを終えると、みんなが散り散りに帰っていく。

 すでに着替えを終えた私は、菜帆ちゃんを待っていた。

 どうしたんだろ。
 着替えにしては長い。
 でも更衣室に入った時には、いなかったし。

 人影のない廊下。
 そこの硬いベンチに座っていると、菜帆ちゃんが入口の方からゆっくりと歩いてきた。

「お疲れさま」

 左手で紙袋を掲げて、菜帆ちゃんが言った。

「うん、お疲れ様っ!」

「みんなは?」

「もう帰っちゃったよ」

「じゃあ、待たせちゃったかしら」

「ううん。それより、どこ行ってたの?」

 訊ねると、菜帆ちゃんは紙袋をがさごそやって、

「買ってきたの」と、あんまんを取り出した。

「お一つどうぞ」

 間延びした声とあんまんが差し出される。
 勧められるがままに、私はそれを受け取った。
 
「いいの?」

 言いながら、あんまんに口をつける。

「だって藍子ちゃん、大変そうだもの」

 緩やかに微笑みながら、菜帆ちゃんも自分の分を取り出した。

「仕方ないよ」

「みんな元気だものねえ」

「うん。ほんとに」

 冗談めかして笑うと、菜帆ちゃんもゆったりと笑った。
 みんなもこの人くらい落ち着きがあればいいのに。

「で、どこ行くの?」

「和菓子屋さん」

「また?」

「新商品が出てたのよ」

 うっとりした目で菜帆ちゃんが言う。
 二人でお散歩していた時に見つけた和菓子屋さん。

 そこは、私たち二人の秘密の場所みたいになっていた。

「確かに美味しいけど……」

「美味しいけど?」

「店員さんに顔覚えられるの、恥ずかしいなって」

「いいじゃない」

 覚えられたら、おまけしてくれるかも。
 それに、顔を覚えてもらえるのって、いいことよ。
 たくさん食べられるしね。

 菜帆ちゃんは楽しげに、そう話した。

「でも、間食減らした方がいいってプロデューサーさんが」

「そうだったかしら」

「うん。私、ちゃんと聞いてたよ?」

 直接聞いたのが一回。

 聞いてくれなくて困ってるよ。
 そうプロデューサーさんが言っていたのを聞いたのが二回。

 だから、三回も聞いている。
 さすがに間違えるはずがない。

「藍子ちゃんがそう言うなら、そうよねえ」

 のんびりした調子で言うと、
菜帆ちゃんは袋からもう一つのあんまんを取り出して、
私の口に軽く押し付けた。

「それあげる。じゃ、行きましょうか」

 あの癖さえなければ、注意することもないのに。
 ため息をつくかわりに、あんまんをかみしめる。
 
 まあ、菜帆ちゃんのそういうところ、けっこううらやましいんだけどね。

 ゆっくり動く背中を、私もスローに追う。
 その間中、私の口の中はあんこで満たされていた。



「これ、おいしいわあ」

 お皿の上には、白く粉がかかった豆大福が、小高く積み上げられている。
 しかもまた、あんこだし。
 美味しいからいいけど。

「本当によく食べるよね」

「だって、おいしいんだもの。仕方ないでしょう?」

 菜穂ちゃんは悪戯っぽく笑って、二つ目に手を伸ばす。

「食べすぎちゃだめだよ?」

「はーい」

 一応の警告をして、私も豆大福をつかんだ。
 ハリがあって、ずっしりと重みがあった。

「でも、プロデューサーさんに怒られちゃうわねえ」

 いま思いついたような調子だった。
 それに万一そうなっても、大して困らないふうでもあった。

「プロデューサーさん、怒るの?」指先で、大福の表面を撫でながら訊ねる。

「ううん。というか、前ほど顔を見ないから」

「忙しそうだもんね」

 プロデュースしてるアイドルは、私たち二人だけじゃない。
 こうなるのも、仕方ないことなんだろう。

「いてくれたら、色々わかりやすいんだけど」

「どういうこと?」

「仕事やレッスンの出来が顔に出るじゃない、あの人」

 狭い和菓子屋さんの中で、声を潜めて笑う。
 
 レッスンや仕事終わり。
 そのたいていの場合、“あの人”はにこやかに出迎えてくれる。

 その笑顔の度合いがバロメーターになるのだ。

「でも、ちょっとひどいわよね」

 それ、三つ目。
 私が言葉にする前に、菜帆ちゃんが弾むように言う。

「藍子ちゃんに、みんなの面倒見させてるんだから」

「わかってるなら手伝ってよお」

「これ食べてから、ね」

「だめ、今から」

 そう告げて、お皿を手繰り寄せる。

 菜帆ちゃんの、そんなあ、という悲鳴を無視して、
残った豆大福のうちの一つを口にした。

 下から見上げた菜帆ちゃんは、珍しく困り顔を見せている。
 その顔を見ながら、舌と上あごの間で粒あんの粒を一つ潰した。

「そういえば藍子ちゃん、明日はレッスン?」

 黙ってうなずく。

「プロデューサーさんが、お迎え来てくれるんでしょ?」

 口の中をいっぱいにしたのは失敗だった。
 思いながら、もう一度うなずく。

「少しくらい文句言ったらいいんじゃない?」

 そんなこと、言わない。
 それすらできなくなったら、どうしていいかわからないし。

 何か言おうと、少し身を起こす。

 すると、菜帆ちゃんの腕がさっと伸びて来た。

 おっとりとした口調とは裏腹な、機敏な動きだった。
 腕の中に収められていたお皿の中から、大福が一つ減っている。

「藍子ちゃんなら、何か言ってもばちは当たらないわよ」

 ほんとに、仕方のない子だ。

 菜帆ちゃんも、そしてたぶん、私も。



「事務所というより学校。
 いや、学校っていうより動物園だよな」

「それ聞かれたら、怒られますよ?」

「知ってる」

 プロデューサーさんが私のほうを見て笑う。

 レッスン帰りの車中。

 もう三月なのに、みぞれ交じりの雪が落ちてきて、ぽたぽた車体を叩いていた。

 信号が青に変わる。

「まあ、藍子だし」

 いいかな、と続けて、プロデューサーさんがハンドルを切る。
 後ろ髪とヘッドレストがこすれる音を聞きながら、カーブに任せてからだを傾ける。

 そうでもしないとエアコンの温風がかかって、余計に顔が熱くなりそうだった。

 そういえば、私のこと、しっかり呼んでくれるようになったな。

 頭の中で小さくつぶやいた。

 あのぎこちない感じも、悪くなかったんだけど。
 ふとプロデューサーさんの横顔をちらりと見ながら、そんなことを思った。

「ねえ」

「うん?」

「写真撮ってあげましょうか?」

「今?」

「だって逃げられないでしょ?」

「それ、ずるいよね」とプロデューサーさんが声を弾ませた。

 えー、と笑いながら非難の声を上げる。
 私が助手席に座った時に、よくやるこのやり取り。
 決まりきったこの応酬が私は好きだった。

 もちろん写真も、撮りたかったけど。

 この数か月でわかったことは、
プロデューサーさんは、
写真に入るのが本当に苦手だということだった。

 その証拠に、
私が持っているプロデューサーさんの写真は、
あの背中だけ写った一枚きり。
 
 撮ろうとすると、必ずファインダーの外に逃げてしまう。
 せっかく笑うと素敵なのに。

「にしてもさ」

 さっきの話を掻き消すように、プロデューサーさんが言う。

「まとめ役とか慣れてるよね」

「そうですかね?」

「だってあいつら、俺の言うことなんて全然言うこと聞かないし」

 誰もいなくなった後部座席。
 バックミラーを通して、そこを見る顔はどこか不満げだった。

「慣れてなんか、ないです」

「そう?」

「ああいうの、あんまりしたことないですし」

 へえ、そうなのか。
 意外そうに、プロデューサーさんは言った。

「じゃあ、器用なんだな」

「器用?」

 思いがけず、ついおうむ返しに返事をしてしまう。
 何が器用なんだろう。
 私には、よくわからなかった。

「まあ、助かるよ」考える私に構わず、プロデューサーさんが言う。

「でも私、それくらいしかできないんです」

「そうかな」

「そうですよ。みんな、個性的だし、何かしら特技があるし」

「そりゃ、そういうの集めたわけだし」

 私が『そういうの』に含まれてると考える。
 それはそれで、なんだか複雑だった。


「でも私、普通じゃないですか?」

 プロデューサーさんは、うーん、と低くうなって、

「少なくとも奇特ではないね」と答えた。

「他の子たちと比べたら、まあ」

 私も軽く吹き出しながら返事をする。

「他の子、ねえ」

 ぼおっとしたようにつぶやいて、

「確かに個性のデパートみたいなもんだよな」と、プロデューサーさんは、ふわりと言った。

「まあ、そうですよね」

「うん、そうだね」


 だけど、私は違います。

 のど元まで来た言葉は、声にならない。
 その代わり、胸の奥にずしんとのしかかった。

 窓に付いた水滴は、窓ガラスを斜めに流れる。

 流れていきながら、
止まっては揺れて、
揺れてはまた流れて、そのまま消える。

 ぼんやりしたカーラジオも、流れて消えていく。

 やっぱりさ。

 と先に切り出したのは、プロデューサーさんだった。

「比べたりする?」

「……はい」

「そっか」

「はい」

 私が二回うなずくと、また会話が途切れる。

 何か言わなきゃ。
 考えているうちに、ゆっくり車が停まった。

 見渡すと家の近くまで来ている。
 にもかかわらず、プロデューサーさんは腕組みして黙ったままだった。

 あの、と今度は私が先に切り出す。

「着きましたよ」

 けど、プロデューサーさんはその体勢を崩さない。

 出ていいのかな。
 それとも待った方がいいのかな。

 しばらく逡巡していたら、突然、ああ、とプロデューサーさんはため息を漏らした。

「どうしたんですか?」

「いや、思いつかないなあって」

「思いつかない?」

 意味が分からずに聞き返すと、
いや、まあ、うん、
とかたどたどしい言葉を発するだけだった。

 何がだろう?

 小首をかしげる。
 そんな私をじっと見て、プロデューサーさんは、

「まあ、いっか」と開き直った様子で言った。

「こんなもんだよな」

「こんなもん、ですか」

「うん、思いつけたら敏腕プロデューサーになれる」

「ビンワン?」

「うん。
 そもそも敏腕なら、車で送り迎えなんてしてないね」

 プロデューサーさんがおかしそうに笑った。

「そうかもしれないですね」よくわからなかったけど、つられて私も笑った。

 敏腕なら、タクシーで帰らせてやるくらいの金はあるんだろうな。

 どうでもよさそうにつぶやいて、

「じゃ、今日のところはそんな感じで」と締めくくった。

 なので私も小さくお礼を言って、車を出ることにした。

 どーいたしまして。
 なんて声が背中越しにする。
 それを聞きながら、私はドアを閉めた。

 どんどん遠のく車を見つめる。
 そこでようやく私は、プロデューサーさんの『思いつかない』の内容を思いついた。

 それで、まあ、いっかなと思ってしまった。
 こんなもんなんだ。きっと。

 車はいつしか見えなくなる。

 私は、ぼおっとそれを眺め続けていた。

 不意にみぞれが顔を叩く。

 私は慌てて折り畳み傘を取り出した。

 春雨だったら、もうちょっと風情があるのに。
 頬についたみぞれを拭いながら思った。

 にしても、また、その気にさせられちゃった。

 声にして、小さくつぶやく。

 これで二度目だ。

 一度目はアイドルをする気に。
 二度目はアイドルを続ける気に。

 まあ、今のところ楽しいから、いっか。

 言い聞かせるようにして、今度は口の中でつぶやいた。

 みぞれは、ぽたぽた傘を叩く。
 そのリズムを聞きながら、私は家のほうに向かって歩き出す。

 ねえ、プロデューサーさん。

 まあいっか、で済ませるのは、
ちょっとどうかと思いますよ?

 これでも一応、悩んでたんですから。

 怖かったんです、私。

 今はいいけど、みんないつかもっと忙しくなって。
 一人一人、遠くへ行っちゃって。
 そんな未来、決まってるはずないのに、わからなくて怖かったんです。

 ビンワンじゃなくても、いいんです。
 送ってもらえないのは寂しいですから。

 タクシーだなんて、味気ないから。

 けど、もうちょっと頑張ってください。

 まあいっか、とか。
 そんなもんか、とか。

 あんまりですよ。

 『君はトクベツです』
 せめてそれくらい言った方がいいかもしれません。

 今度同じような事したら、写真撮っちゃいますからね。
 まあ、ほんとは、そんなことしなくても、撮りたいんです。

 あなたの写真が欲しいの。
 撮らせてくれないのは、はっきり言って不満です。

 いつか必ず、撮らせてください。

 でもね、プロデューサーさん。

 あなたの写真は、まだないけれど。

 私は今日も笑顔です。

 車はどこら辺まで行ったのかな。

 思いながら、遠くのプロデューサーさんに向かって、私は語りかけた。

 家までの道のりを、
ゆっくりと歩きながら、
とりとめなく、何度も何度も、語りかけた。
以上です
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3827374.jpg
海老原菜帆(17)

次はまあ近いうちに

 プロデューサーさんの様子が、おかしい。
 挙動が不審だとかそういうわけではなく、おかしい。

 何気なしに周りの子に聞いてみても、「いつも通りじゃない?」と答えられてしまう。

 でも、違う。

 本人に直接訊いてみようとも思った、
 でも、もし気を悪くされたらと考えると、なかなか踏みだせなかった。

 私がそんな違和感を覚えたのは、先週の本屋さんでのサイン会でのことだ。

 サイン会、と言うと、腕が疲れるくらいなんじゃないかな。
 アイドルを始めてすぐのころは、そう思っていた。

 でも、実際はなかなかに難しいものだった。

 ファンの人が行儀よく並んでくれるか、とか。
 話しかけられたときに、うまく答えられるか、とか。
 少し怖そうな人を目の前にしてうまく笑えるか、とか。

 しかも、ときどき泣きそうになるし。

 だって、あんな短い時間のために、
私なんか見るために、
わざわざ遠く来てくれる人までいるのだから。

 とにかくファンの方を身近に感じられる。
 だから、私はサイン会をするのが割と好きだった。

 けれど、いいことばかりでもなかった。
 私や、私たちに興味のない人もやってくる。

 そういう人たちはサインを書くと、とくにお礼も言わず、逃げるようにして帰るのだ。

 書店の店員さんいわく、

「どうせネトオクとかに流すのよ、ああいう人は」ということらしい。

 その苦々しげな顔が、妙に印象に残っている。

 それを知っていても、私は少し落ち込んだ。

 私なんかのサインを欲しい人なんているのかな。
 ちょっとくらいはそう思っていたけれど、やはりへこんでしまった。

 そんなサイン会を何度か経験した。
 でも、先週のサイン会は飛び切りに出来がよかったのだ。
 
 ファンの方のマナーもよかった。
 一人一人と、しっかり喋れた。
 それに、うまく笑えた。
 泣くのも、たぶんこらえられたように思う。

 あと、みんな私たちに興味を持っている人(そう見えただけかもしれないけど)だったのが何よりうれしかった。

 私が思うに、これまでで一番のサイン会だった。

 最後の挨拶を終わらせると、私は喜び勇んで控室に戻り、プロデューサーさんを待った。
 きっと、笑って褒めてくれる。

 私はそう思っていた。

「お疲れ様」

 ドアが開いて、プロデューサーさんが手をあげる。

「お疲れ様です。ねえ、今日の私、どうでした?」

 んー、と右手を顎に添え、少し考え込むようにした後、

「今までで一番だったと思う」

 と、しっかり言って、プロデューサーさんが笑った。
 でも、その笑顔がいつもと違って、少しかげって見えた。

 その後、具合悪いんですか、と訊いた。

 プロデューサーさんは、ちょっと目を丸くして、
もし具合が悪かったらちゃんと休んでるよ、と笑った。

 さっきと同じ、笑い方だった。
 私はそれ以上、何も訊けなかった。



「お仕事ついて行ってもらったの、ちょっと久しぶりだったわ」

 菜帆ちゃんが、そういえば、と切り出して、突然こんなことをつぶやいた。
 秋の初めの月曜日。

 偶然、事務所で居合わせたので、
私たちは一緒に帰りながら、次のお散歩はどこに行こうか、なんて話をしていた。

「プロデューサーさん、どこか変じゃなかった?」思わず訊ねる。

「変って?」

「こう、違和感と言うか……」

「違和感、ねえ」

 言ったきり、菜帆ちゃんは少し黙ってしまった。

 もしかして、何か思い出そうとしてるのかな。
 初めて同意を得られそうな気がして、耐え切れずに催促してしまう。

「なにか、ない?」

 すると菜帆ちゃんは、ああ、と手を打って

「あれ、かも」とぼんやり言った。

「あれって?」

「内緒なのよそれが」

「なんで?」

「プロデューサーさんに、口止めされてるの」

「そんなあ」

 ずいぶんと落胆した声になった。
 それを聞いて、菜帆ちゃんは申し訳なさそうに、

「まあ、大したことじゃないわ」と笑った。

 隠し事は誰でも持っているものだとは思う。
 だけど、実際されてみると、少し穏やかではいられない。

「何とか教えてもらえない?」

「出来れば教えてあげたいんだけど……。
 もしバラしたら、私に食事制限と適度な運動を課してやる、って言われちゃって」

 菜帆ちゃんの目は、かなり真剣みを帯びていた。

 プロデューサーさんが菜帆ちゃんに課す“適度な運動”。
 それは、菜帆ちゃんにとって、全然“適度”ではないらしく、菜帆ちゃんはそれを恐れていた。

 さすがはプロデューサーさん。
 用でもないところばかり、用意周到。
 
「なら、しょうがない、かな」

 私は菜帆ちゃんの身に起こるかもしれない災いと、私の悩みを天秤にかけて、結局菜帆ちゃんをとった。

 菜帆ちゃんは安心したように、
「よかったあ」といつもの間延びした声で息を吐いた。

 そうそう、とまた手を打って、菜帆ちゃんが喋りだす。

「そんなことより、夏祭りに行かない?」

 そんなことより、で済まされることなんだから、些細なことなのかも。
 少し安心しながら、返事をする。

「夏祭り?」

「うん。あんまり規模は大きくないけど」

「その方がいいよ。人が多いと、疲れちゃうもん」

「そうよねえ」

「いつ?」

「今週の金曜。空いてる?」

「うん」

「決まりね。楽しみだわ」

 金曜。
 確かお仕事も早めに終わる。
 だけどその日は、プロデューサーさんがついてくれる日だった。

「縁日って言えば綿菓子よねえ」

 あの、うっとりした眼だった。
 こうしてる時、菜帆ちゃんは大体食べ物のことを考えている。

「食べすぎちゃ、ダメだよ?」

「大丈夫、大丈夫」

 繰り返して、菜帆ちゃんはブイサインを作る。
 だけど、『大丈夫』という言葉ほど信用できないものはない。

 しっかり見張っておかなくちゃ。

「本当に、大したことじゃないから」

 別れ際、念を押すように笑って、菜帆ちゃんが手を振った。
 そう言われると、余計に気になると思いつつ、私も笑って振り返した。

 きっと、ぎこちない笑顔だったに違いない。



 その次の日は、雑誌のインタビューがある日だった。
 写真集を出して、それに関する取材。
 もちろん、撮られる側で、だけど。

 それも私だけじゃなく、他の子たちも一緒に写ったもの。

 今日はその取材だった。
 一人でインタビューされるより気楽だし、私は安心していた。

 指定されたオフィスの受付で名前を告げると、中に通された。
 部屋に入れば、見知った顔がいて、きっと安心できる。

 そう思って中に入ると、意外な人物が待っていた。

 白い部屋。
 まるい机の真ん中にはお菓子がたくさん。

 そして、今日いるはずのないプロデューサーさんがいたのだ。

「火曜日ですよ?」

「金曜に休みとらせてもらったんだ」

 だから、その埋め合わせ。
 ぎこちなく、プロデューサーさんは笑って言った。

 金曜に何があるの?
 一人の女の子が、勢いよく訊く。

 私用だよ、私用。
 プロデューサーさんが答える。

 私用って何さー。
 髪を揺らして、別の子が口をとがらせる。

 私もそれに加勢したかった。
 でも、なんでか出来なかった。

 そうしているうちに、
インタビュアーさんたちが部屋の中に入ってきて、インタビューが始まった。

 インタビューは、
だいたい他の子たちが喋りとおしていた。

 私は無口な方ではないけど、
饒舌と言えるほど、たくさんおしゃべりする方ではないので、
どちらかというと、ありがたかった。

 ざっくり話すみんなの話に、
補足を入れながらインタビューは進んでいく。

 なんとなく、辺りを見回すと、
視界の端にプロデューサーさんがいた。

 少ししゃべりすぎ。
 とでも言いたげに苦笑を浮かべている。

 やっぱり、なんか違う。

 私の戸惑いをよそにインタビューは続く。

 意気込みは、とか。
 あの場所での撮影はどうだったの、とか。
 抱負は、とか。

 そんな質問にそつなく答えて、
インタビューはあっさり終了した。

 戸惑っていても、
意外となんとかできるものなんだな。

 私は私自身に感心してしまっていた。



 そして、金曜日が来た。
 プロデューサーさんのいない現場。

 いなくたって別にいいもん。
 なんて思って、映画の撮影をこなした。

 そしたら、なんか今日は良かったよ、とか。
 ああいうのもできるんだね、とか。

 顔見知りのスタッフさんたちは口々にそう言った。

 なので私は複雑な気分で、現場を後にすることになってしまった。

「藍子ちゃんは浴衣じゃないのねえ」

「直接来たからね」

 浴衣を身にまとった菜帆ちゃんは、真剣に残念そうな顔をしていた。

「見たかったのに」

「そんなに残念?」

「だって、絶対かわいいもの」

「そんなことないよお」

「ある。なんなら今すぐ買いに走ってもいいくらい」

 こちらが驚くくらいきっぱりとした口調だったので、
私は愛想笑いを浮かべるだけにとどめておいた。

 じっとりとした風が、頬を執拗に撫でていく。

 それを感じながら、私は黙々と歩く。

 かつん、かつん。
 下駄の音を立てながら、菜帆ちゃんも歩く。

 一般に秋と言われる月になったけれど、まだまだ夏だった。

 しばらくすると、かつん、かつんの間にふう、ふうと息の漏れる音が混ざり始めた。

「大丈夫?」

「下駄ってやっぱりなれないわ」

 袖で汗を拭いながら、菜帆ちゃんがこぼす。

「私、やっぱり浴衣じゃなくてよかったよ」

「そうねえ」

 思ってたより、距離あるし。

 嘆きながらも、下駄はゆっくりと音をたて続ける。

 一歩一歩、その足取りを見ながら。
 私も歩調を合わせて、ゆっくりと歩いた。

「あ」

 不意に菜帆ちゃんが声を上げる。
 かすかながらも、祭り囃子が漂ってきていた。

 コンクリートを打つ音の感覚が狭まっていく。
 真横からしていた音が、少しずつ前の方から聞こえるようになる。

「プロデューサーさあん」

 今度は私が、「え」と声を上げる番だった。

 思わず顔をあげる。
 目に入ってきたのはプロデューサーさんと歯医者さんの看板だった。



「ここんとこ、歯が痛くてね」

「甘いものばっか食べてるからですよ」

「私がお菓子あげようとしたら、断るんですもの。つい問い詰めちゃった」

 決まり悪そうなプロデューサーさん。
 不機嫌に見えるであろう私。
 何てこと無さそうに微笑む菜帆ちゃん。

 三人が口々に言葉を並べた。

「教えてくれたってよかったじゃないですか」

「ほんとです。私、喋りたくてしょうがなかったんですよお」

「たかが虫歯で休むだなんて、言えないだろう」

「たかが虫歯、されど虫歯、です」

 菜帆ちゃんが毅然とした口調で言い放つ。

 まったくその通り。
 反省するよ。

 月並みな反省を並べ立てて、
プロデューサーさんは、やっぱりぎこちなく笑った。

 あと何回ですか。
 菜帆ちゃんが訊ねる。

 二回だか四回だか。
 プロデューサーさんはいい加減に答える。

 なんですか、それ。
 菜帆ちゃんが笑う。

 二人が並んで歩いている。
 私はその後ろを、黙ったまま歩いた。

 それくらいなら教えてくれたって、よかったのに。

 道沿いに、ぽつぽつと屋台が現れ始めた。

 湯気があちこちでふわりと浮かんでいる。
 ソース焼きそばのにおいが、強くしていた。

「ソースのにおいって、暴力的よね」

 物騒な言葉が菜帆ちゃんの口から出てくる。

「焼きそばにするの?」

「ううん。まずは綿菓子じゃない?」

 なんで最初は綿菓子なの?
 そう訊こうとしたのに、菜帆ちゃんは既に屋台に並びに行ってしまっていた。

「食べ物がかかわると速いね、あいつ」

 おかしそうに、プロデューサーさんが声を弾ませた。

「そうですね」

「地元の商店街とかが、主催してるのかな」

「そうですね」

 早足で歩きながら、辺りを見渡した。

 子供たちが群がっている、おもちゃを売っているお店。
 チョコバナナのお店。
 たこ焼きのお店。

 いろいろなお店の前に、それぞれ人が並んでいた。

 がやがやとしたざわめきの中で、
からんからん、という澄んだベルの音が遠くで聞こえる。

 二等。

 よく通る叫び声が響き渡って、
お客さんたちの歓声が上がる。

 二等ですって。
 すごいですね。

 言おうとして、振り返る。
 けど、プロデューサーさんもいなかった。

 人ごみの中で、一人取り残された気分になる。

 いつの間に。
 なんて身勝手なの。

「藍子」

 文句を思い浮かべていると、名前がすっと耳に入ってきた。

 声のする方に振り返ろうとすると、
顔が胸に当たりそうになったので、思わず後ずさる。

「座れるところ、行こうか」

 それだけ言って、プロデューサーさんは歩き出す。
 私も慌てて、その隣に並ぶ。

「菜帆ちゃんには?」

「ちゃんと言ってきたよ」

「どこ行ってたんですか?」

「ラムネ、買ってきた」

 あげるよ。
 プロデューサーさんが誇らしげにラムネの瓶を差し出す。

 ありがとうございます。
 素っ気なくお礼を言う。

 どういたしまして。
 時折、歩調を緩めながら、プロデューサーさんは答えた。

 向こう側から来る人々とすれ違う。

 私たちはそれをかわしてゆく。

 プロデューサーさんの腕が、
私の頬をかすめたり、
道の向こう側へと遠のいたりする。

 しばらくすると、私たちは適度な距離に戻る。

 そうして少しの間歩いていると、

「こっちだ」とプロデューサーさんが公園を指差した。

 言われるがまま、そこに入る。

 表の道ほどではないにせよ、中は人でいっぱいだった。

「あのベンチ、空いてる」

 指が示した先のベンチに並んで、私はラムネのビー玉を、瓶の中へと押し入れた。

「美味しそうだね」

「あげませんよ?」

「まあ、もらっても困るし」

「虫歯ですもんね」

「その通り」

 麻酔が効いているのか、頬をしきりに気にしながら、プロデューサーさんは言った。

 ラムネを、くいと飲んだ。
 口の中で、炭酸がぷちぷちとはじける。

 ひんやりとした感触が、喉の奥へ下りていく。

「いいなあ」

 うらやましそうな声が横から聞こえる。

「自業自得です」一息ついて、私は言い放った。

「なんか今日は厳しいね」肩をすくめて、プロデューサーさんが居心地悪そうにする。

「そんなこと、ない」

「そう?」

「うん。いつも通り、です」

 子供が、私たちの目の前を通り過ぎた。

 すみません。
 お母さんらしき人が申し訳なさそうに謝る。

 なんともないから、大丈夫です。
 そういう風に、プロデューサーさんが横に手を振った。

 なんともないなら、それでいいのに。
 良かったとだけ、思えればいいのに。

「思い通りには、いきませんね」

 思っていた言葉が口をついてしまう。

 けど、プロデューサーさんは聞こえていないのか、
ただただぼんやり、公園の中の風景を眺めていた。

「プロデューサーさん。今週の私、どうでしたか?」

 念のため、訊ねてみる。

「どうって?」

「どこでもです」

「仕事の方なら、よく出来てたと思うけど」

 そういうことじゃなくて。
 喉元まで来た言葉を、おしこめる。

 そんなこと、これ以上言えるわけなかった。
 事を荒立てたり、人を困らせたりすることは、私が一番苦手なことだったし。

「藍子は、見ててひやひやしないから、助かる」

 不安がってるの、気づかなかったくせに。
 心の中で悪態をつく。
 それを知らずに、プロデューサーさんは続ける。

「だから、目を背けずに、ちゃんと覚えていられるしね」

「覚えてたんですか」

「まあね」

 藍子のこと、覚えてるって約束は忘れないよ。
 得意げにプロデューサーさんは鼻を鳴らした。

「じゃあ、もう一つ約束してください」

「なにを」

「虫歯になったら、ちゃんと教えてください」

 なにそれ。
 お母さんみたい。

 プロデューサーさんは笑った。

 絶対ですよ。
 たぶん真顔で、私は言った。

「仕方ないなあ、もう」笑いながら、プロデューサーさんはしぶしぶ了承した。

「どっちがですか」思わず口にする。

「どっちもだよたぶん」

「一緒にしないでください」

「やっぱり厳しくない?」

「いつも通りです」

 他愛のないやりとりだった。
 いつも通りの、やり取りだった。

 私はもう一度ラムネを口に付けて、そっと脇に置いた。

 これで、よかったんだ。

 もうちょっとして、
プロデューサーさんの虫歯が治れば元通り。

 頭の中でつぶやくと、
菜帆ちゃんが軽やかな足取りでやってきた。

「おまけをもらったの」

 菜帆ちゃんは綿菓子を三つも抱えながら、足取り同様、軽やかに声を弾ませる。

「俺食べられないんだけど」

 非難がましく、プロデューサーさんが指摘する。

「知ってますよお。はい、どうぞ」

 無理矢理に、菜帆ちゃんが綿菓子を差し出す。

「ただの嫌がらせです」

 あと、これも持っててください。
 今度は焼きそば買ってきます。
 食べないでくださいね。

 言い残して、菜帆ちゃんはまた人ごみの中へと消えていった。

 私の片手の中に綿菓子が一つ。
 プロデューサーさんの両手の中に綿菓子が二つ。

「これ、どうすればいいかな」

 弱弱しく、プロデューサーさんが訊いてくる。

「自業自得です」

 笑いながら、さっきと同じことを言って、私は綿菓子を口に含んだ。
 恨めしげな視線を無視しながら、じっくり味わって食べた。

「早く治さないとなあ」

 困ったように、プロデューサーさんが私に笑いかける。
 いつもより困ったような笑い方だった。

「早く治してくださいね」

 そしたらまた、元気にお仕事しましょう。
 心の中で、しっかりとなえる。

「たくさん買ってこられたら、どうしよう」

 プロデューサーさんが誰と無しに口にする。 

 綿菓子一つでも、お腹いっぱいになるなあ。
 食べながら、そんなことを思う。

 瓶の中で、ビー玉がゆらゆら浮かんでいる。

 私はそれを見つめながら、
菜帆ちゃんがどんな食べ物を、どれだけ買ってくるか。

 期待半分、不安半分で待っていた。
なんか重いので今日はここまで
二、三日以内にはもう一つ投下できると思います

 雲を、見下げていた。

 ポン、という音の後、機内放送が、これから着陸しようとしていることを告げる。

 その間中ずっと、プロデューサーさんはベルトを握りしめていた。

 思い返すとプロデューサーさんは、ほとんどの時間そうしている。

「まあ、落ちないですよ」カメラマンさんが言う。

 でも、プロデューサーさんはベルトを握りしめたまま。

 高度が下がったからか、耳に膜が張った感じになる。

 隣のプロデューサーさんを見ると、ベルトを握る手に力が入っている。

 大丈夫ですよ。

 そう言っても、
プロデューサーさんは力なく笑うだけで、
ベルトから手を放そうとはしなかった。

 撮影で、南の島に行くことになった。
 写真集が好評だったみたいで、その第二弾という位置づけらしい。

 ようやく夏が終わって、秋らしくなってきた頃。

 事務所の椅子に座ってぼおっとしていると、
プロデューサーさんが隣に腰かけて、そう教えてくれた。

「あと、事務所のライブも決まったよ」

 大したことじゃないみたいに、つけたして。

「ビンワンですね」

 プロデューサーさんの方に向き直って、感心したような声を上げる。

「そう?」

「ライブも写真集のお仕事も取ってくるなんて」

 敏腕ならよかったんだけど。
 プロデューサーさんは、航空券のチケットを睨みながら、

「まあ、ほとんど何もしてないんだけどね」と続けた。

「じゃあ、なんでですかね」

「藍子の仕事ぶりが評価された、とか?」

「『とか?』は、いりませんよお」

「そんなこともあるさ」

 それよりさ。
 言うと、プロデューサーさんは私の両肩に両手を置いた。

 その手に、力が入る。

 キャスターがからから音を立てる。
 二つの椅子の距離が、微妙に近くなる。

 それよりさ。
 もう一度、繰り返される。

 私は無言でうなずいた。

 何かな。

 やたらと真面目くさった顔で、プロデューサーさんは私をじっと見つめていた。 
 目を背ける訳にもいかず、じっと見つめ返す。

「なんですか」

 たまらずに口を開くと、
思ってた以上に揺らいでいて、不安定な声が出た。

「あのさ」

 また、だまって首を縦に振る。

 プロデューサーさんは、
本当に深刻そうな顔をして、私に訊いた。

「飛行機以外の方法で、どうにかならないのかな」

 まあ、結果的に飛行機に乗ってここまできたのだけど。

「チェックインが終わったら、海を見に行きましょう!」

 初めて来る土地。
 きれいな空、海。
 こんなに素敵なことってない。

 私はカメラ片手にはしゃぎ続けていた。

 撮影は明日から。
 晩御飯は各自。
 明日の夜は撮影一日目の打ち上げもかねて、バーベキュー。

 プロデューサーさんからではなく、カメラマンさんから聞いたことだ。

 短い間だけど、仲よくしなくちゃ。
 ですよね、プロデューサーさん?

 言っても、プロデューサーさんは曖昧な返事をするだけ。

 今なら写真が撮れるかも!

 食堂で晩御飯をとっている時にそう思ったけれど、
プロデューサーさんの顔色があまりにも悪かったので、さすがにやめておいた。

 ぼろぼろのプロデューサーさんと別れ、部屋に入る。
 荷物を開いたり、ベッドに寝そべったり、テレビをつけてみたりする。

 これから、何しよう。
 カメラ片手に、窓辺の向こうの砂浜を見下ろしながら考える。

 観光シーズンが終わったからか、それとも夜だからか、さすがに人も少ない。

 ただ、さざ波の音だけが静かになっていた。

 それでもやっぱり、つまんない

 声に出さず、つぶやく。

 今回の撮影は私一人。
 他の子や他の子たちとの撮影は、また別の日に、ということらしい。

「せめて、プロデューサーさんが元気だったらいいのに」

 今度は口にする。

 ほんと、ひどい人。
 ちょっとくらい付き合ってくれてもいいのに。

 続けてつぶやくと、無性に腹が立ってきた。

 もう、無理矢理連れ出しちゃおうかな。

 そんなこと、出来ないに決まってるのに。

 いいもん。
 寝ちゃうんだから。

 ひとしきりシャッターを押しまくって、私はベッドの中に潜り込んだ。



 絶好の撮影日和だった。
 水平線をじっと見ていると、何か見えてくるような、ないような。

 しばらく目を凝らしていたけれど、よくわからない。
 これだけ晴れているのに、不思議だと思った。

 じゃあ、さくっと撮っちゃいましょ。
 カメラマンさんは、がたがた機材を並べたてながら、スタッフさんたちに話していた。

「なんかおあつらえ向き、って感じだね」

 調子を取りもどしたプロデューサーさんが言う。

「おあつらえ向き、ですか」口の中がこんがらがって、あやふやな響きになった。

 白のワンピース。
 麦藁帽。
 確かにおあつらえ向きだ。

 芸能生活の短い私にでさえ、わかる。

「ありふれてますよね」

「そうだね」

「もしかして、こういうの見飽きちゃってたりします?」

 ふざけたような、軽い調子で訊いてみる。

「いや、むしろ好き」

 手をかざし、青空を睨みながら、プロデューサーさんは淀みなく言った。

 準備できました!
 いけますかー?

 立派そうなカメラを手にしたカメラマンさんが叫ぶ。

 はい!
 オッケーです!

 叫び返しながら、私はカメラの前に立った。

 からっと晴れているのに、風がしっとりとしていた。
 潮のにおいがする。

 じゃあ、走ってみて。
 いいですね。
 ちょっと怒ってみようか。
 今度はそこで笑って。

 視界の端では、プロデューサーさんが神妙な顔で私を見ている。

 サンダルで、白い砂に足跡をつけていく。
 それが波で掻き消されていくのを見て、なんとなく満ち足りた気持ちになる。

 シャッターを切る音が、さざ波を縫って、消える。

 プロデューサーさん、やたら真面目な顔してるな。
 まあ、終わったら笑ってくれるよね、とか思いながら。

 あのカメラはさすがに持ち歩けないな、なんてことを考えながら。

 私はカメラマンさんに言われるがまま、撮られるがままになった。



 お昼休みを挟んで、昼、夕方、夜。

 めまぐるしく歩き回ったり、走り回ったり、時には寝転んだりなんかもして、なんとか撮影を終えた。

 あと二泊。帰りも考えると、実質あと一泊。
 つまり、撮影はあと一日だ。

 もっともカメラマンさんは、
今日の分で十分だから、
明日は予備みたいなものになった、と教えてくれたのだけど。

 着替えを終えて指定された場所に着くと、
開始前なのに、スタッフさんたちはすでに盛り上がっていた。

 お肉の焼ける煙がもくもくと立ち込めている。

 どこが輪の真ん中なんだろ。
 少人数なのに、なんとなしに散らばっちゃっていて、わからない。
 仕方ないので、手当たり次第挨拶をする。

 お疲れ様でした。
 明日も、お願いします。

 若い男の人、女の人。
 さっき見た人たちとは別人みたい。

 やがて私は、カメラマンさんや、他のスタッフさんの輪の中に入った。
 気が付いたら、そんな風になっていたのだ。

 お酒が入るといつもこうなんですよ。

 女性のスタッフさんが言うとおり、
カメラマンさんはよくわからない話を喋りとおしていた。

 プロデューサーさんはというと、
いつの間にか網の向こう側で、
他のスタッフさんたちと楽しそうにお肉を食べている。

 少し抜け出そうともしたけれど、そういう空気ではない。

 とうとう私は愛想笑いと相槌を浮かべるのに終始してしまった。

 これもお仕事。
 こんな日も、ある。




 最終的に、私はスタイリストさんに救出され、事なきを得た。

 ごめんなさいね。
 あとで言い聞かせておきますから。

 いえ、楽しかったです。
 こちらこそ、わざわざ送ってもらっちゃってすいません。

 お互いに、謝りあいながらホテルのエレベーターに乗った。

「そういえば、プロデューサーさんは」

 エレベーターのランプを見上げながら、訊ねる。

「たぶん、どこかに連れられて行ったんじゃないでしょうか」

 きっと無理やりでしょうね。
 スタイリストさんが遠慮がちな笑みを浮かべる。

 エレベーターが開く。

 それじゃ、おやすみなさい。
 明日もお願いしますね。
 
 そう言い残して、スタイリストさんは外へと出て行った。

 部屋に戻ると、
どっと疲れが押し寄せてきた。

 スカウトされてから一年弱。
 レッスンで体力をつけてきたつもりだったけど、
まだまだなのかもしれない。

 暑さにやられたのか、
頭の中も、なんだかもやがかかったみたいになっている。

「疲れたあ」

 言葉にすると、余計に疲れが増す様な気になる。

 それなのに私は、
寝る準備をしながら、“疲れた”を連呼した。


 さっとシャワーを浴び、ドライヤーをあてる。

 湿り気を帯びた髪を指の間に挟む。
 本当は髪も乾かさないまま、寝ちゃいたいくらいだった。

 けど、明日も撮影はある。
 ぼさぼさの頭で出ていくわけにもいかない。

 もうちょっとの間だけ起きていたいから、風に当たろう。
 そう思って、窓を開けた。

 白い砂浜が見える。
 波の音が、相変らず静かに聞こえてくる。

 ああいうのが、好きなのかあ。

 つぶやいて、思い出してしまう。

 撮影の時のこと。
 バーベキューの時のこと。

 撮影が終わったら、笑ってもらえた。
 例の虫歯も治ったらしく、いつも通りで嬉しかった。

 バーベキューでは網の前で、お肉と格闘していた。

 脇の女性スタッフさんが、大変ですね、なんて言うと、
「いえいえ」とか言って笑いかけてた。

 それも、お酒のせいか、少し顔を赤くさせながら。

 あんな風に笑ってくれたことはあったっけ。
 思い出そうとして、やめる。

 私が知らないなら、今までなかったみたいじゃない。

 歯磨きも適当に終わらせて窓を閉めると、勢いよくベッドの中に潜り込んだ。

 けど、妙に目がさえてしまった。
 眠ろうとすればするほど、些細な物音が大きく聞こえてくる。

 明日も撮影なんだから寝ないと。
 そう思うたびに、どんどん眠たくなくなってくる。

 代わりに、今日の出来事や昨日の出来事。
 そしてそれ以前の出来事が、頭の中で鮮明にうつしだされる。

 あれだけ眠たかったのに。

 恐る恐る時計を見ると、
ベッドに入ってからすでに三時間が経っていた。

 眠れないのが、悲しいやら悔しいやらで、涙がこぼれそうになる。

 仕方なしにベッドから出て、
ポットでお湯を沸かして、そのまま飲んだ。

 窓からは、月も星も見えなかった。
 朝の気配がまだなかったので、少し安心した。

 カップの中のお湯を四分の一ほど残して、またベッドにもぐる。

 それでも寝れなかった。

 プロデューサーさん。

 つぶやくと、
また涙がこぼれそうになったから、
慌てて目をきつく閉じる。

 私が眠るのと、朝が来るの、どっちが早いんだろう。
 考えが深まる中、時間ばかりが流れていく。



 ほとんど寝れずに、朝を迎えた。

 幸か不幸か、外は大雨。
 白いカーテンみたいだった

 これが本物のスコールなのかな。
 はっきりしない頭で思う。

 朝食をとるためロビーに降り、
食堂に入ると、カメラマンさんがいることに気づいた。

 挨拶をすると、昨日のことを平謝りされたので私はにこやかに、「いえ、楽しかったです」と告げた。

 カメラマンさんは安心したように、
それはよかった、と息をつき、今日のことについてこう続けた。

 雨だし、昨日ので十分撮れたから、今日はお休み。
 退屈だろうけど、昨日の疲れもあるだろうしゆっくりしてください。
 あと、プロデューサーさんにも伝えといて。

 苺ジャムが塗られたトーストを飲み込むと、
カメラマンさんは簡単な別れの挨拶を告げて、さっさと行ってしまった。

 おつかいを頼まれちゃった。

 外にも出られない。
 なら、することもない。

 だったら食堂でプロデューサーさんとおしゃべりでもしようかな。

 思い返せばこっちに来てから、あまり話していない。

 せっかくの機会。
 いい加減に写真でも撮らせてもらっちゃお。

 それくらいの罪滅ぼし、必要だよね。

 扉の脇に設置されたチャイムを鳴らす。
 十秒ほど待ってみても、中で人の動く気配はない。

 ちょっとだけ、
扉の前で右往左往した後、
もう一度チャイムを鳴らす。

 出てくるかと息をのむ。
 けど、やっぱり出てこない。

 もう一度、もう一度と鳴らす。
 それでも出てこない。

 どうしたんですか。
 まだ帰ってきてないとか、ないですよね。

 胸の内で訊ねる。
 もちろん返事はない。

「プロデューサーさん?」

 できるだけ小声で呼びかける。
 大声はさすがに出せない。

 もう一度チャイムを鳴らす。
 すると、ようやく中で物音がした。
 少し、安心する。

 扉が開いた。

「藍子か」寝ぼけ眼のプロデューサーさんが私を見る。

「私ですっ」思っていたよりも弾んだ声になる。

「どうしたこんなに朝早く」

「撮影があったらギリギリですよ?」

「『あったら』ってことはないんだね」

「わかってるじゃないですか」

「だったら、暇だね」

「外にも出られませんしね」

「寝るしかないなあ」

「お茶淹れますから、それで覚ましてください」

 叱りつけるような口調で言って、半ば強引に部屋に入り込んだ。

 ベッドに申し訳程度のテーブルと椅子。
 私の部屋と大差ない。

「眠いね」

 ベッドを捲りながら、プロデューサーさんはこぼした。

 寝ちゃだめですよ。
 買ってきたミネラルウォーターを、そのままポットの中へと注ぎ込む。

「昨日は何時まで、飲んでらしたんですか?」

「三時くらい」

「それはお疲れ様でした」

「お疲れだね」

 プロデューサーさんは力ない笑みを浮かべ、

「じゃあ、おやすみ」と言い、ベッドの中にもぐった。

「お湯が沸くまで待ってくださいよ」

「たぶん無理」

 だいぶこもった声になっている。

「お話すれば眠たくなりませんよ、きっと」

 私の提案を聞いてか、プロデューサーさんは上半身を起き上がらせた。

 それで、少し悩んだ表情になってから、
「もっと無理かも」と言い、またベッドの中に潜り込んでしまった。

 それ、どういう意味ですか。
 悲鳴みたいな声になって、私の口から出る。

「私と話すの、つまんない?」

 びくびくしながら訊くと、
プロデューサーさんはベッドから顔だけ出して、

「いや、そうじゃなくて、ぐっすりって感じ?」と情けなく笑い、またベッドの中に隠れた。

 なにそれ。 
 わけわかんないです。

 非難がましく口にしたけど、いやではなかった。
 でも、どこか釈然としない。

「起きてください」

 ベッドの上から、体をゆする。
 布団を通して、体温が手にじんわりと伝わる。
 その中身が、迷惑そうに体をよじりながらも、しっかり寝息を立てている。

 寝ちゃった。
 どうしよう。

 ポットがしゅうしゅうと音を立てた。
 そちらに歩み寄ろうとすると、何かを蹴ってしまった。

 プロデューサーさんのセカンドバッグだった。
 腰を落として、それを拾い上げる。

 けど、置くのに適当な場所が見当たらなかった。
 仕方なく、私はベッドの上にそっとそれを置いた。

 ベッドは寝息に合わせて緩やかに上下している。

 いろいろ忙しそうだし、
無理矢理起こすのも、なんだかしのびない。

 せっかくだし、休ませてあげようかな。
 仕方ないよね。

 過度なわがままを言って、誰かに迷惑をかけるのは、好きじゃない。

 行き場もなく、ひとまず椅子に座ろうとすると、その上に手帳が置かれていることに気づいた。

 そっと開いてみると、所狭しと文字が並んでいる。
 しかも、何が書いてあるのか、まったくわからない。

 プロデューサーさんは、これ読み直して、分かるのかな。

 疑問に思いながらページをめくると角の方に、
へたな絵が描かれてて、つい吹き出してしまう。

 名プロデューサーへの道は、遠いみたいですね。

 私はなるべく音をたてないように、ゆっくりと手帳の表紙を閉じた。



 よく寝てたね。
 お茶でも淹れるよ。

 耳に馴染んだ声が聞こえてくる。

 うつらうつらしてたみたい。

 私が頭を上げたのを見たのか、
視界の端のプロデューサーさんが背を向けて、言った。

「今、昼過ぎくらい」

 まだ、止んでないよ、雨。
 カップを両手にして、プロデューサーさんがこちらに振り向く。

 どんな顔をしていたか、見えなかった。
 ぼんやりと、にじんでいた。

「だいぶ、眠そうだね」

 笑い声がする。

 不服に思いながらも、
言われた通り眠たかったので、
黙ってうなずいてみせる。

「髪、はねてる」

 お茶をテーブルの上に置くと、
プロデューサーさんは、
私の頭を押さえつけるようにしながら撫でた。

 何をされているかわからないくらい自然な動作だったので、私はなされるがままになった。

 手が、頭のてっぺんから耳に触れ、
頬のあたりを滑り落ち、
あごを通って、喉元まで来る。

 視界が次第にはっきりしてきた。
 目の前のプロデューサーさんは、少し眉間にしわを寄せている。

「なんか、熱くない?」

 喉元にあった手が、額へと当てられる。

 言われてみると、
そんな気がしたので、
私はもう一度黙ってうなずいた。

 風邪っぽい?
 喉とか痛くない?

 矢継ぎ早に訊ねられる質問たちに、
私は首を縦に振ったり、横に振ったりした。

 ひとしきり質問が終わると、そこからが大変だった。

 言われるがままに、
プロデューサーさんが持ってきた風邪薬を飲まされ、
手を引かれるがままに私の部屋に戻らされ、
髪をほどかれると、着の身着のままで、半ば強引にベッドの中に押し込まれた。

「大した熱じゃない。すぐよくなるよ」

 その割には、大げさだったと思うのだけど。

「昨日から、熱っぽかった?」

 そんなことないです。
 少し寝れなかったけど。

 プロデューサーさんは苦笑する。

「それはよくないね」

 ポットが先ほどと同じように、
しゅうしゅうと、音を立てている。

「やっぱり疲れた?」

 プロデューサーさんは机を枕元まで持ってくると、お茶を淹れ始めた。

「……ちょっとだけ」

「忙しかったもんな」

 はい、どうぞ。
 机の上にお茶が差し出される。

「じゃあ、ゆっくり休んで」

 小さく手を振って、プロデューサーさんが扉の方へと向き直る。

「行かないでください」

 口からこぼれ落ちるようにして、言葉が出る。
 言った途端に、やってしまったと思った。

 本格的に迷惑をかけるようなことを口走ってしまった。
 じんわりと、視界がにじむ。

 プロデューサーさんは、その場で立ち往生している。

「あは、変なこと言っちゃいましたね」

 努めて明るい声を出す。
 プロデューサーさんの影は動かない。

「ごめんなさい。
 今日はもう寝ておきます」

 顔を上げて、どうにか笑って見せる。

 雨は相変わらず、窓辺を叩いていた。
 風の音が、ごうごうと鳴り響いた。


「確かにときどき、変なこと言うよね」

 顔を上げていられず、うなだれてしまう。
 すると、椅子の脚の引きずられる音が、近づいてくる。

「明日は晴れるって、天気予報が言ってた」

 椅子に腰かけて、プロデューサーさんが言う。

「当たるんですかね、天気予報」

 絞り出すような声になった。

「さあ。
 明日にならないと、わからない」

 そして、気まずいような沈黙が訪れる。

 泣いていいのか、わからなくなる。
 こぼれるほどの涙は、溜まっていなかった。

「撮影しなくていいのかな」

 先にプロデューサーさんが口を開く。

「言ってませんでしたっけ。
 昨日撮ったやつで、大丈夫らしいです」

 今度は普段通りにしゃべりだせた。

「そうなの?」

「そう言われました」

 そっか。
 さすがだねえ。

 妙に納得したような相槌を打つと、プロデューサーさんは退屈そうに頬杖をついた。

「することないですし、お話ししましょう?」

 口走ってしまったと思ったけれど、もう止まらない。

「だってそれくらいしか、することないんだもの」

「はやく寝なさい」

 珍しく、プロデューサーさんが少し強い口調になる。

「さっき寝ました。
 いいの。お話しするんです」

 わざとらしく、頬を膨らませてみる。

 やっぱり変わってるよ。
 観念したように、プロデューサーさんが笑う。

 変じゃないです。
 私、普通の子だもん。
 肩を揺らしながら、返事をする。

 私を気遣ってか、
プロデューサーさんは、
なるべく自分がたくさん話すようにしてくれた。

 大体の場合、私はそれにうなずいたり、笑って見せたりするだけでよかった。

「――というわけで酔っ払いに絡まれると、大変なんだ」

「私も昨日、大変でしたよ」

「そうだったの?」

「ほんと、助けてくれればよかったのに」

 口をとがらせると、
ぱっと見は楽しそうにしてたから気づかなかった、と言われてしまった。

「今度から気を付けるよ」

 そう言って、また笑った。
 笑い事じゃないのに。

 そうして話しているうちに、眠たくなった。

「さっきあんなにねたのに」

「昨日は何時間くらい寝たの」

「よく、わからないです」

 回らない頭で、何とか答える。

 小刻みに息の吐かれる音が聞こえる。

「ぐっすりって感じ、するだろ」

 声にできず、ただ深くうなずく。
 少し、さみしくなる。

 プロデューサーさんの声も、雨音もどんどん眠りの中に引きずり込まれていく。

 プロデューサーさん、ねちゃいます。
 どうにか声を絞り出す。

 ゆっくり休みな。
 遠くで声が響いて、頭の中でかすれていく。

 おやすみなさい。

 私は言ったつもりになる。

 おやすみ。

 その声がしたかどうかなんて、私にはわからない。
ここまで
読んでくださってる方どうもです
のんびりしたSSになってればいいなと思います
日付をまたいでしまった…
最後の投下になります

 ちょっとお話でも、どうでしょう。

 なーんて。

 覚えてます?

 さすがに忘れてませんよね。

 にしても、心配性ですね、プロデューサーさんは。
 私、別に一人でも帰れるのに。

 でも、あれだけのライブの後で、
一人になるとさみしくなりそうだったから、よかったです。

 それでですね。
 実際にちょっと話していきたいんですけど、どうですか?

 なんだかしゃべり続けてないと、今日のこと思い出して、色々考え込んじゃいそうだから。

 あの日まで、私、人並みに生きてきたんです。

 何が人並みか、ですよね。
 まあ、私のことですよ。

 高森藍子。
 七月二十五日生まれ。
 獅子座のO型。

 運動神経とか得意科目とかには、
多少偏りがありますけど、
決してそれも人並みの範疇は超えないものだと思います。

 だから私はこう思っていたんです。

 できるだけ、平穏無事に日々を送ることが出来たらいいなあと。

 それが、私の希望でした。

 それなのに、あなたに会っちゃったんです。

 だからと言って、劇的な変化とか、
そういうのがあったかと言われると……。

 実はなかったんじゃないかなって思います。

 だって、今も……。
 いや、まあ、多少波はありますけど、割と平穏無事な日々を送ってますし。

 初めてあなたに会った時。
 正直言って、怪しいなって思ったんです。

 裏通りだったし。
 なんか早口でたくさんしゃべるし。
 私のこと、呼び捨てにするし。
 ……自分でそう言ったから、嫌じゃなかったですけどね。

 この人はきっと、セールスとかやればうまいことやるんだろうなと思いました。
 実際は、そうでもないみたいですけど。

 また、あの時に戻れたら、私はどうするのかなあ。

 なんか、また結局言い負かされちゃう気がします。

 二回目にプロデューサーさんに会った時。
 私が初めて事務所にお邪魔させていただいた時ですね。

 街角で会ってお茶したときより、
いい感じの人だと思ったんです。

 また、最初みたいにぺらぺらしゃべられたら、
私、尻込みしてたんじゃないかと思います。

 だから、プロデューサーさんは、
プロデューサーさんのままでいれば、大丈夫。

 そういうのが隠しきれてなかったから、
他の、プロデューサーさんに誘われた子たちも、来たんだと思いますよ?

 菜帆ちゃんが言ってました。

『ただ、いいかなって思っちゃったの』って。

 私も菜帆ちゃんと同じ理由です。

 もちろん、誰かに笑ってもらえたらいいな、くらいは思ってましたけど、ね。

 それで、最初のうちは、
だめそうだったら、
やめようと思ってたんです。

 でも、ガラじゃないのに、
まとめ役みたいになって、
やめるにやめられなくなって……。

 私、かなり我慢強い方だと思うんですよ。
 出来るだけ、迷惑かけないようにしなくちゃ、って。

 だからその時は続いちゃったんです。

 それをですね、
プロデューサーさんは、
まあいいや、で投げたんですよ。

 いい加減だな、とは思いました。
 今でも少し、いや、結構思ってます。

 いい加減だな、と思ったんですけど、
それが嫌かって訊かれると、嫌じゃなかった。

 それで、今まで……、
まあ、その間にも色んなことがありましたけど、続けてこられたわけです。

 今は大丈夫なの?
 そう訊かれたら、どう答えたらいいんでしょうね。

 でも、悪くないなって思ってます。
 むしろ、よかった。

 うん、続けてよかったです。
 ありがとうございます、本当に。
 
 プロデューサーさんがいなければ、私は今ここで歩いてませんから。

 温厚だね、ってよく言われてたんです。
 今でもですけど。

 でも、少し、怒りっぽくなりました。
 我慢も一年前より出来なくなっちゃいました。

 どうしましょう。
 プロデューサーさんのせいですね。

 でも今の私は、今までずっと私だったんです。

 それだけは、間違いようがないんです。

 少し、変なこと言っちゃったかな。
 すみません。
 すこし落ち着かなくて。

 ……えっと、それとですね。
 なんというかですね。
 ご褒美というか形に残るものをプレゼントしてほしいというか……。

 ……ほんとに?
 男に二言はないですよ?

 じゃあ、今ここでもらってもいいですか?

 今すぐにでも、私がもらえるものです。
 プロデューサーさんなら、何かわかりますよねっ。

 観念してください。
 ちゃんと、フラッシュは炊けますから。
 ほんと、そんなに嫌がらなくてもいいのに。

 写真欲しがってるの、結構本気なんですよ?
 形になる、確かなものが欲しいんです。

 はいはい。
 いいからいいから。

 じゃあ、そこらへんで。

 もうちょっとリラックスして?

 笑ってくれないと、何枚でも撮り続けちゃいますから。

 そうそうそのまま。

 ねっ、笑って?

『新興事務所の大躍進!!』

 そのど派手な見出しの割に、記事は小さめ。

 あれ以来、さほど変わりない。
 お仕事の量が増えたような気はするけど、それも緩やかなものだ。

 ライブのレビューが載った雑誌を開きながら、私はぼおっと夜を過ごしていた。 

 プロデューサーさんとの時間も、それに応じて増えるけど、
そっちの方も、変わらず緩やかな関係でいる。

 私たちが事務所に入社して、だいたい一年。

 そういえば新興事務所だったと改めて思う。
 その割に人であふれていた気がするけど。


 なんというか、のんびりしてしまっている。

 手に入れたプロデューサーさんの写真。

 せっかく手に入れたのに。
 この時を待ち望んでいたはずなのに。
 私は、まだなお満足していない。

 笑顔がぎこちない?
 どこか証明写真じみているから?
 辺りが暗いのが気に入らない?
 一枚だけじゃ物足りないとか?

 それらしい理由はいくらでも思い浮かぶ。
 けど、これと言って核心を突くようなものが思い当たらない。

 雑誌を閉じると、電話が鳴った。

 クリスマス兼忘年会兼ライブの打ち上げ兼一周年記念の食事会をしよう。

 電話に出るなり、プロデューサーさんは早口でまくしたてた。

 ひどいごった煮ですね。
 私は笑った。
 電話越しにプロデューサーさんも低く笑っている。

「それで、当日の買い出しに付き合ってほしいわけだ」

 どれだけ買うんだろう。

 これだけ突発的なら、全員参加は無理なはず。
 それでも、半分が参加すればかなりの人数になるはずだ。

「だめ?」

 他に頼むと、ロクなことになりそうにないんだよ。

 黙っていたせいか、
私の機嫌をうかがうようにして、
プロデューサーさんが訊いてくる。

「突然ですね。でも、いいですよ」

 仕方ないですね、プロデューサーさんは。
 わざとらしい口調で、了承する。

 そう、仕方ないの俺。
 プロデューサーさんが、笑っている。

 それ以上、特に話すこともなく沈黙が流れる。
 プロデューサーさんの後ろは、どことなくざわついている。

 電話、切っていい?
 あの、写真。

 言い出したのが、ほぼ同時だった。


「写真?」

「写真、撮らせてくれて、ありがとうございました」

「あれは……うまいこと、口車に乗せられちゃったなあ」

「もっと撮らせてくださいね?
 アルバムがプロデューサーさんでいっぱいになるくらいに」

「それはちょっと気持ち悪いんじゃない」

「自分で言っておいてなんですけど、 私も少し、そう思いました」

「そう言われると、それはそれで複雑な気分になるね」

 プロデューサーさんが苦々しげに笑う。

「じゃあ」

「はい」

「よろしく」

「はい」

「あと、おやすみ」

「はい。おやすみなさい」

 私が言うと、電話が切られた。
 なんとなく、かけなおして話し続けたかった。
 でも、これと言った用事もなかった。

 電話口からは、機械音が規則的正しく流れ続けている。

「じゃあ」

「はい」

「よろしく」

「はい」

「あと、おやすみ」

「はい。おやすみなさい」

 私が言うと、電話が切られた。
 なんとなく、かけなおして話し続けたかった。
 でも、これと言った用事もなかった。

 電話口からは、機械音が規則正しく流れ続けている。



 呼び出されて、連れて行かれたのはスーパーマーケットだった。

「ピザやケーキは予約してあるんだ」

簡潔にプロデューサーさんは説明してくれた。

パーティーに必要そうなものを順序よくかごに詰めていく。

 割り箸。
 紙コップ。紙皿。
 スプーン。フォーク。キッチンペーパー。
 それに飲み物、お菓子などなど……。

「どこか店がとれればよかったんけど」

「いちいち突然なんですよプロデューサーさんは」

 店内のBGMは遠慮がちに流れていて、私たちの会話の邪魔にはならなかった。

「思ったより早く済んだよ。ありがとう」

 両手に重そうな袋を提げて、プロデューサーさんがお礼を言う。

「どういたしまして」

私は片手に黄色い風船を握っていた。

スーパーの出口に立っていたお店の人から、
押し付けられるようにして、もらったものだった。

「余っても困るだろうしなあ」

 駐車場の中を二人で並んで歩く。
 荷物のせいか、プロデューサーさんの歩幅がちょうどいいものになっている。

「私だって、もらっても困ります」

「そう?」

「嬉しいですけど、置き場がないというか……」

「そりゃまあ、そうだろうね」

「でも風船っていいですよね」

「うん、いいね」

 車の前まで来ると、
「あ、鍵開けてよ」と、指示された。

「鍵はどこですか?」

 訊ねると、プロデューサーさんはからだをゆすって、コートの右ポケットのあたりを肘で押さえた。

「私、出しますよ?」

「じゃあ、お願い」

 身を寄せて、ポケットに手を突っ込む。

 左手に持ち替えた風船は、ふわふわゆらめいて、プロデューサーさんの顔の前を漂っている。

「ちゃんと整理しといてくださいよ」

 中がごちゃごちゃしていて、
どれが車の鍵だか分からなかった。

 ポケットの中がかちゃかちゃ鳴る。
 風船は私と適度な距離を置いて、揺れている。

 一方的に文句を言いながらも、私は一発で鍵を抜き出した。

「当たりだね」

 プロデューサーさんがおどけて言う。

「ふざけたこと言わないでください」

 不満げな声をよそにして、
いくつかのビニール袋が、後部座席に乱雑に並べられていく。

 私はその袋に風船を、低くくくり付けた。

「どうしようねあれ」

「知りませんよ」

 運転席と助手席。
 いつものように、それぞれの席に乗り込みながら、言い合う。

「それに、どうしようかこれから」

「どうしようか、って?」

「ケーキを取りに行くには早すぎるし、
 だからと言って、事務所に寄って、ただ待つのもなんだし……」

「微妙な時間の使い方って難しいですよね」

「お茶でもしていこうか?」

 なんとなく、懐かしい誘い。

「あの和菓子屋さん、近いですかね」

「それなり、ってところかな」

「最近、あまり行けてなかったので」

 菜帆ちゃんに呼び出されたあの日以来、
和菓子屋さんには一度も行けていなかった。

 それまでも、
頻繁に通い詰めていたとは言えないけど、
ここまでの間隔があいたことは、たぶん一度もない。


「じゃあ、そこにするか」

「お願いします」

 いつものようにゆるりと車は動き出す。

『明日は大雪になるでしょう』

 カーラジオからは天気予報が流れ始めていた。

「雪が降ると、うかつに運転もできなくなりそうだね」

 ため息交じりに、プロデューサーさんがつぶやく。

「大渋滞とか、出来そうですね」

「そればかりは、運転のうまさじゃどうにもならないよなあ」

「それでどうにかなったら、渋滞どころの騒ぎじゃないですね」

 笑いながら、思った。
 プロデューサーさんは、運転に自信があったんだろうか。

 それを訊ねると、「へ」と、かなり意外そうな声が返ってきた。

「運転上手だとか思ったこと、ない?」

 それにこの一年で、うまくなったし。
 言い訳みたいに、プロデューサーさんは付け足した。

 よくわからない。
 たぶん、意識していてもわからなかったと思う。

 正直にそう伝えると、あからさまにがっかりした顔をされた。

 少なくとも、下手だと思ったことはないですよ。

 慌ててフォローを入れても、プロデューサーさんの顔はどことなく曇っている。

「じゃあ今度はちゃんと見とけよ」

 運転中の、真面目な顔に戻しながら、プロデューサーさんは少し怒ったように言った。

 ほどなくして、和菓子屋さんの正面にある駐車場に入った。
 
 見とけよ。

 プロデューサーさんがもう一度繰り返す。
 珍しくムキになっている。

「写真撮ってあげましょうか?」

 ふざけて訊ねる。

「いいよ」

「えっと、そのいいよ、はどっちのいいよ?」

「肯定の方」

 私がカメラを取り出す間もなく、車は後ろに下がる。

 プロデューサーさんはと言うと、席の肩に腕を乗せ、からだを半分よじって、後ろを見ている。


 車が停まった。

 プロデューサーさんは前に向き直り、
シフトレバーをガチャガチャ動かした後、エンジンを止めた。

「どう」

 プロデューサーさんは子供みたいに鼻を鳴らす。

 やっぱり、わからない。

 困ったような笑みを浮かべながら首をかしげていると、
プロデューサーさんはまたがっかりして見せて、
「藍子はこういうの、わからない子だったのか」と言った。

 少し、むっときて、少し、しょんぼりした。

 そうして黙ったままいたら、
プロデューサーさんは、「ごめんごめん」と、軽く私の頬を引っ張ってから、ドアを開けた。

「何するんですか」

 口をとがらせて、私は言った。

「今後の参考にさせてもらうよ」

「それは何の役に立つんですか?」

 プロデューサーさんは笑いながら、
狭い道路を渡ると、なぜか和菓子屋さんの前で立ち尽くした。

 どうしたんですか?

 その背中を追って後ろから覗きこむと、
シンプルな貼り紙が、かすかに風に揺られていた。

            お知らせ


 長年のご愛顧、誠にありがとうございました。


 当店は十二月末日をもちまして、閉店させていただきます。


                                 店主

「客、いなかったもんなあ」

「そうですね」

「末日って言うには早い気もするけど」

「そうかもしれません」

 思い浮かべようとしても、
店員さんの顔が思い浮かばない。

 数少ないテーブルに、数少ない店員さん。

 夕方前になると、よく陽がさして、少しまぶしかった。

「あの時、少し休んでいけばよかった」

 残念そうに、プロデューサーさんがこぼす。

「そうですね」

 ぼんやり答える。
 少し、感傷的になってしまっている。

「菜帆ちゃん、なんて言うかなあ」

「どうだろうなあ」

「せっかく見つけたのに、一年でなくなっちゃうなんて」

 なんだかなあ。
 小声でぽつりとつぶやいた。

 頭の上に、ぽんと手を乗せられる。

 鼻の奥が、つんと痛む。
 少し目の前が潤んだけど、すぐ元通りになる。

「行こうか」

 プロデューサーさんは歩き出す。
 つい、その腕をつかんで、その場に止めてしまう

「どうしたの」

 プロデューサーさんが目を丸くする。

「お店の写真、撮っていってもいいですか?」

 いいよ。
 プロデューサーさんがまぶしそうに目を細める。

 陽の色が、街を茜色に染め上げる。
 向こうに見える車の中で、風船の頭が窮屈そうに浮かんでいるのが見える。



「それは残念ね」

 行きつけの和菓子屋さんがなくなったことを伝えると、
菜帆ちゃんはフライドチキン片手に、
軽く肩を落としてみせた。

「いいとこだったのにね」

 私も少し大げさに肩を落とす。

 広めの会議室に、三十人弱と言ったところだろうか。

 立食パーティと言えば聞こえはいいけど、
椅子に座って行儀よくできないから、
と言うのが、この形式になった理由らしい。

 でも、こんな突発的な行事に、
これだけ人が集まったのは、
なんだかんだでまとまっている証なのかもしれない。

 おかげで小さい子に、風船を渡すこともできたし。
 そうして巡って行って、優しさのおすそわけが出来たのなら、いいなと思う。

「まあ、お客さん、いなかったし、
 店員さんの愛想も良くなかったから、仕方ないわよね」

 笑って、菜帆ちゃんはフライドチキンをかじった。

「もしかして、あんまりショックうけてない?」

「ええ。
 まあ、いつかこうなるとは思ってたもの。
 どこかでそれを覚悟してたのかも」

 だから、と菜帆ちゃんは続ける。

「この近辺の和菓子屋さん、もうリストアップしてるの。
 しらみつぶしに行って、新しいところ、見つけましょ?」

 なんというか、かなわない。

「抜け目ないね、菜帆ちゃんは」

「こうみえて、しっかり者なのよ、私」

 顔を見合わせて、二人で笑った。

 ひとしきり笑い終えると、
菜帆ちゃんは、次のフライドチキンへと手を伸ばした。

「食べ過ぎじゃない?」

「いいのいいの」

「プロデューサーさんに、怒られちゃうよ?」

「それが怒られなくなったの」

 なんでだろう。

 怪我が治ってからの菜帆ちゃんは、
レッスンを中心にしていたから、
プロデューサーさんにこってりとしぼられていたはずなのに。

「プロデューサーさんが私の体重を聞いて言うの」

 菜帆ちゃんは私が黙っているのに構わず、
プロデューサーさんのものまねをする。

「『あれだけやって、
 食事制限もしたのに増えるなら、もう好きにしろ』って」

 えっ。
 増えたの。

 驚いて、訊ねる。

 菜帆ちゃんは、ゆるりと微笑んで見せるだけで、それ以上多くは語らなかった。


「まあ、それじゃあ、もう、プロデューサーさんに怒られることはなさそうだね」

 たどたどしく言って、菜帆ちゃんに笑いかける。

「そうねえ」

 一瞬考えるようなしぐさを見せて、菜帆ちゃんは「あ」と声を漏らした。

「しいて言うなら、冗談めかして怒るくらい、かもね」

「なんて言って怒るの?」

 菜帆ちゃんが口を開く。
 歓声に、その声が紛れる。
 それと同時に長机の上のコップが倒れる。

 歓声の中心には、宅配ピザを持ったプロデューサーさんがいる。

「私が怪我してたあの時は、しょうがなかったんでしょうけど」

 言いながら、菜帆ちゃんがキッチンペーパーを抱えた。

「じゃあ私、片づけてくるわね」

 たまには藍子ちゃんにも休んでもらわないと。

 キッチンペーパーを抱えて、菜帆ちゃんが被害の中心へと歩み出す。

 そんなこと言われたら、動けないじゃない。

 何もできず、突っ立ってると、
プロデューサーさんがやってくる。

「珍しいね」

「えっと、何がです?」

「ああなってるのに、藍子が片づけに行かないの」

 ジュースがこぼれた長机の上を見やってから、
プロデューサーさんがピザを置く。

「菜帆ちゃんが休んでろって」

「なるほど」

 それは成長したもんだ。
 おかしそうに笑って、プロデューサーさんは深くため息を吐いた。

「お疲れですか?」

「見てた?」

 ちょっとした雑務が入って。
 それで今朝は少し早かったんだ。

 眠そうに、プロデューサーさんが目を瞬かせる。

「藍子といると、緩んじゃうから、よくないね」

「そうですかね」

「運転中はしっかりしてただろ?」

「してないと困りますよ」

「そりゃそうだけどさ」

 このやり取りで、気づいてしまった。
 とうとう、気づいてしまった。

「だからですか?」

 私は訊ねる。

 なにが、とプロデューサーさんは首をかしげている。

「だから、私に写真撮られるの、苦手なんですか?」

「そうなのかな」

 どちらにせよって感じだけど。
 でもまあ、自分の緩んだ顔なんて、あんまり残したくないもんな。
 そう言いながらも、顔は緩んでいる。

「でも、気づかれないように、そっと撮ってたりしてないの。俺が藍子なら、絶対してる」

 実は、一度だけ。

 言えるはずもない。

 黙って首を横に振る。

「どうして」

「……そうすればいいって、気づかなかったんです」

 我ながら、少し苦しい。
 けど、プロデューサーさんは全く気付かない様子で、

「ばかだなあ」と笑った。

「分かってても、私隠し撮りなんかしませんもん」

 実際、最初の時しかしてないし。

「そっかそっか」

 信じていない様子で、プロデューサーさんは声を弾ませた。

「それよりさ」

「はい」

「明日の仕事の前に菜帆を駅まで送っていくんだけど、ついでに行く?」

「菜帆ちゃん、ロケとかですか?」

「いや、帰省」

 怪我がいつ治るかわからなくて、
いまいち予定を入れられなかったんだ。

 プロデューサーさんは、そう弁解した。

「まあ、ちょうどいい休みになるだろ」

「そうかもしれませんね。
 でも、明日って大雪になるんじゃ……」

「早めに出れば、大丈夫なんじゃないかな。で、行く?」

「はい、ぜひお供させていただきます」

「了解。でも、やっぱり混むかもなあ」

 プロデューサーさんが不安材料をあげると、今度は悲鳴が上がる。

 目をやると長机の上で、またコップが倒れている。

「全然成長してないな」

 じゃあ、今度は俺が手伝ってきますよ。

 わざとらしい敬語を使って、
プロデューサーさんも、さっきの菜帆ちゃんと同じように、
キッチンペーパーを抱えながら、輪の中心へと入り込んでいく。

 そこにいる菜帆ちゃんは、珍しくおろおろしている。
 
 その様子がおかしくて、こみあげてくる笑いを押しとどめるのに、私は必死になっていた。



 次の日の朝早く。

 天気は快晴。
 こんな時間なのに、駅の中は人でいっぱいだった。

 私たち三人は、
待合室の空いたベンチを探して、
新幹線の時間を待った。

「昨日の天気予報、嘘でしたね」

「そういうこともあるさ」

 右側のプロデューサーさんが、少し不機嫌そうに言う。
 私はそれに気づかないふりをして、左の菜帆ちゃんに訊ねた。


「それにしても、飛行機じゃなくていいの?」

 菜帆ちゃんの実家は、ここよりだいぶ西の方だ。

 どう考えたって、飛行機で行く方が便利に決まってる。

「藍子ちゃんを見習って、のんびり行こうかと思って」

 もっとも菜帆ちゃんは、時間なんて気にしてないみたい。

「君も十分のんびりしてるよ」

 右からプロデューサーさんが口をはさむ。

「私と藍子ちゃんの“のんびり”は種類が違うんですよ」

 菜帆ちゃんが得意げになる。
 のんびりに種類があるんだろうか。
 考えていると、でもさ、とプロデューサーさんが笑う。

「本当は、飛行機が怖いんだろ?」

「いいえ?
 帰りは飛行機にするつもりですよ?」

 なんだ。
 プロデューサーさんが肩を落とす。

 プロデューサーさん、飛行機苦手なの。
 私は菜帆ちゃんに耳打ちをする。

 なるほどね、と言わんばかりに菜帆ちゃんはうなずく。

 プロデューサーさんは、
私たちの様子に気づかないまま、
眠たそうな目で携帯をチェックしている。

 お弁当を持ったサラリーマンの人が、私たちの前を通り過ぎて行く。

「昨日の写真、ちょっと見せてよ」

 突然、菜帆ちゃんが言いだした。

 昨日あんなことを言われたから、
私はプロデューサーさん含む、
みんなの写真をたくさん撮っていたのだった。

 菜帆ちゃんは私からデジカメを受け取ると、
頬を緩ませながら、その液晶を覗きはじめた。

 ふと振り向くと、プロデューサーさんが、それを横から不安そうに眺めていた。

「徐々に慣れていけばいいんですよ」

 プロデューサーさんの耳元に、ささやきかけてみる、

「慣れるもんかな」

 不安げに、プロデューサーさんがひそひそ言う。

「来年から、私が慣れさせてあげますよ」

 来年かあ。
 先が思いやられるね。

 プロデューサーさんが声を殺して笑う。
 私も静かに笑う。

 すると、いきなり「えいっ」という声がした。
 一瞬、目の前がくらくらする。

「綺麗に撮れた」

 菜帆ちゃんの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

「不意打ちは卑怯だよ」

 プロデューサーさんがちょっと強く言う。

「そっちこそ、私をのけ者にしないでくださいよ」

 菜帆ちゃんが頬を膨らませる。

「ごめんね」

 私は笑いながら、謝る。

 仕方ないわねえ。
 そう言いながらも、菜帆ちゃんも笑っている。

 そしてもちろん、プロデューサーさんも。

 アナウンスが流れる。
 それは待合室の中のざわめきのせいか、何重にも重なって聞こえた。

「そろそろ行くわね」

 菜帆ちゃんが私にデジカメを渡す。

「ちゃんと帰ってきてね」

「失踪はしないと思うわ」

「それは困るよ」

「冗談ですよ」

 菜帆ちゃんがスーツケースを転がしだす。
 私は二人の間を歩く。

 三人で歩く。
 向こう側から人が来る。

 私はプロデューサーさんの方に寄って、それをやり過ごす。

「年が明けたら、また食べ歩きね」

 前を向いたまま、菜帆ちゃんが言う。

「君は本当にそればっかだね」

 プロデューサーさんが呆れたような声を出す。

「しょうがないじゃないですか。
 それを取ったら私は何を楽しみに生きればいいか分かりません」

 改札口の前まで来ると、菜帆ちゃんは、
「今年はお世話になりました」と深々と頭を下げた。

 それにつられ、私は慌てて頭を下げる。

 しばらくして顔を上げると、「お辞儀、深すぎ」と笑われてしまった。

「じゃあ、よいお年を」

 菜帆ちゃんが手を振って、改札の方へと進んでいく。

「よいお年を」

 菜帆ちゃんはしっかりうなずいてみせると、
改札を通っていって、人ごみの中に紛れていった。

「行っちゃいましたね」

 ぽつりとつぶやく。

「うん」

「さみしいなあ」

「すぐに帰ってくるさ」

「だといいんですけど」

「心配?」

「そういうんじゃないですけど……」

「大丈夫だよ。どうせ、十日やそこらでまた会えるんだから」

 駅の外に出ると、朝の光が目を刺した。

 今日も仕事かあ。
 伸びをしながら、プロデューサーさんがつぶやく。

 仕事ですねえ。
 曖昧に返事をする。

 終わったら、お茶でも行くかあ。
 昨日は行けなかったし。

 それ、いいですね。
 言いながら、私は一歩前に出る。

「ねえねえ」

「うん?」

「助手席の写真、撮っていいですか?」

「助手席、だけ?」

「だけ、です」

「いいけど、そんなの撮って面白いの」

「撮ってみないとわからない、ですよ」

「それもそうだね」

「そうそうそれと……」

「うん」

「助手席、乗ってもいいです、よね?」



 起きた途端に、雪だ、と思った。

 お仕事の日は、
あんなに素早く目を覚ませるのに、
お休みになると、どうも起きられない。

 雪かあ。
 ベッドの中でもそもそつぶやく。

 プロデューサーさんが愚痴ってそうだな。
 私も嫌いになっちゃいそう。

 年末だし、写真の整理をしよう。

 トーストと紅茶の朝食をとって、私はまた部屋にこもった。

 デジカメで撮ったもの。
 トイカメラで撮ったもの。

 それぞれ別のアルバムに分けながら、多くの写真を入れていく。

 風景。
 秋の空。
 パーティで食べたケーキ、ピザ。
 事務所の子たちとプロデューサーさんの集合写真。

 そういえば、ファンの人たちとの写真がない。
 事務所に行けばあるのかな。
 あるんだったら、もらってこなきゃ。

 そう考えつつ、黙々と作業を進める。
 作業は午前いっぱいかかった。
 たとえ失敗した写真でも、それなりに思い出深いものがあるから仕方ない。

 それでも何とか作業をほとんど終わらせて、
ラジオを流しながら、ぼんやり休憩していると、
菜帆ちゃんからのメールが届いているのに気付いた。

>そっちは雪だそうですね
>からだには気を付けて

>私がそっちに戻ったら、食べ歩きしましょう
>ちゃんと、おまけ付けてくれるところがいいですね

>そうそう。お店を探す前に、焼き肉に連れてってもらわなくちゃ
>でも、たまにはご馳走してあげるのもいいかも

 どこにいても、ゆったりしてるなあ。

 そう思ったけど、私も人のこと、あんまり言えないのかも。

 一人笑って、作業の大詰めに入る。

 今までのとは違うデザインの、少し小さめのアルバム。
 表紙には、二匹の犬と、タイトルを書くためのアンダーライン。

 プロデューサーさんからのクリスマスプレゼントだった。
 突然だったから、私はまだお返しが出来ていない。

 残り少なくなった写真を、今度は貼り付けていく。

 このタイプは、色あせしづらいらしいんだ。
 まあ、安物なんだけどね。

 プロデューサーさんが、少し申し訳なさそうにして教えてくれた。

 初めに行った喫茶店のケーキ。
 昔のアルバムから抜き出したプロデューサーさんの背中。
 あの島の空、海。

 前を向いたプロデューサーさん。
 誰もいなくなった和菓子屋さん。
 よく撮れているパーティの一幕。
 助手席。
 そして、ツーショット。

 一枚一枚丁寧に貼り付けていく。

 確かにあった瞬間が、それぞれ積み重なって、一つの形になる。
 貼り終わると、嬉しくなって私は小さく声を上げた。

 一度開いては閉じて、また開いては閉じる。

 新しくおもちゃをもらった子供みたい。
 気づいて、苦笑する。

 あのパーティの日。
 菜帆ちゃんの言葉は大声にまぎれていたけど、しっかりと聞こえていた。

『助手席は特等席なのに、って』

 言われた言葉をかみしめる。
 頬が緩む。

 これはきっと、自惚れじゃない。
 だって、わざわざ確かめたんだもの。

 ずるいですよね。
 小さくつぶやく。

 不機嫌にさせて、ごめんなさい。
 同じことされたら、私もそうなると思います。
 でも、今回、ずっと気づいてなかったのは私の方だったんですよ。

 そんなの、フェアじゃない。
 だから、ずるいけど、謝らない。
 それくらい、許してもらわなきゃ。

 マジックをとる。

 私。
 あなた。
 菜帆ちゃん。
 和菓子屋さん。
 助手席。
 みんな。

 全部ひっくるめて、一つの名前を付ける。
 ペンを滑らせた表紙には、二匹の犬が相変らずのすまし顔で並んでいる。

 つまり、結構前から、もしかしたら初めから、お互いにこのタイトル通りだったのかもしれない。

『午後になって、雪が止んできましたね』

 ラジオのパーソナリティの声が響く。
 外を見ると、濡れた風景が陽の光に反射して、きらきら輝いている。

 きっと、あなたは苦手なデスクワークを、退屈そうにこなしてるに決まってる。

『道がすごく混んでまして』

 パーソナリティが喋り続ける。

 どうやら事務所まで行くには時間がかかりそう。
 でも、どうやったって行けない、ということもなさそうだ。

 立ち上がって、電話をかける。

 出るなり、プロデューサーさんは「デスクワークは退屈だよ」と嘆く。

「じゃあ、今から遊びに行きますね」

 電話の向こうの驚いた声を無視して、私は電話を切った。

 出来たアルバムを一緒に見たいんです。

 電話では伝えられそうにないことを思いながら、コートを羽織る。

 それを見た後で、分かりきったことを聞きたいんです。
 もっとも、私はつい最近まで気づいてなかったんだけど。

 あなたの口から聞きたいんです。

 それを聞いたら、私は泣いて、あなたを困らせちゃうかもしれません。

 でも、そうなってもいいのかなって、最近思えてきたんです。

 出来上がったアルバムは、
なんてことのない日常を切り取ったアルバムです。

 でも、私にとっては大切なもの。
 あなたにとっても、きっと。

 そうやって、大切なものを増やしながら、また一年、続いてゆけばいいなと思います。

 マフラーを巻く。

 髪がたわんでいる。

 アルバムを手に取る。

 しっかり表紙の文字を確認する。

 それを大事にバッグに詰める。

 手袋をはめる。

 姿見で変なところはないか確認する。

 すると、プロデューサーさんから折り返しの電話がかかってくる。

 私はそっと、電話をとる。

 今からじゃなきゃ意味がないんです。

 強く言う。

 プロデューサーさんは、じゃあ気を付けてこいよ、としか言えなくなる。

 バッグに携帯を入れる時に、アルバムが顔を覗かせる。

 その表紙には私が欲しがっている言葉。

 “トクベツ”の四文字が力強く並んでいる。

 その言葉をもらう瞬間。
 不確かが確かになる瞬間。

 私はその瞬間を待ち焦がれている。
おわり
起きた

HTML出してきますわ
どうもでしたー

21:00│高森藍子 
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