2016年02月18日

水本ゆかり「瞬くたびに変わるように」

水本ゆかりさんがねむったりねぼけたりするやつです。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1455255115





 駅に降りたら、しばらくしてホームに発車音が響きました。





 どこかから聞こえたソの音に合わせて少しハミングして、ごった返す階段を一歩一歩降ります。

 改札を出てすぐ春の匂いがして、暖かい風が後ろ髪を通り過ぎて行きました。



 桜前線は例年より早く東京にたどり着いたらしく、チラチラと花びらが落ちています。

 故郷よりひと月近く早く咲いた桜を見ると、不思議な気持ちになります。



 落ちてきた一つを目で追って、それが足元に落ちたのを見て、そのままため息を一つ。



 桜の花びらがひとひら、駅前にできた水たまりに沈んでいるのに気付きました。



 ふやけてしまった花びらは、その桜色を濃くしています。





 今日は宿題が出ていました。プロデューサーさんから。

 楽器をやっているからというだけで、作曲をかじってみようということになってしまって。



 といっても編曲だとかはプロに任せるという話なので、私は本当にメロディだけ考えればいいみたいです。

 でも、どれだけ口ずさんでも、どれだけフルートを吹いても、納得がいかない。



 楽しげな足音、忙しげな足音、駅前は本当に音に溢れていて、少しくらくらしました。



 今は、それよりも私の中に向き合いたい。自分の足音は、どんな音を立てているだろう。

 きっと、とても焦った音だろう。

 最近買った春色のパンプス。私の踵はカコカコとアレグロの靴音を鳴らしていたに違いありません。



 少し早足になって、私も人込みに紛れようとします。



 足音、話し声、大きなディスプレイに映る知らないアーティストの声に紛れて、私の焦りも搔き消えるかと思いました。

 たぶん、そんなことはないのだけれど。







 そんなとき、後ろからぱたぱたと聞き憶えのある足音がして、誰かに抱きつかれました。

 甘いショコラとハチミツと、あとは桜の匂いがして、やっぱり法子ちゃん。



「おはよっ、ゆかりちゃん! これからお仕事?」



「私は打ち合わせですね。プロデューサーと二人で。法子ちゃんは?」



「今日は、夕方からプロデューサーと二人でキャンペーンガールのお仕事に行くんだっ」



「ドーナツの?」



「ドーナツの!」



 これほど法子ちゃんにぴったりの仕事はなくって、彼女がぱたぱたと嬉しそうに足踏みしてる理由もわかります。







「今日は朝から楽しみで、さっきたくさんドーナツ食べちゃった!」



「ふふっ、そんなに食べたら、お仕事で食べられなくなっちゃいそうです」



「ドーナツは別腹だよ!」



 ほら! と掲げた法子ちゃんの右手には、ドーナツ屋さんの紙袋が下がっていました。



「これ、プロデューサーへのお土産なの! 一緒に食べるんだ」



「法子ちゃんにはたくさん別腹があるんですね……」



「ドーナツの数だけ別腹があるんだよー」



 大まじめな顔をして、法子ちゃんはそう言いました。すごいですよね。

 私も大まじめに感心していたら、法子ちゃんがちらちら腕時計を気にし始めました。



「もう、待ち合わせの時間?」



「うん、そうみたい……ゆかりちゃんも、今度ドーナツ食べに行こうね!」



「はい、絶対」



 そのまま大きく手を振って、法子ちゃんは駆け出していきました。







 ドーナツが大好きな法子ちゃんに、ドーナツの仕事。

 本当にぴったりなので、きっと上手くいくんだと思います。

 好きこそ物の上手なれ、という言葉の通りになるのでしょう。



 じゃあ、私にぴったりの仕事って、なんなのでしょうか。



 作曲だって私にぴったりだと思ってプロデューサーさんが選んでくれた仕事のはずです。



 私のプロデューサーさんは、いつだって私に一番似合うステージに立たせてくれるんです。

 出会ったときから、アイドルにスカウトされた瞬間から今まで、ずっと。



 でも今は、底の抜けたカップで水を掬っているみたい。音符が、私の中からするするとこぼれ落ちてしまっています。



 手帳を見ればプロデューサーさんと会うまであと二時間しかなくて、それまでになんとかしなければいけませんでした。



 少なくともワンコーラスくらいは、なんとかしないと。



「公園に行こうかな……」



 思わず口から漏れた言葉に私は一人頷きました。とにかく気分転換がしたかったのです。







 肩に下がる大きなトートバッグには、おあつらえ向きにブランケットと読みかけの詩集が入っています。



 事務所の近く、大きな噴水がある公園。そこでゆっくり深呼吸でもしてから、考えたほうがよさそうな気がしました。



 プロデューサーさんが私に選んでくれた、私にぴったりの仕事。期待を裏切りたくありません。



 偉大な作曲家たちも、こんなに悩んでいたのでしょうか?

 ニールセンに、バッハ、モーツァルト。どの楽譜も、作曲家の魂が音符に変わっているのがわかるから。



 私は天才ではないから、想像するほかない。



 ふぅと息を吐いて、公園に向かいます。これも新しい挑戦なんです。

 大きな噴水が、少しずつ見えてきました。

 



――――――――――





 公園のベンチに腰掛けて、大きな時計を眺めていました。

 長針も短針も、動きそうな素振りはひとつもありません。



 遠くのテニスコートで、跳ねるボールの音。



 噴水から噴き出す水はキラキラと日を反射して、触れたなら冷たそうに光っていました。



 手元には詩集。何時ぞや文香さんに戴いた栞には、小さく八分音符が描かれています。

 ページを開いたら文字がおたまじゃくしのように並んでいて、私は少し、目をこすりました。



 桜の木から漏れた日差しを浴びながら、ページをめくります。

 すずめがなくな、いいひだな、うっとり、うっとり。



 ふわりと風が吹いて、ページがばらばらと捲れてしまったけれど、それよりも、ねむいな。





 うっとり、上のまぶたが落ちかけていたころ、足元にサッカーボールが転がってきました。



 近くで男の子が小さく手を上げて、ボールを蹴って。そう言いました。



「ちょっと待ってね」



 私がボールを蹴れば、それは明後日の方向に飛んでいきました。

 こちらに向かって走り寄る男の子。怒ってるのかな。



「ごめんなさい。すぐに取りに行くから」



「いい、ボールはあとで取りにいくよ」



 思った以上に大人びた顔で、そう言います。



「それよりもお姉さんとお話がしたいや」



「そう? なら……どうぞ、隣に」





 ベンチの上を小さく払って、男の子はそこに座りました。



 小学生くらいのこの子は、どこかで見たことがあるような顔をして、少し笑っていました。



 大きな時計は短針を少しだけ進めてます。



「お姉さんは一人でなにしてたの?」



「私は、少し本を読んでいて」



 ほら、と詩集を手渡したら、パラパラとページを捲って、ふぅん、と興味なさげに突っ返されてしまいました。



「なんか悩みごと? 一人っきりなんて」



「いえ……ううん、そうです。少し悩んでたんです」



 こんな小さな子になにを言っているんだろう。

 そう思ってしまったけれど、それでも私の口からは言葉が止まりませんでした。

 宿題のこと、メロディが浮かばないこと。



 男の子はうん、うんと相づちを打ちながら聞いてくれて、心が少しずつ軽くなっていくような気がしました。





「ぼくにはあんまりわからなかったけど」



「そうですよね……私ったら」



「でも、悩んでるならちょっとついてきて。いいところがあるんだ」



 そう言って私の手をぎゅっと握って、男の子はベンチから立ち上がりました。



 私も一緒に立ち上がって、走り出した男の子のあとをついて行きます。



 噴水とは逆の方向、桜の木の間を縫うように私たちは走ります。こんなに大きな公園だったかしら。



 男の子はこっちを振り向くこともなくずんずん進んで、私の周りは桜色で染まっていきました。





「あっ、あの! どこに向かってるんですか!?」



「大丈夫、もう着くから! ほら!」



 そう言って彼が指さした先には苔生した小さな泉があって、散った花びらに縁取られたように、一枚の水彩画のように視界に飛び込んできました。



「ここが……?」



「うん、お気に入りの場所なんだ」



 泉には澄んだ水がこんこんと湧き出ていて、花びらがちらちら浮かんでいました。

 水の底は、たくさんのビー玉が光っています。



「こんな場所があったんだ……」



 都内には似合わない、まるっきり夢のような風景を見て、私はそう呟きました。





「いいところでしょ?」



「はい、絵本の中みたい……」



「水に触ってみなよ。冷たくて、いい気持ちだよ」



 言われるままに水に触れたら、指先に触れた瞬間に驚くくらい冷たくて、「きゃっ」と小さく悲鳴を上げました。



 それを見た男の子はけらけら笑って、それから彼も水に触れました。



「冷たい!」



 男の子はまたけらけら笑いました。



 私は頬を膨らませてむっとした顔を作ったけれど、それも面白かったみたいで弾けるように笑って。



 彼の笑い顔をみていたらなんだか私も可笑しくなってきて、二人で笑いました。





 ひとしきり桜の絨毯の上で笑ったら、男の子がぽつりぽつり話し始めました。



「ぼくにはお姉さんの悩みはわからないけどさぁ」



 私はその、染み込むようなトーンの声を聞いて、プロデューサーさんの顔を思い出しました。



「メロディだってなんだって、想いをそのまま形にしたらいいんじゃないかなぁ」



「でもメロディが、音符が私の手からこぼれ落ちちゃうんです」



「そんなことないんだよ。そこの水、底ごと掬ってみて?」



 私は冷たい水の中に手を入れて、底のビー玉ごと水を掬い上げます。



 さらさらとこぼれ落ちる水を見て悲しくなって、弱音を吐いてしまいそう。

 男の子の前なのに。私には作曲なんて。



「やっぱり……」



「違うよ。ちゃんと見て」







 手の中には、やっぱり水は残っていません。

 それでもきらきらのビー玉は残っていて、私は思わず男の子の方を見ました。



「ね、きれいでしょ」



 手の中で転がるビー玉は、透明に、それでもガラスの中に赤や、黄色を残して光っています。



「本当に、本当にきれい」



「想いって、そんなに簡単にどこかに行っちゃうものじゃないと思うんだ」



「メロディも、こんな風に掬うことができるのでしょうか?」



「できるよ。お姉さんはたくさんの想いを持ってるはずだから」







 そう言われて、今までのお仕事や、プロデューサーさんとのおしゃべり、ステージから見える景色が全部、ビー玉の中に見えた気がしました。



 そっか。そうなんだ。



 私ってこんなに、いっぱい持ってたんだ。



 ライブの直前、事務所で眠ってしまったことも。



 有香ちゃんと法子ちゃんと三人で、海でお仕事したことも。



 ウェディングドレスを着て、プロデューサーさんと一緒にチャペルを歩いたことも。



 プロデューサーさんと二人で食べたおうどんの味も、全部メロディになる、私の想いなんだ。





「どう? 少しは楽になったかな」



「はい、あなたのおかげで、いい感じです……!」



「ならよかったよ」



 男の子の声が、少し低く、少し上から聞こえた気がしました。



「もうすぐゆかりさんを迎えに来るはずだよ」



「どうして私の名前を……?」



 それに、「もうすぐ迎えに来る」って。



「肩を叩かれて、すぐに戻れる。迎えにくるよ。ゆかりさんもよく知ってる人が」



 よくわからないまま、いつの間にか私の身長を追い越した男の子に頭を撫でられました。

 よく知った、あの人の手でした。



 私はくすぐったくて目を閉じます。「ほら、もう迎えに来た」って、プロデューサーさんの声が聞こえました。



――――――――――





「……かりさん、ゆかりさん、起きて!」



「ふにゃ……?」



 肩をぽんぽん叩かれて、私は目を覚まします。

 なんだか可愛らしい声がした気がしました。



 慌てたプロデューサーさんの顔を見ても、私にはなにがなんだかわからない。



 夕焼けが時計を照らして、短針が大きく傾いているのが見えました。



 夕焼け……?



「あぁっ!」



「あぁっ、じゃないよゆかりさん。時間になっても来ないから探し回ったのに」





 予定より一時間は越えていて、手帳も確認していたのに、眠りこんでしまうなんて! 



 じんわり世界が滲んでいきます。



 申し訳なさだとか悲しさで、どうにかなっちゃいそう。



「すみません、プロデューサーさん……」



「ちょ、ちょっと、泣かないで! 頼むから。今日は別に僕と二人で打ち合わせってだけで、時間とか大丈夫だから!」



「でも、宿題が……」



「そんなの今はいいよ。とりあえずは涙拭こう」



 彼は懐からハンカチを取り出して、私の目元を拭います。



 ひぐ、と声が出たけど、プロデューサーさんは安心させるみたいに髪を撫でてくれます。





「落ちついて?」



 プロデューサーさんの手が、ゆっくり、何度も髪をとく。



 だんだんと私の声もおとなしくなってきて、たっぷり時間をかけて、ようやく嗚咽が止まりました。



「はい、もう大丈夫です……」



「ならよかった」



 ベンチの上を少し払って、プロデューサーさんはそこに座ります。



 さっきの男の子を思い出して、ようやく納得できました。



 あれは夢だったんだ。







「どうして公園にいたんだ?」



「メロディで、悩んでしまって……だから、気分転換にと思って」



「あぁ、なるほどなぁ……」



「でも、なんとかなると思います」



「悩み、解決したの」



「今の私、いい感じなんです」



「そっか。それは良かった」





 私は彼の手を握って、ベンチから立ち上がりました。



 プロデューサーさんも一緒になって立ち上がったら、その瞬間桜の花びらが一斉に舞い上がりました。



 腕時計。電燈の光。春色のパンプス。



 大きな桜の木。テニスコート。



 噴水の水しぶきに、乱反射した夕陽。



 全部が、今見える景色です。

 言葉にならない想いも、見える景色も全て含めて歌にする。



 私の喉からは高いソの音が響いて、これがメロディになるんだ。

 私を通り抜ける、春の風に乗せるように。





「プロデューサーさん、どうでしたか?」



「すごい、すごいな!」



 それを聞いて、興奮する彼を見て、私はゆっくり息を吐きました。

 数時間前のため息とは違って、安堵のため息。



「本当にこの仕事持ってきて良かった。やっぱりゆかりさんにはぴったりだったんだ」



「そんなに喜んで貰えると、私、嬉しすぎます……」



 面映くて照れ笑いをしてしまいます。

 照れ隠しに髪に乗った花びらを摘まんでいたら、プロデューサーさんが息を呑む音が聞こえました。







「……? どうかしましたか?」



「いや、今日のゆかりさんは泣いたり笑ったり、いろんな表情をするなぁって」



「そうでしょうか……」



「瞬きするたびに変わるような気がしたんだ」



「なら、ちゃんと見ていてくださいね、私のこと」



 ふふっ、と、きっと今日一番の表情で、私はプロデューサーさんに笑いました。



お わ り



21:30│水本ゆかり 
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