2016年05月26日

佐久間まゆ「あいくるしい」

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 「その瞳に吸い込まれそうだ」と彼が言った。



 それが、私の心を掴んだ口説き文句。





 指が踊る、指が躍る。

 

 彼のコーヒーにはいつも角砂糖を二つ。



 甘いものは疲れた脳に良いんだと、笑いながら言っていた。



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 事務所で初めて会った時の、驚いた顔は今でも鮮明に思い出すことができる。



 それから、「会いに来ました」と伝えた後の、とても困った表情も。



 

 胸が躍る、足が踊る。



 私の心は彼のもの、私の体も彼のもの。

 

 初めてのレッスンで、私の笑顔を褒めてくれた。



 初めてのステージで、私の歌を褒めてくれた。



 いつでも貴方が隣にいたから、いつだって私は微笑んでいられたの。





 左手首に巻き付けたのは、彼と私を繋ぐおまじない。



 「固く二人が結ばれて、決してほどけませんように」……と。

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 ちらつく雪の降る中で、マフラーと一緒に甘い贈り物を手渡した。



 春の桜が舞う中で、柔らかな日差しに二人で微笑んだ。



 

 夏の野外のステージで、汗だくになりながらアナタに向けて歌を歌い。



 秋の寂しい街道を、二人寄り添って歩いたりもしましたね。



「君は俺の自慢のアイドルだ」と、頭を撫でてもらったこともあったっけ。



 あの時は顔を真っ赤にしながら固まって、ドキドキしながら彼の手の、

 その硬くて柔らかい不思議な感触に気持ちを集中させていた。



「綺麗だよ」と私の問いに答えながら、唇を重ね合わせたのはいつのことだったろうか。





 愛しいアナタ、大好きなアナタ。



 私の胸の高鳴りは、日に日に大きくなっていく。

===



 でも……いつしか彼は私じゃない、どこか遠くを見つめるようになっていた。



 私の瞳をのぞき込む度に、彼の中身はどこか彼方へ溶け出していくようだった。



 

 彼が恋をしていたんだと気がついたのは、二人が一緒になって長い時間が経ってから。



 アイドルを辞め、ステージから降りて、歌を歌うことを忘れた鳥になってから。

 

 歌わない鳥を見る、彼の瞳はとても冷たく……そして悲しくて。

 

 恋の相手は、私だった。それも、彼の隣で愛を囁く私じゃない。



 飾られた衣装を着て、きらめく微笑みを称え、輝くステージの上で愛の歌を歌う私。

 

 アイドルとしての「佐久間まゆ」が、彼の恋の相手だったのだ。

 

 

 「その瞳に吸い込まれそうだ」と言った言葉の通りに、彼は私に吸い込まれて行ってしまった。



 私の中のもう一人の「まゆ」に、その全てを取り込まれてしまったのだ。

===

 

 いっそ死が二人を別っていれば、悲しみの記憶に溺れることもできただろう。

 

 彼が他の誰かと結ばれていたのなら、嫉妬の炎にこの身を焦がすこともできただろう。



 

 「愛してる」と言われれば、幸せになれると思ってた。



 「愛してる」と囁けば、幸せにできると思ってた。

 

 想い人と二人、愛し愛されることが生きる上での一番の喜びだと、そう信じて疑いもしなかった。

 

 「固く二人が結ばれて、決してほどけませんように」



 ……左手首のおまじないは、確かに二人を結び付けた。



 なのに、どうして、こんなにも……私の胸は苦しいの?



 

 彼は、今でも私の中に「まゆ」を見る。



 いつか再び出会えると、信じているから離れない。

 

 私も、今でも彼の中に「愛」を注ぐ。



 いつか彼の心を満たせると、信じているから離れない。

 

 今宵も二人は埋めようのない溝を埋めようと、心と体を躍らせる。

 

 あぁ、そんな彼が今でもとても愛しくて。



 そしてだからこそ私は見つめられてないと知りながら、彼に向けてあいくるしく、微笑むのです。



 

 指が踊る、指が躍る。



 寂しい身体を慰めるように。

 

 胸が躍る、足が踊る。



 二人の心はまじない通り、満たされないことで固く結ばれて――――そして永久(とわ)に離れることもない。

 



22:30│佐久間まゆ 
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