2016年05月19日
岡崎泰葉「またひとつ、花は咲く」
――音が止んだ、その一瞬。
眼前に広がるのは無数の星。頭上から差すのは熱い月明かり。
どくどくと、胸が早鐘を打つ。体の内側から熱があふれて、額と頬を伝う汗も止まらない。
すぐ隣に立つふたつの荒い息遣いは、それでもきっと満面の笑みを浮かべているはず。
だから私も負けないように、笑顔を。
――その瞬間、時間が動き出した。
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瞬く星の歓声が、まあるい月に照らされた3つの影を貫く。
滴る汗を気にも留めず、深く深く礼。
鳴り止まない拍手喝采を全身で感じて、思わず視界が歪む。
涙をこらえ顔を上げ、なおも揺らめく星々をしっかと見つめた。
星もまた、笑顔でいっぱい。手を振って応えながら、ちらりと横を見る。
歯を見せ、目を細めて。彼女たちは私と同じように、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
手を繋いで。顔を見合わせ。うなずいて。
大きく息を吸って。
最後の気力を振り絞り、ありったけの感謝の気持ちを、声に乗せた。
「「「ありがとうございました――!!」」」
――今日も最高のステージが幕を下ろす。
次の舞台でも、どうかまた……笑顔と夢の花を咲かせられますように。
―――
――
―
――へとへとになった体にムチを打って、楽屋で帰り支度。
ライブの総評やスタッフさんとの挨拶を済ませていたら、すっかり日も落ちていた。
急いでメイクを落とし、着替えて荷物をまとめる。
「泰葉、いつも以上に張り切ってたね。すごかったよ、今日。うんっ、ロックだった!」
「今日のライブは泰葉中心のセトリだったからねー。気合いの入り方も違ったでしょ?」
「ふふっ、2人がサポートしてくれたから上手くいったの。どうもありがとう」
そんな雑談も、ライブの醍醐味で。すべてが楽しかった。
―――
楽しい、なんて。
いったいいつ、どこで忘れてきたんだろう。
探そうにも、大人は先に進むことを強いてきた。
振り返る暇も与えられず、与えられるのは新しいお仕事だけだった。
そうして、いつの間にか置き去りにしてきてしまった。
『誰かを笑顔にしてあげたい』。ただそれだけの、純粋な想いを。
―――
「――今日はどうする? 家まで送ってこうか?」
「んー、今日は大丈夫です。なんとなく、3人で帰りたいんで」
「ん、分かった。……寄り道はするなよ?」
「したくてもできないよ、私もうへろへろ……」
バッグになんとか私物を詰め込んでいると、そんな会話が聞こえてきた。
うん、たまにはゆっくり3人で。なにを話しながら帰ろうかな。
楽しみ。
「それじゃ、お疲れさまでした。今日はよく頑張ったな、3人とも!」
出口でそんなふうに言って、私たちの頭をぽふぽふと撫でる彼。
いつもそう。
もう子どもじゃないのに。そう言っても聞かないけれど。
ねぇ、そうでしょ2人とも……って。
ああ、そんなに顔をふにゃふにゃにして……。ファンの方にこんなところを見られたらどうするの?
……私もだよね、うん。分かってるけど顔が緩んじゃう。し、仕方ないでしょう?
―――
もう10年以上も前。
初めてのお仕事を終えて、見守ってくれていた両親の元へ真っ先に駆け寄った。
よく頑張ったね、って。
にっこり笑って、優しく優しく、何度も撫でてくれた。
その笑顔が、大好きだった。
この笑顔のために頑張ろうと、幼心に決意したあの日は……もう遠い。
その決意を忘れてしまったのは、いつの頃だったのか。
―――
「――今度はどんなステージにしよっか。次はもっと派手にかっこよく決めたいよね」
「もう次のこと? はぁ、気が早いっていうか……。派手にって具体的には?」
「うーん、ライブ中に花火打ち上げるとか?」
「えー、火ぃ使うって危なくない?」
がたんごとん、がたんごとん。電車の不規則な揺れを感じながら、2人の会話に耳を傾ける。
ざわめく車内では、他の人には聞こえるか聞こえないか分からないような声量だけど。
私たちにはこれくらいで充分。
乗客はそれなり。たとえば仕事終わりのサラリーマン、たとえば部活帰りの学生、たとえば手を繋いだ親子。
その中にひっそり混じる、アイドル3人。
バレたことは一度もない。バレないような方法を2人にも教えたから。
芸能界で生きる術を、誰かに教える日がくるなんて思いもしなかった。
他にもいろいろ。私が長年培ってきたことは、できるだけ彼女たちにも伝えた。
私にはそれくらいしかできないから。
この子のように天性のリズム感を持っているわけでも。
この子のように美しい歌声を持っているわけでもない。
私にあるのは、今までの経験だけ。特別なものなんて、なにもない。
それでも、あなたたちは。
「――泰葉? どうしたの、疲れちゃった?」
「ぐ、具合でも悪いのっ?」
じっと黙っていたら、顔を覗きこまれた。不思議そうにしてる顔と、焦ったような顔。
「ううん、大丈夫。心配しないで」
「ほんと? ほんとに平気っ?」
「焦りすぎだよ加蓮……泰葉が大丈夫って言ってるんだから。ね?」
「うん。ふふっ、ありがとう」
それでもあなたたちは、こんな私を大切にしてくれる。
―――
次々とお仕事が舞い込む。
それは、『岡崎泰葉』の評判が良いからなのか。
それとも、『使い勝手の良い子役』だからか。
……おそらく、後者だった。少なくとも現場では。
それこそ、子役なんて掃いて捨てるほどの人材がいるわけで。
どうして私が選ばれたのか。聞き分けの良い子だったから? 作り笑いが上手だったから?
本当の笑顔は忘れて、大人の言うことをただただ聞くだけの日々。
――あの頃の私は間違いなく、自分の意思を持たないお人形だった。
―――
「――それじゃ、私たち次の駅だから」
「あー……立ってるの疲れたぁ。李衣菜、おんぶ」
「やだよ。ホームで寝たら? また明日ね、泰葉♪」
「私の扱い雑じゃない? ねぇねぇ雑じゃない?」
電車に揺られて数十分。お別れが近づいてきた。
彼女たちはまた、別々の電車に乗り換えて家路につく。
これはもう、いつものこと。お別れは必ずやってくる。
でも、不思議と寂しくはない。
また明日。……そう言ってくれるから。
明日会えなくても、また今度、って。
1週間も会えないときだってある。それぞれのお仕事が増えてきた証拠。
なかなか会えない、そんなときは……決まってメッセージが飛んでくる。
『ね、泊まりに行っていい?』
『夜更かししよ、夜更かし♪』
――そういうときの私は、にやける顔を隠そうともせず。
『もちろん。待ってるね』
これもまた、いつものこと。
―――
円滑にお仕事をこなすため、都会に出てきて一人暮らしを始めたのはいつだったか。
両親には反対されたけど、どうせ別れを惜しむ友人らしい友人もいない。
家にいる時間も少ないなら、どこで暮らそうが同じだった。
それくらい、周りに対して興味を失っていたのだと思う。
いざ一人暮らしを始めても、大して生活は変わらなかった。
なんだ、こんなものか。
殺風景な部屋にぽつんと佇む、あのときの私の目は……きっと、ひどく濁っていた。
―――
ぷしゅ、と、電車が止まる。2人が振り向く。
「今度、今日のライブの打ち上げしよっ。もちろん泰葉の家で♪」
「お、いいね♪ 料理なら任せてよ」
「うん、よろしくね。それじゃあ――」
ドアが開き、ざわざわと黒山がホームへ降りていく。
「「「またね」」」
一段と騒がしくなった車内でも、口の動きで分かった。
こんなところでシンクロして、ぷっと吹き出す。……3人同時に。
それがおかしくて、また笑い合った。
――ドア越しに手を振ってくれている。
私も小さく振り返し、離れていく親友たちの顔を見つめた。
やがて見えなくなり、徐々に加速していく。
ふぅ、と息をついて、流れていく景色を眺める。
……前言撤回。やっぱり、ひとりは寂しい。
引き止めて、そのまま泊まりに来て、とわがままを言っても良かったかな。
いくらなんでも寂しがりすぎだと、笑われるかな。
ううん……笑われてもいいや。
そう思えるくらい、大好きなんだと実感する。
携帯を取り出し、ロックを解除する。
待ち受け画面には、ライブの後に撮った写真が表示されていた。
毎回、ステージを降りた直後に撮影している。
汗まみれで、疲労も滲んでいる顔。でも、最高の笑顔。
きらびやかな衣装に身を包んだ私たち。
ライブTシャツ(決まって蛍光緑色)を着ているアシスタントさん。
そして、ネクタイをしっかり締めた、スーツの男性。
愛おしい人たちが、画面の中で幸せそうに笑っている。
――気づけば寂しさは、どこかへ行ってしまっていた。
―――
私の運命を変えた日。
暗くなった収録スタジオで、独り考えていた。
たまたま共演した名も知らないアイドル。どうしてあそこまで笑顔でいられるのか、分からなかった。
私だって作り笑いなら得意だ。誰にも負けるわけがない。何年も何年も笑顔を貼り付けてきた。
……あのアイドルたちは、作り笑いだったのだろうか。
私には、あんな笑顔はできなかった。
あんな本当の笑い方、とうに忘れていた。
もう、無理かな。
いい加減私にも消費期限が来る頃。むしろ、こんな小娘がよく10年も芸能界に身を置けたものだ。
潔く荷物をまとめて実家に帰ろうか。お母さんもお父さんも、なんて言うだろう。
おかえり、って言ってくれるかな。
それとも今さら帰ってきたのか、って呆れるかな。
……なんでもいい。どうせ私にはもう、なにも残ってない。
いや。残ったのは、後悔か。
私はなにがしたかったの?
なんのために、誰のためにお仕事を頑張ってたんだっけ?
思い出せない。
遠い過去の記憶は、煩雑で慈悲のない現実によって掠れ切ってしまった。
記憶の欠片を拾い集めるには、遅すぎた。もう取り戻せないんだ。
そう思って、すべてを諦めようとした……そのときだった。
「えっと、少しいいですか……?」
――スーツ姿の彼の、遠慮がちな声は……今も覚えている。
―――
――改札を通り駅を出て、てくてくと夜道を歩く。
ひと気もなく、いつもなら頼りない街灯がちらちらと照らすだけの静かな道。
でも今日は、月と星が輝いて明るかった。
雲ひとつない黒に浮かぶ、まあるい月。
それはまるで、体を熱く照らすスポットライト。
きらきらと視界いっぱいに踊る、無数の星。
それはまるで、リズムに合わせて揺れるペンライト。
ステージの上かと見紛う、綺麗な夜空だった。
歩道橋を渡る。もうすぐお家。
より一層夜空に近づけた気がして、ふと橋の途中で足を止めた。
大きな大きな満月。手を伸ばしてかざしてみた。
背伸びしたらなんだか、届きそうな。そんな気持ちになれたから。
月明かりを掴むように拳を握り、そのまま胸に当てる。
そして、出会って間もなかった頃の彼に言われたことを思い出す。
――岡崎さん。……君が歩んできたみちは、なにも間違ってない。決して忘れないでくれ。
思い出して、涙が滲む。月が歪む。
その言葉が、私の胸に……再び命の火を灯してくれた。
「――小さな、光を。胸に抱いて……」
震える声で、今日のワンフレーズを歌う。
そうだ。
ちらばった星屑たちから、私を拾い上げてくれた。別の星に出会わせてくれた。
振り向けば、たくさんのつぼみが美しく花開いていた。私が気づかなかっただけ。
昔から応援してくれていた人たち。今の私を応援してくれる人たち。
みんなみんな、ひとつひとつが綺麗な花だった。
色とりどりの花畑は、まだまだ数を増やしていく。
今日もまたひとつ。
きっと明日も、またひとつ。
そうやって、私は……私たちは、夢を現実に描いていく。
この先もずっと。
歪んだ月は元通り。変わらず私を照らしてくれている。
こんなにくっきりと見えるんだから、明日はきっと快晴でしょう。
明日の青空に思いを馳せて、足取り軽く歩きだす。
月も笑ってくれている気がした。
―――
――
―
――朝。
思った通りの快晴。窓を開けて、爽やかな風を肌で感じる。
「いい天気」
大きく伸びをして、深呼吸。さぁ、今日もまた楽しい1日にしよう。
壁に掛けてあるコルクボードに目をやり、さっそく印刷して飾った昨日の写真を見て。
いつの間にか3人の物であふれてる部屋を見渡し、一声。
「――いってきますっ」
朝ご飯は、あの子が好きなファストフード。
朝が苦手なあの子を待って、3人で。
当たり前になってきた日々。今度こそ忘れないようにしなきゃ。
私は、大切な『君』を笑顔にするために、アイドルになったんだって。
今まで出会った『君』。
これから出会う『君』。
隣に並び、競い合い高め合う『君』。
いつも優しく見守ってくれる『君』。
私を愛してくれる、すべての『君』のために。
だから、今日も。
『君』と一緒に。
――この青空へ、希望の種を!
おわり
23:30│岡崎泰葉