2015年07月29日

黒川千秋「私を信じて任せて、プロデューサー」

黒川千秋。黒く長い髪に冷たくも美しい目線。程よく扇情的な体。

かわいいアイドル。応援したくなるアイドル。元気なアイドル。多種多様なアイドルたちが世間で輝く中、彼女を一目見てこう思った。

彼女は誰よりも、美しいアイドルになれる。



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初めてのLIVEバトルで負けた日。勝者が飛び跳ねて喜ぶ姿を、彼女はいつもの凛とした表情を崩さずに眺めていた。

(ショックじゃないのか?)

「帰りましょう」

「あっああ」



なにか言葉を掛けるべきかと迷い、結局何も言えなかった事を後悔した。



「まだ、練習続けるのか」

「ええ」



一人レッスン場に戻り、鏡を見ながら何度もダンスを繰り返す。まとめた髪から雫が流れ落ちる。

体を動かして忘れたい? ミスした動きの修正?

汗に混じって彼女の目に光るものが見えた。

「飲み物買ってくるよ」

「……」

慰め、労をねぎらう言葉を考える。

(……)

黒川千秋はそれを望んでいるだろうか。彼女はなぜ練習を続けている。

(いや、多分慰めてほしいからじゃないよな)

 携帯を取り出す。宛先は今日戦った相手。そしてトレーナー。



「黒川」

「……なに?」

「一週間後に再戦だ。今日はもう安もう。その代わり、明日からトレーナーさんと地獄の特訓だ」

彼女は少し呆然とした後、一つ息をついてタオルを受け取り、気品をまとった笑顔で言った。

「望むところよ」

「これじゃ物足りないわ」

へとへとになりながらも、彼女は決して弱音は吐かなかった。

むしろトレーナーが疲れを察し、ストレッチ中心にすることもしばしば。

少しスケジュールを空けようとするものなら、

「任せて、これくらい余裕よ」

とこちらの気もはばからない。

宣材写真の撮影が予定より早く終われば、

「さぁ、レッスンしましょう」

自然、二人共家に帰る時間が遅くなった。

だが不思議と苦痛ではない。

ふと、こんなことを言われた。

「後は私とトレーナーさんで充分よ。あなたは先に帰って、体を休めていて」

「好きで残ってるんだ。邪魔じゃなければ見させてくれないか。頼むよ」

「……しょうがない人」

彼女は微笑み、しゃらんと黒髪をなびかせ、鏡を前に踊り歌う。

(……初めてだな。こっちに気使ったの)

「黒川」

「なに?」

「トレーナーさんと話してな。明日明後日はレッスンの時間を減らしてもらった」

「私に相談もなしに?」

彼女はこちらを見ずにタオルで髪を拭いている。

「わるい。ただ、黒川ならわかってくれると思ってさ」

彼女はタオルを下ろすと、少し射ぬくような視線をしてから、目線を逸らして言った。

「三日後のLIVEバトルに合わせ体調を万全に整えておく。けずったレッスンの時間は打ち合わせとイメージトレーニングに比重を置く」

「ああ、どうしても勝ってほしいからさ。ちょっと怒ってる?」

「まさか。プロデューサーとトレーナーさんが私のために相談して決めたことよ。プロとして、そして私を気遣ってくれた判断に感謝こそすれ怒ることなどないわ。けど」

「けど?」

「いえ、なんでもないわ」

あとで言ってくれたが、それを一瞬察せず怒りの感情を抱いてしまった自分が腹ただしかったらしい。

LIVE当日。先攻、前川みくは一週間前と勝るとも劣らないパフォーマンスでLIVEを終えた。

個人営業でこの安定度は驚異的ではある。

後攻の黒川千秋。舞台袖でマイクを両手で握り、ステージ中央を真っ直ぐに見つめる。

(一週間前の黒川千秋と比べれば間違いなく上のパフォーマンスができる。だけど、前川みくには……)

そんな思考をしてしまったからか、いつのまにかこちらに視線を移していた彼女に対し少したじろいでしまう。

(いかんいかん。プロデューサーが担当アイドルの勝利を疑ってどうする)

背筋をのばそうとした刹那、





「私を信じて任せて、プロデューサー」





優雅な微笑と流し目を最後に、彼女はステージに向かう。

ふわりと舞う優雅な乙女。万感と共に、聞く者へ語りかける圧倒的な歌唱。観客達は降り立った真珠に魅了され、瞬きを忘れる。

(俺もまだまだだ)

トップアイドルの原石の本気のパフォーマンスの凄さなど、ぺーぺーの新米プロデューサーが予測できるものではないのだ。

黒川千秋のLIVE初勝利と共に、そう学んだ。

祝勝会はささやかなものだった。

その場の思いつきで彼女を呼び止め、入ったのはチェーンの喫茶店。

彼女はコーヒーとショートケーキを前に、

「最初はこんなものね。徐々に豪華になっていくのかしら」

勝利の余韻からか、珍しい茶目っ気を披露してくれた。

「俺と千秋、二人次第だな」

「千秋」

彼女が素早くつぶやく。

「あ……いやだったか?」

「ふふ……いいえ。千秋……ふふ……」

コーヒーに口付ける彼女の心境の全てはわからない。いつかわかりたい。

「全力をつくすよ。今日のLIVEで確信した。千秋となら、これから」

と言った所で、彼女に手で制された。

彼女はコーヒーカップを置き、意思のこもった目でこちらを射抜く。

「アナタのおかげでアイドルのスタートラインに立つことは出来たわ。でもまだまだトップは遠いってこと、分かってる。だからこそ協力してほしいの。私、アナタとならトップになれるって思ってるわ」

そう真面目に言い切った後、彼女は慈愛ともとれる柔らかな微笑みをくれた。

想いは同じ。まばゆく光るステージへ。

この輝き始めた黒真珠を――。

孤高の歌姫。ライブが終わったあと、ファンの一人がそう彼女を称しているのを聞いた。

別にグループで活動できないわけじゃない。

それでも彼女の普段の冷静さとアイドル活動のストイックさが合わさって、孤高に見えてしまうのだろう。

なんとかプロデュースで、彼女の可能性を広げることができるだろうか。

「パジャマパーティー?」

「ああ、初めてのイベントだ」

数々の営業が実り、アイドルイベントへの参加が決まった事を報告すると珍しく喜色をあらわにした彼女。

しかし概要を話すと疑問の顔つきへと変わった。

「おおまかに言えば各自自分のパジャマを持ち寄ってのフリートークと、パジャマをモチーフにしたイベントユニットでのLIVEの二つ。共演者は……」

台本を渡すと疑問の顔つきは消え、プロの仕事人といった表情へと変わった。

(パジャマってがらじゃなさそうだしなあ。うまくハまってくれるといいが)

黒川千秋は、人付き合いがあまり得意ではないのだろう。

共に仕事をしているうちに、彼女の交友関係の少なさと初対面の人間への淡白さが見えてくる。

仕事に支障が出ているわけではないが、この業界は人とのつながりが何よりも力を持つ。打算的な意味合いを抜きにしても。

パジャマパーティー、アイドルのイベントとはいえリラックスしたムードでの交友は、これからアイドルを続けていく上で彼女にいい影響をもたらすのではないか。

そんな期待を抱いていた。……イベント主催者からすれば、一人交友が淡白な人を入れればバラエティに富むと思ったのだろうが。



リハーサル、遠目にだが共演するアイドルたちと談笑する彼女が見えた。

(営業であまり練習を見られなかったが、いらない心配だったかな)

しばらくしてトーク時の衣装合わせに移る。ライブ衣装は事前に確認していたが、プライベートの彼女のパジャマ姿など知る由もない。

期待からつい軽く足踏みをしてしまう。

そして、控室から出てきた彼女を見て固まってしまった。

「……」



「…なにかしら。どうせ私がこんなパジャマを着てるのが子どもっぽいとか言いたいんでしょう?  いいじゃない…私だってオフは年頃の女の子なんだから。アナタ、そんな顔しないでよ、もう…。」

いつもと変わらない凛とした表情だが、ちょっと怒っているのがわかる。すぐにフォローしなければ。

「あ、いや、わるい。そうじゃないんだ。普段とは本当にイメージが変わるな……すごく可愛」

「黒川千秋さーん。おねがいしまーす」



「言って来るわ」



そそくさと早歩きで去ってしまう。

(まずったか……? いや彼女を信じよう)

彼女は仕事に私情を持ち込むことはしない。

今は彼女のプロデューサーとしてどんと構え、彼女のガールズトークに期待するとしよう。

「今日はみんなでパジャマパーティー! いろんなお話しちゃおーっ!」



共演者の若林智香が元気よく挨拶して撮影が始まった。



「最近、お洋服がきつくなった気がします…」



「それって成長期じゃないのー?」



緒方智絵里、若林智香が女の子らしいいい雰囲気を作っていく。



これに彼女もうまく絡めれば……。

そしてついに黒川千秋が髪を軽くかき上げて笑顔で口を開いた。



「私はアイドルとしての成長期かしら」



(千秋……)



思わず頭を抱えたくなったがなんとか我慢する。らしいっちゃらしいが。



「んー成長ていうか十代よりお肌に気を使うかな?」



流れを止めなかった間中美里に心のなかで感謝する。彼女はフォローした気などないかもしれないが。



「そうよね、やっぱりアンチエイジングとか大事よね」ワカルワ



アンチエイジング……?

休憩時、彼女の第一声は意外だった。

「こういう時間、悪くないわね…」

「そうなのか? 今さら言うのも何だが、千秋はこういう雰囲気にちょっと苦手意識を持ってると思ってたよ」

「雰囲気そのものに苦手意識はないわ。ただ、自分のことを話すのは苦手なの」

確かにトークも「夜は喉の乾燥に気を付けているわ」とかプロとしての自分に終始していた。

まあこれは特に変えようとするところでもない、彼女らしさなのかもしれない。

「今日の共演者の方はどうだ? といっても一緒にライブの練習してるから知った仲だろうが。間中美里なんて同い年だろ?」

「ええ」

彼女は目をつむり、少し考えこむ。当人がいない所での会話、千秋が間中美里に好意的な感情しかなくても、俺が間中美里に対して誤解を招かないよう言葉を選んでいるのだろう。

「美里って変わってるけれど、悪い人ではないわ。優しいもの」

「そっか」

ただ彼女もちょっとはかりかねているらしい。天然っぽいしなああの人。



「あなたから見て私のトークはどうだったかしら」

「ん」

ここは率直な意見を言うべきだろう。彼女は下手なごまかしを嫌う。

「パジャマの女の子たちが寄り添えば、視聴者が期待するのはいわゆる甘酸っぱい恋話や、男がいるときには聞けない女の子特有の悩みなどだ。そういう意味では、千秋はもう少し意識した方がいいだろう」

「……そうね」

彼女は顎に手を当て思案にふける。本当に真面目だ。

「例えば、そうだな……異性にこんな甘い言葉をかけられてみたいとか、告白の理想のシチュエーションとか……どうだ、なにか思い浮かばないか?」

すると彼女はこちらを見、少し目を見開いて固まり、顔を背けた。

「甘い言葉とか、優しい空気とか、そういうの苦手なの。女の子同士だって喋れないんだから、アナタに言える訳ないじゃない…」

最後の言葉はか細くてうまく聞き取れなかった。

(一体何を想像したんだ?……耳が少し赤いような……)

トークは滞り無く終わった。結局アドバイスの成果は見られなかったが、主催者に求められたタスクはこなせたろう。

(急に新たな一面をっていうのは、プロデューサーのわがままかもしれないな)

舞台はライブへ移る。

以前彼女は

「歌についてだったら、負ける気がしないわ。いえ、負けたくない」

と豪語していた。きっとその想いは今も変わっていないだろう。

しかし今回はユニットでのライブ。勝ち負けではなく調和が求められる。

(今回は合同練習を多く組んでたし、そこまで心配はいらないと思うが……)

そうこうしてるうちにライブ衣装に着替えた彼女がでてきた。



「肌を出す衣装…誰の趣味かしら」



彼女の衣装はパジャマとネグリジェを足して2で割ったような様相だ。

全体の可愛さはもちろん、外衣が透けて見えるへそと太ももが妙にエロチッ……げふんげふん。



「似合ってるぞ。今の言葉ほど不満そうには見えないが」



「私だってかわいいものは嫌いじゃないのよ、プロデューサーさん」



珍しく彼女はそわそわしてた。緊張など歯牙にもかけない彼女が珍しい。

(一人や少人数でやってきたライブとは違う。みんなとちゃんと合わせることができるかどうか、かな)

LIVEまでもう時間はあまりない。千秋以外のメンバーが舞台袖に集まり始めていた。

「少しだけ、話をしましょうか。プロデューサーさん、何か話して?」



月並みだが、今は心から言える。



「千秋。今回のライブは時間を掛けて皆で練習してきたライブの集大成だ。俺は本当に楽しみだよ」

「まるでファンの一人のような発言ね。あなたはプロデューサーなのよ」

「プロデューサーであり、千秋のファン一号だよ俺は。練習は絶対に裏切らない。あとは自分を、共に歩く仲間を信じることができるかどうかじゃないか」

ここまで言えば、千秋はわかる。



「あなたは私を信じてるのね」



「ああ。信じて任せてる」



千秋は一度うつむき、顔を上げた。凛として晴れやかだった。

「プロデューサーさんって不思議ね。ずっと昔から私を知っていたみたい。アナタになら、私の事を分かってもらえそうな気がするわ」



「期待しててよ」

その言葉に彼女は答えず、にこりと笑ってユニットメンバーの元へと駆けていく。



千秋は不安そうに震えていた緒方智絵里の手を取り、優しく微笑んで言葉をかけていた。

間中美里がにこにしながら千秋の頬をつついている。

ライブ開始直前、ユニットメンバー全員が手をつなぎあう。

孤高の歌姫は、今日はおやすみだった。

「お疲れ様。はい紅茶」

「ありがとう」

控室から少し離れたソファーに彼女は一人でいた。ライブを一人反芻していたのだろう。

彼女はペットボトルを空け少し口をつけようとして止まり、しばし虚空を眺めていた。

「……楽しかったか?」

「ええ。見ていたあなたはどうだったかしら」

「楽しかったよ。最高だった。……こうゆうのも悪くないだろう?」

彼女は背中をソファーに預け、天井を見る。

「独りでもトップは目指せるけど、誰かと一緒も悪くはないわ。相乗効果ってものかしら。それが気心の知れたメンバーなら尚更よね」

清々しいほど綺麗な笑顔だった。そんな笑顔になった要因は……

(俺、じゃないよなあ)

今彼女の心は、今回できたアイドルたちとの温かい繋がりを感じているのだろう。それ自体は凄く喜ばしいことだ。

(くっ)

「……ん?」

「……」

彼女がきょとんとした顔でこちらを見ていた。

……醜くも嫉妬していた顔を見られてしまったようだ。

「ぷっ……ふふ」

「おっおい、千秋?」

しかも、委細悟られてしまったらしい。

「もちろん、アナタと組んでこそ発揮できる力もある。わかってるわ」

(うわあ嬉しい。俺情けねえ)

なんとか誤魔化さなければ。クールな千秋にはクールなプロデューサーがいなければ。

「えっと……。そう言えばここまでリラックスしてる千秋は久しぶりかもな」

これは本心だ。彼女は練習が終わった後でも大抵表情を崩さない。

けど今回、また一つ皮が向けたらしい。

彼女はまったく余裕だった。

「少し肩肘張りすぎてた、かな。今は自然体だわ。貴方の前でもね」

言いながら千秋は自分の膝に肘をつき、顎を手で支え指を唇で軽く咥えて妖艶に微笑む。 黒川千秋の自然体は、すごい。



黒川千秋はプロフェッショナルだ。



アイドルという仕事に真摯に向き合い、妥協せず自分を高めるための思考と行動をやめない。

ときおりその姿が他者に厳しい印象を持たせてしまうこともあるが、一度彼女のステージを見れば些細なことだと多くの人が思うだろう。

ストイックなクールビューティ。



しかし、それが黒川千秋の全てだろうか。

「プロデューサーさんじゃない、偶然ね」



(なっ)



まるで花が開いたような笑顔だった。



「……偶然だな。千秋」

(仕事中には今みたいな顔絶対見せないな。びっくりした)

事務所に帰る途中、偶然にも同じく事務所へ向かう千秋に会った。

「今営業の帰りなんだ。千秋は?」

「私は大学の帰りよ」

こちらが歩を止めると。千秋は少し足早になってこちらに並ぶ。

「一緒に良いかしら? 歩きましょ?」」

「ああ」

二人並び事務所へと歩き出す。

言葉が出なかった。というのも、黒川千秋が纏う空気にどぎまぎしていた。

なにか良いことがあったのだろう。彼女は今心うきうきというか、動作一つ一つに軽やかさを感じる。

服装もいつもよりは明るめの様相だ。

そんな彼女にこちらも体温が微量上昇したのか、会話初めもどこかぎこちのないものになる。

「大学通いながらの仕事、大変じゃないか」

「アイドルと学業の両立、両親との約束なのよ」

彼女の家柄が良いということは、普段の振る舞いから容易に想像できた。

いいご両親なのだろう。黒川千秋は日々の努力が素晴らしい結果には不可欠ということを、スカウトされた直後から知っている。

「そうか、プライベートの時間もとれてるか?」

「心配無用よ。そう、今日行きたかったクラシックのチケットが取れたの」

「スケジュール空けといてほしいって言ってたあの日のか。無事取れたんだな」

「ええ。礼を言うわ。この借りは必ず」

「いいよいいよ。千秋の楽しみ事に貢献できれば俺も嬉しい。クラシック音楽もアイドル活動に還元できるだろうしな」

(……まずった。プライベートの趣味に仕事を直結させるべきじゃない)

しかし無駄な後悔だったらしい。

「ならプロデューサーさん、今度クラシック鑑賞会に誘うわ。刺激になるわよ」

喜色満面といった顔でこちらを見上げる。

断れるはずがない。

「ああ、しかし一つ謎がとけた」

「謎?」

程なく事務所につく。

「やけに今日は嬉しそうだったからさ。クラシック鑑賞会、本当に好きなんだな」

事務所のドアを開け、千秋を中へ促す。

「……それは半分正解ね。」

「半分?」

千秋は先に進むと、振り向き黒髪をなびかせながら、自分で立てた人差し指に口をつけながら続けた。

「秘密♪」

日々は続く。

黒川千秋のアイドル活動は順調だった。

LIVEバトルで勝利を重ねるにつれ、柔らかい表情と彼女の心を許せる仲間が増えていく。

「誰にも負けないステージをプロデューサーさんに見せられたかしら」

ライブを終えて、少し息が荒いままに開口一番そう言ってくれる。

「昇りつめても、更に先がある。だからアイドルってやめられないわ」

いつからか習慣になった喫茶店での打ち上げでも、活力にあふれた言葉が続く。

「最近はクラシック以外も聞いてるの。なにかおすすめはないかしら」

あるアイドルの言葉を借りれば、キラキラしているとは正にこのことだろう。

「お嬢様扱いなんてしなくてイイわ。新たなステージを目指しましょう」

彼女をもっと輝かせたい。彼女をもっと高みへ。黒川千秋にふさわしいステージをもっともっと……。



「千秋。次のステージの打ち合わせだが」

「千秋。これが終わったらすぐに雑誌のインタビューだ」

「千秋。ここのダンスはもうすこし……」



「……」









「褒めてくれたって…いいえっ」

定例ライブのトリを務めた翌日の事だった。

(なにが足りない)

黒川千秋の人気は、安定している。

……安定していた。

(千秋の美貌、歌唱力、申し分ない。ダンスだって良くなってきてる。なのにどうして、数字が伸び悩んでんだ)

彼女は素晴らしい女性。その現実に盲目になっていたのだろうか。

一報はトレーナーさんから電話で知らされた。

「はい、え……千秋が?」

体調不良だった。大事を取って帰宅させたいとの連絡だ。

「……ええ。連絡ありがとうございます。彼女にはゆっくり休むように……」

スケジュールを見なおさなければ。そう思って開いたスケジュールを見て、愕然とした。

(あっ……千秋、まとまった休み、全然取れてな……)

優先すべきことは決まっていた。彼女の携帯へかける。

『大げさよ。少し調子が悪かっただけ。体調管理を怠った私の落ち度よ』

「そう言わないでくれ。スケジュールを確認したんだ。ここ何ヶ月か、千秋は仕事に出ずっぱりだった。学業との両立もあるのに。こんなに慌てて仕事をこなさなくても千秋は上にいける。俺の落ち度だ」

『……プロ失格ね。お互いに』

「違う、千秋はわるくない」

『聞いて。プロデューサーさんと一緒だから、アイドルの楽しさにも気づけた。その反面、私は自分の体の疲れに気づけなかったわ。だから、お互いの落ち度ということね』

「千秋……」

『プロデューサーさんも私も、アイドルの仕事に魅せられているのね。私、今とてもアイドル活動が楽しいわ」

ガチャリと事務所の扉が開いた。

そこには携帯をかばんにしまっている彼女がいる。

「千秋、真っ直ぐ帰らないとっ」

「それよりも大切なことがあると判断したからよ。アナタはきっと、責任を感じてしまうから」

彼女はゆっくりと近づいてくる。冷たくも美しい瞳をしながら。

「私はあなたにプロデュースされるのが好きよ。あなたが私のためにとってきた仕事ひとつひとつにやりがいを感じてる」

彼女の声は、少し震えていた。

「だけど、そうね。最近は少し不安が消えなかったわ。私はうまくできているのか、あなたのプロデュースに答えられないアイドルになってしまっていないか」

「焦燥と不安が消えてくれない……なのに、アナタ以外のプロデュースなんて、考えられない。私って結構頭の硬い女みたい。お願い、信じてっ。私は、アナタの期待に答えられる」

彼女はつばを飲み込み、激情を内に秘めながら訴えた。

「私はプロデューサーさんを選んだわ。だからアナタにも私を選んで欲しいの。私を誰よりも高めてくれるプロデューサーはアナタだから…」

(ああ……くそ。……俺はなんて奴だ)

彼女の誠心誠意の訴えに、最近の自分の行動と言動がフラッシュバックする。彼女は存分に訴えていたじゃないか。

「……千秋に選ばれて、俺は本当に幸せだ。……昨日のライブ最高だったよ、蝶が舞っているように美しかった」

彼女に手を伸ばす。

彼女はその手を両手でつつみ、宝物を抱くように、胸の間へと抱き寄せた。

数日後。

「千秋、再来週の休みなんだけど……」

「なにかしら?」

体調の戻った彼女とともに営業先へと向かう車中、息を整えおもむろに助手席の彼女へ言葉を発する。

「クラシックの演奏会に、一緒に行かないか。興味が湧いてさ。千秋さえ良ければ」

「本当にっ? ぜひ行きましょう、ふふっ……」

車を駐車場に止め、施設のエントランスへと続く広く開けた階段を登る。

雲ひとつない青空だった。

色々なことがおこってセンチになったのだろう。こっ恥ずかしいことを言いそうになった。

「急に立ち止まってどうしたの?」

「いや、千秋ってさ……あいや、なんでもない」

「言って」

「いやでも」

「聞きたいわ」

先に上っていた彼女が笑顔で小首をかしげる。

(くそかわいいな)

「この雲ひとつない空の美しさに負けないくらいの、綺麗な羽を持ってるなって……なんてな」

彼女は階段を降りてくる。となりまでくると、指を絡めて肩を寄せた。



瞳が、煌めいている。



「私はプロデューサーさんにもらった羽根で、どこまでも羽ばたいて見せるわ。そして皆に私の歌声を届けるの…。ふふっ、さぁ一緒に行きましょう。私のプロデューサーは、アナタなんだから」





「……こんな時間にどなた?私、もう休む時間なのだけど…。用なら明日に……あら、プロデューサーさん?」

名門オーケストラ御用達のコンサートホールで行われる、黒川千秋初の単独ライブ。



リハーサルを終えてホテルに戻った夜半、彼女の部屋を訪ねるといつもと変わらない優雅な佇まいで迎えてくれた。



「……やあ、ちょっと明日の事について話したいだけど、いいかな」



「ええもちろんよ。入って」



摩天楼が立ち並んで光をこぼす夜景をバックに、彼女は胸元が空いたナイトウェアでソファーに足を組んで座った。



「部屋でくつろいでいたものだから、こんな格好でごめんなさいね。…どうしたの、目が泳いでいるわよ。ふふ」



「勘弁してくれ」



苦笑してごまかす。



「いよいよだな……プレッシャーは感じてないか?」



「不思議とリラックスしているの。そうね、どんなライブになるのか、期待の方が大きいわ」



「そうか……」



思うように会話が続かなかった。



(緊張してんのはこっちだな)



「軽く、何か飲まないか」



立ち上がり、ホテル備え付けの冷蔵庫へと向かう。後払いのワインが入っているはずだ。



「仕事の話をするのでは?まぁ…こういう空気も悪くはないけれど」



赤色のワインを注ぎ、グラスを合わせる。



「うん、なかなか……。しかし、本当に、なんていうか目のやり場にこまるな」



「いつもこんな姿で人前に出たりしないわ。でもプロデューサーさんにはプライベートな私を見せてあげる。貴方を信頼してるから…」



彼女は足を組み直し、自身の頬に手を添えながらこちらを見つめてくる。



(これで20歳とか……最高だな)



自然に、グラスが進む。

「……本当に、良い会場が取れたよ。千秋の単独ライブの最初は絶対ここがいいって思ってたから」



「私も驚いたわ。まさかよくクラッシクを聞きに行く名門会場で、アイドルとして自分が歌を歌うことになるなんて、ね」



千秋はグラスを軽く揺らし、ワインの軌道を眺める。頬が少し紅い。



「あなたのおかげよ。私のプロデューサーは、やっぱりあなただけ……」



「千秋の頑張りの成果さ。千秋の歌と努力が、ここまで連れてきてくれたんだ」



「歌と努力……ね」



「千秋って、昔から歌好きだったのか?」



「そうね……いつからだったかは、多分幼少の時にはもう好きだったと思うわ」



千秋は手で髪を軽く梳く。



「歌い始めて、努力して、試行錯誤して、やっと形になる。楽しいのはそこから。この歌を自分が気持ちの良いように歌うにはどうしたらいいのか



 楽譜通りとは違う。ここはもっと高く、ここはちょっと貯める、こっちにいく、そう、これがいい、自分が培ってきた感覚と欲求を歌にのせる、その果てで



 会場とファンたちと全てが同化して、楽しくていつまでも歌っていたくなるような、そんなライブ……」



千秋は目を閉じ、微笑む。



「私は人生で、今まで3回だけ体験したわ」



「3回?」



「初めて勝ったLIVEバトル、パジャマパーティーのライブ、定例ライブのトリを務めた時……



 全部アイドルになってから。もちろんいつものライブもとても有意義だわ。だけど、私はまたあの感覚を味わいたい」



「千秋はその味をしめてしまったんだな」



「その味を教えてくれたのはプロデューサーさんよ」



「俺が少しでも役に立てたなら嬉しいよ」



「少しなんてものじゃないわ」



「そうかな」



「そうよ」

彼女は少し、潤んだ瞳をこちらに向ける。



「だけど、歯がゆくて、悔しい時もあるの。どうしてうまくいかないのか。どうしてもっと練習したいのに体力が尽きてしまうのか。



 でも、そんな時目を閉じて思い出すの。今まで出会った人たちの顔、応援してくれるファンたちの顔、共に協力し、高め合うアイドルの仲間。



 そして最後は……」



黒川千秋以外の世界が、視界から消えていく。



「瞳の裏に浮かぶと、心に浮かぶ不安が消えていく。体に落ち着きと安らぎが戻る。全部、あなたがくれたものよ。



 そして、それでもダメなときに限って、あなたが私に手を……」



熱のこもった声、上気する体。二人の距離が狭まっていく。



「…………千秋……」



彼女の頬へ手を添える。千秋はなすがまま。



「……こんなに自分をさらけ出すなんて…考えられなかったわね。ふふ、少し飲み過ぎたかしら」



彼女を、抱きしめたい。抱き寄せて唇を吸い、全て繋がり合いたい。



思いは一緒。



(………好きだ……)



吸い込まれる。彼女へと……。



「あ……」

……………コツン



「……え?」



おでこを、合わせる。



「ライブ絶対に成功させよう。千秋の心が聞けて、ほんとうに嬉しかった」



距離を離す。



「今日はもう、お開きにしようか。いい時間だ」



「……そうね」



「片付けるよ」



ワインを冷蔵庫に収め、グラスを洗う。



「じゃあ、おやすみ、千秋」



「ええ、ねえ」



「?」



「ごめんなさい、どうかしてたわ。私はアイドル、あなたは、プロデューサー、なのに」



「千秋が謝ることなんてないじゃないか」



「いいえ、私、完全に自分の立場を忘れたわ。単独ライブが目前だというのに、駄目ね……」



彼女は俯いてしまった。



本当に、アイドル稼業に誠実で真面目だ。こっちだって暴発しそうだったというのに。



(これぐらいは……許してください)



応援してくれるファン、全ての仕事関係者に心のなかで詫びる。



今度は理性的に、確信犯的に彼女の頬へ手を添える。



彼女は少し目を見開き、次いで戸惑いと期待と情がこもった瞳と唇を向ける。



顔と顔の距離を狭める……

こつん。



「千秋をトップアイドルにする。その目標が叶ったら、やり終えたらその時、



 俺は千秋に……プロデューサーとしてじゃない、ありのままの告白をするよ」



「…………!!」



「……待っててくれるか?」



「……ええ。もちろんよ。その時は私もあなたに――」



おでこを合わせ、二人目を閉じる。今はこの暖かさで、充分だった。



単独ライブの会場、彼女は純白のドレスに身を包み、コンサートホールへと繋がる曲がり階段の前で待っていた。



この階段を降りれば歓声はすぐそこ。



「ふふっ、見とれているのかしら?」



「ああ。見とれてた」



そう言うと彼女は微笑みながら、ドレスの裾を軽く持ち上げ、たおやかに回る。



なびく黒髪とともにあらわれる、極上の微笑み、乙女の名は、



「プロデューサーさん、エスコートをお願いできる?トップアイドルまで…ね?」



黒川千秋、黒真珠。

黒川千秋

二十歳、誕生日 2月26日。魚座のB型。北海道出身。

レッドバラード、パジャマパーティー、気高きプライド、そして黒真珠。

今回メイドセレクションに選出された彼女は、これからのアイドル生活に何を思うのだろうか。

「ムッ…これから雑巾がけですが、何か? メイドに扮するなら、お芝居とはいえ妥協はしたくないわ。普段はしない雑用でもしっかりとこなさなくては。ホコリひとつ残さないよう、しっかりとね」



青いメイド服に身を包んだ黒川千秋は、忙しなく動いている。掃除用具を手にしててきぱきと動く姿は、まるで本職のメイドのよう。



役柄として入り込むプロ意識はもちろんのことだが、きりりとした表情の奥に楽しさを見出しているように見えるのは気のせいだろうか。



「アフターパンフレット用の取材…? プロデューサーのあなたが担当するの? そう、動きながらでいいの。わかったわ」



ファンたちへ給仕するアイドルたちから一歩離れ、次に来るファンのために空いたテーブルと汚れた床を綺麗に掃除していく。



クールさと一生懸命さが同居した彼女の一挙一動に、熱い視線を送るファンは少なくない。



彼女はそんな視線を知ってか知らずか、空になって残された食器をバックヤードへ運び、温水につけて一つ一つ丁寧に洗っていく。



「尽くすのは、新鮮な体験ね。低い視線だと、新しい世界が見えてくる…。いい勉強になるわ」



ピンと伸びた姿勢で、白く輝くようになった皿を見て微笑む。



彼女はイベント前に、



「衛藤さん、表の接待は任せるわ。私は裏方に興味があるから」



と言って自分から望んで掃除を受け持っていた。



経過は順調だった。家事一般の細かい成果に喜びを見出す姿には、歳相応の女性らしさがかいま見える。



「こんな服とは縁遠い環境の中で暮らしてきたわ。だからこういう衣装に身を包むと、つい無邪気な少女のようにはしゃいでしまうのかも……。束の間のメイド遊戯、楽しみましょう」



汚れたエプロンを変えながら言うと、足早に店内へと戻っていく。アイドルとは無縁にも思える仕事、ファンの目に止まっていない時でも、黒川千秋は新鮮さと楽しさを感じている。



「汚れ仕事もいとわない覚悟は、プ……ある人から学んだの。一つ一つが自分の成長と輝くステージにつながっている……。そう実感してからは、ふふ…自然に微笑んでしまうわ」



しかしいざ客の前に出ると、彼女はきりりとした表情を崩さず手際よくタスクをこなしていく。



神がかり的な反応で、配膳をサポートする場面も見受けらた。



そうした姿を見たファンからは感嘆の声が漏れるが、果たして同じ舞台に立つアイドルからはどう見えるだろうか。

佐城雪美に聞いてみた。



「千秋…。ううん…おねえさん……本当は…やさしい…。わかる…」



合同練習では、歌についてよく話しているのが見られた千秋と雪美。どんなことを話していた?



「音程の……取り方とか……。無理に伸ばさないで……歌い出しを合わせれば……綺麗に…聞こえる…。できるまで…一緒に…練習してくれる……」



衛藤美紗希は軽快に笑顔振りまきながら一言。



「あたしが給仕で、千秋ちゃんがお掃除。うん、女子力バッチリコンビ♪」



月宮雅は彼女のメイド姿とライブ衣装を見て。



「千秋ちゃん、細〜い。みやびぃも、あんな風に見えるといいなぁ」



黒川千秋のメイド振りは至って真面目で妥協を許さないプロフェッショナルな様子。



それでいて面倒見の良さと、新しい仕事を楽しむ余裕を持ち合わせている。



黒髪をなびかせ歩くたび凛とした晴れやかさが店内を色取る。







「プロデューサーさん、少し離れていてくれる? 貴方に見つめられると、地味な掃除係にしては気持ちが華やぎすぎてしまうから」









(これは載せられんな)



デスクの上でボイスレコーダーを止めて、軽く腕を伸ばしながら筋肉をほぐす。



今事務所は静かなもので、アイドルはほとんど出払い、雑誌を読み時間をつぶすアイドルや、ちひろさんがパソコンの画面を見ながらコーヒーを飲む姿が見える。



もう一度ボイスレコーダーを再生し、原稿にとりかかる。

メイドイベント前半が終わり、ライブステージの直前。



彼女たちは舞台裏で昭和初期のカフェにおける女給を元にした和服メイド衣装に身を包み、軽くステップを確認していた。



「足が弾むわ。…着崩れないのね」



佐城雪美と黒川千秋が向い合って動きを確認していた。



「雅に……ついてく………。スカート…握って……そう…だめ」



「ん……ソデを持って、こんな感じかしら」



スタッフから「まるで姉妹ですね」と声がかけられると、黒川千秋と佐城雪美は二人まんざらでもない顔をしていた。



「佐城さんと私、似ているわ。姉妹メイドを気取るのも悪くないわね」



黒川千秋が手を差し出すと、佐城雪美もゆっくりと手をのせて握り微笑む。



「それじゃああたしも雪美ちゃんのお姉ちゃんでーす☆、後で髪結ってあげる」



「みやびぃ〜もぉ、お姉ちゃんっぽく、見えるかなぁ〜」



驚いた二人をよそに、衛藤美紗希と月宮雅も手を重ねていく、



手を重ね合わせて自然に円陣を組んだ途端、ライブ開始のアナウンスが響く。



4人は顔を見合わせた後、軽く笑いあい、そして活力に満ちた顔へと変わる。



4人合わせて、掛け声を上げる。



そいてメイドたちはファンの待つ輝くステージへ……

(少し休憩するか……ん……?)



原稿を閉じると、視界の端に黒川千秋がソファーに座って雑誌を読んでいる姿が見えた。よく見ると佐城雪美が千秋の膝を枕にして眠っている。



「や、帰ってたのか。おかえり」



努めて小さく声をかけると千秋は雑誌を置き、笑顔で答えてくれた。



「ええ、ただいま。あなたは休憩?」



「ああ」



対面に座ろうとすると、千秋に首を振られ空いている隣へと手で誘われた。



少しちひろさんを気にしたが、特にこちらは見ていない。



「随分となつかれてるな。智絵里の時もそうだったけど、結構面倒見いいよな」



「そうかしら。あまりそういうこと、自分ではわからないけれど、あなたが言うのならそうなのでしょうね」



最近は共演した年少組の送迎を任せることも多くなっている。



「疲れたか」



「いいえ、まだまだ……と言いたいところだけど、少し休息は必要ね。私も仮眠しようかしら」



そういうと千秋は雪美の頭に手をおいたまま、こちらへ頭をかたむけて肩に乗せてくる。黒髪が流れるように滑り半身を覆う。



「おっおい…」



「大丈夫よ」



夜の黒く澄んだ窓に、千秋のいたずらっぽい微笑みが写る。



彼女はさらに体を寄せて、次第に体重をこちらにかけてくる。



「私の疲れをあなたが癒してくれれば、次の仕事もうまくこなせるわ。冗談のつもりはないわよ」



ささやきと吐息が首筋と頬に当たる。



「……少しだけな」



頭を撫でると、「んっ……」と声を漏らしてこちらへ頭をこすりつけてくる。

彼女がここまで甘えてくるのは、精神的な不安があるのだろう。



(総選挙……だもんな)



「いい結果、出るといいな」



そう言うと彼女は顔の向きを変え、唇をこちらの耳へ寄せる。



「言っておくけど中途半端な結果は望んでないわ。目指すのはただひとつの高みだけ」



「ああ」



その一言で満足したのか、千秋は瞳を閉じて力を抜いた。



つられて目をつぶる。今千秋と二人、頭に想い描く光景が同じだと確信する。



「シンデレラガール、黒川千秋。そう呼ばれる日を絶対に……」



「ええ。そこに立つときはプロデューサーさんも一緒よ」



黒真珠の輝きは続いていく……。





END



11:30│黒川千秋 
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