2014年01月01日
岡崎泰葉「マイ・パッション」
アイドルマスターシンデレラガールズより、岡崎泰葉のSSです。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1370764527
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初めて会ったときのこと……ですか。
覚えてますよ、もちろん。
今までのことは、全部覚えてます。
私とプロデューサーとの最初の出会いは、現場でのことでした。
5月の、初めくらいのある日。
今でもライブのときにはお世話になる、例の劇場で、です。
その頃にはもう、私がアイドルになってから、しばらく経っていました。
私は子どもの頃から、モデルや子役のお仕事を通して、芸能界に生きてきました。
アイドルの活動を始めたことに、何かきっかけがあったわけじゃありません。
……ここからはアイドルの活動、なんて、きちんとした線はないですからね。
事務所の都合とか、売り出し戦略だとか……。
そういうものに流された結果だったと思います。
当時は、そのことに不満を感じませんでした。
というよりも、不満を感じる余裕はなかったという方が正しいのかな。
私の居場所は、もうそこにしかなかったですから……。
誰も迎えてくれない、人ひとり分のスペースでしかないものだったけど。
それでもそこが、私の唯一の居場所でした。
例の劇場では、定期的にライブバトルという名前のイベントが行われます。
ソロならソロで、ユニットならユニットで、エントリーすると対戦相手が決まって。
そこでお互いに一曲を披露して、勝ち負けを決めるというイベントですけど……。
……ふふっ、今さら説明するまでもないですよね。
とにかく、そのある日に、私の対戦相手に選ばれたのが、プロデューサーだったんです。
……あ、プロデューサーじゃない。
プロデューサーが担当していたアイドルの人、です。
そのときの私は、思い上がりとかはなしに、今日は勝てるだろうと思いました。
この世界に入ったのは昨日今日のことじゃないし、それなりに自信はあったんです。
見るからに入りたての新人さんに、負けたくないという気持ちもありました。
でも……お察しですか?
……はい、私は負けました。新人さん相手に。
負けたってことは、やっぱり思い上がりだったのかも。
たくさんライブバトルをすれば、たまには、そういうこともあるから……。
だから私にとって、負けたことそのもののショックは、そんなに大きくなかったです。
……本当ですよ?
ああ、今日は負けか、って……そのくらい……。
……。
…………いえ、嘘です。そんなに軽くはなかった……かな。
けれど、それよりもショックだったのが、そのすぐ後のことでした。
………………………… ◇ …………………………
「プロデューサー! 私、勝ったよ!」
「おう、おめでとう! 頑張ったな!」
ライブバトルが終わって、一息ついていた私の耳に、そんな会話が聞こえてきたの。
いかにも新人さんらしい、元気のあり余った声だと、そのときの私は思いました。
……今思うと、負けてちょっと悔しかったんじゃないかなって。
私の目の前で、相手だった女の子は、プロデューサーに飛びつきました。
プロデューサーの方も、笑いながらその子を受け止めてあげていて……。
二人して飛び跳ねてました。
何やってるんだろうって、思いました。
ライブバトルで一度勝ったくらいのことで、鬼の首を取ったように……。
喜んでいられるのは最初だけなのに、と呆れました。
けれど、そう思うよりもっと、羨ましさもありました。
あんなふうに一緒に喜んでくれる人は、私にはいなかった。
勝っても褒めてくれないし、負けても慰めてくれない。
……いや、むしろ、それだけなら、まだ……。
私の知ってる大人は、勝って当然、負けたら役立たず。
人を褒める言葉には、いつだって何か裏がある。そういう人たち。
……あの子のプロデューサーだって、ああ見えて、どうせそうなのよ。
……そうに決まってる。
帰り支度をする私は、一人でした。
劇場を出る前に、私は掲示板に立ち寄って、これからのライブ予定を確認しました。
何のためか……って?
それは、私にはプロデューサーがいなかったから。
……いたかもしれないけど、いないのと同じことだった。
スケジュールは週の初めに配られたけど、それだけ。
誰も私のことなんて気にしてない。他のことは、自分でやります。
だから、今後の予定に変更はないか、見られるときに見ておきたかったんです。
出演者の欄を、上からずーっと指でなぞっていくと、ほどなくして二つめの私の名前。
対戦相手は、今日と同じ。
……次は、勝ちたいな。
勝つために、何をしたらいいか。
あの子の弱点はどこだろう。
掲示板に載った相手の名前をじっと見つめて、彼女のパフォーマンスを思い出した私。
「おっ、さっきの人発見!」
すると、後ろから、聞き覚えのある声がしました。
何かなとは思ったけど、自分に向けてのものだとは思わなかったから、私は振り向かなかった。
「こら。さっきの人、じゃないだろ。覚えてないのか」
「うえ……。だって私、自分のステージで手一杯だったんだもん」
「まあ、今は仕方ないか……で、あの子は……えーと…………なんて子だっけ」
「なんだいなんだいプロデューサー、私と一緒じゃん!」
「一緒にするな。俺は今から思い出す…………――ああ、そうだ。泰葉。岡崎泰葉って子だ」
自分の名前が聞こえてきて、私は振り向きました。
つい、反射的に。
でもそのときには、彼らはもう、劇場を出て行くところでした。
楽しそうにお喋りしながら、お互いに笑顔で、よく晴れた外へ。
……眩しい光の中に、入っていくように。
それにしてもあの人たちは……まったく、大きな話し声。
掲示板に向き直りながら、私は不思議な気持ちになりました。
長いこと呼ばれることのなかった自分の名前。
しかも……下の名前です。
それが、直接じゃなくても、赤の他人のプロデューサーに呼ばれるなんて。
きっと普段から、人を名前で呼んでいる人なんだろうな。
………………………… ◇ …………………………
それから少しして、私は劇場を出ました。
その日は天気がよくて、自動ドアを抜けた瞬間、お日様がすごく眩しかったのを覚えています。
それに、暑かった。
熱中症に注意してくださいって、天気予報が呼びかけるくらいだったと思います。
早く事務所に帰ろうと足を向けたところで、だけど、私はすぐに立ち止まりました。
だって、そこで、変な人を見つけたの。
私の目の前で。
スーツ姿の男の人が、地べたに両手をくっつけて、地面の声を聞いていたんです。
ぺちゃんこの蛙みたいな格好でした。
……そうそう、そんな感じです。……お上手ですね。
……もしその人が自動販売機の前にいるんじゃなかったら、私は110番したかもしれません。
今日は暑いから、飲み物を買おうとしたのかな。
そして、小銭を自動販売機の下に落としちゃったのかな。……って。
事情はなんとなく、予想できましたけど、近寄りたいとは思いませんでした。
逆から帰ろうかとも、ちらっと考えました。
この上なく怪しかったんだもの。
考えてみたら、言葉を交わしたのはこのときが初めてだから……。
あまりスマートな出会いとは、言えないですね。
ちなみに、後になってこの感想をプロデューサーに話したとき。
口止め料だって言って、ヘアピンを買ってくれました。
…………あっ。
……まあ、ばれなければ……大丈夫ですよね?
………………………… ◇ …………………………
「どうかしましたか?」
私は男の人に、上から声をかけました。
その人は、くるりと頭を回して私の顔を見ましたが、起き上がろうとはしませんでした。
「五百円玉を落としちゃってね」
私に声だけを返して、男の人はまた、自動販売機の下を覗きこみました。
それから、独り言のように、言葉が続きました。
「いいことの後には悪いことが来るんだなあ」
「……はあ」
いいことって、何だろう。
ライブバトルで私に勝ったこと?
「人間万事塞翁が馬とは、よく言ったものだよ」
……よくわからないけど、そこまで大袈裟な話じゃないと思うの。
人に見られても、慌てた様子はまったくなくて。
這いつくばって探しものを続ける度胸に、私は呆れてしまいました。
体面とか、プライドとか、そういうものはあなたにはないの?
それから、私が呆れたわけは、もうひとつ。
「……その五百円玉って、これですか?」
男の人の足元の、光る金色を指さして、私は聞きました。
「助かったよ。ありがとう、見つけてくれて!」
「どういたしまして」
男の人に、冗談に感じるくらい、上機嫌な声で、私はお礼を言われました。
まるで、私が何か特別なことをしたかのように。
特別なことは何もしてないのに。
たった五百円をこうも大事にするなんて、貧乏なところなのかな。
そのときの私が、そう思ったことは内緒です。
「君は……さっき、俺たちと勝負をした子だよね。岡崎泰葉さん」
「はい、そうです」
さっきの会話を聞いていたから、覚えられていたことには驚かなかった。
……驚かなかったけど、目を伏せて、言葉少なに答えた私。
負けを思い出すのは、悔しい。
この人の笑顔にも、何か含みがあるんじゃないかって、そんな気がしました。
「見つけてくれたお礼だ、君にも奢るよ。お茶かジュースか、どれがいい」
けれど、私の内心なんて、会ったばかりのこの人には知るよしもないことです。
自分と担当アイドルの分なのか……。
既にペットボトルを2本、片手で取り出した男の人は、私にそう言いました。
「えっ……その、結構です」
「まあそう言わずに。ライブの後で喉渇いてるだろう?」
咄嗟に断った私でしたが、男の人は気にしたふうもなく勧めてきます。
……せっかくなので、お茶を買ってもらいました。
……この日は暑かったから。
それに、事務所の人には期待できない親切が……。
プロデューサーがアイドルにしてくれるような気遣いが、嬉しかったから。
「……君は慣れてるみたいだね」
お礼を言って、お茶のペットボトルを受け取ると同時、男の人に言われました。
慣れている。
芸能界に……という、意味かな。
この人もプロデューサーなら、アイドルの年季は、見ただけでわかるのかも。
そのときの私は、そう解釈しました。
「そう見えますか?」
「うん。……って、しまった。そろそろ戻らないと、待たせすぎで怒られるな」
我に返ったように、男の人はお釣り口を確かめて、私に背を向けました。
誰を待たせているのかなんて、聞かなくてもわかります。
さっきの、この人が担当しているアイドルの子だろう。
「それじゃあまた、次のライブバトルで」
帰り際に、私のまだ知らない、私をまだ知らないプロデューサーは。
次は負けない、と意識していた私の心を見透かすような言葉を置いていきました。
事務所に帰ると、空気が少し、ざわついていました。
大人たちが一つの机に群がって、何か話しています。
荷物を肩から降ろしながら、私はちょっとだけ、考えました。
仕事中に邪魔をするなって怒られるから、普段は話しかけないけど。
今日はいつも通りじゃないみたいだから、私は声を出してみました。
「何かあったんですか?」
「……」
……何人かが振り向いて、何人かは私を無視して元の通りに向き直りました。
一人だけが答えてくれました。
「お前には関係ないことだ」
「……そうですか」
それならそれでいい。
どうしても知りたいわけじゃないもの。
どうせまた、誰がやめるのやめないのって、騒ぎになっているだけだろう。
アイドルの仕事がつまらないとか、そんな理由で。
私は大人たちから離れて、そのへんに置いてあった雑誌を手に取りました。
雑誌を開いて。
余所のプロデューサーに奢ってもらったお茶を飲もうとして。
ペットボトルのキャップを回そうとした私の手は、ふと止まりました。
小さな特集に。
さっき見たプロダクション名と、アイドルの子が、載っていました。
………………………… ◇ …………………………
……初めて会ったときの話は、これで終わりです。
次にプロデューサーと会ったのは……次のライブバトルのときです。
それまでの間に受けたお仕事では、会いませんでした。
プロデューサーだけじゃなくて、今の事務所のみんなにも、誰にも。
……こういうことを言うのは、よくないのかもしれないけど。
受けるお仕事の質が、今の事務所と昔の事務所で違ったんじゃないかな。
プロデューサーなら絶対にやらせないだろうなって思うようなお仕事も。
昔の私は、してました。
……え?
……ああ、それは、ないです。
似たようなことは、しましたけど。……そこまでは。
事務所は、私が売れなくなったら、そういうこともさせようと考えてたみたいです。
だから、あのときは……思ってた以上に、際どい時期だったのかもしれない。
やらずに済んだのは、プロデューサーのおかげです。
きっかけになったのは、たぶん、次のライブバトルの後の会話でした。
………………………… ◇ …………………………
初めて相手をした日から、数週間後。
私の目の前には、いつかどこかで見たような光景がありました。
「……」
「プロデューサーっ! うわーい☆ ひゃっほー♪」
「わかったわかった、嬉しいのはわかっ――あぶなっ、ちょっ、落ちつけ!」
喜び勇んで自分のプロデューサーに飛びかかっていく相手の女の子と。
笑ってそれを受け止めて、倒れそうになっている、プロデューサー。
また、この前と同じことをやってる。
だけど……微笑ましい、なんて思う余裕はなかった。
胸の内で、密かにリベンジを狙って挑んだライブバトルに……。
私は、負けました。
勝つための努力は欠かさないできたつもりだった。でも、勝てませんでした。
この日、相手のパフォーマンスの方が優れていたことは、認めざるを得ません。
最初に相まみえたときよりも、レベルが格段に上がっていました。
私だってこの日のために、レッスンルームを借りて、一人練習を重ねたのに……。
私の努力が不十分だったのか、相手の努力が上だったのか……。
どっちにしても、勝てなかったのは同じこと。
……悔しい。
知らないうちに、私は衣装の裾を強く握っていました。
「プロデューサー、私この前、お洒落なカフェ見つけたんだ! 帰りに寄ってこ?」
「いいけど、そういうお誘いは衣装を脱いでからしろ」
「えっ……脱げ? そんなっ……ダメだよ、まだ私、こ、心の準備が……」
「馬鹿なこと言ってないで、はい、気をつけ、汗拭いてやるから。終わったら早く着替えておいで」
「はーい♪」
目を逸らしたいのに、どうしても心がそっちを向いてしまう。
仲の良さを隠そうともしてない、そんな会話が聞こえます。
……ううん、隠す必要なんてない。
本当はこれが、プロデューサーとアイドルの、理想的な関係。
裏方で作業をしていたスタッフの皆さんも、和やかに二人を包んでいました。
そこに交われないのは、私だけ。
異物、邪魔者、蚊帳の外、……表す言葉は、何でもいいけど。
仲睦まじい二人の姿に、胸がきゅうと締めつけられるような気がして。
追い出されるように、私はステージ裏を抜けました。
「はあ……」
ステージ裏と廊下を仕切る、固い金属の扉に背を当てます。
うつむいて、衣装の裾を掴みっぱなしでいた手を、ふと離しました。
分厚い扉越しでも聞こえる声に、じくじくと疼く胸を……その手で押さえました。
「……いいなあ」
本当は気づいていました。
……あの人たちを初めて見たときから。誤魔化しては、いましたけど。
私は嫉妬していた。私は寂しかった。
比べてしまって……すごくすごく、寂しい。
すぐそこにあるように見えたものは、私からずっと遠い場所にしかないものなんだ。
劇場を出る前に、いつものように掲示板の前に立っていると。
控え室に繋がる通路から、相手の女の子が出てきました。
大きな鞄を肩にかけていて……側にプロデューサーはいませんでした。
今日は、先に気づいたのは私。そんなことを思いました。
でも、先に声をかけてきてくれたのは向こうでした。
「あっ、岡崎泰葉さん」
「こんにちは」
その子は、私の名前を覚えてくれたようでした。
私は初日から覚えていましたけど……それは何故かといえば、私が負けず嫌いだから。
私に勝った新人さんの名前を、忘れられるはずがないもの。
「……岡崎さんは、セルフプロデュースなんですか?」
挨拶を交わした後、ずいぶんと馴れ馴れしい口調で、そんなことを聞かれました。
「厳密には違うけど……ほとんどは。……それがどうかしたんですか?」
「いいえ。でも、そうですか。すごいなあ」
何の意味もなさそうな、ただそれだけの感嘆。
私は面食らいました。
すごいなあ、って。……それって。
「私はプロデューサーに頼りっきりだから……すごいなあと思って」
取りようによっては、当てつけにも聞こえる台詞だったけど、そうは思わなかったな。
そういう子じゃなさそうな、印象でした。
「……頼れるプロデューサーがいるのは……幸せよ」
つい、口から出た呟きが、相手の子に届いたのかどうかは……わかりません。
「おーい、お待たせー。……って、あれ?」
横合いから聞こえた声に、私とその子は一緒に振り向きました。
視線の先には、中途半端に手を挙げた男の人が一人。
その人は、私のことを見ていました。……私のことを、覚えてるだろうか。
「君は……」
「えへへっ、お知り合いだよっ☆」
私の横に並んで、場を制して、相手の子は言いました。
思わず横を見る私に、彼女は惚れ惚れするようなウインクを決めました。
……なんて馴れ馴れしい。
事務所にはこんな人はいなかったから、驚いたけど、嫌な気分じゃなかったです。
「そうか……そうか……」
「ん? プロデューサー? どうしたの?」
「お前にもついに、友達ができたのか……っ! 父さんは嬉しいぞ!」
「……いや私、友達くらいいるよ」
「真面目に返すな! そこは乗るところだろ!? 滑っちゃったじゃないか」
冷めた言葉、慌てた言葉、でもどっちも、冗談だとわかる。
……なんだろう。この、愉快な気持ち。
「ふふっ」
私は笑い声を漏らしてしまいました。
人のやりとりを見て笑うなんて、いつ以来のことだったかな……。
「……そうか、君はやっぱりセルフプロデュースの子だったのか」
少し世間話をした後。
相手の子のプロデューサーに、私はそう言われました。
ええ、ほとんどは。だけど、それがどうかしたんですか? と。
さっきと、同じような言葉を返すと、プロデューサーは笑いました。
「前に会ったとき、この子は一人で行動することに慣れているなと思ったんだ」
慣れてるみたいだね、とは、そういう意味だった。
慣れている。……慣れ。
……そう、その通りよ。私は一人でも平気……なんだから。
寂しいのは、我慢しないと。
我慢しないと……もっと寂しくなる。
「この前と今日は勝てなかったけど……次は、あなたたちに勝ちます」
二人を交互に見据えて、私は宣言しました。
心からそう思っているかのように、きっぱりと言えたと思う。
他意なんて、ない。
すると、男の人の顔色が、少し変わった。
気分を害したわけじゃ、ないようだけど……。
「……ちょっと、俺の目を見てくれる?」
いきなり、今までとは種類の違う、真面目な声を出されて、私は戸惑いました。
戸惑ったままで、顔が勝手に動いて、その言葉に従ってしまう私。
相手の子が助け船を出してくれました。
「なぁに、プロデューサー。また女の子口説こうとしてるの?」
「またってほどしょっちゅうは口説いてない!」
……えっ。
それじゃあ、今から私を口説こうとしてることは、否定しないの?
余裕があるのかないのか、わからないことを思った私の目を。
相手の子のプロデューサーは覗きました。
じいっと。
心の奥底まで見透かすように。
覗いて、それで、何がわかったのか。
居心地の悪さに身じろぎしたら、ふうん、と納得して身を引いてくれました。
「……あの、何ですか?」
わけもわからず凝視されるのは、気持ちのいいことじゃない。
いくらか語気を強めた私。
「いや……うん」
歯切れ悪く、唸られました。
言うか言わないか、迷っているような……そんな印象。
相手の子も、私を見て、そして自分のプロデューサーを見ました。
「何なの? プロデューサー、はっきりしてよね」
二人の女の子に、一人の男性が詰め寄られている図。
端から見たら、どんなシーンに見えたかな。
その、二人分の視線を受け止めて……プロデューサーは私に向かって訊ねました。
唐突に。
「君は……アイドルやってて、楽しい?」
問われた台詞に、声が詰まりました。
咄嗟に、何も返せなかった。
楽しい? どうして、そんなことを聞くの?
そんなの……そんなのは…………。……あれ。
簡単に出せると思った答えは、出ませんでした。
私は……アイドルのお仕事を、楽しめている……のかな。
アイドルだけじゃない。芸能界のお仕事、全て。
……初めの頃は……私がずっと小さい頃は、頑張ることで、みんなが喜んでくれた。
私は嬉しかった。求められている気がして、誇らしかった。お仕事は楽しかった。
……それが虚像にすぎないと気づいたのは、いつのことだっただろう。
いつからか、誰も私を見てくれなくなって。
陳列棚の隅っこに追いやられた売れ残りみたいに、その存在を忘れられて。
今は……。
「……」
返事もできずに、うつむくだけが、私の精一杯でした。
「あー……本来、こういうのは御法度なんだけど……」
言いづらそうに切り出した声で、私は目を上げました。
次は何を言われるか。身構えたところで。
「君、うちの事務所に来ないか?」
「「ええっ!?」」
二人分の驚いた声が、大して広くないスペースに響きました。
「……」
「プロデューサー、やっぱり口説いてる!」
私が固まったのを見てとって。
相手の子は、茶化したふうを装って、口を挟んでくれました。
でも、男の人は何も続けない。
ただ、私が答えるのを……待ってる。
「……考えさせてください」
私の口から出た言葉は、それでした。
急に言われても、答えられない。
こんな、何の脈絡もない切り出し方で。
遠い場所のことだと思ってたのに、それが目の前に現れたら……誰だって混乱します。
この人たちも、この人たちの事務所のことも、私は何も知らなかったし。
今の事務所よりもいいところだなんて保証はないし、それに。
……それに、私の中の何か……固くしこった部分が。
その提案に飛びつきそうになる心を引き留めていました。
「……そうかー」
振られることに慣れているのか、どうなのか……。
腕を組む彼は、あまり残念じゃなさそうでした。
「それじゃあ名刺だけ、渡してもいいかな。受け取ってもらえる?」
言いながら、ケースから、一枚の紙を取り出した男の人。
差し出された小さな紙を、このとき、受け取っていなかったら。
「もしもその気になったら、連絡してくれ」
……私はどうなっていただろうか。
「ならなかったら、事務所の人に話しても、捨てても構わないから」
相手の子が窺うように私を見てるのはわかりました。
けれど私は、ひたすら名刺に目を落としていました。
事務所の名前の下に添えられた、プロデューサーの文字。
もし、私が望んだら。
……この人は私のこと、ちゃんと見てくれる、のかな。
「何かあったときは、遠慮しなくていいからね。ごめんな、変なこと言って」
ケースをしまいながら、私にそんな言葉を投げかける、私の目の前の、男の人。
……名刺をつまむ指に、力が入りました。
……今になって、思うなら。
プロデューサーはこのときにはもう、全部、見抜いてた。
彼らとは、その日はそれで、別れました。
続きを考えるので30分ほどください。
あと、画像ありがとうございます。
事務所に帰ると、大人たちが会議室にこもって何事か話していました。
薄いスチール戸の向こうから、話し声が聞こえます。
葉の伸びた観葉植物、煤けたソファ、書類の積まれた事務机……殺風景な部屋。
他に気を引くものもなくて、私は大人たちの話し合いを聞き流しました。
『こっちは……まあ、予想通りの出来だな』
『ああ、まだ当分は心配いらない』
『……こっちは?』
『駄目だな。昔ほどには見込めなくなった。使えるうちに使っておこう』
『こいつはまだ“綺麗”だからな。その価値はある』
ぞくりと、背中に悪寒が走った。
誰も私の名前を出してはいない。だけど嫌な予感は膨らむ。
私がここで聞いてることを、戸の向こうの大人たちは知ってるのかもしれない。
そんな気がして……背筋が寒くなりました。
根が生えたように、その場で私が棒立ちになっていると。
やがて話し声が止み、戸が開きました。
その場を離れるかどうか、猶予する暇もなかった。
「お? 帰ってたのか」
会議室から出てきた大人の一人に、声をかけられました。
そのとき私は、名刺を貰ったことを正直に話すつもりでいました。
もちろん、向こうの提案は魅力的だった。
憧れていた関係に、私も入れてくれるという話だったんだから。
でも、今の事務所だって。
不満はあっても、私を育ててくれた事務所であることに、変わりはない。
だから……そう、揺らぐ心を抑えていたのに。
「今日はどうだった」
「負けました」
「そうか」
いっそさっぱりとした表情で、その人は私に言ったの。
「お前も、そろそろだな」
「……」
……ああ、やっぱり。勘違いじゃ、なかった。
私もいつか、と漠然と予想して、恐れていたことが、今、来た。
「あの……」
「何だ?」
呼び止めようとすると、その人は、妙に迫力のある口調で言いました。
顔は笑っていたのに、その目は、凍ってた。
「まさか嫌だなんて言わないよな?」
言外に、私の居場所はここにしかないという事実を、突きつけられました。
その途端に。
指が震えて、喉が詰まって、変な物でも入ったみたいに、鼻の奥がつーんとした。
言われた通りにやりさえすれば、褒めてもらえた。
そうしないと、居場所を奪われた。
言われた通りにやりさえすれば、認めてもらえた。
だから、そうしてきた。
なのに、どうして誰も。
家族も、同級生も、事務所の大人も、お仕事先の人も、誰もかもみんな。
どうして、私のことを見てくれないの?
嫌だ。
そんなことをしてまで、生き残りたい世界じゃない。
嫌だ、違う。そうじゃない。
私が欲しかったものは、何?
やらされたことじゃなくて、私がやりたかったこと。
――アイドルやってて、楽しい?
「楽しくない……」
呟いたときにはもう、私の前には、周りには……誰もいませんでした。
諦めと抗いの間で揺れる、私の心に、名刺と一緒に貰った言葉が浮かんで。
……流されるままでいるのは、もう嫌だ。
溢れそうになる何かを堪えながら、私は事務所を飛び出しました。
………………………… ◇ …………………………
……その日のうちに、私は電話をかけました。プロデューサーに。
何を話したかは、あまりよく……覚えていないんです。
全部覚えてるって言ったのに、ここだけは、記憶が曖昧で。
……ごめんなさい。
必死……というのとは、少し、違うと思いますけど……。
いっぱいいっぱいだった、が的を射てるかな。
ごめんなさい、お願いします、助けてください、って……。
そんなことを、言ったんじゃないかと思います。
……思い出すと、顔が熱いですね。
……きっと向こうは、私の言葉が支離滅裂で、混乱したと思います。
その頃の私は、人の頼り方を知らなくて……。
でも、プロデューサーは、私の話を聞いたあと、頷いてくれました。
いえ、電話越しなので、動作はわからないんですが……。
目の前にいて、頷いているのを感じられるような……。
……うまく、言えないけど。
プロデューサーは、二つ返事で認めてくれました。
それから、数日のうちに移籍話を持ちかけてくれたんです。
話がまとまったらすぐに、自ら事務所まで来て。
私を連れて帰ってくれたプロデューサーの姿は、今でもはっきり覚えてます。
どうしてそこまでしてくれるんだろうって、当然だけど、私も思いました。
だって、それまで、直に会ったことは2回しかなかったのに。
プロデューサーにそのことを聞いたら……。
キミに一目惚れしたからだ……なんて、わざとらしく言ってました。
私にアイドルの素質を見ての打算だ、とも、言い訳っぽく言ってました。
えっと、覚えてる限りそのままの言葉を引用すると、こんな感じです。
初めてライブバトルをしたときに、泰葉が俺たちを羨ましそうに見てるなって。
それはすぐに気がついた。
だけどもちろん、そんな理由で移籍なんて決められない。
そんな軽いものじゃないのは、よくわかってるだろ?
泰葉のときだって、新しい子を雇う余裕がなかったら。
見て見ぬ振りしかできなかったと思う。……残酷なようだけど。
……話を戻すと。
一度目は、事務所の都合でプロデューサーがつけられないんだろう。その程度だった。
二度目に……泰葉がステージを降りたときの様子を見て。
あまりにも辛そうな顔をするから、これは尋常じゃないなって思ったんだ。
そのあと掲示板のところで会って、少し話をしたよな。
それで、この子の事務所は……ごめん、よくないところだろうって検討がついた。
なら、この子の芽が摘まれる前に……ってな。
目とステージを見れば、その子がどんな気持ちでアイドルをやっているか、すぐわかる。
あのときの泰葉はなあ……。
すごくまっとうな目をしてるのに、つまらなそうだったぞ。
俺は、みんなに、アイドルをやるからには、アイドルの楽しさを感じてほしいから。
あともうひとつ、決め手になったのは……。
ステージの間、一度も笑ってなかった泰葉が、俺たちの会話で笑ったことかな。
ああこの子、こういう顔もできるんだって、そのときは思ったよ。
プロダクションが変わったことは、私にとって、単に所属が変わっただけじゃない。
見るもの全てががらりと変わりました。
夢じゃないかと、疑うくらいに。
事務所も、寮も、レッスンルームも、どこにいても活気が感じられました。
プロデューサーの後に続いて、事務所の中に足を踏み入れた、あのとき。
私は、感動を口に出さずにはいられなかった。
真新しいのに黒々としたホワイトボード。
応接用テーブルの上に広げられた、学校の宿題。
アイドルみんなのプリクラが貼られた、書類棚。
所属してる子たちは、みんな気のいい人たちでした。
……それまで、私は、他の人とあまり関わらずにいたんですけど……。
ここに来てからは、そんなの、無理でした。
事務所と寮とで、それぞれ歓迎会を開いてもらって。
女子寮で相部屋になった子なんて、三度目の歓迎会を開いてくれたの。
大勢でやるレッスンを経験するのも、初めてでした。
誰かと一緒に練習することで、こんなに上達を感じられるなんて。
誰にも頼らないでいた私は、教え合うことの意味を、このとき知りました。
それから、何より嬉しかったのは。
私にも……支えてくれる人が、できたことです。
………………………… ◇ …………………………
プロダクションを移籍して、久しぶりに挑んだ、ライブバトル。
因縁の劇場、なんて言ったら、どちらかというといちゃもんね。
思い出の劇場、と言い換えます。
例の劇場で、持っていたものを全て出し切って、ステージを終えた私。
息を落ちつかせるより先に、プロデューサーの姿を探しました。
つい、探してしまいました。
私がここに至るきっかけになった、今は同僚のあの子と同じように。
「プロデューサー」
ステージ裏で、大きなタオルを持って待っていてくれたプロデューサーのもとへ。
私は一目散に駆けよりました。
「勝って、きました……!」
「ああ、おめでとう! 汗拭くから、ちょっとじっとしてな」
上気した頬に、武者震いの止まらない肩に、ふんわりとした感触を得る。
温かい優しさに包まれた中で、私はその言葉を聞きました。
プロデューサーにもらった、おめでとうの言葉。
待ち望んでいた言葉が、花火のように私の中で弾ける。
……その一言が、ずっと欲しかった。
私を認めて、一緒に喜んでくれる人がいることは、こんなにも嬉しい。
ああ、駄目。抑えきれない。
じんわりと熱いものが体の芯からこみ上げてきて、私は顔をしかめました。
タオルを被せられていたから、プロデューサーには気づかれないで済みました。
それから……帰るときになって。
毎度のくせで掲示板に立ち寄る私を、プロデューサーは面白そうに眺めていました。
声をかけてくれればいいのに。
私がもう掲示板を見なくてもいいことに気づいて、はっとするまで、ニヤニヤして見てるの。
意地悪よ。
「……怪しいですよ」
そう文句を言えば。
「目の保養になるから」
とか何とか、わけのわからないことを言い返してくる。
私は、変なことはしてない。
めいっぱい背伸びをして、掲示板の上の方まで目を通すだけです。
そんな私のどのへんが目の保養になるのか、さっぱりです。
「事務所に帰りましょう、プロデューサー」
呆れるのとむくれるの、その真ん中の顔をして。
私はプロデューサーのスーツの袖を引っ張りました。
「そうだな。どこか寄ってくか?」
「え?」
プロデューサーの意外な発言に、私は戸惑いました。
事務所に帰るんじゃなかったの。
「何のためにですか?」
「何のためにって……泰葉の初勝利記念、とか」
うちのプロダクションに来てからのな、とつけ加えるプロデューサー。
「……そういうのは、いいです」
私が欲しかったものは、もう、プロデューサーがくれました。
事務所のみんなからも。
これ以上貰ったら、お返しできなくなってしまうから。
すると、しみじみと言われました。
「泰葉は手がかからないなあ」
「……どういう意味ですか?」
私は、ちょっと不安になってプロデューサーを見上げました。
……泰葉は手がかからない子。
それは、私にとっては、嬉しい言葉じゃなかった。
私のことをほったらかす理由付けに、よく使われた言葉だもの。
でも、このときは私が、過敏になっていただけでした。
「他のやつらは、泰葉と違って、すぐどっか寄り道したがるんだよ」
泰葉みたいに、まっすぐ帰ろうと言ってくれる子は貴重だ。
……なんて、私を見て言う、プロデューサー。
じゃあ帰ろうか、と歩き出そうとするプロデューサーの袖を掴んだまま。
私は立ち尽くしました。
「どうした?」
寄り道したがるという、みんなの気持ちは、わかる気がします。
私がプロデューサーに気づいてもらったように。
事務所のみんなにも、きっとそれぞれエピソードがある。
この人と一緒にいたいなって。
そう思わせる人なんだ、プロデューサーは。
「……あの」
「うん?」
「私の初勝利記念、何かしてくれるのなら……ひとつだけ……」
お願いがあります。
「プロデューサー、その、私に興味を持ってほしいな……」
「……」
……たぶん。
プロデューサーは、私の言葉の意味を、推し量り損ねたと思います。
私がなぜ、今になってそんなことを言うのか、不思議に感じたんじゃないかな。
けれど、最後に残った一抹の不安を吹き飛ばすような約束を。
私をずっと見ていてくれる、という約束を、プロデューサーはしてくれました。
………………………… ◇ …………………………
長いこと、話してしまいました。
お話しできること、他に何か、あったかな……。
……。
……何か鳴ってる。電話……私ですね。
あ、プロデューサーからでした。ふふっ。
出てもいいですか?
失礼します。
……はい、泰葉です。
はい。
はい。
……はい、わかりました。準備しますね。
……。
……ええ、次のお仕事の連絡でした。
……ふふっ、その通りです。察しが早いですね。
頑張って、歌ってきます。
ああいえ、その、おかまいなく。時間に余裕はありますから。
ほとんど準備は終わってるので、急ぎじゃないです。
……そうだ、準備といえば、この前のひな祭りに、こんなことがありました。
最後にひとつ、お話しします。
………………………… ◇ …………………………
子どもの頃から芸能界に生きてきた人は、周りと少し違います。
お仕事が中心の生活だから、みんなと会う機会が少なくなります。
私もそう。
学校とか、季節の行事とか、ほとんどの子が普通に体験してきてること。
私には、その半分の経験もなかったんです。
ないものねだりだけど、憧れていました。
転機が訪れたのは、去年の5月。
プロダクションが変わってから、人と同じように過ごせる時間が増えてきて……。
学校にちゃんと行けるようになったし。
家の代わりに、事務所で季節の行事を楽しめるようになりました。
海、紅葉、ハロウィン、クリスマス、年末年始、節分、バレンタイン……。
忙しいお仕事の間を縫って、みんなでちょっとしたパーティをするの。
それは食事会だったり、レクリエーションだったり。例えば……。
みんなでひな壇を作ったり。
私が移籍してから初めての春、ひな祭りの季節に。
「やすおかさん、お雛様やる?」
事務所にいる人でひな壇を飾りつけているとき、私はそう聞かれました。
「お雛様?」
五人囃子の笛の人を持ったまま、私は振り向きます。
飾りつけが楽しくて、私の声は弾んでいました。
「うん。事務所の倉庫にお雛様の衣装があったの、見つけたらしいよ?」
私に声をかけてきた子は、いつかのライブバトルでぶつかった、あの子です。
「面白そうだから、誰か着て写真撮らないかって」
さっきプロデューサーが言ってた、と言いながら。
その子も五人囃子の一人を慎重に持ち上げました。
「それは、つまり、私がお雛様の衣装を着る……ってこと?」
「そうそう。……あれっ、この人ってここで合ってる?」
「合ってる。……でもそれなら、お雛様は人気がありそうだけど……」
「それがさー、みんなサイズが合わないんだよねっ」
人形をひな壇に置いてから、その子は向こうを指しました。
なるほど、そっちを見ると、綺麗な衣装が机の上に広げてありました。
私の背と同じくらい……。
確かにこの事務所には、私に近い背格好の人は、私だけです。
話したり、手を動かしたりしながら、少しずつ作業をする私たち。
私は右大臣を、その子は左大臣を持ち上げました。
「ちびっこ達ときらりんは立候補してたけど、サイズが合わなくて諦めてた」
「そうなんだ……」
もしあの子がお雛様になったら、さぞかし存在感があるだろうな……。
「私の見立てだと、やすおかさんならぴったりだと思うんだよね♪」
やすおかさん、というのは、この子が私を呼ぶときのあだ名です。
私のことをそうやって呼ぶのは、この子だけだけど。
劇場で初めて名前を呼ばれたとき以外、ずっとそう呼ばれてるの。
私たちが仕上げの雪洞を飾ったときちょうど、プロデューサーが来ました。
片手に、お徳用ひなあられが詰まった袋を持って。
「おっみんな、ご苦労さん。綺麗に飾ってあるな」
「えへへっ♪ 私たちも、やればできるでしょ?」
「せんせぇ、ほめてほめてー!」
「クリスマスとはちょっと違う飾りつけですけど、楽しいですねぇ〜」
あっという間に、みんなに囲まれるプロデューサー。
私は作業用の布手袋をゆっくり外していて、出遅れました。
「どうだ? 衣装着られそうな人はいたか?」
袋からひなあられを出しながら、プロデューサーはみんなに聞きます。
「……」
すると、みんなは黙って私を見ました。
それも、一斉に。
さっきの話、みんな聞いてたのかな。
何だか恥ずかしくなって、手袋を外しかけた途中で、私は顔を背けました。
「ん?」
プロデューサーだけが、わかってないように首をかしげました。
「おー! いいじゃん、似合ってる!」
「本物のお雛様みたいでかわいいー!」
別室でお雛様の衣装に着替えて、お披露目すると。
みんなはそう言って、褒めてくれました。
見た目は豪華な十二単だけど、軽く織られていて、動きやすい。
それに……自分で言うのは変かもしれないけど、すごく可愛い衣装。
「さすが泰葉、着こなしてるよ」
プロデューサーも褒めてくれました。
お世辞を言われるのには慣れてたけど。
こうして褒められるのにはまだ慣れないから、照れくさかった。
「それじゃあみんな、一枚撮ろうか」
そう言ってカメラを取り出したプロデューサーの腕を。
何人かが、掴んで引っ張ります。
「プロデューサーも写りましょー」
「ええ? 俺までそっちに行ったら、誰が撮るんだよ」
「いいからいいから、はいこれ持って、はいこれ被って!」
ぽんぽんと笏と冠を渡されて、目を白黒させているプロデューサー。
……この事務所には、何でもあるみたい。
クリスマスツリーも、カボチャランプも、鬼のお面も、倉庫にあったし。
……なんてことを考えていたら。
カメラを取られたプロデューサーがこっちに押されてきました。
「お内裏様とお雛様、こっち向いて!」
「え、ええっ?」
混乱したまま、一枚。私は変な顔だったと思います。
こんな顔をした雛人形は、他にないんじゃないかな。
「はい、ツーショット頂きました!」
「まったく……お前たちは隙あらば俺を撮ろうとする」
ぶつぶつ言いながら、プロデューサーはカメラを取り返しました。
その間、私は固まりっぱなし。
「仕返しだ、連写してやる。にっこり笑ってろよ」
冠を被ったまま、プロデューサーはカメラを構えました。
すると、みんなが私の周りに集まってきました。
ぎゅっと身を寄せて、ピースする人は手を突きだして、その瞬間を待ちます。
「それでは……うちのお転婆どもがもう少し大人しくなることを祈ってー」
「えーっ!」
「ひどーい!」
ブーイングが飛びました。
「冗談だよ冗談」
すぐにとりなしたプロデューサーが笑って、みんなにも笑顔が戻ります。
状況についていけてなかった私だけど、だんだん、楽しい思いがこみ上げてきました。
ああ、いいな、こういうの……って。
この気持ち、他の人にも伝わるかな。
「では、うちの可愛い娘たちの大成を祈って……」
一枚。
私も含めて……みんなのいい笑顔が写った一枚でした。
………………………… ◇ …………………………
……じゃあ、そろそろ……。
はい、次のお仕事に向かいますね。
今日はありがとうございました。
……。
……えっ? 私の今、ですか?
そうですね……。
……。
……あの、私、顔が赤いかもしれないけど……笑わないでくださいね。
……今の私があるのは、あの日、プロデューサーに声をかけてもらったからです。
私が今の私でいられるのは……。
プロデューサーと、それから事務所のみんなのお陰です。
今なら、普通を夢見ることも……寂しいと思うことも、ない。
私のことを見てくれる人が、たくさんいるから。
お仕事も毎日も楽しいなって、そう思えるの。
とっても楽しいし、今が幸せ。
だから、いくら言っても足りないくらい、感謝してます。
これからも、精一杯お仕事をして……。
少しでも、プロデューサーと、事務所のみんなに、お返しができるように。
今の私の……岡崎泰葉の、目標です。
以上です。すいません、これで完結です。
ご飯食べてました。
負けず嫌いな泰葉さん可愛いと思って書きました。
お付き合いいただきありがとうございました。
覚えてますよ、もちろん。
今までのことは、全部覚えてます。
私とプロデューサーとの最初の出会いは、現場でのことでした。
5月の、初めくらいのある日。
今でもライブのときにはお世話になる、例の劇場で、です。
その頃にはもう、私がアイドルになってから、しばらく経っていました。
私は子どもの頃から、モデルや子役のお仕事を通して、芸能界に生きてきました。
アイドルの活動を始めたことに、何かきっかけがあったわけじゃありません。
……ここからはアイドルの活動、なんて、きちんとした線はないですからね。
事務所の都合とか、売り出し戦略だとか……。
そういうものに流された結果だったと思います。
当時は、そのことに不満を感じませんでした。
というよりも、不満を感じる余裕はなかったという方が正しいのかな。
私の居場所は、もうそこにしかなかったですから……。
誰も迎えてくれない、人ひとり分のスペースでしかないものだったけど。
それでもそこが、私の唯一の居場所でした。
例の劇場では、定期的にライブバトルという名前のイベントが行われます。
ソロならソロで、ユニットならユニットで、エントリーすると対戦相手が決まって。
そこでお互いに一曲を披露して、勝ち負けを決めるというイベントですけど……。
……ふふっ、今さら説明するまでもないですよね。
とにかく、そのある日に、私の対戦相手に選ばれたのが、プロデューサーだったんです。
……あ、プロデューサーじゃない。
プロデューサーが担当していたアイドルの人、です。
そのときの私は、思い上がりとかはなしに、今日は勝てるだろうと思いました。
この世界に入ったのは昨日今日のことじゃないし、それなりに自信はあったんです。
見るからに入りたての新人さんに、負けたくないという気持ちもありました。
でも……お察しですか?
……はい、私は負けました。新人さん相手に。
負けたってことは、やっぱり思い上がりだったのかも。
たくさんライブバトルをすれば、たまには、そういうこともあるから……。
だから私にとって、負けたことそのもののショックは、そんなに大きくなかったです。
……本当ですよ?
ああ、今日は負けか、って……そのくらい……。
……。
…………いえ、嘘です。そんなに軽くはなかった……かな。
けれど、それよりもショックだったのが、そのすぐ後のことでした。
………………………… ◇ …………………………
「プロデューサー! 私、勝ったよ!」
「おう、おめでとう! 頑張ったな!」
ライブバトルが終わって、一息ついていた私の耳に、そんな会話が聞こえてきたの。
いかにも新人さんらしい、元気のあり余った声だと、そのときの私は思いました。
……今思うと、負けてちょっと悔しかったんじゃないかなって。
私の目の前で、相手だった女の子は、プロデューサーに飛びつきました。
プロデューサーの方も、笑いながらその子を受け止めてあげていて……。
二人して飛び跳ねてました。
何やってるんだろうって、思いました。
ライブバトルで一度勝ったくらいのことで、鬼の首を取ったように……。
喜んでいられるのは最初だけなのに、と呆れました。
けれど、そう思うよりもっと、羨ましさもありました。
あんなふうに一緒に喜んでくれる人は、私にはいなかった。
勝っても褒めてくれないし、負けても慰めてくれない。
……いや、むしろ、それだけなら、まだ……。
私の知ってる大人は、勝って当然、負けたら役立たず。
人を褒める言葉には、いつだって何か裏がある。そういう人たち。
……あの子のプロデューサーだって、ああ見えて、どうせそうなのよ。
……そうに決まってる。
帰り支度をする私は、一人でした。
劇場を出る前に、私は掲示板に立ち寄って、これからのライブ予定を確認しました。
何のためか……って?
それは、私にはプロデューサーがいなかったから。
……いたかもしれないけど、いないのと同じことだった。
スケジュールは週の初めに配られたけど、それだけ。
誰も私のことなんて気にしてない。他のことは、自分でやります。
だから、今後の予定に変更はないか、見られるときに見ておきたかったんです。
出演者の欄を、上からずーっと指でなぞっていくと、ほどなくして二つめの私の名前。
対戦相手は、今日と同じ。
……次は、勝ちたいな。
勝つために、何をしたらいいか。
あの子の弱点はどこだろう。
掲示板に載った相手の名前をじっと見つめて、彼女のパフォーマンスを思い出した私。
「おっ、さっきの人発見!」
すると、後ろから、聞き覚えのある声がしました。
何かなとは思ったけど、自分に向けてのものだとは思わなかったから、私は振り向かなかった。
「こら。さっきの人、じゃないだろ。覚えてないのか」
「うえ……。だって私、自分のステージで手一杯だったんだもん」
「まあ、今は仕方ないか……で、あの子は……えーと…………なんて子だっけ」
「なんだいなんだいプロデューサー、私と一緒じゃん!」
「一緒にするな。俺は今から思い出す…………――ああ、そうだ。泰葉。岡崎泰葉って子だ」
自分の名前が聞こえてきて、私は振り向きました。
つい、反射的に。
でもそのときには、彼らはもう、劇場を出て行くところでした。
楽しそうにお喋りしながら、お互いに笑顔で、よく晴れた外へ。
……眩しい光の中に、入っていくように。
それにしてもあの人たちは……まったく、大きな話し声。
掲示板に向き直りながら、私は不思議な気持ちになりました。
長いこと呼ばれることのなかった自分の名前。
しかも……下の名前です。
それが、直接じゃなくても、赤の他人のプロデューサーに呼ばれるなんて。
きっと普段から、人を名前で呼んでいる人なんだろうな。
………………………… ◇ …………………………
それから少しして、私は劇場を出ました。
その日は天気がよくて、自動ドアを抜けた瞬間、お日様がすごく眩しかったのを覚えています。
それに、暑かった。
熱中症に注意してくださいって、天気予報が呼びかけるくらいだったと思います。
早く事務所に帰ろうと足を向けたところで、だけど、私はすぐに立ち止まりました。
だって、そこで、変な人を見つけたの。
私の目の前で。
スーツ姿の男の人が、地べたに両手をくっつけて、地面の声を聞いていたんです。
ぺちゃんこの蛙みたいな格好でした。
……そうそう、そんな感じです。……お上手ですね。
……もしその人が自動販売機の前にいるんじゃなかったら、私は110番したかもしれません。
今日は暑いから、飲み物を買おうとしたのかな。
そして、小銭を自動販売機の下に落としちゃったのかな。……って。
事情はなんとなく、予想できましたけど、近寄りたいとは思いませんでした。
逆から帰ろうかとも、ちらっと考えました。
この上なく怪しかったんだもの。
考えてみたら、言葉を交わしたのはこのときが初めてだから……。
あまりスマートな出会いとは、言えないですね。
ちなみに、後になってこの感想をプロデューサーに話したとき。
口止め料だって言って、ヘアピンを買ってくれました。
…………あっ。
……まあ、ばれなければ……大丈夫ですよね?
………………………… ◇ …………………………
「どうかしましたか?」
私は男の人に、上から声をかけました。
その人は、くるりと頭を回して私の顔を見ましたが、起き上がろうとはしませんでした。
「五百円玉を落としちゃってね」
私に声だけを返して、男の人はまた、自動販売機の下を覗きこみました。
それから、独り言のように、言葉が続きました。
「いいことの後には悪いことが来るんだなあ」
「……はあ」
いいことって、何だろう。
ライブバトルで私に勝ったこと?
「人間万事塞翁が馬とは、よく言ったものだよ」
……よくわからないけど、そこまで大袈裟な話じゃないと思うの。
人に見られても、慌てた様子はまったくなくて。
這いつくばって探しものを続ける度胸に、私は呆れてしまいました。
体面とか、プライドとか、そういうものはあなたにはないの?
それから、私が呆れたわけは、もうひとつ。
「……その五百円玉って、これですか?」
男の人の足元の、光る金色を指さして、私は聞きました。
「助かったよ。ありがとう、見つけてくれて!」
「どういたしまして」
男の人に、冗談に感じるくらい、上機嫌な声で、私はお礼を言われました。
まるで、私が何か特別なことをしたかのように。
特別なことは何もしてないのに。
たった五百円をこうも大事にするなんて、貧乏なところなのかな。
そのときの私が、そう思ったことは内緒です。
「君は……さっき、俺たちと勝負をした子だよね。岡崎泰葉さん」
「はい、そうです」
さっきの会話を聞いていたから、覚えられていたことには驚かなかった。
……驚かなかったけど、目を伏せて、言葉少なに答えた私。
負けを思い出すのは、悔しい。
この人の笑顔にも、何か含みがあるんじゃないかって、そんな気がしました。
「見つけてくれたお礼だ、君にも奢るよ。お茶かジュースか、どれがいい」
けれど、私の内心なんて、会ったばかりのこの人には知るよしもないことです。
自分と担当アイドルの分なのか……。
既にペットボトルを2本、片手で取り出した男の人は、私にそう言いました。
「えっ……その、結構です」
「まあそう言わずに。ライブの後で喉渇いてるだろう?」
咄嗟に断った私でしたが、男の人は気にしたふうもなく勧めてきます。
……せっかくなので、お茶を買ってもらいました。
……この日は暑かったから。
それに、事務所の人には期待できない親切が……。
プロデューサーがアイドルにしてくれるような気遣いが、嬉しかったから。
「……君は慣れてるみたいだね」
お礼を言って、お茶のペットボトルを受け取ると同時、男の人に言われました。
慣れている。
芸能界に……という、意味かな。
この人もプロデューサーなら、アイドルの年季は、見ただけでわかるのかも。
そのときの私は、そう解釈しました。
「そう見えますか?」
「うん。……って、しまった。そろそろ戻らないと、待たせすぎで怒られるな」
我に返ったように、男の人はお釣り口を確かめて、私に背を向けました。
誰を待たせているのかなんて、聞かなくてもわかります。
さっきの、この人が担当しているアイドルの子だろう。
「それじゃあまた、次のライブバトルで」
帰り際に、私のまだ知らない、私をまだ知らないプロデューサーは。
次は負けない、と意識していた私の心を見透かすような言葉を置いていきました。
事務所に帰ると、空気が少し、ざわついていました。
大人たちが一つの机に群がって、何か話しています。
荷物を肩から降ろしながら、私はちょっとだけ、考えました。
仕事中に邪魔をするなって怒られるから、普段は話しかけないけど。
今日はいつも通りじゃないみたいだから、私は声を出してみました。
「何かあったんですか?」
「……」
……何人かが振り向いて、何人かは私を無視して元の通りに向き直りました。
一人だけが答えてくれました。
「お前には関係ないことだ」
「……そうですか」
それならそれでいい。
どうしても知りたいわけじゃないもの。
どうせまた、誰がやめるのやめないのって、騒ぎになっているだけだろう。
アイドルの仕事がつまらないとか、そんな理由で。
私は大人たちから離れて、そのへんに置いてあった雑誌を手に取りました。
雑誌を開いて。
余所のプロデューサーに奢ってもらったお茶を飲もうとして。
ペットボトルのキャップを回そうとした私の手は、ふと止まりました。
小さな特集に。
さっき見たプロダクション名と、アイドルの子が、載っていました。
………………………… ◇ …………………………
……初めて会ったときの話は、これで終わりです。
次にプロデューサーと会ったのは……次のライブバトルのときです。
それまでの間に受けたお仕事では、会いませんでした。
プロデューサーだけじゃなくて、今の事務所のみんなにも、誰にも。
……こういうことを言うのは、よくないのかもしれないけど。
受けるお仕事の質が、今の事務所と昔の事務所で違ったんじゃないかな。
プロデューサーなら絶対にやらせないだろうなって思うようなお仕事も。
昔の私は、してました。
……え?
……ああ、それは、ないです。
似たようなことは、しましたけど。……そこまでは。
事務所は、私が売れなくなったら、そういうこともさせようと考えてたみたいです。
だから、あのときは……思ってた以上に、際どい時期だったのかもしれない。
やらずに済んだのは、プロデューサーのおかげです。
きっかけになったのは、たぶん、次のライブバトルの後の会話でした。
………………………… ◇ …………………………
初めて相手をした日から、数週間後。
私の目の前には、いつかどこかで見たような光景がありました。
「……」
「プロデューサーっ! うわーい☆ ひゃっほー♪」
「わかったわかった、嬉しいのはわかっ――あぶなっ、ちょっ、落ちつけ!」
喜び勇んで自分のプロデューサーに飛びかかっていく相手の女の子と。
笑ってそれを受け止めて、倒れそうになっている、プロデューサー。
また、この前と同じことをやってる。
だけど……微笑ましい、なんて思う余裕はなかった。
胸の内で、密かにリベンジを狙って挑んだライブバトルに……。
私は、負けました。
勝つための努力は欠かさないできたつもりだった。でも、勝てませんでした。
この日、相手のパフォーマンスの方が優れていたことは、認めざるを得ません。
最初に相まみえたときよりも、レベルが格段に上がっていました。
私だってこの日のために、レッスンルームを借りて、一人練習を重ねたのに……。
私の努力が不十分だったのか、相手の努力が上だったのか……。
どっちにしても、勝てなかったのは同じこと。
……悔しい。
知らないうちに、私は衣装の裾を強く握っていました。
「プロデューサー、私この前、お洒落なカフェ見つけたんだ! 帰りに寄ってこ?」
「いいけど、そういうお誘いは衣装を脱いでからしろ」
「えっ……脱げ? そんなっ……ダメだよ、まだ私、こ、心の準備が……」
「馬鹿なこと言ってないで、はい、気をつけ、汗拭いてやるから。終わったら早く着替えておいで」
「はーい♪」
目を逸らしたいのに、どうしても心がそっちを向いてしまう。
仲の良さを隠そうともしてない、そんな会話が聞こえます。
……ううん、隠す必要なんてない。
本当はこれが、プロデューサーとアイドルの、理想的な関係。
裏方で作業をしていたスタッフの皆さんも、和やかに二人を包んでいました。
そこに交われないのは、私だけ。
異物、邪魔者、蚊帳の外、……表す言葉は、何でもいいけど。
仲睦まじい二人の姿に、胸がきゅうと締めつけられるような気がして。
追い出されるように、私はステージ裏を抜けました。
「はあ……」
ステージ裏と廊下を仕切る、固い金属の扉に背を当てます。
うつむいて、衣装の裾を掴みっぱなしでいた手を、ふと離しました。
分厚い扉越しでも聞こえる声に、じくじくと疼く胸を……その手で押さえました。
「……いいなあ」
本当は気づいていました。
……あの人たちを初めて見たときから。誤魔化しては、いましたけど。
私は嫉妬していた。私は寂しかった。
比べてしまって……すごくすごく、寂しい。
すぐそこにあるように見えたものは、私からずっと遠い場所にしかないものなんだ。
劇場を出る前に、いつものように掲示板の前に立っていると。
控え室に繋がる通路から、相手の女の子が出てきました。
大きな鞄を肩にかけていて……側にプロデューサーはいませんでした。
今日は、先に気づいたのは私。そんなことを思いました。
でも、先に声をかけてきてくれたのは向こうでした。
「あっ、岡崎泰葉さん」
「こんにちは」
その子は、私の名前を覚えてくれたようでした。
私は初日から覚えていましたけど……それは何故かといえば、私が負けず嫌いだから。
私に勝った新人さんの名前を、忘れられるはずがないもの。
「……岡崎さんは、セルフプロデュースなんですか?」
挨拶を交わした後、ずいぶんと馴れ馴れしい口調で、そんなことを聞かれました。
「厳密には違うけど……ほとんどは。……それがどうかしたんですか?」
「いいえ。でも、そうですか。すごいなあ」
何の意味もなさそうな、ただそれだけの感嘆。
私は面食らいました。
すごいなあ、って。……それって。
「私はプロデューサーに頼りっきりだから……すごいなあと思って」
取りようによっては、当てつけにも聞こえる台詞だったけど、そうは思わなかったな。
そういう子じゃなさそうな、印象でした。
「……頼れるプロデューサーがいるのは……幸せよ」
つい、口から出た呟きが、相手の子に届いたのかどうかは……わかりません。
「おーい、お待たせー。……って、あれ?」
横合いから聞こえた声に、私とその子は一緒に振り向きました。
視線の先には、中途半端に手を挙げた男の人が一人。
その人は、私のことを見ていました。……私のことを、覚えてるだろうか。
「君は……」
「えへへっ、お知り合いだよっ☆」
私の横に並んで、場を制して、相手の子は言いました。
思わず横を見る私に、彼女は惚れ惚れするようなウインクを決めました。
……なんて馴れ馴れしい。
事務所にはこんな人はいなかったから、驚いたけど、嫌な気分じゃなかったです。
「そうか……そうか……」
「ん? プロデューサー? どうしたの?」
「お前にもついに、友達ができたのか……っ! 父さんは嬉しいぞ!」
「……いや私、友達くらいいるよ」
「真面目に返すな! そこは乗るところだろ!? 滑っちゃったじゃないか」
冷めた言葉、慌てた言葉、でもどっちも、冗談だとわかる。
……なんだろう。この、愉快な気持ち。
「ふふっ」
私は笑い声を漏らしてしまいました。
人のやりとりを見て笑うなんて、いつ以来のことだったかな……。
「……そうか、君はやっぱりセルフプロデュースの子だったのか」
少し世間話をした後。
相手の子のプロデューサーに、私はそう言われました。
ええ、ほとんどは。だけど、それがどうかしたんですか? と。
さっきと、同じような言葉を返すと、プロデューサーは笑いました。
「前に会ったとき、この子は一人で行動することに慣れているなと思ったんだ」
慣れてるみたいだね、とは、そういう意味だった。
慣れている。……慣れ。
……そう、その通りよ。私は一人でも平気……なんだから。
寂しいのは、我慢しないと。
我慢しないと……もっと寂しくなる。
「この前と今日は勝てなかったけど……次は、あなたたちに勝ちます」
二人を交互に見据えて、私は宣言しました。
心からそう思っているかのように、きっぱりと言えたと思う。
他意なんて、ない。
すると、男の人の顔色が、少し変わった。
気分を害したわけじゃ、ないようだけど……。
「……ちょっと、俺の目を見てくれる?」
いきなり、今までとは種類の違う、真面目な声を出されて、私は戸惑いました。
戸惑ったままで、顔が勝手に動いて、その言葉に従ってしまう私。
相手の子が助け船を出してくれました。
「なぁに、プロデューサー。また女の子口説こうとしてるの?」
「またってほどしょっちゅうは口説いてない!」
……えっ。
それじゃあ、今から私を口説こうとしてることは、否定しないの?
余裕があるのかないのか、わからないことを思った私の目を。
相手の子のプロデューサーは覗きました。
じいっと。
心の奥底まで見透かすように。
覗いて、それで、何がわかったのか。
居心地の悪さに身じろぎしたら、ふうん、と納得して身を引いてくれました。
「……あの、何ですか?」
わけもわからず凝視されるのは、気持ちのいいことじゃない。
いくらか語気を強めた私。
「いや……うん」
歯切れ悪く、唸られました。
言うか言わないか、迷っているような……そんな印象。
相手の子も、私を見て、そして自分のプロデューサーを見ました。
「何なの? プロデューサー、はっきりしてよね」
二人の女の子に、一人の男性が詰め寄られている図。
端から見たら、どんなシーンに見えたかな。
その、二人分の視線を受け止めて……プロデューサーは私に向かって訊ねました。
唐突に。
「君は……アイドルやってて、楽しい?」
問われた台詞に、声が詰まりました。
咄嗟に、何も返せなかった。
楽しい? どうして、そんなことを聞くの?
そんなの……そんなのは…………。……あれ。
簡単に出せると思った答えは、出ませんでした。
私は……アイドルのお仕事を、楽しめている……のかな。
アイドルだけじゃない。芸能界のお仕事、全て。
……初めの頃は……私がずっと小さい頃は、頑張ることで、みんなが喜んでくれた。
私は嬉しかった。求められている気がして、誇らしかった。お仕事は楽しかった。
……それが虚像にすぎないと気づいたのは、いつのことだっただろう。
いつからか、誰も私を見てくれなくなって。
陳列棚の隅っこに追いやられた売れ残りみたいに、その存在を忘れられて。
今は……。
「……」
返事もできずに、うつむくだけが、私の精一杯でした。
「あー……本来、こういうのは御法度なんだけど……」
言いづらそうに切り出した声で、私は目を上げました。
次は何を言われるか。身構えたところで。
「君、うちの事務所に来ないか?」
「「ええっ!?」」
二人分の驚いた声が、大して広くないスペースに響きました。
「……」
「プロデューサー、やっぱり口説いてる!」
私が固まったのを見てとって。
相手の子は、茶化したふうを装って、口を挟んでくれました。
でも、男の人は何も続けない。
ただ、私が答えるのを……待ってる。
「……考えさせてください」
私の口から出た言葉は、それでした。
急に言われても、答えられない。
こんな、何の脈絡もない切り出し方で。
遠い場所のことだと思ってたのに、それが目の前に現れたら……誰だって混乱します。
この人たちも、この人たちの事務所のことも、私は何も知らなかったし。
今の事務所よりもいいところだなんて保証はないし、それに。
……それに、私の中の何か……固くしこった部分が。
その提案に飛びつきそうになる心を引き留めていました。
「……そうかー」
振られることに慣れているのか、どうなのか……。
腕を組む彼は、あまり残念じゃなさそうでした。
「それじゃあ名刺だけ、渡してもいいかな。受け取ってもらえる?」
言いながら、ケースから、一枚の紙を取り出した男の人。
差し出された小さな紙を、このとき、受け取っていなかったら。
「もしもその気になったら、連絡してくれ」
……私はどうなっていただろうか。
「ならなかったら、事務所の人に話しても、捨てても構わないから」
相手の子が窺うように私を見てるのはわかりました。
けれど私は、ひたすら名刺に目を落としていました。
事務所の名前の下に添えられた、プロデューサーの文字。
もし、私が望んだら。
……この人は私のこと、ちゃんと見てくれる、のかな。
「何かあったときは、遠慮しなくていいからね。ごめんな、変なこと言って」
ケースをしまいながら、私にそんな言葉を投げかける、私の目の前の、男の人。
……名刺をつまむ指に、力が入りました。
……今になって、思うなら。
プロデューサーはこのときにはもう、全部、見抜いてた。
彼らとは、その日はそれで、別れました。
続きを考えるので30分ほどください。
あと、画像ありがとうございます。
事務所に帰ると、大人たちが会議室にこもって何事か話していました。
薄いスチール戸の向こうから、話し声が聞こえます。
葉の伸びた観葉植物、煤けたソファ、書類の積まれた事務机……殺風景な部屋。
他に気を引くものもなくて、私は大人たちの話し合いを聞き流しました。
『こっちは……まあ、予想通りの出来だな』
『ああ、まだ当分は心配いらない』
『……こっちは?』
『駄目だな。昔ほどには見込めなくなった。使えるうちに使っておこう』
『こいつはまだ“綺麗”だからな。その価値はある』
ぞくりと、背中に悪寒が走った。
誰も私の名前を出してはいない。だけど嫌な予感は膨らむ。
私がここで聞いてることを、戸の向こうの大人たちは知ってるのかもしれない。
そんな気がして……背筋が寒くなりました。
根が生えたように、その場で私が棒立ちになっていると。
やがて話し声が止み、戸が開きました。
その場を離れるかどうか、猶予する暇もなかった。
「お? 帰ってたのか」
会議室から出てきた大人の一人に、声をかけられました。
そのとき私は、名刺を貰ったことを正直に話すつもりでいました。
もちろん、向こうの提案は魅力的だった。
憧れていた関係に、私も入れてくれるという話だったんだから。
でも、今の事務所だって。
不満はあっても、私を育ててくれた事務所であることに、変わりはない。
だから……そう、揺らぐ心を抑えていたのに。
「今日はどうだった」
「負けました」
「そうか」
いっそさっぱりとした表情で、その人は私に言ったの。
「お前も、そろそろだな」
「……」
……ああ、やっぱり。勘違いじゃ、なかった。
私もいつか、と漠然と予想して、恐れていたことが、今、来た。
「あの……」
「何だ?」
呼び止めようとすると、その人は、妙に迫力のある口調で言いました。
顔は笑っていたのに、その目は、凍ってた。
「まさか嫌だなんて言わないよな?」
言外に、私の居場所はここにしかないという事実を、突きつけられました。
その途端に。
指が震えて、喉が詰まって、変な物でも入ったみたいに、鼻の奥がつーんとした。
言われた通りにやりさえすれば、褒めてもらえた。
そうしないと、居場所を奪われた。
言われた通りにやりさえすれば、認めてもらえた。
だから、そうしてきた。
なのに、どうして誰も。
家族も、同級生も、事務所の大人も、お仕事先の人も、誰もかもみんな。
どうして、私のことを見てくれないの?
嫌だ。
そんなことをしてまで、生き残りたい世界じゃない。
嫌だ、違う。そうじゃない。
私が欲しかったものは、何?
やらされたことじゃなくて、私がやりたかったこと。
――アイドルやってて、楽しい?
「楽しくない……」
呟いたときにはもう、私の前には、周りには……誰もいませんでした。
諦めと抗いの間で揺れる、私の心に、名刺と一緒に貰った言葉が浮かんで。
……流されるままでいるのは、もう嫌だ。
溢れそうになる何かを堪えながら、私は事務所を飛び出しました。
………………………… ◇ …………………………
……その日のうちに、私は電話をかけました。プロデューサーに。
何を話したかは、あまりよく……覚えていないんです。
全部覚えてるって言ったのに、ここだけは、記憶が曖昧で。
……ごめんなさい。
必死……というのとは、少し、違うと思いますけど……。
いっぱいいっぱいだった、が的を射てるかな。
ごめんなさい、お願いします、助けてください、って……。
そんなことを、言ったんじゃないかと思います。
……思い出すと、顔が熱いですね。
……きっと向こうは、私の言葉が支離滅裂で、混乱したと思います。
その頃の私は、人の頼り方を知らなくて……。
でも、プロデューサーは、私の話を聞いたあと、頷いてくれました。
いえ、電話越しなので、動作はわからないんですが……。
目の前にいて、頷いているのを感じられるような……。
……うまく、言えないけど。
プロデューサーは、二つ返事で認めてくれました。
それから、数日のうちに移籍話を持ちかけてくれたんです。
話がまとまったらすぐに、自ら事務所まで来て。
私を連れて帰ってくれたプロデューサーの姿は、今でもはっきり覚えてます。
どうしてそこまでしてくれるんだろうって、当然だけど、私も思いました。
だって、それまで、直に会ったことは2回しかなかったのに。
プロデューサーにそのことを聞いたら……。
キミに一目惚れしたからだ……なんて、わざとらしく言ってました。
私にアイドルの素質を見ての打算だ、とも、言い訳っぽく言ってました。
えっと、覚えてる限りそのままの言葉を引用すると、こんな感じです。
初めてライブバトルをしたときに、泰葉が俺たちを羨ましそうに見てるなって。
それはすぐに気がついた。
だけどもちろん、そんな理由で移籍なんて決められない。
そんな軽いものじゃないのは、よくわかってるだろ?
泰葉のときだって、新しい子を雇う余裕がなかったら。
見て見ぬ振りしかできなかったと思う。……残酷なようだけど。
……話を戻すと。
一度目は、事務所の都合でプロデューサーがつけられないんだろう。その程度だった。
二度目に……泰葉がステージを降りたときの様子を見て。
あまりにも辛そうな顔をするから、これは尋常じゃないなって思ったんだ。
そのあと掲示板のところで会って、少し話をしたよな。
それで、この子の事務所は……ごめん、よくないところだろうって検討がついた。
なら、この子の芽が摘まれる前に……ってな。
目とステージを見れば、その子がどんな気持ちでアイドルをやっているか、すぐわかる。
あのときの泰葉はなあ……。
すごくまっとうな目をしてるのに、つまらなそうだったぞ。
俺は、みんなに、アイドルをやるからには、アイドルの楽しさを感じてほしいから。
あともうひとつ、決め手になったのは……。
ステージの間、一度も笑ってなかった泰葉が、俺たちの会話で笑ったことかな。
ああこの子、こういう顔もできるんだって、そのときは思ったよ。
プロダクションが変わったことは、私にとって、単に所属が変わっただけじゃない。
見るもの全てががらりと変わりました。
夢じゃないかと、疑うくらいに。
事務所も、寮も、レッスンルームも、どこにいても活気が感じられました。
プロデューサーの後に続いて、事務所の中に足を踏み入れた、あのとき。
私は、感動を口に出さずにはいられなかった。
真新しいのに黒々としたホワイトボード。
応接用テーブルの上に広げられた、学校の宿題。
アイドルみんなのプリクラが貼られた、書類棚。
所属してる子たちは、みんな気のいい人たちでした。
……それまで、私は、他の人とあまり関わらずにいたんですけど……。
ここに来てからは、そんなの、無理でした。
事務所と寮とで、それぞれ歓迎会を開いてもらって。
女子寮で相部屋になった子なんて、三度目の歓迎会を開いてくれたの。
大勢でやるレッスンを経験するのも、初めてでした。
誰かと一緒に練習することで、こんなに上達を感じられるなんて。
誰にも頼らないでいた私は、教え合うことの意味を、このとき知りました。
それから、何より嬉しかったのは。
私にも……支えてくれる人が、できたことです。
………………………… ◇ …………………………
プロダクションを移籍して、久しぶりに挑んだ、ライブバトル。
因縁の劇場、なんて言ったら、どちらかというといちゃもんね。
思い出の劇場、と言い換えます。
例の劇場で、持っていたものを全て出し切って、ステージを終えた私。
息を落ちつかせるより先に、プロデューサーの姿を探しました。
つい、探してしまいました。
私がここに至るきっかけになった、今は同僚のあの子と同じように。
「プロデューサー」
ステージ裏で、大きなタオルを持って待っていてくれたプロデューサーのもとへ。
私は一目散に駆けよりました。
「勝って、きました……!」
「ああ、おめでとう! 汗拭くから、ちょっとじっとしてな」
上気した頬に、武者震いの止まらない肩に、ふんわりとした感触を得る。
温かい優しさに包まれた中で、私はその言葉を聞きました。
プロデューサーにもらった、おめでとうの言葉。
待ち望んでいた言葉が、花火のように私の中で弾ける。
……その一言が、ずっと欲しかった。
私を認めて、一緒に喜んでくれる人がいることは、こんなにも嬉しい。
ああ、駄目。抑えきれない。
じんわりと熱いものが体の芯からこみ上げてきて、私は顔をしかめました。
タオルを被せられていたから、プロデューサーには気づかれないで済みました。
それから……帰るときになって。
毎度のくせで掲示板に立ち寄る私を、プロデューサーは面白そうに眺めていました。
声をかけてくれればいいのに。
私がもう掲示板を見なくてもいいことに気づいて、はっとするまで、ニヤニヤして見てるの。
意地悪よ。
「……怪しいですよ」
そう文句を言えば。
「目の保養になるから」
とか何とか、わけのわからないことを言い返してくる。
私は、変なことはしてない。
めいっぱい背伸びをして、掲示板の上の方まで目を通すだけです。
そんな私のどのへんが目の保養になるのか、さっぱりです。
「事務所に帰りましょう、プロデューサー」
呆れるのとむくれるの、その真ん中の顔をして。
私はプロデューサーのスーツの袖を引っ張りました。
「そうだな。どこか寄ってくか?」
「え?」
プロデューサーの意外な発言に、私は戸惑いました。
事務所に帰るんじゃなかったの。
「何のためにですか?」
「何のためにって……泰葉の初勝利記念、とか」
うちのプロダクションに来てからのな、とつけ加えるプロデューサー。
「……そういうのは、いいです」
私が欲しかったものは、もう、プロデューサーがくれました。
事務所のみんなからも。
これ以上貰ったら、お返しできなくなってしまうから。
すると、しみじみと言われました。
「泰葉は手がかからないなあ」
「……どういう意味ですか?」
私は、ちょっと不安になってプロデューサーを見上げました。
……泰葉は手がかからない子。
それは、私にとっては、嬉しい言葉じゃなかった。
私のことをほったらかす理由付けに、よく使われた言葉だもの。
でも、このときは私が、過敏になっていただけでした。
「他のやつらは、泰葉と違って、すぐどっか寄り道したがるんだよ」
泰葉みたいに、まっすぐ帰ろうと言ってくれる子は貴重だ。
……なんて、私を見て言う、プロデューサー。
じゃあ帰ろうか、と歩き出そうとするプロデューサーの袖を掴んだまま。
私は立ち尽くしました。
「どうした?」
寄り道したがるという、みんなの気持ちは、わかる気がします。
私がプロデューサーに気づいてもらったように。
事務所のみんなにも、きっとそれぞれエピソードがある。
この人と一緒にいたいなって。
そう思わせる人なんだ、プロデューサーは。
「……あの」
「うん?」
「私の初勝利記念、何かしてくれるのなら……ひとつだけ……」
お願いがあります。
「プロデューサー、その、私に興味を持ってほしいな……」
「……」
……たぶん。
プロデューサーは、私の言葉の意味を、推し量り損ねたと思います。
私がなぜ、今になってそんなことを言うのか、不思議に感じたんじゃないかな。
けれど、最後に残った一抹の不安を吹き飛ばすような約束を。
私をずっと見ていてくれる、という約束を、プロデューサーはしてくれました。
………………………… ◇ …………………………
長いこと、話してしまいました。
お話しできること、他に何か、あったかな……。
……。
……何か鳴ってる。電話……私ですね。
あ、プロデューサーからでした。ふふっ。
出てもいいですか?
失礼します。
……はい、泰葉です。
はい。
はい。
……はい、わかりました。準備しますね。
……。
……ええ、次のお仕事の連絡でした。
……ふふっ、その通りです。察しが早いですね。
頑張って、歌ってきます。
ああいえ、その、おかまいなく。時間に余裕はありますから。
ほとんど準備は終わってるので、急ぎじゃないです。
……そうだ、準備といえば、この前のひな祭りに、こんなことがありました。
最後にひとつ、お話しします。
………………………… ◇ …………………………
子どもの頃から芸能界に生きてきた人は、周りと少し違います。
お仕事が中心の生活だから、みんなと会う機会が少なくなります。
私もそう。
学校とか、季節の行事とか、ほとんどの子が普通に体験してきてること。
私には、その半分の経験もなかったんです。
ないものねだりだけど、憧れていました。
転機が訪れたのは、去年の5月。
プロダクションが変わってから、人と同じように過ごせる時間が増えてきて……。
学校にちゃんと行けるようになったし。
家の代わりに、事務所で季節の行事を楽しめるようになりました。
海、紅葉、ハロウィン、クリスマス、年末年始、節分、バレンタイン……。
忙しいお仕事の間を縫って、みんなでちょっとしたパーティをするの。
それは食事会だったり、レクリエーションだったり。例えば……。
みんなでひな壇を作ったり。
私が移籍してから初めての春、ひな祭りの季節に。
「やすおかさん、お雛様やる?」
事務所にいる人でひな壇を飾りつけているとき、私はそう聞かれました。
「お雛様?」
五人囃子の笛の人を持ったまま、私は振り向きます。
飾りつけが楽しくて、私の声は弾んでいました。
「うん。事務所の倉庫にお雛様の衣装があったの、見つけたらしいよ?」
私に声をかけてきた子は、いつかのライブバトルでぶつかった、あの子です。
「面白そうだから、誰か着て写真撮らないかって」
さっきプロデューサーが言ってた、と言いながら。
その子も五人囃子の一人を慎重に持ち上げました。
「それは、つまり、私がお雛様の衣装を着る……ってこと?」
「そうそう。……あれっ、この人ってここで合ってる?」
「合ってる。……でもそれなら、お雛様は人気がありそうだけど……」
「それがさー、みんなサイズが合わないんだよねっ」
人形をひな壇に置いてから、その子は向こうを指しました。
なるほど、そっちを見ると、綺麗な衣装が机の上に広げてありました。
私の背と同じくらい……。
確かにこの事務所には、私に近い背格好の人は、私だけです。
話したり、手を動かしたりしながら、少しずつ作業をする私たち。
私は右大臣を、その子は左大臣を持ち上げました。
「ちびっこ達ときらりんは立候補してたけど、サイズが合わなくて諦めてた」
「そうなんだ……」
もしあの子がお雛様になったら、さぞかし存在感があるだろうな……。
「私の見立てだと、やすおかさんならぴったりだと思うんだよね♪」
やすおかさん、というのは、この子が私を呼ぶときのあだ名です。
私のことをそうやって呼ぶのは、この子だけだけど。
劇場で初めて名前を呼ばれたとき以外、ずっとそう呼ばれてるの。
私たちが仕上げの雪洞を飾ったときちょうど、プロデューサーが来ました。
片手に、お徳用ひなあられが詰まった袋を持って。
「おっみんな、ご苦労さん。綺麗に飾ってあるな」
「えへへっ♪ 私たちも、やればできるでしょ?」
「せんせぇ、ほめてほめてー!」
「クリスマスとはちょっと違う飾りつけですけど、楽しいですねぇ〜」
あっという間に、みんなに囲まれるプロデューサー。
私は作業用の布手袋をゆっくり外していて、出遅れました。
「どうだ? 衣装着られそうな人はいたか?」
袋からひなあられを出しながら、プロデューサーはみんなに聞きます。
「……」
すると、みんなは黙って私を見ました。
それも、一斉に。
さっきの話、みんな聞いてたのかな。
何だか恥ずかしくなって、手袋を外しかけた途中で、私は顔を背けました。
「ん?」
プロデューサーだけが、わかってないように首をかしげました。
「おー! いいじゃん、似合ってる!」
「本物のお雛様みたいでかわいいー!」
別室でお雛様の衣装に着替えて、お披露目すると。
みんなはそう言って、褒めてくれました。
見た目は豪華な十二単だけど、軽く織られていて、動きやすい。
それに……自分で言うのは変かもしれないけど、すごく可愛い衣装。
「さすが泰葉、着こなしてるよ」
プロデューサーも褒めてくれました。
お世辞を言われるのには慣れてたけど。
こうして褒められるのにはまだ慣れないから、照れくさかった。
「それじゃあみんな、一枚撮ろうか」
そう言ってカメラを取り出したプロデューサーの腕を。
何人かが、掴んで引っ張ります。
「プロデューサーも写りましょー」
「ええ? 俺までそっちに行ったら、誰が撮るんだよ」
「いいからいいから、はいこれ持って、はいこれ被って!」
ぽんぽんと笏と冠を渡されて、目を白黒させているプロデューサー。
……この事務所には、何でもあるみたい。
クリスマスツリーも、カボチャランプも、鬼のお面も、倉庫にあったし。
……なんてことを考えていたら。
カメラを取られたプロデューサーがこっちに押されてきました。
「お内裏様とお雛様、こっち向いて!」
「え、ええっ?」
混乱したまま、一枚。私は変な顔だったと思います。
こんな顔をした雛人形は、他にないんじゃないかな。
「はい、ツーショット頂きました!」
「まったく……お前たちは隙あらば俺を撮ろうとする」
ぶつぶつ言いながら、プロデューサーはカメラを取り返しました。
その間、私は固まりっぱなし。
「仕返しだ、連写してやる。にっこり笑ってろよ」
冠を被ったまま、プロデューサーはカメラを構えました。
すると、みんなが私の周りに集まってきました。
ぎゅっと身を寄せて、ピースする人は手を突きだして、その瞬間を待ちます。
「それでは……うちのお転婆どもがもう少し大人しくなることを祈ってー」
「えーっ!」
「ひどーい!」
ブーイングが飛びました。
「冗談だよ冗談」
すぐにとりなしたプロデューサーが笑って、みんなにも笑顔が戻ります。
状況についていけてなかった私だけど、だんだん、楽しい思いがこみ上げてきました。
ああ、いいな、こういうの……って。
この気持ち、他の人にも伝わるかな。
「では、うちの可愛い娘たちの大成を祈って……」
一枚。
私も含めて……みんなのいい笑顔が写った一枚でした。
………………………… ◇ …………………………
……じゃあ、そろそろ……。
はい、次のお仕事に向かいますね。
今日はありがとうございました。
……。
……えっ? 私の今、ですか?
そうですね……。
……。
……あの、私、顔が赤いかもしれないけど……笑わないでくださいね。
……今の私があるのは、あの日、プロデューサーに声をかけてもらったからです。
私が今の私でいられるのは……。
プロデューサーと、それから事務所のみんなのお陰です。
今なら、普通を夢見ることも……寂しいと思うことも、ない。
私のことを見てくれる人が、たくさんいるから。
お仕事も毎日も楽しいなって、そう思えるの。
とっても楽しいし、今が幸せ。
だから、いくら言っても足りないくらい、感謝してます。
これからも、精一杯お仕事をして……。
少しでも、プロデューサーと、事務所のみんなに、お返しができるように。
今の私の……岡崎泰葉の、目標です。
以上です。すいません、これで完結です。
ご飯食べてました。
負けず嫌いな泰葉さん可愛いと思って書きました。
お付き合いいただきありがとうございました。
11:30│岡崎泰葉