2015年06月09日

志希「今日はシューコちゃんのニオイで過ごす」周子「えっ」


●01



初夏の気配が漂ってくる朝。

予定よりだいぶ早い時間に目が覚めてしまったあたしが、



そのまま事務所へ早出すると、控室で見知った顔と出くわした。







「あ、志希ちゃんおはよー」

「おー♪ シューコちゃんじゃないかー!」



長くきままな癖っ毛を揺らしていたのは、

今度いっしょにユニットの仕事をするようになった志希ちゃん。



「珍しいね。夜型のあたしたちが、こんな早い時間に事務所でばったりって」

「えー、今日は雨が降っちゃう? 勘弁して欲しいねー♪」



志希ちゃんはそう言って、片手を丸く握って顔を洗う真似をした。

アンタは猫か。







「さーて、朝一で顔を合わせたのがシューコちゃんってことは、

 これはもうアレだね、行くしかないね、そーれシューコちゃんの懐にダーイブ♪」

「ちょ、志希ちゃんアンタいきなり何しとんの!?」



志希ちゃんはあたしににじり寄って、いきなりスーハースーハーやりだした。

いくらあたしでもぎょっとする。そろそろ汗の気になる頃だってのに……。







「こらー! いきなりうら若き乙女のニオイを嗅ぐんじゃなーい!」

「やーん♪ 引き剥がさないでー、はんなりスメルをハスハスさせてよー!」



初めて擦り寄られてハスハスされたときは、びっくりして為すがままにされちゃったけど、

もうそんな油断はしない。腕を構えて志希ちゃんの接近をブロックする。



「はんなりがいいなら、紗枝はんにしときーや。あちらさんのが色々と純粋だから」

「今日最初に会ったのはシューコちゃんでしょ。これはもう、鼻の導きだよ!」



いや、あたしたちこれからしばらくユニット組むんだから、

同じ時間に鉢合わせしてもおかしくないでしょうが。







……と思ったが、一つ疑問が湧く。







●02



「そういえば志希ちゃん、あたしとの仕事の前に何か予定あるん?

 だいぶお早いお着きのようで……まだ時間あったよね」

「昨日の夜からねー、シューコちゃんとおシゴト! って思ってて、楽しみで目が冴えちゃったんだよー。

 遠足前の小学生ってこーゆー気分だったのかな? だからーほらー、ハスハスー!」



志希ちゃんの屈託ない笑顔に、あたしは一瞬虚を衝かれる。



仕事が楽しみで目が冴える、か。

そういえば、志希ちゃんがこの事務所に入ったときの話を聞いたことあるけど、

スカウトされる前に自分からプロデューサーへ声をかけたって話だった。



家を勘当されて成り行きでアイドルになったあたしからすると、ちょっと眩しいかな。







……まぁ、それはそれとして。



「調子の良いこと言って。あたしたちのユニットのメンバー、フレちゃんもいるでしょうが」



あたしたちが組むユニットは、あたし・志希ちゃん・フレちゃんの三人。

テンプテーション・アイズとレイジー・レイジーの組み合わせになるけど……。

正直他の二人のおかげで、どんな方向性になるかあたしには想像もつかない。



誰が考えついたか知らないけど、なかなか勇気があるわなー。







「でもでもー、こーやって二人だけでばったり会ったってコトは、ナニか意味があると思うよ」

「へー、志希ちゃん科学者の割にロマンチストなこと言うね」

「科学者だから、だよ。何事も偶然では済まされないのが科学なんだ♪」



あたしが夢中になっちゃってるアイドル活動も、

最初は大した意味もないと思ってたプロデューサーさんとの出会いに始まった。



そう思うと、この早朝の奇遇な顔合わせも、なんだか無碍にできない気がしてくる。







「まぁ、いいよ。そんなに嗅ぎたいなら、シューコちゃんのニオイ、嗅いでもいいよ」

「やった♪」







「その代わり、これからあたし以外の子にハスハスしちゃダメだよ?」

「がーん……シューコちゃんそれはムリ、ムリだよぉ……」

「諦めるの早いわ! ま、知ってたけどー」



……奇遇っていっても、志希ちゃんがアイドルたちのニオイを嗅ぐのは平常運転だからねぇ。

これで志希ちゃんが頷いたら、これはいつもと違うぞ、って気がしたんだけどな。







●03



「なら、さ。今日一日だけでも」

「んんっ、どーゆーコト?」



あたしはハードルを下げてみることにした。



「今日一日、あたしのニオイだけで過ごせるなら、今ハスハスしてもいいよ」

「今日、一日……かぁ。うー、悩ましいぃいっ」



志希ちゃんは目を白黒させていた。

そんなにあたしのニオイが嗅ぎたいか、嗅ぎたくないのか。







「嗅ぐべきか、嗅がざるべきか、それが問題……」

「ずいぶん軽いハムレットだね」



……あたしって、そんな特徴的なニオイするのかな。







「あれか、これか、教えてキルケゴール先生……っ!」

「何か、またややこしいコト言い出したね志希ちゃん」



自分のニオイがちょっと気になってきた。

あとでフレちゃんに確認してみよう。







「うー、うー、今日は、これから会う人が――」

「…………」







なんだろ。

理屈はつけられないけど、今のあたし、ちょっとイラッと来てる。









●04



「……志希ちゃん」

「ふぇ?」

「いつまで迷ってるんじゃーい!」



悶々としてる志希ちゃんの顔に、あたしはチョップをかましてやった。



「だいたいね、志希ちゃんはもう既にあたしのニオイ嗅いでるでしょうが。

 煮え切らないコト言ってるんじゃないよ。もう今日は他のヒトのニオイ嗅いじゃダメ。ハイ決まり!」



あたしの宣告に、志希ちゃんは割と本気でうろたえていた。



「そんな殺生なっ……あたしが嗅いだって減るもんじゃないじゃん!」

「減った。あたしの羞恥心が減っちゃった。責任取りなさい」



プロデューサーでさえ翻弄する志希ちゃんが、こんな顔を見せてる。

ちょっと……いや、かなり新鮮な気分だ。







「いやー、シューコちゃんには参った。たまにはこーゆー日も、あるよね」



志希ちゃんはほどなく観念した。

観念したと思ったら、いきなりあたしに飛びついてくる。



「スーハースーハー……えへへ。今日一日、よろしく頼むよシューコちゃん♪」

「やーっ! 離しなさーい! 嗅ぎたい放題とは言ってないぞー!」







まったく、ちょっと油断すると志希ちゃんはこれだから……。

これから先が思いやられるわ。





●05



「ね、ねぇシューコちゃん……」

「ダメ」



ふらふらした志希ちゃんのつぶやきを、あたしは声ではたき落とす。



「だ、だって……あたしが珍しくニオイを嗅ぎに来ないから、プロデューサーが怪しんで……」

「他人のニオイなんて、嗅ぎに行かないのが普通でしょうが」



午前中、プロデューサーさんやトレーナーさんも揃ってるのに、

志希はずっと落ち着かなげに身体をゆさゆさしていた。

これはまずい。完全に仕事に身が入っていない。







「じ、事情を話しちゃおうかな……」

「やめてよ、そんなの話したら恥ずかしーやん。

 あたしが志希ちゃんへニオイ嗅がせたがってるヘンタイみたいじゃない」



かといって、前言を撤回するのは癪だ。



「これから一緒におシゴトするわけだし、お互い自分の言ったことは守らんと」



志希ちゃんは喉奥で唸りながら、あたしの腕にしがみついた。

朝一番に抱きつかれてしこたまニオイを嗅がれたせいか、

このぐらいのスキンシップをなんとも思わなくなっている。



あれ、あたし感覚が麻痺してる?







「あーっ、アタシの知らない間に、シューコちゃんとシキちゃんがイチャイチャしてるー!」



志希の様子がおかしいと、当然絡んでくるのがこの子、フレデリカ。

しかしこの煽り、小学生かいな。



「ごめんねフレちゃん、貴女と過ごした時は楽しかった……

 でもあたし、シューコちゃんから離れられないの……」

「よよよ……テンプテーション・アイズもレイジー・レイジーも、

 今やアタシの手からこぼれ落ちた思い出なのね……。

 あれ、この場合どっちがどっちを寝取ったコトになるのかな?」

「こらこら、変な噂になるようなコト言わないの」





●06



フレちゃんがあたしたちに近づいてくる。

あと二歩ぐらいで身体が触れ合う、という頃合いで、

志希ちゃんはあたしを盾にするようにしてフレちゃんから隠れる。



「あらら、シキちゃんどうしたー? フレちゃん怖くないよー♪」

「あ、いや。そーゆーわけじゃないんだけど、今日は、ね?」



志希ちゃんったら、何してるんだろ。



「ほーら、フレちゃんの花のようなスメルだよー」

「わわわっ、フレちゃーん……」



もしかして、あたしに義理立てしてフレちゃんのニオイを嗅がないようにしてるのか。



「も……もしかして、だけど、フレちゃんって……実は、クサイ?」

「そっそんなことないよ!? ねーシューコちゃん」

「だってー、今日に限ってアタシのこと露骨に避けるしー」



なんかあたしを挟んでフレちゃんと志希ちゃんが妙なやり取り始めてるし。

なんだこりゃ。



「そんなに心配なら、志希ちゃんの代わりにあたしがニオイチェックしようか?」







「シューコちゃんがそんなコトを言うなんて……も、もしかしてシューコちゃんとシキちゃん、

 アタマとかぶつけて中身入れ替わった?」

「そんなわけあるかいなっ」

「いやーん、シューコちゃんの貴重なツッコミいただきましたー♪」



まったく、今更ながらフレちゃんも曲者だわー。







「それにしても、アタシとシューコちゃんがテンプテーション・アイズで、

 アタシとシキちゃんがレイジー・レイジー……なら、

 シューコちゃんとシキちゃんにもユニット名が欲しいよね」



気を取り直したフレちゃんが、また何やらつぶやきだした。



「この間桜舞うハイカラロマンで一緒だったから……アンダー・チェリーブロッサムスとかどう?」

「えー、アンダーザデスクと丸かぶりだよー」



あたしは、大正ロマンについて文香さんから聞いた時に教えてもらった、

梶井基次郎の小説を思い出した。桜の木の下には――うわぁ、縁起でもない。





●07



「……フレちゃん、行っちゃったね。さびしくてつまんなーい、って」

「これは、後で事情を説明しないとね……」

「事情って」



事情って、何を……と口に出そうとして、あたしは言葉に詰まる。

ちょっとしたやりとりの流れで、意地を張り合ってるだけなのに。







「プロデューサーさんから、コーヒーに誘われた時も、今日は遠慮しとくって言ったよね。

 プロデューサーさん、心配してたよ。志希ちゃん、コーヒー党なんでしょ」

「まぁ、ね……夜作業のお供だし、ドリップの仕方にもこだわっちゃってるかな」



紅茶党・緑茶党の多いこの事務所で、志希ちゃんは少数派のコーヒー党だ。

それが、コーヒーブレイクをあっさり断った。

プロデューサーさんもいよいよ心配してきたが、志希ちゃんはしれっとした顔。



「千夏さんとあいさんが、良い豆用意してきたって言ってたのに……」

「……豆は逃げないよ」

「あたしだって逃げやしないって」

「だろうけど、さ」







志希ちゃんが腕を組んでくる。



距離が近いわ、って言おうとしたけど、引き離してもどうせまた寄ってくるだろうし……。



しかも、プロデューサーさんでさえ翻弄する志希ちゃんが、私にひっついて、

借りてきた猫のようにしおらしくする光景は、終わらせるのも惜しい気がする。



「あたし、前はおシゴト寸前まで失踪とかしてたじゃない?」

「そういう話は聞いてるよー。最近は収まったみたいだけど」



あたしとほとんど変わらない高さの目線で、志希ちゃんが見つめてくる。

下睫毛の長い猫目に、シリアスな色が映る。



「最近はねー、そーゆーの、ちょっと気にするようになったんだよー。

 自分の言葉に責任を持つってコトかな? もう、やりたい放題の新人じゃないしねー」

「殊勝なコト、言うのね」



プロデューサーさんの前では、相変わらず彼にじゃれついてるけど、

志希ちゃんにもアイドルとしてのプロ意識が根を張ってきたらしい。



志希ちゃんの真剣な表情を、あたしは――こんな間近で――初めて見た。

正直、どきりとした。あたしまでまじめな気分になっちゃう。





●08



「それにさ、シューコちゃん」



志希ちゃんの首筋と長い髪から、彼女のニオイが伝わる気がする。

さっき微かに感じたフレちゃんのニオイを花とするなら、

志希ちゃんのニオイは昔お家で使ってたシナモンをどことなくイメージさせる。



「こうして、ニオイを感じられるほど誰かと触れ合えるのって、何か安心しない?

 さっき、フレちゃんのニオイ嗅いでたでしょ♪ シューコちゃんは、どう思う?」

「人肌のぬくもりが欲しいってコト?」

「シューコちゃんにとっては、そっちなのかもね。

 要は、二人でぎゅっとして、どの感覚で何を強く感じられるかって話よ」







他の人とこんなに近い距離で話すのは、とても久しぶりな気がする。

あたしがフレちゃんみたいに欧米のスタイルが馴染んでたら、

あっちはスキンシップが日本より濃いから、少しは違ったんだろうか。



そういえば、志希ちゃんもアメリカ帰りだっけ。



「あたし、こんなに色白だけど、血行はいいんだよ。だから、平熱もそこそこあるんじゃない?

 献血して古い血を抜いてるから、代謝が良くなってるのかなー」

「へー、じゃあ、シューコちゃんの七難隠す御肌に触れてもいいの?」

「ダメー。調子に乗らないの。ニオイ嗅がせるだけでも気恥ずかしいのに」



冗談めかした台詞で、にやにやと笑い合う。

志希ちゃんったら、アイドルとしてピリっとしたところを見せたと思ったら、次の瞬間いたずら猫だ。

この調子じゃ、プロデューサーさんはまだまだ翻弄させられそうね。







「ところで、志希ちゃんってニオイにこだわりがあるよね。

 前から気になってたんだけど……志希ちゃんは、どんなニオイがするのかな?

 この距離だと、既に微かに感じるんだけど、少し懐かしいニオイがして、気になるんだよね」



「えー、この距離なら十分じゃ――えっ、近っ――シューコちゃん実は大胆なトコあったり?」

「あたしはアンタほど嗅覚が敏感じゃないの。もっと近くで嗅がせてもらわないと。

 いいでしょ。あたしが近くにいると安心するんだから。そーれ♪」

「わっ、白衣が乱れちゃ――」







「…………♪」







●09



「プロデューサー! やっぱりたいへんだよー!

 シューコちゃんとシキちゃんがアタマぶつけあって、中身入れ替わっちゃってるー!」

「そんなわけあるかー!」







後日あたしと志希ちゃんは、この日のことをフレちゃんに散々いじり倒された。

あれには参った。プロデューサーさんは言葉に困った顔をしてた。







「わー、シューコちゃんおはよー! おはよーのハスハスー♪」

「ちょっとは自重しーや、志希ちゃん」



ま、これも志希ちゃんの言った通り『偶然では済まされない』意味があるんでしょう。

それが既にここにあるのか、これから見つけていくのかは知らないけど。



どっちだっていいよね。



おわり



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