2016年02月24日

速水奏「ゆらゆら揺れて、夢のようで」

速水奏さんが渋谷凛さんの頭をなでなでするやつです。



・短編



・地の文





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 ねぇ、クロノスタシスって知ってる?

 凛がそう言ったから、私は手元でコンビニのレジ袋を少し揺らして、知らないと答えた。



 街灯にはバタバタと蛾やコガネムシが集っていて、私たちは大きく迂回することにした。

 女の子ですもの、虫は得意ではない。



 それでも街灯の光が揺れるのに合わせて、凛の髪が左右に揺れるのに見惚れた私がいた。

 磨いたグラファイトのように光る彼女のストレートヘアは、触れたらどんな感触なんだろう。



 私がロングだった頃はどんな風だったか、もう記憶が曖昧になっている。



 きっと凛ほど綺麗じゃなかったはずで、肩の上あたりで揺れた襟足が、今は気に入っている。







 あたりはとっくに真っ暗。



 最近は日も長くなってきたけれど、凛と待ち合わせるのはいつも日が落ちてからだった。

 今日もいつも通り、月が追いかけてくるのを知らんぷりして家に帰る。



 この前借りたB級映画は久々の当たりだったから、それの続編を私の右手はぶら下げていた。



「奏の家、そろそろだっけ」



「そろそろね」



 最近、凛は私の家にたまに泊まりに来るようになった。



 それは例えば大きなライブのあとであったり、遠くへのロケの直後であったりして、今回は後者だった。



「どうして奈緒や加蓮の家じゃないの?」



 そう何度か聞いたことはあるけれど、そういうとき決まって彼女はバツの悪い顔をして、カフェオレを飲んだ。

 だから私も、そのうち聞くのをやめた。





 左に曲がればもうすぐ、白い壁のマンションが見える。



 さして会話もない、いつも通りのコンビニからの帰り道。

 マンションに入ってもそれは変わらなくて、エレベーターの電灯がちらついていたことを軽い会話の種にしたくらいだった。



 玄関を開けたら、家主よりも先に彼女が靴を脱ぎ始めるのも、もう見慣れた光景だ。



 私は少し前から、一人暮らしをしていた。





―――――





 リビングについてすぐ、凛はすぐにソファ代わりのベッドに腰掛けた。

 私が飲み物の準備をしている間、彼女はのんびりとファッション誌のページをめくっている。



 マイペースに、なんなら小さくあくびをするのも見えて、どこか猫に似ていた。



 いつもの強い凛は、どこに行ったんだろう。

 ステージの上のダイヤモンドみたいな凛とギャップがあって、泊まりに来るたびにそれを不思議に思う。



「それで、今回のロケはどこに行ったの?」



「札幌だよ。向こうではようやく桜が咲き始めたんだって」







 私がインスタントのコーヒーにたっぷりミルクを入れたら、それを見て凛はちょっぴり饒舌になる。



 北海道ではまだまだスキーができることだとか。

 お土産として買ったチョコレートを少しだけ食べてしまったことだとか。



「奏も最近忙しそうだよね」



「凛ほどじゃないけれど、それなりにね」



「映画、見たよ。ラストシーンのドレス……すごく似合ってた。キラキラしてた」



「ふふっ、ありがと。嬉しいわ」



 実際プロデューサーとも監督とも、何度も打ち合わせて決めたドレスだ。

 似合ってくれないと困るくらい。



 黒いウェディングドレスなんて私らしいでしょ? 



 そう冗談めかして言ったら、「ピンクだとかよりはずっと奏らしい」と凛は笑った。





「それでも、夢は白いドレスだよね」



「まぁ、そうよね。女の子だもの」



「私もウェディングドレス着てみたい」



「凛は誰に見せるのかしら?」



「もう!」



 こんなふうに、凛が泊まりに来るときは必ず仕事の話から始めることにしている。



 というか、そこから始めないと凛が次第にむすっとしだす。

 初めて泊まりに来たときにそれを知って、それからは決まりごとになっていた。



 不機嫌な凛をからかうのもきっと楽しいけれど、それをするよりは今のような関係の方が楽な気がする。

 お互いの知らないことを話すのは楽しかったし、子どもっぽく笑う凛は珍しいから。







「凛はいつか、私と一緒にステージに立ちたいって思う?」



「……思わないかな」



「やっぱり」



 それで仕事の話は終わりになった。



 そのあと凛はずっとモード系のファッション誌を読んでいて、手持ち無沙汰の私はオーディオの再生ボタンを押した。



 お互い好き勝手していて、凛はたぶん、その時間が好きなんだろう。オーディオからはピアノの音が聞こえた。







「この曲誰の歌なの?」



「シガーロスってバンドよ。ほら、映画でも使われてたでしょ」



「ふぅん、だから聞いたことあったんだ。好きだな、この曲」



 間接照明を点けて、リビングのシーリングライトを消したら、部屋が一気に暗くなる。



 凛の隣に腰掛ければ、白い壁に二人分の影がぼんやり浮かび上がって、私はこの時間が好きだった。

 光の中で、凛の影がゆらゆら揺れる。グラファイトのように輝いてるように見えて、そういえばグラファイトって、とっても脆いんだった。



 触れたら崩れてしまうんだろうか。



「ねぇ、触っていい?」



「後でね」



「いけず」







 凛はこてんと私の肩に頭を乗せる。

 高い体温が伝わってきて、やっぱり猫みたいだと思った。



 ふふっ、って笑ってしまって、彼女からはジト目が飛んできたけれど、でも犬を飼っている凛が「猫みたいだ」なんて、可笑しいって思わない?



 甘え下手の野良猫によく似てる。



 狭苦しいワンルームに連れ込んだのは誰だっけ。





―――――





 それから私たちはそれぞれシャワーを浴びて、またベッドの上に並んで座った。



 寝巻き代わりの黒猫の着ぐるみを着て、凛は口を尖らせている。

 凛がシャワーを浴びている間に、私が用意したやつだった。



「なんで奏がこんな服持ってるのさ……」



「いいじゃない。似合ってるんだし」



「どこで売ってるの、こんなの」



「さぁ? この間フレちゃんが新品を置いていったのよ」



「フレデリカが?」



「仁奈ちゃんと一緒に買ったって言ってたわ」



「あぁ……」







 ちなみに私も鳥の着ぐるみを着ている。

 フードには飾り羽が付いていて、なんていう鳥かフレちゃんに聞いたら「ミミズクだよ!」だそうで。



「ミミズクなんて、奏にはぴったりだよね」



「夜のハンター、なんてね」



「ハンターっていうわりには結構臆病なところとか」



「ちょっと」



「ふふ、冗談だよ」





 カチコチ時計が鳴っている。もうすぐ十二時だった。

 普通の女子高生のお泊まり会だったら、ここからが本番だったりするのかもしれない。



 でも、私たちの夜会は、だいたい日付が変わる頃にはお開きになる。



 今日も大きなロケが終わってそのまま来たんだろうか。凛は眠そうな目を擦った。



 ダメじゃない。赤くなっちゃうわよ。



「奏って、お姉ちゃんみたい」



「あら、そう? じゃあ凛は手のかかる妹ね」



「面倒くさいってこと? 失礼しちゃうな」



「ふふっ! そうかもね。少し大人ぶっちゃったかも」



「あれ、大人っぽいって言われるの苦手じゃなかったっけ」



「凛にならいいのよ。実際、私の方がお姉さんだもの」







 私たちはむぐむぐベッドに潜る。

 彼女が口元まですっぽりタオルケットをかぶったら、三センチだけ背の低い私はつま先が冷えてしまう。



 少し丸まれば、ベッドの上は私たちでいっぱいになった。

 大きめのベッドを買って良かったな。



 時計の音。



 タオルケットの中はとても静かだった。



 凛との夜の会話、時計の針はもうすぐ十二時を指している。





「奏はさ」



「なぁに?」



「どうしてあの日、私を泊めたの?」



「今さら聞くなんて、どういう風の吹き回し?」



「はぐらかさないで教えてよ」







―――――





 凛を最初に泊めたのは、たしか十二月の雪の降った日だった。



 レイトショーを見た帰り道、コンビニの前で大げさなくらいマフラーを巻いた凛を見つけた。

 寒さで顔を赤くした凛に声をかけたのは私の方だった。



 その日も凛は、街灯の下でゆらゆら影を作っていたっけ。



「どうしたの、こんな時間に。もう十時よ」



 私がそう言ったら、いきなり「奏の家に泊めて」なんて答えるものだから面食らったけれど、結局二人で一緒に帰った。



 次の日、凛は私の家からそのまま学校に向かって。



 桜が散って、木々が緑色になった今も、こうして彼女は私の横にいる。





 「どうして凛を泊めたのか」なんて、今まで考えたこともなかったんだ。

 だってあの日の凛はなにかとても疲れていたような気がして、ほっとけなかっただけ。



 もしかしてこの子は私の想像以上に脆いのかもしれない。そう思ってしまったら、そばにいたくなった。



「……心配になったのよ。凛のこと」



「心配……そっか。心配してくれたんだ」



「逆に聞いていいかしら」



「なに?」



「どうして、私なの?」







 凛には奈緒や加蓮、卯月、未央みたいに、たくさんの友達がいる。

 その中で私を選んだのはどうして?



 初めて泊めた冬の日は、偶然。でも、二度目や三度目は偶然じゃないでしょ?



 そう聞いたら、やっぱり凛はバツの悪い顔をして、タオルケットに鼻先を埋める。



「偶然なんかじゃないよ」



「最初の日も?」



「私、知ってた。奏が一人暮らししてるってこと。あの時間にコンビニに寄るってことも。あの日、私は奏に会いに行ったんだよ」







 ねぇ、クロノスタシスって知ってる?



 また凛はそう言ったから、私は今度は「教えて?」と答える。



「時計の針が止まって見える現象のことだよ。早い眼球運動のすぐ後に時計を見ると、時計が止まって見えるんだって。奏との時間はそれに似てる。いつまでも続くんじゃないかって、そう思っちゃうんだ」



 凛はまるで、血を吐くみたいに言葉を続けた。



 疲れた、と彼女がぽつりとこぼしたのを聞いたら、全部納得がいった。



 ああ、そうだったんだ。走り続けて、疲れちゃったのね。



 キツいこと言わせちゃって、ごめんね。



 



 凛はいつだって強くて、キラキラ輝いて、全力で走り続けられるって、てっきり私もそう思い込んでいたんだ。

 

 私はグラファイトの髪を撫でる。

 私が触れても崩れはしなかったけれど、すごくか細く感じる。



 時計の針は十二時をとっくに超えて、彼女はもうダイヤモンドじゃなかった。



 私の前には渋谷凛っていう、脆くて儚い女の子がいるだけだった。



「奏は、私と一緒に走ってはくれないでしょ?」



「そうね。きっと、凛とは一緒に走らない」



「だから良いんだな……落ち着くんだ。奏のいるところは」





 彼女の髪に指を通せば、指の間をさらさらと流れる。

 思いっきり甘えてほしかった。



 野良猫に似ているところも、子供っぽいところも、彼女の弱さも知ってしまった私は、彼女の細い髪を撫でて、からだを抱きしめて、それしかできないけれど。



 凛のまぶたが落ちてきたのに合わせて、私は部屋の灯りを暗くする。



 夜が明けたら、凛はまた走り出すんだろう。

 だから、それまでは私の隣で。







 お休み、凛。



















お わ り  



17:30│速水奏 | 渋谷凛
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