2016年07月25日

岡崎泰葉「ころころ丸い、網目の幸せ」




―――







「――ただいま、戻りました……」





夏の気配が色濃く漂い始めた街をぽてぽてと歩き、過ごし慣れた事務所へようやくたどり着いた。





陽炎が揺らめくアスファルト。照りつける日差しを容赦なく反射し、肌を焼いてくるビルの窓ガラス。



それらをなんとか掻い潜った私は、肺に溜まった熱気を吐き出してひと息。





「おかえりなさい、泰葉ちゃん。外暑かったでしょう? クーラー入れときましたよ♪」



「あ……ちひろさん。ありがとうございます……ふう、本当に茹だりそうでした」



「ふふふ。お仕事お疲れさまでした」





今日はもう、日が沈んで涼しくなるまで外には出ない。



汗を拭いながらそう決めて、いつものソファーに身を預けた。



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「今日のお仕事は……うん、泰葉ちゃんはもう無いみたいですね」



「はい、良かったです……。またこの暑い中に放り出されるのは、ちょっと……」





カチカチカリカリとマウスを動かして、ちひろさんがスケジュールを確認してくれる。



手帳にもしっかり書いてあるけれど、自分で確認するには今は頭がくらくらしすぎて……ちょっぴり甘えてみたり。





「ふふ、なにか飲み物でも飲みます?」





くったりとソファーに沈み込む私を見て、優しいお姉さんはにこやかに聞いてくれた。





「あ……それじゃ、アイスコーヒーを」



「はーい、ちょっと待っててね♪」



給湯室に消えていく影をぼやっと眺めて、もう一度息を吐く。



今度は室内の冷たい空気を感じて、今日のお楽しみを思い出した。





「……ふふっ」





鞄を漁って、丁寧にしまっておいた包みを取り出す。



私の好きな青色のリボンで括られた、桃色の袋。





――だってピンクも好きでしょ?





……いつそのことがバレたのか分からないけど、まぁそれはそれでいいとして。





『誕生日おめでとう! R&K』





挟まれている小さなメッセージカードに書かれた短い言葉だけでも、ふたりの想いは充分に伝わってきた。



「はぁ……良い香り」





ラッピングされていても、なお漂う香ばしい匂い。



この匂いだけでお腹がいっぱいになってしまいそう。



今朝、事務所を出て別れる際に、慌ただしく渡されたけど……未だその香りは衰えず。





「……はぁ〜」



「――おまたせしましたー♪ ……なにしてるんですか泰葉ちゃん」





鼻をくっつけてくんくんしていた私を誰が責めるというのか。



プレゼントを放り投げなかっただけでも褒めてほしい。



「ア、アリガトウゴザイマス……」



「いえいえ。……で、それってもしかして」



「は、はい……ふたりの手作りだそうです」



「あら♪ 良かったですね」





か、顔赤くなってないかな……。



ごまかすように手早くリボンを解いて、ついに中身を拝見。





「――はぁ〜……っ♪」



ああ。



朝からずっと我慢していた。



時間が経っても褪せることのない、鼻腔をくすぐる魔力。



袋を揺するだけで弾ける、この言い難い衝動。



決してお店では手に入らない。



少しいびつな円形。



荒い焦げ付き。



見様見真似だと分かる網目模様。



プロのメロンパニストからすれば、拙さが溢れるこれはただの石ころ同然だろう。



しかし私にとっては、彼女たちが心を込めて作ってくれた、至大至高にして唯一無二のメロンパン。



宝石と言っても過言ではない。



生地を練り、焼いたのはきっとあの子。



そして華やかにトッピングしたのはあの子だ。



ふたりが……私のために作ってくれた。それだけで宝物。食すなどもったいない。



ああでも、食べなければふたりに申し訳ない。



ああでも、食べてしまえば無くなってしまう。



どうして。





どうしてメロンパンは食べると無くなってしまうの?



私はいったい、どうすればいいの……!?









「写真撮ってから食べれば良いと思いますよ」





至極真っ当な答えがちひろさんから告げられた。



「――ごくり。では……いただきます」





アイスコーヒーで唇を湿らせ、いざ。





「――はむっ」







サクッ。







「――――!」







ふんわり。







「――――!!」









私の意識はそこで途切れた。







.





―――





「――やーすはー。そろそろ起きなよー」





つんつんと、泰葉の頬をつつくのは北条加蓮。



仕事から戻って来たら、蛍光緑のアシスタントに膝枕されていた彼女を発見したのだ。





「ダメだよ加蓮、寝てるんだから……」





アシスタントに代わり膝枕を任されているのは、同じく仕事から戻った多田李衣菜。



未だ眠る彼女にちょっかいを出す加蓮を咎め、優しく泰葉の頭を撫でる。





「……はぁ〜……♪」



「……ほんとに寝てるの、これ」



「ね、寝てるんじゃないかな……?」



幸せそうなため息……もとい、寝息を吐く泰葉に、ジト目を送る加蓮。



李衣菜にしても半信半疑であり、やはりこれは本当は起きているのでは……と思わざるを得なかった。





「っていうか、メロンパン食べて気絶ってなんなの? そんな不味いもの作ったっけ、私たち」



「や、味見したし……美味しいのできたと思うんだけどなぁ。ねぇPさん?」



「ああ、充分美味いぞ? この……堅いメロンパンでも」





本番ではなく、実験的に作ったミニメロンパン――クッキーのような堅さの代物――を口に放り込み、ネクタイを締めた彼は笑顔で答えた。



「だよねー? 美味しいはずなんだけどなー。ちょっとー、泰葉ったらー」



「だからつんつんしちゃダメだって……起きない泰葉も泰葉だけど」



「ひと口ふた口で満足しちゃったわけ? おーきーてー!」



「泰葉ー、全部食べてもらわないとこっちも困るよー。せっかくの手作りプレゼントなんだからさー」



「はぁ……はぁん……♪」



「なんか喘いでるし……ふ、ふふっ♪」



「どんな夢見てるの泰葉……。く、あははっ♪」





呆れながらもその緩みきったにやけ顔に釣られ、李衣菜も加蓮も破顔した。



見守る大人も、穏やかにメロンパン……クッキーを頬張る。





「美味さで気絶ってあるんですね」



「ふふ、私もびっくりしちゃいました。急にこてーんって倒れちゃうんですもん」



「俺もその場で見たかったな――かったいなぁこのクッキー」



「え? 小さくて試作とは言えメロンパンでは――」





ザクッ。





「クッキーですねこれ。美味しいですけど」



「クッキーですよね」



「もー、あんまりクッキークッキー言わないでよ」



「初めて作ったわりには上手くいったんですからね?」



「いや、ごめんごめん。でもほんとに美味しいぞ」



「きっと泰葉ちゃん、この美味しさとふたりの想いを受け取ったから、ちょっと振り切れちゃったんですよ♪」



「へへ、泰葉のこの顔見てたらそんな気がしますっ。ね、加蓮!」



「むー、いまいち信じられないけど……まぁいっか。起きたらまた食べさせればいいし♪」



「はは、そしたらまたすぐ気絶しちゃうかもな」



「ならひっぱたいて起こす!」



「うわ、ひどー……」



「李衣菜が!」



「えっ私が!? やだよ泰葉叩くなんて! 加蓮にならまだしも」



「それもひどくない?」



「ふふふ♪ じゃあ私、アイスコーヒー淹れ直して来ますね♪」



「あーどうも、ありがとうございますちひろさん」





「泰葉ー、早く起きないと李衣菜に叩かれちゃうよー?」



「叩かないってば、もー……。泰葉もいい加減起きてよーっ」





「さくさく……ふんわりぃ……♪」







夢の中でも、現実でも。



今日も岡崎泰葉は、メロンパンのような幸せに包まれている――。







おわり



21:30│岡崎泰葉 
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