2015年02月18日

神谷奈緒「魔法使いの弟子」


 「あれ、奈緒。自主トレか?」



 「え?」





事務所のドアを開けた途端、Pさんがそんな事を訊いてきて。

自主も何も、今日はベテトレさんのダンスレッスンの筈。

マストレさん程じゃないけど、キッツイんだよなぁベテトレさんのも……。



 「ダンスレッスンだろ?」



 「いや。昨日の昼頃に延期になったってメール送っただろ」



 「あー、そういう事か。あたしの携帯いま修理に出しててさ」



 「悪い、凛と加蓮に確認してもらうべきだったな」



 「いいよいいよ。どうせウチの学校受験期間で休みだし」



何とか大学には受かったけども、しばらく受験って単語は聞きたくないな……。

頑張れ後輩たち。あの加蓮だって受かったんだから何とかなるさ。

まぁ推薦だったけどな。



 「せっかく来たんですし、お茶でも飲んでいってくださいね」



 「ありがと、ちひろさん」



温かいほうじ茶が、身体の芯まで染み渡るようだった。

ステージ衣装を着るアイドル達にとって、2月ってのはなかなか厳しい季節だ。

ヘソなんか出してると特に。



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 「さてどうすっかなぁ」



 「加蓮とか他の娘と遊びに行ってもいいんじゃないか」



 「んー……連絡手段無いと面倒なんだよな」



 「代替機とか貸してくれるんじゃありませんでしたっけ?」



 「そうなんだけど、明後日には直るらしいから別にいいかって」



いざ無くなってみて初めて、どれだけ頼りにしていたかが分かる。

あたしの愛機よ、早く元気な姿を見せてくれよな。



 「ちひろさん、何か手伝う事とかってある?」



 「あら、ゆっくりしてくれてていいのよ?」



 「来てすぐ帰るのもあれだし、手持ち無沙汰だしさ」



 「そうねぇ……プロデューサーさんの方からは何かありますか?」



 「なら、この出納の金額が間違いないか確認してもらえるか」



Pさんから手渡されたのは、電卓と閉じられた紙束が二つ。

ぺらぺらと捲ってみれば、どうやら正月頃にやったライブのものらしい。



 「それはいいんだけどさ、こういうのアイドルに見せてもいいのか?」



 「まぁ普通見せないが、奈緒なら大丈夫だろう。しないだろ? 他言」



 「そりゃしないけどさ……うわ、メイク代ってこんなに掛かるのかよ」



これは確かに、大人組はともかく子供組には見せらんないな。

怖がってのびのびライブ出来なくなっちゃいそうだ。



それから十数分チェックをして、結局間違いは見当たらなかった。

この辺は流石と言っとくべきなのかな。



 「ほい、終わったぞ」



 「助かる、これで一つ片付いた」



 「早いですねー。どうです、事務員のアルバイトなんて」



ちひろさんが冗談めかして笑う。

手助けがあるとはいえ、一人でこのプロダクションの事務を回しているのは未だに信じられない。

ただのアシスタントです、なんて本人は笑って言うけどさ。



 「頭がいいんですよ、奈緒は。学校の成績もなかなかだったろ?」



 「あたしに言わせりゃ凛と加蓮が不真面目過ぎるんだよなぁ……」



 「期待してるぞ、お姉さん」



 「手の掛かる妹たちを任せやがって」



可愛いけどさ。

事あるごとにイジってくるのは勘弁してほしい。



 「奈緒、この後どうするんだ」



 「んー、その辺ぶらぶらしてから帰るかな」



 「…………」



 「どうしました、プロデューサーさん?」



 「奈緒」



真面目な顔で、Pさんが言う。





 「魔法、使ってみないか」



― = ― ≡ ― = ―



 「で、衣装の採寸でもすんのか?」



車に乗せられてPさんと二人、どこかへ向かっている。



 「魔法少女ならこの前やったじゃん」



 「ああ、可愛かったぞ」



 「へいへい」



そういう台詞を二人にも言ってやればそりゃもう喜ぶだろうに。

だけどPさんがストレートに褒めるのは大抵あたしだ。もちろん今みたいにニヤつきながら。

結局の所、Pさんはヘタレなのだ。

……と、あたしは思っている。



 「まぁ魔法ってのはカッコつけ過ぎだが、矜恃としてな」



 「何だそりゃ?」



 「すぐに分かる。ほら着いたぞ」



 「結局レッスンかよ」



到着したのはいつものレッスン場だった。

二階を指差すPさんの背中について行く。

Pさんが扉を開けると、どこか可愛らしい歌声が聞こえてきた。



 「はい、最後までブレス意識してー」



 「〜〜♪ ……あ、こんにちは。プロデューサーさん、奈緒さん」



 「お邪魔します。トレーナーさん、岡崎さん」



泰葉がお腹に手を当てて、トレーナーさんのヴォーカルレッスンを受けていた。



 「あら、姉さんのレッスン予定は延期になったと聞いてますが……奈緒ちゃんも」



 「ええ。予定が込み入っているので直接スケジュールを摺り合わせたいと思いまして。こいつは見習いです」



 「奈緒ちゃん、プロデューサーになるの?」



 「まぁ、見学ですよ。魔法を掛ける側の事も少し知ってもらおうかと」



 「奈緒さん、素質ありますよ。この前の魔法少女、とっても可愛かったですし!」



 「良かったな奈緒。岡崎先輩のお墨付きだぞ」



 「先輩はやめてくださいってば」



うーん、何だろう。この、ナチュラルにみんなあたしをイジってくるこの感じ。

特に泰葉なんて事務所来た頃は模範的な優等生だと思ってたのに。

今では笑顔であたしを可愛がってくれる娘になってしまった。ちくしょう。



 「泰葉ちゃんのレッスンはもうしばらく掛かりますが、どうされますか?」



 「良ければ少し見学していこうかと。良いよな、奈緒」



 「え? うーん……Pさんがそう言うなら」



壁にもたれ掛かって、泰葉の練習姿を眺める。

芸歴的には随分な先輩の筈なのに、踊りも歌もちょこまか可愛らしいのはズルい。



 「うーん、声が出てないわね。もう一度?」



 「はいっ」



真っ直ぐ前を見つめて、泰葉が声を伸ばす。

その様子を眺めるPさんの袖を引っ張った。



 「Pさん、ちょっと」



 「ん?」



そのまま部屋の外へ出る。



 「どうした」



 「たぶん、泰葉はあたし達が見てない方がいい、んだと思う」



 「それくらいで集中を乱すような娘じゃないと思うが」



 「そうじゃなくて……ええと」



頭の中にあるぼんやりとした感覚を言葉にするのは、とても難しい。

それこそ理想の歌や踊りを実現するぐらいに。



 「泰葉は、その、期待を超えたいって考えてるんじゃねぇかな」



 「期待を?」



 「泰葉はほら、良い意味でも悪い意味でも良い娘だからさ。周りから期待される以上を出したいんだと思う」



 「続けてくれ」



 「だから……部外者って言うと角が立つけど、あたし達が居ると無意識にセーブしちゃうんじゃないかな、って」



根っからの優等生タイプだ。それが良いか悪いかは別として。

ならあたし達が茶々を入れてしまう訳にはいかない。

何よりどんな泰葉を見せてくれるのかが楽しみだしな。



 「……なるほどな」



ドアを眺めながらPさんが呟いた。

財布を取り出すと、近くにあった自販機へ硬貨を入れる。



 「終わるまで待ってるか。何飲む、奈緒」



 「じゃあホットココア」



 「ちゃんとカロリー制限考えてるんだろうな」



 「そういうとこほんっとデリカシー無いよなぁPさんは!」



差し出されたココアを手からもぎ取る。

でも手に握ったココアは想像以上にアッツアツで。

持ってられずに慌てて両手でお手玉を始めた。



 「ほんと面白いよな奈緒は」



 「うるさいっ!」



Pさんに向かってココアの缶を投げ付ける。

キャッチした缶を握って封を開けると、そのまま一口飲み込んで。

缶を再びあたしへ差し出した。



 「温かくて美味いぞ。飲むか」



 「……新しいのを、な」



 「そうか」



何がおかしいのか、Pさんが笑いながらもう一つココアを差し出して。

受け取ったその缶は、何故かさっきよりも熱くて。

慌ててまたお手玉を始めたあたしを、Pさんが笑って見つめていた。



……面の皮が厚いと、手の皮も厚くなんのかな。

― = ― ≡ ― = ―



 「手が痛い」



 「そういうのを名誉の負傷って言うんだ、まさしくな」



 「巧い事言ったつもりかよ」



 「楓さんなら腹痛起こしてるかもしれん」



スケジュール調整の後は、都心のレコード店への営業。

ポスターとサイン色紙を置かせてもらって、挨拶をするだけの簡単なお仕事。

……の、筈だったんだがなぁ。



 「三店舗しか回ってねぇのに」



 「それだけアイドルとして人気が出始めてるって事だ。愛されてるな、奈緒」



 「…………うん」



 「ニヤけてるぞ」



 「ニヤけてない!」



 「そうか、見間違えだったかな」



行く先々で店員さんからついでにサインをお願いされて。

それを見ていたお客さんからもお願いされて。

気付けば行く先々でプチサイン会みたいになってしまった。

200枚くらいは書いたんじゃねぇかな。



 「スパゲッティ、手がプルプルで巻けてなかったしな。笑い堪えるの大変だったんだぞ」



 「笑うなよ! 名誉の負傷じゃなかったのかよ!」



 「聞き間違えじゃないか」



笑いながら言われても説得力の欠片も無いぞ、Pさん。



 「お次はどこだ」



 「テレビ局。今日は三船さん達が出る番組の打ち合わせ」



 「……そういうのって担当プロデューサーの仕事じゃないのか?」



 「いつもはな。忙しい時は仕事をシェアし合うのさ、ウチは人数の割に人手が足りない」



200人近い馬鹿げた数のアイドルが所属する割に、担当するプロデューサーはその半分弱しか居ない。

どう考えても会社としては明らかにおかしな比率だ。

けど事務員もどきが一人しか居ない時点で、何だかツッコむのも今更な気がする。



 「まぁついでにプリムスを売り込めるチャンスでもあるから、そう悪い事でもないぞ」



 「繋がり、か」



 「そう、団結……は他の事務所の標語だったか」



 「つか、Pさんは忙しくないって事なのか?」



 「今日はいつもよりかはゆったりしてる方かな」



 「どうかしてるよ、この業界」



 「今更だな」



Pさんの担当はあたし達3人。自分で言うのも何だけどなかなかの売れっ子だと思う。

中には4人も担当してる人が居るっちゃ居るけど、これで忙しくないとか言っちゃう辺り本当にどうかしてるよ。

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 「やぁ、P君と……あれ、奈緒ちゃんもかい?」



 「お、おはようございます」



 「おはようございます。こいつは見習いという事で」



 「社会科見学か。まぁ座って座って」



スキンヘッドに、肩へ巻いた上着。

見覚えのあるディレクターさんだった。

やっぱり上着を巻くのが正装なのかと聞いたら大笑いされた記憶がある。

……うわ、思い出したら恥ずかしくなってきた。やめやめ。



 「今日は代理だったね」



 「ええ。三船、佐城、安部の担当には了承済みです」



 「どうだい、奈緒ちゃんも出てみるかい?」



 「え!? いえ、急に言われてもあた……私は」



 「ハッハッハ、冗談だよ。残念だが今回はねじ込める枠が無くてね」



 「おや、では次回は神谷たちを使って頂けると」



 「おっと、こりゃ口が滑ってしまったかな」



他愛も無い世間話の間に、Pさんが積極的にあたし達を売り込んでいく。

こうした裏方仕事を見るのは初めてで、何だかひどく新鮮だった。



 「確約は出来んが考えておこう。さて、今するべきなのは今回の話だ」



 「ええ。まずは確認事項から――」

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 「――で、ラストにこの前貰ったV流すから、宣伝は20秒で頼むよ」



 「3人合わせてですよね……もう5秒ほど何とかなりませんか」



 「いやぁこれでもギリまで引っ張ってるんだよ。メインの顔を立てないとね」



 「分かりました、では20で。これで一通り纏まりましたね」



CM抜いて、たかだか50分の歌番組。

ウチに配分されるのは、その内のせいぜい10分弱。

その10分間のために、1時間たっぷりの打ち合わせ。

何と言うか……こっちはこっち側で大変だったんだな。



 「奈緒からは、何かあるか?」



 「へっ? あ、えーと……」



 「ああ、悪いね。おじさん二人の会話に疲れちゃったかな?」



 「Dさんも私もまだまだ若いでしょう」



 「そのつもりだけどねぇ。奈緒ちゃんの二倍だと思うとねぇ」



再び世間話が始まって。他愛も無い冗談を交わして。



 「……あの」



でも、言っておいた方がいい、よな。



 「お、何かあったかな?」



 「この、席順なんですけど」



 「ふむふむ」



ディレクターさんが指差した箇所を確認する。

Pさんは一瞬あたしの方を見て、すぐにその箇所へ目を戻した。



 「菜々……安部さんの席はこっちに持って来るか、もしくは俳優さんにここへ座ってもらった方が良いと思……います」



 「どうしてかな」



真っ直ぐにあたしを見るディレクターさんの目に気圧されそうになる。

その目の奥は、かすかに笑っているような気がした。



 「三船さんはいいとして、佐城さんもスタジオで落ち着いて受け応えが出来るので問題無いです」



 「うん」



 「安部さんは何と言うか、その……えー……」



 「あー、分かってきたよ。本番に弱い、かな?」



 「その通りです。それにこの俳優さんはムードメーカーみたいな所があるので、安部さんもテンパったりしないかと」



 「ほう」



ディレクターさんが資料を眺めて考え込む。

Pさんは未だに何も言わず、あたしとディレクターさんをじっと見つめていた。



 「よし、それでいこうか」



 「……えっ? あの、いいんですか?」



 「うん?」



 「その、素人の考えを通してしまって」



ディレクターさんが頬を掻いて、困ったように笑う。

資料を机の上に投げ出して腕を組んだ。



 「なるほど、P君のやりたい事が分かってきたよ。奈緒ちゃん、キミは幾つか勘違いをしているね」



 「え……」



やっぱり、何かまずい事を言ってしまっただろうか。



 「まず、奈緒ちゃんは素人じゃないよ。まだトップとは言わないが、立派なアイドルだ」



 「ありがとう、ございます」



 「それと、奈緒ちゃんは周りをよく見てる。ボクも納得させるぐらいにはね」



 「…………」



 「それに何より、P君がこの場に立ち会わせてる。この意味が分かるかい?」



 「あ……」



 「P君が奈緒ちゃんを信じているように、奈緒ちゃんも」



 「Dさん」



 「おっと、また口を滑らせちゃったかな。悪い癖だ」



長らく黙っていたPさんが、久々に口を開いた。

面白く無さそうな表情だった。

そんなPさんの顔を、ディレクターさんは面白そうに眺めている。



 「お疲れ様、神谷プロデューサー」



 「こいつはアイドルです」



 「寝首をかかれないよう守っときなよ」



会議室を出ると、どちらからともなく溜息が零れた。



 「大変なんだな、Pさんも」



 「俺からすりゃ歌いながら踊る方が大変だと思うがな」



 「まぁな、でも楽しいし」



 「こっちもな」



楽しい、か。

……うん、決めた。





そのうちPさんも一緒に、ダンスレッスンを受けてもらおう。

きっと楽しいぞ。たぶん。



― = ― ≡ ― = ―



 「よっ、と。コレで今日は終わりだ」



 「ふぃー……長い一日だったよ」



衣装の発注と調整を済ませて、ようやくPさんの一日は終わったらしい。

……事務所に帰った後、仕事をしなければの話な。



 「なぁ、奈緒」



 「ん?」



 「加蓮の奴、本当にあんなフリッフリの衣装着たがってたのか」



 「あぁ、うん」



 「へぇ」



せっかくの立場だし、存分に注文を付けてみたくなるのもしょうがないだろう。

うん、しょうがないしょうがない。

次のライブがいつにも増して楽しみだ。



 「お疲れ様だな。明日はゆっくり休んでくれ」



 「あぁ、映画でも観に行くよ」



 「……お、それ、俺もついていっていいか?」



 「何観るのか知ってんのか?」



 「『シンデレラ』だろ」



 「……当たり」



誰にも言ってない筈なんだけど。



 「担当居る奴は全員観に行くようお達しが出てるんだよ、上から」



本家本元の実写映画、シンデレラ。

公開前から随分と話題になっていて、今月の注目作といっていい。

何とかプロモーションに絡めないかと動いて結局ダメだった、とちひろさんが悔しそうに言っていたのを覚えている。



 「そのうち上映会もするとか言ってたな」



 「ならそっち待てばいいんじゃないの」



 「楽しみで待てないんだ」



 「子供かよ」



そういって笑うPさんの顔は、まるきり子供のようなそれだった。



 「というかさ、何であたしが『シンデレラ』観るって分かったんだ?」



 「いや、だって奈緒だぞ?」



 「うん」



 「観るだろ」



 「……何か、腹立つな」



まぁ結局その予想は大当たりだった訳で。

魔法使いだけじゃなくて占い師だとか自称し始めないだろうな。



 「ほい、到着。待ち合わせとかは後でメール……ああ、携帯壊れてるんだったらPCの方だな」



 「よろしく」



 「お休み、奈緒」



Pさんの車を見送って、家へと踵を返す。

玄関までの途中にふと思い留まって足を止めた。



 「……あれ、これって」







デート?







 「いやいやいや、違うって。違う違う」



ぶんぶんと頭を振って考えを振り払う。

映画観るだけ。それだけだ。



 「……何やってんだ、奈緒?」



 「わぁあっ! 何でも無いっ!」



今帰って来たらしい父さんに背中から話しかけられて、思わず跳び上がった。

適当な愛想笑いを返して、すぐさま自室へ駆け上がる。



 「……いや、違う。違うから」





誰に向けたのか自分にも分らない言い訳を、ぽつりと呟いた。



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 『――この靴は……』





映画館ってのは変わった場所だと思う。

大勢の人が居て、けれどみんなが一つのスクリーンを見つめて。

目も耳も奪われて。

つい、自分がいま一人きりになった気がしてしまう。



 「…………」



だからきっと、無意識だったんだ。



どんな顔をしてこの場面を観ているのか、見物してやろうと思って。

ガラスの靴を見つめるPさんの口が動いたのも。



きっと、無意識だったんだ。







 「――――」







呟いたその名前は、もちろんあたしではなくて。









その瞬間、何かが胸にすとんと落ちて来たんだ。





 「奈緒?」





気付けば涙が零れていて。

どうやったって止められやしなかった。



 「なんでも、ない。大事な場面だろ。みてろ、よ」



 「何でもって事は」



 「いいからっ」



 「…………そうだな」



涙だけでは足りなくて、喉まで震え始めてしまって。

軽やかなメロディが、あたしの嗚咽をかき消してくれるよう祈っていた。



 「…………」



Pさんがスクリーンを見つめていてくれるのが、何よりありがたかった。



次から次へと零れる涙を、あたしは拭わなかった。

拭うのが、何だか無性に悔しくて。





……いや、違うな。





解けてしまうと思ったんだ。拭ってしまえば。

今あたしが掛かっている、この奇跡みたいな魔法が。







多分あたしは、この人に恋をしていた。

この人が掛けるつもりも無かった魔法に、自分から掛かってしまったんだ。







涙がようやく止まる頃。







スクリーンの中で、シンデレラはガラスの靴を履いて。幸せそうに笑っていた。





― = ― ≡ ― = ―



 「奈緒」



 「……何?」



 「あー……クレープ。クレープ食べるか?」



 「要らない」



 「そうか……あ、向かいにワッフルの屋台も」



 「いい」



 「…………そうか」





子供か。





映画館を出て以降、Pさんはやたらに落ち着かない様子であたしに話しかけてくる。

泣かせてしまった落ち度が自分にあると勘違いしているのかも。

勘違いしていたのはあたしの方だったっていうのにな。



 「どうせあたしはシンデレラじゃありませんよーだ」



 「奈緒」



何気無く呟くと、Pさんに両手で肩を掴まれた。

……え。何、なに。



 「言わないでくれ。そんな言葉を」



 「…………」



 「俺は三人とも、シンデレラにしてやるつもりだ。信じてほしい」



 「信じる、か」



何処かの誰かさんも言っていた。

信じる事って難しい、って。



 「Pさんはあたしの事、信じてるのか?」



 「ああ」



 「凛よりも、加蓮よりも?」



 「いいや」



Pさんが首を振る。



 「俺は三人に順序なんて付けちゃいない」





なら、映画館で呟いてた名前はどういうこった。





きっとその言葉はあたしだけじゃなくて、あたし達三人に掛かった魔法を解いてしまう。

あたしだって、心の底では分かっちゃいるんだ。

Pさんはあたし達の扱いに絶対差を付けたりなんてしないって。

ただ人間は、無意識を制御できる程に強かったりはしないだけなんだ。



 「……ま、その言葉は信じるよ。昨日のディレクターさんも言ってたしな」



 「げ。蒸し返さないでくれよ」



 「へへん、やなこった」



それからしばらく、無言で並び歩く。

二月の風が容赦なく肌を撫で付けた。



 「順序は付けられないが」



Pさんが口を開く。



 「凛は信頼してる。加蓮は信じてる。奈緒は信用してる……かな。上手く説明は出来ないが」



 「信用、か。どれくらいだ?」



 「魔法の一端を見せてやれるくらいには」



 「前から思ってたけど、Pさんって気障だよな」



 「アイドルが夢を追ってるんだ。これぐらいでちょうどいい」



 「……ははっ、言ってら」



難しく考えるのも、ばからしくなってきた。



 「あー、小腹が空いてきたなぁ。ワッフルなんかちょうどいい具合かなー」



 「何味がいい」



 「ココア」



 「へいへい」



Pさんがワッフルの屋台へ歩いて行く。

それを見送るあたしの表情は、自分でも不思議なくらいに柔らかくて。





 「……あーあ。参った!」





恋でお腹は膨れないのだ。



― = ― ≡ ― = ―



服でも見繕ってやろうか。



そんなPさんの提案に、あたしは一も二も無く頷いた。

今のあたしは傷心中なのだ。

これぐらい甘えたって許されるだろう。



 「こんにちは。高垣楓の紹介で来たのですが」



やって来たのは楓さんの行きつけらしい洋服屋。

会計台に居た店員さんが、あたし達を見ると慌てて他の店員を呼びに行った。



 「楓さんから聞いてますよー。という事はそちらの娘は……」



 「ええと……神谷奈緒です」



帽子を取って挨拶をする。

服屋でってのも変な気がするけど、紹介ってんならこれが普通なのか?

そんな事を考えていると、両側から抱き着かれた。



 「おー、ホンモノの奈緒ちゃんだー!」



 「もっふもふ! 髪の毛もっふもふだよ!」



 「わあぁっ! ちょっ、何、ひゃっ!」



 「本当に自由にコーディネートしちゃっていいんですかー?」



 「ええ、とびきり可愛くしてやってください」



何でも無いような顔で、Pさんが懐から取り出したデジカメを確かめる。



こ、こいつ……っ!



 「は、図りやがったなぁ、Pさん!」



 「楓さんからの依頼でな。まぁこれも社会科見学だと思ってくれ」



 「はーい奈緒ちゃんはこっちでーす!」



 「最初はやっぱガーリー系? ううんゴシック系も素敵かもかも!」



 「わぁっ、ばかばか! まだ脱がすなぁ!」



 「うん、そうだそうだ。今後の衣装の参考にするって事にしよう。それがいい」



 「ふざっけんなぁ!」



あたしの叫びも空しく、ドナドナと試着室へ連行されて行く。

サッとカーテンを閉めると、店員さん達の目がギラリと輝いた。





……あの、せめて優しくしてください。いやホントに。



― = ― ≡ ― = ―



 「…………」



 「これで依頼の20通り達成と。どうした奈緒、元気無いな」



 「あったらPさんをぶっ飛ばしてるよ」



何故かツヤツヤしている店員さんからようやく解放されて、荒く息をつく。

とりあえずあたしが一番気に入ったやつを一揃い買わせるのには何とか成功した。

サービスでだいぶ割引されていたのは助かるが、正直割に合っていないような気がしてしょうがない。



 「最後にこれ着てみてくれ」



 「ん、スーツ? こんなのも置いてあるのか」



 「入学式の時はスカートだったからな。パンツスーツもチェックしときたい」



 「その言い方、すげぇ変態っぽいぞ」



溜息をついてスーツを受け取る。

ここまで来たら一着や二着も変わらないし、まぁ興味が無い訳ではない。

受け取ったスーツに着替えて、カーテンを開けた。



 「…………」



 「ご要望通り着てやったぞ。何か言う事無いのかよ」



 「ああ……」



Pさんが頬を掻く。



 「似合ってる、ってな。言おうとしたんだ、一瞬」



 「言やいいだろ」



 「言ったら、何だか奈緒が……アイドルをやめてしまうような気がしたんだ」



Pさんの言葉が胸に突き立った。





――んな訳無いだろ。





一瞬そう言おうとして、けれどあたしも言葉に詰まってしまったから。



 「……へっ、まだやめる訳無いだろ」



それでも言葉を絞り出して、精一杯の強がりを張る。

Pさんがあたしを信用してくれてるように、あたしもPさんを信じてるから。





 「まだ加蓮も凛も、Pさんの鼻だって明かしてないんだ」





恋に憧れる灰被りは、もうやめだ。

誰もに恋をさせる、シンデレラになってやる。





 「あたしはいつまでだって、Pさんのアイドルだよ」





惚れてたんだなんて、後で言い出したって遅いからな?







 「……奈緒」





Pさんが柔らかく微笑む。







 「いや、別に俺のアイドルでいる必要は無いからな」







 「…………うるさいっ!」





― = ― ≡ ― = ―



 「はー……まだダメージ残ってんな……」



修理された携帯を受け取って、女子寮へ帰って来た。

上京組が住んでる部屋とは別に、仕事前日に泊まれる部屋を借りたのだ。

明日からの地方ロケに備えて、凛と加蓮も既に部屋に居る筈だ。



 「よし」



手鏡で全身を隈無く確かめる。

目の腫れも無し。服も新しいのでは無く今日着てきたやつだ。

そしらぬ顔で行こう。



 「よっす」







 「――待ってたよ、神谷プロデューサー」







 「――デート、楽しかったかな? ん?」







あ、これ駄目なやつだ。







 「何の事やら」



無駄な抵抗を試みる。

端から無駄だと分かりきってる辺り空しい。



 「携帯、もう見た?」



そういやまだ見てなかった。

電源を入れてしばらく待つ。





不在着信:17件

受信メール:22通





うわぁ。





 「凛とカラオケでも行こうかって話しててさ、奈緒を誘おうとしたら通じなくてね」



 「寝てるのかなと思って一晩明けても返事無いからさ、何か怪しいと思ってね」



 「そこは友達なら『怪しい』じゃなく『おかしい』だと思うべき所じゃないか」



本当に友達なのかお前ら。



 「で、Pさんに電話したら奈緒の携帯が修理中だって言うじゃない?」



 「私達もさ、疑って悪かったと反省したんだよ」



 「うん……大いに反省してほしいかな」



さっきから会話している凛と加蓮が、ずっとニコニコの笑顔を崩さないのが怖い。

笑顔が威嚇を表す部族も居たっけ、なんてどうでもいい逃避を始めそうだった。



 「それで次の日プロデューサーもオフだったのを思い出してさ」



 「みんなのオフが重なるのって久しぶりだし、これは遊びに行くしかないと思ってPさんに電話したんだ」



 「そしたらさ」



ぽん。



凛があたしの肩に手を置いた。

近くにある凛の笑顔を見ていると、何故だか冷や汗が出てくる。



 「通じないんだよね、電話」



ぽん。



加蓮が反対の肩に手を載せる。

ああ、一応Pさんもマナーは守っていたんだなと頭の隅で感心した。

……ダメだ、思考が完全に逃げに入っている。



 「これはどういう事だろうね、不思議だねって凛と話してる時、メールが来たんだ」



 「へ、へぇ。誰から」



 「楓さん」



凛が携帯の画面をあたしへ向ける。

『コーディネートはこーでねーと』の文面と共に。

Pさんプロデュース、神谷奈緒ファッションショーの写真がずらりと並んでいて。



 「スーツ似合うじゃん、神谷P」



店員さんに撮ってもらった、スーツ姿のツーショットの写真で終わっていた。





 「親友に内緒でデートかぁ。悲しいなぁ。親友だと思ってたのになー」





 「これは今一度親睦を深める為にも、たっぷりお話しする必要があるなって思うんだ。リーダーとしてね」





 「は、はは…………」





間近に並ぶ、可愛い可愛い妹たちの笑顔を前に。

祈る以外あたしに何が出来るって言うのだろうか。





ああ、神様、茄子様、仏様。





いや、魔法使いでも王子様でも、この際馬車馬だって何だっていい。





 「さぁ、夜は長いよ奈緒」





 「大丈夫。夜明け前には終わるから」







――誰かこの場を、魔法の力で何とかしてくれ!





― = ― ≡ ― = ―



おしまい。





そう、本当ならここでオチがついて、この話は終わる筈だったんだ。

けれどあたしはすっかり忘れていた。





付け焼き刃の魔法を、得意げになって唱えていた事を。



― = ― ≡ ― = ―



 「…………」



 「どうした奈緒、ぷるぷる震えて。リハ前なのにもう筋肉痛か」



トライアドプリムスのセカンドソロライブ。

合同ライブには敵わないけど、それでも今回のハコは前回より増えて2500人だ。

前回のメインはリーダーの凛。今回のメインはあたしだ。

それはいい。



 「……っ! っ!」



 「か、加蓮……そんな、っふ! 笑っ、ふふ!」



加蓮と凛も、あたしを見て震えていた。

あたしも二人も、もちろん筋肉痛なんかになってる訳じゃない。



 「……なぁ、Pさん」



 「どうした」



 「この衣装、すっっごく見覚えがあるんだが……」





フリル。そしてフリル。





その上にフリルを重ねて、フリルで纏め上げる。

ワンポイントとしてフリルもあしらっておこう。



そんなばかみたいなフリッフリの衣装を、あたしは今着ていた。





……何だコレ。





 「似合ってるぞ」



 「うん、っぷ! にあ、似合ってるよ奈緒、ふっ」



 「これ以上無い、くくっ……にね」



この前Pさんについて行った時の、衣装の打ち合わせ。

その時にあたしは、半ば悪ふざけで加蓮の衣装をこんな感じで提案した筈だった。

もちろんプロの衣装さんがこんな案を通すはずも無く、まぁちょっとフリルが付くくらいだろう。

そう、思っていたのに。



 「…………」



ばかみたいな数のフリルはそのままに、あたしの髪色に合わせるよう、微妙にデザインが変更されていた。

凛と加蓮の衣装をベースに、フリルを五倍増しぐらいにしたような。



 「……これ、加蓮の衣装じゃなかったっけ」



 「いやすまん、どうにも手違いがあったらしくてな。時間も無いしそのまま通したんだ。しょうがないしょうがない」



 「Pさん、いま口元ニヤけてなかったか」



 「見間違えだろう」



わざとらしく咳払いをして、Pさんが顔を背ける。

何がしょうがないだちくしょうめ。



 「あー、もうっ! 第一これっ、二人の衣装と全然合ってないだろがっ!」



 「いやベースは同じだぞ。フリル多過ぎて見えないだけで」



 「統一感の問題とかさぁ!」



 「プリムスのソロライブだし、メインは奈緒だしな。目立つくらいでちょうどいい」



 「目立つどころの騒ぎかこれが! フリルドオバケじゃねぇかっ!!」



 「ぶふっ! や、やめて奈緒っ……!」



 「お、お腹痛い……っ、くくっ!」



もはや二人は隠そうともせずに爆笑していた。

どころか準備中のスタッフさん達でさえあたしをちらちら見ては笑っている。

……ちくしょうめ!



 「み、見て、凛」



 「な、なにっ」



 「……『乙女が服着て歩いてる』」



 「ふぐっ! あははっ、やめて、加蓮っ! ふふっ!」



 「お、いいな。報告書にはそう書いとくか」



 「ああぁもおぉぉっ!」





魔法使いさん。

ロクに練習もしないまま魔法を唱えようとしたあたしが悪かった。

素直に認めるよ。何回だって謝るさ。

だからお願いだ。







だから、あたしに。







――こいつらの鼻を明かせるような、とっておきの魔法を授けてくれっ!



おわり



17:30│神谷奈緒 
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