2015年02月23日

杏と365日

・話はやや重め



・舞台は346プロとは別次元です。



・ショートショート(8000字以内)を意識して書いたのですが……中身がないのはご容赦ください。











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――2015年2月14日。とある病院。



その病院は、300床はあろうかという、いわゆる街の基幹病院だ。



古くからその地域の人の健康を支えてきた、そんな古さと、病院の一部を改装をしているためか、新しさが融合している。



ただし、普通の病院ではない。





入院病棟の5階。



政界の大物や芸能関係の人物が、その素性を隠した上で入院していることが、その界隈では知られている。



医師がひときわ優秀ということもあるのだろうが、院長がその界隈に精通していることも関係しているらしい。





私はその病院の、5階にいた。



病室には、中にいる人の名前とは異なるネームプレートが掲げられている。









夕暮れにカーテンが朱く染まる。



静寂、音一つもない部屋。



そんな中で、一人横たわった姿を、私はそばの椅子に腰かけて見ていた。





こうしていると、1年前のあの日の事が思い出される。



もう1年経っているというのに……いや、1年経ったからこそと言うべきか。



自身への怒りや、何もできない歯がゆさが込み上げてきて、私の手を震わせる。



その震えは一瞬だと思っていたが、手に握っていた飲みかけのエナジードリンクを机へと溢すのに十分であった。











「あ……」





やってしまった。



ベッドの横にある机に溢してしまった。



幸い、置いていたうさぎのぬいぐるみにはかからなかったが、その横にはオレンジ色の液体が飛び散ってしまっている。





ハンカチを取り出して、机の上を拭いていると……ちひろさんが入ってきた。





「ふふ、よく眠ってますね」



「……ちひろさん」





―――――――――

――――――

―――





おかしいと気付いたのは、ちょうど大寒を過ぎて立春に入ったころだった。



一見すると、仕事は普通にこなしている。



しかし、話しかけても一向に返事がないのである。



いや、まったくないわけではない。



「ん、そうだね」くらいは返してくれることもあるし、「疲れた」と独り言を呟いている姿を見たことはある。



それでも、









以前までのプロデューサーとは、人が変わってしまったかのように私は感じた。











「単純に疲れているだけならいいんだけど……。どう……思う、杏ちゃん?」



「どうって言われてもねぇ……」





事務所には、ちひろさんと私しかいない。



プロデューサーは…よしのとロケで秋田の祭りに行っているから帰りは夜になるはずだ。





「杏としては、プロデューサーが頑張りすぎちゃうと仕事が増えるから勘弁してほしいな〜」





この言葉は本心だった。



本心ではあったが、すべてではなかった。



傍からは、プロデューサーへの心配に、無理に目を逸らしているように見えたことだろう。











「ちょっと働きづめだから……杏ちゃんからプロデューサーさんに言ってくれない? 私ができることなんて、スタドリとエナドリを作って渡すくらいだから……」



「……そうだね」







プロデューサーが帰ってくる予定時刻まで、あと5時間弱。



午後は4時30分からダンスレッスンが入っている。



いつもだったら「疲れるから」ってサボるところだけど……、今日はそういう気持ちとは違う意味で動く気分じゃないな……。



杏は、そっと、ソファの下に潜り込んで……眠ることにした。











プロデューサーが事務所に帰ってきたのは予定よりも30分は遅かった。



よしのは遅いからって送ってきたのだろうか、一人だけの帰社であった。







事務所のドアが開くと、杏はプロデューサーのほうを見たが……目と目が逢うことはなかった。



ドアからデスクまで、その歩く姿を横目で眺めていたが、動く様に感情というものが感じられない。



まるで、ロボットや人形のようであった。





「最近さ、プロデューサー頑張りすぎじゃない?」



「……」





杏から話しかけるも……反応はない。











「私、なんだか心配だよ。杏のことは気にしなくていいから、今週は仕事をお休みにしよう? うんうん、それがいいと思うよ」





私なりの気遣いを含めて、プロデューサーに言った。





「……休んだら、お前の仕事はどうなる」





プロデューサーが、重い口を開く。





「そしたら……私と一緒に休もう! そうすれば問題ないよ、うん! 困ったときはお互い様だよ、無理せず少し休もう?」



「……明日、仕事だからな。早く帰って寝ろ」



「〜〜!!」





この分からず屋には何を言っても無駄なんじゃないか。



そう思わせるくらいに私の言葉はプロデューサーに何も響いていない。



言ってもダメなら行動で示すしかない……が、どうしたものか。







困ったときの神様、よしの様に聞いてみるか。











「疲労回復には甘いものがよいのでしてー」





なんかパソコンで調べれば出てきそうな答えが電話口から聞こえた。



ううん、でも、よしのが言うことだ、信じるとしよう。



軽くお礼を言うと、電話を切った。







「しかし、甘いものねぇ、飴でいいかな……?」





考えているとき、気付かないうちに声に出してしまうことはよくあるものである。



杏ももれなく、誰に相談するでもなしに、自身の中に浮かぶ考えを声に出して面前に漂わせていた。





「和菓子とか洋菓子とか……とか餡子で良いのかな? あとは……あぁそっか、2月だしアレでもいいのか……」



「……でもなぁ、作るなんて面倒だし、買ってでも――」





ふと、今日の夜のプロデューサーの姿が思い浮かぶ。





「疲れ……てるよね。ええい、仕方ない。たまには甘やかしてやるか。ここで恩を売っとけば、休みがもらえるかもしれないしね!」





考えがまとまったのか、杏はスクっと立ち上がると……「明日から本気出す」と一言呟いたあとに、寝た。











2月14日。



杏がプロデューサーの様子を訝しんだときから10日近く経っても、プロデューサーの様子は変わらなかった。



むしろ、目が虚ろになってきているようにすら見える。



何か手を打たなければ悪化するのは目に見えていた。



その様子を見て、杏も『自然に治ることはもう期待できないのかもしれない』と感じていた。









「プロデューサーさん、今日のエナドリはここに置いておきますから、飲んでくださいね」





ちひろさんの毎週金曜日の日課だ。



エナジードリンク(およびスタミナドリンク)は一般に流通していない。



「千川家に伝わる秘伝のドリンクなんですよ」とちひろさんは言っていた。



……非常に眉唾ものである。





「……」ゴクゴク





プロデューサーは何も答えず、エナジードリンクを飲み干す。



ちひろさんがエナドリを渡して、プロデューサーが無言で飲む。



先週も見た光景である。



しかし、これで回復しないことは私もちひろさんも知っている。











「プロデューサー、これあげる」



「……」



「プロデューサー、こっちを見てよ!!」





杏が声を張り上げる。



杏らしからぬ大きな声に反応したのか、プロデューサーは杏のほうへと顔を向けた。





「これ、チョコ。最近元気ないんだから、甘いものでも食べて、早く杏に休みをちょうだいよ」



「……」



「……口、開けてよ」





しかし、プロデューサーの口は開かない。



それどころか杏からパソコンの方へと顔を向けてしまった。



これにはさすがの杏も腹が立ったのか、プロデューサーのアゴを左手で握り込むように掴むと、少しだけ開いた口に右手で握りしめていたチョコを入れ込んだ。





「……どう? わざわざ手作りしたんだから、感想の一つでももらわないとね」



「…………」モグモグ





プロデューサーがチョコを口にしてから、時間にしてほんの一瞬。





「あ……」



「あぁぁぁぁあぁぁ!!!!」





事務所中に響き渡るような奇声。



おもわず、杏もちひろも耳を塞いでしまった。











「はぁ……はぁ……」



「プ、プロデューサー……?」



「はぁ……はぁ……。なんだこれ、目が覚めた気分だ……。俺は……今まで何をしていたんだ?」





これは、奇跡だろうか。



杏のチョコを食べたら、プロデューサーの意識が清明としたのだ。



さながら白雪姫に王子様がキスをしたときのように。



この事態に、プロデューサーはもちろん、杏もちひろも理解が追い付いていない様子であった。











「プロデューサー……だよね?」



「何言ってるんだ、杏。寝すぎてボケたのか? 俺はお前のプロデューサーに決まってるじゃないか」





言葉が返ってくる、感情がある、私のことを少し馬鹿にする。



このやり取りだけでも、杏は、いつものプロデューサーに戻ったことを感じていた。





「はぁ……よかった、本当によかった」





ちひろさんは、プロデューサーの無事に安堵し。





「これは……私のチョコのおかげだよね? だとしたらお返しに休みを要求しないといけないね!」





杏も、軽口を叩けるくらいまでに徐々に落ち着いてきていた。





一方で、プロデューサーも病み上がり(?)のはずなのだが、私やちひろさんが心配するのをよそに普通に、いや普通以上に仕事をこなしていた。



人間火力発電所とでもいうべきか、その姿は非常に精力的であった。



2週間ぶりに、いつもの事務所が戻ってきたのだ。









しかし……本当の問題はその夜だった。











プロデューサーが、倒れた。







医者が言うには、脳の前頭葉の機能が異常に低下しているらしい。



私たちは、倒れるまでのプロデューサーの様子を詳細に伝えた。



2月初旬からプロデューサーの様子がおかしくなったこと、それが今日になってチョコを食べたら元に戻ったこと、その後から倒れるまでの精力的な仕事っぷりなど、知りうる限りのありとあらゆる事柄を伝えた。



それらの話を聞いていた医者がゆっくりと口を開いた。





「……チョコとエナジードリンクが原因かもしれません」





チョコにはカフェインやテオブロミンといった脳を興奮させ、やる気や集中力を増強する物質が含有されている。



しかし、それだけではこの状況は説明がつかない。



そこで、その前後で口にしていたものとして、ちひろさんが作ったエナジードリンクが可能性として上がったのだ。











専門機関に調査をしてもらったところ、エナジードリンクには未知の成分、ここでは仮称でエナドリンとしておくが、エナドリンが今回の件に関係していることが判明した。



エナドリン単体では、栄養ドリンクを強くした程度の効果であり、決して脳に対して直接的に作用する物質ではない。



しかし、経口摂取または粘膜摂取されたエナドリンがチョコの中のテオブロミンと血液内で結合することで、脳血液関門を通過し、脳に直接的に作用することが明らかになった。



一時的に脳の細胞を活性化させ、神経ネットワークを賦活化させるというのである。



つまりは、脳に対するドーピングのようなものである。



ただし、既存のものとは比べ物にならないほどの……。











形あるものはやがて崩壊する。



それは自然の摂理だ。



摩耗されればされるほどに。







プロデューサーの前頭葉では脳細胞が異常に活性化し、死滅が早まっていたのである。



「エナドリン単体なら脳血液関門を通らなかったのだが……」と医者は話していたが、私にはまったく理解ができなかった。





ただ、プロデューサーがこうなった原因は……私のチョコにあるということだけがわかった。











「プロデューサー」





面会時間はとうに過ぎた夜の病室に一人、杏はいた。



周りの病室はもう眠っているのだろうか、音一つしない。



杏は、この時間になるまで、プロデューサーのベッドの下にずっと潜んでいたのである。





「私が働かなかったからかな? プロデューサーがおかしくなったのって」



「それで、私のチョコが原因かな? プロデューサーが起きなくなったのって」



「杏、別に頭は良くないからさ。医者が話していることなんて飴粒くらいのことしかわからなかったよ。」



「……でもさ、また、チョコとエナドリを一緒に飲んだら目覚めてくれるんだよね」





そうつぶやくと、ちひろさんから拝借したエナドリと自分で作ったチョコを、そっとプロデューサーの口にあてがう。









……数秒後、男の奇声が聴こえた。







―――

――――――

―――――――――









――2014年2月中旬。とある病院。





「もう、手は尽くしましたが」



「そんな、どこも…どこも見た感じケガしてるわけじゃないのに」



「頭部でしたから、見た目よりも脳に広範囲の損傷がみられています」



「でも…でも!」



「もちろん、このまま生きながら得ることはできますし、今後さらに優れた治療法が見つかれば…その限りではありません。それに、話しかけ続けたことで目を覚ました患者というのも私どもは何例か聞いたこともあります。……ただし、希望だけを語ることはできません。現代の医療では……これが限界なことも事実です」







杏が、倒れた。











私とロケに行く途中、仙台駅の階段からの転落して、後頭部を打ったのだ。



そのときは、杏も「いてて…やっぱ、たまに動くとダメだね」なんて冗談交じりに喋っていたのに、その数時間後にはタンカーで救急外来へと運ばれていくのを、私は茫然と横目に見ていた。





脳挫傷というらしい。



医者から説明を受けていたのだが、その実、話などまったく聞けておらず、生返事しか出来ていなかった。



ようやく現状に理解できたときには、もう杏はベッドに横たわっていて、静かに眠っていた。











――2015年2月14日。とある病院。





眠っている杏の横の椅子に腰かける。



寝息を立てている杏を見ていると、朝になったら起きるんじゃないかと見紛うくらいである。





「あれからもう1年か……」





この1年を振り返ると、私の中に、自分に対する激しい怒り、自責感が充満していくのを感じた。





『どうしてもっと早く病院に連れて行かなかったのだろう』



『杏が階段から落ちそうになったときに支えられなかったのだろう』





手が震える。











「ふふ、よく眠っていますね」



「……ちひろさん」



「何か夢でも見ているのかしら。まるで昔の杏ちゃんみたい、あの頃は仕事も片手間にずっと寝ていましたもんね」





ちひろさんが1年前を懐かしみながら軽く微笑している。





「もう1年になるんですね。……プロデューサーさん、時間があれば面会に来て声を掛けてますもんね」



「それは……ちひろさんも同じでしょ」



「杏ちゃんが倒れてから、通常業務に杏ちゃんのお見舞いに、働き過ぎ……とまでは言いませんけど、プロデューサーさんの身体も労わってあげてくださいね」





ちひろさんは懐かしんでいたが、私は1年前のことを思い出すと、怒りが再燃する。



そして、この1年間を思い起こすと、無力感に包み込まれる。





「あ、私、お花の水を替えてきますね」





そんな私に気を遣ってくれたのであろうか。



ちひろさんは花瓶を持って、病室を出て行った。









「そうだ…」





ちひろさんに見られると少し恥ずかしいから、今のうちにとばかりに、プロデューサーは席を立つ。



そして、自身のポケットからチョコの飴を取り出すと、杏に語りかけるようにつぶやいた。





「ちょうど、だしな。男からチョコってのも変な話だけど……杏の好きな“飴”だからさ、いいよな」



「舐められない……から、欠片を口に付けるだけにするぞ」





ベッドに横になっている杏の唇に、そっと飴の欠片を這わせる。



その姿は、まるで茶色の口紅を塗った人形のようであった。



大切にされた人形には魂が宿るという。



この口紅を付けたことで杏の意識が戻る、そんな奇跡を少しだけ願ってしまった。





「……うん。大丈夫、ちゃんと拭いてから帰るからな」









そして、そっと、プロデューサーはハンカチを取り出す。



先刻、エナジードリンクを拭いたばかりのハンカチを。



おわり





08:30│双葉杏 
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