2014年07月19日

モバP「いつか晴れるから」


フロントガラス越しに広がる空は、どんよりと濁っている。

 

日も沈みかけてきている。本来この時間帯なら、綺麗な夕焼け空でも広がっているんじゃないだろうか。規則的で単調なリズムを刻むワイパーをぼーっと眺めながら、そんな事を思った。





雨が止む様子はどこまでも感じられない。見る者を憂鬱にさせる鉛色の雲が、高層ビルの列挙する狭苦しい都会の空を悠々と流れていく。



これは一晩中雨になりそうだ。明日まで引きずらなければいいが。



雨は嫌いだった。何より服が濡れる。交通ダイヤも乱れる。気分もどこか落ち込んでいくし、それに、言い知れない不安が胸の中に広がっていくから。



しとしとと降り続く雨の音が妙に耳に触った。雨音はショパンの調べだなんて謳った人が居るらしいが、そんな優美さは一抹も感じられない。決して雨脚が強い訳ではないけど、車内が嘘みたいに静かだったから、それも関係しているだろ







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程なくして信号に捕まる。連なる車のテールランプが雨に乱反射して、どこか幻想的な雰囲気を醸していた。



意味も無くざわつく心中を抑え込もうとしたのか、俺の手は無意識に懐に伸び、手のひら大の箱を取り出す。



こんな時は煙草でも吸うのが一番だ。車内で吸うと匂いがきついからと、送迎するアイドル達に嫌な顔をされるが、俺の車

なんだから別にいいだろうとも思う。



煙草は好きだ。いい暇潰しにもなるし、口寂しさも紛れる。…沈んだ気分も誤魔化せる。





「あ…」





ライターは何処にしまったかとポケットを弄っている内に、俺は咥えていた煙草をそっと箱に戻した。



俺の隣、助手席で穏やかな寝息を立てる彼女が居たから。









「悪いな、歌鈴」





ああ、俺って本当に馬鹿な奴だなって、彼女… 道明寺歌鈴を目の端に写しながら、一人溜息を吐いた。



すぐ隣の歌鈴を忘れてしまうなんて。いや、忘れていたというより、余りにも静かで、穏やかで… そこに居るのが当たり前みたいに感じてしまって、俺自身不思議な気持ちだった。

 

よく感じる感覚だった。歌鈴を仕事先だとか、寮だとかに送っていく時。俺達の間には他愛のない会話が横たわっている。



無理して話を続けようとしなくても、話題を探そうとしなくても、口を次いで自然と言葉が湧いてくる。俺は他のアイドルには感じない何かを、歌鈴にだけ感じていた。



でも、嫌な感覚じゃない。胸の底からじんわりと熱を帯びていくのを、いつだって感じていた。









歌鈴もそうなのかもしれない。長く仕事を共だって来た俺とはいえ、年若い女性が男の前でこんなにも無防備な寝姿を曝け出すだろうか。歌鈴は俺だから安心して睡眠に身を没しているのではないだろうか。



信頼、してくれているんだろうか? 



もしどうだとしたら嬉しい。多少の自信はある。それなりに仲良くやってきたつもりだし、歌鈴に俺という人間を見せてきたつもりだ。





車が少し揺れる度に、肩より少し短い位の黒髪が歌鈴の頬を擽る。その都度歌鈴は小さく呻く。可愛らしい声に、俺の頬は思わずして緩んだ。



短いけれど、さらさらと流れる柳の様なその髪は、きっと触ったらとても心地のいいものなのではないだろうか。そのふわっとしたショートカットもよく似合っているけど、伸ばしてもきっと綺麗だと思う。



恥ずかしくてとても本人には言えないが、そんな歌鈴の姿を見てみたいというのも、可笑しな話ではない筈だ。



優しくアクセルを踏み込んで前進。少しでも揺れない様に心掛けてみる。だけど、可愛らしい吐息を漏らす歌鈴は何度見ても飽きないもので。ちょっとした嗜虐心から、ほんの気持ち分だけ急発進。









「ふぇ…!?」



さほどでもないけれど、慣性が身体に圧し掛かった。軽々としたもんだが、全体重を無防備に座席にあずけていた歌鈴には効果が大きかったみたいだ。





「あ… 起こしちゃったかな?」



「うぅ… 首がガクンってなりましたぁ…」





悪い悪いって、申し訳なさそうな顔を取り繕って歌鈴に詫びる。だけど、内心から微笑みが零れ落ちそうになる。



まだ眠い目をしたまま後ろ首をさする歌鈴の仕草がとても可愛らしかった。起こすつもりは無かったけど、そんな歌鈴の姿が見れたんだし、まぁ良しとしよう。





「…なんで笑ってるんですか?」



「いや、なんでもないよ」





…とか考えていたけど、しっかり歌鈴には伝わっていたみたいで。非難めいた視線で俺を一瞥すると、シートに座りなおしながら再び瞳を閉じた。







「目が覚めちゃいました…」



「なら起きていればいい」





今の衝撃ですっかり眠気とはおさらばしてしまったみたいだ。もう一度俺に視線を投げかけながら、呆れた様子で頬を膨らました。



だけど、その怒ったような仕草も長くは続かなくて。



 

「えへへ…」





そんな風にはにかんだ、小首を傾げた動作が一段と歌鈴に似合っていると思った。





「Pさんは悪戯好きな子供ですもんねっ」



「…っ」





微笑みを携えながら言葉を投げかけてきた歌鈴に、俺は何て返したらいいのかわからなくなって、とっさに視線を横に逸らしてしまった。



何時もなら気にも留めないような軽口で、適当に冗談めかして口応えでもすればいいんだろうけど。



だけど今、俺は歌鈴に対して何て言ったらいいのかとっさに判断が付かなかった。





「運転中に横を向くとあぶないですよ?」







いつもなら、か。



それは“歌鈴以外”の場合だ。彼女と相対すると、時折自分がどうしたらいいのかわからなくなる。



仕事に関してって訳じゃなくて、こんな取り留めのない会話の中で、だ。俺の何気ない一言が歌鈴を傷つけたり、不快な気分にさせてしまったりって。歌鈴と話をしている時、話題には事欠かないが、何故か勘ぐってしまう自分が居る。



それはきっと要らぬ心労なのかもしれない。だけど、そんな風に歌鈴を思いやるって事に、なんだか俺自身心地のいい感情を覚えるのもまた、事実だったんだ。





「Pさん?」



「あ、いや。なんだ、歌鈴?」



「別になんでもないです…けど…」





俺を具に観察するような歌鈴の視線からまたも逃げ出してしまう。



歌鈴は俺を訝しんだ様な視線で見ていたから、誤魔化すみたいに腕時計で時間を確認する振りをした。



 





初めての給料で買った腕時計。決していいものではない。だけど、歌鈴に関わったお金で買った、俺にとってはとても意味のある物なんだ。



でも、そんな安物の腕時計に視線を投げかけたって、俺の欲している答えなんかある訳がないのに。





「Pさんって私とお話しする時は目を合わせてくれないです…」



「………そんな事はないよ」



「あります…」



「運転中だからさ」



「そうじゃないですっ」





そんな事ない、なんて、俺自身はっきりわかってる嘘だ。だから歌鈴が珍しく声を荒らげたのにも、別段驚かなかった。



いつも何処か自信なさ気な様子で話す歌鈴にしては大きな声だった。思わずして感情が零れだしたといった所だろうか。









「もうすぐ寮に着くから」



「…」





俺は憮然とした顔を取り繕って、話を挿げ替える他無かった。



だって、それは事実だったけど、俺にもどうしてそうなのかわからないんだから。



こんな気持ちになるのは歌鈴に対してだけだ。他のアイドル達だったら、一々言葉に迷う事も無ければ、顔色を窺う事だってしない。





「…Pさんは、藍子ちゃんとは仲良しですよね」



「………はぁ?」





高森藍子。俺が他に担当しているアイドルで、歌鈴とは親交が深い。誰にでも優しくて気遣いの出来る良い子だ。



だけど、それだけ。別段仲がいいとは思わない。



考えようによっては、歌鈴だけ特別扱いになるのかもしれない。歌鈴にとって良いベクトルではないだろうけど、その根底にある俺の感情というのは、決して負でない事は断定的だった。



そんな風に自己完結しようとしたけど、歌鈴としては納得いかないものがあったのだろう。それは当然の事だが、紡ぎ出された言葉は俺の予想の斜め上から降り注いだ。







「だって、藍子ちゃんとお話ししている時は… Pさんずーっと笑顔ですもん」



「…歌鈴とだってそうだろ」



「本当にそう思いますか?」



「それは………」





何も言い返せないのは、言外にして肯定だった。



だって藍子と話す時、俺はさしあたって何も思う事はない。だから、言葉を選ぶことはしないし、御機嫌を取るような事もしない。さっきの歌鈴みたいに、ちょっとした悪戯を仕掛ける気も全く生じない。





「その… えっと…」



「なんだ?」





言い淀む歌鈴を気遣うように先を促すけど、どうしてかわからない、眼前に広がる雨空みたいにどんよりした雰囲気の中で、俺はやっぱり歌鈴に目線を合わせられない。



困り顔のまま毛先を指で弄る歌鈴を横目で盗み見ながら、どうしたもんかと考えてはみるものの、やっぱり俺には沈黙を守る事しか出来なかった。







「Pさんは優しい人だってしってます」



「…ありがとう」



「だけど、時々私には冷たくて…」



「そんな事は」



「あります」





 自分でもわかっているけど。反射的に口を吐いた否定の言葉は、歌鈴に食い気味に制された。





「Pさんは私の事… 嫌いなんですか…?」





俺はハッとして歌鈴を見た。今日初めて歌鈴の目を見たんだと思う。



歌鈴は今にも泣き出してしまいそうな面持ちだった。つぶらな瞳には雫が溜まっていたし、声色も霞んでいた。



 





「それは絶対に無い…!」





頭の中が急速に熱を帯びていくのがわかった。嫌いではない、本当だ。嫌いだったら何年も一緒に仕事もしないし、雨だからって態々寮まで送ってやる事も無い。



歌鈴は俺が担当だからって義務感でやっているのかと考えているのかも知れないけど、それは違うんだ。





「嫌いだったらお前に話しかける事も無いし、担当なんかしない!」





心中で咀嚼した言葉の筈だったけど、気付けば感情が溢れ出すみたいに歌鈴に語りかけていた。



語りかけるというには強い語調だったように感じるが、今、言葉や口調を精査して選出する余裕なんてもんは俺の中から消え失せていた。



 







「だったら、どうしてですか…?」



「それは………!」



「それは…?」





歌鈴は心底疑問だという表情で俺の横顔を見つめる。



俺は昂る感情の中でハンドルを切る腕だけは努めて冷静に保ちながら、それでも歌鈴に対して思いの丈を溢れ出さずにはいられない気持ちだった。









____





「…わからないんだよ」



「………?」





俺は自分を落ち着かせようと、少しトーンを落とした声を絞り出す。だけど、破裂寸前の溶岩弾みたいに、そこには確かに沈痛な俺の慟哭が内包されていたんだと思う。

歌鈴は俺の心情を敏感に察知した様子で、相変わらず瞳には不安を浮かべたまま俺を見つめ続けているのを、横目ながら突き刺さる程に感じた。





「…歌鈴と一緒に居ると、偶にどうしたらいいかわからなくなるんだ」



「どうしたら、ですか…?」









 肯定を込めて頷きながら、俺は心の内を語っていく。



それはなんだか解きほぐされていくような感覚で、それと同時になんだか気恥ずかしい気持ちもあって… 



やっぱりそれがどうしてなのかわからないけど、心中を支配していた熱が次第に顔に朱を刺していくのを確かに感じていた。





どうしてか歌鈴に気を遣ってしまう事。歌鈴に嫌な思いをして欲しくない事。そして、そんな風に俺自身迷っているのにも関わらず、歌鈴を思う時、不思議と心が安らぐ事。



本人を前にするのは、我ながら恥ずかしい事だった。だけど、不安は何処にも見当たらなかった。



運転してるからとか、そんな理由では無くて、俺はやっぱり歌鈴を見つめて心中を語ることは出来なかったけど、時折混じる歌鈴の相槌に促されるようにすらすらと言葉が出てきた。









「…Pさんっ!」



「なんだ…?」





大方を話し終えた所で、歌鈴は嬉しそうに声を上げた。俺の名を呼ぶたった一言だけだったけど、それでも歌鈴が先程までとは打って変わって快活な様子である事がしっかりと伝わってきた。



 

「Pさんは不器用さんなんですっ。それと… ちょっとだけいじわるですね」



「不器用で、意地悪…?」



「はい!」



「不器用だなんて言われた事無いんだけど」





意地悪だなんて言われたことも… 



まぁ、歌鈴に言われることはあるけど。それは、さっきみたいに、歌鈴に対して湧いてくるちょっとした悪戯心のせいだろう。













「不器用、ですよ?」



「それに対しては疑問符を浮かべざるを得ない意見だ」



「小学生みたいです… えへへ」





猶更わからんが。歌鈴と上手く話せなかったり、って事なのだろうか。



コミュニケーション能力を疑われているみたいで甚だ遺憾ではあるが、何にせよ歌鈴が元気になったみたいなのでそれで良しとしておこう。大人の度量とでも言った所か。





「でも、私もそんなPさんが…」



「お、寮に着いたな」



「…もぅ〜」



「なんだよ?」





何か言いかけた様子の歌鈴だったけど、俺が口を開いた事で遮る形を取ってしまった。



歌鈴は再び頬を膨らませてしまって、拗ねたように非難めいた声を上げたけど、そこについさっきみたいな妙な重い空気は微塵も感じられなかった。

 









「別に、なんでもないです…」



「なに拗ねてるんだよ?」





それになんだか顔も少し紅潮してる。最近熱くなってきたとはいえ、こう雨が降った日には流石に冷え込んでくる。



はぁ、と熱っぽい溜息を吐く辺り、もしかしたら体調でも崩したのかもしれない。





「顔赤いぞ。体調悪いのか?」



「…そういう所がいじわるなんですっ!」



「だから、何がだよ…」





いまいち要領を得られない様子だけど、どうやら風邪の類ではないらしい。そうでないなら些末な事には目を瞑っておこう。



 





「じゃあ、また明日です!」



「ああ、また明日な」



「あっ…」





そう言って背を向けて歩き出した歌鈴だったけど、思い出したようにこちらを向き直った。



そこには零れんばかりの笑みが携えられていて、どうしてか今まで付き合ってきた中で最も輝いて見えた。俺の心臓は不覚にも鼓動を速めた様な気がした。





「これからも、ずーっとよろしくお願いしまつ… あっ」



「…おう。これからもよろしくな」



「それでは!」



 

最後には歌鈴らしく一噛みして、今度こそ寮へと歩みを進めていった。



俺はその背中が見えなくなってもしばらくそのままでいた。



何の余韻かわからないけど、いつの間にか心中に巣食っていたどこか不安定な気持ちは姿を消している。



代わりにそこにあったのは、得も言われぬ充足感で。











何のぎ無しに空を見上げると、今夜中には上がらないと思っていた雨は止み、雲の隙間から爛々と輝く星の瞬きが顔を出す。



はっきりとは見えないけど、そこにあるのは確かな事で、まるで俺に見つけて欲しいみたいに微弱ながらも光を発していた。





「なんでだろうな…」





そんな星の瞬きが他人事みたいには思えなくて、どこにシンパシーを感じたのか自分の様だと思ったら、自然と口から疑問が零れていた。



手を翳してみる。雲に隠されたみたいにぼんやりとしていて、手が届かない事なんて勿論わかってはいるんだけど、はっきりと見えた日には掴めるんじゃないかって、何の根拠もないのにそんな事を考えた。





 

女心と秋の空、まあ、まだ夏先であるがそんな心情だ。どうして歌鈴が急に元気になったのかは俺には想像の余地も無い。

 

………それに、俺の気分も憑き物が落ちたみたいにすっきりとしていた。





やっぱり俺にはわからない事だらけだった。歌鈴の事も、俺の事も。だけど、いつかあの星を掴めたら、どうしてか理解できる気がしたんだ。





「明日は晴れるといいな」





掴んでみせるという意気込みから、無意識に手を伸ばしながらそう呟いた。小さな声の独り言だったけど、今度はしっかりと言葉に籠っていたと思う。



 

無意識に伸ばした手の先は、ついさっき見送った彼女の背中に向けられていたから。







終わり。ありがとうございました。



17:30│モバマス 
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