2015年03月12日

楓「午前0時のコール」


 ――23:20



また無意識に時計の方に目が行ってしまった。

これじゃいけない。まだ30分以上もあるのに。お風呂はもう少し後に取っておけばよかった。





「……ビール、確かまだあったかな。」



時計から目を離す代わりに、冷蔵庫に目をやった。

いや、我慢しよう。きっと電話の後にゆっくり飲んだ方がいいに決まってる。それに、どうせなら素面で話したいもの。





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自制すればするほど、プルタブを引いた時の、あの音をイメージしてしまう。

なんだか、女の子の可愛いくしゃみみたいな音だな、と考えて一人で笑ってしまった。智絵里ちゃんとか、あんな感じかな?



「ふふっ……グラス、冷やしておきましょう」



そうだ、飲むことはもう確定にしよう。こんなに待たされて、我慢してるんだから。



――23:40



「むう……」



あれだけ見ないようにしてるのに、なんだか悔しい気もしてきた。こうなったらあと20分、時計をにらみ続けてやろうか。



「…………」



にらめばにらむほど、秒針はゆっくりと進んだ。2週ほどしたあたりで、にらめっこは降参した。



「とけい、たいむ……くろっく、ろくでもないクロック……」



ちょっと、いや大分イマイチ。でもこんなに進まないなんて、本当にろくでもない時計だと思う。だじゃれでも今日は叶わないみたい。



――23:50



ここにきて、携帯の充電の残りが心配になった。半分以上あるから大丈夫かな。でも2年くらい使い続けてるから、通話中に急になくなると困る。



「充電器、どこだったかな?」



つい独り言ちてしまった。この10分を何とかやり過ごそうとしているのが、自分でもよくわかる。できるだけゆっくり探そうと、まずはなさそうなところから目をやった。十中八九、テーブルの下の鞄の中だ。



――23:57



ここまできたらこっちのものだ。ベッドに寝転んでスタンバイする。目線の先の時計は、悔しそうな顔で午前0時を告げようとしていた。ずっと眺めてたから、なんだか表情があるように思えてきていた。





――0:05



彼の事だから、時間に少しルーズなのはわかっている。



仕事のことになると時間を守るのに、プライベートではどうしてこうなるんだろう?



でも、超人的に仕事をこなす彼から、そんな人間らしい部分を垣間見れて嬉しいような気もしてしまう自分が、なんだか複雑だ。



「メール、しちゃおうかな」



いや、それだけは自制しなくては。負担にだけはならないようにしようと決めていた。



まだ5分しか過ぎてないし、もう少し待ってからでもいい。





――0:18



「……あっ、あれ?」



一瞬だけ眠っていた気がする。とっさに携帯を開いたけれど、不在着信のアイコンはなかった。ほっとしたけれど、そのあとすぐにどうしようもない気持ちになった。



「……もう、飲んじゃおうかな」



きっと、ニュージェネレーションの件で忙しいのだろう。

きっと、今日のライブの後片付けや、次の打合せに奔走しているんだろう。

きっと、今頃スーツのまま倒れて眠っているのかもしれない。きっと……



「でも、明日会ったら "キッ"とにらみつけてやろう」





0:20になったのを、相変わらずメールも不在着信の表示もない携帯画面で確認してから、冷蔵庫に向かった。冷やしたグラスと、缶ビールを取り出して、机に置いた。



くしゃみの音……のことを思い出しながら、プルタブに手をかける――



ベッドから、「ブン、ブン」と振動音が聞こえてきた。心待ちにしていた音だった。彼の電話の着信のバイブレーションは、特徴的なリズムに設定していた。ポケットに入れていても、すぐに誰のかわかるように。



枕とシーツの間から抜け出そうともがいているような、携帯の画面を見る。少しだけ深呼吸して電話を取った。



「もっ……、もしもし」



つかえてしまった。



『もしもし。すみません楓さん。遅くなってしまって……』



『20分も遅れてしまったから、電話するか迷ったのですが……起こしてしまってませんか?』



「大丈夫です、ちゃーーーんと、起きてましてよ?」



起きてたことを強調してみた。



『ははは……本当に、遅れてすみません』



遅れる時はメールくらい、と思っても言わない。私はこれでも大人なんだから。



「それで、今日はどうだったんですか?」





『ああ、今日はですね……』





彼は楽しそうに担当アイドルの事を話した。ニュージェネレーションのライブは、前回よりもずっと良いパフォーマンスだった、



卯月ちゃんのダンスも他の二人に追いつきつつあって成長を感じた、未央ちゃんも心の弱さをきちんと受け入れて、リーダーとしての素質を発揮しつつある、



凛ちゃんも最近は、心から楽しんでアイドル活動に取り組んでる様子だ……と。





普通、こういう時はヤキモチを焼くものかも知れないけれど、彼の楽しそうな話しぶりに、そんな感情は湧いてこない。



むしろ、私の担当だった頃もこんな風に誰かに話していたのかしら?





『……それで、先にアイドルを家に帰して、会場に戻って片付けを手伝って』





そう、こんな風に一日の出来事を、少しだけ聞かせて欲しい。





『11時半くらいに終わって、それから……家に帰ってきました。いや、楽しかったですが、ハードでした。』



『楓さんはどうでした? 今日は確か、雑誌の撮影と……』





もう担当ではないのに、私の仕事を把握してくれているのは嬉しかった。





……あれ?





「Pさん、11時半に片付け、終わったんですよね?」





一瞬、受話器越しの声が詰まったのがわかった。うぐ、みたいな音がした。



予想的中。今日のライブ会場は私も行ったことがある。そしてそこが、Pさんの家からは離れた場所にあることも知っていた。



この時間に着いている場所といえば、もう一つしかなかった。





『……いや、その、今日はどうしようもなく……』





「もう、事務所で寝泊りしないって約束した気がするんですが」





少しだけ声のトーンを落としてみる。電話では声だけしか伝わらないから、こうしないと怒っていることが伝わらないだろう。





『その、すみません。でも家に着くころには、1時近くなってしまいそうだと思って。』



『……どうしても、楓さんと話をしたくって。』



胸の真ん中あたりを、糸でくいっと引っ張られているような感覚になった。痛いような心地よいような。



心臓が少しだけ早くなるスイッチだ。頬のあたりから熱がにじんでいくのを感じた。







「……そういうことなら、メールでもしてくれれば、ちゃんと起きて待ってますよ」





彼のことだから、何を言っても遠慮するのだろう。





『楓さんは眠たくなったら、先に寝ていてください。体が資本ですよ。遅くまで起きてるなんて……』





と言いかけたところで、彼は言葉を止めた。週末の0時のコールは、担当を外れる時に二人で取り決めた約束だ。



「……とにかく、私はいつも待ってます。約束、ですから。」





『……はい』





いじめるのはこれくらいにしておこう。彼だってきっとわかってる。





私は壁にもたれて、そっとカーテンを開いた。

星は東京の空に阻まれてほとんど見えなかったけれども、確かに存在していた。





『ええと、それで、楓さんの方はどうだったんですか?』





話を戻そうと彼は切り出した。



女性はおしゃべりをすると、とんでもないところまで話題が飛んで行ってしまうけれど、男の人は脱線してもきっちり元の話題に戻っていくから不思議だ。





「雑誌の撮影……そうだ、今日の撮影で、高校の制服? ブレザーを着たんですよ」





『え゛っ……いや、失礼。でも楓さんなら、むしろ似合うかも……』





"え゛っ"ですって。まったく。



「ふふん、私だってまだまだいけるんですよ」





『いや、それは疑っていないのですが……なんというか、俺がプロデュースしてた頃では思いつかなかったな、と』





「いえ、今の担当プロデューサーではなく、カメラマンさんの思いつきなんです」





『そうでしたか……でも、俺だったらやっぱり大人っぽい雰囲気に拘ってしまったと思います。盲点だったなぁ……』





仕事スイッチを入れてしまったかもしれない。また仕事のことを考え始める前に別な話をしよう。





「そうだ、仕事は関係ないのですが」





『なんですか?』





「ビールの缶を開ける時の音って、なんだか女の子のくしゃみみたいじゃないですか?」





『……はい?』





ピンときてない様子。





「ほら、プルタブを開けた時に、かしゅん、って音するでしょう」





「あれ、例えば智絵里ちゃんがくしゃみした時とか、あんな音じゃないですか?」





『……え、そ、そうかな……。でも、どちらかといえばくしゃみは"くしゅんっ"って感じじゃないですか?』





「いや、きっと似てますよ。今度聴き比べてみましょうよ。ビール事務所に持っていきます」





それで、智絵里ちゃんの鼻にこよりを……と言ったところで、吹き出した。





『はははっ…くくっ……そんなことしたら、怯えて、ち、近寄らなくなりますよ、智絵里……』





笑わせた。私の勝ち。でも確かに、智絵里ちゃんにこよりを持ってにじり寄るのは、トラウマを植え付けそうだ。



涙目の表情が浮かぶ。





「うーん、そうですね。じゃあ、幸子ちゃんで代用しましょうか」





わははっ……と、また笑い声が聞けた。でも確かに、代用はひどい言い方だったかも。ごめんね、幸子ちゃん。





『そうだ、次の飲み、どこか行きたいところありましたか?』





ひとしきり笑ってから、そう尋ねてきた。これも担当を外れる時にこぎつけた約束だ。



できる限り月に一回、二人に飲みに行くこと。でも毎月は、実際には実現ぎりぎりの頻度だけれども、努力義務です、と押し通した。





こうやって時折、ちゃんと約束を果たそうとしてくれるのは嬉しい。無理をさせてないか心配にはなるけれど。





『珍しいですね。そういえば、メニューに載せないマスター秘蔵の焼酎を飲ませてくれる店が……』





いいですね、とすぐに相槌を打った。





「日にちはどうしましょうか? 私の次のお休み、わかりますか?」





『はい、ちゃんとメモしてますよ。その日は開けてあります』



『でも、この日、楓さんには久々の休みですよ? 次の休みにしたほうが』





いいのでは、と言いかけたところで、割り込んだ。





「この日がいいんです。」





いいんですよ。と念を押す。彼も、はい、とだけ応えた。本当はもっと会いたい。次の休みも、その次の休みも。



壁の時計が目に入る。

――0:43





もう20分以上も経っていた。もしかしたら、時計の裏で誰かが歯車をくるくると回してるのかもしれない。





『……俺も、会いたいです。』





えっ、と今度は私の声が漏れてしまった。





「……ふふ、お互いさまです」





胸の糸を、なおさら強く引っ張られた。お互いさまです。ああ、同じ気持ちだったんだな。見えなくても、見せなくても、こんなに想ってくれてるんだ。





「事務所の窓から、星は見えますか?」





私は再び、窓の外に目をやった。





『星、ですか? うーん、ちょっと見えないかな。ああ、でも少しだけ見える…かな?』





「あるんですよ、見えなくっても、きっとたくさん」





目が悪いからなあ、と彼は呟いた。



彼は今、事務所の窓の前で、目をぎゅっと細めて、頭を掻いたりしながら空を見てるのだろう。



私もそっと、髪に手を通してみた。







「……愛してる」







口に出してから、自分でも驚いてしまった。



頭の中に浮かんだだけの言葉や感情が、そのまま通るべき神経回路を間違えて、口から飛び出してしまったようだった。





『えっ、あ、すいません、今の聞き取れなくって。何か言いましたか?』





どうやら、飛び出した言葉はあまりにも小さなつぶやきで、ノイズにかき消されてしまったみたい。



もし聞き取れてたなら、彼だってもう少し恥ずかしくするはずだ。でも、あっけらかんとされるのも癪に障った。





「……アイス」





『はい?』





「こんな夜は、アイスが食べたいです」





愛する人と、なんて続けようと思ったけれど、今度はきちんと頭の中で留めてしまった。





『はは、こんな時間に食べたら冷やしますよ』





わかってます。





ああ、あなたのもとに飛んでいければいいのに。



事務所の、あなたが立っているであろう窓際まで。



そのまま、呆けてるあなたを抱きしめて。思っていること全てを言葉にできればいいのに。





『楓さん?』





呼びかけではっと我に帰った。すいません、とすぐに返す。





「ちょっとぼーっとしてました」





『もう遅いですから。そろそろ、おやすみにしましょうか』







――0:54

時計は既に1時近くを指していた。話し足りなかったけれど、彼も私も仕事がある。





「そう、ですね。」





『ええ』





彼も同じことを思ってくれてる、はず。





「居酒屋、楽しみにしてますね」





『はい』





「今度すっぽかしたら承知しません」





『わかってますよ……』





実は、前科一犯。





「次やったら執行猶予取り消しですからね」





こうやって話を引き延ばそうとしているのも自覚してる。もう切らないといけないのに。





『実刑は……いや、いいです、聞くのも恐ろしい』





「重罪です。覚悟しててください。」



「……それでは、おやすみなさい。無理を、」





しないでくださいね。と言っても、彼はおとなしく聞いてくれる気がしない。





『……はい。楓さんもですよ。おやすみなさい。』





――――――――





さっきまで別な場所にいて、急に自分の部屋に引き戻された心地になった。



もしかして本当に、あの人の元へ飛んで行っていたのかもしれない。



でも携帯の画面には確かに





――通話記録 38:15





と表示している。





しばらくすると、この引き戻された部屋にも慣れてきた。時計は1:02を指し、ビールはしっとりと汗をかいていた。





そういえば、電話の後に飲もうとしていたんだっけ。そして同時に、くしゃみの件を思い出した。





「……事務所に持っていこうかな」





ちょっとした悪戯心を抱えて。





私はビールを冷蔵庫に戻して、温くなったグラスで水を一杯飲んだ。



おわり



22:30│高垣楓 
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