2014年09月10日

北条加蓮「嫌いだった言葉」

都内の病院の一室に、一人の少女がありました。



少女は、年間の多くをこの病室で過ごしていましたが、かけがえのない夢を持っていました。



それは、アイドルになることです。





でも、その夢は、追いかけられるものではないと思っていました。





「加蓮ちゃん、呼ばれたから検査行きましょうね」



こう言いながら、看護師さんが車いすを持って病室へとやって来ました。



大抵の日は、こうして検査を受け、先生の話を聞き、あとはベッドの上で過ごしていました。



加蓮は、何も変化のない毎日を繰り返しているうちに、意欲を失っていってしまったのです。



だから、持っていたはずの夢も、だんだんと小さく遠いものへとなっていきました。



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 加蓮は、病棟のアイドルでした。



とてもかわいらしかったので、すれ違った患者さんが思わず振り返ることは珍しくありませんでした。



また、回診の日には、病室から出て行く先生たちがちらちらと見てくることもありました。



時には、手を振る者までいました。



加蓮は、そういう扱いが嫌いではありませんでした。



しかし、それに添えられる一言が苦手でした。





「がんばってね」



この言葉も、言われた当初は気になりませんでした。



それでも、時間の経過とともに、プレッシャーになり、耳を通り抜けるだけになりました。

 土曜日の昼下がり、加蓮は売店で買ってきたジュースを飲みながらベッド脇のサイドテーブルの上に置いてある写真集をぼんやりと眺めていました。



「加蓮が好きな子の新作が出ていたよ」



こう言ってお母さんが数日前に買ってきてくれたそれは、未だにビニールに包まれています。





加蓮は小さい頃からアイドル歌手に憧れていました。夢でした。



いつでも前向きな歌詞に勇気をもらい、全力のダンスに心を奪われたのです。



そして何よりも愛くるしいまぶしい笑顔に希望をもらいました。



しかし、この毎日の中では興味も薄れていきました。



「明日にはお母さんが荷物の整理も兼ねてやって来るはず。開けとかなくちゃ」



加蓮は、自分の意思を確認するように呟いてから姿勢を整えて手を伸ばしました。

「加蓮いる? お母さんだけど」



「う、うん……」



聞きなれた声ですが、予期せぬタイミングに、しどろもどろに答えてしまいました。



手元に引き寄せようと掴んでいた手が引かれ、本がパタンと音を立てます。



加蓮は、何も考えられずに周りをきょろきょろと見回しました。



お母さんは、部屋の様子を確認するようにゆっくりと入ってきました。



間違いなく、本も目に入ったことでしょう。



「予定よりも早く仕事が片付いたから、来ちゃった」



こう言いながら、お母さんはまとめてある着替えを回収していきます。



「ちゃんとご飯は食べてる?」と、お母さんは言いました。



「うん。食べてるよ」と、加蓮は言いながら空になっている冷蔵庫を見せました。



「牛乳もちゃんと飲んでるのね。前は毎回私が持って帰って、家が毎晩シチューになったけど」



「またその話……? もう、ごめんってば」



二人は、時おり笑顔も交えながら、病院内での毎日について話しました。

「そういえば、加蓮、あなた携帯の電源入れてないの?」と、お母さんが言いました。



「来る前に電話したけど、通じなかったわよ。こういう時には連絡するかもしれないから、電話には出られるようにしておいてね」



「うん……。気を付ける」と、加蓮はぶっきらぼうに答えました。



その後も、最近見たテレビの話や同じ病棟に入院中の患者さんについての話などを一通りしてお母さんは帰りました。





結局本について触れられることはありませんでした。



加蓮は、ホッとしたと同時にそういう状況の自分を見せてしまった罪悪感に苛まれました。



ため息をひとつ付き、本に再び手を伸ばそうとすると、役割を一切果たしていない携帯が目に入りました。

 入院当初は通話もメールも普通にしていました。



さすがに病室内ではしないようにしていましたけれど。



特に友人からの励ましのメールは心に響きました。



けれど、入院が長くなるにつれてそれらの間隔はどうしても空いていきました。



久しぶりに来たと思って見てみたら、いつもより強調された頑張れの文字。



とても嬉しいものでしたが、同時に苦しいものでした。

「加蓮はいつも頑張り屋さんじゃん! だから、もう少し辛抱すればきっと良くなるよ!」



「加蓮がいないと寂しいからさ。頑張ってね!」



「大丈夫! 早くよくなってね」





励ましの言葉の数々からは、加蓮を心配をしてくれていることが十分に伝わりました。



だけれど、その言葉たちは加蓮の中で次第にプレッシャーへと変換されていってしまったのです。



「次に同じような文面を見たら、アタシは彼女たちに当たってしまうかもしれない」



加蓮は、そう思うと、メールを見ることができなくなってしまいました。



いっそのこと履歴を全て消してしまおうかと思い立ったこともありました。



しかし、それをすることは交友関係をも断つことのように感じられました。



加蓮はそれ以来、携帯を開かなくなりました。

 加蓮は、病室を出て、エレベーターホールへと向かいました。



その途中で、よく話しかけてくる患者さんとすれ違いました。



「加蓮ちゃん、背中、曲がってるわよ。私もこんな体だけど、しゃきっと歩くようにしてるんだから、若いあなたがそんなことではダメよ。がんばらないとね」と、その患者さんは言いました。



その言葉を聞いた瞬間、加蓮は言いも知れぬ不安や恐怖にいたたまれなくなり衝動的に走りました。



速く、もっと速く。加蓮は、気が付いたら病棟と本館とを結ぶ渡り廊下に立っていました。



真下に道路が通っているこの場所は、左右から光が入ってきて暖かいところでした。



外は絶え間なく人が行き交っていました。



自転車に乗ってどこかへと向かう女性、コンビニから買い物袋を提げながら出てきたスーツ姿のお兄さん、病院の駐車場の警備をしているおじさん、……。



皆がそれぞれの目的のために動き続けています。

どこからか誰かの足音が聞こえます。看護師、医師、入院患者、お見舞い、……。



大きさの違う足音が四方から響き、世の中が動き続けていることを教えてくれます。





「アタシ、からっぽだ……」加蓮の口から、重いため息が漏れました。



加蓮には、今の状況が、目的もなくただ人に、社会に置いていかれて、変わらない毎日がただ淡々と続いているように感じられました。





――がんばるってどういうことだっけ?

 ある日の夜、加蓮は消灯時間を待ちながらテレビを見ていました。



本当はそのつもりもなかったのですが、あまりにもやることがなくなってしまったのです。



ちょうど、歌番組が放送されていたので、それにチャンネルを合わせました。



「あ、この子たち、新曲出てたんだ……」



加蓮は、好きなアイドルが新曲を出していたことを知って、少しだけ嬉しくなり、目に焼き付けるように彼女たちの動きを見続けました。



見終わった時、加蓮はいつも見ていた時とは違う感覚に包まれていました。



心がほんのりと温かくなるような感覚は、加蓮にとって、「負けないで」と、背中を押されているように感じられました。



目をつむり、さっきまで見ていた光景を浮かべます。

「失礼します。加蓮ちゃん、さっき血圧測れなかったから測ろうか」



看護師さんが部屋に入ってきましたが、加蓮は一向に気づきません。



肩をとんとんと叩かれて、ようやく気づきました。





「もう……、入ってきたなら言ってよ」と、加蓮は顔を赤くし、うつむきながら言いました。



「ちゃんと言ったんだよ。それにしても、この子たち人気だよね。加蓮ちゃんも、やっぱり好きなの?」と、看護師さんが言いました。



テレビには、さっき歌っていたアイドルたちのトークシーンが映っていました。



「……うん」と、加蓮は短く答えました。



「そういえば、退院の話が出たんだよね? おめでとう」



「うん、そうみたい」



「ねぇ、退院したらやってみたいこととか、もう考えてる?」看護師さんは、笑顔で加蓮に聞きました。



「うーん、あんまり」



「あ! そうだ。カラオケとか行ってみるのはどう?」



「カラオケかぁ……」



加蓮は、部屋で気持ちよく歌う自分を想像して、少し興味が湧いてきました。



「うん、数値も安定してるね。何か困ったこととかない?」



「ないよ。大丈夫」



「まぁ、何かあったらボタン押してもらったらすぐ来るからね。それじゃぁ、おやすみ」と、言うと看護師さんは部屋を出ていこうとしました。





「ねぇ」と、加蓮は咄嗟に言いました。

「どうしたの?」



「あ、いや、やっぱり……」



「ゆっくりでいいよ」と、看護師さんは言うと、加蓮のベッドまでやってきて、目線まで腰を落としました。



「変な事聞くかもしれないけど、がんばろうとする気持ちって、どうすれば出てくるのかな……?」



加蓮は、振り絞るように言葉を紡ぎました。



看護師さんは、スイッチが入ったように真剣な表情になりました。



「話してくれて、ありがとう」と、言いました。



加蓮は、看護師さんの目をじっと見続けています。



「加蓮ちゃん、これ私の宿題として持って帰ってもいい?」と、看護師さんは言いました。



「加蓮ちゃんが勇気を出して言ってくれたと思うから、私もちゃんと答えさせて」



「え、そこまでは……」と、加蓮は言いながら手を胸の前で振りました。



「来週は、まだいる予定だったよね?」



「う、うん。まぁ……」



「じゃぁ、それまでに。あ、苦しい時には無理にがんばろうとしなくてもいいんだよ。私でも、先生でも、他の看護師さんでも遠慮なく言ってね」



「あ、ありがと」と、加蓮は言いながら看護師さんを見送りました。

加蓮は、ゆっくりと一つ息を吐きました。



加蓮は、看護師さんに話を聞いてもらえたからか、穏やかな気持ちでした。



患者としてでなく、一人の人として心配してくれているようにも感じられ、嬉しくなりました。



その日は、ゆっくりと眠ることができました。

 数日後、加蓮が退院をする日が確定しました。



しかし、あの看護師さんが加蓮の部屋へとやってくる時はまだ訪れていません。



退院前日の午後、ようやくその機会が巡ってきました。



「明日だったよね。改めて、おめでとう」



「ふふっ、ありがと」



体温と血圧をチェックして、特に変化がないことが確認されました。



「それで、この前の話だけど……」と、看護師さんは切りだしました。

「目標を、その日ごとに決めてみるというのはどうかな?」



「目標……?」



「そう。その日の体力に合わせて、これだけは絶対にしようということを決めてみるの。もちろん、無理はいけないから体調が悪くなったら、その都度休憩したり目標を変えたりして、そこら辺は臨機応変にね」と、看護師さんは言いました。



加蓮は、その言葉にゆっくりとうなづいています。



「あとは、ちゃんと話ができる人を作ることかな」



「話ができる人……?」



「お父さんやお母さんでもいいけど、身体のことだとなかなか言い辛いこともない?」



「心配掛けたくないとか……?」



「そう。だから、主治医の先生でも、学校の先生でも、友だちでもいいから、話せる人を作っておくことが大切だと思う。これからも通院はするんだっけ?」



「よく分かんないけど、定期的には来るんじゃないかな」



「なら、その時にこの病棟まで上がってきてもらえれば、私たちでも呼んでもらっていいからね」と、看護師さんは言いました。

加蓮は、胸のつかえが取れていくのを感じました。



「ありがと。アタシ、勝手に難しく考えてただけなのかも」と、加蓮は言いました。



「応援、してるからね」と、看護師さんは言いました。





そうして、加蓮は退院しました。



それからすぐに学校に復帰し、二週間が経ちました。



加蓮は、街を歩いていたところをスカウトされたのです。

 その日、加蓮は家に帰ると早速お母さんにもらった名刺を見せてみました。



名刺をもらった事務所は、お母さんでも知っているような有名な事務所です。



加蓮は、お母さんの反応が楽しみで、少しそわそわしています。



「お母さんは反対、かな。ようやく学校にも通えるようになって、それにもくたくたになって帰ってくるんだから厳しいと思うわ」



「別に、まだやりたいって言ったわけじゃないじゃん」



「でも、それを私に見せてくることは、興味があるってことでしょ?」と、お母さんは言いました。



確かに、お母さんの言う通りではあるのです。



学校に戻ったのはいいものの、同級生との会話には知らなかった単語が次々に飛び出してきます。



勉学も追い付くのに必死で、家に着くと、まず休憩を取らなければならない状態でした。



この上にさらに何かを加えることによる負荷は、加蓮自身が一番感じていました。

「研修期間があるんだろう? ならば、とりあえずやってみればいいじゃないか。お前、こういうの興味あったんだろう?」と、お父さんが言いました。



夕食時に話題に出してみたところ、加蓮には意外な返事が返ってきたのです。



「ちょっと……」と、お母さんは言うと目付きが厳しくなりました。



「そりゃ、アイドルは好きだけど……」



「ほら、加蓮もそう言っているんだ。もしかしたら、やっているうちに体力も付くかもしれないだろ?」と、お父さんは言いました。



「私は反対よ。さっき加蓮にも言ったけど、やっと学校に通えるようになったのよ? 今はそれだけで精一杯」



「それは僕だって知ってるよ。でも、やってもいないうちにどうなるかなんて分からんだろ?」



加蓮は頭を抱えてしまいました。



「加蓮、どうなんだ?」



「アタシも、よく分かんない。でも、こんな機会もうないかもだし、ちょっと見てみたい」と、加蓮は言いました。



「見学だけとかできるの?」と、お母さんが言いました。



「明日、電話して聞いてみる」



加蓮は、夕食後、名刺を手にベッドへと倒れ込みました。



「好きだけど、好きだけじゃ……」と、加蓮は呟きました。



結局、翌々日に加蓮はもやもやとした気持ちを抱えたまま事務所の見学へと訪れることとなりました。

 「こんにちは。よく来てくれたね」と、Pが言いました。



加蓮は会釈をすると、周りのものをきょろきょろと見ました。



Pはその様子を見ながら微笑んでいます。



「今日は見学ということだったから、館内をぐるっと回ってみようと思っているんだ。準備ができたら教えてね」と、Pは言いました。



加蓮が緊張気味に返事をすると、ゆっくりと歩き始めました。



「ねぇ」



「ん? どうかした?」



「もし、アタシがやるって決めたら、あなたがアイドルにしてくれるの?」



「その時はそうなると思うよ」



「ふーん」



Pは、いろいろな部屋を案内しました。



実は、普段はほとんど使わない部屋まで回りました。



それは、Pが加蓮の歩くスピードや体力を何となくでも掴んでおきたかったからです。

「ねぇ、ここ広過ぎない?」と、加蓮が思わず言いました。



かれこれ十五分くらい歩き続けているように思えました。



「全部回ろうとしたら、結構あるからね。いつもは決まった場所しか使わないだろうから、ここまで歩き続けることはないと思うよ」と、Pは言いました。



加蓮は膝に手を付きました。



「ちょっと、休もうか」と、Pは言うと、一番近い部屋に入り、パイプ椅子に加蓮を座らせました。



五分程休むと、二人はトレーニングルームへとやって来ました。



加蓮は、これまでの疲れが消えたように目を輝かせています。Pもその表情を見ると少し安心しました。



しかし、レッスンの熱が次第に入り始めると、加蓮はその迫力に思わず後ずさりしました。



二人はその後も、レッスンの見学を続けて、元いた休憩室へと戻って来ました。

「さて、どうだったかな?」



「どうもこうも、いつもあれくらいのことをしてるんだよね?」



「うん。その子の状態にもよるけど、大体そうかな」



「そっか。うーん、それならアタシには無理かな。あれに付いていくような気力とか根性とかそういうものもないし、そんなキャラでもないしさ」と、加蓮は言いました。



すると、Pは何やらプリントを取り出すと加蓮の方に向けて見せました。



「まぁ、基本はさっきのようなレッスンになるけれど、個別でメニューを組んでいる子も多いんだ」



「でも、でもさぁ、さっきのアタシ見てたでしょ? ちょっとこの中歩いただけで息切れするんだよ?」



「それでも、やってみたいから、今日こうしてきてくれたんじゃない? レッスンを見始めた時の顔はそう言ってるように見えたよ」



「そんなの……」と、加蓮は言うと黙ってしまいました。



「その、身体のこともあるだろうし、親御さんと相談することあると思うんよね。こちらとしては、いつまでに決めてもらないといけないみたいなことはないから、どうするか決まったらまた電話もらえるかな。それまでに、こうしてまた見学したいとか、相談したいことがあるとかあれば、いつでも来てもらっても構わないからね」と、Pは言いました。



その日の夜、加蓮は家に帰り着くとベッドに横になりそのまま眠ってしまいました。



気が付くと、次の日の朝になっていました。



加蓮は、この日が土曜日だったことによる安堵と同時に、自身の体力のなさを痛感しました。

 加蓮が部屋を出ると、お父さんが新聞を読んでいました。



「お、起きてきたか」



「おはよ、お母さんは?」



「買い物だとさ。昼には戻ると言ってたぞ」



「そっか」と、加蓮は言いました。



水分を摂り、一息付きました。



「それで、どうだったんだ? 憧れの事務所ってやつは」



「あはは、なんかすごかった」



「何かじゃ分からないだろ。で、やってみたくなったのか?」



「うーん、どちらかというと遠くなったかな」



「おや、そうなのか。せっかくプレゼントを買ってきてみたんだがな」



「プレゼント?」加蓮はお父さんの思わぬ言葉に不思議そうな表情を浮かべました。

「これこれ」と、お父さんは言いながら加蓮に袋を渡しました。



加蓮がその袋を受け取ってみると、中を覗いてみました。



開いてみるとゴムのベルトや重りといった簡易トレーニンググッズが出てきました。



「何、これ?」と、加蓮は思わず聞きました。



「これか、これはこうやって使うものでな」



「それは知ってる。そういうことじゃなくて」



「いや、まぁ加蓮がこれからアイドルに挑戦するにしてもしないにしても、体力を付けることは大切だからな。役にたつと思ったんだ」と、お父さんは言いながらにこにことしています。



「ふーん、ありがと」と、加蓮は言いました。



「しかし、もう本当にいいのか?」



「しつこいよ。別にもういい。お母さんの言う通り、まずは学校に通い続けないと」加蓮は自分にも言い聞かせるように言いました。





「夢に挑戦できる機会なんて、なかなか回ってくるもんじゃないぞ」と、お父さんはそれまでより少し声を大きくして言いました。



「もうちょっとゆっくり考えてみてもいいんじゃないか」



「知らない!」加蓮は勢いよく自室に戻ると、机の上に置かれた名刺を手に取りじっくりと見つめました。

「夢。夢、か……」加蓮は何度もつぶやきました。



お父さんにもらったグッズから一つを手に取り、ストレッチをしてみました。



看護師さんからもらった言葉を思い出し、ゆっくり、数を区切りながらやりました。



「こんなことやって、アタシは……」加蓮は、自分の気持ちによりはっきりと気づいていました。



加蓮は、机に置いてある写真集を手に取り、ぱらぱらとめくりました。



あの日は開いていなかった写真集も、ところどころ折り目が付いていました。



「アイドルになれるというのなら、そりゃもちろんやってみたいよ。でも、身体が付いていかない。あのPって人は、個別のプランもあると言ってたけど、それがアタシに合うかなんて分からない。もし、キャパを超えて病院生活逆戻りになったりしたら……。それだけは避けたい!」



加蓮は、悩み続けました。



加蓮は、先ほどのお父さんの言葉を思い返しました。



「夢に挑戦できる機会、か……」加蓮は、この機会を逃した時のことを思い、胸が締め付けられるようでした。



「もう、こんなチャンスは巡ってこないかもしれない。それなら、もう一度、確かめに行こうかな」



加蓮はこう思い、再び事務所を訪れることにしました。

 「こんにちは。この前より、顔色が良くなったね」と、Pが言いました。



加蓮は、あれから毎日継続してストレッチを続けてきました。



もしかしたら、その成果なのかもしれません。



「今日は、どうしようか。またこの前みたいに回ってみる?」と、Pが言いました。



「レッスンの様子、見てみたいかも」加蓮はひとしきり考えたあと、こう言いました。



「そうか。確か、今の時間帯はやってることがあるから、行ってみようか」と、Pが言いました。



前回よりも、足取りも軽く、さっさっと歩いて行きました。



加蓮は、トレーニングルームの前に立ち、その様子を見ると、自分の気持ちに確信を持ちました。



加蓮は前回は圧倒されてしまったレッスンを最後まで見ることができました。

レッスンが終わると、Pがプリントを渡しました。



「これ、前回来てもらった後にいろいろ考えてね。練ってみたんだ」



こう言って渡されたものには、練習計画が記されていました。



「せっかくまた来てもらったから、この一番上のやつをやっていかない?」と、Pが言いました。



「今から? アタシ学校帰りでこんな格好なんだけど」



「身体はほとんど動かさないと思うよ」こう言って、Pが指をさした場所を見ると、呼吸法の習得とありました。



加蓮は言われるがままにやってみましたが、場所が違えばリハビリテーションに使うような内容でした。



「確かに、格好は関係なかったね」と、加蓮は言いました。



「どうだった。疲れの残り方とか」と、Pは言いました。



二人は休憩室に戻り、お茶を飲んでいるところでした。



「前に歩いた時よりはマシかな」



「そっか。それなら良かった」こう言うと、Pは安心したように笑いました。

「ねぇ」加蓮は気になったことを聞いてみることにしました。



「どうして、アタシがまた来ると思ったの? あんなこと言ってたのに」



「前回、回っていた時に楽しそうだったから来てくれるかなと思ったんだ」



「それだけ?」



「そうだよ」



「変なの」加蓮はそう言うと、帰り支度を始めました。



「今日のを続けていって、ほんとにアイドルになれるの?」



加蓮は支度が整うと立ち上がり、Pに聞きました。



「なれるよ。周りよりも少し時間はかかってしまうかもしれないけどね。諦めなければ、絶対、大丈夫だよ」と、Pは言いました。



加蓮は、この日も両親に相談するということで別れました。Pの言葉を胸にしまい、帰りました。

 その日の夜、加蓮は夕食の合間に両親へと挑戦の意思を口にしました。



お父さんは微笑み、お母さんは不安な表情をしました。



加蓮は、Pからもらったプランを見せ、教わったことを伝えました。その熱意が伝わったのか、



お母さんからも、学校をおろそかにしないことを条件に、遂に許可が下りたのでした。

 加蓮は、Pと一緒に決められたウォーキングのコースを歩いていました。



と、言っても、事務所の周りを周回するくらいでしたが。



コンビニの前を通過し、公園で遊ぶ子供たちを眺めると、事務所の前まで戻ってきました。



「ふふっ、コンビニで涼まずに戻ってこられたね」と、加蓮は笑いながら言いました。



「ほんとに大丈夫なのか?」Pは心配そうな表情をしています。



「もう、心配しすぎ。あ、でも、喉は乾いたかも」



「じゃぁ、戻ろうか」と、Pは言いました。



加蓮は、何をするにしても楽しそうに取り組みました。



Pは、加蓮のアイドルへの憧れが、自分の想像以上であることを感じていました。



「ねぇ、明日はもう一周してみちゃダメ?」



「それはさすがにまだ早いよ」



「そっかー……」加蓮は、残念そうに言いました。

加蓮はこうして、予定以上のメニューをこなそうとすることさえありました。



その意欲の成果が現れ、Pがプランの前倒しを検討するほど力を付けていきました。



Pには、心配の種がもう一つありました。それは、加蓮の学校です。



契約をする際に強く念を押されたことは常に頭にありました。



しかし、それも今のところは問題なさそうです。



「今日の授業の先生ね、話が途中からどんどん逸れていって、予定してたところまで終わらなかったんだよ」



こうやって、加蓮がレッスンの度に報告してくれていましたから。



そうこうしているうちに、あっという間に三週間が経過しました。

 加蓮は、順調にレッスン内容をステップアップさせていきました。



先日からは、ボールを使った運動が取り入れらるようになりました。



また、トレーナー直々の指導によるレッスンの時間も増加していきました。



加蓮は、これまでとの疲労感の差に驚きました。



それでも、睡眠時間を調整するなどして、決して休むことはありませんでした。



これには、Pもトレーナーもたいそう驚きました。

 そんなある日の出来事。



「ねぇ、オーディションってどんな感じなのかな?」と、加蓮が言いました。



ウォーキング中でしたが、Pは思わず足が止まりました。



「どうして?」



「同じ部屋でレッスン受けてた子が言ってたんだ。今度挑戦するんだって」



「そうか……。正直、俺はまだ早いと思ってるんだ。まぁ、でも、トレーナーさんに相談してみるよ」



「ほんと?」



「期待は禁物ね」



「分かってるって。アタシもムリはしないよ」



こう言うと、二人はまた歩き始めました。



Pは事務所に戻ると、早速その日の内にトレーナーの元へと向かいましたが、想定していた回答とほぼ同じものが返ってきました。



しかし、そんな折に、Pのもとに一件の情報が舞い込んだのです。

オーディションのレベルとしてはそこまで高いものではありませんでした。



Pは、悩んだ末にこの件を持って、トレーナーの元へと相談に行きました。



二人で見積もった合格率は約四割。加蓮に話すかどうかの判断が迫られました。



「言い方は悪いが、あの子には周りと同じような追い込み方はできない。だから、あまりおすすめはできない」と、トレーナーは言いました。



「それはそうですが、興味が強い今のうちに一度挑戦させてあげたいんです」と、Pは言いました。



「オーディションを記念受験のようにしてもらっても困る。……だが、あの子は私たちも想像できない伸び方をしているからな。本人に話して決めてもらってもいいんじゃないか。幸い、まだ時間もある」



「そしたら……」



「もちろん、それ相応の覚悟は必要だがな」



Pは、その晩、加蓮に連絡をして次回のレッスンまでに報告するように伝えました。

「オーディションか……。気持ちはもちろんやりたいけど、Pさんの言う覚悟、足りてるかな……」



加蓮は、窓の外を見ました。この日は、雲ひとつなく、星も見えるような空でした。



「これまで、身体のせいでできないと思っていたことあったけど、目的を持ったら前に進めたよね。やってみようかな。苦しいかもしれないけど、もっと進みたい」



加蓮は挑戦してみることに決めました。



それからの二週間は、加蓮がこれまで体験したことないような密度の濃いレッスンとなりました。



息が上がり、足は棒のようになりました。



それでも、加蓮は立ち続けることができました。



それは、自分の気持ちに正直にいられる今が、とても幸せに思えたからです。

 オーディション当日。



加蓮は落選しました。



原因は、明らかなスタミナ切れでした。



Pは、その状況を見ながら、眉間に手を当てしばらくの間目を閉じました。



Pは、オーディションを終えた加蓮の元へと向かいました。



加蓮は、穏やかな表情をしてPを迎えました。



「残念だったね。でも、挑戦させてくれてありがと」と、加蓮は言いました。



加蓮は次第に表情が崩れ、涙をこらえるように息を吸い込みました。



「負けることって、こんなに悔しかったんだね。アタシ、知らなかった」



こう言うと、加蓮は立ち上がり、Pの側へ歩み寄りました。

「ねぇPさん、こんな時に言うの変かも知れないけど、ずっとがんばるって言葉が嫌いだったんだ。だって、がんばってもこの身体だし、できることなんて限られてるのに、みんなはがんばれって言うし。でも、本当にやりたいことに打ち込んで精一杯やったら、新しい気持ちに出会えたんだよ。ふふっ、おかしいよね。がんばるって、こんなに素敵なことだったんだ……」



加蓮は自然と笑顔を浮かべました。



「アタシ、もっともっとがんばる。そして、お母さんとお父さん、それからPさんを笑顔にしてみせる。それが、これからの第一目標。ど、どうかな?」





二人は笑顔で会場を後にしました。





まだまだ、夢の第一歩です。



おわり



20:30│北条加蓮 
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