2013年11月08日

モバP「幸子の見舞いに行くとするか」

※地の文、P視点の構成となってます

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1368635307


小柄な体躯。尊大な態度。そして、絶対的な自信家。 
 彼女を形容するにふさわしい言葉としては、どれも正しい。
 しかし彼女にしてみればそれらは正答ではない。彼女はいつだって自分をこう表現する。

「ボクってカワイイですよね!」

 輿水幸子、14歳。俺が担当しているアイドルの一人だ。
 幸子の言う「カワイイ」は容姿のことなのか仕草や振る舞い方のことなのか。
 尋ねたことはないけれど、きっとその全てがカワイイのだと自負している。

 俺からしてみれば、ふむ。たしかに見た目はカワイイ。アイドルとしては十分過ぎる。
 だが俺の思うカワイイ幸子はそこまでだ。

 口を開けば目上であるはずの俺にも小憎たらしいことばかりだし、
 日本人的感性からして謙遜しない物言いは浮いている。
 まあ、まだ14歳でいろいろと難しそうな時期だから仕方がないのかもしれない。
 せめてもう少し素直になってはもらえないものか。
 そうすれば俺だって、手放しにカワイイと褒めてやりたくもなるのに。

 と、なかなか事務所に来ない幸子のことをひとしきり考え終えたところへ、
 携帯電話が鳴った。どうやら幸子からだ。
 何かあったのだろうか?

 電話の向こうにあるはずの微笑を思い浮かべながら着信に応じる。

「どうした、幸子。もう遅刻だぞ」

 規則には正しい幸子ならもっと事前に連絡してくるはずだ。
 そんな考えに至らず、不躾に応答した自分を軽く後悔することになった。

「す、すみません……」

 弱々しい声、遅れて聞こえてきた雑音。……咳?
 そこに自分を大きく見せようと背伸びする幸子はどこにもいない。
「幸子、大丈夫か。風邪なのか?」
「そうみたい……です。なので、今日はお休みを頂けますか……」

 断片的に咳が混じるも、言わんとすることは大いに伝わってくる。
 幸子のことだ。軽い風邪なら多少の無理は押し通しただろう。
 こうして俺に連絡を入れたということは、それなりに自分の体調が分かっているらしい。

「ああ、こっちのことは気にするな。だから安静にしてろ、な?」
「はい……すみません」

 電話を切る。幸い今日の予定はレッスンだけで、休まれても差し支えはあまりない。
 アイドルだって人間だ。病欠を取ることだってままある。
 それなのに、耳に残った幸子のしおらしい声がなかなか頭を離れないでいる。

 病気の時くらいは大人しくなるものなんだな、とか。
 幸子を茶化すような雑念が浮かんではすぐ消えた。

 そうじゃないだろ、と別な自分が躍起になった。
 幸子と過ごした時間のせいなのか、俺は俺で素直に心配してやれないようだ。

「……後で見舞いに行ってやらないとな」

 他のアイドルにもそうしている。何も特別なことはない。
 何も特別なことはない、はずだった。
 
 いったいどうしてなのだろう。

 見舞おうとしている相手が、知らない女の子に思えてきてしまったのは。

 女子寮。

 男の身で立ち入るには清廉すぎる響きだ。
 幸子は今、ここに住んでいる。見舞いに行くには女子寮の敷地内へ入らなくてはいけない。

 立ち入る真っ当な理由があっても、言い訳じみてしまうほどの場違い感。
 自分はここにいるべき人間ではない。
 そんな、背徳の念が絶えずつきまとっている。

 とはいえ引き返すわけにもいかず。さっさと用事を済ませてしまおう。
 幸子の部屋はどこだ。

 すれ違う他のアイドル達に時に絡まれ、時に叫ばれ、時に――いややめておこう。
 俺は幸子の見舞いに来たんだ。
 いつまでも居心地の悪いところにはいたくない。

 なるべく丁重かつ迅速に振り払いながら、ようやく幸子の部屋にたどりつく。
「……」

 ふと、ノックしようと振りかぶった手が止まる。
 起きてたらどうしよう。本当に俺の知っている幸子はここにいるのか?
 返事がなかったら……その時は見舞い品を誰かに預けて、早く帰ろう。

 頭の中で整理して、意を込めてノックをする。
 思わず呼吸が止まってしまった。息が苦しくなるより先に、

「……どうぞ」

 幸子の声が聞こえた。やはりどこか覇気がない。
 俺は観念して部屋の中に入ろうとする。

「調子はどうだ、幸子?」

 ドアを数センチ開けたところで、

「プ、プロデューサーさんですかっ!?」

 素っ頓狂な声音の返事を頂戴した。
>>7
ゲーム内の女子寮というシステムを拝借した、架空の設定ってことでひとつ
「あ、だ、ダメです、開けないでください! ああでも、来てほしくないわけじゃなくて――」

 まくし立てるようにそれだけ言い放つ。それから幸子は盛大にむせ返った。
 ちらりと見えた幸子の顔は真っ赤に染まっており、額の冷却シートがはがれかけている。

 本人の希望により速やかにドアを閉めて待つこと数分。

「――今度こそ、いいですよ。……来てくださったんですね」

 ようやく俺は入室を許された。
 幸子は寝間着を着替えていたようだ。寝乱れた髪も多少整えられている。
 こんな時まで身だしなみを気にすることないのに、と内心で呟く。

 寮の部屋の構造はシンプルなものになっている。
 風呂やトイレ、食事なら食堂がありそれらを共同で使用するため、その分を削った間取りだ。

 なので、おのずと目に入るものは少ない。

 下に収納スペースのある寝台。広くない部屋をさらに狭く感じさせている気がする。
 少し膨れたクローゼット。壁際にも何着か衣服が立てかけられていた。
 そして、学生らしい勉強机。俺には窮屈だったので席だけ借りて座ることに。

 その机は教科書やノート、辞書等が小綺麗に棚等へ整頓されていた。
 他には無造作に置かれたお菓子やペットボトルとかの入った袋の数々。先客がいたようだ。

 よく見るとちらほらと化粧道具も見え隠れしている。
 きっと、鏡を立てればすぐさま化粧台へと変貌するのだろう。

 白や薄桃色を基調に彩られる小さな部屋。
 後から持ち込まれたであろうラック等に積まれた品々。
 僅かに空いたスペースには姿鏡が鎮座していた。

 ほぼ寝るためにある空間なものの、そこかしこに人の住んでいる気配がにじみでている。
「何をじろじろ見てるんですか、まったく……」

 唇をとがらせてこちらを半眼で見つめる幸子。今は冷却シートが貼られていない。
 安静にと寝かせておいているのだが、もぞもぞと口元まで掛け布団を引っ張って顔を隠そうとしていた。 

 誰しも自分の部屋を観察されたらいい気分はしない、よな。

「ああ、いや。すまん」
「わかってもらえたならいいですけど」

 あわてて視線をつまらなそうなほうへ移す。ドアの付近には申し訳程度の洗面台、鏡、コップ、歯ブラシ……。
 それにしても落ち着かない。幸子を見舞いに来たんだよな?
 身長は年の割に低く、物腰は柔らかでも態度は高慢。どちらかと言えば子供っぽいと思っていた。

 だから、ではないが――

 年頃の少女が生活していそうなこの部屋に、幸子が住んでいるという事実が。
 なぜだかすんなりと受け入れられないでいる。
「それで、プロデューサーさんは何しに来たんですか?」
 本来の目的を忘れそわそわしていた俺を咎めるように幸子が言う。

「わざわざボクの部屋を観察しにきたわけではないですよね?」
「そりゃあそうだ。えっと、まずはこれ。ここ置いとくぞ」

 既にいくつか送られていた見舞い品の数々に、また一つ追加してみる。
 数も数だが幸子の具合も相まってほとんどに手をつけられていないらしかった。
 せいぜい冷却シートの入った箱や、飲みかけのペットボトルが枕元近くに置いてあるのみだ。

「……プロデューサーさんは」
「ん?」
「ボクに、何を持ってきてくれたんですか?」

 今朝方よりは軽めの咳をしつつ、幸子が尋ねる。
 なんてことはない。ありきたりな、もうここにあるようなものばかりだった。
「栄養ドリンクと、ゼリー飲料。それとヨーグルトかな」
「そうですか。……ヨーグルト、ですか」

 どうしてヨーグルトだけ反応するんだよ、と問い返す前に、

「そのヨーグルト、いただきます。だからボクに……食べさせてください」
「……は?」
「ですから、その……」

 もごもご、とまた口元に掛け布団を引っ張って今度は声を隠した。
 ヨーグルトを持ってきた先人はいる。
 そちらにも甘えられたはずが俺にだけ食べさせてもらおうというのは、新手のいやがらせ?
「まあ、いいけど。今日は他に何を食べたんだ?」
「寮母さんがわざわざボクに作ってくださったおかゆ、くらいです。お昼頃に」

 現時刻19:45。これでも早めに仕事を片付けられたほうだ。

「じゃあ腹減ってるだろ。他に何も食べなかったのか?」
「食欲……ないほうがいいかなって」

 何やら変なことを口走った気もしたが、食欲がわかないほど弱っているのは大変だ。
 食べないといけない時に食べたくなくなる。
 これが病気でなければ何なのか。

「ヨーグルトだけでいいのか? せっかく食べる気になれたなら、またおかゆでも作ってもらったほうが」
「そうですか? ……そうですね、うん。そうしましょう」
「?」

 やけに理解が早くて逡巡する。
 ぽかーんとしていると、備え付けられた電話の内線で寮母さんに連絡してほしいと頼まれた。

 どうやら昼の間に、
 食欲が出てきたらまた作ってきてあげるから呼んでね、
 と提案されていたのだとか。
「――はい、ではお願いします。……幸子、すぐ持ってきてくださるらしいぞ」
「わかりました。プロデューサーさん、ついでといってはなんですが」
「おかゆも食べさせてほしい、だろ?」

 病床にふしても俺をこき使いたいのだとみえる。

 満足そうな表情で鼻歌交じりに咳き込む幸子を尻目に、
 手持ち無沙汰なのをごまかしたくて、ヨーグルトのふたやスプーンの封を開けておくことにした。

 ふたの裏に付着したヨーグルトを舐め取ったりはせず、近くにあったゴミ箱へ手を伸ばす。
 インテリアの一種にみえる可愛らしいゴミ箱からは、
 お菓子か何かの包みがいくつか捨てられていた。

 それがいつ捨てられたものなのか、俺にはよくわからない。

 食欲がない割に幸子は残すことなくおかゆとヨーグルトを食べ終えた。
 俺の手前、強がってみせたのかもしれない。
 食べてくれるに越したことはないか。

 それとも思っていたより元気なのだろうか?
 子供は回復力が高いというし。

「さて、それじゃ俺はそろそろ帰るよ。長居する訳にもいかないしな」
「えっ?」
「えっ、じゃないだろ。俺にうつすつもりか?」

 そういう意味じゃないですけど、と幸子は口ごもる。
 気恥ずかしくておかゆをふーふーしてやらなかったのを根に持っているんだろうか。

 幸子は上体を起こしたまま、すがるような視線を寄越してくる。

「ふ、ふふん。ボクのことが心配ならもう少しいてくれていいんですよ?」
「おっ、いつもの調子が出てきたな。この分なら安心だ」
「あ、えと、これはその……けほん」

 やたら胡散臭い咳を漏らして、それが引き金となったか二、三度ばかり本当に咳き込んだ。
 何をやっているんだか。そういえば熱は今どのくらいあるんだ?
 着替えているうちに外されたらしい、冷却シートの貼られていない幸子の額に手を置く。
 ぴくん、と幸子の体が強張る。じんわりと手のひらを伝う温度は高い。

「おい、熱だってまだあるじゃないか。それ貸せ、貼ってやるから」
「い、いいですよ、後で自分でやりますので」
「飯を食わせてやったんだ。それこそついでにやってやるよ」

 枕元に置いてある冷却シートの箱を取って、幸子に貼る準備をする。
 幸子は何が何でも貼られたくないらしい。両手でその熱っぽい額を覆っている。

「ほら、手をどかせって。何をそんなに嫌がってるんだよ」
「……これしてると、さすがのボクでもカワイくないですから」
「見た目を気にするのは治ってからにしろ、な?」

 それからというもの、不毛な攻防に数分ほど時間を割くことになる。
 腕力では勝っている。力に訴えれば攻略は赤子の手をひねるぐらいに容易い。
 だがそれを病気で弱っている相手にするのはいくらなんでも気が引けた。

 お互い譲らずにらみ合う。そうしているうちに馬鹿らしくなり、俺の根負けで幕引きとなった。
 しかし一度手に取ってしまうとどこかに貼らずにはいられない。

 額は固く守られているので、仕方なく頸動脈のある辺りへ適当に貼り付けてやると、
 予想だにしなかったのか「ひゃあっ!?」と悲鳴を上げた。
 勝者の貫禄はどこ吹く風だった。
「ふふ、ふふふふ、プロデューサーさんがそんな乱暴な人だったなんて……!」
「ひんやりして気持ちいいだろう」
「……気持ちいいですけど」

 憮然としている幸子を放っておいて、俺は帰ろうとする。
 何が気に入らないのか幸子は邪魔するように俺を再び呼び止めた。

「プロデューサーさん?」
「なんだってば。ただでさえここは女子寮の中なんだ、早く出て行かないとまずいだろ」
「それは……そうかもしれないですけど」

 ぶつぶつと聞き取れない声量で何かを独りごちている。
 こうして出ていくタイミングを引き伸ばし、居心地の悪さを最大限まで引き出すつもりなのだろうか。

 ……イライラしてきた。ただでさえ仕事を急いで片付けてきた疲労が残っている。

 幸子も俺のストレスが溜まっていくのに気づいてなのか、
 意を決した、といった感じで俺へと向き直る。
「どうしたんだよ。……理由もないなら、もう帰りたいんだけど」
「わかってます。わかってますとも」

 幸子はゆっくりと、何度もうなずいた。

「はっきり言ってくれ。俺にまだ何か用でもあるのか?」
「用、ですか。もちろんあります」

 幸子の瞳には強い意志が刻まれている、ようにみえた。
 よくみえなかったのは幸子がすぐ伏し目がちになってしまったからだ。
 それでも幸子は声を絞り上げ、上目遣いになりながらも――

「プロデューサーさんにお願いがあるんです」

 思ってもみなかったことを、

「ボク、汗をかいてしまったので」

 俺に、要求した。

「ボクの体を拭いてください。……お願いします」

 消え入りそうな、なのにどうしてか、染みこむように一言一句がはっきりと聞こえた。
 時間が止まる。耳まで真っ赤にした幸子を視界の隅においやって、
 俺は――考える。

 言葉の意味を。言葉の意図を。
 どうしてそんなことを俺に頼むのか、その理由について。

 汗をかいてそのままでいると確かにいい気分はしない。
 放っておけば体も冷えてしまう。
 シャワーや風呂に入れないほど体調が優れないなら、濡らしたタオルででも拭いてやるべきだろう。

 でも、その手伝いを俺がする必要性はまるでない。

 というか俺を部屋に入らせる前に着替えてなかったか?
 その時に体を拭いたりとかしてないのか?

 いくつもの見舞い品が置いてある机。何人も様子を見にきてくれているのだ。
 頼めば体を拭いてもらうなんてこと、手伝ってくれる人はいるだろうに。
 ……。
 俺には、承諾できない。
 嫁入り前の娘の肌を――などと一般論を抜きにしてもだ。
 頼まれたからといえ、越えられない線はある。

 ふと、他のアイドルたちの顔が脳裏をよぎる。
 幸子よりももっと年下のアイドルたち。
 最年少で9歳。幸子より5つも年下のアイドルがいる。

 もし、その子に頼まれたら俺はどうしていただろう。
 10歳の子は? 11歳の子なら?
 悪意も善意もなく、無邪気な彼女たちから体を拭いてくれと頼まれていたら。

 いや、今はそんな仮定を考察しても意味はない。

 小柄な体躯。尊大な態度。そして、絶対的な自信家。
 子供っぽいと思っていた、手を焼かせてくれるばかりな女の子からの請願に。
 もう14歳になる少女の願いに。

 どんな思惑があるのか、それともないのかまるでわからないけれど、
 応えるわけにはいかない。そう、思った。

 ここにきて、俺はようやく幸子のことを、
 一人の少女――女性であると、意識したのかもしれない。

「……何言ってんだ。それは他をあたってくれ、俺は帰るぞ」

 食べつくされて空になった皿と食器、それから自分の荷物を持ち上げる。
 忘れ物はないか右へ左へ首を振っていると、

「そう、ですか」

 まるで断られるのを望んでいたかのように、幸子はほっと息を漏らした。
 何にそんなに充足感を得ているというのか。
 ただからかってみた、というふうでは無さそうだが――

「それじゃあな。ちゃんと安静にして、さっさと治すんだぞ」
「お任せください。カワイイボクがいないと、プロデューサーさんも寂しいでしょうしね」
「言ってろ」

 疲れてきたのでつっけんどんに返し、部屋のドアを開ける。
 幸子はもう、呼び止めてこなかった。

 廊下に出ると、あの居心地の悪さが猛烈にこみ上げてくる。
 まっすぐ帰りたいけど寮母さんにご挨拶をせねばなるまい。皿と食器も返さないと。
 
 すれ違う他のアイドル達に時に絡まれ、時に叫ばれ、時に――割愛。
 体が勝手にいそいそと空き巣みたいな足取りでこの場を離れたがっていた。

 居心地の悪さとは別に、よくわからないもやもやを抱えて。

――――――――――――……

 部屋越しに姦しい声が響いてくる。
 来訪者も去り静かになったかと思いきや、むしろうるさく感じるくらいだ。

 いつもなら勉強やノート清書の邪魔になるのだが、今の幸子には一切聞こえていなかった。

 仰向けになって、ぼうっと天井を見つめている。
 表情は物思いにふける乙女のそれに等しい。
 反芻されるのは先ほどまでこの部屋にいた男性のこと。

 何となく、いつも彼からぞんざいな扱いを受けていると幸子は感じていた。
 わがままに映っているから? 生意気にみえるから?
 自覚は……ある。どうしても照れ隠ししてしまい、なかなか素直になれないでいる。

 そんな自分にあきれてしまってはいないだろうか、と、
 幸子は不安だった。だから、これを機に少しだけ試したくなった。
 風邪で寝込む幸子に対してどのように振る舞ってくれるかを確かめる。
 他のアイドルと同様に、お見舞いに来てくれるに違いない。
 でもあまり長くは居てもらえないだろうから、暇な日中に何をしてもらおうか画策していた。

 看病にかこつけて、してもらえそうなことには限りがある。
 あとは幸子が覚悟を決められるか、それが問題だった。

 一つは何か食べさせてもらうこと。
 単純に優しくしてもらいたくて、これは即決していた。
 頼むのはやっぱりちょっと恥ずかしかったけど、彼はすんなり応じてくれた。

 それなりに食欲は戻ってきていたがいつお見舞いに来てくれるかがわからない。
 なるべくお腹を空かせていようと、多少の空腹感は他の人に貰ったお菓子で紛らわしていた。

 結果、病人としてそれなりに扱ってもらえたようだ。
 もちろん無下にするような冷たい人だとは思っていなかったが。甘えられて嬉しかった。
 ここまではいい。そう、ここまでは。

 問題は次だ。思い出すだけで顔が熱くなってくる。
 体を拭いてほしい。……自分は何を言ってるんだろう、と自問自答が止まらなかった。

 肌を見せて籠絡しよう、という魂胆は全く含まれていない。
 これは彼が幸子をどんな風に思っているのか確かめる絶好のテストなのだ。
 一人の少女として扱ってくれているなら、断るに違いない。
 彼の素行は承知している。これを機に、なんてはめを外す人ではないだろう。

 それでも、普段からぞんざいに扱われている延長で、
 たとえば幸子を年端のいかない子供としか見ていなかったとしたら?

 そんなはずはない。幸子だって14歳だ。
 身長はなかなか伸びてくれないが、心身ともに成長してきている、はず。
 でも、もしかしたら……。

 考えすぎだと誰もが思うかもしれない。
 けれど、幸子の不安はどうしようもなく募るばかり。

 自分を一人の女の子として見ていてほしい――
 素直になれない幸子が、彼の気心を知るための精一杯だった。
 熱のこもる、ぼんやりした頭で想像する。
 もしもあの時ためらいもなく「タオルを貸せ」と言われていたら。
 後に引けなくなり、どこまで許してしまっていただろうか。

 腕……首回り……せ、背中? そのためには寝間着を……。
 がばっ、と幸子は掛け布団を頭まで被り、思い浮かべた情景を必死に忘れようとする。

 幸子の他にはもう誰もいない部屋で。
 変な妄想をしてしまったのは熱のせいだということにして。
 次からどんな顔をして会えばいいんだろう、なんて新たな悩みも後回しにして。

 いつも心のなかにいる誰かのことを想いながら、一人の少女は眠りについた。

 しばらくはとても寝付けそうな様子ではなかったが。


……――――――――――――――

 後日談、ということになるのか? まあいいや。
 幸子は無事に復調し、レッスン場で汗を流している頃だ。
 特に変わらない多忙な日々、だったはずなのに。
 俺と幸子の間には些細な変化が訪れていた。

   気 ま ず い 。

 見舞いに行った日のことが原因なのは明らかだった。
 どうにも幸子は俺と目が合えばうつむいて視線をかわすし、挨拶してもぎこちない。

 いつもの尊大な態度はどこへやら。
 そんな幸子を前にして、俺は俺でどう接したものかわからなくなる。
 仕事に影響がなければいいのだが……。

 そんなわけで、担当プロデューサーとしては本来の幸子に戻っていただきたい。
 あの自信家だった幸子を調子づかせる方法、といえば。
 おだてたりするのが手っ取り早いんだろうなあ。

 つけ上がらせるのも面倒だけど、あんなおとなしいのが輿水幸子とは言いがたい。
 ならば、俺のやるべきことは一つだ。
 レッスンを終えてぞろぞろと事務所に戻ってきたアイドルたち。
 幸子の足取りはおぼついておらず、しかし余力はあると言わんばかりに微笑を漂わせていた。
 涼しい風が吹いているようには見えないぞ、幸子。

 と、観察している場合ではなかった。

「幸子」

 手招きをして呼びつける。
 さすがに無視はできなかったのか、伏し目がちにこちらへ歩み寄ってくる。

「……」
「……」

 沈黙。
 いやいやいやいや、呼んでおいてそれはないだろ俺!
 つけ上がられるのを無意識に回避しようとしているのだろうか、言葉がすぐに出てこなかった。

「あー、その、な? お前に言っておきたかったことがあるんだよ」
「……どんなことですか?」
「まあ、聞いてくれ」

 そういえば、幸子のことをちゃんと褒めてやったことってあまりなかったな。
 しっかりと俺から逸らされている幸子の瞳を見つめて、

「幸子って――結構カワイイよな」
 余計な副詞がついてしまっているけどこれが限界だった。
 幸子はというと、きょとんとしながら俺のほうを向いていた。

 久し振りに目と目を合わせての会話。
 ……とはならなかった。
 なんだか恥ずかしくなり、今度は俺の視線が誰もいない明後日へ。

「それだけだ! レッスンお疲れさん!」

 逃げるようにその場を後に、具体的には外の空気でも吸いに行きたかったのだが。
 できなかった。スーツの裾をつかまれているらしい。
 観念して振り向くと、幸子はいつもの微笑を浮かべていた。

「プロデューサーさん……今ごろ気づいたんですか? 遅いですね、遅すぎますよ!」
 いろんなものを取り戻した幸子が次から次へと喋りだす。
 いつも言ってるじゃないですか、あなたの目は節穴ですか、ボクの何を見てきたんですか。
 そんなようなことを矢継ぎ早にまくし立ててきた。
 
 溜まっていたものが爆発しているのだろう。……うぜぇ。
 まあこれで幸子が幸子らしくなってくれたら俺としては幸いだ。

 少しは変わったかなーなんて期待していたのに、人間なかなか変われないらしい。
 幸子の説教(?)をほどほどに聞き流していると、

「……でも、ですね」

 急にトーンが下がった。とうとう全部吐き出したのだろうか?
 できればそろそろ解放していただきたい。
 呑気にそんなことを考えていたせいで、思わず見逃してしまうところだった。

「ボクって本当はもっともっとカワイイんですよ?」

 記憶のどこにもない、可憐な笑顔を――

「だから、ずっとそばで見ていてくださいね」





「――ああ。見てるよ」
おわり

幸子で書いたのがこれで10個目?ということで地の文に挑戦したらひどい事になった
規制さえなきゃvipで気ままに書けるのに口惜しや

17:45│輿水幸子 
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