2013年11月10日

律子「本日はみーんーなーにー」

律子「私のとってーおーきーのーコーイバーナをー」

赤羽根P「律子のそういう話は聞いたことなかったな」

小鳥「えー! 聞きたい聞きたい!」


律子「まあ失恋なんですけどね」

小鳥「エロがあるならノープロブレムですよ! 律子さんだったらABCのYくらいは経験ありそうですよね!」

律子「ないよ! だったらって何ですかだったらって! 名誉毀損レベルですよ! 小鳥さん酒癖悪いなあ」

赤羽根P「音無さん、Yってなんですか? もう動物とか爆発物とか超能力とか使っちゃう感じですか」

小鳥「いやーん小鳥子どもだからわかんな〜い。律子さんYってなんですか〜。あ、ウォッカダブルロックでー」

律子「あー。早まったかも」

赤羽根P「そうかも知れないな。やめておくか? でも面白そうだし、酒の場だし」

律子「私は飲んでませんけどね。うーん、そうですねえ……」

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一昨年。みんなで海に行った前の秋のこと。
私がアイドルを辞めてプロデューサーになったすぐあとのお話ね。

その頃、765プロのプロデュース周りは社長が一人でやってて、他のスタッフは雑用だけやってるおじさんマネージャーと小鳥さんだけだった。

そのマネージャーのことは実はあんまり覚えてないのよね。ほら、学校でも先生は覚えてても用務員さんは名前も知らないでしょ? 仕事が重要かどうかは意味がないのよ、子どもにとっては。私たちにとってそのおじさんもそんな感じだった。
だから私がこの弱小プロダクションを救ってあげるわ! って、……今考えると恥ずかしいこと考えてたわね。

そんな恥ずかしい私だったから、社長がそのプロデューサーをマネージャーと入れ替わりに連れてきた時は、私がいるのに失礼な! って思ったものだったわ。

────────────────

P「36才、この業界一本なのでキャリアは14年になります。よろしくお願いします」

律子「は、はあ。よろしくお願いします(36ってお父さんとそんな違わないじゃない)」

P「社長から秋月さんのことは伺ってます。前途有望だとか」

律子「いや、あはは。私なんて経験も何にもないペーペーですから! この業界のこと教えてくださいね、先輩!」

このとおり。
我ながらちょろかったなあ。


でもプロデューサーはたしかに一緒に仕事のしやすい人だった。アイドルたちもすぐなついたしね。
お父さんみたいな年齢なのに、清潔で真面目そうなスーツで気さくでやさしくて、
そのうえ薬指に指輪があるからみんなも安心できたんだと思う。この業界には珍しいじゃない? まともな男の大人って。

私も仕事を丁寧に教えてもらった。プライドが高くて甘えベタと言われるワタクシでしたが
さすがにお父さんみたいな相手なら質問も抵抗なかったからね。
だから、社長と私と3人で最初のミーティングをした時プロデューサーの言葉を聞いて本当に驚いたの。

P「菊地さんか我那覇さんのどちらか、双子のどちらか、あとは萩原さん。まず3人クビにしましょう」

律子「え?」
律子「な、なんでですか!」

P「予算が足りません。そして今挙げた娘たちはキャラがかぶる相手が事務所にいます」

律子「キャラ?」

P「菊地さんと我那覇さんはアクションやダンス系で競合しています。
 双子はペアで売っても色物扱いのジリ貧で、バラなら1人で十分です。
 萩原さんはオーソドックスなアイドルとしての売り方になると思いますが、
 だったら天海さんの方がやる気があって素直で扱いやすい」

私が黙り込んだのは言い分を認めたからじゃなくて、怒りで言葉が出てこなかったから。
だって真も響もプロデューサーにはほんとによくなついていたもの。
特に一人で沖縄から出てきている響にとっては優しいお父さんというだけでうれしかったみたいだし、
真もちゃんと女の子扱いしてくれるプロデューサーによくまとわりついてた。

そして雪歩。男が怖いのは相変わらずだったけど、前のマネージャーにお茶を出したところなんて見たことなかったわ。
雪歩にとってプロデューサーは男の人ではなくて、安心できる大人だったの。
でもこのおじさんは、笑顔の裏でそんな3人をクビにしようと考えていたんだ。そう思ったら本当に腹が立っちゃった。

P「反論なしですか? 秋月さん。賛成かな?」

律子「さっ、賛成なわけないでしょう! まだあの娘たちは何もしてないんですよ!?
 それなのにクビだなんてひどすぎます!」

P「ひどいかひどくないかはどうでもいいんです。
 キャラがかぶって同じ事務所でシェアを食い合うことになる方が深刻な話です。
 野菜を育てるには間引きが必要でしょう。ちがいますか?」

律子「あの娘たちは野菜じゃありませんよ!」

P「まったくです。野菜なら水と土とお天道様だけで育ってくれる。
 ところがアイドルは息を吸うだけで金がかかるんですよ。
 宣材、衣裳、レッスン、手当て、営業、私たちスタッフの人件費と家賃。
 1人のアイドルが本来いくら稼いでこないといけないのか、そのあたりわかってますか?」

私は黙り込んだ。
その頃の私はアイドルひとりひとりのコストなんて考えてなかった。
ただ伝票を出せば小鳥さんがお金を月末に払ってくれるものだと思ってた。
何も言い返せなかったから、ただプロデューサーを睨みつけていた。

P「不服ならプランを出してください。とりあえず菊地さんと我那覇さんについて。
 あの二人がお互いを食い合わないで、本人たちも納得して売っていけるプランを。
 来月のミーティングで私と社長を納得させられなかったらコインを投げてどちらを切るか決めますよ。
 社長、それでいいですね?」

社長ならこの失礼な、何か勘違いしているおじさんを黙らせてくれると一瞬だけ期待した。
でも社長はうなずいて立ち上がっただけだった。

それからもプロデューサーのアイドルたちへの優しい態度は変わらなかった。
仕事ができるのもそうだけど、何よりすぐ使えるコネをたくさん持っているみたいで
毎日誰かしらを連れて営業やオーディションに行って、少しずつ小さい仕事を増やしていった。

変わったのは私への態度の方。
ほんのちょっとしたミスや手違いも追求して怒られる。ネチネチと原因と反省のレポートを書かされる。
それで縮こまったらさらに怒られる。でも私は全然仕事を取ってこれなかったから、何も文句は言えなかった。

その中でも毎日のようにせつかれたのは真と響の売り出し方だった。

たまにプロデューサーより早く帰ると

『プロデューサーがサボるとアイドルが路頭に迷う』

という嫌味ったらしいメールが飛んできた。
最後の方はもう、真や響を助けたいためじゃなくなってたわね。やっつけてやる! としか思ってなかった。

でもうまくいかなかった。

考えてみたら私、ひとに見せるためのプレゼンの資料なんて作ったことなかったんだもの。
小鳥さんに頼んで社長が昔作った資料を見せてもらって、真似しながら見よう見まねで作ってはみたけど。
自分でも何を言いたいのかわからない資料にしかならなかった。

ミーティングの前日、小鳥さんも帰ったあとで半べそをかきながら資料をいじっていたらプロデューサーが戻ってきた。
コンビニの袋を下げて。

律子「(何よ……)残業ですか」

私はすごく嫌だった。どうせ明日ぼろくそに言われるんだから、今日はそっとしておいてほしい。

P「その資料のレビュー。してないでしょう」

律子「? でも明日ですよね」

P「違いますよ。明日は社長への方針プレゼン。
 まさか内部レビューもしてない資料を見せるつもりですか」
 
律子「でも」

P「時間を割いてくれる人への礼儀ですよ。
 私だって資料を作ったら君にレビューしてもらいます。プロデューサーは二人しかいないんだから」

律子「でもプロデューサー、二人をクビにしたいんですよね」

P「もちろん。でもそれとこれとは別の話。どれ?」

律子「あっ」

プリントアウトした紙を取り上げられたらもう何も言えなくなった。

取り返す気力がなかったこともあったけど、本当にうまくできなくて、
誰かに添削してもらいたいのが正直な気持ちだった。それがこの嫌なおじさんでも。



P「わかりにくいなこりゃ」

律子「だってこういう資料作るの初めて」

P「だと思いました。で、初めてならずいぶんマシな方です。これならちょっとの手直しでいけますね」

プロデューサーが買ってきたのは二人分の夜食だった、ということを私が知ったのは0時をまわった頃だった。

日が差す頃に資料ができあがって、私はボロボロになりながら始発で帰った。

遊んで朝帰りの人たちってなぜか隣りじゃなくて向かい合わせに座って大声で話すのね。
人間を電車から突き落としたいと思ったのは生まれて初めてだったわ。


そして夜。スタッフのミーティングの時刻になった。




真「な、何が始まるんですか?」

響「う〜。自分、キンチョーしてきたぞ」

アイドルたちはみんな帰したはずだったのに、会議室に言ったら真と響が座っていた。
私は口をぱくぱくさせながら立ち尽くしていた。

律子「な、なんであんたたちがここにいるのよ」

P「私が呼んだんですよ。今日は彼女たちの話ですから」

高木「じゃあ、律子くんも来たようだし始めてもらおうか」

ま、まあ本人たちの目の前じゃひどいことも言わないわよね。アイドルには愛想のいい人なんだし。

P「では。今日の議題は菊地さんと我那覇さんのどちらと契約を継続するかです」

てっ、てめえ!



真「え?」

響「ケーヤク? ケーゾク?」

律子「ちょっ、プロデューサー!」

P「二人は知らないね。先月私が提案したことです。
 君たち二人はダンスやアクションが得意と目指す方向がかぶっている。
 当然仕事も似たようなものになるでしょう。そして二人分の仕事は見込めないんです」

真「な、何言ってるんですかプロデューサー」

P「似たタイプの2人を同時に売り込んでいく体力がうちにはない、ということです。
 だからどちらかにはうちとの契約を破棄してもらわなければならない」

響「だ、だって社長は言ったぞ! 自分は絶対トップアイドルになれるって!」

P「そうですね。でもトップアイドルになるためには環境を作らなければいけません。
 その1つが、タイプの似ているアイドルは減らして事務所の力をすべて注ぎ込むことです」

しばらく誰も口を開かなかったわ。
私は真や響の顔を見ていられなかった。
だってあの2人にとっては、会社のひとに厳しいことを言われたというより、
お父さんに見捨てられたという方が近かったように思えたから。

真「……それで、どっちが残るんですか?」



響「真!? なんで納得したみたいなこと言うんだ!? こんなのおかしいと思うぞ!」

真「でも響、ボク、トップアイドルになるまでにはこれからもこういうことがあると思うんだ。
 ボクはその時に負けたくないから、今だって響に負けたくない」

響「真……」

P「とまあ」

本当にのんきな声。憎たらしい。

P「私はそういう意見なのですが、秋月さんは反対しています。
 なので、今日はその、2人ともぶつからずにトップを目指すプランを考えてきてもらいました。
 今日はそれを検討する場です。だから2人にも聞いてもらいます。社長、よろしいですね?」

社長がうなずくと、プロデューサーは私のノートPCを奪い取ってプロジェクターにつないだ。

律子「え? この部屋プロジェクターなんかありましたっけ?」

P「私物です。そのうちきちんといいの買いましょう」

ノートPCを私に返す時、プロデューサーはほんとに小さく私の手の甲を叩いた。
こんな奴に触られて気持ち悪い、と一緒に勇気も出てきてちょっとびっくりした。



律子「まず結論から申し上げます」

プレゼンの仕方は昨日の夜に一夜漬けで教えられた。結論から、わかりやすく。
声が震えていて情けなかったけれど、本当に緊張してたんだから仕方ないでしょう?

律子「プロデューサーのおっしゃった、真と響がお互いのシェアを奪い合うという前提が間違っています。
 私は逆に、2人はまずデュオを組んで活動するべきだと思います。これからその説明をします」

真と響の顔がほっとしたようにゆるんだ。それで震えがすとんと落ち着いた。
そう。おじさんは敵で、社長もわからない。
私ががんばらないと。いま、この場でこの二人を守れるのは私だけだ。

まず流したのはダンスの映像だった。
自主トレをしていた2人に並んでエージェントを踊ってもらった時のものだ。
特に説明を加えないで、一曲分流した。これはプロデューサーの意見に従った。

社長「いやあ、2人のダンスはいつ見てもいいねえ!」

P「まったくです。ところで君たち自身はどう感じた?」

真「響のダンスっていいですよね。のびのびしてて楽しそうで」

響「えへへ。真はピシっと筋が通っててかっこいいさー」

真響「「えへへー」」



律子「ダンスがうまい、という一言だとわからないのですが、並べてみると印象が全く違います」

社長「うん。これはなんでだろう」

響「あ! あのさ、自分わかったぞ!」

P「静かに。社長が考えています」

真「ボクもたぶん……」

P「回答権はまず社長です」

社長「これはきっと、2人が習ってきたものの違いだね?」

律子「そうだと思います。真は空手の有段者で響は琉球舞踊を習ってたのよね?」

響「社長、大正解だぞ!」

律子「空手は残心っていうんだっけ? 動作のあとに重心と姿勢を整えるのよね」

真「うん!」

律子「そこからまた素早く動くから、キビキビした踊りに見える。

 較べて響の琉球舞踊は動きのなめらかさが大事だから……」

P「同じダンスでも並べてみると印象が違うんですよ。
 そこで社長、ここがポイントなんですけど」

社長「なんだね?」



P「私と社長はダンスの経験者じゃないのに、それを感じ取ったんです」

社長「なるほど。そういうことか」

真「どういうことですか?」

律子「つまり、普通のファンでも2人が並んで踊る様子を見れば同じように違いに気づくだろうってこと。
 なんだかうまいなあ、だけじゃなくてちょっと違うな、って気づくのよ」

響「それがどうかしたのかー?」

律子「どうですか、社長?」

社長「うん。私みたいな素人にとっては、いいものの違いがわかるというだけで嬉しいものなんだよ。
 目が肥えたつもりになれると言えばいいかな。そうだね。もっともっと2人一緒のダンスが見たくなるね」

律子「それが私の結論です。真と響は1人ずつだとただのダンスのうまい女の子です。
 それならいくらでもいると思われがちです。でも2人揃うことでそれぞれの個性をはっきり見せられるんです。
 タイプがはっきり違って、でもレベルの高いダンスを見せられるメリットを捨てるなんてできません」




律子「まずはコンビでダンスの仕事をメインに取っていきます。最初は男性アイドルのバックダンサーとかですね。
 バックダンサーといってもステージを経験することは無駄にはなりません。
 男性アイドルの女性ファンがすぐ2人のファンに結びつくことはないでしょうが、制作側には名前が売れます。
 そこを足がかりにして機会を増やしていく方針です」

P「2人とも呆れるほどの美少女で華がある。性格もいい。使ってみたい、と思う人間はたくさんいます」

律子「どうですか、社長?」

社長「うん。私はもう一度2人のダンスを見たいと思わされてしまったからね。Pくんが良ければ不満はないよ」

P「私よりも君たちはどうですか? この方針でがんばれそうですか?」

真「うん! ボクは賛成だよ!」

響「自分も、だぞー……! ぐすっ」

律子「ちょ。何泣いてるの、響」

響「な、泣いてなんかないぞ! でも嬉しくて……うれ……うわあああああん!」

律子「わ、わー! ちょっとあんた大丈夫!?」

P「こりゃいかん。今日のところは閉めましょう。二人は賛成ということで、秋月さん。
 我那覇さんを落ち着かせてあげてください」



数分後、更衣室。


響「ぐすっ。うぐっ」

律子「ほら鼻かんで」

ちーん。

真「落ち着いた?」

響「うん。……もう大丈夫だぞ。ごめんな律子」

律子「どうしたのよ。もしかしてさっきの話、嫌だった?」

響「ううん! 嬉しかったぞ。ほんと嬉しかったんだ。だから、だからぁ(じわり」

真「わ、ちょっと! 響ストップ」

ぐすっ。ずずっ。

真「でもボクもわかるな、響の気持ち」

律子「あんたも?」




真「うん。アイドルになってデビューするんだって思ってても、仕事はいつもあるわけじゃないしあっても……なんて言うんだろ。
 意味? かな? がよくわからなかったから」

響「うん……」

律子「どういうこと?」

真「ボクも響もこれから自分がどういうふうになるのか、どういうアイドルを目指すのかわからなくて
 言われたようにお仕事してただけじゃないか。それも反応がいいとは思えなかったし」

響「不安だったんだぞ……
 人気アイドルになれるのかどうか、じゃなくて自分のことちゃんと考えてもらえてる感じがしなくて」

律子「ちゃ、ちゃんと考えてたわよ」

響「自分わからなかったから……でももう大丈夫だぞ!
 プロデューサーはひどい奴だけど律子が守ってくれるってみんなに言うからな!」

律子「ちょっ! それはやめなさい! みんな不安がるでしょ。今日のことはみんなには内緒!」




ガチャ

律子「ふう。ただいま戻りました。遅いから駅までタクシー使わせましたよ」

P「お帰りなさい。2人の様子は?」

律子「2人ともやる気を出してました」

P「そりゃよかった」

律子「響が泣いちゃうなんて驚きましたよ」

P「田舎から出てきて一人暮らしですよね。焦るのは当然です」

律子「ところでプロデューサー殿」

P「はい?」

律子「真美たちと雪歩もまだクビにするつもりですか?」

P「ええ。君が今日みたいなプランを出してくれない限りはね」




律子「はあ……。でもクビにしたいわけじゃないんですよね?」

P「もちろんです。これまでかけたお金が無駄になるし、何より悲しませるのはいたましい」

律子「だから売り方を考えると」

P「その通りです」

律子「私が?」

P「期待しています」

律子「失礼ですが、ご職業をうかがってもよろしいですか?」

P「芸能事務所でプロデューサーをしています」

律子「だったら!」

P「アルバイトですけど」

律子「え?」




P「私はここの正社員じゃないんですよ。アルバイトではないけど、短期の契約なんです。11月から4ヶ月」

って、来年の2月まで? ええ?

律子「え?」

P「育成方針みたいな大事なことは長く付き合う社員が決めないとダメでしょう」

律子「え?」

P「」(カタカタ)

律子「……」

P「」(カタカタ。カチカチ)

律子「えーと、あの、何で社員にならないんですか?」

P「色々あって。我が身の恥だから勘弁して下さい」

律子「恥……」

P「さて終わった。君は当然残っていきますね? 双子や萩原さんは君にかかってるわけですから」

律子「わ、わかってますよ」

P「今日の2人の売り方や仕事のとり方についても、
 具体的な方針を明日には話してあげる必要がありますよ。
 せっかく上がった意気を無駄にしないよう、どんどん施策を打っていかないと」

律子「わかってますって!」

P「君がサボれば2人が路頭に」

律子「わかってますよ! ああもううるさいなあ!」

ちょっと見なおすつもりだったんだけど、考えなおす!
やっぱり嫌味なおじさんだわ、この人!




一ヶ月後

受話器を取ったら怒鳴られた。

ディレクター『ちょっと765さん! 萩原さんがまだ現場入りしていないんだけど!』

律子「え? でも、そちらの仕事は明日……」

ディレクター「違うよ! 今日でしょ! 日曜日! 平日のショッピングスクウェアでロケするわけ
 ないでしょ! サンデー! ビューティフルサンデー!」

律子「え? でも、え? あっ」

P「はい、お電話変わりました。申し訳ございません。
 状況を確認しすぐ対処いたします。折り返しご連絡いたします」

律子「プ、プロデューサー」

P「萩原さんて確かこれから広告の撮影でしたね。ダブルブッキングですね」




律子「あの! ぜったい明日でした!」

P「駆け出しの頃は誰だって一度や二度はやりますよ」

律子「いやぜったい」

P「よくあることです。落ち着いて対応策を」

律子「だから私のせいじゃ」

P「はい! 黙って!」

律子「ひっ!?」

P「落ち着いてください。大したことじゃないんですから」

律子「いや、でも、先方とても怒ってましたし、雪歩は一人しか」

P「そりゃ怒ります。それは不安だからです。仕事に穴があくかもしれないから。
 うちがきっちり穴を埋めればいいだけの話です」

律子「は、はい」

P「今日自主トレかレッスンで上のフロアにいる子でまわすしかないでしょう。誰がいますか?」

律子「やよい、あずささん、響、貴音、真美……」

P「その中で。誰にしますか?」

律子「わ、私が考えるんですか?」




P「自分でフォローしないと自信を失ったままですよ」

律子「じゃ、じゃあ……」

律子「(あっちの仕事は地域ケーブルテレビ。
 横浜にできた新しい家族向け商業施設のレポート。22分)」

律子「(雪歩が求められてることだったら、貴音なら器用にこなすはず……)」

律子「貴音で……」

P「四条さんですね。呼んできます」

律子「いや、ちょっと待ってください!」

律子「(あれは前の仕事で雪歩を気に入ったディレクターが声をかけてくれただけで)」

律子「(私は、雪歩はミスマッチだと思ってた。どうしてだっけ?)」

律子「(もちろん貴音ならうまくやるけど、私がほんとに出したかったのは貴音じゃなくて……)」

律子「や、やっぱり真美とやよいでお願いします!」

P「萩原さんの代役なら四条さんがいいと思いますよ」

律子「う、それは、そうですけど、でも真美とやよいで!」

P「なぜですか? 理由は?」

律子「カンです! あなたが言うとおり私が決めたんです! 文句ありますか!?」



P「カンなら異論はありません。すぐに2人を連れてくるから資料をまとめておいてください。
 車で移動している間に説明します。秋月さんも早く免許を取ってください。この仕事には必須ですよ」

プロデューサーを送り出してから、私は予定通り雪歩を連れて本来の仕事に行った。
段取りが悪くて遅くまでかかったけれど、雪歩はびっくりするくらい頑張ってくれた。
もしかしたら、私が不安でたまらないのを感じたのかもしれない。

仕事が終わったころ、プロデューサーが現場にやってきた。




P「いい表情でしたよ、萩原さん」

雪歩「あ、ひゃ! お、おつ、つっつつ」

P「怖かったら無理せずに秋月さんの陰に隠れなさい。タクシーを呼びましたから急いで着替えてきて。
 お宅には遅くなると連絡していますが、君もこれから帰ると連絡をお願いします」

雪歩「は、はいぃ」ててて。

律子「プロデューサー、あっち、どうでしたか」

P「成功でしたよ。一緒にまわってくれた女優が2人をとても可愛がってくれました」

律子「(ああ、そうだ。子どもと合いそうな女優さんだって思ったんだ)」

律子「よかった。安心しました」

P「四条さんだったらあそこまで和気あいあいとはならなかったと思います。秋月さんのカンが当たりましたね」

律子「でも、そもそも私が間違え」

ディレクター「おー! 久しぶりPさん」

P「これはディレクター、ご無沙汰しております」

ディレクター「なに? Pさんはりっちゃんと知り合いなの?」

P「今は765の仕事をさせていただいてまして」

ディレクター「へえ。ってことは高木さんのところかあ。許してもらえてたんだ。よかったじゃないの!」

律子「(許す?)」




P「おかげ様です」

ディレクター「で? 新米プロデューサーが心配で見に来たって?」

このディレクターとはアイドルをしてた頃からたまに仕事をさせてもらっていた。今でもその時のままちゃん付けで呼ばれる。

P「普段は心配なんか必要ありませんけどね。今日は約束ダブっちゃってばたばたしたから」

ディレクター「ありゃあ。ダブルかー(にやにや)」

律子「ちょっと! わざわざ言いふらす必要ないじゃないですか!」

ディレクター「じゃあこれでりっちゃんも一人前かな?」

P「いやいや。あと一回はやりますよ。でも二回はきっとありませんね。本当に聡い方です」

ディレクター「りっちゃん、この人がいるうちにできるだけポカしとけよ? 今は失敗するのが仕事なんだから」

律子「そんな! 今日はたまたまですって」




P「ポカは今後もしますよ。それはしょうがない。でも今日の対応はとても良かった。私よりいい人選をしました」

ディレクター「へえ。雪歩ちゃんの穴埋めを急場でこなす子がいるの。今度宣材見せてよ。っと、時間だからまた! Pさん今度飲もうね」

律子「お疲れさまでした!」ぺこり

P「ありがとうございました」がばっ

律子「ふう」

律子「(うわ、まだ頭下げてる)」

律子「(すっごく深く頭下げる人だなあ。あ、つむじのあたりが薄い。やっぱり36ともなると)」

P「と、まあ」

律子「は、はい!」

P「うん?」

律子「な、なんでもないです。今日は本当にありがとうございました」




P「ダブルブッキングは環境や仕事量など、状況が変わった時にはやってしまうものです。
 これはもう仕方ないことで、酒を飲んで忘れるしかありません。
 それよりも高槻さんと真美を良い感じで印象づけられたことと、
 秋月さんがトラブルを落ち着いてまとめる人だとスタッフに知られたことを喜びましょう」

律子「そ、そんな、私なんか」

P「立派なものです。でも今日はもう休んでください。萩原さんを送ってそのまま帰宅して結構ですよ」

律子「え、プロデューサー殿は?」

P「車を戻しがてら、残った事務を片付けないと」

律子「なら私も戻ります。雪歩を送ってから」

P「熱心ですね。いいですけど。気が変わったら遠慮なく帰っていいですからね」




事務所 22時過ぎ

P「よし、私は終わりです。秋月さんは?」

律子「もう少しかかります」

P「なら戸締りはお願いしますね」

律子「(まあ、さっさと帰るわよねえ、奥さんいるんだし)はい……今日はありがとうございました」

P「どういたしまして。でもいい経験になったでしょう」

律子「はい、本当に、って忘れてますよ?」

P「何を?」

律子「指輪です。机の上」

すぐ隣りの席なのに私はそれを取って渡すことができなかった。

夫婦以外の手が触れちゃいけないような気がしたから。

P「ああ、そのままでいいですよ。明日は早出だからここに置いて帰ります」

律子「いやダメでしょう。奥さん怒るでしょう」

P「結婚していませんから」

律子「は?」



P「それ、飾りです。私くらいの年齢だと独身というだけで不審がられるんですよ。何か問題があるんじゃないかって。
 だからダミーで指輪をつけてるんです。伊達指輪といえばいいのかな」

律子「は?」

P「実際ここでも指輪のお陰で抵抗なく溶け込めましたし。もちろんみんなには秘密ですよ。
 知っているのは社長と秋月さんだけ。音無さんも知りません」

律子「はあ……」

P「ではまた明日」ガチャ

律子「あ、はいお疲れ様でう」

律子「いた……噛んだ」

律子「(まずい)」

胸がどきどきしているのが、触らなくてもわかった。

律子「(独身? まずいでしょ)」

まずい。これはまずい。

律子「まずいなあ」

自然につぶやきが漏れた。

惚れっぽくはないつもりだったんだけどなあ。




数日後


律子「プロデューサー殿、レビューお願いします」

真と響にははっきりといい効果が出ていた。
予想通りダンスの仕事が増えてきたのもそうだけど、
二人が迷わず明るく仕事もレッスンも励むようになったことで事務所の空気が変わってきた気がする。

それはもちろん他の娘たちには羨ましいことで、春香には早く自分もプロデュースしてほしいとねだられた。

待たせているのは可哀想だけど、スタッフを信じられるから待つのもそれほど苦にはなっていないみたい。

スタッフ、というより私をという方が正しいかもしれないけれどね。

真か響のどちらかをクビにする、とプロデューサーがはっきり言ったことはみんなにも伝わってしまっていた。
そして、その話は否定するなと当のプロデューサーからきつく止められていたから、私は何も言えなかった。

その結果、みんなのプロデューサーへの態度はどこかよそよそしい。
でもプロデューサーは気にした風でもなかった。
どういう神経をしているんだろう、このひと。

私たちの倍も生きると、私たちみたいな子どもに嫌われてもこたえないんだろうか。


私にどう思われているかも、きっと気にもしていないんだろうな。



P「会議室でやりましょうか。レビューは双子と萩原さんのどちら?」

律子「両方です。まずは亜美真美から」



律子「私が考えたプランは双子ということを利用せずまるきり別々の方針で売り出すことです」

亜美と真美の特徴はまず何といっても双子だというところだけど、
レッスンの呑み込みや場を察する能力は他の娘たちに比べても劣っていない。

素晴らしいアイドルの卵が2人いて、さらに双子というおまけがついてきていると考える方が正しいのだ、
というのが結論だった。

そしてやっぱり、双子というメリットは大切にするべきだった。それに頼るだけでは先がないというだけで。

それぞれが別の分野で活躍する。
とりたてて双子であることを利用しない。

それがいちばん双子であるメリットを活かすことになる。
双子という特徴に頼らないことが、765プロの自信を示してくれる。

律子「仕事のジャンルを分けるのはもちろんですけど、イメージから差別化していきたいです。
 そのために、真美はユニットの1人として、亜美は個人でセールスをかけます」



律子「亜美は年齢相応の子どもらしい仕事、真美のユニットはもう少しアダルティな路線にしていけば、
 イメージも仕事もぶつからないで済むと思います」

P「なるほどね。まず大事なことだけど、思いますはやめて断言してください。
 私だって同業なんだから不安なのはわかっています。
 それでも断言して相手を信頼させるのが仕事なんですよ」

律子「は、はい」

P「あと、双子のどちらかをクビにする案は社長からストップがかかりました。
 あの2人はまだ若いし結果を急ぐつもりはない、とのことです。
 とはいえ基本方針は今のものでいいと思いますから、具体的に詰めていきましょう。
 ところでどうしてソロの方を亜美にしました?」

律子「や、それは……真美のほうが聞き分けがいい面があるから、ユニットを組む誰かの負担がないかと」



P「それはそうかもしれませんが、我慢が必要になるのはソロの方です」

律子「あ、はい。でもそちらは私がきちんとケアできます。1対1ですから」

P「子ども相手に細かいケアをするのは難しいですよ。
 私は、あの2人だったら真美のほうが我慢強いと感じましたが」

律子「はい。だからユニットの方に真美を」

P「ユニットは何人の構想ですか?」

律子「デュオです」

P「トリオなら他のメンバーがうまく面倒を見てくれるのでは。そうすると、亜美でもかまわなくなる」

律子「それは確かに……けど、いきなりトリオで売り出すのはコストとリスクが大きいような」

コストを考えろ、とは最初に言われたことだ。
ほら、ちゃんと考えてるんだからね。

P「そのあたりは社長に判断してもらえばいいでしょう。
 山師の面もある人だし金集めはうまい人です」

P「プロデューサーはコストに無知ではいけないけれど、
 知った上で気にしないのも大事ですよ。
 経営者がリスクを踏む時の理解者になることも仕事のうちですから」

律子「(しょぼん)わかりました……。トリオでもう一度、亜美真美のどちらかから考えてみます」



P「はい。双子はそれでいいとして萩原さんですか」

律子「はい……」

P「難しいですね」

律子「はい……」

P「クビも仕方ないと考えていますか?」

律子「クビは絶対に間違いです。でもそれをうまく説明できなくて」

P「そういう場合は将来性ではなくて現状の分析をしてみるといいですね」

律子「現状?」


P「最近は菊地さんと我那覇さんの仕事が増えてきたけど、
 コンスタントに萩原さんの仕事はありますよね。
 現にダブルブッキングは萩原さんで起きた」

律子「でもそれって、プロデューサーが取ってきてるからですよね?」

P「はい。契約を切るしかないと思って先々月から先月にかけて強めに営業をかけました。いわゆる思い出作りですね。
 ところがその動きをとめた今月も仕事の頻度がそれほど減っていません。
 一度仕事をした先からのリピート率が悪くないんです。
 これはと思って萩原さんが出た地方局のバラエティ番組の映像をじっくり見てみました」
 
 それは数日前に見かけていた。
 雪歩を隣りにちんまりと座らせて、2人でノートPCを覗き込んでいた。

 最初はあずささん2人ぶん位の距離を空けて座っていた雪歩が、
 そのうち響1人ぶんの距離まで近づいていたのを見て仕事が手につかなかったのは認めたくない記憶でもある。

P「萩原さん、ツッコミ役のタレントがうまくいくのかもしれません」

律子「雪歩が? ツッコミ? いやいやいやいや」

それはない。



P「なんでやねんだけがツッコミじゃありませんよ。
 ところでツッコミってなんだと思いますか?」

律子「え、な、急に。でも、なんでやねんじゃないんですか?」

P「違います。ツッコミというのは、ボケに対して常識を提示する役目のことです」

律子「すいません。半分くらいしか理解できません」

P「萩原さんはその番組中ずっと縮こまってしゃべれませんでした」

ああ、撮影終わったあとひさしぶりに「埋まってます〜」と倉庫に閉じこもってた日のことだろう。

P「でも、映像を見ていると誰かのボケやアクションのあとに萩原さんの表情がよく映されるんです」

律子「ああ、なんとなくわかった気がします」

ツッコミの人が言葉で指摘することを、たぶん雪歩はびっくりしたりこわがったり喜んだり
表情で伝えているのだろう。とても自然に。

その飾りのない表情を見て視聴者は

「ああこの人は変なことを言っているんだ」と
「自分の感覚は正しいんだ」と再確認できる。

それはたぶん、雪歩にしかない才能なんじゃないだろうか。
他の子は物怖じしないから芸能人らしさがするかもしれない。
そうでなければ、感覚が常識からはすこし外れてしまっているか。


律子「そうは言っても、そんな曖昧な説明を社長にはできませんよ。雪歩にはなおさらです」

P「そうなんですよねえ」

二人して腕組みして黙りこんでしまった。

P「リピート率が高いのは、ファンがついたのではなく制作スタッフに好かれているからです。
 ある人は彼女を健気な努力家だと言っていました。
 スタッフからの好意は立派な武器です」
 
律子「はい」

私もアイドルだったからそれはよくわかる。

スタッフの気持ち次第でできは大きく変わってしまうものなのよね。

P「あと、萩原さんはネットの評判がすこぶるいい」

律子「そうなんですか?」

P「多分ですけど、実家に関係があるんじゃないでしょうか」

律子「え?」

P「彼女のご実家の関連会社にソーシャルゲームの制作会社が2社ありました」



 
律子「雪歩の実家がインターネット関連って意外です。建築関係かと思ってました」

P「本業はそちらでしょうけど、ヤクザは儲かる仕事はなんでもやります。
 インターネット黎明期にその普及を支えた原動力はアダルトサイトでした。
 その頃からずっとネットは稼ぎ場ですから、
 当然萩原さんのご実家にとっても得意分野ですよ」

律子「つまり……ええと?」

P「ネット上の情報収集と操作にかけてはプロだということです」

律子「雪歩のお父さんが雪歩のいい評判を流しているってことですか?」

P「1人がそんなに簡単に情報操作できるはずがありませんし
 バレたら逆効果であることはご存じでしょう。
 それに、お父上は活動に反対されておられますから支援は考えにくいです」

P「でも、だからこそ、自分の娘を悪し様に書く誰かを特定して
 発言できなくさせるというくらいのことはしているのではないかと」

律子「……小説とかなら面白いと思うんですけど。現実に可能なんですか?」


P「本当にしているかどうかはわかりませんが。ですが、萩原さんには明らかな力があります。
 喋らなくてもカメラを引きつけた独特の存在感。
 スタッフに支えよう育てようと思わせる健気さ。
 そして情報戦に強い実家」

律子「それって、どれひとつとして雪歩に説明できませんよ」

P「社長なら今の分析だけで継続はしてくれると思います。
 秋月さんの課題は、今話したようなことではなく
 うまく萩原さんに目的と方針を見せてやる気を盛り上げてあげることですね」
 
律子「難しいですね……プロデューサーの分析は信じられるところもあるけど、
 よくわからないところもあります。
 それはちょっと忘れて、雪歩に向いた方針をもう少し考えてみます」
 
P「それがいいでしょう。私は今月末で終わりなのでそこまでですが、協力します」

律子「あ、そ、そうでしたね」

少しふざけてみようかと思った。

律子「これからが大変なのに、私たちを捨てていくんですよね」


P「そう言うと思って、身代わりと言ってはなんですが、いいプロデューサーを1人捕まえました」

律子「え? いいプロデューサー?」

P「赤羽根という男なんですけどね。いま26かな?
 少し前に一緒に仕事をしました」

P「まだまだですけど、アイドルを何よりも優先するという
 いちばん大事なことはわかってる男です。
 これがいま、アイドルを道具にしか考えないところでストレスフルで働いてます。
 次年度から765に来るように話を進めてます」

律子「あの、そんなにここにいたくないんですか?」

社長は心からこの人を信用している。私よりもずっと。

アイドルたちからは真と響の話があって距離を取られているみたいだけど、
能力という意味ではみんな認めている。私よりもずっと。

なんでその、知らない人を入れてまで辞めなければいけないんだろうか。

P「頼まれた仕事は終えてますからね」

律子「雪歩は宙ぶらりん、他の子には大まかな方針も出していないのに?」

これで仕事が終わったなんて、よく言えるものだ。


P「我ながらいい結果を出せました。ああそうだ。これ、差し上げます」

律子「へ? ブレスレットと……ネックレスですか?」

P「プレゼントです。経費で落とすので遠慮はしないで」

律子「なな、なんですか。ももももらうじゃなくていただく理由がないんですけど」

P「仕事のうちですよ」

律子「へ?」

P「アイドルたちに見えるようにたまにつけてください。
 そうして訊かれたら、彼女たちの働きで少しボーナスが出たと」

律子「え、え?」

P「私たちは彼女たちに養われているんですよ。
 あなたがそれを身につけて感謝すれば、それはあの子たちの誇りになるんです」

P「アイドルにいちばん大切なのは張りですよ。
 自分は特別な存在でみんなを食わせているんだっていうね。
 そのためにはわかりやすいかたちで
 あの子たちの苦労の結果を見せてあげるのが大事なんです」

律子「そ、そういうものなんでしょうか。
 でもわざわざ買ってくれなくても言ってくれるだけで」

P「私じゃないと経費では落ちませんよ」

律子「そっか、あ、でも、あ、ありがとうございます。大事にします」

P「私のセンスだから気に入らなければ自分で別に買ってください。
 次からは自分のお金でね」

律子「そんな、大事にしますよ」

大事にしないわけないじゃない。もう!



それから半月、油断したらまずいことを言っちゃいそうな気がして気後れしていた。

そうしたら、あっという間にプロデューサーが辞める日がやってきた。

美希「じゃあオジサン、ばいばいなのー! 真くん、貴音、帰るの!」

真「え、ちょっと、美希! ああもう! おつかれさまです!
 えと、今までありがとうございました!」

貴音「失礼致します。ぷろでゅーさー殿もご健勝で」

がちゃ。ばたん。

律子「もう、あの子たちったら。プロデューサーの最終日なのに」

P「それでいいんですよ。スタッフが一人辞めるくらいで騒ぐようじゃ困ります」


真「美希ー、ボクもっとプロデューサーにお礼が言いたかったよ」

美希「あれ? 真くんてオジサンのこと嫌いじゃなかったの? だから早く帰るようにしたげたんだけど」

真「それはまあ、響とどっちかクビにするって言われたのは頭にきたけど、
 そのあとはしっかり仕事を取ってきてくれたし。
 それなのに態度悪かったかもってちょっと反省してたんだ」

美希「あふぅ」

真「えーと、質問したの美希だよね……」

美希「えーとね、今日は真くんじゃなくて律子が一緒にいなきゃだと思うな」



真「え? 律子? なんで?」

美希「真くんにはむずかしいの。貴音はわかるでしょ?」

貴音「ええ。とはいえぷろでゅーさー殿は結婚されてますが」

美希「え? そうなの?」

真「指輪してるじゃないか」

美希「別に指なんか見ないの。
 へえー。オジサン結婚してたんだ。ちょっと意外。
 だったらきっと奥さんとうまくいってないんだと思うな」

真「なんで?」

貴音「どうしてですか?」

美希「んー。わかんない。なんとなく奥さんがいる人に見えないの。
 そんなのどうでもいいからサイゼ寄ってこ! なの!」

真「仕方ないなあ」

貴音「先ほど幕の内弁当を二つほど食べたばかりなのでそれほどは食べられませんが……」

真「別の意味で仕方ないなあ」


律子「ねえ、プロデューサー」

P「はい?」

プロデューサーはさっきから自分のノートPCにDVDを忙しく出し入れしている。
私は仕事をするフリで、裏紙にいろはにほへとを書いていた。

万年筆を勧められて持つようになってから字を書くのが楽しくなった。

 ――色は匂えど 散りぬるを

律子「来月からどうするんですか?」

P「同じですよ。今度は961プロで新規ユニットの立ち上げに関わります。
 メンバー選抜とデビューまでの指導です。男性ユニットだという話です」



律子「961プロ! 大手ですね」

P「黒井社長には高木社長とおなじく良くしてもらっていますから」

律子「そこは社員で?」

P「いえ。立ち上げだけですから、やはり4ヶ月ほどでしょうか」

律子「えーと、どこかの事務所で腰を落ち着けようとかは思わないんですか?」

P「私を雇う事務所はありませんよ」

律子「え?」

P「うん。そうですね。最後に話しておきましょう。私のこと」

律子「……」

P「新人だった頃ですが、私は会社の金を横領したんですよ」


律子「……おう、りょう?」

ぜんぜんピンと来なかった。

横領という言葉は聞いたことがあったけど、
それは頭の悪い人がすることだと思っていた。想像力のない人。

P「はい。その頃抱えていたアイドルの売り出しのために、
 社内稟議を通さずに先輩たちの予算を使い込んだんです」

律子「えーと、つまり自分のためじゃないんですね」

P「自分のためですよ。とにかくその子を売り出したかったんです。
 この子を世に出さないと、世の中が暗くてつまらない場所になる。
 そう思わせる子でした」

律子「すごい、ですね。その人は今は?」

P「私の横領が発覚して担当を外れてからしばらくして、
 突然の妊娠と入籍で引退しました」

律子「それは……」

この人が担当のままでも、そんなことになっていたのだろうか。


P「昔の話です。私の横領とま……その子の引退とが信用を著しく下げて
 事務所は倒産しました。
 高木社長と黒井社長はその事務所にいて、私が予算をくすねた先輩たちです」

律子「……そうだったんですか」

 ――我が世たれぞ 常ならむ

P「賠償請求でできた借金は今でも払っていますし、
 横領をしたような人間を雇う事務所なんてありません。
 でもこの業界からは離れられず、こういうショットの仕事で食べている次第です」

律子「高木社長はプロデューサーのことを信頼しているようですけど。
 多分社員で雇ってもらえるんじゃないですか?」

そうしたら、一緒に働ける。社長に頼んだっていい。

P「そうですね。高木社長なら私をもう一度信じてくれるでしょう。黒井社長もそうです。でも無理です」


律子「どうして、ですか?」

P「私が許さないから。

 高木社長は私を許すことができます。でも私自身は私の裏切りを許せない。
 だから高木社長が許してくれたと心からは信じられないんです。

 その結果、私は、いつか報復をされるのだったらと、
 被害妄想を先取りしてまた裏切ることになるでしょう」

P「裏切りを本当に許せる人間関係なんてありません。
 少なくとも私はできません。
 そして私は、高木先輩と黒井先輩だけはもう二度と裏切りたくないんです」

律子「なんか、よくわかんないんですけど」

P「あと10も歳をとれば理屈でねじ伏せられない感情も理解できますよ。
 滑稽だと自分でもわかっています。理屈ではありません」

律子「でも……どこかでじっくりとアイドルを育てたいと思わないんですか?」

P「思いますよ」

言葉はため息と一緒に吐き出された。久しぶりにこの人の年齢を思い出した。


P「憧れます。素晴らしいアイドルを送り出せれば、
 そのぶんだけ世の中は明るくて楽しい場所になる。
 そのために働きたいです。
 ショットの仕事だけでは権限に限りがありますから」

律子「……いつか」

 ――有為の奥山 今日越えて

P「はい?」

律子「今の若手で昔のあなたを知ってる人なんて一人もいません。
 話には聞いてるかもしれませんけど見たものしか信じないのが
 この業界の人間ですよ。
 そういう世代の人が経営者になったら」

P「いいですね。私の過去を知らない人のもとでなら、
 生まれ変わった気持ちで働けます。10年後かな」

律子「5年くらいじゃないですか」

それだけあれば、なんとか。

P「はは。では5年は食いつながないと」

それきり話が途絶えてしまった。


プロデューサーは相変わらずDVDの出し入れをしている。

小鳥さんはお使いと言って出ていってしばらく戻ってきていない。
スタッフだけの送別会は21時からで、なんとなく小鳥さんは直前まで戻ってこない気がする。

律子「あの、手伝いますか?」

P「ありがとう。でもこれが最後の1枚ですから」

律子「何をしてたんですか?」

P「ライブ映像をいくつかコピーさせてもらいました。
 関わった子のものは手もとに置いているんです。
 社長の了承は頂いていますのでご心配なく」

律子「はあ……」

でも、ライブをした子なんていただろうか。

律子「あの、誰のですか?」

そう聞くとプロデューサーはノートPCのイヤホンジャックからプラグを引き抜いた。

曲の途中だったみたいで聞き覚えのある、予想もしなかった声が流れてきた。

律子『何のためにいるんだろう さーがーしーてるー』

律子「な? これ、私ですか?」


P「そうですよ。音無さんが教えてくれて」

律子「ちょっとやめてくださいよそんなの! もうアイドル辞めたんですから!」

P「まあまあ。世に出回っているものでしょう。恥ずかしがらないで。
 データはPCに残ってますから焼いたディスクを捨てても無駄ですし、
 このPCにはパスワードロックがかかっているので
 秋月さんが自力で消すのは無理です。あきらめましょう。

 美人はその美貌の分だけ不自由になるものですよ」

律子「び、びび美人だなんて」

律子『いっぱいいっぱいいっぱい……』

律子「(ああ、最後のライブのだ。)」

律子「(小さなハコで)」

律子「(お客さんもいつもの顔ぶればっかりで)」

律子「(あの晩、アイドルやって初めて泣いたんだった)」

 ――浅き夢見じ 酔いもせず。
 
律子「あの」

P「はい?」

律子「プロデューサーだったらこの娘をどうプロデュースしましたか?」


たまに頭をよぎったことだった。

もし自分がアイドルをやっていた頃、この人が面倒を見てくれていたら。
もう少し続けていられたんじゃないか。
この人とならアイドルも楽しかったんじゃないか。

P「面接でアウトですね」


律子「えっ?」

P「書類と写真は文句なく通しますが私が面接したら断ります」

律子「そう……ですか」

P「不服ですか。でもあなたはアイドルにはなれませんよ」

律子「わかってますよ。だから今プロデューサーしてるんですし。でも」

律子「(でも、嘘でも優しいこと言ってくれたっていいじゃない。最後なのに)」

P「君はかわいらしくスタイルもよく、野心があってしたたかだ。根性もある。
 適性でいったらいまの娘たちに負けないでしょうね。でも、必要なものがない」

律子「それ、なんですか?」

P「エゴです。
 私がアイドルをやるんだ、というエゴ」


ああ、とため息をついてそれきりになってしまった。

それはずっと感じていたことだ。

プロデューサー志望で765プロにやってきた時、
候補生として春香とやよい、あずささん、雪歩、貴音がいた。

社長にアイドルを目指さないかと誘われて承諾したのは、
候補生の春香たちよりすぐにうまくやれると思ったからだ。
そして誰よりも短い訓練で追い抜くようにデビューした。

私は不思議だった。みんな全然大した事がなかったのに、よく自分はアイドルになると自然に言えるものだと。

家計が厳しいから? 運命の人に出会いたくて? 自分を変えたい? 

そういう想いがアイドルになろう、という結論と結びつく時点で意味がわからない。

みんなにとって、アイドルになるという考えは自然だった。

私は違った。

プロデューサー志望でいい経験になると思って、
自分が美人でいろいろなことを器用にこなせることを知っていた。

だから、トップアイドルにしてくれるならそれも悪くないと乗っかった。

そういう経緯だったけれど、もし社長に誘われなかったら
自分がアイドルになるなんて思いもしなかっただろう。

口に出すなんてとんでもなかった。私は、身の程を知っていたつもりだったから。


歌もダンスも全然できないのにアイドルになるんだと胸を張って笑う。

身の程知らずだと内心で苦笑いしながら、でも自分はずっと羨ましかった。
その根拠のない自信はどうしても自分にはなかったから。

たぶん、今も。プロデューサーになって彼女たちを使う側になった今でも。


私はみんなが羨ましい。


P「アイドルにはなるのか、生まれつくのか? 
 高木社長はなると思ってます。
 私は違うと思います。
 特別な人間には、そう生まれつくんですよ」

律子「そして私は特別じゃありませんでした。
 つまり私のデビューはムダだったんですね」

P「765プロにとってはそうでした。
 でも秋月さんのこれからにとっては無駄じゃない。
 もとアイドルという経歴はアイドルたちに親近感と信頼感を与えます」

律子「資格がなくて全然人気が出ないEランクでしたよ」

P「それは問題ではありませんよ。その人のランクは、今その人の仕事ぶりで決まるんです。
 あなたがちゃんとしたプロデューサーになれば、
 アイドルたちは昔のあなたも素晴らしかっただろうと思います」

律子「そうでしょうか」

P「そうですよ。そして何より
 挫折を知っているあなたならアイドルたちを尊敬することができるはずです」

律子「……尊敬?」


P「そう。尊敬して下さい。
 小学生の将来の夢が公務員になってしまったこんなご時世で
 アイドルになりたいなんてばかな夢を見ている娘たちですよ。
 その夢を見て、胸を張って語ることがどんなにえらくてしんどいことか、
 ほとんどのプロデューサーは知りません」

P「彼らはそもそもなろうと思ったことがないから。
 挑戦しようとすら思わないから。
 だから自分と対等と、ひどい場合は下だとみなしている。世間知らずで浅はかだとね。
 でも、あなたはその凄さがわかるでしょう。
 だったら尊敬できるでしょう」

律子「……尊敬」

目が覚めたような気がした。

律子「尊敬、していいんですか。あの娘たちは私よりすごいんですか?」


P「単なる事実ですよ。彼女たちは私たちよりずっとずっと偉い」

 アイドルを辞めてプロデューサーに専念する、という決断は私を苦しめなかった。

 あきらめることが賢いのだと自分に言い聞かせていた。
 アイドルたちは幼くてばかなのだと言い聞かせていた。
 でも、劣等感は消えなかった。

律子「私、ダメですよね。プロデューサーになっても変なプライドがあって
 アイドルでも成功できたんだけど
 プロデューサーの方を選んだってカッコつけたくて」

P「もちろんみんなにはそう言うんですよ。ハッタリは大事です。
 でも自分相手にハッタリは必要ありませんから。あと、私にも」
 
律子「あの娘たちは私よりずっとずっとすごいんですよね。
 すごいって言っていいんですよね」

P「当たり前です。尊敬できない相手を心から支えられますか。
 教えるのでも導くのでもなくて支えるのが私たちの仕事なのに」

涙がぼろぼろと溢れてきた。

律子「う、うっく。ひっく。ずずっ」

P「……お疲れさまでした」

その言葉のあとで、恐る恐るという感じで肩を引き寄せられた。
 
傍から見たら太っているとは思わなかったけれど、プロデューサーのお腹はすこし出てて柔らかかった。

そのでっぱりにおでこを乗せて、頭をなでてもらいながらずっとずっと泣いていた。

声を上げて泣いたのは小学生の時迷子になって以来かもしれない。


小鳥さんは結局送別会の直前まで帰って来なかったので、それまでに泣きやむことができた。

律子「プロデューサーが社長に頼まれたことって、アイドルのプロデュースじゃなかったんですね」

P「そうです。あなたをプロデューサーとして育てるのが仕事でした。我ながら上出来です」

律子「……ありがとうございました」

P「こちらこそ。あとは自分で失敗して学んでください。
 あ、自動車の免許だけは取るように」

律子「そうですよね。必須ですよね。ふふ」

明日からこの人はいない。すぐに取らないと。大急ぎでアイドルを運ぶために。

律子「わかりました。明日教習所に申し込みます」


-------------------


赤羽根P「えっ!? それで終わりなのか?」

小鳥「ラ、ラブロマンスは? ベッドインは?
 というかあの時何もなかったんですか? キスすら?」

律子「ぶっ! ごほっ! げほっ!
 あ、あるわけないじゃないですか。歳が倍なんですよ!?」

小鳥「なにを! 謝れ! 恋愛に年齢は関係ねえだ! 年齢だけは関係ねえだよ!」

律子「すいませんごめんなさい許してください酔っぱらいさん」

小鳥「まったく……で、そういえば前のプロデューサーさん、今ってどうしてるんですか?」

赤羽根P「ああ、この間飲みましたけど、今はジュピターのプロデュースしてますね」

律子「ジュピター? 彼らって解散しましたよね?」

赤羽根P「961プロは離れたけど、小さなプロダクションで地道に活動してるんだよ。
 夏前に赤坂ブリッツって言ってた」

律子「もしかして、正社員ですか?」

赤羽根P「いや赤坂まで連れて行ったらまた離れるって。
 この世界に引き込んだ義理があるから復帰までは面倒見るって」

律子「ああ、そうですか」

小鳥「あ! いまホッとしましたね律子さん!」

律子「べべべ別に」


赤羽根P「そんなに気になるなら連絡取ればいいのに。次に飲むとき呼ぼうか?」

小鳥「ダメですよプロデューサー。次に会うときは決まってるんですから。
 ねえ律子さん?」

律子「ななななんのことですか」

小鳥「知ってますよー。通信制の大学に通ってること。専攻は」

律子「やめて! 唐翌揚げにするぞこの野郎!」

小鳥「経営学、でーす!」


赤羽根P「へえ。そうか、なるほど、5年後か。そうか、律子は社長になるのか」

律子「うう、はずかしい……でも、ひとつ違います」

赤羽根P「?」

律子「5年じゃないです。もう4年後です」



2人にはお酒の勢いでそう言ったけど、
あれを本当にコイバナと呼んでいいのかどうかは実は自信がない。

でも、自分の事務所を持つんだ、という
はっきりした目標を与えてくれるくらいの思い出だったことは確かだ。

私は、結局、自分がアイドルになるべきだと信じることができなかったけれど、
芸能プロダクションの社長になる、ということはすんなりと想像できている。

つまりあの人はプロデューサーじゃなくて社長を育てたことになるのか。すごいなあ。



4年後、いやそれよりもっと前、ブレスレットとネックレスをつけて、雇用契約書をもって会いに行こう。


これがコイバナだったのかどうかはその時決めればいいことなんだと思う。

<おしまい>


読んでいただいた皆様ありがとうございました。
初SSで空気感もわからず、アレなところも多々あったかと思います。

ご感想ご指摘等ありがたく拝聴いたします。
すみません。蛇足ですが


> 2人にはお酒の勢いでそう言ったけど、
ではなく
2人にはその場の勢いでそう言ったけど、

で脳内変換お願いいたします。最初に飲酒してないって書いてるのに矛盾しちゃだめだ。


再度ありがとうございました。引っ込みます。

13:23│秋月律子 
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