2014年12月10日

鷹富士茄子「不幸中の幸い」


蝉の声がシャワーの如く降り注ぐ。

別にそのせいという訳でもないが、私の全身は汗だくになっていた。

ふらふらと足元が覚束無くなっているのは自覚しているが、どうしようという気も起きない。





 「何でだ」



思わず、不平が口を零れて出て来た。

不幸に祝福された身の上だ。少しぐらいは許してほしい。

でも、どうしてなんだ。俺はただ――





 「――アイドルを、プロデュースしたいだけなのに」





スカウトとレッスンは、努力に努力と努力を重ねた上でだが、どうにか成功している。

だが、それ以降がどうしても上手く行かなかった。

小さな取り違えや、些細な行き違い。そんな理由で、どうしても担当アイドルに活躍の機会を与えられない。

それがどうしようもなく申し訳無くて、他の同僚へプロデュースを引き継いで……。



……言葉を取り繕っても仕方が無い。

プロデュースを投げ出してしまうのだ。

少なくとも、アイドル達には間違い無くそう思われているだろう。



 「……でも、みんな輝いてるよな」



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1417782233





十時さんも、蘭子ちゃんも。美嘉さんも、アナスタシアさんも。



今ではそれぞれのプロデューサーと一緒に、笑顔で歌い、踊っている。

こんな私にも未だに笑顔で話し掛けてくれるぐらい、良い娘たちばかりだった。

それが、余りにも情けなくて。



 「…………」



ベンチに座ろうと添えた手が力無く滑って、地べたに尻餅をつく。

立ち上がる気力も失せて、そのままずるりと地面へ横になった。

先程まで日陰だったらしい地面はひんやりとしていて、存外悪くない気分だった。



 「みず」



ようやく思い至ったそれを、手ぶらの私は持っていない。

またそれを買いに行く元気も、残ってはいなかった。



 「……ん」



ぼやけた視界の奥に、こちらへ向かってくる姿が映った。

近付いて来ると、すらりと脚の長い女性だという事に気付く。



 「あのー、大丈夫ですか?」



しゃがみ込んで尋ねてくれる彼女には申し訳無いが、スカートの中が見えてしまっていた。

気恥ずかしいやら何やら色々な感情が無い混ぜになって、頭の中をぐるぐると回る。

何か、何でもいい、とにかく言わなければ。





 「……みず……」



 「えっ?」





 「…………みずいろ……」







恐らくはデコピンだろう衝撃で、私の意識は暗闇へと落ちて行った。



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 「…………?」



額の冷たさと、背の下の固い感触に目を覚ます。

手を伸ばして目の前に持ってくると、冷たい感触の正体は濡れたハンカチだった。

どうやらベンチで横になっていたらしく、起き上がると身体がぎしりと鳴った。





 「――あ、起きましたか?」





隣のベンチから、聞き覚えのある声。



 「ええ、」



それに応えようとして、激しく咳き込んだ。

頭がガンガンと痛んで、視界もどこかボヤケている。



 「軽い熱中症かもしれませんから、無理に起きてはダメですよ」



 「熱中症……」



 「水を買ってきたので、どうぞ」



言われてみれば、熱中症に違い無い気がする。

行儀悪く横になったまま温めの水を飲み下すと、身体中に巡り渡って行くような気がした。



 「……その、申し訳ありませんでした」



 「もうっ、本当ですよ。初対面の女性にあれじゃあ、モテませんよ?」



痛い所を突かれた。

朦朧としていたとはいえ、いきなり女性の下着について言及するなど警察を呼ばれても不思議ではない。

不審者を突き出すどころか手を差し伸べるとは、神様みたいな人だ。



 「……本当に、ありがとうございました。だいぶ楽になってきました」



 「ここは日陰ですから、しばらく休んでおくと良いですよ? では、私はこれで」



 「あ、せめてお名前を、」



身を起こして、立ち上がった彼女に目を向けた瞬間、雷に打たれたように固まってしまう。





 「……あの、本当に大丈夫ですか?」





――彼女の背に、後光が差して見えた。





思わず目を擦り、改めて見つめ直す。

もちろんそこに後光など見える筈も無く、彼女は夏の眩しい日差しに照らされているだけだった。

しかし、だ。



 「やっぱり、無理に起きない方が……」



口に出すのもばからしいが……オーラ、と言うのだろう。

とにかくそんなモノを漂わせた、輝くばかりの美人だった。

春先にスカウトしたアナスタシアさんも相当な美人さんだったが、彼女も負けていない。

アナスタシアさんを月に例えるなら、太陽と言ったところか。



 「……アイドル」



 「?」



自慢にならないのが悲しいが、スカウトなら幾度と無くやってきた。

そして、その勘が告げている。





 「――アイドルに、興味はありませんか」





彼女なら、きっと。



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ところで、ボイス無しの娘のSSを書く度に思うんですよ

この娘、一体どんな声なんだろうな、って



茄子さんも、人気は高いけどボイスはまだありませんね

ですからよく想像します



きっと、鈴を転がすような、可愛らしい、聞くだけで幸せになってしまうような声じゃないかって



そういえば、今ちょうど公式でボイスオーディションを開催していますね

茄子さん、可愛いですよね



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 「あ。お帰りなさっ」



事務所で出迎えてくれたちひろさんが固まる。

見知らぬ女性を連れて、私は土まみれだ。無理も無いだろう。



 「ちひろさん。こちら、お世話になった鷹富士茄子さんです」



 「こんにちはー」



 「は、はぁ……?」



 「申し訳ありませんが……私は着替えなければならないので、お茶を出して頂けますか?」



 「…………えっと……分かりました」



鷹富士さんにソファを勧めると、ちひろさんが何か言いたげな表情でお茶の用意を始めた。

その間にロッカーを開き、吊るしてあったスーツの中から一着を取り出した。

適当に頭から蛇口の水を被り、更衣室で手早くそれに着替える。

……髭も、そろそろ剃らないといけないな。



 「お待たせしました」



 「いえいえ。……本当にプロデューサーさんだったんですね」



 「信じて頂けましたか」



 「はい。あそこに居るの、神崎蘭子ちゃんですよね?」



振り返ると、巻かれた銀髪が机の陰から飛び出して、ぴこぴこと揺れていた。

というより、蘭子ちゃんがこちらの様子を窺っていて、その上からアナスタシアさんの顔も覗いていた。

……ハーメルンの音楽隊、だったか? 何か違う気もするが。



 「ええ。話、してみますか?」



 「そうですねー、ちょっとお話してみたいかも」



 「……だそうです。蘭子ちゃん、アナスタシアさんも」



 「えっ」



アナスタシアさんに背を押されて、蘭子ちゃんがソファへとやって来た。

鷹富士さんはしばらく、わー、とかほー、と呟きつつ蘭子ちゃんを眺めた後、ひょいと膝へ載せた。

今一つ事態が飲み込めず首を傾げる蘭子ちゃんを、鷹富士さんが背後から抱きかかえる。



 「おぉ、本物の蘭子ちゃんですねー。ちまっこくって可愛いです♪」



 「……し、痴れ者っ!」

 (ち、ちっちゃくないもんっ!)



 「蘭子。たぶん背の事じゃない、です」



 「ちっちゃくないもん……」



 「そちらの方もアイドルさんですか?」



 「ええ、新人のアナスタシアです。売り出し中ですね」



 「ダー。応援、よろしくお願いしますね?」



 「お願いされましょう♪ そっか。アイドル、ですか……」



二人が居てくれて良かった。私一人だと印象は最悪だったろう。

道中では冗談半分だったが、今では興味が湧いてきたようだ。



 「カコも、アイドルですか?」



 「いえ、違いますよ。助けて頂いたのでお礼を言おうと……改めて、ありがとうございます」



 「事情は存じませんが、私からもお礼を。鷹富士さん、ありがとうございました」



お茶を配り終えたちひろさんが、盆を抱えて頭を下げる。

視線をちらりと私に向けて、後で説明してください、と目で訴えていた。



 「お役に立てたようで良かったです。アイドルさんにも会えましたしねー」



 「ええ。……そこで、これも改めて申し上げたいのですが。鷹富士さん、アイドルにご興味は?」



 「無いと言うと嘘になっちゃいますけど……」



鷹富士さんが視線を横に向ける。

ここまで引っ張ってきたキャリーカートが、静かに鎮座していた。



 「なにぶん旅行に来ているだけですので、急には……」



 「お住まいが地方でも問題ありません。この事務所は寮も用意してありますし、費用などは大部分をこちらで負担します」



 「ほとんどは取り終わりましたけど、まだ短大の単位も……」



 「今すぐでなくとも構いません。いつでもお待ちしています」



蘭子ちゃんの頭に顎を乗せて、茄子さんがむむむと悩んでいる。

彼女の言う通り、余りにも急な話だ。いきなり決められないのも当然だろう。



 「鷹富士さんなら、きっとアイドルとして申し分無くやっていけると思いますよ? お綺麗ですし」



ちひろさんからの援護射撃が入った。



スタドリ、ケース。



無言で口がそう動いたように見えたのは、気のせいではないだろう。

彼女は頭を下げるが、私は彼女に頭が上がらない。



 「うーん……ねぇ、蘭子ちゃん、アナスタシアちゃん。アイドル、楽しい?」



 「言うに及ばず」

 (とっても!)



 「始めたばかりだけど、楽しいです」



 「なるほどー……」



鷹富士さんが一つ頷いて、ソファから立ち上がる。



 「今日は、これで失礼します。アイドルの話、考えさせてもらいますね」



 「ありがとうございます。ゆっくりお考えになってください」



 「ふふっ。下着を覗いちゃうえっちな人ですから。慎重に考えないといけませんね?」



それでは、また。





そう言い残して、鷹富士さんが事務所を後にした。

扉が閉まると、事務所は耳が痛いくらいの静寂に包まれる。



振り向くのも、怖い。

振り向かないのも、怖い。





 「世界の半分を敵に回すか」

 (……プロデューサーのえっち)



 「……セクハラは、めっ、ですよ?」



 「プロデューサーさん、少々お話が」





違います。いえ、違いませんが違うんです。





胸の内に渦巻く、声にならない声が。

彼女達に届くよう、神様に祈った。



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 「お疲れのようですが、大丈夫ですか?」



 「仮眠のつもりだったんですけど、ついぐっすり眠っちゃいました」



 「始めたばかりで、レッスンにも慣れていませんから。筋が良いとトレーナーさんが褒めていましたよ」



幸いというべきだろうか。



鷹富士さんはアイドルになる決心をしてくれた。

二週に一度、地元の短大に顔を出す以外は、こちらに活動の拠点を移している。

慣れない生活の為か、シートベルトを締める表情にはまだ眠気が残っていた。



 「ダンスについては、ですが。その、歌の方は……」



 「……言わないでください。自分でも分かってますから」



 「あ、車出しますよ……はは。音程が外れるのはすぐに直せますから」



ダンスには光る物がある。

ヴォーカルはまだまだだが、声質は良い。

ヴィジュアル面はまぁ、今更語る必要もあるまい。



有り体に言って、鷹富士さんもまた金の卵だった。



 「でも、もうお仕事だなんていいんでしょうか? 最初はレッスンばかりだと思ってました」



 「私も以前はそう思っていたんですが……考えを、変えてみまして」



 「ふむふむ」



金の卵も、育て方次第だ。

今までのやり方を続けるままでは、孵すのは難しいだろう。



 「鷹富士さん、最初に言っておきます」



 「何でしょう?」



 「私は、お世辞にも優秀なプロデューサーではありません」



 「?」



 「スカウトするだけして、正式に担当としてプロデュース出来た事が無いんです」



その為か、周りの同僚からも一歩、身を引かれて接されている。

新しくアイドルを連れてくる度に、何とも形容しがたい表情を向けられるのにも慣れてしまった。

社長にも、「もうキミは好きにやってくれていい」等と呆れられてしまっている。



 「鷹富士さんも不満であれば、担当の変更を申し出られますよ」



 「えっと……」



 「客観的に見て、私の評判は良くないようですから」



 「でもプロデューサー、蘭子ちゃん達にあんなに慕われてるじゃないですか」



赤信号が、青へ変わる。



 「みんな、良い娘たちばかりですから。私に気を遣ってくれてるのでしょう」



 「そんな良い娘たちがついて来てくれたのは、ひとえにプロデューサーの人徳じゃないでしょうか?」



 「……鷹富士さんも、優しいですね」



 「いいこいいこしてもいいんですよー?」



 「はは。蘭子ちゃんで間に合っていますよ」



 「……むむっ?」



話しながら、ローカル局の駐車場へハンドルを切る。

今日の予定は観光地レポート番組の打ち合わせだ。

鷹富士さんは頭の回転も早いし、なかなか教養もある。レポーターに向いているだろう。



 「こっちです。今日会うディレクターは知り合いなので、あまり緊張しなくて大丈夫ですよ」



 「へー。テレビ局に入るのは初めてです」



何とか繋いでおいた、数少ないパイプの一つだった。

鷹富士さんに教えながら、受付で手続きを済ませる。



 「それで、予定まで1時間半もありますけど、どうするんでしょう?」



 「……えっ?」



腕時計を確認すると、鷹富士さんの言う通りだった。

何故こんなに早く到着してしまったのか。

いつもなら信号やら工事やら渋滞に捕まって、どんなに急いでも15分ほど前までにしか着かないのだが。

いや、そういえば今日は信号に一回か二回しか捕まっていなかった気もする。



……何だ?



 「あー……とりあえず、軽く挨拶だけしておきましょうか。付いて来てください」



 「はーい♪」



まぁ、たまにはこんな日もあるだろう。

いつもこれぐらい運が良ければ助かるのだが。

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肇ちゃん、可愛いですよね



いえ、いきなり何当たり前の事言ってるんだと思われるでしょうが、たまには確認する事も重要です

天女として知られる肇ちゃんですが、意外な事に彼女、まだボイスは無いのです



きっと、そう遠くない内にボイスも付く事でしょう

落ち着いた、けれども一本芯の通った、気品のある声でしょうね



ところで、現在ボイスオーディションが開催中です



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 「こんなにゆっくりしてしまって良いんでしょうか」



 「ええ。午後の予定はここだけでしたので」



始める予定の時刻には、打ち合わせも全て終わってしまっていた。

1時間も前にやって来たのを気合いが入っていると好意的に勘違いしてもらえたらしい。

そのまま鷹富士さんを紹介するとすっかり気に入ったのか、とんとん拍子に話が進んでいった。

お陰で、局内のカフェでお茶の時間まで手に入ってしまった。



 「一応初めてのお仕事という事になりますが、どうでした?」



 「最初はちょっと不安でしたけど、とてもスムーズに進んで良かったです」



 「鷹富士さんのお陰ですよ。男はみんな美人に弱いものです」



 「あら。プロデューサーもですか?」



 「…………強くは、ないですね」



 「良い事聞いちゃいました♪」



持ち前の容姿と、この人当たりの良さだ、芸能界でも十分に渡り歩いていけるだろう。

良過ぎて少々心配でもある。



 「それにしても、プロデューサーって変わった人ですねー」



 「そうですか?」



 「年下の子にも敬語だったり、どんなに暑くてもジャケット着てたり……」



 「敬語については、皆さん尊敬すべき人ばかりですから。服装は、その」



説明し辛い。



上下スーツ以外の服装で外に出ると、何故かそこそこの頻度で酷い目に遭ってしまうのだ。

前を開けたり、首元を緩めたり、マフラーを巻く程度でも、油断すると危ない。

社畜たれという天からの思し召しだとしか考えられない。

だが、ありのまま言ったところで信じてもらえるかは怪しい。



だから、こう返すしかない。





 「趣味です」



 「……やっぱり、変わった人ですねぇ」





不幸な奴よりは、変わった奴だと思われてみたかった。

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――大人に成るという事は、転ばないという事である。





どこで聞いた言葉だったかは覚えていないが、なるほど身に染みる言葉だった。

月に二、三度は転ぶ私は、きっと大人に成りきれていないのだろうとぼんやり考える事もあった。

しばらく転んだ覚えが無いのに気付いたのは最近になってからだが、ようやく私も大人に成れたと言う事だろうか?



 「おはようございます」



 「…………あ、おはようございます」



そんな益体も無い事を考えながら事務所に入ると、ちひろさんが難しい顔でモニタを見つめていた。

年末も近いし、決算の入力でも溜まっているのかもしれない。



 「大変そうですが、手伝う事はありますか?」



 「いえ、手伝うというか……見てもらった方が早いですね」



ちひろさんの後ろからモニタを覗き込む。

そこに映っていたのは何かの折れ線グラフだった。

軸の日付と数字を見るに、収入の推移か何かだろうか。

数字には強くないのだが……



 「昨年、CGプロが上場したのを覚えていますか?」



 「ああ、そういえば記念にと私達にも株券配ってましたね。何とかオプションでしたか」



……あの封筒、どこにしまったかな。



 「これ、CGプロの株価の推移です」



 「へぇ。上がっていますね」



 「それも好調に、です。当初は小幅に上下していたんですが、ここ4ヶ月間で8%の上昇です」



 「……えっと、凄いんでしょうか」



 「数字としては珍しくありませんが、下落が無いのが驚きです。どうなってるんだろう……?」



 「みんなの努力が認められ始めたのでは」



そうして、信用調査がどうのと呟きながらちひろさんが考え込む。

難しそうな顔をよく見れば、戸惑い2割、打算3割、残りは……

いや、止めておこう。触らぬ神に祟り無しだ。



 「神谷さん達も、おはようございます」



 「おはようございまーす」



プリムスの三人も勢揃いしていた。今日も年末ライブに向けての練習だろう。

私も早く、彼女たちのように茄子さんへ活躍の場を用意してあげなければ。



 「ちょっといい?」



 「どうしました? 渋谷さん」



渋谷さんに呼び止められる。

何の用件かと待っていると、渋谷さんは無言で私を見つめたままだ。

……渋谷さんの、意志の籠もった瞳を向けられると、悪い事もしていないのに何故か謝りたくなる。



 「……ようやく本気、ってこと?」



 「?」



本気、とは何の事だろうか。

仕事に関してであれば、今まで手を抜いたつもりは無かったが。



……いや、相手はあの渋谷さんだ。

彼女は確かな努力を積み重ね、結果として今の実力を示している。

渋谷さんにとってみれば、私の仕事は本気に見えなかったのかもしれない。



 「……ごめん、何でも無いよ」



 「そうですか……あ、私からも皆さんに聞きたい事が」



 「ん、何なにー?」



北条さんが雑誌から顔を上げる。

そう楽しい質問でもないのが申し訳無かった。



 「私、最近ますます……その、同僚に距離を置かれている気がするんですが、何かやってしまったのでしょうか?」



三人が、何とも表現しにくい表情になる。

普通なら、プロデューサーがアイドルにする質問ではないだろう。

どうも私は、関わる人たちを微妙な表情にするのが得意らしい。嬉しくない。



 「……あー、言っていいのかコレ?」



 「言うなとも言われてないし、いいんじゃないの」



 「茄子さん達の事なら、確か……Pさん、『ヤバい』って呟いてたよ」



 「や、ヤバい?」



ヤバいって……何だ。

何か取り返しの付かない事でもしでかしてしまったのか私は。



 「そ、そうですか……ありがとう」



どうも私は、人の心を読む能力のが苦手らしい。全く嬉しくない。

これは、何としても結果を出して周りにも認めてもらわねばなるまい。

決意を新たにすると、扉の開く音がした。



 「おはようございまーす♪」



 「おはようございます、鷹富士さん」



 「もうっ、茄子って呼んでくださいって言ってるじゃないですかー」



 「すみません、まだどうにも慣れなくて……」



ナスじゃなくてカコです、とは彼女の口癖だ。一度もナスと呼んだ事など無いが。

最近は鷹富士さんと呼ぶと頬を膨らませる(美人はどんな表情でも美人だ)ので、茄子さんと呼ぶよう努力している。



 「今日の予定は何でしたっけ?」



 「午前はベテトレさんのダンスレッスン。午後はラジオ局への営業に、終わった後は新年特番用に神社の下見ですね」



 「だんだん忙しくなってきましたねー」



 「いえ、もっと良いお仕事を取って来れれば良かったんですが……」



 「そうなれるように、二人一緒に頑張りましょう♪」



全くその通りだった。

茄子さんほどの才能をここで眠らせておける筈も無い。

念入りにネクタイを締め直して、引き出しから車の鍵を取り出した。







 「……なぁ、あれさ」



 「ヤバいね」



 「……あれでもまだ、本気じゃなかったんだ」



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 「よし、そこまで」



 「はぁっ……ありがとうございましたっ」



茄子さんのレッスンを見学するのは久しぶりだった。

いや、あまり見に来たくはないのだが、茄子さんの能力を把握する為にも見ておかなければならない。



 「どうだい、プロデューサー殿の目から見て」



 「ダンスは門外漢ですが……以前より、躍動感が増している気がしますね」



 「あぁ。足りなかった基礎体力を付けさせたから、全体の運動量が増えているんだ」



茄子さんがストレッチをこなす横で、最近の動向について色々な話を聞く。

もうしばらく体力を付けさせたいので、ライブは少し先になるだろうという方向で一致した。



 「しかし、もう少し様子を見に来たっていいんじゃないか?仲は良さそうに見えるが」



 「それはまぁ、そうなんですが……」



ちらりと横目を向けると、前屈の最中だった。

指先がつま先までまっすぐに伸びていて、アレを私がやったら間違いなく腰をやってしまうだろう。

いや、問題はそこではない。



 「…………」



 「んーっ……」



薄いトレーニングシャツを着て、激しい運動をして、汗を流して。



 「…………」



 「むむむ……」



その、非常に良くないのだ。色々と。



 「まぁ、今日は見に来たんだしいいか。それじゃ、私は上がらせてもらうよ」



 「あ、はい。ありがとうございました」



ベテトレさんが部屋を出て、茄子さんと二人きりになる。

再び、ちらりと目をやった。



 「…………」



 「ふむーっ……」





……やはり、良くない。



とても。

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 「ふわぁ……っ」



 「お疲れ様でした。明日は休みなので、ゆっくりしてくださいね」



流石に連日予定が詰まっていたせいか、茄子さんもお疲れの様子だった。

体を壊しては元も子も無い。休息もアイドルの重要な仕事だ。

出来るだけ車を揺らさないよう、ゆっくり安全運転を心掛ける。



 「茄子さ……っと」



赤信号に横を向くと、茄子さんは寝息を立てていた。

起こさぬように息を潜めて、ハンドルを握り直す。



 「……赤信号、か」



最近赤信号に捕まる頻度が減っているのは、もはや気のせいではない。



ここしばらくは転ぶ事も無い(よく躓きはする)。

トーストを落としても、ジャムを塗った面が床に付かない(よく落としはする)。

自販機に紙幣を飲み込まれる事も無くなった(硬貨はよく飲まれる)。



 「運、上がってるよな」



理由は、おおよその見当が付いている。



ちょうど、茄子さんの担当になってからだ。

彼女と行動を共にしていると、不思議と理不尽な目に遭う事が無かった。



おそらく私とは正反対の、幸福に祝福された身の上というやつだろう。

だが、不思議と羨む気持ちは湧いてこない。

これも彼女の人柄が成せる技か。



 「…………」



どれ程のものなのか、少し試したくなってみた。



 「茄子さん、寮に着きましたよ」



 「んん……? あ、寝ちゃってましたか……」



 「起こすのも気が引けたので……茄子さん」



 「はい?」



 「手を、握ってもらえませんか」



自分でも唐突に過ぎると思うが、両手を差し出した。

寝起きで頭が働かないのか、茄子さんはしばらく首を傾げていたが、ややあって私の手を握ってくれた。



 「……凄いですね」



 「んっと……よく分かりませんけど、パワーを篭めておきますね♪」



握られた手は、私とは別の生き物のように滑らかだった。

体温とはまた別の、何か温もりのようなものさえ感じてしまう。



 「……ありがとうございました」



 「あら、もういいんですか?」



 「ええ、充分です」



 「手ぐらい、いつでも繋いじゃいますよ♪」



 「はは、凍えそうな時はまたお願いしますね。お休みなさい、茄子さん」



 「はーい♪」



何やら上機嫌にステップを踏んで、茄子さんが寮の中へ帰って行った。

それを見送ってから車を走らせ、頭の中の記憶を手繰り寄せた。



 「……あった、ここだ」



おおよそ私には縁の無い場所だが、多くの人にとっては年末を感じる風物詩だ。

まさか寄る事になるとは夢にも思ってもいなかったな。



 「いらっしゃい。兄さん、何枚?」



売り場の女性の言葉に、財布を開く。



 「連番、10枚で」

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周子可愛い



事ある毎にご飯たかられたい



周子の声、聞きたくない?



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――去年の事を、思い出していた。





 「…………」



アーニャちゃん達と星を観に行った翌日。

茄子さんに押し付けられたコートのポケットをまさぐると、それが出て来た。

すっかり忘れ去っていたが、今年も年末宝くじの時期だ。



 「……参ったな」



引換期限内だったため、冗談のつもりで当選番号を調べた。

しかし……。



 「1000万は、流石に冗談にならないな」



当たりくじを前に、しばし思いを巡らせる。

私が取れる選択は、そう多くなかった。



ジャケットの胸ポケットへ適当にくじを放り込む。

茄子さんにもらったマフラーを首に巻いて、木枯らしの吹く外へ出た。



どうせなら、風が運んで行ってしまえばいい。



どこか投げやりな気持ちで、事務所へと歩き出した。

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 「茄子さん。本当にすみませんでした」



 「えっと……よく分かりませんけど、顔を上げてくれませんか?」



深々と頭を下げて、茄子さんにくじを差し出した。

あるべき物は、あるべき場所にあるのが良い。



 「宝くじが、当たっていたんです」



 「あら、良かったじゃないですか♪」



 「……良く、ないんです。私は、茄子さんの行いを馬鹿にするような事をしてしまいました」



ニュースバラエティのアシスタント。

ラジオのパーソナリティ。

雑誌の連載コラム2本。

化粧品のCM出演。

来春にはCDを発売。



元々の素質にあぐらをかく事無く、茄子さんは真面目にレッスンに取り組んだ。

結果が付いてくるのも、まさに当然の結果と言えるだろう。

過去の私は、そんな茄子さんの素晴らしい面を見ずに、運などという下らない物差しで彼女を測ろうとしていた。



 「これは、私の愚かさの証明みたいな物です。茄子さんに、処分を決めてほしいんです」



 「……ええっと。これ、いつ買ったんですか?」



 「去年です。茄子さんに、手を握ってもらった後に」



しばらく記憶を探っていた茄子さんが、思い出したように、ぽんと手を打った。



 「ああ! 初めての時ですね。最近はよく手を繋いでるので、ちょっと時間掛かっちゃいました」



 「はい。私は、茄子さんを運で試そうなどと思っていたんです」



 「なるほどー。でも、それなら問題無いじゃないですか♪」



 「え?」



受け取ったくじを、茄子さんが私へと差し出し返す。

困惑する私を前に、茄子さんはにこにこと笑っていた。



 「ちょっと運の悪いプロデューサーに、ちょっと運の良い私がお裾分けしたんですよ?」



 「ええと……まぁ、そうですね」



 「だったら、普通の運で、普通に当てたっていう事じゃないですか♪」



だから普通に、プロデューサーのものですよ。

当たりくじごと、茄子さんに両手を握られる。伝わってくる温もりは、去年と何ら変わらなかった。



 「……ありがたいですが、とても自分で使う気にはなれません」



 「むぅ、遠慮深いですねー。なら、事務所の皆さんのために使ってはどうでしょう?」



……なるほど。

確かに自身で使うよりも、よほど有意義な使い方かもしれない。

どこかで見ている神様にも言い訳が立つだろう。



 「塩見さん、二宮さん。何か、欲しい物などはありますか?」



 「……すまない。今一つボクには話が見えないんだけれど」



 「んーと、宝くじが当たったって事でいいんだよね?」



先程からソファでこちらを眺めていた二人に、希望を尋ねてみる。



 「あたしは、何だろ……ビニールプールとか?」



 「分かりました」



 「いや冗談だからね。いま12月だからね」



 「二宮さんはどうですか?」



 「ボクもかい? そうだね……」



二宮さんが、手に持っていた紙コップを軽く揺らす。



 「多くは望まないよ。いつでも温かい珈琲の一杯くらい飲めれば、それでボクは満足さ」



 「なるほど……良い、考えですね」



 「参考になったかな」



 「ええ。二人とも、ありがとうございました」



握っていた当たりくじを、そっと鞄の奥へしまい込む。

あるべき物は、あるべき場所にあるのが良い。



 「ちひろさんと、ちょっと話をしてきます。茄子さんも、少し待っていてもらえますか」



 「はーい」



一ヶ月あれば、一通りの形は出来上がるだろう。

年末と新年のライブで、ちょうど事務所も人が少なくなる。



 「名前は、何にしようかな」



縁起の良さそうなものがいいかもしれない。

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 「……さむ」



松の内も明けて、出歩くにはコートが手放せなくなってきた。

年末ライブやら練習やらで、事務所にやって来るのはほとんど一ヶ月ぶりかもしれない。



 「……面白いコト、ね」





何か、事務所が面白い事になってたよー。





一足先に事務所へ顔を出したらしい周子が昨日、そんな話を教えてくれた。

行ってみたらすぐ分かると言ってたけど、特に外からは変わった様子も無いわね。



 「ふぅ」



階段を上って、いつものように4階へ。

事務所の扉には、外し忘れたらしい正月飾りがぶら下がっていた。

福の方からも、忘れられないと良いのだけれど。



 「……これ?」



上りきった階段の横に、周子の言うソレらしきものが提げられていた。





[ ↑ 5F カフェ・まほうのかぼちゃ プレオープン ]





そう書かれた小洒落たボードを眺めた後、階段へ目を向ける。

とりあえず、行ってみましょう。



階段を上りきったそこは、以前は倉庫だった。

飾り気の無い扉は既にそこに無く、可愛らしい扉には『OPEN』の札が掛かっている。





キィッ。





 「…………」



 「らっしゃい」



倉庫の一部を改装したからか、そこまで広い店内ではない。

カウンターにやたら良い笑顔のおじさんが立っている以外は、まだ二人しかお客が居なかった。



 「珍しい組み合わせね」



 「あら、奏さん。おはようございます♪」



 「……ああ、奏さんか。おはよう」



パイを頬張っていた茄子さんと、何やら頭を抱えていた飛鳥。

茄子さんはともかく、飛鳥の気分は良いようには見えないわね。



 「店員さん。ホットブレンド、もらえる?」



 「ヤァ」



……えっと、大丈夫よね?



二人と同じテーブル席に着くと、横の窓からテラスが見える。

シートが掛けられた資材の横にもパラソルとテーブルが積まれていた。

春先になったらカフェテラスにするつもりなのかしら。



 「それで、何これ?」



 「……うん。何なんだろうね、本当に」



 「プロデューサー、宝くじが当たったので、皆さんのためにカフェを作ってくれって頼んだんですよー」



お茶を飲みながら、何でも無いように茄子さんが答える。

この人の喋り方を聞いていると危うく納得しそうになってしまう。

けれど、よく考えなくても、よく分からない話だった。



 「パッションの娘たちの希望で、3階にはサウナを作るとか」



 「……うん、やっぱりよく分からないわ。飛鳥もどうしたの」



先程から両手で顔を覆っていた飛鳥が、顔を上げる。

いつも澄ました彼女の表情が、今は泣きそうなモノになっていた。



 「……珈琲が飲めると良いなって言ったらさ、普通は……コーヒーメーカーとかを想像するじゃないか」



 「?」



 「何なんだよ、カフェ新設って……1000万も当たったなんて思うわけ無いだろう…………」



そう呟いて、テーブルに突っ伏してしまった。

……なるほど、この娘が希望を出したら通っちゃったワケね。

みんなも使えるんだし、気にしなくていいのに。



 「ふーん……茄子さん、それ何のパイ?」



 「ナスじゃなくて、カボチャですよー♪ カボチャのお菓子が充実してるみたいですね」



 「美味しそう。私も何か軽く摘もうかしら」



飛鳥の頭を避けて、立て掛けてあったメニューを手に取った。



 「……?」



表紙にはこのカフェのものらしき、ちょっと変わったマークが入っている。







山と積まれたカボチャの上で羽根を休める、どこか可愛らしい鷲が一羽。

毛筆らしい藤色の円で囲まれて、その丸い筆跡に沿うように文字が並べられていた。







何故か、『お客様は神様です』と――



おわり



21:30│鷹富士茄子 
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