2015年04月02日

モバP「聖夜にて、飛鳥と」


「さて、と……」





一般的な社会人の職務時間は朝の8時半頃から夕方の5時までで、それはアイドルのプロデューサーという多少珍しい仕事に付いている俺にとっても同様だ。





とはいえ、定時に仕事を終えることは殆どなく、就業のチャイムがなってからが本番、というのも、一般的な社会人と共通している訳で。



そういう訳で今日も今日とて、俺は残業という名の延長戦へと突入していた。







……ただ一ついつもと違うことがあるとするならば、それは俺の背後から感じる気配だろう。



未だ目の前に立ち塞がる書類の山脈から一旦目を離して、愛用している回転イスをぐるりと反時計周りに180度回転させたその先に見えたのは、俺の担当アイドルの姿だった。



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彼女――二宮飛鳥は、もう夜の8時に差し掛かろうとしているというのに、事務所に備え付けられているソファーに座り、いや、自分の荷物に寄りかかって半分寝ころんだような行儀の悪い体勢で、お気に入りの週刊誌を読んでいた。



その顔は、言ってしまえばあまり面白そうな表情では無くて、その様子から推測するに、飛鳥はすでにその雑誌を何周も読んでいるのだろう。



何故なら、半刻程前に俺が彼女に意識を向けたその時にも、彼女は今と変わらない体勢で同じ雑誌を読んでいたからだ。



そうしてつまらなさげに雑誌を読んでいた――というか、目を通していた――彼女だったが、ふと自身を見つめる視線に気付いたのだろう、視線をこちらへと向けると、小さく口を開いて、





「ねえ、プロデューサー。仕事はまだ終わらないのかな」





と、眠りを邪魔された猫の鳴き声のような声色でそう言った。





「見ろ、この書類の山を。お前の相手をしたいのもやまやまだが、俺は先にこいつの相手をしなきゃならないんだ」



「1時間前もまったく同じセリフを吐いていたよね、キミ。……同情はするけど、待たされるボクの気持ちにもなってよ」



「あいにく、まったく仕事が進まなくてなあ。……ったく、先週のライブの反省点とかそんなの分かるかよ。俺の飛鳥には反省点なんて無いだろうに。なあ?」



「そこでボクに振られても困るよ……。ていうか、ボクは確かにキミの担当アイドルだけど、キミのモノではないからね」



「そんなん、だいたい一緒だろう」



「だいたい、ね。でもディテールの部分にこそ、真実は宿る物だよ。あいにく、ボクは誰のモノでもないのさ。如何にキミといえど、ボクを縛る鎖にはなり得ないんだからね」



「はいはい。分かった分かった」



「ぐう……」



飛鳥は俺を恨めし気な眼差しで睨んでいるが、その表情もまた刺激的で可愛いなあ、なんてことを思っていたら、彼女は忽然と表情のパターンを変えて、びくりと身体を震わせた。





「あれ、飛鳥は俺の気持ちが読めるのか」



「声に出てたよっ! まったく、キミの心のドアにはメンテが必要なようだね……」





そう言って彼女は頬を赤らめつつ、ストールを口元まで上げて自らの表情を隠していたが(どっこい、全く隠れてはいないけれど)、このままではいつまでたっても帰れないという事実に気付いたのだろう、話題を俺の仕事へと戻した。





「さっき君が言ってたライブの反省点だけどさ、例えば『ダンスに気を取られ過ぎてて歌声がぶれていた』とかはどうかな」



「さすが飛鳥だな! やっぱり俺のアイドルは客観的に自己を評価できているな」



「いや、この前キミにライブ後に指摘されたことなんだけど……」





あとボクはキミのモノじゃない、と彼女は小声でそう付け足した。



兎に角、飛鳥の指摘を元にして2,000字程度の反省レポートを書き終えた俺は、颯爽と帰り支度を済ませると、ソファーでつまらなそうにスマホを弄っていた飛鳥に声を書けた。





「よし飛鳥、帰るぞ!」



「そんなに叫ばなくても聞こえるよ。ていうか、ボクの予想だともう少し時間がかかる計算だったんだけど……」



「冷静に考えてみたら、あのレポート以外の書類の〆切にはまだ猶予があったのさ」



「キミは夏休みの宿題を最後の日まで大事に取っておくタイプの人間なんだね……。なんにせよ、ボクにとっては早く一緒に帰れてうれしいけどさ」



「そこなんだけどさ……なんで今日に限って、飛鳥は俺の帰りを待っていたんだ?」



「……はあ?」





飛鳥は珍妙なモノを見る目つきで暫く俺を眺めていたが、やがて「仕方ないなあ」と一言つぶやくと、呆れたように説明を始めた。



「つまりだね、ええと……」





彼女の説明は正鵠を得ているようでそうではない長々とした話だったが、簡単にまとめると、今日がクリスマスイヴだからという訳だ。





クリスマスイヴ!



俺は完全に失念していた。つまりはここ数日どうも事務所のアイドルたちが浮き足立っていたのも、今日に限って妙にアベックが街中に蔓延しているのも、全てはクリスマスイヴという事象に帰結していたという訳か!





……いや、白状しよう。正直に言ってしまえば、俺はクリスマスの存在を薄々意識してはいた。



それでもこの瞬間、飛鳥に言われるまでクリスマスの事が頭から遠ざかっていたのは、俺の人生においてクリスマスというイベントが未だかつて無縁だったからに他ならない。



言ってしまえばあれはリア充の行事であって、生まれながらのソロ充の俺にとって、クリスマスとは単に街がいつもより騒がしいだけの一日に過ぎなかったのである。





「そうかあ、言われてみれば今日はクリスマスイヴだったな。……あ! もしかしてプレゼントとか期待してた……?」





恐る恐る尋ねた俺だったが、飛鳥は全く不満げではなくて。





「そもそもボクはキリスト教徒でもなんでもないしね。元はといえばクリスマスというイベント自体、ボクにとっては価値あるモノじゃないのさ」





ふふ、と小さく笑いながら彼女はそう話す。





「じゃあ、なんで」



「……今日はセカイがいつもより眩しいから。こんな中を一人で帰ったら、ボクは失明しちゃうよ」





そう話す彼女がとても寂しげに見えたから、





「……そうだな。じゃ、一緒に帰るか」





俺は、飛鳥が帰路に就くまで、彼女をセカイから守ってやろうと決意したのだった。











びゅう、と吹く一陣の風が、俺達の体温を僅かに奪う。



飛鳥は一見厚着をしていて暖かそうに見えるけれど、実は下半身の守備力はGG佐藤で、とても寒そうである。

具体的に言うと、絶対領域のあたりが絶対零度《アブソリュートゼロ》になっている。



現に時折、歩きながら時折内股をこすり合わせていて、その様子はなかなかに痛々しい。

……いや、彼女が痛々しいのはいつものことだけど、そういう意味ではなく。



「飛鳥、大丈夫? 俺のマフラー太ももに巻く?」



「どさくさにまぎれて何変態発言してるのかなキミは……」



「お前の身体も俺の財布も温まるし、ウィンウィンじゃね?」



「――売り捌くのっ!?」



「……まあ冗談は置いといてさ、お前と一緒に帰っておきながら風邪を引かせることになったら、プロデューサーとして失格だろう」



「――大丈夫だよ。オシャレは我慢、っていうだろう? それにボクはいつもこんな恰好だし、寒さとは結構仲がいいんだ」



「ダブルミーニングとか誰が上手くいえと……」





そうは言うものの、飛鳥はこう見えてシャイな性格で、自分の弱さをさらけ出すことに抵抗がある人物である。

恐らく今この瞬間も、彼女は肌を刺す寒さに苦しめられてるのだろう。



ふと、俺の前に現れたのは自動販売機だった。

俺は飛鳥を一旦おいて、早足で自販機にかけよると、「あったか〜い」などと腑抜けた事をのたまっている一列から商品を2つ選び、購入する。





「ほら、飛鳥」





そうして俺は、2本の缶コーヒー――微糖と無糖――を彼女に差し出す。



彼女は不思議そうに2本の缶コーヒーを交互に見やると、やがて俺と目を合わせて、その瞳をぱちくりさせた。





「これを、どうすれば?」



「太腿に当てるんだ!」





彼女は暫くの間、絶対零度《アブソリュートゼロ》の視線を俺に向けていたが、やがて観念したように「……はぁ」と小さくため息をつくと、トートバックを俺に預け、代わりに2本の缶コーヒーを取ったのだった。











2本の缶コーヒーをあらゆる角度から太ももに当てている少女がいた。



彼女は太ももに下半身に手を伸ばしながら、気持ちよさそうに「くぅうう」とか「ふぅん……」とか、喘ぎ声のような鳴き声のようなうめきを挙げていた。





――無論、その少女が俺の担当アイドルである二宮飛鳥であることは言うまでもない。





(これは、なかなか……)





我ながら、ファインプレイである。流石は一部の同僚から『変態』という直球かつ輝かしい称号を与えられている身だ。



彼女の身体を温めながら、自らの心を温める。ウィンウィンの関係である。ゲーム理論的に言っても最適解であろう。



「ねえP、何ぼさっとしてるのさ。そろそろ駅に着くよ」



「お、おう」





ブンブンと頭を振って現実世界に戻ってきた俺。



見れば、数メートル向こう側に、地下鉄の駅へと繋がる地下通路の入口がある。



「ここまででいいのか?」



「うん。ボクの家は地下鉄の駅を降りてすぐだから。それにプロデューサーは別の路線だろう? ここまでで十分さ」



「明日も朝早いしな。じゃあ、今日はここでお別れだ。……あと、家帰ったらすぐに風呂入るんだぞ?」



「分かっているよ、全く……。じゃあプロデューサー、また明日、ね」



そう言って彼女は預けていたトートバッグを俺から受け取り、地下通路へと歩いて行く。……そして俺から5メートル程離れた地点で、再びこちらに振り向いた。





「メリークリスマス!」





彼女は嬉しげな様子で祝いの言葉を口にすると、俺に向かって何かを放り投げた。俺は慌ててその物体を手で掴む。





「今度こそじゃあね、プロデューサー」





そうして彼女は地下へと消えていった。





「……メリークリスマス」





相手もいないのに小さくそう呟くと、心なしか普段よりも軽やかな足取りでその場を後にした。

クリスマスもたまにはいいかもな、なんて、そんなことを思いながら。



――飛鳥からもらった無糖の缶コーヒーは、彼女の太ももに熱を奪われていて、すでに人肌の温度に変わっていた。





fin



22:30│二宮飛鳥 
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