2016年06月16日
佐藤心「いつもと少し違う朝」
「………ん」
重い瞼をゆっくり開くと、見慣れたアパートの一室の白い天井。
その日の目覚めは、外でワンワン吠えている犬の鳴き声とともに始まった。
重い瞼をゆっくり開くと、見慣れたアパートの一室の白い天井。
その日の目覚めは、外でワンワン吠えている犬の鳴き声とともに始まった。
「んぅ……うるさいなぁ」
右腕を布団から出して、ふらふらとあちこちさまよわせる。
こちん、と固形物にぶつかった感触があったので、つかんでこちらに引き寄せる。
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「まだ5時半じゃん……バカ犬めぇ」
当たり前だけど、目覚まし時計のスイッチを切ってもワンワンとうるさいアラームは消えない。
また向かいの家のおばさんが、自慢のゴールデンレトリバーを朝の散歩に連れ出しているんだろう。あの犬はやたらと周りのモノに吠えまくる。私に会うと一段とよく吠える。
窓を開けて「やかましいわっ!」と吠え返してやりたい気分に駆られるけれど、それをやるだけの気力すら湧いてこない。
「ふわぁ……」
イライラはぁとを胸の内にしまいこみ、布団から半身を起こす。昔はついついブラとショーツだけで寝ちゃう日もあったんだけど、最近はちゃんとパジャマを着てから眠るようにしている。体調管理も仕事のうちと、何度も口を酸っぱくして言われているからだ。
「仕事……仕事かあ……」
頭のてっぺんあたりで妙な感触があるから触ってみたら、案の定寝癖がひどいことになっていた。
ぽんぽんと髪の撥ね具合を確かめて、寝ぼけ眼をこすりながら、働かない頭でぼんやり物思いにふける。
「……だね。はぁと、アイドルだもんね」
なんともいまさらな事実を確認したつもりだった。でも、不思議とその独り言は、胸にふわふわと残り続ける。
「アイドル……アイドル、かあ」
芸能界に足を踏み入れてから、もうたくさんの時間が過ぎ去っているはずなのに。
本当にいまさら、その単語が大きな大きな意味を持つように感じられた。
どうしてだろう――そんなことを考えながら、枕もとに置いてあったスマホを手に取る。
ホームボタンを押すと、メールが一件、寝ている間に入っていたことに気づいた。
『夜中にごめん! 最近忙しくてさ、こんな時間にしかメール送れなかったんだ』
送り主は、高校時代の同級生。昔はよく遊んで、一緒にたくさんやんちゃした仲だったけど、今はお互い住んでいる場所も勤務時間も違うから、こうして顔を合わせないやり取りを続けている。
『今度、高校の時に仲良かったメンバーで集まらないかって話になったんだ。心のおかげで』
私のおかげ?
首をかしげながら、彼女の長文メールを読み進めていく。
『みんな仕事も家の場所もバラバラで、一度に集まるのは難しいんだけどさ……どうしても、あんたの快挙をお祝いしたいって!』
「あ………」
快挙。
最近私が成し遂げた快挙なんて、心当たりはぶっちぎりのひとつしかない。
それが思い浮かんだ瞬間、さっきまで抱えていた疑問もすーっと消えていくような気がした。
「そっか……みんなで祝いたい、かぁ」
――シンデレラガール総選挙、全体9位。
自分でも予想していなかった結果が出た日の夜、恐ろしいまでの数の電話やらメールやらが降り注いだのは記憶に新しい。
「あいつらめ……へへ」
鏡を見たら、きっと今の自分はとんでもなくだらしない顔になっているんだろうなぁ。
でもしょうがない。うれしいんだもん。
「アイドルシュガーハートも、思えば遠くまできたもんだ」
アイドルという言葉の持つ意味が変わったように感じられるのは、きっと選挙の結果が影響しているんだと思う。
ただがむしゃらに、上を見てひたすらガンガン走っていた自分……その立ち位置が、確かに変わったから。
そりゃあ、まだ上には何人もいるけどさ。それでも、自分が本当に『駆け出しアイドル』から『アイドル!』になった感じがして。
なんていうか……なんていうか。
「……スウィーティーだな」
うん、スウィーティーだ。決して言葉で言い表せないほど語彙がないわけじゃない。
スウィーティーは魔法の言葉で、私は今、その魔法にかかったような状態だし。
「とりあえず、頑張らないとね」
いつの間にか、眠気はどこかに吹き飛んでいた。
立ち上がってカーテンを勢いよく開き、朝日をこの目でしっかりと拝む。
「シュガーハートは、今日も一日飛ばしていくぞ☆」
そう、目指すはあの太陽!
太陽のようにキラキラと輝き、みんなを照らすスターになるっ!
おお、なんか宣言したらテンション上がって来た!
「やるぞおおおお! うおおおおおおおおっ!!」
ドンっ!!
隣の部屋の壁が叩かれる音が聞こえた。
「あ、はい。朝っぱらから騒いでごめんなさい……」
向こうからは見えないし聞こえないだろうけど、とりあえず頭をぺこりと下げて謝る。
……あのバカ犬のこと、笑えないな。ふふっ。
さ♪ まずはシャワー浴びて、それからご飯食べて着替えよう。
「おはよーございまーす☆」
いつも通りに時間に事務所の自動ドアをくぐり、すれ違う事務員やアイドル仲間に元気よくあいさつ。
そのまま、根城であるいつもの部屋へ……行く前に、化粧室へ。
「……うん」
洗面台に設置された鏡とにらめっこして、改めて身だしなみを整える。出かける前に家でさんざん入念にチェックしているけど、こういうことは何度確認しても損じゃない。
どんな時でも一番いい自分を見せること――私の仕事で、もっとも大事なことのひとつがそれだから。
「今日もスウィーティー♪」
戦闘態勢、準備オッケー。
化粧室をあとにして、彼の待っているであろう場所へ足取り軽く進んでいく。
そろそろ大きな仕事が取れそうだってつぶやいてたけど、あれがどうなったのかすごく気になる。
「お手並み拝見ってとこかな?」
ドキドキとワクワク。それと……そこそこの不安。
今までとは立場も変わるってあの人も言っていたし……そのへんは、どうなるかわかんない。もしかしたら、今まで通りにはいかないこともたくさん増えるのかもしれない。
「……でも」
負けるつもりは、さらさらない。
もともと不器用な人間だ。自分を変えようとしたって、簡単に変えられるわけがない。
だったらもう、イケるところまでガーッといくしかない。
それに。
彼となら、それができるって思うから。
彼となら、アイドルを楽しんで楽しんで楽しみぬくことができると信じられるから。
「……うん」
いろんな気持ちを胸に秘めて、私はドアをノックする。
中から返事が聞こえてきたのを確認してから、元気よくドアノブを回した。
「おはようございます、心さん」
「おはよう、プロデューサー! 今日もがんばっていこうぜぃ☆」
今日もまた、彼と一緒にトップアイドルを目指す一日が始まる。
――はぁとをここまで連れてきてくれたプロデューサー。最後まで、ちゃーんと付き合ってもらうからな♪
あなたでなきゃ、ダメなんだから。
いつか、世界中をスウィーティーにできるまで。それまで絶対に、離さない。
……もしかしたら、その後も離さないかもしれないけど。
「……どうかしました?」
私がじーっと彼の顔を見ているもんだから、あっちは首をかしげてハテナマークを浮かべている。
そんな彼の反応を楽しみながら、私は思いっきり、心からの言葉をぶつけてやるんだ。
「サンキュ、プロデューサー」
「え?」
「逃がさないから、覚悟しとけよ☆」
おしまい
22:30│佐藤心